督戦の龍驤   作:神原傘

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2009年9月。
人類が海洋の半分を奪回し、提督業従事者の削減が発表されて半年。
龍驤が予想した通り、違法行為に手を染めていた鎮守府は後始末に追われ、馬脚を現しては叢雲に捕捉され、実行部隊によって粛清されていた。

そんな折り、龍驤はとある鎮守府より無許可で出撃した連合艦隊の殲滅を命じられる。
龍驤が対峙した連合艦隊旗艦、神通。
神通の目的を知った龍驤は――

加速するオカルティック・ハードボイルド、第五話。

※あと一話くらい投稿するような気がします


05 TERRITORY from YURIKUMA ARASHI ED

 二〇〇九年九月。

 その年の日本列島沿岸は、黄色の台風に襲われた。

 善良な、言い換えるならば職務に忠実で融通の利かない鎮守府は災禍を免れた。

 悪逆の、言い換えるならば副業に熱心で知恵の働く鎮守府はことごとく災禍に殲滅された。

 台風の異称は黄色の悪魔。

 

 龍驤は六月からこちら、九州は鹿児島の佐多岬から順繰りに、叢雲から指定された鎮守府を殲滅しながら北上していた。

 昨年末、人類は海洋の半分を奪回した。

 世論が歓喜に満ちる一方で、提督業を営む者たちは焦燥にかられた。

 拡大の一途をたどっていた戦線が一点、縮小に転じることが明らかになったためである。

 二〇〇九年の三月には、軍令部より提督業従事者の漸次削減が発表された。対象者は佐官級の全て、少将の半分、中将の三分の一、大将の四分の一。

 当然、軍規違反の副業に手を染めていた提督たちは後始末に追われることとなった。

 不自然を自然に戻そうという不自然な行動は、叢雲の探知網に必ず捕捉される。そういった鎮守府を、龍驤は南からローラーのごとく轢き潰して回った。

 時を同じくして、南西から順繰りに粛清が始まっている、という噂が流され(・・・)、焦った提督たちは更に容易に馬脚を現すこととなった。これを、スナッチャーズのような実行部隊が本州西部沿岸の随所に出没しては殲滅した。

 

 その日もひとつ、龍驤は鎮守府を殲滅した。

 うずたかく積もった瓦礫の上に立ち、最後の一隻を艦娘殺しの術式弾頭で無造作に撃ち殺した。

 いつものように、善悪の区別なく一切を平等に鏖殺した。龍驤の姿を目撃した者はことごとく現世から排斥された。罪があろうとも、なかろうとも。

 それでも、黄色にペイントされた数百機の彗星一二型甲が雲霞のごとく空を覆う様子は誰かしらに目撃され、噂は尾ひれを付けながら着実に広まっていった。ゆえに黄色の台風、あるいは黄色の悪魔。

 それもまた、龍驤の上司であり艦政本部第九部、通称情報局の局長である叢雲の意図するところではあろうが。

 龍驤はシガレットケースからバットを一本取った。最後の一本だった。

 コリブリで火を灯し、一服つけてから携帯端末を取って叢雲へ繋いだ。

 

「艦政本部第九部」

「ウチや。明後日はどこや」

 

 ここ三ヶ月、龍驤は横須賀に戻っていない。

 なにせ二日にひとつ、鎮守府を殲滅して回っている。

 ひとつ潰すと、次の殲滅対象(ターゲット)が携帯端末を通じて叢雲より指定される。

 指定された殲滅対象(ターゲット)の所在地へ向かう途中、軍需局が手配した善良な(・・・)鎮守府にて補給と休息を得る。情報部の所属は隠し、軍令部・吹雪次官直属の調査員という待遇で寝泊まりする。

 龍驤の現在地は佐賀県唐津市の北西部、神集島(かしわじま)にほど近い沿岸部。払暁と共に行動を開始し、一時間半程度で殲滅を完了した。

 順当にいけば反時計回りに佐賀県沿岸を巡ることになるとの龍驤の予想を、叢雲は裏切った。

 

「今日の晩までに、横須賀へ戻りなさい」

 

 龍驤はバットをふかしながら眉根を寄せた。

 

「何や。休暇でもくれるんか」

 

 叢雲はお生憎様、とさえ言わず、任務を命じた。

 

「横須賀鎮守府直属の提督、相生洋一大将が指揮する艦隊が明日、未明に作戦行動を開始するわ。出撃先はマリアナ諸島の深海棲艦泊地。あなたはこれを洋上で捕捉、殲滅なさい」

「おん?」

 

 龍驤の眉間の皺が深くなった。

 

「分からんな。何も不思議なことあらへんやろ」

「相生大将は出撃命令を出していない。これは秘書艦、神通による独断行動よ」

「せやかて――」

 

 命令外の出撃は確かに軍規違反だが、督戦による殲滅を要する程の案件なのか。

 言いかけた龍驤の耳朶を、叢雲の氷めいて冷ややかな声が鋭く刺した。

 

「龍驤」

「……ッ!」

 

 鳥肌が足下から耳のあたりまでを駆けた。隻眼の顔貌が脳裡をよぎった。右足も不自由で、ともすれば戦闘能力は人間にさえ劣るであろう叢雲は、どういうわけか相対した者を萎縮させるだけの胆力と雰囲気を持ち合わせている。

 

「命令を遂行しなさい。あなたが作戦の是非について考慮する権限はない。全ての権限と責任は私、情報部長の叢雲にある」

 

