督戦の龍驤   作:神原傘

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2008年8月。一隻きりの督戦飛行隊員・龍驤は、駆逐艦のスナッフムービーを撮影・密売している鎮守府を殲滅するよう、局長の叢雲より言い渡される。
地下室に拘束され衰弱しきった駆逐艦・望月を前にして、龍驤が取った行動は──


01 astrogate-0 from LAST ALLIANCE

 二〇〇八年八月某日。

 横須賀鎮守府、またの名を赤煉瓦。その地下の片隅。

 艦政本部第九部、通称『情報部』の拠点。

 黒ずんだマホガニーの執務机と黒い革張りのソファが置かれた小さな灰色のオフィスへ赴いた龍驤は、上長である叢雲から殲滅対象(ターゲット)に関するファイル群を受け取った。

 龍驤は中身を見ず、執務机とソファに挟まれたガラステーブルへファイル群を置いた。黒いジャケットを脱ぎ、畳んで枕代わりにして、ソファへ横向きに寝転んだ。

 叢雲は龍驤の素行を咎めることなく、淡々と今回の任務に関する説明を始めた。

 

「今回の殲滅対象(ターゲット)は艦娘の解体ショーを行い、その様子を撮影、密売している鎮守府よ」

 

 龍驤は手元のコリブリをいじり回しながら、叢雲の顔を怪訝そうに見やった。

 

「艦娘の解体ショーぉ?」

 

 叢雲の顔には、左眼から鼻筋を通り頬に至るまでの長い傷跡が残っている。表情は常に仮面めいており、変化したところを龍驤は見たことがない。

 龍驤は火の点いていないゴールデンバットを口の端に咥え、やや不明瞭な声で疑問を発した。

 

「なんやそれ。弁天(かみ)サマにお参りでもするんかいな」

 

 艦娘の解体といえば、義体から艤装を取り払い、機関部の艦霊を分霊元へ還すことを意味する。解体された艦娘は新たな名と相応の権利を与えられて在野の者となる。

 

 叢雲は無表情のまま嘆息し、左手の中指でコツコツと執務机を叩いた。

 

「艦娘を家畜のように……いえ、家畜は苦しむことなく屠殺されるわね。艦娘を拷問の末に殺害するスナッフムービーの撮影と配給をしているのよ」

 

 おげ、と汚い声を上げ、龍驤はオーバーにリアクションをして見せた。

 

「なんやそれ。けったくそ悪い」

 

 叢雲は執務机の傍らに置かれた小さく古い液晶ディスプレイを龍驤へ向けた。一瞬だけノイズが走り、暗がりの中でうごめく何かが映し出された。

 

「これが入手した映像の一部」

「そんなもん見たないわ」

 

 龍驤は放り出していた足を曲げ、ソファの肘掛けに預けていた頭をずるずると座席の位置まで落とした。見たくない、との言葉通り、サンバイザーを下げた。

 

「これ、誰と誰が映っているか分かるかしら」

「見たない言うとるやろ!」

 

 龍驤が激高した直後、甲高い、それでいて濁った悲鳴が執務室中にわんわんと鳴り響いた。

 

『ぎゃあああああああああああああああぁ!』

 

 龍驤は目線だけを動かし、サンバイザーの隙間から映像を覗いた。

 映像の中では、いつの間にか照明が灯されていた。両手に手枷を嵌められ、コンクリート製と思しき壁から吊り下げられた三日月の姿が鮮明に映し出されていた。

 

『ひっ、はひっ、は、かっ……』

 

 三日月は左の(すね)から先を失っていた。ぼたぼたと、どす黒い血液がこぼれ落ちていた。

 たった今、斬られたのだ。

 ゆらり、と小柄な少女が映像の端から現れた。長い黒髪に、黒い制服。

 両手には、小さな体躯に不釣り合いな大斧を持っていた。腰ごと半回転し、大斧を構えた。

 拘束された三日月は恐怖に顔を歪めた。

 

『あああああああああああああああああああ!』

 

 ぶんぶんと首を横に振り、やめてくれと言外に懇願していた。

 ヒュウ、と風切り音が鳴った。

 次いで、ドッと重苦しい音が龍驤の内蔵を震わせた。斧はいっきに壁面のコンクリートまで到達していた。

 拘束された三日月はぐるりと白目を剥き、泡を吹いて失神した。痙攣し、失禁していた。

 三日月の脛を両方とも切断した少女はいったん画面から消え、水をなみなみとたたえたブリキのバケツを持って現れた。バケツの水をばさりとかけると、拘束された三日月が首をぐらぐらと揺らしながらおぼろげに意識を取り戻した。

 

 と。

 だしぬけに、執務室の叢雲が映像を切り替えた。

 

「次」

 

 両手をコンクリートの床に固定された不知火が、桃色の髪色をした艦娘の手によりペンチで一枚ずつ爪を剥がされていた。ゆっくりと、丁寧に、じりじりと。

 

『やめて……やめてください……!』

 

 普段の鋭い目付きはどこへやら。被害者の不知火は鼻水を垂らしながら泣き叫び、止めるよう懇願していた。いかに頑強な精神を持つ者でも、爪を剥がされる激痛だけは耐えられない。

 

「次」

 

 また映像が切り替わった。

 金髪の少女が大きな金槌を持っていた。金槌が振るわれた。壁面に拘束された舞風が、脛、大腿の順に骨を砕かれていた。骨を砕かれた舞風が嘔吐し、涙をぼろぼろと流しながらうめいた。

 

『う、おぐぇ……脚が……あたしの、脚がぁ……!』

 

 金髪の少女はなおも金槌を振るった。皮膚の内側では肉と骨片が混じり合い、皮膚からぷつぷつと血液が噴き出した。舞風が踊るとき、常に確固とした軸となる脚が、軟体動物のそれのようにぐにゃぐにゃになっていた。

 

「もうええ」

 

 叢雲はまたも映像を切り替えた。

 裸に剥かれ、背を見せた時雨と思しき艦娘が映った。隣には黒い制服に黒い髪、三つ編みと髪飾りが印象的な艦娘の背が映っていた。

 

『やめてよ……痛いよ、痛いじゃないか……もういっそ、殺してくれないかな……』

 

 時雨は、短く太い棘の付いた棍棒で執拗に肩を殴られた。両腕を鉄の枷で留められた時雨は、皮膚の張力だけで壁にぐったりと貼りついていた。もはや悲鳴を上げる気力さえ失せているようで、弱々しい声で己を絶命させるよう懇願していた。

