「どうする、村長さん?」
ガルムを倒したその場でしばし休み、十五分ほどしたところでペラムが目を覚ます。
空を見たかぎりまだ時刻は昼前と言ったところだろうか。
さすがに死にかけた手前、このまま、というわけにもいかないだろう、村長に退くか進むかを尋ねる。
「…………行こう」
「いいのか?」
「ああ。ここで退いたら何も分からないままだしな…………あの怪物が何なのか、まだ他にいるのか、それに森から出てくることはあるのか。村長としてここで逃げられない」
告げる村長の言葉に、了解、と頷き、先ほど手に入れたばかりの剣を片手に歩きだす。
視線をやれば、その後ろを村長とペラムが付いてくるが、ペラムが何度も後ろを振り返っているのが見えた。
またあの怪物が出てこないか注意を払っているのか、それとももう帰りたいと思っているのか。
ただ村長が進むなら自身も進まねばならない。その場合、ペラム一人を森から返すなどということはできない。浅い部分ならともかく、こんな奥深くで子供を一人にすればあっという間にモンスターに襲われてしまう。必然、ペラムも一緒にさらに奥に進むしかない。
不安を隠せないペラムの手を村長がぎゅっと握る。父親の手に、少しだけ不安が和らいだのか、ペラムが振り返るのを止める。
それを見届けつつ、周囲を警戒しながらさらに奥へと進む。
――――これ、どこまで続くのかしらね。
先の怪物の件もあって、いつでも魔法が使えるように常に
確かにもう半日以上歩いているが、正直、村長の先導が無ければ確実に迷っていたレベルで森は広い。
現代人が歩いているのではない、このファンタジー世界に順応した村長たち親子とレベルも上がってスペックの上昇したアバターの自身が歩いて半日だ。
道中で戦闘があったことも加味しても、かなり広大な森であることが分かる。
「村長」
「…………ん、何だ、冒険者さん」
声をかけると、一瞬だけ警戒した様子の村長だったが、どうやらそういう話では無いと理解したらしい、警戒を解いてこちらへ視線を向けてくる村長に、ふと沸いた疑問を尋ねる。
「この森って名前とかあるのか?」
「名前?」
「ああ、かなり広いみたいだが、これだけ広いならもう地名くらいつけられててもおかしくないと思ったんだが、そうでも無いのか?」
自身の問いに、村長が僅かに考えこむ様子で、けれど首を振る。
「いや、知らないな。この森の名前なんて聞いたことない」
「そうか…………」
ゲームであることを考えれば、フィールド名やダンジョン名などは良くあるはずなのだが、変なところで現実的で偶に名前の無いフィールドやダンジョンも前作ではあった。
あったが、それは大抵名前を付ける意味も無いくらい何も無い、という程度の低さの問題であり。
まさかボスがいるような森に名前が無いなんてこと、あり得るのか? という疑問。
それとも。
隠されている?
一部の人間だけが知っている、とか?
