第一部七章、茨木が召喚されていつの間にか賊になっていた、という一文から、こうだったらいーなーと書き出したものです。
あのイバラギンの事だからぽんぽこにびびって速攻逃げ出したのが眼に浮かぶよう。


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ぴかれすく大演義

01.

 

 何者かに喚ばれた気がした。

 鼓膜を通してではなく、意識そのものに響く声。それはどの世界の言語でもない、体系なき原初の言葉。

 一呼吸置いて、一際大きな鼓動。全身をくまなく打つそれが、意識の蓋をこじ開けんとしていた。

 この感覚は知っている。

 聖杯しすてむ、とかいうよく判らんものだ。一度死んだ名のある者を違う時代に召喚し、使い魔として使役する、らしい。使い魔というのはあれだ、京でもちょろちょろと小賢しかった陰陽師が使っていた式神みたいなものだ。吾も何度か刃を交えた経験がある。

 まあ所詮吾と酒呑の敵ではなかったがな。奴らも人間にしては中々やるものだったが、吾と酒呑に掛かれば稚児の如しよ。

 しかしよりにもよってこの吾を使おうなぞ抱腹絶倒ものだな……まあ、浮世ほど面白きものはない。その為にこのような児戯の遊びのごとく喚び出しに応じているのだ。精々楽しませてもらうとしよう。

 身体は既に現世に在るのか、懐かしき四肢の感覚はあった。続いて光が閉じた瞼を鋭く刺しているのか、眼球がきしきしと悲鳴をあげている。視界の靄がかった虹彩と、心地良い痛みが覚醒を誘っている。

 次第に明瞭になってゆく視界。ぼんやりと吾を召喚したであろう、愚か者の人影が見える。

 さてさて、どう大見得を切ってくれようか。

 こういうものは初対面の印象が上下関係を決める。この稀代の悪鬼羅刹、茨木童子の忘れ得ぬ恐怖と畏怖を心根に植え付けてくれよう。

「く――――きゃっはははははははははは!」

 視界が拓けるや否や、不遜に嗤いながら足拍子と共に手を掲げ大見得を切る。

「吾を喚んだのはいずこの愚者か! 狂戦士の使い魔(サーヴァント)、大江山盗賊団が頭目・茨木童子である!」

「ふむ。これにて英霊召喚の儀を終了とする」

 眼前にいたのは、石板と杖を手にした金髪の美丈夫だった。吾の姿を一目確認するなり、もう興味はないと言わんばかりにその場から踵を返そうとする。

「……おい、貴様ァ!」

 そんな吾を軽んじた所業を許せる道理がない。本物の鬼を目前にして蔑ろにするなど、失礼千万を通り越して侮辱罪だ。

「なんだ、やかましい奴だな。(オレ)は忙しい。用があるのなら簡潔に述べよ」

「吾を喚んだのは(なれ)であろう?」

「うむ。相違ない」

「マスターとして吾に何か言うべきことは無いのか?」

(オレ)の為に働け。以上だ。シドゥリ!」

「おい、待たんか、おい!」

 自分の聞きたい事以外は聞こえない便利な鼓膜を持っているのか、吾の制止も何処吹く風で踵を返す美丈夫。

 ええい、こうなれば力尽くで従わせてやろうか、等と思っていると、年若い女がふたり、やって来た。

 片方は頭まで隠す外套を着込み、口元を布で覆った祭祀者らしき者。もう一人は……なんだあれは。直垂と甲冑を合体させたような服を見ると日ノ本の武士か?

 だが上半身は前方がはだけており、前垂れで胸部を隠しているだけの変態だった。あれでは防御力など見込めん。外套の女は見るからに肉弾戦をする身体つきではないのでその護衛だろうが、露出狂か痴女か……何にせよ哀れだな。

「はい、ここに」

「現在の状況を説明してや――む、さすがに少し魔力を使い過ぎたか……(オレ)は少々疲れた。小半刻ほど寝る」

「ごゆっくり。良き夢を、我が王」

「緊急時のみ起こせ」

 金髪の美丈夫は、それだけ言い残すと吾を一瞥もせずに本当に行ってしまった。

 ……今度、上下関係を明確にしてやらねばなるまい。あの悪びれもなく人の話を微塵も聞かん様は、頼光の阿呆に良く似ていて不愉快だ。

「この度は我が王の召喚に応じて頂きありがとうございます。茨木童子殿」

 と、敬虔に深々と頭を下げるしずりとか言う女。やはり鬼に対する人間はこうでなくてはな。

「くはは、苦しゅうないぞ」

「シドゥリ殿、そのような輩に頭を下げる必要はありませんぞ」

 その視線と言葉には侮蔑や嘲笑といった感情の色が多分に見えていた。

 気に食わん奴だ。その正気とは思えん格好もそうだが、直垂の後ろに縫われた桔梗の家紋も――桔梗?

