至らない点が沢山で申し訳ないです
進藤ヒカル30歳。小学一年生。
(ステータスだけ見ると犯罪者っぽい)
そんなことを考えている場合ではないのだが、状況についていけない。しかし、身支度を済ませなければと、洗面所へ向かった。
真新しいランドセルを背負い校門をくぐる。今では覚えていない顔もあった。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
ありきたりの挨拶。はっきりいって退屈である。その間、ヒカルは今後について考えていた。まずは、佐為に会う。プロにはならない。プロにならない代わりに、ネット碁でsaiとして打ち続ける。外で打つのは、三谷の賭け碁をやめさせるのと、秀英をスランプから抜け出させるときだけにしよう。
それはヒカルが22歳の年。八月の日のことだった。来日した秀英とともに秀英の叔父が経営している碁会所に来ていた。北斗杯で再会して以来、二人はプライベートで時々打つ仲になっていた。碁盤を挟んで座る。
「お前と初めて会った日も夏の暑い日だったな」
ヒカルが窓の外を眺めながら言った
「うん。この時期になると、進藤を思い出す」
「オレ?なんで?」
確かに自分の失言がもとで騒ぎを起こしてしまったが、それ以外特に思い当たる節はなかった。
「実は、進藤と初めて打った時期はスランプだった。囲碁をやめようと思っていた」
「ええ、お前が?」
ヒカルには信じられなかった。
「うん。それで、息抜きに誘われてここに来ていた。そんな時、進藤と打った。あの時負けた悔しさで、ボクはスランプから抜け出すことができた。そのことは、その、感謝しているよ」
人との巡りあわせというのは、ヒカルにとって不思議だと思うことが度々あった。佐為をはじめ、誰かと出会えたことはきっと偶然じゃない。
「俺もさ、囲碁をやめようと思っていた時があった」
「進藤が!?」
「ハハッ」
さっきの自分を見ているようで、ヒカルは思わず笑ってしまった。
「プロ入りした頃だったよ。オレの場合は自責の念、かな。誰よりも囲碁が好きな奴に、満足に打たせてやれなかったんだ」
秀英には何の事だかさっぱりだ。しかし、ヒカルの泣きだしそうな目が、相当辛い出来事があったことを物語っている。ぼんやりとした表現の中に、どれだけの思いが詰められているのだろう。
「でも、そんなオレを引っ張り上げてくれる人がいた。そこはお前と変わんねえよ」
いろいろ考えていることはあるものの、まずは佐為に会いたい。せっかく逆行してきたのだ。
(今のオレなら、少しは佐為を楽しませることができるかもしれない)
強くなった自分と打ってほしい。何度も思い描いていた“もしも”が叶うかもしれないのだ。
入学式後、最初のホームルームが終わるなり急いで校門を出る。佐為に会いたい。それだけがヒカルを突き動かしていた。
「母さん、じーちゃんち行ってくる!」
「え、ちょっとヒカル!」
全力で走った。子どもの体力では少々辛かったが、無事に平八の家にたどり着く。
「じーちゃん!蔵開けて!」
「急にどうしたんだ、ヒカル」
家に来るなり、いきなり蔵を開けろと言い出す孫。そんなヒカルに不思議そうな顔を向けながらも、蔵を開ける。
「あんまり動かすんじゃないぞ!危ないからな」
「分かってる!」
そんな平八の忠告もそこそこに、蔵の中を物色する。確か、大きい箱の中にあったはずだと漁る。
「あった」
さすがに今は持ち上げられなかったが、手で埃をはらう。
「どうして…」
血のシミは、そこにはなかった。ペタンと力をなくして床に座り込む。この世界に佐為はいないのはショックだ。それに対する絶望感はある。でも。
(佐為がいなくても、佐為の碁を残したい)
何をするにしても、碁盤がなければ始まらない。
平八は孫が碁を覚えたことを素直に喜んでくれた。入学祝に碁盤が欲しいと言うと、当然ながら脚付きではなく折り畳みの碁盤がプレゼントされた。しかし、碁盤があるだけマシだ。
「オレ、囲碁覚えるからさ、次勝てたら脚付きが欲しいな」
「なにい?ワシは強いぞ!まあでも、お前と打つのは楽しみだな」
平八はそう言ってくしゃりとヒカルの頭を撫でた。その感覚はなんだかひどく懐しく、泣きそうになった。
一か月後、ヒカルが再び平八のもとを訪れる。それ以来少しずつ、でも確実にズレが見られるようになる。