 棍棒がもうひと振りされた。皮膚がついに破れた。時雨は肩から先を失って、べしゃりとコンクリートの床に倒れ伏した。ぐずぐずになった肩口の断面から肉と骨片混じりの血液が溢れた。

 誰かの舌打ちが、聞こえた。

 

もうええ(・・・・)て言うとるやろ!」

 

 叢雲はモニタの電源を落とした。

 龍驤はコリブリのキックスターターレバーを引いてキャップを開き、レバーを弾いて火を点した。咥えていたバットの先端に火を近づけ、深々と煙を吸い、細くゆっくりと吐いた。

 対になったソファの間に置かれたガラステーブル、その上に置かれた灰皿へ腕を伸ばし、灰を落とした。

 

「それで、あなたの所見は?」

「同型艦にやらせとる。それも駆逐艦ばっかりや」

「どうしてだと思う?」

「知らんがな。あないな変態と同じにすな」

「考えなさい。同型艦にやらせているのは、死ににくい壊し方を他の誰よりも(・・・・・・)知っているからよ。切り取るなら脛、指、歯、眼球、耳、鼻、頬肉。砕くなら脛、大腿骨、鎖骨、橈骨(とうこつ)、尺骨、腰骨、顎骨、肩甲骨。どれも即死はしない。与える痛みをコントロールしながら、絶命に至るまで時間をかけて解体を進められるわ」

「さすが情報部長サンは拷問にも詳しいなあ。で、駆逐艦ばかりちゅうのはどういうことや」

「需要があり、供給しやすいからね」

「ハ。にしても(こま)いシノギや。なんぼ需要と供給がある言うても、実入りが悪い。それでいて、やっとることはお天道サマを二度と拝めんようなことや。銭勘定が釣り合わへん」

「撮影者の趣味でもあるのよ。リターンは金銭だけとは限らないわ」

 

 龍驤は舌打ちをひとつ。

 

「ったく。誰や、こないな変態を提督なんぞにしくさったダボは……」

 

 誰でも、それこそ男でも女でも動物でも提督になれる時代だ。

 深海棲艦と人類が海洋の覇権を賭けて争うようになってから、はや十五年が経過した。

 艦娘が初めて世に出現してから数年後、横須賀鎮守府に所属していた正規空母・加賀が轟沈した。容姿端麗にして戦功輝かしい、加賀が。七つの海洋を跋扈する深海棲艦、その脅威に対抗する切り札として国民的人気を誇っていた彼女の喪失は、国民に大きな衝撃を与えた。

 加賀が寄港していた長崎県佐世保は平港(たいらこう)の地名より、後にヒラ(こう)ショックと呼ばれることとなる事件である。

 以来、提督および艦娘改造志願者は爆発的に増加した。いまや艦娘を指揮統率する『提督』は百万人以上、それら『提督』の指揮下にいる艦娘は数千万隻にのぼる。

 横須賀鎮守府の他、呉、舞鶴、大湊といった全国各地に鎮守府や泊地が整備され、それらの支部も全国の海岸線に構築された。

 数が多くなれば、自然と異端が発生しやすくなり、また生存しやすくなる。提督として不適格である人物を見落として採用することもあれば、終わりなき戦闘に倦んで精神を病む提督も生まれる。

 

殲滅対象(ターゲット)について知りたいのならプロファイルを読みなさい。書類に目を通さないのはあなたの悪い癖よ」

「読もうが読まなかろが、ウチがやることに変わりはあらへんやろ」

「それもそうね」

 

 皮肉を言ったつもりが、あっさりと肯定されてしまった。肩すかしを食った龍驤は気まずくなり、バットの煙を輪っかにして吐いた。

 隻眼の叢雲は席を立ち、身を乗り出して執務机に左手を突いた。右手には杖を持っている。彼女は左眼と右脚が不自由なのだ。

 

「では、命令するわ。殲滅対象(ターゲット)は艦娘解体映像(スナッフムービー)配給の最大手。提督、艦娘、いずれも徹底的に殲滅しなさい。栄誉ある海軍の旗に泥を塗る愚か者を、この世から抹消しなさい」

 

「はいな」

 

 龍驤は煙草を咥えたままのろのろと身を起こし、ソファから降りた。畳んで肘掛けに置き、枕代わりにしていた黒い革のジャケットを羽織った。腕は通さず、肩にかけただけだった

 ジャケットの背には情報部への所属を表す黄色の刺繍。象られているのは『勅令』の二文字を二条の炎が囲む徽章。

 フィルタの近くまで灰となったバットを灰皿に押しつけて揉み消した。ゴツゴツと鉄の踵を鳴らして執務室の扉へ向かった。

 

「ほな、行ってくるわ」

「武運を。あなたの行動は常に見ているわ」

 

 龍驤は片手を軽く挙げて応じ、扉を引いて執務室を出た。

 照明がまばらに灯るだけの、がらんとした暗い廊下。情報部の者以外に訪れる者はなく、また訪れさせることもしない、地下墓地のような廊下。季節の存在しない空間。

 ハン、と龍驤は鼻を鳴らした。

 

「海軍の旗に、栄誉も泥もあるかいな。ハナから血染めの旗や。分かっとるんかクソウサギ」

 

 ひとりごち、龍驤は鉄靴の音を立てて暗い廊下を歩いた。

 

 

 

 【RJ】

 

 

 

 叢雲が指摘した通り、龍驤は殲滅対象(ターゲット)に関する書類に目を通さない。今回も書類は叢雲の執務室に置いてきた。

 これから死ぬ者、破壊される者について情報を得ても無意味だ。

 龍驤に必要な情報はただひとつ。殲滅対象(ターゲット)の拠点。

 

 今回のそれは、愛知県田原市、表浜と恋ヶ浜の境目にあった。

 空気がびりびりと振動し、地面は内蔵を打つかのように揺れ、太平洋の海面は鳥肌のように細かな波紋を立てていた。

 龍驤は表浜街道沿いの廃屋、その屋根に登ってあぐらをかき、今回の殲滅対象(ターゲット)が拠点としている旧リゾートホテルの跡地(・・)を眺めていた。

 龍驤があぐらをかいている廃屋の傍らには、一九七二年製ハーレーダビッドソン・FXスーパーグライドが鎮座してエンジンを休めている。いわゆるアメリカンタイプのバイクで、前輪のサスを外し、代わりに長いフォークを取り付けてある。