 ちょっと待て、おい。

「……おい、そこの痴女」

「誰が痴女か!」

「反応するということは自覚があるのではないか。まあ良い、それよりも貴様のその家紋だが――」

「む?」

 直垂に刻まれた桔梗の紋を指すと、何か言いたげに厭らしくも頰の端を吊り上げる痴女だった。

「ああ、摂津源氏の開祖である頼光様の弟君が、我が河内源氏直系の祖、頼信様よ」

 ……やはり源氏か。いや、あれだけ大きな家系だ。日ノ本出身の、しかも英霊となれば源氏の血筋を引く者になる確率はそこそこに高い。確かに個人の能力こそ高いが、誰もがどこかいかれておる魔境だからな、あの一族。源氏ならばこの物狂いかと疑う格好も納得がいく。

「遅くなったが名乗らせて頂こう。我が名は牛若丸、本名は源九郎判官義經である。鬼茨木よ、貴様は頼光様に篤と遊んでもらったそうだな?」

「げっ」

 かちかちと腰にある刀の鯉口をわざとらしく鳴らして見せる義経。思わず変な声が出てしまったではないか。

 義経と言えば源氏の中でも最も頭のおかしい――じゃなかった、最も名のあると言っても過言ではない奴だ。

 吾よりも産まれた年代こそ遅いが、あの悪魔頼光よりも名高いという時点でもうまともな奴ではあるまい。

「此度この地に召喚された英霊には源氏ゆかりの者として、弁慶に加え巴もおる。弁慶の阿呆はともかく、巴は義仲よりも勇猛だぞ?」

「帰る! 吾は帰るぅ!」

 なぜ召喚されてまで源氏の不心得者に刃を向けられねばならんのだ。吾が鬼である以上、人との間の軋轢は避けて通れぬ道ではあるが、なんでよりにもよって源氏なんだ。あやつらは正義とやらの名の下に寝ても覚めても粛清しか考えておらんような奴等だぞ。

 生前だって目の前の義経の先祖である頼光の部下・金時に酒呑を騙し討ちされた上、吾も綱の姦計により腕を奪われた。その後、なんとか腕は取り返しはしたものの、吾が酒呑の仇討ちを諦める程にあやつらはどこかおかしいのだ。

「何処に帰ると言うのだ。英霊の座に還るのならば私が手伝おうか?」

「……やってみせい、小娘が。吾をあまり見縊るでないぞ」

 だが、いくら相手が史上最悪の源氏であろうと、無条件で(へりくだ)る程に吾は鬼として堕ちてはおらん。

「酒呑と吾の腕の仇討ち、今ここで果たしてやろうか?」

「面白い……はるか古代の地にて鬼退治が出来るとは、日ノ本の武士として僥倖! その素っ首叩き落としてくれる!」

 腰を落とし刀の柄を握る義経に対し、かつて失った両腕を顕現させる。四対の腕による圧倒的な力押しが吾の戦い方だ。戦略、知略などは力の弱い者が使うものだ。いくさなど無理やり力でねじ伏せてしまえばいい。

