中立者達の日常 作:パンプキン
Dr.スタイリッシュの急襲、ジャッカルの乱入によって帝都地帯のアジトを放棄したナイトレイド。
新メンバーのスサノオ、チェルシーを加えた一行は帝都から南東約800km離れた場所に存在する、秘境マーグ高地に仮アジトを設置。個々がそれぞれやるべき事をこなし、新しいアジトの立地が見つかるまで練度の向上を図っている。
それから1ヶ月が、経過。
「…」
マインは仮アジトにある天然温泉に入浴し、身体をリフレッシュさせつつも、ふと己の姉に関して思考を回していた。
(…あの時の姉さん…怖かった)
マインはジャッカルに拾われて10年近く経つが、Dr.スタイリッシュを倒した時に見せた、あれ程の怒気と力を見た事は無い。初めて見た一面とも言えるが、マインはその姿に恐怖を感じていた。
(…ッ)
それを自覚した瞬間、マインは自らを罰した。
(やめよやめ、こんな事考えるんじゃなかった)
「ふぅ…」
考えを打ち切って目を閉じ、全身の力を抜いて湯船に身体を委ねる。丁度いい湯加減で身体が温められ、静かな環境が時間の感覚を鈍らせる。
(…………………)
暫しの間その状態が続き、そろそろ身体も程良く温まってきた頃。新たに一つ、温泉へと近付く足音をマインの耳が拾う。
「相変わらず、マインってお風呂入ってる時は随分とリラックスしてるよねー」
「少なくとも私は、お風呂以上に身体が癒せるのは睡眠以外無いわよ。アンタはそう思わない?」
「私は他にもあると思うけどねー。マインを弄り倒したりとか」
「うっさい」
マインに声を掛けたチェルシーは、湯加減を確かめつつ湯船へと入り、マインの隣に着く。
「…何よ」
「べっつにー」
ニヤニヤと笑みを浮かべる
というのも、チェルシーは隙あらばマインを弄っているので、ある意味厄介な存在として認識しているのだ。そしてそんな奴が、すぐ横でニヤニヤと笑っている。どう考えても良い事は起こる訳が無い。
「…」
「〜♪」
「…ああもう面倒くさいわね。何か話でもあるの?」
「あー、崩れちゃった…良い表情だったのになー」
「ブン殴るわよ」
「キャー暴力はんたーい(棒)」
「っ…!」
ピクリとマインのこめかみが動く。
「っとと、本当に殴るのはやめてよね」
「そうさせようとしてるのは一体何処の誰かしらねぇ?」
「私ね」
「…」
「分かった分かった。話すからその振り上げた拳を下ろして欲しいなー」
「…ふざけた話だったら覚悟しときなさいよ」
呆れつつも話を聞く体勢を取る。同時に、チェルシーもその笑みに隠していた本題を口にした。
「それじゃ、真面目な話をするとねー」
「『其方』に私も移りたいんだけど、どうかな?」
ゾクリと、マインの全身に寒気が走った。
「…はぁ?其方って何の事よ」
「無理にトボける必要は無いよー?元オールベルクの実力とコネを舐めて貰っちゃあ困るなぁ」
そう言ったチェルシーの表情は相変わらず笑みを浮かべている。しかし、
「…………………」
「…………………」
沈黙。
「…ッチ、いつから気付いていたのよ」
「それは秘密ー。で、返答はどうかな?」
「私一人で決める事じゃないわね」
「ウッソだー。私が思ってる程度ならこの程度の事、すぐに判断してると思うけど?マインってとことんお金にがめついし、何より帝国から賞金が掛かってない私が味方になるって言ってるんだから、一番有難いと思ってるのは、実は貴女じゃないかな?」
「…」
「沈黙は肯定とも言うよー?」
「…アンタってとことん、人をイラつかせるのが得意よね」
「人を弄るのは私の楽しみだからねー。こうでもしなきゃやってられないし」
「…疑問なんだけど、何故私の事を彼奴らに伝えなかったの?立場上、私は立派なスパイよ?」
「マインの後ろには十中八九ジャッカルがいる。此処でマインを殺した所で、ジャッカルは止まるはずもない。沈みかけの泥舟に居続けるより、不沈の甲鉄艦に移ろうと思うのは当然だと思うなー」
「仲間を見限って、自分だけ助かろうって魂胆ね…」
「アッハハハ!あんな奴ら、最初から仲間だなんて思っちゃいないって」
そう笑うチェルシーの目は、明らかな侮蔑が込められている。それを見たマインは、少しの興味が湧く。
「彼奴ら、ジャッカルから命からがら逃げた私を向こうの勝手で組み込んで来て、冗談じゃないわよ…私はそんなつもりは全く無いってのに」
「…?オールベルクは中立寄りの革命軍側の立ち位置だった筈。なら組み込まれるのは仕方ないんじゃない?」
「オールベルクの皆がジャッカルに殺されて、アジトが火の海に包まれて、そしてジャッカルに狙われて無かったら何の文句も出なかったでしょうね。けど、
「…死にたくないのよ、私は」
「…」
極めて小さい声量で呟かれた言葉。
しかしジャッカルによって身体能力を限界まで引き上げられたマインの聴力には、十分過ぎた。
そして此処に至って、漸くマインはチェルシーの心理を理解する。
彼女は最早、心を折られた
オールベルクを壊滅させたあの日、チェルシーは既に二人の脅威にはなり得ない状態へと成り果てていた。
ならば此処でどうしようとも、最早問題は無い。さて、二人の利益足り得る選択肢は何か。
(…てなると…実質的に一つね。動き易さも考えると)
「その様子と、其方の提案だから心配はあまり無いけど…裏切りは無しよ?」
「…!」
「但し、それを本当に受けるかどうかは私が決める事じゃない。そして、仲間を切って私達の下に来るなら…まぁ、相応の覚悟をしときなさいよ。それじゃ、私は上がるから」
マインはそう言って風呂から上がり、残るのはチェルシーただ1人。
1人きりとなったその時、抑えていた全身の震えが止まらなくなり、堪らず両腕で己の身体を抱きしめる。その表情は恐怖に染まり、先程までのチェシャ猫の様な雰囲気は全く残っていなかった。
「…分かってる…分かってるわよ…!」
チェルシーの脳裏に浮かぶのは、火に包まれたオールベルクのアジト。そしてジャッカルともう1人に手も足も出ないまま、無残に殺されてゆく仲間達。
その光景は、元々は只の町娘だったチェルシーの心に、トラウマとして深く刻み込まれていた。
「…生きてやる、絶対に、生き残ってやる…!私は…私は死にたくない…!どんな事をしてでも、私だけは…!」
そして彼女が抱いた渇望は、それまでの全てを裏切ってでも尚上回り、彼女の精神を崩壊させるまでに至りかけていた。