 横須賀から長駆、田原まで運転してきた。

 いま周囲を震わせている爆音は、龍驤のバイクによるものではない。

 爆撃の音である。

 四百機(・・・)の彗星一二型甲による絨毯爆撃が、豪奢だったホテルをコンクリートとガラスと鉄骨の混ざり物に変貌させていた。あらゆる建造物を基礎まで露わにする徹底ぶりだった。

 この蹂躙を執行したのは、龍驤ただ一隻のみである。

 

 龍驤が搭載可能(・・・・)な艦載機は、総計三十六機でしかない。

 だが、空母型の艦娘が運用可能(・・・・)な艦載機は、数百機にのぼる。

 なぜか。

 

 艦載機に搭乗しているのは妖精さんであり、彼女たちは自律的に艦載機を操縦している。

 例えば、友軍機と接触しないよう距離を取る。

 例えば、指示された高度と方角を維持する。

 例えば、指定された攻撃目標に対して爆弾や魚雷を投下する。

 例えば、敵機との遭遇時に格闘戦を行う。

 

 こういった下位の戦術行動や判断は、状況に応じて妖精さんが自律的に行う。

 一方で、空母型の艦娘におけるスペック上の搭載数とは、海上での戦闘において一度に離発着可能な艦載機数を意味する。発艦作業を終えた艦娘が戦闘時に行うことは、編隊の高度や方角、そして攻撃目標の指示といった、上位の戦術命令を艦載機へ下すことである。

 したがって、空母型艦娘の情報処理能力はスペック上の搭載機数よりも遙かに余裕がある。離発着の問題さえクリアすれば、龍驤のような軽空母でも数百機にのぼる艦載機を運用できる。

 

 ドォン、とひときわ大きな爆裂音が、地面と海面を揺るがした。

 ホテルに隣接した工廠と思しき建屋から、炎と煙が雲の高さまで立ちのぼっていた。備蓄していた重油や炸薬に引火したのだろう。これで、陽の光も見ずに解体される哀れな艦娘はもう生まれない。

 

「そろそろ、ええ頃合いか」

 

 ひとりごち、龍驤はフィルタの近くまで灰となったバットを屋根瓦に押し付けて火を消した。

 上空を旋回して待機していた彗星一二型甲の群れには、あらかじめ接収しておいた近場の農場へ着陸するよう命じた。ただし念のため、爆装したままの一個編隊を残して哨戒に充てた。

 すっくと立ち上がった龍驤はゴーグルも着けず、屋根から直接スーパーグライドに飛び乗った。勢いそのままにキックスターターを踏みつけると、まだ冷め切っていなかったエンジンが元気よく稼働した。龍驤の細い腹を、エンジンの爆音が太鼓のように打ち鳴らした。

 

「よーし。ええ子や」

 

 クラッチを入れ、スロットルを絞った。タンタンタンと、ギアをローからハイへ次々と上げた。表浜街道をフルスロットルで驀進し、ブレーキもかけずに上り坂の途中から脇道へと入った。

 目指す先は、瓦礫の山と化した、鎮守府だった(・・・)場所。

 目的は、残党狩りである。

 空爆だけで戦争を終わらせることはできない。

 敵地を軍靴(ぐんか)で蹂躙しなければ、戦争は終わらないのだ。

 

 駐車場だった場所にスーパーグライドを駐め、龍驤は瓦礫の山へと歩み寄った。

 コツン、と龍驤がコンクリート片を蹴飛ばしたその瞬間。

 瓦礫に埋もれていた艦娘が一隻、コンクリートの塊をはねのけて飛び出した。

 重巡洋艦の摩耶だった。服はぼろぼろに破れていたが、頭部のアンテナと手袋でそれと知れた。体のあちこちにガラス片が突き刺さり、血液が肌に幾条も流れていた。

 

「てンめェ! どこのシマのモンだ!」

 

 怒気をあらわに叫ぶ摩耶に対し、龍驤は何も答えなかった。

 サスペンダーに固定したホルスターから右手でトカレフを抜き、間髪を入れず二発撃った。摩耶に身構えるいとまを与えなかった。

 パンパン、と鳴った軽い破裂音は、工廠で燃え盛る重油のごうごうとした唸りにかき消された。

 胸の中心に弾丸を受けた摩耶は、あっけなく倒れた。魚雷や砲弾を受けても容易には沈まない重巡洋艦が、二発の弾丸であっさりと。

 うつぶせになった摩耶が、ごぼごぼと血に溺れながらうめいた。

 

「な、なんで……ッ」

「艦娘殺しの特効薬や。冥土の土産に覚えとき」

 

 龍驤が放った銃弾は、鉄の弾芯に陰陽道の術式が刻まれている。この術式弾頭は、艦霊、すなわち艦娘が各地の神社から分霊によって譲り受けた神様にお還りいただく(・・・・・・・)ことで、艦娘から軍艦としての能力を失わせる。

 龍驤が言った通り、艦娘殺しに特化した弾丸である。一方で、射撃の際に弾芯に刻まれた術式を起動する必要があるため、陰陽道を操るタイプの艦娘でないと扱えないのが欠点でもある。

 龍驤は、ただの義体(サイボーグ)と化してうつぶせになった摩耶の後頭部、盆の窪と呼ばれる凹んだ箇所に銃口を当て、二発撃った。

 霊的にも肉体的にも致命傷を受けた摩耶は完全に沈黙した。

 術を念じながら、胸に二発、頭に二発。

 艦娘を確実に殺害するため、龍驤は自ら定めたルールを徹底している。

 龍驤は左手で後頭部を掻き、憂鬱そうに溜息をついた。

 

「どれ、こないに大きな鎮守府や。弾ァ足りるやろか」

 

 ぼやき、左手にもトカレフを持った。

 瓦礫を厚底のブーツで踏みながら、龍驤は生き残っていた艦娘をことごとく射殺した。機関部だけを残した艦娘であろうと、瓦礫から上半身だけが出ている艦娘であろうと、四肢を失った艦娘であろうと、泣いて命乞いをする艦娘であろうと、龍驤は一切の区別なく鏖殺(おうさつ)した。

 顔を見ず、見えても覚えず、ただ胸に二発、頭に二発、鉄の弾丸を撃ち込んだ。

 

「どこや」

 