 ……まあ、吾も酒呑も強い者に策を使われて負けたのだが、それはそれ、これはこれだ。それに人を倒す為に勤勉になる鬼なぞ笑い話にもならん。

「お二人とも、刃を納めて下さいませ」

「…………」

「…………」

 しずりの言葉で膠着状態になるものの、互いに気は緩めぬまま睨み合う。

「我が王は貴方がたが争う事など望んでおられません……それに、ここに召喚された理由は、英霊である貴方がたなら理解しておいででしょう?」

「……シドゥリ殿、ですが」

「生前よりの因縁があるとお見受けしますが、どうしても比武をしたければ、我が王の許可を取ってくださいね」

緊張感もなく、目を細くしてにこりと笑ってみせるしずりだった。

 しずりの言う通り、我々は世界の危機を救う者として召喚されている。

 この『うるく』は現在、魔獣の侵攻を受けており、ひいてはその親玉が三人の女神。女神とはあれか、イザナミのようなものか。

 とにかくその女神どもは、どうやらこの世界を滅ぼすらしい。それを阻止する為の戦力が吾ら英霊ということだが――。

「知った事かよ。狂戦士である吾を御したいと言うのならば、それ相応の誠意を見せよ!」

「誠意ですか……そうですね」

 と、ごそごそと懐を探るしずり。

「はい、どうぞ。家事の片手間に私が作ったものなので拙くて申し訳ありませんが……」

「なんだこれは?」

 出てきたのは、手のひらに乗るくらい小さな、茶色の固形物だった。少なくとも吾の生きていた時代でも見たことは無い。

「小麦に蜂蜜や果物や香辛料を混ぜて焼いたメルスと言います。日本には焼き菓子の文化はないようなので、お口に合うかどうかわかりませんが」

「焼き……菓子?」

「はい、甘いものはお好きではないですか?」

 なんだ、甘味か。甘味と言えば水あめや甘葛(あまづら)くらいしか食ったことがない。どちらも作るのに手間がかかるらしく、酒より貴重なものだったため、ほとんど口にすることはなかったが……正直なところ、甘味は嫌いではない。

「貢ぎ物とあれば食うてやろう……む」

 口に入れ、噛み砕いた途端に広がる未知の果物の香り。素朴ではあるが濃厚な蜂蜜の甘み。香辛料による複雑な味わいが後髪を引く。

「ふむ……むう。うまいではないか!」

「そうですか。お気に召してくれたようで何よりです」

「こんなものでは吾は満足せんぞ。もっとよこせ」

「すみませんが手持ちがこれだけしかありませんので。メルス専門の職人もいますから、頼んでおきますね」

「うむ。早急にな!」

「鬼が菓子で釣られてよいのか……?」

 義経が呆れながら何やらほざいておるが、吾には届かん。

 世は遊興の限りを尽くす場である。そこには貴賤は勿論、善悪すらもない。

 良いものは良い、気に入らんものは気に入らん。全ての事象はそれだけで片付けてしまえばよいのだ。

 

 

 

02.

 

 召喚されてはや数日が経った。

 月の良く見える夜、城壁の物見台に登り、菓子を肴につまみながら、ちびちびと地酒を呷る。

 昼ほどではないとはいえ深夜でも魔獣どもは活動しているらしく、此処彼処で剣戟や悲鳴が聞こえる。城門近くでは、筋肉の塊のような奴がここまで聞こえる号哭を放ちながら単騎で突撃していた。あれも召喚された使い魔(サーヴァント)と聞いたが……ただの阿呆だなあれは。

「…………はぁ」

 思わず溜息が出る。

 一言で言えば、退屈だった。

 しどりがくれた『めるす』も美味いし、甘酒とはまた違う甘さの『はにいびいる』も酔いにくいとはいえ水のようにがぶがぶ飲めるのは好感が持てる。

 だが、退屈だ。

 時代が時代だけに吾のような食客扱いの使い魔(サーヴァント)に贅の限りを尽くせる程の余裕はないし、ここ数日はまずい食事を食い、しずりに間食と酒をもらうだけの日々だ。元々協力するつもりなどない身の上、不毛、とは言わんが刺激が微塵もないのはつまらんことこの上ない。

 かと言って義経やその他の英霊のように魔獣と戦うのもお断りだ。吾を召喚したこの国の王(名前は聞いたが、長かったので忘れた)には義経と共に行動せよ、と言われてはいるが、源氏と肩を並べて共同戦線など死んでもお断りだ。なにゆえ吾が人間の為に力を使わねばならんのだ。馬鹿らしい。

 そんな訳で、何をするでもなく菓子を食い、街中を散歩し、酒を飲み寝る毎日。働くのは嫌だが、退屈すぎるのも問題だ。

 それに街中を見たところ、この時代の人間は一丸となって災厄に対抗しようとしているようだった。そのような生温い空気の中に、人を害する存在である吾が使い魔だから、と溶け込める筈もない。

