『フルダイブ』特有の全身が吸い込まれるような、手を引かれるような感覚を味わいながら。
――――――――目を開いた先は、深い森の中だった。
「…………動く、な」
手を握り、開く。数度繰り返し、思った通りに手が動くことを確認し、次は足を揺らす。
全身が自身の意思で動くことを確認し、それから周囲を見渡す。
森だ、上を見上げても日の光が差さないほど深い森の中。
どうして自身はこのようなところにいるのだろう、考えたのはそんなこと。
『ユグドライフ・オンライン』にはストーリー紹介と言うものが存在しない。
必然、プレイヤーと言う存在がこの世界においてどのような立ち位置にあるのか、それも分からない。
前置きも説明も無く、突然森のど真ん中。
さて、どうしようか、と一瞬悩み。
ぴこん、と。
目の前に矢印が明滅した。
「…………クエストガイドか何かか?」
こう言うどこに行けばいいのか分からない、と言う状況だと、ゲーム側がある程度行き先を教えてくれるシステムがあるのだが、恐らくその類だろうと予想する。
一歩、足を踏み出す。
瞬間。
ぴこん、と再び音が鳴り、目の前にホロウィンドウが表示された。
――――アナタは世界を旅する冒険者だ。そして、この森には『ネイバー』たちの楽園『妖精郷』が存在するらしい。アナタは目的のため『ネイバー』に力を貸してもらうべく、森のどこかにあると言われる『妖精郷』を目指している。
「…………なるほど」
初期位置から動くとクエストが表示される仕様らしい。恐らくクエストガイドのほうは時間経過だろうか。取りあえずで動けばクエストが表示され、それを読んでいる間の時間でガイドが表示される、と言う仕組みなのだろう。
報酬の『ユニゾンリング』と言う名前の響きにも惹かれるものがあるが、それはさておき、当座の間はこのガイドに従って行けばクエスト達成できるはずだ。
それから、ふと気づき、自身の体を見る。
着ているのは鎧、だろうか? 重さも感じず動く時にも邪魔にならないので今まで気づかなかった。
それに靴も履き古したような跡がある。こういう細かいディティールに拘っているのはさすがのクオリティと言える。
だが何よりも、驚いたのはその違和感の無さだ。
鎧など当たりまえだが着たことも無ければ、こんな時代も文化も合わないような靴履いたことも無い。
にも関わらず、それを着ていることに、履いていることに一切の違和感を覚えない。
恐らくシステムアシストの類なのだろうが、まるで長年これを着て生活してきたような自然さに驚く。
冒険者、とクエスト文に書かれていたが、恐らく自身の想像するような物で合っているのだろう、この装備から察するに。
上半身は鎧と足は靴と、それから布っぽい生地だがかなり丈夫そうなズボン、そして腰に巻かれたベルトには鞘に納められた剣が差さっている。
剣を抜いてみれば、鋭い刃が鈍色に輝いている。
両手で持ち、軽く振る、剣など使ったことも無いが、けれどまるで体が覚えている、と言わんばかりに自然な動作で振り下ろす。
なるほど、これなら使えそうだ、と内心で呟きながら剣を収め、ガイドに従って歩き出す。
そうして歩いていると、前方でがさり、と言う音と共に繁みが揺れる。
何かいるのかと一瞬警戒し。
同時に、ぴこん、とまた音が鳴る。
『妖精郷』を目指すアナタの前に森に生息するモンスターが現れた。だがアナタは歴戦の冒険者、こんなサルなど物の数でも無い。さあ、剣を取ってモンスターを斬り伏せろ!
がさごそと動けく繁みに注意を払いながらもクエスト文を読み終わり、ホロウィンドウが閉じられた瞬間。
「キキッ!」
繁みから緑の毛皮の猿が飛び出してくる。
猿はこちらを用心深く伺いながらじりじりとにじり寄って来るが、その動きは全体的に緩慢だ。
どうやらこれが戦闘用チュートリアルらしい。
先ほど少しだけ剣を振った感覚を思い出し、行ける、と頷く。
腰に下げた剣を抜くと、にじり寄る猿が警戒を上げ、ピタリと止まる。
「ふっ!」
息を吐くのと同時、猿に向かって真正面から駆け出し、大きく振りかぶる。
「キィ!」
猿が驚き、飛び
剣が猿の体躯を切り裂くが、後退された分手ごたえは軽かった。
「キ、キイ?!」
傷を負ったことに、猿が悲鳴を上げ、素早く身を翻し森の奥へと逃げ出していく。
アナタに恐れをなしたモンスターが森へと逃げ出した。相手は手傷を負っている、そう遠くには行っていないはずだ。追ってトドメを刺せ!
