ラブライブ! 〜僕らは今のなかで〜   作:逸見空

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第六話 着々と

 ひと通り海を満喫したので、僕たちはまた秋葉原に帰ってきたのだが、着いた頃にはすでに夕日がオレンジ色に染まっていた。

 

「……じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

 

「うん、そうだね」

 

 そう言うと、両者とも少し寂しくなってしまう。それに今日は楽しかったということもあり、ますます別れるのが寂しい。それは多分、にこちゃんも同じではないだろうか。

 

「じゃ、またね」

 

 そう言ってあっさりと帰ろうするにこちゃん。その背中を見ていると、自然と声が出た。

 

「あの!」

 

 にこちゃん平静とした顔で振り向く。

 

「えっと……今日は楽しかったよ。ありがとう」

 

 うん、うまく言えた。こういうことを言うのは久しぶり、というか初めてな気がする。

 するとにこちゃんも、

 

「ええ、にこも楽しかったわ。ありがとね」

 

 と言った。

 

 僕はその帰り道、なんだか嬉しくてスキップをしながら帰った。

 

 ○ ○ ○

 

 家に帰って玄関ドアを開けると、姉さんが夕飯の準備をしているのだろう、なんだか美味しそうな匂いが漂ってきた。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい、優羽。まだ晩ごはんはできていないので、もう少し待っていてください」

 

「分かった。なにか手伝おうか?」

 

「いえ、大丈夫ですよ。もうすぐできますから」

 

 今日の姉さんはなんだかいつもより機嫌がいい。僅かだが台所を移動する足が跳ねているような気もする。なにか嬉しいことでもあったのだろうか。

 僕はそんなことを考えつつ、机に置いてあった見慣れない一冊の本を手にとってみる。なになに、『ダンス練習法』? ……ああ、スクールアイドルの練習か。よく見ると本にはいくつかの付箋とメモが貼られている。姉さん達、結構真剣にやっているんだな。いや、考えてみれば、これまで姉さんが真剣でなかったときなど無いな。

 姉さんは何事にも、いつも本気で取り組んでいる。それも姉さんのかっこいいところの一つだろう。そして僕は、姉さんのそんなところをとても尊敬している。

 僕がその本をパラパラとめくっていると、

 

「優羽、できましたよ。こっちに来ていただきましょう」

 

 と、姉さんが僕を呼ぶ。

 

「はーい」

 

 そう言って僕はイスに座る。今日の晩ごはんはハンバーグだ。美味しそうな匂いが鼻に入ってきて、舌からだ液がたくさん出ているのが分かる。

 

「では、いただきます」

 

「いただきます」

 

 あいさつをすると、僕はサラダをとりあえず無視してハンバーグを一口食べた。

 

「んー……うまい!」

 

 僕はどんどんハンバーグを口に運ぶ。箸で切るだけでたくさんの肉汁が溢れ出し、それすら勿体無いと感じた。いつも姉さんの料理は美味しいが、今日はなんだか一段と美味しい気がする。

 

「姉さん、なにかあったの?」

 

「どうしてですか?」

 

 僕が聞くと、姉さんはキョトンとした顔で茶碗を持ちながら首をかしげる。

 

「なんだか今日は機嫌が良さそうだから。なにか嬉しいことでもあった?」

 

「……はい、実はそうなんです」

 

 姉さんはまた嬉しそうな顔になって言った。

 

「今日、私達の曲が完成しました」

 

 僕は一瞬なんのことか分からなかった。曲ができたって……姉さん達の曲ってこと? 僕が聞くと、姉さんはまたまた嬉しそうに頷いた。

 驚いたな。まさか、そんなことまでできているとは。僕はてっきり、既存の曲に合わせて踊るだけだと思っていた。これじゃ本当にアイドルじゃないか。

 

「……なんだか、本格的になってきたね」

 

「はい。この曲のためにも、より一生懸命練習しなければ」

 