 召喚された理由は理解できれど、それを実行に移す気など更々ない。これは意地などという矜持や気位の問題ではなく、もはや吾という鬼の存在の問題だ。

 鬼とは常に飢え、奪い、喰らい、おのれの欲を満たす者。人間を助ける為に無償で戦うなど、両腕どころか両脚を奪われても出来ん。そんな事をしたら、霊基そのものが揺らぎ茨木童子という存在そのものが危うくなる可能性すらある。もし酒呑が召喚されておっても、同じことを言っただろう。

 ならば何故召喚されたのかとも思う。吾のことを少しでも知っていれば、褒賞で釣るなり脅すなり、使い魔(サーヴァント)では絶対に逆らえぬ令呪を使うなりするものなのだが……そも、狂戦士である吾を言葉ひとつで御せる筈がないのだ。そうなると、あの王が余程の馬鹿なのか、吾を馬鹿にしているかのどちらかだ。前者ならばまだしも、後者ならば馬鹿にされて笑っておれる神経は持ち合わせておらん。もしそうであれば早々に首を取ってやらねばならん。

 さて、吾はこれからどうしたものか。頭の良い酒呑ならばものの本質を的確に射るのであろうが、あいにく吾は頭が悪い。信じられるのは自分の直感のみ。

 基より彼奴らに協力する、等という道は選択肢にない。ならば鬼らしく暴れ回り退治されてくれようか。それもいい。源氏を含めた英霊六人が相手では善戦はすれど勝てぬであろうが、いずれ酒呑に話せば酒の肴くらいにはなる。このまま退屈に潰し殺されるくらいならば、いっその事――。

「仕事もせずに酒盛りか。大層な身分よの」

「…………」

 と、噂をすれば何とやら、背後から王がやって来た。振り返らずに、そのまま酒を呷る。

「報告によれば仕事どころか悪事もせず毎日を怠惰に過ごしておるそうだな。鬼にウルクの水は合わなかったか?」

「……単に、退屈なだけよ」

「だろうな」

(なれ)も酔狂よの。わざわざ日本などという小さな島国の英霊を集めるとは」

(オレ)が日本の英霊ばかり集めた理由は至極単純明快よ。全員が全員、己以外の者の為に戦える者だからだ」

 王が聞いてもいないことをつらつらと並べる。

 己以外の者の為に、か。吾には縁遠い言葉だ。

 源義経、兄である頼朝を平氏に勝たせる為に尽力。

 武蔵坊弁慶、その義経を守護し立ったまま往生。

 巴御前、主である義仲に最期まで忠誠を尽くす。

 天草四郎時貞、弾圧されしキリシタンの為に一揆の旗を立てる。

 風魔小太郎、忍者は基より己を殺し主君と仲間に尽くす者。

 あの筋肉達磨のことは知らんが、きっと同じような逸話を持っておるに違いない。

「王よ、暇ならば酔狂ついでに吾の問答に答えよ」

「暇ではないが良いだろう。だが答えるかどうかは(オレ)が決める。言うだけ言ってみるがいい、鬼よ」

「吾を喚んだ理由は、なんだ」

「ふん、それを(オレ)に聞くからにはとうに理解しておるのだろう」

 全てを見透かした上で、わざわざ激務の中、吾に会いに来たか。

「……(なれ)は、本気でこの世界すべての人間を救うつもりなのだな」

「そ奴らは救うのではない。掬うのだ。世界の救済など、どこぞの物好きがやる。貴様も鬼ならば鬼らしく振る舞え。その為の貴様よ、茨木童子。(オレ)の言うべき事はそれだけだ」

 言って、王は執務に戻るのであろう。背後にあった気配が足音と共に遠くなる。

 この王の思惑通りに事を運ばせるのは少々癪ではあるが――まあ、召喚に応じたからには義理の一つくらいは果たしてやろう。

 残りの酒を呷り、器を置き立ち上がる。

 であれば、吾のやる事は一つしかない。

 のう、酒呑?

 

 

 

03.