 龍驤は聞こえよがしに舌打ちをひとつ。バットをふかして思考を鈍らせ、軽く身を揺すって全身の鳥肌を消した。

 

「……ほんで、晩までに横須賀、いうてもウチいま佐賀におんねやぞ。どないすんねや」

「博多から羽田へ民間機で。羽田からは迎えを寄越すわ。九州方面での一掃作戦は継続するから、お気に入りのバイクは博多へ置いてきなさい」

 

 カタン、と受話器を置く音が聞こえた。それきり、通話は途切れた。

 龍驤は携帯端末を黒い革ジャンのポケットに押し込み、すっかり短くなったバットをもういちどふかし、吸い殻を落として鉄の踵で踏みつけた。

 

「ったく、(フネ)使いの荒いやっちゃ」

 

 龍驤はスーパーグライドにまたがり、スロットルを絞って殲滅対象を背にして走り去った。

 博多空港へ向かう途中、どこぞでバットを買っておく必要があった。

 

 

 【RJ】

 

 

 博多、羽田を経由して横須賀に到着した龍驤は、三十メートル型海上保安庁巡視艇、むらくも型のにじぐもを貸与され、日付が変わる頃に出港した。今年の二月末に除籍され、情報部に二束三文で買い叩かれた船だ。

 艦娘が移動する際、通常船舶を用いることは珍しくない。制海権が確保された海域であれば航行に支障はなく、艦娘は作戦海域まで燃料と体力を温存できる。

 とはいえ、連日の作戦行動により疲弊していた龍驤を叢雲が(ねぎら)ってのこと、というわけではない。単に作戦行動に支障があっては困るから妖精さんに操舵を任せ、船内にて休息を取って万全にせよ、との意でしかない。

 目指す先は八丈島の南方沖、五十海里。横須賀から八丈島までは約一三〇海里。にじぐもであれば五時間弱で到達する。

 横須賀よりマリアナ諸島へ向かうのであれば、八丈島(はちじょうじま)近海を経由する公算が高い。

 むらくも型の巡航速度は二十八ノットだ。数時間前から先行して八丈島へ係留。八丈島からは龍驤が単騎で迎撃態勢を整え、(くだん)の神通率いる連合艦隊を殲滅する。

 龍驤は船室で拳銃(トカレフ)を分解し、掃除をして油を引き、手際よく元通りに組み立てた。術式弾頭の残弾数を三度確認した。新調した匕首(あいくち)に刻んだ術式に瑕疵(バグ)がないか慎重に走査したのち、攻勢防壁を仕込んだ形代(カタシロ)に突き立て、攻勢防壁ごと断ち切れることを確認した。

 

「こんなもんやな」

 

 龍驤は指を組み、大きく伸びをした。

 海面は凪ぎ。にじぐもが軽快に波を切るざんざんという音しか聞こえない。

 予報では、八丈島近辺は高気圧に覆われており晴れ。

 ひと通り装備品のチェックを終えると、龍驤は簡素なベッドに寝転がって瞑目した。外界の情報を遮断し、自己に埋没した。

 体内を循環する霊力に意識を集中する。連日の作戦行動で、体内の霊脈がほつれてあちこち短絡していた。意識を霊脈の流れに乗せ、短絡した箇所を修復していく。

 たっぷり三時間をかけて霊脈の要所を繋ぎ直した。この三ヶ月、自己に埋没して霊脈のメンテナンスを行うことなどできなかった。叢雲が軍需局を通して斡旋した鎮守府は漸次削減(リストラ)対象でなく、かつ殲滅対象でもない鎮守府ばかりだったが、軍令部の調査員と聞いて快い顔をする提督などいない。痛くもない腹を探られたくはないから無碍(むげ)には扱わないが、さりとて己の鎮守府なりの流儀に難癖を付けられるのも困る。

 結果、どこの鎮守府でも案内役という体の監視役を付けられ、休むために個室をあてがわれても警護役という体の監視役を扉の外に付けられ、気の休まる時がなかった。

 霊脈のメンテナンスを終え、龍驤はぼやいた。

 

「ったく、せっかくの九州巡りだったんやさかい、温泉旅館のひとつでも手配せえっちゅうんや」

 

 ぼやいたものの、たとえ気配りの行き渡った温泉旅館であろうと、龍驤は外界の情報を遮断して自己に埋没するなどということはしなかったろう。ひとえに、危険すぎる。

 

「さて……」

 

 手持ち無沙汰となった。

 八丈島まであと二時間。

 艦娘は睡眠を必要としない。『改造艦』『合成艦』の別を問わず、睡眠が担う様々な諸機能は機関部に移管され、最適化されている。

 龍驤は身を起こし、テーブルへ置いた二丁のトカレフを見やった。

 漠然と、昔の事を想起した。

 

 

 【RJ】

 

 

 三年間、暗闇の中にいた。

 嚮導艦を務め、育てた有能な駆逐艦たちが次々と使い捨てにされた。

 業を煮やして提督へ再三の意見具申をした結果、不興を買って独房へ監禁された。

 鎖で両手首と両足首を繋がれ、壁に固定された。

 機関部の時計は正確に時間を刻み続けた。

 

 

 久方ぶりに光が差したとき、監禁されてから三年が経過していた。

 

「あなたの論文、読んだわ」

 

 冷たい声がかけられた。シルエットからして、叢雲タイプの艦娘だった。

 