 右手の(トカレフ)で四発を撃ったら、左手の(トカレフ)で四発を撃つ。片方の銃が弾切れになったら、すぐさま弾倉を入れ替える。

 多数の敵を相手にしても両手の銃が同時に弾切れになることがないよう、龍驤はこのルールを徹底している。

 

「どこや!」

 

 トカレフの装弾数は八発。艦娘一隻につき四発を使うから、一丁あたり二隻射殺するたびに弾倉を交換する。黒いジャケットの内側にはどっさりと弾倉を収納している。

 リゾートホテルを改装して艦娘運用の拠点とするほど大きな、そして古参の鎮守府のようで、四百機の彗星一二型甲による絨毯爆撃を受けてもなお生き延びた艦娘が、次々と瓦礫から這い出してきた。練度が高く、予期せぬ非常事態においても判断が的確なのだ。

 もっとも、龍驤が殲滅する鎮守府は往々にしてこのような古参の鎮守府ばかりだが。

 新参の提督はだいたい使命に忠実であるし、悪事を働くだけのノウハウもコネクションも持っていない。

 反面、古参の提督ほど狡猾になるし、悪事の種もまた彼の長い軍歴を目当てに揉み手をしながらすり寄ってくる。

 

「どこやっちゅうねん!」

 

 龍驤の怒声には焦りが交じっていた。

 大量の弾倉を収めていたジャケットが、ずいぶん軽くなっていた。

 生き残りの艦娘が思いのほか多かった。同型艦が複数所属しているようで、飛龍が二隻、肩を貸し合って逃げ延びようとする姿さえ見た。もちろん龍驤はその背に二発ずつ弾を撃ち込んで昏倒させ、それから頭に仲良く二発ずつ弾丸を喰わせてやった。

 しかし、果たしてこの鎮守府を統括する提督、諸悪の根源を殺すだけの弾が残るだろうか。

 提督を殺すための弾は一発きりで足りる。しかしその一発さえ残らないとなると、懐に呑んでいる匕首(あいくち)を使わなければならない。

 いざというとき必要だから持っているが、龍驤はなるべくこれを使いたくない。

 

「ええかげんツラぁ晒したらんかい、みこすり半のド変態! それともなにか、掩蔽壕破壊弾(バンカーバスター)でも欲しいんか!」

 

 龍驤の経験上、殲滅対象(ターゲット)となるような提督は、絨毯爆撃を実施しても生きている公算が高い。艦娘はいかなるときも優先的に提督を護衛するよう行動するし、悪事を働いていると自覚のある者は往々にして即座に退避できるような隠れ家を持っているものだ。

 ふと思い当たり、龍驤は銃把の底で後頭部を掻いた。

 

「あー……しもた。もしかして抜け道なんぞ持っとったんやろか」

 

 呟いたそのとき、龍驤の背後で瓦礫を押しのける音がした。

 龍驤はとっさに振り向き、両手の拳銃を音源へ正確に照準した。

 ずどん、となにやら重いものを落とす音がした。

 埃まみれながら無傷の、大柄な艦娘がうっそりと立っていた。鳶色(とびいろ)の瞳で龍驤を睨んだ。長い黒髪は、コンクリートの粉末で白く汚れていた。

 赤い袴の弓道着に、飛行甲板。

 正規空母赤城。

 弓を持つ左手には、銀色の指輪が嵌められていた。指輪が日光を反射し、龍驤の網膜を一瞬だけ焼いた。

 

「秘書艦やな」

 

 赤城は鼻で笑い、甲矢(はや)をつがえて弓を引いた。(やじり)の狙いは龍驤の眉間。

 

「指輪で判断したのなら、お生憎様ね」

 

 提督(ひと)艦娘(きかい)との間に霊的な接続を構築し、艦娘の能力を引き上げるシステム、俗に言うケッコンカッコカリが実現したのは三年前、二〇〇五年のことだ。

 現在では二十個もの指輪を嵌めている提督も珍しくない。ひとつの指につきふたつの指輪というのは、いささか滑稽な有様だが。

 

「ちゃうちゃう。勘や、勘。おどれ(おまえ)、そこを動かへんつもりやろ。おるな、提督、足下に」

 

 赤城が目を剥き、一瞬だけ硬直した。

 龍驤はその隙を逃がさなかった。両手に持ったトカレフの引き金を同時に引いた。一発は『く』の字に引かれた弦に、一発は弓を支えていた左手に、それぞれ命中した。

 龍驤の眉間を狙っていた甲矢(はや)がカランと音を立てて、瓦礫に落ちた。

 

「ダボが。腹ン中見透かされたくらいでびっくらこくなや」

「──ッ!」

 

 赤城が全身をたわめ、自身を弓と化した。

 右手には、まだ乙矢が残っている。

 跳んだ。乙矢を握った右手を耳の後ろへと引き絞っていた。狙うはやはり、龍驤の眉間。空母の膂力をもってすれば、紙と揶揄される龍驤の装甲を素手でぶち抜くことなどたやすい。

 龍驤は横っ跳びになり、横転しつつ両手のトカレフを一発ずつ撃った。右手のトカレフは赤城の腹へ直截に。左手のトカレフはやや遅らせ、龍驤が存在していた着地点に。

 跳躍のさなかにあった赤城は、体を捻って一発目の射線から逃れた。

 本命の二発目は、龍驤の予測に反して当たらなかった。

 

「ウッソやろ……!」

 

 龍驤が予測した着地点へ到達する寸前、赤城は半壊した左手から飛び出た橈骨(とうこつ)を地面に突き立てて体ひとつぶんの飛距離を稼いだ。

 赤城を狙った弾丸はどこか遠くへ行った。

 赤城は膝を曲げつつ着地。土煙が巻き起こった。

 溜め(・・)は既に済んでいる。

 

 あの赤城は、次の瞬間どう動くか。

 龍驤はトカレフを構えたまま、イメージで『()』を立てた。乱数の初期値は機関部の燃料残数から取得。赤城という艦娘のスペック、そしていま見た挙動の全データを『卦』に叩き込み、赤城がもっとも取りうるであろう解と、赤城がもっとも取らないであろう解を求めた。

 艦娘は戦闘に際し、未来を占っている。

 ニュートン力学的な未来予知だけでは不足する。意思ある敵の行動という不確定要素がある以上、戦闘の帰結は、信頼できる乱数を用いて占う(・・)ことしかできない。

 