 

 翌日、目が覚め、めるすを片手に貪りながら城内をうろついておると、何やら騒がしかった。

 ざわついておる家臣どもの話を聞くところによれば、どうやら巴御前が魔獣に討たれたらしい。

 やがて、腕を組みながら口元を一文字に結び、目を閉じる義経に行き会った。

「よう、浮かぬ顔だな」

「…………」

 吾の声を聞くなり、目を開き睨め付けてくる義経。

「はっ、なんだ、怖い顔をして」

「……巴が討たれたぞ」

「らしいな。聞いた」

「よくも他人事のようにぬけぬけと……!」

「何をほざくか。他人である以上は他人事ではないか」

「貴様が毛ほどでも協力しておれば、巴は討たれなかったやも知れぬのだぞ!」

「くっ、くはは! きゃはははははははは!」

「何が可笑しい!」

「可笑しいとも、源氏いちの有名人が吾のような鬼の力を恃みにしておったとは、これを笑わずして何を笑う!」

「く……我々だけでなく、民までもが皆が足並みを揃えて協力しておるというのに、貴様という輩は……!」

「……ふん」

 その台詞が琴線に触れる。

 此奴ら()()()()()はわかっておらん。ああ、何もわかってない。

「源氏の小娘、(なれ)は一つだけ勘違いしておる」

「……何?」

「いや、勘違いではなく世間知らずと言うべきか。この『うるく』の都は(なれ)の言う通り理想の都であろう。才輝く王が理に適った采配を振るい、それに従う人間は勤勉の下、苦しくも生き甲斐を感じながらに生きる。なるほど確かに、教本のように正しく清廉なる生き方よ」

「何が言いたい?」

 やはりわからぬか。これだから良い家柄の生き物は好かんのだ。

 唯一、直ぐに本質を理解してくれたのは酒呑だけだ。

「街中を見たか? 皆がそれぞれの役割を果たさんと目一杯に生きておる。だが――そうでない者もおる」

 先日、街中を散歩していた時に気付いたことだ。確かに精力的に働いてはいるものの、中には吾のように酒を飲み怠惰に暮らす者もいた。城外には人間のみで構成された盗賊団もいると聞く。

 そういう輩は、強制されてそうなったのではない。自分で決めて、正しくない道を選んだのだ。

「人間は絶対服従の式神ではない。ましてや全知全能など程遠い。そんな奴らが全員が全員、()()()()()()を全う出来ると思っておるのか?」

「…………」

 吾の言葉で心当たりが浮かんだのか、義経は唇を固く結び視線を固める。

「世にはな、どう足掻いたところで貴様らの言う『まとも』に生きる事の出来ぬ者はおるのよ」

 無論、その理由は画一的ではなく多様だ。

 吾のように生まれつきそうである者。

 大した理由もなくそうなってしまった者。

 生きる為に望まぬともそうなってしまった者。

 家族や他人の為に矜持を捨て身を貶める者もいる。

「吾もそうだ。生前、大江山で賊をやっておったのも、人間が憎いからではない。そういう生き方しか出来んからよ。悪事や享楽に耽る日々が楽しいからよ。そしてそれは――なにも鬼に限ったことではない」

 人間にも、そういう者はおる。ひとところに百の人間がおれば、何人かは必ずならず者や悪たれになる。百人が百人、真っ当に生きることは絶対にない。それは蟻や蜂といった動物に見られる現象に似ておる。理屈や心構えで語れることではないのだ。

「そんな奴らの受け皿は、いつの時代でも、どこの国でも必要なのよ。(なれ)らはそれを理解しておらん。(なれ)らが言う救世は、真面目で勤勉で、為政者に付き従う者だけを救う方便だ」

 そう、正しい者はいい。あの王は小賢しいが賢王だ。彼奴について行けば恐らく間違いはないだろう。

 だが逆を言えば、正しくない者は救われない。王に反旗を翻す者、基より世界の破滅なぞどうでも良いと思う者。そんな奴らは魔獣に襲われるか、迫りくる恐怖の中で世界の終焉を迎え、絶望の裡に死んで行く。それはそれで自業自得なのだが、王はそんな奴らを救うのではなく、掬うのだと言った。

 此の世界の危機という期に及んで人の道を外れた者を、先導する王が大っぴらに助くる訳にも行かん。

 だから、吾のような悪の親玉――悪たれを受け止める(ざる)が必要なのだ。

「吾が(なれ)ら源氏が大嫌いなのも、基を辿れば其処よ。(なれ)らは自らに従う者しか救わん。船からあぶれ出た人間の事など、溺れようが死のうが見向きもせぬ。まだ誰に対しても自己満足な博愛を撒き散らす金時の方がましだったわ」