「……あ? ろ……がほっ、げっ、はっ……」

 

 声の出し方を忘れていた。

 

「艦載機のマルチエージェント的運用法」

 

 そういえば、嚮導艦を務めていた最中に思いつき、気まぐれに書き上げて艦政本部に提出したのだった。結局、何の音沙汰も無かったが。

 

「リジェクト、された、思うとった」

「私が差し止めたわ」

 

 画期的に過ぎる(・・・・・・)

 それが理由だったらしい。

 壁の鎖が砕かれ、両手首と両足首を繋いでいた鎖もまた砕かれた。

 それから、高速修復剤のアンプルが投与された。

 

 

 手枷と足枷を着けたまま、がらがらと音を立てて、龍驤は叢雲の背後に付いて歩いた。

 

「あなた、他人を傷つけるのは好き?」

 

 龍驤は答えられなかった。

 

 

 見知った顔の主力艦たちが、スナッチャーズによって無力化されたうえで、執務室に集められていた。

 親友の瑞鳳もいた。彼女はかねてより秘書艦を務めていた。

 叢雲より聞かされた。

 口うるさい龍驤を排斥したのち、提督は艦娘の意に関わりなく強制的に『解体』した元艦娘を用いて売春宿を営んでいたということ。他、戦果の改竄、『解体』により生じた余剰資源の横流し、諸々、罪状に限りなく、極刑に該当すると言うこと。

 親友であり秘書艦であった瑞鳳が、それらの『仕事』を積極的にこなしていたということ。

 情報部は、このように重大な軍規違反を犯した者たちの粛清を任じているということ。

 

情報部(うち)に来るなら、手始めにここ、あなたの古巣をこの世から消滅させなさい」

 

 叢雲に促され、スナッチャーズの天龍が嫌そうな顔をしながら刀を龍驤へ渡した。

 龍驤は叢雲の言う通りにした。

 

 

 赤煉瓦の地下にて、龍驤は黒い革ジャンを渡された。丁寧に畳まれた革ジャンの背には二条の炎に囲われた『勅令』の二文字。

 

「あなたの運用方法について説明するわ。重大な軍規違反を犯している鎮守府に対し、単騎にて数百機の爆撃機による

絨毯爆撃を執行、しかる後に残党を掃討する。これが基本方針よ」

 

 龍驤は言葉を発さなかった。

 

「異論は無いようね。現状、何機まで制御できるのかしら。答えなさい」

「制御は三桁台ならなんぼでも。霊力の量を考慮するんなら発艦は二百機や」

「それでは今後増やすように。次に残党の処理だけれど、武器に何か希望はあるかしら」

「せやな……」

 

 龍驤は両手を見やった。

 しばらく見つめてから、言った。

 

「……拳銃がええな。頑丈で、安全装置の無い、なんちゅうたかな、アレ」

「拳銃で艦娘は殺せないわ」

「殺せるで」

 

 叢雲は表情を変えず、しかし若干の疑念を声音に含めて尋ねた。

 

「説明を」

「艦娘を艦娘たらしめとるんは機関部の艦霊や。弾頭に術式刻んで、分霊元にお還り願えば済むことやろ」

「実証は?」

「何のために艦娘解体の祝詞があんのや」

 

 フムン、と叢雲は鼻を鳴らした。龍驤が顔を上げた。鼻梁(びりょう)には深々と傷が刻まれていた。左眼と右頬まで伸びる、痛ましい傷跡だった。

 

「ひとつ尋ねたいのだけど」

「何や」

「あなたの言う術式を刻んだ弾頭、生成に相当の手間を要すると考えるわ」

「せやな」

「近接武器に弾丸と同様の術式を刻めば、弾切れの心配もなく同じ効果が得られるわ。そうしないのはなぜ?」

 

 龍驤は再び、両手を見やった。

 

「手ェに、感触が残らへんさかいな」

 

 瑞鳳の心臓(ポンプ)を貫いた時の鼓動が、ずっとこびりついていた。

 己の鼓動が手の平に伝わっているだけだと分かっていても、錯覚は消えなかった。

 

 

 【RJ】

 

 

 払暁となり、八丈島沖へと着いた。

 晴天だった。高層に三つ、大きな雲の塊が見受けられたが、艦載機の戦闘機動に支障は無し。

 にじぐもの船尾に建立した小さな鳥居を通じ、龍驤は八機の彩雲を発艦させた。

 八丈島近海は既に、人類の制海権が及ぶ海域である。隠密行動を得手とする潜水艦への警戒はともかく、上空に対する厳密な警戒がなされる海域ではない。定期哨戒として彩雲がぽつぽつと飛んでいても大した不思議は無い、そんな海域だ。

 加えて、無許可での出撃とあらば、制海権を有する海域で無闇に電波を放射する愚は犯さない。

 龍驤はそのように読み、彩雲による偵察ののち、不意を突いて強襲する算段を立てた。

 果たして、暗号化された無電による報が入った。

 

『シャッチョサン オイデナスッタデ』

『方角、距離、速度はどない?』

『シャッチョサンカラ ミハッテ ジュウイチジ ゴジュッカイリ ニジュウナナノット』

 

 高速編成。

 

『なんぼほどおる?』

『ヒャクセキ コエトリマスナ』

 

 加賀モデルより高速な艦を全て動員したのか。

 二水戦は、旗艦である神通が死ねといえば死ぬと、噂には聞くが。

 