「報酬が『????』ってなんだこれ?」
首を傾げながら、猿が逃げた先を見やれば、ぴこん、と言う音と共にまたクエストガイドの矢印が表示される。
どうやら見失ったり迷うことは無いようだ。まあ恐らくこれはチュートリアルだろうし、さすがにここで躓くような仕様にはなっていないだろうと思う。
剣を見やる、血とかついてるのかと一瞬思ったが、どうやらそう言うわけでも無いらしい。まあそこは決して必要なリアリティでは無いと思うのでこの仕様は在り難いが。
繁みの奥へと消えて行った猿を剣を片手に追っていく。
それにしても、先ほどの猿以外に生物の居る様子が全く無い。恐らくチュートリアル専用マップだからなのだろうが、こうも静かな森と言うのはやたらと不気味だ。鬱蒼と茂った木々が日の光を遮っているのも余計にそれを増長している。
そうして薄暗い森の中を歩いているが、けれど不思議と歩き辛さは無い。靴が良いのか、それともシステムアシストのお蔭か、それは分からないがまあ便利なので良しとする。
余談だが、視覚型VRと違って感覚全てを接続するフルダイブ型のVRはゲーム内で『疲れ』を感じる。
現実の体が疲労しているわけではないのだが、脳が『疲労している』と錯覚することにより、ゲーム内での行動に支障を来す場合もある。
例えば前作の『レジェンダリーアドベンチャーオンライン』ならば『スタミナポーション』と呼ばれる回復薬を呑むことで『疲労』を回復する効果があった。つまり脳に『疲労していない』ともう一度思わせることでゲーム内での疲労を回復するのだ。
同じ会社が作っている以上、多分この子の『ユグドライフ・オンライン』にも同じような仕様はあるのだろうな、と思う。
だから森のような足場の悪い場所を歩いていて苦にならないと言うのは正直助かる。
そうして広い森の中をクエストガイドの矢印に従って歩いていると、やがて開けた場所に出る。
「キキィ!」
「キキ!」
「キィー!」
森の中に出来た僅かな空白。日の光が差すその場所で、先ほどの猿がこちらを見て威嚇する。
そしてその猿に追随するかのように、さらに二体の猿がその後ろから現れこちらを警戒する。
一気に増えた敵、だが恐らくこの猿は始めたばかりの新人でも倒せる最弱モンスターなのだろう。
剣を握る。アシストに引かれるがままに走り出し、横薙ぎに剣を奮う。
先手必勝、とばかりに放たれた一撃が先頭でこちらを威嚇していた、猿を薙ぐ。
先ほど付けられた傷とはまた別に、真横一文字の斬撃に猿の胴が流れ。
ぼん、と破裂するような音と共に、黒い粒子となって全身が弾けた。
なるほど、モンスターが死亡するとこう言う演出効果(エフェクト)が出るのか、と思いつつさらに剣を構え。
「キィ!」
同時に残った二匹の片方が腕を振り上げ、その爪を振り下ろす。
「くっ」
咄嗟に剣で一撃を受け止め、弾き飛ばす。
弾かれた猿が素早く後退し、こちらと距離を取る。
もう一匹の猿もこちらを見つめたまま動かない。
どうやら敵の攻撃頻度、と言うのはそれほど高く無いらしい。
まあチュートリアルのモンスターなら当たりまえか、と思いつつ。
「っらぁ!」
走りながら片手で剣を構え、手前にいたほうの猿に薙ぐ。
「キキ?!」
咄嗟に腕でガードし、その腕を切り裂かれた猿が悲鳴を上げ。
「よっと!」
走る勢いのまま、片足を振り上げ、猿の側頭部を蹴り上げる。
とは言っても素人の半端な技など大して通用しない…………本来ならば。
システムアシストによって適格に相手の急所を抉った一撃に、猿が悲鳴を上げる間も無く一瞬で黒い粒子となって虚空へ消える。
「これで、二匹目!」
こうなればもう後は作業だ。
「キイ!!」
自棄になったかのようにこちらへ腕を振り上げる猿に、剣を構え。
「ふっ」
一閃。カウンターで放った薙ぎが猿の胴を真っ二つに切り裂き、一瞬で黒い粒子と化す。