 吐き捨て、義経に背を向ける。

 生前もそうであった。吾が鬼だからと言って、配下が全て鬼だった訳ではない。今回のように、何処にでも不心得者や行先のない人間はいる。そんな奴らも委細構わず賊の一員としていたら、いつの間にか大江山を代表する大所帯になっていただけの話だ。

「っ……何処へ行く」

「決まっておろう。(なれ)らが救わん馬鹿者共を掬うのよ」

 手始めに城下町へ向かい、素行の悪い者を二、三人ぶん殴ってやればいい。奴らは群れを成す習性がある。仲間を大勢連れて来たところで暴れ、煽動し、外にいるという盗賊団とやらに乗り込むとするか。なに、悪たれの扱いは手慣れたものだ。上手く行けば一日とかかるまい。

 この時代における吾は、そう、(ざる)だ。受け止める事は出来ても、脆くあらゆるものを隙間から垂れ流す。だが悪たれに対してなんぞ、その程度でいい。

 彼奴らに救いなど最初から必要ない。そも彼奴らも必要としていない。自分から道を外れたからには、最期は惨めに死ぬ事など知っている。

 最期の瞬間に、楽しい刻があったと思わせることが出来れば、吾の勝ちよ。

 あの王が吾を召喚したのも、きっとその為なのであろう。

 

 

 

04.

 

 事は思ったよりも簡単に済んだ。

 高所に登り、揃いも揃った悪そうな顔ぶれを睥睨しながら、牙を見せ笑う。

(なれ)らよ、この世界の終焉を目前にして尚、悪たれの姿勢を崩さぬ愚か者共よ! その愚かなるも天晴(あっぱれ)な心構え、(しか)と吾が受け取った! 今これより(なれ)らを統率する茨木童子である!」

 街の不届き者どもを殴って従わせ、山を根城にするという賊を制圧するのに半日とかからなかった。吾の手にかかればこんなもんよ、と言いたいところだが――元々人数も少なく、ただでさえ魔獣の危険に晒されており疲弊していたのであろう、大した抵抗もなかったというのが実際のところだ。

「始めに言っておくが――吾はこの時代に魔獣と戦う為に召喚されし鬼である」

 眼下でどよめきが拡がる。他の使い魔(サーヴァント)どもは現在進行形で戦線で戦っている。身に覚えのある者もいるのだろう。

「だが、うるくの王のように世界なぞ救わん。鬼が世界を救ったりしたら末代までの恥よ、くっはははは! 無論、(なれ)らも救わん! 吾は今際の刻限まで面白おかしく生きるのみ。それでも良いという奴のみ吾について来るがいい!」

 ――等というやり取りの後、吾は目出度く賊の頭目となった。ただ賊と言っても使い魔(サーヴァント)たちがうるくにいる以上は積極的に襲撃をかける訳にも行かん。

 あれだけ大見得を切ったとは言え、正直、源氏の小娘とは戦いたくない。源義経が、と言うよりは源氏の戦は怖すぎる。もう二度と関わりたくない。

 なので今は偶然、山の近くを通った商人や手薄な食料庫を襲うくらいのものだ。生前の吾に比べたら大人しすぎると言ってもいい。それでも、今も目前で酒盛りをし、大声で下品に笑うこいつらは楽しそうだった。

 無理もない、と思う。あの王が唱える方針は人道をなぞれば正しいことこの上ないが、報われるかどうかもわからんものでもある。

 人も鬼も、報われぬ事は無念極まりない。その重圧に負け、逃避を選びこうして賊に身を落とすこいつらを誰が責められようか。

 

 

 

05.

 

 そして、終焉は間もなくやって来た。

 空より雲霞のごとく現れる、大量の化物。ああ、吾も大概に化物だが、化物という表現がこれ以上似合う奴もそうはおるまい。

「……奇怪な出で立ちだな、これが世界を滅ぼすものか?」

 何の前触れもなくいきなり吾のところに攻めて来たので殴り殺した一匹を見下し、爪先で小突く。

 それとは少し違う気もする。確かにこれの戦闘能力を見るに、普通の人間ならば歯が立たんだろう。実際、配下の何人かもこいつに刻まれて殺されたようだ。だがこんな(いなご)のような醜い化物にあの王が負けるとは思えぬ。