『さよか。あんがとな。陸に向こて、そんまま飛びや。伊豆の適当な神社に行っといてえな』

『マイドオオキニ オタッシャデー』

 

 龍驤はにじぐもの船尾から六百機の彗星一二型甲を発艦させた。

 にじぐもを妖精さんに任せ、龍驤自身は南西三十マイルの位置まで移動。

 同伴させていた六百機の彗星一二型甲へ、攻撃開始の命を下した。

 羽虫の群れのような音を響かせて、彗星一二型甲が北上を開始した。

 出し惜しみはしない。最大の火力で一気に叩く。

 この三ヶ月、常に最悪のコンディションで爆撃を繰り返していたことが幸いしたのか、今日に限っては六百機全ての艦載機を万全な状態で送り出すことができた。

 急降下絨毯爆撃の散布界は、半径五十センチ以内に収まるだろう。仮に一発を避けたとしても、四発ほど余りがある。

 機銃の雨なら耐えようもあろうが、爆弾の雨となれば、戦艦であろうが空母であろうが葬り去る。駆逐艦ともなれば、至近弾の爆発だけで轟沈しうる。

 ほどなく編隊の最前列が艦影を発見した。

 龍驤は、吉良はんと名付けている熟練の搭乗員に問い合わせた。

 

『吉良はん、どないや』

『ヤッコサン キヅイテハリマスナ』

『ホンマか』

『リンケイジン トットリマス ミタホウガ ヨロシオスナ』

 

 吉良はんの視界が共有された。

 きらめく南海にて、百数十隻からなる大艦隊が十二隻ごとの小艦隊に分散し、それぞれ輪形陣を形成していた。また小艦隊を一個の単位とし、大艦隊そのものがフラクタルな輪形陣となっていた。

 かつ、巡航速度を保ちながら、いささかの乱れもなく南西のマリアナ諸島へ向かっている。

 手強い、と龍驤は直感した。

 おそらくは先だって放った龍驤の彩雲を発見し、即座に航空攻撃を警戒したのだ。対空電探で敵機の所在を探りたくなるところを我慢させたあたり、旗艦の神通とやらは相当に優秀だ。

 

『方針変えるで。前衛二百機は高度上げて急降下爆撃。後衛四百機は散開、低空から取り囲んで反跳爆撃(スキップボミング)や。どっちも全速力で頼むで』

 

 吉良はんは素早く龍驤の意図を察知した。

 

『マンナカ ウスクシマス?』

『さすがやな。逃げ場ァ残したれ。対空砲火の引きつけもよろしゅうな』

『ボムネット デンナ』

 

 彗星一二型甲の最高速度、加速力、機動性は、いずれも戦闘機である零戦および烈風にやや劣る。だが、低速域での格闘戦に付き合わなければ問題はない。常に高速域を保ち、爆撃の反復に専念させる。

 前衛の二百機は高度を六千メートルにまで引き上げ、相対する敵艦隊を両翼から挟み込むようにして飛んだ。

 後衛の四百機は高度を百二十メートルにまで引き下げ、十機ごとの小編隊を成して散開した。

 まずは前衛の二百機が一斉に急降下を開始した。翼下に二発、胴体に一発搭載した爆弾のうち、胴体の爆弾を投下した。目標は大艦隊の外縁。

 三式弾や対空機銃による猛烈な対空砲火が、上空に次々と煙の塊を生んだ。

 空母機動艦隊からは零戦や烈風が上昇し、すれ違いざまに射撃を加えてきた。

 だが、命中精度向上狙いの逐次降下ではなく生存率向上狙いの一斉降下を選択したことが幸いし、損耗は二十機と比較的軽微で済んだ。反面、全体の命中率は四割と落ち込んだ。

 それで良かった。そのように命じたのだから。

 機首を上げて高度を取り直す二百機の彗星一二型甲へ、対空砲火と戦闘機が追いすがった。

 

『ほい、仕上げっと』

 

 元より、急降下爆撃を担う前衛部隊の爆撃は、輪形陣の外縁に寄せていた。

 これでは輪形陣の外側に向かって回避行動は取れない。

 必然、大艦隊がなす輪形陣の()は狭まる。

 そこへ、八方に散開していた四百機の彗星一二型甲が、高度七十メートルという低空から飛来した。気づき、慌てて対空砲火の矛先を変更しようとした艦娘は、機銃掃射の被害を被った。

 最高速度で低空を突っ切り、約百メートルまで近づいた所で搭載した三つの爆弾を全て投下。

 黒い爆弾は水切り石のように海面を跳躍(スキップ)し、空に気を取られていた艦娘たちへ襲いかかった。

 かの連合艦隊からは、ゴキブリの群れが八方から詰め寄ってくるかのように見えたろう。

 ゴキブリは瞬く間に艦娘に直撃、あるいは水中で爆発し、百隻以上からなる大艦隊を瞬時に壊滅へ追いやった。

 

『前衛部隊、翼下の爆弾使(つこ)て、元気な奴から当たってくれるか。仲間を救助しとるのんが狙い目や』

『サスガデンナ』

『後衛は機銃掃射や。術式弾頭でのうてすまへんけど――』

 

 ふと、吉良はんが無電へ割り込んだ。

 

『シャッチョサン イッセキ ソッチニ ムコトリマス』

『運のええやっちゃ。あの網くぐり抜けたんか』

『インヤ ハナカラ トビダシマシタエ』

 