 龍驤は視線を右方へ滑らせ、銃口を揺らがせた。

 赤城がもっとも取りうるであろう解は、龍驤の射線から逸れるため左手側へ短く跳躍、銃撃のわずかな息継ぎを突いて右手に握った乙矢を叩き込む。左手側へ飛ぶのは、右手に握った乙矢と龍驤との距離が最短となるためだ。

 最も期待値が高いと占われた行動は、それだった。

 だが、銃口が揺らいだ瞬間、赤城が龍驤と結ばれた一直線上を跳躍した。予測は外れた。

 龍驤の反応は雷のように速かった。

 龍驤は視線を逸らしたまま、揺らがせた銃口を予定通り(・・)正面へ向け直した。

 赤城の両足が地面から離れたときには既に照準が済んでいた。眼球の構造上、運動物体に対する反応は視野の中心より外縁の方が速い。

 龍驤は視線を逸らしたまま撃った。

 鉄芯の弾丸は狙い違わず赤城の鎖骨に命中し、行きがけの駄賃に肩甲骨まで破壊した。

 

「ジャックポットや」

 

 龍驤は、赤城がもっとも取らないであろう解に賭けていた。

 攻め手と勢いを失った赤城は慣性に従って放物線を描き、龍驤の足下へ顔から着地した。

 龍驤は無表情のまま、無様な赤城を見下ろした。

 

「どれ。答えてもらうで、一航戦」

 

 言いつつ、龍驤は赤城の巨体を蹴り転がした。

 赤城の顔は埃と血にまみれていた。肩がばたばたと暴れた。赤城の意に反し、腕が持ち上がらないのだ。

 鉄の踵で首根を踏みつけると、げえっと醜い声が上がった。

 

「どうして止めへんかった。あないな(まず)いやりくち、ウチらが嗅ぎつけへんはずがないやろ。おどれの愛しいテートクを守りたかったら、録画して売り捌くようなアホな真似なんぞせんはずや」

 

 踵を離した。赤城は背を丸めて激しく咳き込んだのち、焦点の定まらない目で青空を見上げた。ぶんぶんと羽音を立てて、六機の彗星一二型甲が哨戒している空を。

 

「私が 導いたのよ」

 

 鼻が潰れているためか、赤城の言葉は濁っていて、不明瞭だった。

 

「あん?」

「囁くのよ (ふね)が 海へ還りましょう そう 還るのよ 幽世に 安寧に」

「ちょお待てや」

「陸は現世 嗚呼 感情の波 交錯はマルマルから開始 欲望と溜息の欠片 蹴飛ばす嘘と本当 幸せのつまづく試金石 海は涙と憎悪 知ってる 競馬は人生を賭けるの」

「……こらアカン」

 

 赤城は急速に意識を手放しかけていた。

 意識と言語野の連絡が途絶し、内容のないリクエストを受け取った言語野が適当な音韻を尤度の高い順に選び取りマルコフ連鎖的に吐き出している。

 要するに赤城はいま、とりとめのない走馬燈の中にいるということだ。

 

「弱りすぎやろ……」

 

 指と肩を撃っただけだ。聞き出したいことがあったから、弾芯の術式も起動していない。

 姿を現したその時から、赤城は限界だったのだ。

 そして攻め手を失った瞬間、赤城はもはや赤城でなくなってしまった。

 龍驤は嘆息し、左のトカレフを赤城の眉間に押し付けた。目的が達成できないのであれば、弾丸をくれてやるしかない。

 立て続けに二発。一発目は骨を削って左眼に入り、二発目は骨を砕いて後ろの頭蓋まで到達した。弾丸がめり込むたび、赤城の全身が大きく引きつった。

 両方の弾倉を落とし、新しい弾倉に入れ替えた。

 

「まあ、なんや。おどれには誇りと(ちご)て埃まみれなんが似合いや」

 

 龍驤がそうこぼすと、だしぬけに無電が入った。

 

『シャッチョサン、チイトバカシ、サムイントチガウ?』

 

 龍驤が『吉良はん』と呼んで信を置く妖精さんからの無電だった。彼女は熟練の整備員であり、また彗星一二型甲の搭乗員でもある。

 龍驤は苦笑いし、返電した。

 

『ちゃうねん吉良はん。もののはずみやねん』

 

 言い訳しつつ、もの言わぬ死体となった赤城が立っていた場所へ歩いた。黒々とした鉄の蓋があった。

 

「いかにも、やな」

 

 引き出し式の取っ手を持ち、踏ん張った。肘と肩と膝が、みりっと軋んだ。

 鉄蓋はびくともせず、龍驤は目を剥いた。

 

「は? なんやコレ! おっも!」

 

 軽空母とはいえ、龍驤は艦娘である。たとえ駆逐艦であっても、艦娘の膂力はヒトに許されるそれを遙かに凌駕する。

 いったん取っ手から手を離し、拳で小突いてみた。扉であれば音は反響するはずだ。

 ゴツ、と重々しい音がいちどきり、した。

 

「……アカン。こりゃ蓋っちゅうより鉄塊や」

 

 それでも龍驤は持ちあげようと試みた。

 さきほどの赤城は、この鉄蓋を持ちあげて現れた。錠前のたぐいは見当たらないから、開くことは間違いない。

 

「んんー! ぬおー! おんどれぁ!」

 

 悪態をつきながら首を振り、両足をがに股にして全力で鉄蓋を引いた。

 ぷちぷちと音を立てて毛細血管と筋繊維が幾分か切れた。

 

「……っ、無理や! 先に骨が折れてまう」

 

 諦めた。

 先の大戦における正規空母赤城の機関出力は十三万一千二百馬力。

 対する軽空母龍驤の機関出力は赤城の半分弱、六万五千馬力。

 命名元となった軍艦の出力通りの膂力を艦娘たちが得ているわけではないが、少なくとも比例はする。龍驤が持ちあげられないということは、島風を除く駆逐艦はこの鉄蓋を持ちあげることができない。

 

「駆逐艦は持ちあげられへん蓋、なあ……どう考えてもアタリなんやけど」

 

 周囲への警戒は怠らないまま、龍驤はその場に座り込んで頬杖をついた。

 

「アタリ引いたんはええけど、目当てのモンと引き替えられへんなら意味ないやろ……」

 

 龍驤は凝った首をほぐすためにぐるぐると頭を回した。なにもひらめかなかった。

 

「伊勢か日向の奴がおればなあ」

 

 なにげなしに手を見ると、コンクリートの白い粉末に混じり、うっすらと黒い汚れが付着していた。指を擦りあわせると、粘性をほとんど持たない粉末状の物質であると知れた。爆撃による煤ではない。

