「あかり、場所交代」
「う、うん」
あかりの座っていた椅子に座り、アキラと碁盤を挟む。
「棋力はどれくらい?」
誤魔化しはアキラには通用しない。少し考えてヒカルは言った。
「お前がプロになれるなら、オレはタイトルとれるぐらい」
アキラはヒュッと息をのんだ。
「…本気?」
「本気だ」
真っ直ぐアキラを見つめて言うヒカルの目は決して冗談を言っているように見えなかった。
その後、沈黙が続いた。ほんの1分程だろうが、少しの間がやけに長く感じられた。
「…互先でいい?」
やっとアキラは声を出した。さっきよりも鋭い目。
(ああ、これがオレの知っている塔矢だ)
ヒカルはこの目をよく知っている。
「うん。オレがニギるよ」
先番はヒカルになった。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。キミは知っているみたいだけど、ボクは塔矢アキラ」
「オレは進藤ヒカル」
簡単に自己紹介をし、対局にうつる。
「お願いします」
「お願いします」
ヒカルは初めの一手目から考えていた。本気でやるか、それとも佐為が打った棋譜を再現するか。これからヒカルはネット碁でsaiとして打っていく。その為に、都合がいいのは後者である。ヒカルは佐為の棋譜を再現することを決めた。
石を持った瞬間、ヒカルの雰囲気がガラリと変わった。肌に突き刺さるようなピリピリした空気に息が詰まるような錯覚を覚える。背中がゾクリとした。
(まるで、お父さんと打っているようだ)
向かい合っている対局者は小学生のはずなのに。
(まず藤崎さんに碁を教えたのは間違いない。進藤だ)
パチ、パチという音と共に対局が進む。その中で気になる点が出てくる。
(どうも定石の型が古い)
今ではあまり打たれなくなった秀策のコスミもそのひとつである。
(ボクの打ち込みにも動じない。動じないどころか、かろやかにかわしていく!?)
局面をずっとリードしているのはヒカル。そしてヒカルの次の一手でアキラは驚愕した。
(これは、最善の一手ではない。最強の一手でもない)
それは自分の力量を計る一手。
「あかり、帰るぞ」
「え、でも塔矢くん…」
「いいから」
今の塔矢には聞こえないだろう。初めて挫折を味わったのだから、当然といえば当然の反応だ。それでもいい。ヒカルはこれから塔矢に会うつもりはない。そう思っていた。
「あら、終わったの?」
「うん」
市川が懐かしいチラシを取り出す。
「来週こんなのがあるんだけど、よかったら見に行ってみたら?」
「んー、考えておくよ。それじゃあ、今日はありがとう」
「ありがとうございました」
あかりも小さくお辞儀をして囲碁サロンを出た。
「えっ、アキラ君が負けた!?」
「2目半差で?」
「そんなバカな!」
二人が出て行った後の囲碁サロンは大騒ぎになっていた。
(2目半差とか、そんなレベルじゃない。それに、彼は外で一度も対局したことがないと言っていた)
何者なんだ、彼は――!?
それからアキラは囲碁サロンでヒカルを、あかりを待ち続けた。連絡先を聞いておけばよかったと後悔した。市川に言われ、子ども囲碁大会への会場へも足を運んだ。しかし、それ以来二人の手掛かりはつかめなかった。
このまま止まっていても仕方ないと、中学に入学する春、アキラはある決心を固める。