 最初に敢行した急降下爆撃の雨を抜けてきたというのか。

 

『モデル分かるか吉良はん』

『ケイジュン クラス デンナ』

 

 もはや艦影しか判別できないほど遠ざかった。あるいは近づいてきた。

 飛行隊の追撃は頼めない。首尾よく壊滅せしめた連合艦隊の確実な殲滅が第一だ。

 

『ウチが出迎える。吉良はん、そっちの指揮よろしゅうな』

『オヒトリデ カマヘンノ?』

『ほんなら(から)(けつ)のんを三機、やっこさんの尻に付かせてくれるか。測位して捕捉するさかい』

『アイアイヨー』

 

 彗星一二型甲に搭乗する妖精さんたちは、子細に制御を掌握しなくとも自律的に行動してくれる。情報工学の手法にヒントを得た、艦載機のマルチエージェント的運用法の骨子だ。

 特に吉良はんは、情報部に所属する前からの長い付き合いだ。龍驤の意図を汲んで適切な指揮を取ってくれる。

 龍驤はホルスターから愛銃(トカレフ)を抜いた。彗星一二型甲の三機から送られてくる電波をもとに距離と方角を割り出し、缶を唸らせて主機(もとき)を駆動させた。

 凪ぎの海面を疾駆した。荒れてはいないが、ゆるやかなうねりはあり、丘陵地帯を駆けているかのようだった。

 

 やがて。

 軽巡が来た。

 その姿を見た。

 銃口を向けたが、勝てる気がしなかった。

 

 後頭部には大きな緑色のリボン。鉢金で前を上げた長い茶髪の奥には鳶色(とびいろ)双眸(そうぼう)。衣装は全体として赤みを帯びていた。右腕には川内タイプ唯一のカタパルト。腰の魚雷発射管に収納された魚雷を、短刀のごとく左手に持っていた。

 軽巡洋艦クラス、川内タイプ、神通モデル。それも、二段階の改造を経た姿。

 鳶色の瞳には、冷徹な覚悟が宿っていた。

 あの目を、龍驤は知っている。

 叢雲と同じ目だ。

 足を止めた神通が端的に尋ねた。

 

「何故」

「軍規違反。無許可での大規模出撃」

 

 短く答えたのは、長い呼吸の間隙に殺されると分かりきっていたからだった。

 神通は、黒い革ジャンに刺繍された情報部の徽章(きしょう)を見やり、目を細めた。

 議論を無意義と判断した神通の足下から、無数の波紋が生まれた。

 缶に火が入り、主機(もとき)が駆動を始めたのだ。

 

「では――」

 

 波紋が龍驤の足下へ届いた。

 

「――押し通ります」

 

 無自覚な呼吸の間隙、龍驤が息を吐ききった瞬間のことだった。

 どん、と砲撃めいた音が神通の足下で炸裂した。

 コマ落としのように、次の瞬間には水しぶきを遥か後方にした神通が龍驤の眼前に現れていた。左手に持った魚雷を龍驤の腹へ目がけて突き込んできた。

 

「――ッ!」

 

 腹をよじり、雲輝の速度で突き込まれた弾頭を皮一枚分の被害でかわした。いつものように前を開いていた革ジャンの裾が破られ、内に仕込んでおいた弾倉がばらばらと海面へ没した。

 追撃。神通が右足、左足と海面を踏んで反時計回りに一回転。龍驤の顔を右手で捕らえた。膂力(りょりょく)に頬骨が軋んだ。右腕に装着した火薬式カタパルトには爆装した零式水上偵察機。狙いはゼロ距離特攻。

 龍驤が吼えた。

 

「がああっ!」

 

 右手に持った愛銃(トカレフ)の銃口を、神通の右肘へ押し当てた。カタパルトの火薬と薬莢の火薬が炸裂するのはほぼ同時だった。

 鉄芯の術式弾頭は神通の肘関節をわずかに押し、特攻してきた零式水上偵察機の腹に抱かれた爆弾はサンバイザーの上端に腹をぶち当てた。幸いなことに信管は起動しなかったがサンバイザーが粉砕され、したたかに脳髄を揺らされた龍驤の意識が暗転した。

 顔を掴まれた瞬間、機関部の副次記憶野に主記憶野の再起動プロセスを叩き込んでおいたが、賦活には一秒、千ミリ秒を要する。

 ミリ秒単位で推移する艦娘の戦闘においては、斬首を座して待つのと同義。

 

「……はっ」

 

 生きていた。海面に倒れていた。

 跳ね起き、神通の姿を探した。

 十メートル先で、神通が右上腕から先を失っていた。傷口が焦げ付き、煙が立ちのぼっていた。腰に差した魚雷が一本減っているところから察するに、術式弾頭から神経系を通じて機関部へ侵入されることを食い止めるため、魚雷を己の右腕にぶち当てて吹き飛ばしたのだ。

 視界の端、神通の足下に、手首から先と肘から上を失った右腕が浮いていた。

 神通は緑色のリボンを解き、左手と口で器用に、手慣れた様子で右腕を縛って血止めを施した。血止めに要した時間はわずか二秒。高速修復剤による修復よりも早い。

 皮膚が足下から頭頂に向けてぞわっと粟立った。

 勝てない、どころではない。

 龍驤は、督戦として活動を始めてから三年半にあたるこの日この瞬間、初めて恐怖を覚えた。

 自分が殺されることにではない。この神通という艦娘の在り方を恐れた。

 こいつは、敵の命を獲るためなら腕の一本を失うことさえ厭わない。

 