最後の一匹を仕留め、静寂の戻った森で、ようやく剣を鞘に戻す。
「やっぱこれ、前作と同じで最初は最強モードっぽいな」
実を言うと自分は前作『レジェンダリーアドベンチャーオンライン』をプレイしている。
その時のチュートリアルも、最初から高いステータスとシステムアシストで『遊び方』と言うのを分かりやすくプレイヤーに理解させていた。
前作のレベル上限と言うのは100だったが、チュートリアル時プレイヤーのレベルは100であり、出てくる雑魚など無双ゲー張りに蹴散らせるような状況だったが、チュートリアル終了時にプレイヤーキャラクターはレベル1になる仕様だったので、恐らくそのやり方を今回も踏襲しているのだと予想される。
「システムアシストのお蔭で剣も使いやすいな」
『フルダイブ』型のVRMMOは実際に体を動かすような感覚で遊ぶので、同じようなジャンルのゲームをやると別のゲームと同じ立ち回りでも意外と通用することが多い。
特に同じ会社のゲームなのだし、システムも似通ったような部分も多いだろうから、前作で培ったプレイヤースキルは今作でも通用しそうなことが分かったのは収穫だった。
「で…………それはそれとして…………なんで何も起きないんだ?」
恐らく先ほど出たクエスト『逃げたモンスターを追え!』の条件は達成していると思うのだが。
前作と同じならば、条件を達成した時点で自動でクリア扱いにされるはずなのだが。
「…………ん?」
周囲に何か変化が無いかと思い、見渡せば。
そこにいつの間にかガイドの矢印が点在していた。
示す方向は…………。
「木の上?」
先ほどまで猿のいた傍に生えた一本の木。その上に向けて矢印が示されており。
「…………何かあるのか?」
木の下まで歩き、上を見上げる。
――――そこに少女がいた。
* * *
体躯は小さく、ほんの三十センチくらいだろうか。
少女を見て最初に目に付くのはその燃えるように緋色の髪だろう。
黒いリボンに括られたポニーテールは腰まで伸び。
真っ白なサマードレスは髪色と対象的であり、その髪の緋を余計に際立たせていた。
少女が自身を見て、目を丸くする。
「…………フォレストモンキーは?」
尋ねる少女に僅かに驚く。
その表情に、そして声に、確かに込められた感情を感じる。
前作もそうだったが、基本的にこの会社は声優を使わない。
『SR』によって『仮にこの環境でこんな設定の存在が育ったらこんな声帯になる』と言う『結果』が創造されるため、声優など無くともキャラクター一人一人にそのキャラに最も自然な声があるからだ。
とは言っても『この状況でこのキャラならこう言う』と言う『結果』が反映されているだけに過ぎないためNPCとプレイヤーでは喋っていて確かに違いを感じていたのだが。
目の前の少女はまるで人が操作しているかのように自然に語り、自然な表情を作っていた。
そのことに驚き一瞬答えを忘れたが、少女の怪訝そうな表情にはっとなり、倒した、とだけ答える。
「アンタが倒したの? ふーん、見かけによらずやるのね」
そんな僅かに混じる毒すらも、目の前の少女が生きているかのような錯覚を起こさせるアクセントにしかならない。
声にならない驚きで固まっている自身を他所に、少女が自身をじろじろと見やり。
「…………まあ、アンタで良いわ」
少女がぽつりと呟き。
ふっと、木の枝から飛び降りる。
「えっ」
ぽかん、と一瞬思考が止まり。
「私はホタル。『ネイバー』のホタルよ…………アンタは?」
目の前でふわり、と少女が止まり。宙に浮かぶ。
「なぐ…………ナグモ」
一瞬驚き過ぎて本名を呟きかけたが、ゲーム内であることを思い出し、キャラ名を口に出す。
そして呟いた名に、少女…………ホタルが一つ頷き。
「そう、よろしく、ナグモ」
そう告げた。
幼女! …………よう、じょ?