「というか、その曲は誰が作ったの?」

 

 僕はふと思い浮かんだ質問をした。あの三人の中で作曲などできる人はいないはずだ。だったら誰が……

 

「一年生の西木野真姫……という方が作ってくれました。ああ、一年生ということは、優羽と同じクラスということですね」

 

「西木野……ああ、あの人か!」

 

 ——西木野真姫。

 あの孤高の人だな。この前目が合ってドキッとしたあの人だ。確かにあの人ならできそうな気もする。しかし意外なのは、彼女が姉さん達のために曲を作ったということ自体だ。彼女はクラスでもほとんど誰とも話していないし、積極的に人と関わろうとしないようなタイプと見える。その西木野さんが、どうしてまた……

 

「穂乃果が頼んだら、渋々ですが作ってくれたそうです」

 

 ああ、なるほど。

 さすが穂乃果さんだ、やっぱりなにか持っている。人を動かすような、なにかを。西木野さんもそれに動かされたのだろう。それなら納得がいく。

 

「そうだ優羽、もし今度彼女に会ったらお礼を言っておいてもらえませんか? もちろん私からも言うつもりですが、なかなか会えなくて。なのでお願いします」

 

「うん、任せて」

 

 そう言った後、残りのごはんを一気に食べると、僕は自分の部屋に行った。なんだか今日は疲れてしまったので、その後少しだけ勉強するとすぐに寝たのであった。

 

 ○ ○ ○

 

「——くん……優羽くん……」

 

 誰かが僕を呼んでいる。

 僕は海のようなところを漂っていた。深くて暗い、光も僅かしか届かないところだ。

 しかし、目を開けると、上の方に誰かがいる。

 

「優羽くん……優羽くん……」

 

 彼——いや、彼女は、僕の名前を呼びながらこちらに手を伸ばしている。

 僕は意識が朦朧とする中で精一杯手を伸ばすが、彼女には届かない。

 そして一瞬、眩しい光が入ってくる——刹那。僕はそこで気を失った。

 

 ○ ○ ○

 

 ぱちっ、と。僕は布団の中で目を覚ました。

 また同じ夢だ。しかしどうしても彼女の声が思い出せない。

 僕はとりあえず布団から出ると、いったんその場で伸びをする。

 ……ふう。

 今日は日曜日。時計を見ると、まだ五時だ。昨日早く寝てしまった分、今日は早く起きてしまったようだ。まだ家族は誰も起きていないらしい。

 窓の外を見ると、まだ空は薄暗い。僕はなんだかワクワクした気分になってきたので、散歩をすることにした。

 僕は少し厚めの上着を着て靴を履いて玄関を開けると、昼と比べると遥かに冷たい空気が顔に触れるが、その冷たさもまた気持ちがよかった。

 とりあえず、近所にある公園まで歩いてみることにした。その公園は学校の近くにあり、まあまあな広さを有している。そこまで行ったらそこで缶コーヒーでも買ってちょっと休憩をしよう。そう思って、僕はゆっくりと歩き出した。

 朝の冷たさで、無防備な僕の顔が冷たくなる。耳が冷えている。冬はもうとっくに終わったはずなのに、なぜこんなに寒いのだ。

 空がだんだん明るくなってきた。うっすらと青色へと変わっている今の空は、なにもかもこれからだという希望を含んでいるかのようだった。

 

 公園に着くと、とりあえず自動販売機でホットコーヒーを買った。こうして僕はコーヒーを飲んで大人っぽいところを見せようと(誰に見せるのかは僕自身にも分からない)しているが、実は微糖を買っている。僕は別にコーヒーがそんなに好きというわけでもなく、なんならブラックでは飲めないくらいお子さまである。

 それでも僕はベンチに腰掛けると、誰もいないその公園で一人、缶コーヒーを飲みながら浸っていたのであった。

 

 