「おどれ……」

 

 神通は残った左手で魚雷を抜き、海面へ向かって落とした。

 雷撃との同時突撃、と判断して龍驤は身構えた。誤りだった。

 神通は落下中の魚雷の尻を蹴った(・・・)

 

「んなっ……!」

 

 左右の愛銃(トカレフ)を時速百キロの猛速度で飛来する魚雷へ照準。

 引き金は左右とも一回きりしか引けなかった。

 鉄芯の術式弾頭は弾頭は狙い違わず魚雷に衝突し、炸薬、推進薬の順に爆発した。爆風と魚雷の破片が龍驤を襲い、数メートルほど吹き飛ばした。破片が龍驤の右目に突き刺さった。

 距離は開いたが、爆煙で神通が隠れた。

 右か、左か、どちらだ。

 右目は潰れたが神通はそれを認識していないはずだ。龍驤は首を捻って左目で正面の視界を確保し、左右の愛銃(トカレフ)を煙の端に向けた。

 神通は、爆風の中からずるりと現れた。

 顔面は切り傷だらけ。目だけを左腕で覆い、爆発のただ中に飛びこんだのだ。神通が、鉄の破片が無数に突き刺さった左手を腰に溜めた。

 龍驤には銃口を向け直す(いとま)など与えられなかった。背後へ跳躍して衝撃力を多少なり殺すのが精一杯だった。神通は龍驤の胸の中心へ掌底を叩き込んだ。

 

「がっ……!」

 

 両脚の踵が海面を切って二条の航跡を龍驤の眼前に残した。

 胸骨が粉砕され、肋骨との接続が絶たれた。強打された心臓(ポンプ)が大量の警告を吐いた。

 神通は舌打ちし、追撃にかかった。本来、あの掌底で背骨まで砕くつもりだったのだ。

 姿勢を低くし、ただの一歩で龍驤へ肉薄。心臓の停止に伴い身動きが取れない龍驤の丹田へ、右膝を突き上げた。

 

「えぶっ……!」

 

 吐き気に由来するでなしに、ただ純粋に胃の腑が圧迫されたからというだけで胃液が喉から飛びだした。胃が破れ、脾臓(ひぞう)が破裂した。

 神通は龍驤の頭を左腕で抱えた。

 龍驤は意地でも手放さなかった愛銃(トカレフ)を神通の軸足、左足の甲へ向けて左右一発ずつ発砲した。

 神通は構わず腰を(ひね)った。

 このままでは首をねじ切られる、と直感した龍驤は瞬時に首周りの筋肉を術式強化(エンチャント)

 首投げの要領で、背中から海面へ叩きつけられた。コンクリートの表面に叩きつけられたのと同等の衝撃が龍驤の全身を貫いた。水しぶきが、砲弾が着弾した際のように高々と上がった。

 全身の骨格にひびが入り、膵臓、肝臓が破裂した。

 首ないし脊柱だけはなんとか無事だったが、戦闘行動の再開には二秒を要すると副次記憶野が告げた。

 だが、止めの一撃はなされなかった。

 明滅する視界の端で、舌打ちがひとつ。

 爆発音。

 二秒後、龍驤は身を起こしてのろのろと後じさり、間合いを取った。全身をくまなく激痛が蝕み、龍驤は歯を食いしばった。

 ゆるゆると爆煙が晴れた。

 眼前に立つ神通を見て、左目だけで瞠目(どうもく)した。

 

「おどれ……正気か」

 

 神通は、右腕に加えて左脚をも失っていた。魚雷をぶち当てて破砕したのだ。破片を太股の断面にねじこんで止血していた。

 それでもなお、いささかも戦闘継続に支障はないと、神通の冷徹な瞳が雄弁に語っていた。

 ぴたりと案山子(かかし)のように海面へ静止していた。

 実際、神通は多少の切り傷と、たかが腕と足を一本ずつ失っただけ。

 対して龍驤は全身の骨格が痛み、内臓は破裂し、右目を喪失している。戦闘が長引けばジリ貧になる。

 高速修復材のアンプルを投与するだけの隙は、双方とも晒せない。異次元から有機物と鉄鋼を汲み上げて再構成する高速修復材を使用したならば、全身が修復にかかりきりになる。

 鉛が詰まったかのように重い腕を持ちあげ、愛銃(トカレフ)を神通の胸に照準した。

 神通は動かない。龍驤が引き金を絞る僅かな間隙を狙っている。

 片方の一発を撃ち、避けつつ攻め入ってくるであろう神通をもう片方で迎撃できる自信は無かった。いま、拳銃を把持しているだけで精一杯だった。

 どうすればいい。

 数ヶ月前に遭遇した艦政本部第九部佐世保支部の難敵たちを想起した。

 舞風は暴力の権化だったが、精密な戦闘論理をもって暴力を御していた。ゆえに不意を打つ隙もあった。

 陽炎は運動エネルギーの最適化機構だったが、ひとたび狂いを生じれば崩壊する脆さと隣り合わせだった。

 この神通は、違う。

 あれは暴力そのものだ。艦娘の形をしているのが不可解なほどの、災害めいた暴力だ。

 戦闘論理だとか技術だとか、そういった人間らしさ(・・・・・)の一切を排除した、行動するだけで破壊をもたらす災害だ。

 どうすればあの災害を消滅させられる。

 一秒、千ミリ秒の間、あらゆる可能性を検討し、あらゆる仮説が却下された。

 右腕と左脚を失った神通を改めて観察した。

 ふいに。

 神通の左手に、あるはずのものが無いことに気づいた。これほどの練度を誇る艦娘であれば絶対に嵌めているはずのものが。

 挑発の意図はなく、ただ困惑と疑念を交えて龍驤は問うた。

 

