囲碁はあまり打てません、対局シーンは雰囲気で感じてください。
気まぐれ更新
5月5日。今年、進藤ヒカルは30歳を迎えていた。
20歳で最年少の本因坊のタイトルホルダーとなり、その座を守り続けて10年。ヒカルもアキラも三冠である。現在、ヒカルが本因坊、天元、棋聖、アキラが名人、王座、10段のタイトルを所持している。この二人がタイトルを取り合う未来はそう遠くないだろうと言われている。
毎年、本因坊になってからこの日の夜はアキラと打っている。使っている碁盤は祖父の蔵に置いてある碁盤だ。蔵の入り口を開けると埃っぽい匂いがする。踏みしめると、ギシッという音がした。
窓の月明りに照らされてその碁盤は姿を現す。
「…塔矢、今日お前に全部話すよ」
――お前には、いつか話すかもしれない
思い出されるのは、あの日のヒカルの一言。
「本因坊を防衛して10年経ったし、そろそろ話そうかと思って」
「それからずいぶん経つが、何故だ?」
「今日があいつの命日みたいなもんだからさ。聞いてくれるか?」
命日みたいなもの、という単語が引っかかったが、それも今日分かるのだろう。ずっと気になっていたヒカルの秘密。
「もちろんだ。早く聞かせろ」
ヒカルは今にも怒鳴りだしそうなアキラを制する。
「まあそう焦るなよ。お前にしか言わないからな」
焦るなよ、という言葉は震えていて、まるで自分に言い聞かせているようだった。
「今から話すことは現実的じゃない。お前が信じないというなら、それでいい。でも、本当の話だ」
ヒカルが話し始めた内容は、アキラにとって衝撃的だった。確かに現実的ではない。でも、今まで感じていた違和感と辻褄が合うのだ。
「嘘をつくような真似をして、悪かった。今更謝っても過去は消せない。でも、もし許してもらえるなら、これからもお前とこの道を歩きたいと思っている」
アキラの目を見つめるヒカルの目は不安に揺れている。真実を話すことが、どれだけ勇気のいることだったのだろう。そんなヒカルを、優しく見つめてアキラは言った。
「…言っただろう。ボクはあの日の言葉を取り消すつもりはない。君の打つ碁が、君のすべてだ」
アキラはいつだって嘘をつかない。その嘘のない真っ直ぐさは、優しくヒカルの胸に突き刺さる。
「塔矢。ありがとな。やっぱりお前に話してよかったよ」
笑ったヒカルの頬を、静かに涙が流れる。
「…ボクも、打ち明けてくれて嬉しかった。進藤、今年も打とうか」
「ああ」
アキラがニギり、先番はヒカルになった。
初手はいつもの場所、右上スミ小目を打つはずだった。しかし視界が暗転し――。その手は空を切った。
目を開けると、自分の部屋だった。今は住んでいない、実家のほうである。あの後、寝てしまったのだろうか。だとしたら、アキラがここまで運んでくれたのだろうか。いずれにしも、対局中に寝てしまった自分に対し、目を吊り上げるアキラが容易に想像できる。とりあえず、身支度を整えようとベッドを降りた。
「あれ?」
目線が低すぎる。それに、声が高い。手を見てみると子どものぷくぷくした手。頭が真っ白になった。
「嘘だ」
姿見に映った自分は、随分と幼かった。頬を抓ってみると、確かに痛みがあった。
「夢じゃない」
タイムスリップ、パラレルワールドといった単語が、頭の中にあふれる。6割の混乱と、佐為に会えるかもしれないという4割の期待に、心拍数があがる。とりあえず、今の状況を把握しなければならない。ヒカルは美津子のいるリビングへ向かった。
「母さん、おはよう」
「あらヒカル、早いのね。緊張してたの?」
何に緊張するのかは謎だったが、適当に誤魔化す。
「まあね」
記憶よりも随分と若い美津子が朝食の支度をしていた。いきなり今日の日付を聞くのはまずいだろうと、カレンダーに向かう。
「え!?」
前日までに×印がつけてあるカレンダーには、今日の日付に小学校の入学式と書いてあった。