「…………やべえな、裏ダン感出てきたぞこれ」
RPGでは偶にあることだが、通常プレイで行けるダンジョンとは別に、何か特殊な条件を満たした場合のみ行くことのできるダンジョンを総称して裏ダンジョンなんて呼んだりもする。
裏ダンジョンは基本的に通常プレイで行く必要の無い、攻略できなくても問題無いダンジョンのため、行けるようになったレベル帯よりも一段か二段レベルが高い場合が多い。
もしこの森の奥がそういう裏ダンジョン扱い、だとするなら、今の行動は自分から地雷踏みに行くような迂闊な行動だ。
「止めるように提案するか?」
いや、無理だろう、と予想する。
村長も簡単に進むと言ったわけではないだろう。
それ相応の覚悟を持って言った様子だったし、やばそうだから、なんて理由で帰るとも思えない。
寧ろ余計に進むと言うのではないだろうか。
「…………やっぱ、こっちで気をつけるしかないか」
NPCは死ねば蘇らない。
それは何とも嫌な感覚だ。
特にユグドラではNPCがそうとは思えないほどに人間臭いから。
それは…………何とも、嫌だ。
だったら…………守るしかない、それだけの話なのだが。
* * *
森の中というのはどこまで進んでも余り変わり映えしない。
同じ地で同じ風を受けて同じ陽光に照らされ同じ時間を過ごしたならば、どれもこれも同じような木々が生えてきている。
ただペラムたちから見るとそれは同じところなんて一切無いと思うほどに違いが多々あるらしい。
こういうところで自分は素人だ。ペラムが違うと言うならば恐らくそうなんだろうと納得することにしている。
そのペラムが何かおかしい、と先ほどから首を捻っている。
「何か間違えているような気がして…………でも、それが何か分からないんです」
そう告げるペラムだが、こちらとしても何が何か分からない以上、何とも言い難い。
首を捻りながらも考えるペラムだったが、けれど未だに答えは出ないらしく、うんうんと唸りながら歩いていた。
そうして、いつまでもいつまでも同じ景色ばかり(にしか見えない)森に、いい加減飽き飽きしていた、そんな時。
突然、森が開けた。
「っ、これは」
「な、なんだ」
「…………へえ」
そこにあったのは、古びた墓だった。
恐らく中身は地中に埋められているのだろう場所の上には、石のタイルが置かれ、その上に墓標なのか石で出来た十字架が立てられている。だがどれだけの時間が経っているのだろうか。タイルも十字架も風化しひび割れている個所もいくつか見受けられる。
何より不自然なのは、墓の周囲にだけ、一切の草木が存在しないことだ。
木々どころか、雑草の一本すら存在しない、まるで森の中を切り取ったかのような不自然な光景。
明らかに
だからこそ、先ほどから迂闊に足を踏み入れられない。
「…………どうする?」
「…………調べてみるしか、無いだろ」
村長に問いを投げれば、そんな言葉が返って来る。
一瞬だけ、躊躇したが、すぐに覚悟を決め。
「ここにいてくれ」
「分かった」
村長とペラムを置いて、その空間に足を踏み入れる。
――――瞬間。
気づく。
透明で、無味で、無臭で、五感のいずれを持ってしても感じ取ることはできず。
けれど、確かに感じられる…………
何かおぞましいものがこの場所に渦巻いている。
それを理解した直後、背筋が凍るような感覚が走る。
ざわり、と肌が総毛立ち、ちりちりと肌を焦がすような感覚。
「ほた、る…………」
震える、唇が、手が、足が、体が。
何が怖いのか、恐ろしいのか、理解できないけれど。
それでもただひたすらに恐ろしい。
――――ナグモ! ガルムを握って、強く!
従ったのは単純に、何も考えられないほどに思考が止まっていたからだ。
だから言われるがまま、手の中の長剣を、ぎゅっと強く握りしめ。
途端に寒気が止まる。
正常が思考が戻り、ようやく先ほどまでの自身の現状を理解する。
「ホタル、何だこれ?!」
理解できない事柄に対して思わず声を荒げる。
そんな自身の言葉に、ホタルが忌々し気に答えた。
――――瘴気よ。
短く、端的に、一言で、答えた。
瘴気とは、そんなことを聞こうと口を開き。
「オオオオオオオオオォォォォォォォォォォォン」
直後に森に響いた声に遮られた。
* * *
ソレは見ていた。
山の上の自身の縄張りから。
じっと、眼下の森を睥睨していた。
そこにあるものを探して、自身の
やはり探しているものは森の中央にあるのだろう。
だが森の中央はあの忌々しい番犬の領域だ。
あの番犬がいる限り、決してソレとソレの眷属たちは森の中央へと踏み入れられない。
何日も、何日も、ただソレは見ていた。
毎日、毎日、飽きもせず、ただ山の上から森を睥睨し、機会を待った。
そして、二週間ほど経った頃だ。
空模様は暗く、今にも雨は降りだしそうだった。
日が遮られることは、ソレにとっては都合が良かったため、その日は少しだけ気分が良かった。
そうしてその日もまた眼下の森を見つめ続け。
その時がやって来る。
あの番犬が殺されたのだ。
ようやく、ようやく機会が巡って来たのだ。
ソレは狂喜しながら眷属たちに命令を出す。
森の中央へと向かえ、と。
* * *
響いた遠吠えに、振り返ると墓の周囲を数えるのも馬鹿らしいほどの数の狼が囲っていた。
「な、なんだこいつら?!」
「と、父さん」
慌てて村長とペラムが自身の傍に来る、つまり、墓の周囲へ近づき。
途端に、体が震え出す。顔が青ざめ、血の気が引いた様子で、膝を突く。
「不味い、不味い、不味い」
狼たちは今にもこちらへと飛びかからんと唸っている。
村長たちは瘴気、とやらで動けなくなっている。
一人でもこんな数勝てないのに、まして村長たちを守りながらなど。
どうする?