「おどれ、ケッコンしてへんのか」

 

 鳶色の瞳に、初めて殺意という名の激情が宿った。

 ますます困惑が増した。

 この神通を指揮する提督、相生洋一の階級は大将だったはずだ。

 練度に劣る艦娘ばかりを保有している佐官級ならともかく、仮にも大将の肩書きを持つ者が、これほど練度の高い艦娘とケッコンしていないというのは得心がいかない。

 この神通。あの爆撃の豪雨を傷ひとつ負うことなく抜けたことといい、先ほどまでの戦闘といい、練度は間違いなく神通モデルとしての最高峰に達している。

 ケッコンしていない神通。そのことを尋ねた際の反応。

 察するに。

 

「おどれのテートク、リストラされるんか」

 

 漸次削減(リストラ)の対象となる条件のうち、提督(ひと)艦娘(きかい)との間に霊的な接続を構築し、艦娘の能力を引き上げるシステム、俗に言うケッコンカッコカリを利用していない、という条件があった。

 戦力向上に対する意欲を持たない者は不要、という理屈だ。

 だとすればなおさら、この神通とケッコンしていないことは腑に落ちないが。

 抑えてなお殺意を帯びた声が、答えた。

 

「それが、何か」

「何ちゅうこともないけどな。事情の斟酌(しんしゃく)はせえへん主義やし」

「黄色の悪魔の噂は聞いています。あなたは、事情も(かえり)みず情報部の命ずるまま、艦隊司令部の思惑のまま、私の提督を切り捨てようというのですね」

「おん?」

 

 神通を沈めることが、相生洋一大将のリストラに直結する?

 不可解な話だ。

 そもそも、この神通はなぜ命令違反を犯してまで出撃を敢行したのか。

 神通の激情ぶりからして、提督を執務椅子に縛り付けてでもケッコンカッコカリの実行を迫りそうなものだが。なにせ、練度と戦果さえ足りていれば、ペアの指輪を嵌めさえすればケッコンは成るのだから。

 そこまで考えが至り、ようやく腑に落ちた。

 

「おどれ、公式戦果にあとひとつばかり足りひんのか……いや、出撃を許されとらんかったってとこやな。なんや、嫌われとったんやないか、おどれ」

 

 神通は答えなかった。ただ、鳶色の瞳に宿らせた殺意を増し、ゆるりと膝を折って身を沈めた。

 

「敵泊地を攻撃して戦果を上げといて、無断出撃は緊急事態ゆえ、なんぞ理屈を付けて事後承諾、ほんでケッコンに足りるさかい、おどれのテートクとケッコンする、て勘定か。知らんけど」

 

 神通は瞳の殺意を増しながらも、震え声で言った。

 

「委細、相違ありません。私は、提督とケッコンします。私の戦いのために。私が、本当の戦いを、続けるために」

 

 神通の足元が爆ぜた。

 この場においては()(せん)、攻撃行動に際して生ずる隙を突くことが最善手である。

 左手に魚雷を握り、神通が迫る。龍驤は落ち着いて愛銃(トカレフ)を照準。跳躍して宙にいる神通は回避行動を取れない。

 はずだった。

 龍驤が引き金を絞るほんの僅かな筋肉の動きを視認した神通は、左腕を振って魚雷を右方の海面へ叩きつけた。海面には、先ほど神通が破砕した左脚が浮いていた。

 魚雷は海面に浮いていた左脚に直撃し、即座に爆発した。

 

「んな……」

 

 遅れて銃撃。弾丸は魚雷の爆煙に呑まれた。

 神通は爆風を体側で受けて跳躍の軌道を変更、右目を失った龍驤の死角、龍驤から見て右腋の下にまで潜り込んだ。

 右脚をぐんと伸ばし、神通が己の左腕を龍驤の左腋から首へと絡ませた。続いて右脚も龍驤の右脚に絡ませ、足首でがっちりと固定した。

 

「こ、のっ!」

 

 右手の愛銃(トカレフ)を向けようとしたところ、鋭い手刀で弾かれた。右腕が痺れ、愛銃(トカレフ)を取り落とした。

 ぎり、と絡んだ腕と脚に力が込められた。このまま蛇のごとく龍驤を絞め殺す腹づもりだ。龍驤は先ほど海面に叩きつけられ、全身の骨が痛んでいる。

 

「が、はっ……」

 

 まず肩甲骨が砕けた。続いて左の鎖骨が折れた。肋骨も次々と折れていく。

 龍驤は痺れた右腕を懐に突っ込んだ。呑んでおいた匕首(あいくち)を逆手で抜いた。切っ先を鯉口からわずかに離すだけの、最小限の動作で。

 こんな刃渡り二十センチ程度の刃物で神通の拘束を剥がせるなどとは思っていなかった。そも、振り上げようものならすかさず手刀で払われる。

 龍驤は、抜いた匕首をそのまま己の左脇腹へ突き刺した。ずぶり、と嫌な感触が右手に伝わり、龍驤は吐き気を催した。

 絞め上げる力はそのままに、神通が困惑の声を上げた。

 