 

「……コレ、黒鉛やな」

 

 この鉄蓋は、どうやら鋳鉄製らしい。それも、いわゆるねずみ鋳鉄だ。

 龍驤の気づき(・・・)を悟った吉良はんが、先んじて無電を打ってきた。

 

『オシテダメナラ、ヒイテミマス?』

『ちと違うなあ。押しても引いても駄目やからぶち壊すっちゅう算段や。ほしたら、あんじょう頼むで吉良はん』

『ヨロコンデー』

 

 吉良はんが操る彗星一二型甲が哨戒中の編隊から離れ、急上昇した。龍驤は急いでその場を離れた。

 急降下する彗星一二型甲の翼が空気を鋭く切り裂き、ぴゅうと笛のような音を鳴り響かせた。

 瓦礫の山からわずかに露出しているだけの鉄蓋に、正確無比な爆撃がなされた。

 吉良はんが操る彗星一二型甲はすぐさま機首を起こし、瓦礫の山すれすれをびゅうんと飛んで、哨戒中の編隊へと戻った。遅れて乱気流が巻き起こり、粉塵と黒煙を小さな竜巻に変えた。

 竜巻は周囲の煙と炎と埃を吸収して、猛烈な大竜巻となった。

 龍驤は慌てて両腕で顔を覆い、膝を折って身を低くした。

 

「張り切りすぎやろ吉良はん……」

 

 竜巻は一瞬で過ぎ去った。

 立ちこめていた煙や埃が、綺麗さっぱり消えていた。

 あの竜巻が、なにもかも根こそぎ持っていった。

 

『あんがとなあ、吉良はん』

『マイドオオキニ。オタッシャデー』

 

 爆弾を手放して身軽になった吉良はんは、彗星一二型甲の翼を振って龍驤の感謝に応えた。

 

「さて、と」

 

 爆撃により、鉄蓋はいくつもの塊に砕かれていた。鋳鉄は炭素含有比が高いため非常に堅いが、その反面、靭性(じんせい)に乏しい。一定以上の衝撃力を加えれば容易に破断する。

 両腕で抱えて鉄塊をいくつか移動させると、地下へ伸びる階段が現れた。陽光が差し込んでいたが、先は折れ曲がって踊り場になっており、内部がどうなっているかまでは分からなかった。

 龍驤は左手のトカレフを胸元のホルスターにしまい、代わりにポケットからペンライトを取って逆手に持った。射線を照らすよう、右手の手首に重ねた。

 ごく、と生唾を飲んだ。

 爆撃で均した瓦礫の地より、こういった場所のほうがこわい(・・・)

 なにが飛びだしてくるか分からない。特に駆逐艦や軽巡洋艦は敏捷なうえに夜目が利くから、龍驤が視認した瞬間には食われている(・・・・・・)かもしれない。

 

 あるいは。

 あるいはこの暗闇が、地下に通じる鉄の階段が、龍驤が艦政本部第九部に転属する前の時期を想起させるのか。

 龍驤は舌打ちをひとつ。奥歯を噛み締めて、血を吹きそうになった心的外傷(トラウマ)を押さえこんだ。

 

「お天道様に背ェ向けといて、いまさらやろ。しゃんとしいや」

 

 階段の突き当たり、踊り場の手前まで来た。壁が途切れ、左手にぽっかりと空間があった。出入口だ。

 耳をそばだてると、荒い吐息が二つ、聞こえた。

 龍驤は左手のペンライトを出入口へ突き出し、すぐに引っこめた。

 ごう、と鈍い風切り音が龍驤の鼻先をかすめた。

 龍驤のフェイントに騙された誰か(・・)何か(・・)を振り下ろしたのだ。

 どがん、と鉄と鉄の衝突音が幾重にも反響して龍驤の聴覚を塞いだ。

 龍驤は弾頭の術式を起動させつつ、適当な見当を付けて右手のトカレフから四発の銃弾をばらまいた。一発でも当たれば無力化できる。

 キンキンキンバスッ。

 

「そこや!」

 

 龍驤は音源を正確に特定し、もう一発撃った。

 バスッ。これも当たり。

 音源にペンライトの光線を向けた。長い茶髪に黒い制服、赤縁の眼鏡をかけた駆逐艦が前のめりになって倒れる瞬間だった。

 睦月型駆逐艦、望月。

 得物は出縁(でぶち)形のメイス。金属板を放射状に組み合わせたものを柄頭に取り付ける形式のもので、軽量でありながら衝撃力が高い。

 龍驤は倒れた望月の頭部へ向けてもう二発を撃ち、殺害した。残り一発が薬室に送られたのを確認してから弾倉を交換した。

 すう、はあ、と呼吸をひとつ。

 ぱっと飛び出て銃口とペンライトを左の死角、次いで右の死角へと向けた。

 誰もいない。

 部屋の内部はコンクリート張りになっていた。鉄の箱に、わざわざコンクリートを内張りしたらしい。

 そろそろとペンライトの光を動かした。真円だった光が楕円になっていき、やがて向かいの隅に到達して直方体の三辺を照らした。

 痩せぎすの、やつれた男が縮こまり、頭を抱えていた。その頭には黒い軍帽が乗っていた。服装は白、夏服として制定されている第二種軍装。

 

「おー。おったおった」

 

 抵抗の様子がないことを確認したのち、龍驤は左方にペンライトを向けた。

 あの映像がここで撮られたものであれば、被害者が壁面の真ん中あたりに吊られているはずだ。

 ペンライトの光が、黒い制服の首元を照らし出した。三日月型の徽章がきらりと光った。

 首元まで垂れた髪は明るい茶色をしていた。

 細く白い首筋には、いくつもの痣があった。両手で締めた痕跡だ。

 まずは酸欠状態を繰り返して経験させ、しかる後にあの鈍器、出縁形のメイスで殴打するといったところか。

「なんや、お楽しみ中(・・・・・)やったんか。そら悪いことしたなあ」

 龍驤は空々しい口調で言いながら、再びペンライトを部屋の右隅へ向けた。

 提督は──そう、提督だ。見るも無惨な有様だが、百数十隻の艦娘を束ねる提督だ。

 その提督は、がちがちと歯を鳴らし、頭を抱えて震えていた。たまに眼球だけ動かして龍驤を目の端に捉えるが、すぐに膝へと戻していた。

 恐ろしい幽霊でも見るかのように。

 