「頭、ここにも大量の化物が……どうします!?」

 等と考え事をしていると、配下の一人が血相を変えて駆け寄ってきた。

虚気(うつけ)、逃げるに決まっておるだろ!」

 これは本物の化物だ。無慈悲に他の生物を殺し、意味もなく死を振り撒くものだ。

 そんなものと戦ったところで得など何もない。逃げるが勝ちだ。なに、吾はあの蛇のように粘着質な綱からも逃げおおせたのだ。

「んのォ……羅生門大怨起ィィ!」

「頭!」

 配下共を襲う化物を腕で薙ぎ払うと、生死も定かでない者共全員に聞こえるよう、大声を張り上げる。

「よいか皆の者! 今よりこの拠点は一度捨てる! 事態が収まり次第、またこの場に戻るがよい! いいか、殺された者の仇を討とうなど考えるな! 一時でもこの茨木の配下であったのならば、その名に恥じぬよう各々が生き汚く生き延びて見せよ!」

 それだけ言い残すと、脇目も振らずに逃走を開始する。

 その命令が無駄であることも理解しておる。この量の化物に襲われたら、人間はひとたまりもない。

 だが吾は(ざる)だ。ここではそうであろうと決めた。

 こ奴らを死ぬまで護るという選択肢もあったが、それでは報われない。

 吾も、王も――それに何より、こ奴らも、だ。

 

 

 

06.

 

 数日後。

 予言通りに世界は滅んだ。

 いや、まだ形を保ってはいるが、ほとんどの人間が死に絶え、破壊の限りを尽くされた今現在では滅びに等しいだろう。

 吾も生きてはいるものの、手酷くやられてしまった。あの奇怪な(いなご)のような奴は、一匹一匹ならば吾の相手ではないが、何せ数が多すぎる。多対一は勝利の原則だ。それに倣えば蟻が象を殺す事もある。

 それに――あれが本丸であろう。海から現れた、巨大な女を模した何か。あれはやばすぎる。あの(いなご)が可愛く見える程に、あれは途轍もないものだと肌で感じる。

 あんなものに刃向かっても一瞬で粉微塵にされるだけなのが容易に想像できる。どの道、吾にはどうすることも出来ん。このまま酒でも飲んで最期を待つとしよう。

 一応、悪たれ共との約束通りに拠点であった山に戻って来たが――なんだ、誰かいるぞ。

「……なんだ(なれ)、まだ生きておったのか。人間の割には凄いな」

「へ、へへ……頭、ご無沙汰です」

 一人だけだったが、戻って来ていた。とは言え――、

「楽にしてやろかい?」

 左腕がなく、腹部にも重傷を負っている。気合と意地だけでここまで来たようだが、この有様では死んだ方が楽だろう。

「い、いや……せっかくだから、もうちょい、頭と話がしてぇっす」

「……物好きな奴だな」

 隣に座り、酒を呷る。

 ここからはうるくの全景がよく観察できた。

 ――世界の滅びも、良く見える。特等席だ。

「か、頭……頭は無事でしたか」

「無事なものかよ。ほれ」

 言って、服をはだけて見せる。脇腹が綺麗に抉り取られており、もはや血も出ていない。

 あの王も死んだのか、魔力供給も途切れた。この身では、もはやあと数分の現界が関の山だろう。

「うわ……頭、可哀想なくらい色気ないっすね」

「今すぐ死ぬか? この大虚気(おおうつけ)が」

「あっはっは……がはっ、てっ、いてぇ……」

「……ほら、呑め」

 仰向けに倒れるそいつの口に、廃墟で拾った酒を流し込んでやる。

「へへ……どうも」

「何かの縁だ。最期の言葉くらい聞いてやるぞ?」

「そうすね……散々な最期だったけど、俺、楽しかったっすよ、頭……」

 言って、名前も思い出せんそいつは苦しげに笑って見せた。

「そうか……かかかっ!」

 ああ。

 その顔が何よりの肴だ。

 吾は満足だ。此度の遊びも、十二分に傾いたものであった!

「おお、凄いぞ! 人間があの巨大な化物と戦っておる!」

 あの巨大な化物に向かって行く人間と、盾を持つ女の姿が見えた。

 あれが王の言っていた、世界を救う物好きか?

「……すいま、ん、かし……ら、俺……」

「おう、またな」

 言って、介錯をしてやる。

 どれ。では吾も、あの物好きを見届けて逝くとしようかい。

 

 

 



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