「何を……」

「まだや」

 

 龍驤は霊力を宿した右拳で、匕首の柄頭をめいっぱい殴りつけた。

 匕首は刀身はおろか鞘までもが龍驤の腹にめりこみ、背を貫通して神通の腹部にかすり傷を付けた。

 かすり傷を付けるだけで十分だった。

 

「あ……え……?」

 

 龍驤を絞め殺さんとしていた神通の膂力が、年相応の少女のそれに弱まった。

 右拳に宿った霊力が、匕首の刀身に刻まれた艦娘殺しの術式を起動していた。

 当然だが、龍驤自身は己の術式に対する免疫を持っている。うっかり指先を切って艦霊にお還り頂くわけにはいかない。

 一方の神通は、艦娘殺しの術式に免疫を持たないうえ、龍驤にがっぷり組み付いていた。

 脇腹から機関部までは距離が近い。術式はすぐさま神通の末梢神経を食い荒らし、機関部に辿り着いて『解体』の祝詞、あるいは呪詛を起動した。

 振りほどくと、神通はあっけなく海面へ背から落ちた。

 だらりと下がった左手に握った愛銃(トカレフ)を、右手に持ち替えた。鎖骨を折られ、左腕の自由がきかなくなっていた。

 

「終いや」

 

 振り返った。呆然としている神通の右目に照準した。

 放っておいてもいずれ沈むだろうが、龍驤の信念に反する。

 念じながら胸に二発、頭に二発。幸い、左手に持っていた銃の残弾は四発。

 不意に、神通が虚ろな声で龍驤へ問いかけた。

 

「……あなたは、何のために戦っているんですか」

 

 龍驤は答えず、発砲した。右目に一発。左目に一発。鉄心の弾頭は水晶体と眼底を抉り、脳に達した。

 続いて胸に二発。心臓(ポンプ)に到達し、循環系の機能が沈黙した。

 両眼を失った神通の屍は、目玉があった箇所からだらだらと血液と水晶体混じりの液体を垂れ流していた。液体は頬から海面へと落ちた。泣いているかのように。

 龍驤は愛銃(トカレフ)をホルスターへしまい、代わりにシガレットケースを取りだした。血しぶきや海水に濡れても無事なよう、防水仕様のものを選んだ。

 苦労してバットを一本取り、コリブリで火を点した。

 海中へ没し始めた神通の屍を見やった。

 

「何のために、て言うたな」

 

 煙を吐きながら、ひとりごとを呟いた。

 

「義理や」

 

 それから、激しくむせた。喀血(かっけつ)し、びちゃびちゃと海面に血を零した。

 折れた肋骨が肺に突き刺さっていたのだ。

 ひととおりむせた後、バットを捨てた。

 龍驤は破れたジャケットの内側から携帯端末を取り、叢雲へ繋いだ。

 

「艦政本部第九部」

「ウチや。終わったで」

 

 肺が片方使い物にならないので、いったん息継ぎする必要があった。またむせた。

 

「救援が必要?」

「要らん。そないなことより、提督や。相生っちゅうんは、殺ったんか」

「いいえ。相生洋一大将は先ほど退役したわ」

「何やと」

「退役したと言ったのだけれど」

 

 またむせた。早いところ高速修復材のアンプルを打たなければならない。

 

「……いつや」

「マルキュウマルマル、本日付よ」

 

 龍驤は言葉を失った。

 龍驤はただ、命令違反を犯し、既に指揮する者もいない、はぐれ艦娘たちをただ殺戮したことになる。

 何故、と問うても叢雲は答えない。そんなことは三年半の付き合いで分かりきっている。

 だから、何も言えなかった。言葉にできることがなかった。

 

「帰還して体と霊脈の修復を終えなさい。また九州へ向かってもらうわ」

 

 それきり、通信は途絶えた。

 龍驤は携帯端末を持ったまま、悄然と立ちつくした。

 

 何のために戦っているのか、と神通は問うた。

 義理だ、と龍驤は答えた。

 叢雲は、あの暗闇から引きずり出してくれた。

 龍驤が所属していたような、腐敗した鎮守府を撲滅すると叢雲は言った。そのために龍驤が必要であるとも。

 以来、クソウサギと呼びつつも、龍驤は叢雲の命令に従った。

 被害者も加害者も等しく鏖殺(おうさつ)した。

 スナッフムービーの生贄であった望月を、最期に月を見たいと言った望月を、殺した。

 同胞をかくまい保護していた朝潮を、心なんて持たなければ良かったと言った朝潮を、殺した。

 そして今日は、己の提督が解雇の憂き目に遭うことをよしとしなかった神通を、命を賭して敵の命を取るほどの覚悟を持つ神通を、殺した。

 善悪の観念は捨てた。正義を語る心根は切り落とした。

 だが、それらは叢雲の信念あってこそだ。

 腐敗した鎮守府の撲滅。それこそが己の役割であると信じていた。

 

 それでは、今回の任務は何だ。

 自分は、いったい何のために戦わされている。

 

「……コード、ソロモン、やったか。クッソダサい名前や」

 

 龍驤はぺたぺたと海面を歩いた。

 八丈島までは、随分と時間がかかりそうだった。


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