「なんぞ言えやコラ」

 

 苛立った龍驤は提督の革靴へ一発、弾丸を撃ち込んだ。

 

「ああああああああ!」

 

 足の甲を撃ち抜かれた提督は絶叫し、横向きに倒れてぐずぐずと身もだえした。

 

「なんぞ言え、ちゅうとるんやワレ」

 

 龍驤はまだ煙が立ちのぼっている銃口を提督の顎の下へ差し入れ、ぐいと持ちあげた。

 

「あっ、あっ、熱っ──熱っ!」

 

 離すと、焼けた顎の皮膚が照星に貼りついてべりべりと剥がれた。

 龍驤は舌打ちをひとつ。手入れの手間がひとつ増えた。

 

「な、な、なんだ……何なんだお前は! いき、いきなり爆撃なんて!」

「そら、ウチが生身で乗りこんだらタマァいくつあっても足らへんやろ」

 

 弾と(たま)をかけた冗談がつい口をついた。こればかりは性というものだ。

 

「か、艦娘が提督を撃つなんて! あぐ……」

 

 提督は傷口が痛んだのか、ぐっと革靴を両手で押さえた。それから、眼球を剥き出しにして龍驤へ怯懦(きょうだ)の眼差しを向けた。

 

「な……何なんだ、何なんだ、お前!」

 

 龍驤はうんざりした。

 

「なんや、見て分らへんのか」

 

 龍驤はおもむろにジャケットから片袖だけを抜き、背に刺繍された『勅令』の徽章をペンライトで照らして示した。

 

「見ての通り、赤煉瓦のモンや」

「その徽章、は、情報部の……」

 

 龍驤はご名答と気のない様子で答えてから、提督へ尋ねた。

 

「キミ、いまなんどきや、分かるか?」

 

 あまりに唐突な龍驤の問いかけに、提督は痛みも忘れたのか呆けた表情になった。

 

「た、たしか……ヒトフタ──」

 

 龍驤はもう片方の革靴を撃った。

 提督が再び悲鳴を上げ、恥も外聞もなく言葉にならない悲鳴を喚き散らし、ごろごろと鉄の床を転がった。

 龍驤はまたもやうんざりといった顔になり、提督の胸板を鉄の踵で踏みつけた。

 げえっ、と提督がうめいた。足裏に伝わるごりっとした感触は肋骨のもの。

 

「ダボが。いまからなにされる時間か分かるか(・・・・・・・・・・・・・・・・)、って言うとるんや」

 

 龍驤は右手に握ったトカレフの銃口を、見開かれた提督の左眼へ照準した。

 それから、言いたくもない艦政本部第九部の決まり口上を述べた。

 

「艦政本部第九部は貴官の重大な軍規違反を認め、栄誉ある海軍の旗を(けが)したる貴官を極刑に処す。問答は無用。貴官も武人なれば、お覚悟めされよ」

 

 龍驤はひと呼吸おいた。

 

「いざ」

 

 と呼びかけ、五秒待った。

 三秒かけて『極刑』という単語のみを理解した。

 一秒間だけ顔面を蒼白にして死の恐怖に怯えた。

 最後の一秒で顔面が真っ赤に転じ、血走った(まなこ)を見開き、龍驤に掴みかかるべく手足をばたつかせた。

 龍驤はびくともせず、ただ引き金を絞った。

 撃針が薬莢の尻を叩き、燃焼ガスが鉄芯の弾丸を押し出した。

 マズルフラッシュが龍驤の網膜を焼き、視界が真っ白になった。

 遅れて銃声。

 視界が元に戻った。眼球が存在していた部位が陥没し、血液と脳漿(のうしょう)がとろとろと鉄の床へこぼれ落ちていた。

 龍驤は右の眼球も撃った。

 踵で押さえつけていた胸部、心臓に位置するあたりにも二発撃ち込んだ。

 

「さあて、と」

 

 龍驤はそれきり提督だったものの存在を忘れ、ペンライトを最後の生存者に向けた。

 壁の中央に、手枷と鎖で繋がれた少女がぶら下がっていた。赤ぶちの眼鏡はどこかに落としたのか見当たらないが、似た容貌の文月と異なり髪の茶色はより明るめで、長い。

 睦月型駆逐艦、望月。

 先ほども確認したように、垂れた髪の間から覗く細い首には、細い縄で何重にも締め上げたかのような痛々しい青あざが残っていた。

 ペンライトを下に向け、龍驤は顔をしかめた。

 この望月は太腿を切断されたのち、止血のために針金を巻かれていた。ねじることできつく締め上げたのか、薄い肉付きの太腿に針金が食い込み、巾着袋の口のようになっていた。

 荒い断面の具合から察するに、先ほど龍驤が射殺した望月が得物としていた出縁型のメイスで強引に斬り潰した(・・・・・)のだ。

 顔かたちはおろか性格や記憶まで相似する者を、いたぶり、殺す。

 龍驤の心的外傷(トラウマ)から血液が滲み始めた。

 そういうときは、考えず、感じず、ただ行動すればよい。

 肩を細めて脱力している望月の顎を、龍驤は銃を持っている右の手首で持ちあげた。

 顔にかかっていた長髪が割れ、十代半ばといった少女の顔貌があらわになった。左の頬に、どす黒い痣ができていた。

 

「キミ、生きとるか」

 

 望月の閉じられた目蓋の上で、龍驤はペンライトの光をちかちかと明滅させた。

 ついでに明滅の長短を組み合わせ、和文モールスで『オキロ』と示した。

 ぶるっ、と望月が震え、のろのろと(こうべ)をもたげた。

 

「あ……うぁ……?」

 

 龍驤は眩しくならないようペンライトを頭上から照らす位置に持ち、話しかけた。

 

「喋れるか」

 

 うあ、と望月は声を漏らし、うろんげな瞳で龍驤の瞳を見つめた。

 弱りきった、いまにも光を失いそうな瞳だった。

 望月はかすれ声で、息を細かに継ぎながら尋ねた。

 

「助けに、来て、くれた、の……?」

 

 龍驤は首を横に振った。

 

「うんにゃ。この鎮守府におったもんは誰やろが皆殺しや。キミがなんぼ被害者やあ言うてわめいても変わらん」

 

 龍驤は少し考えて、言葉を継いだ。

 

「せやから、言いたいことあんなら今のうち言っとき。おもろかったら、(はなし)代に六文銭くらいくれたってもええわ」

 