答え何て出ない問いに思考がから回る。
どうする、どうする、そんな言葉だけが頭の中を駆け巡り。
…………うるさいのう。
声が、聞こえた。
直後、それまでこちらを見て唸りを上げていた狼たちが酷く怯えた様子で後ずさる。
…………人の寝床で騒ぎおって。
気のせいだろう、徐々にだが瘴気が強まって行くような感覚。
…………やつめの眷属か。
そう呟いた瞬間、聞こえる声のトーンが一段階下がった気がする。
同時に、瘴気の圧、とでも言うべき何かが増していく。
咄嗟、村長とペラムを墓の周囲から連れ出す。
墓の周囲から森へと入った瞬間、一気に圧が減って行くが、けれど狼たちが襲ってくる様子は無い。
いや、それもそうだろう。
最早この状況で狼たちに自身たちなど視界に入ってすらいないのだろう。
ただ、ただ、後ろから発せられる圧倒的威圧が、完全に場の空気を支配していた。
……………………邪魔だな、妾の眠りを妨げた罪は重い、ぞ?
瞬間。
死、死、死、死、死、死、死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死
「「「「「ォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」」」
同じものを感じた狼たちが一斉に遠吠えする、と同時に次々とぱたり、ぱたりと倒れていく。まさしくそれは断末魔にも似た声となって、森の外にまで響いていく。
そうして十秒もしない内に、百近くいたはずの狼たちが全て黒い粒子となって消えていく。
「…………たす、かった?」
否、まだだ、と視線を墓のほうへと移し。
黒くて、白くて、黒い。
少女が黒いドレスをはためかせながら、墓の上に腰をかけこちらを見ていた。
夜のように暗く黒く背丈と同じくらい長い髪が風に吹かれてたなびく。
白磁のようにというよりかは、まるで
「主」
そうしてぼうっと少女を見ていると、少女が血の気が引いて白に近い唇を開く。
じっと見つめるその瞳は黒曜石のように黒く、深い闇の色だ。
吸い込まれそうなほどに暗いその瞳に見つめられながら、次の言葉を待つ。
「その剣は、どうした?」
少女の視線が自身から、その手に持つ長剣へと向けられる。
「でかい狼に襲われて、倒したら出てきた」
少しだけ、少女を警戒しながら事実を端的に答える。
少しの間の沈黙、後に。
「そうか」
それだけを少女が零し。
ひょい、と墓石から飛び降りて。
「……………………ネイバー?」
自身の内側の少女も同じように宙に漂っていたことを思い出し、ぽつりと呟くが。
――――違う!!!
ほとんど絶叫染みた声が自身の内側に響く。
――――この人は!! この方は!!!
ホタルが何かを叫ぼうとして。
「良い」
止まる。少女がたった一言、呟いただけで、息が止まるような錯覚を覚えた。
「自らの名くらい、妾に言わせよ」
ふわり、ふわり、と宙を歩き、自身の目の前へと少女が立つ。
随分と小柄で、身長170くらいでアバター体を設定した自身の胸ほどにしかないその小さな体躯で。
けれど、目の前に立たれると、まるで自身よりも遥かに巨大な者がそこに居るような錯覚を覚える。
そんな自身の内心の畏れを知ってか知らずか、呵々、と少女が嗤い。
「妾はヘル、死者の国が女王。死神ヘルじゃ」
少女、ヘルがそう名乗った。
幼女! 幼女! のじゃロり!