 ずいぶん空が明るくなってきた。

 僕もそろそろ帰ろうと思って空き缶をゴミ箱に入れると、そのまま帰路についた。

 帰り道は行き道とは違い、何人かは人がいる。さっきまでのなんとなく寂しかった気持ちも、もうどこかにいってしまった。

 

 家に帰ると、もう姉さんは起きたらしく、すでに朝ごはんを作っている。ちなみに僕らの両親は、日曜日にはほぼ一日中寝ている。一週間の疲れが溜まるのだろう。

 僕は靴を脱ぐと、リビングに入った。

 

「あら優羽。おはようございます。どこに行っていたのですか?」

 

「おはよう。ちょっと散歩だよ」

 

 そう言って僕はソファに腰掛ける。こんなに早く起きてなにかをしたのは久しぶりだ。朝というのは意外といいものだったな。なんだかいい一日が始まりそうだ。そんな気がした。

 

 ……しかし僕はその日、ずっと家で勉強などして過ごしただけだった。

 

 ○ ○ ○

 

 翌日学校に行って教室に入ると、僕は自然と西木野さんに目がいった。姉さん達のこと、今お礼を言うべきか? ……いや、もう少し機会をうかがってからにしよう。

 そうして僕が席に着くと、ちょうどチャイムが鳴った。今日も授業が始まる。

 

 

 

 昼休みになった。僕はごく自然な感じで西木野さんに接触を試みた。すたすたとさりげない風に西木野さんの机の近くまで近づくと、僕はまたさりげない風で西木野さんに話しかけようとするのだが……だめだ、なぜだか緊張して話しかけられない。やっぱり話したこともない人に話しかけるのはハードルが高過ぎるよ……だがしかし、まだ諦めるわけにはいかない! 次は放課後に挑戦だ!

 そんな感じで、僕は変なテンションになってきたのであった。

 

 

 

 放課後になった。チャイムと同時に教室を出ていく人もいれば、そのまま残ってダベったりしている人もいる。西木野さんの方に目をやると、彼女はチャイムと同時に教室を出ていく側の人のようで、彼女はそそくさと教室を出て行ってしまった。

 ……これはチャンスだ。さっきの昼休みは周りの人がたくさんいたせいで恥ずかしかったというのもあった。しかし帰りがけならば周りの目を気にすることもないし、堂々と話しかけられる。

 そんな算段を立てながら、僕は彼女を追いかけるために急いで帰る準備をして教室を出た。

 

 教室を出てみると、すでに彼女は見当たらなかった。ずいぶん早いんだなと思いながら、僕はきっと彼女が向かったのであろう靴箱へと速足で行った。しかし、そこにも彼女の姿はなかった。あれ、おかしいな。彼女もそこまで急いでいたように見えなかったし、さっきの僕のペースだと十分追いついているはずなんだけど……そしてふと思い立って、僕は彼女の靴箱を調べた。えっと、西木野さんの出席番号は……と、あった。そう思って見てみた靴箱には、まだ外履が入ったままだった。あれ、おかしいな……ならまだ学校にいるってことか? 僕は首をかしげる。ていうか、なんだか僕、ストーカーみたいだな。

 ——すると。

 微かだが、どこかからピアノの音が聞こえてきた。

 ああ、なんだかいい音だなあ。

 僕は素直にそんな感想を抱いた。別に音楽に詳しいわけではないのだが、これが心地良いと感じられる感性くらいなら辛うじてある。

 気づけば、僕の足はその音の聞こえる方へ自然と動いていた。

 

 

 音の発生源は、音楽室だった。どうやらこの中で誰かがピアノを弾いているらしい。ああ、それにしても、なんて落ち着く音なのだろう。僕は教室の前の廊下に、壁に背中をつけて座り込んだ。

 耳が気持ちいい。

 そう感じたのは初めてだった。

 そうしてしばらく、僕は目をつむってその『誰か』の演奏を聴いていた。


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