 望月は、なにか言いかけ、怯えたように身を震わせて言葉を喉につっかえさせた。

 望月がそうした理由が龍驤には分かった。ものを言えば殴られる。それも執拗に同じ箇所を。なにか言えと言われ、言っても殴られる。理不尽なことに。

 龍驤が黙して動かない様子を認めてから、望月はしゃがれた声で途切れ途切れに言った。

 

「お月様をさ、見たかったんだよね。満月を。あたしの、名前をさ」

 

 龍驤は時刻と暦を思い出し、首を横に振った。

 

「今ぁ昼や。長くは待てへん」

「そっか……生まれたの、まだ昨日だったんだけどな……」

 

 龍驤はいたたまれなくなり、望月の視界を遮るためにペンライトを正面から照射した。

 

「おもろない。噺代はナシや」

「うん……」

 

 龍驤は右手のトカレフを望月の瞳へ照準した。

 頭部を撃つのであれば、目、耳、口といった柔らかな部位に限る。こめかみも悪くない。

 望月は、喉に最期の力を込めて、影しか見えないであろう龍驤へ言った。

 

「ありがと」

 

 最後の「う」を龍驤は言わせなかった。「と」の形で開いた口へ素早くトカレフをねじこみ、間髪を入れずに撃った。

 鉄芯の弾丸は脳幹を破壊し、背後のコンクリートへ色々をぶちまけながら飛び出した。

 望月の頭部が跳ね上がって壁にぶつかり、ぐちゃ、と嫌な音を立てた。

 次いで、龍驤は銃口を望月の薄い胸板に当て、肋骨の隙間を縫って撃った。ヒトでいう心臓にあたるポンプが破壊され、また弾頭に刻まれ起動された術式によって、望月は肉体的にも精神的にも死亡した。

 最後の銃弾が薬室に送られ、龍驤は無意識のうちに弾倉を交換した。

 それから、苛立たしげに銃床でごつごつと自らの頭を小突いた。

 胸ポケットから中折れしたバットを一本抜いた。バットは巻紙が柔らかく、ソフトパッケージなので、しばしば曲がる。コリブリで火をつけて紫煙を肺まで入れ、口と鼻から吐いた。

 バットの強烈な香りが、霧のように充満した血の臭いをごまかした。

 

「この、ドアホが」

 

 いつものルールを守るなら、頭と心臓にもう一発ずつ撃たねばならない。

 だが、とてもそんな気にはなれなかった。

 

「自分を殺すモンに、ありがとうなんて言う奴がおるか」

 

 龍驤はいったん望月から離れ、出入口付近に転がっていた出縁型のメイスを片手でひょいと持ちあげて戻った。

 望月を(いまし)めていた鎖に向けて横薙ぎに振るった。

 ばきん、と甲高い音が響いた。メイスの金属板はコンクリートを貫通し、外壁の鉄に達した。

 どさりと落ちた両足の無い望月を小脇に抱え、龍驤は日光が差し込む階段へと向かった。

 望月は軽かった。

 階段をとつとつと上り、一面焼け野原となった鎮守府を歩き回り、やがて落ち着きの良さそうな場所を見つけた。

 南の空が見えるよう、姿勢を整えてやり、半開きになっていた両の目蓋をしっかり開かせた。

 

「今日は満月や。後始末は明日にしたるさかい、あんじょう楽しみや」

 

 龍驤はそれきり、望月に背を向けて何歩か歩き、立ち止まった。

 哨戒中の彗星一二型甲たちに帰還するよう指示を出した。吉良はんは『リョウカイ』とだけ返電して、飛び去った。気遣いがありがたかった。

 咥えたままだったバットを母指と示指でつまみ、煙をたっぷり吸い込んだ。

 ふうう、と細くゆっくり吐いた。

 ゆらゆら立ちのぼった煙が、ある高さまでいくと急に渦巻き、かき消えた。

 足下にバットを落として踏み消した。

 胸元をまさぐったところ、最後の一本だった。

 火を点け、ひとくちだけ吸って火に勢いをつけてやった。

 望月だったものの背に近づき、傍らにバットを置いた。

 

 

 

 【RJ】

 

 

 

 かつては、軍事用の通信には衛星通信というものを用いていたらしい。

 だが、深海棲艦が現れる直前、地球の近傍で小天体が急に爆発四散し、軌道上の人工衛星を次々と破壊した。結果、崩壊した人工衛星の欠片が人工衛星を連鎖的に破壊する、いわゆるケスラーシンドロームが引き起こされ、人類は宇宙への道を閉ざされた。

 GPSも使えないから、携帯電話の基地局を利用した測位による大まかな位置の特定しかできない。これも陸でのみ使える方法であって、ひとたび海に出れば、艦娘は昔の航海士と同じように星を観て現在位置を特定するしかない。

 愛車のエンジンに火を入れ、暖機している間に、龍驤は専用回線を通じて情報部へ連絡を入れた。

 龍驤の予想通り、叢雲の無機質な声が応答した。

 

「艦政本部第九部」

 

 彼女は常にあの執務室にいる。

 

「ウチや。後始末のことなんやけど、明日の未明まで延ばせるか?」

 

 ひと呼吸の間があった。

 

「なぜかしら。掃除は早いに越したことはないのだけど」

「別に理由なんてあらへん。できるのかできひんのか訊いとるんや」

「もしかして、誰か逃げたのかしら? あなたはそれを追っている?」

「ドアホ。ウチがしくじるわけないやろ。みーんなちゃーんと殺したわ。ワレも見とったやろ。妙な勘繰りせんと、ちいと後始末の段取りを遅らせえ言うとるんや。四の五の言わんと、できるならやれ。できひんならどうにかせえ」

 

 言うだけ言って、龍驤は通話を切った。

 暖気が済んだスーパーグライドにまたがった。小柄な龍驤が大型バイクに乗る様子は、滑稽なようでいて、どういうわけかぴったりと様になっている。

 無理なく収まるよう、ハンドルや座席の位置を改造し続けたのだ。バイクいじりは、龍驤のただひとつの趣味でもある。

 龍驤は腹にエンジンの鼓動を感じながら、大ぶりなゴーグルを着けた。

 帰りも長く走ることになる。

 何度か着信があったが、龍驤は全て無視した。

 太いエンジン音を轟かせて、海沿いの表浜街道をスーパーグライドがひた走った。

 

 


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