Re:SAO   作:でぃあ

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第三層突入~お風呂まで

ここでキリトとアスナの心境を深堀することに意味があるかどうかはいまいちわからない……
でも早めにくっつけたいからね、仕方ないね……


第三層
第十四話


 第三層のメインテーマは<<森>>だ。

 

 しかもただの森ではない。ゲームに出てくる精霊の森のような、巨木が並びその枝葉の隙間から金色の光の筋が降り注ぐ幻想的な森。ゲームらしいと言えばゲームらしいが、実際に間近にそれを見ると、言葉を失うほどの感動を覚える。

 

「わあ……!」

 

 キリトの後ろにいたアスナが駆け出した。

 

「凄い……! この光景を見られただけでも、ここに来た価値があったわね……!」

 

 目の前に広がる大森林を背景に、栗色の長髪を(なび)かせながらはしゃいでいる美少女。日本人離れした美貌を持つ少女が作り出した風景は、まるで妖精が踊ってるかのような幻想的な風景を作り出す。

 

「ああ、全くだ」

 

 キリトはアスナの言葉に同意を示す。違う意味で言ったのだろうが、どちらにしても同意見なので問題ない。

 この大森林も、はしゃぐ少女も、美しい光景であることには違いないのだから。

 

「アスナ」

 

 ずっとこの光景を見ていたいと思う。だが、そうはいくまい。

 キリトはアスナを呼ぶ。その声に反応して、アスナもキリトの傍に戻ってきた。

 

 彼女の表情から笑顔は消え、少し硬くなっているように思う。

 その表情を見て少し心が痛む。だが、言わなければならない。これ以上彼女を、自分に付き合わせるわけにはいかないのだから。

 

「アスナ、あの道を進むと分岐がある。右に進めばすぐに第三層主街区、左に進めば森が続いて、その先に村がある」

 

 キリトの言葉の意図に気付いたのか、アスナは目を見開いてから俯いた。右手で左袖を掴み、その掴んだ手には力が入っている。

 その姿を見て話をやめたい欲求に駆られるが、それを抑え付けて続ける。

 

「第二層ではすごく世話になった。感謝しかない。でも……これ以上、俺に関わっていると、君の立場が悪くなる。変な噂も立っているし、それに……<<ビーター>>として動かなければならないこともある。だから」

 

 キリトは一度言葉を止めた。

 次の言葉は決定的な言葉だ。言えばそれで終わる。

 必要なことだとキリトは心の中で言い聞かせる。そして、口にした。

 

「パーティーを、ここで解散したい」

 

 目の前の少女がびくりと体を揺らした。

 アスナは俯いたままで、その表情を窺うことはできない。もしかしたら、悲しんでいるのかもしれない。しかし、キリトはこうするしかなかった。

 

 第二層のボス戦で、キリトは確信したのだ。

 このアスナと言う少女は、アインクラッドの希望になると。

 

 その剣術で敵を切り裂き、その頭脳はプレイヤーを導く。リンドやキバオウも中々の人物だろうと思う。だが、アスナは彼らにはない特別な才能を持っている。

 

 カリスマだ。それも、天性のものを。

 

 彼女は人を引きつけ、率いる才能がある。

 状況判断力や理解力によってそつなく指揮をこなし、その戦闘力は先陣を切るに十分なものだ。

 そして、彼女は美しい。彼女が前に立てば、誰もがその後ろに続くだろう。大人数での戦闘が基本となるボス戦において、それは何よりも重要なことだ。

 

 彼女の才能は大人数の前に立ってその輝きを増す。だから、自分のような嫌われ者のソロプレイヤーの横に居てはならないのだ。

 

 彼女と過ごした十日間は楽しかった。背中を任せることができる人と共に戦うことで、迷宮区に潜っていようと安心感を得られた。

 

 しかし、それでは駄目だ。

 ゲームクリアという目標のために、キリトはこの少女と別れねばならない。それが今であるべきなのかはわからない。だが、この少女と長く居続けてしまえば、キリトはきっとアスナに甘えてしまうだろう。

 

 心は痛む。本音は自分にだってわかっている。しかし、キリトは沈黙を続けた。

 

「……わたし、邪魔だった?」

 

 アスナは俯いているため、表情はわからない。しかし、声は震えている。

 

「逆だよ、アスナ。俺が、君の邪魔になる」

 

 その悲しげな声に、キリトは即座に、感情を極力込めずに答えた。

 アスナが顔を上げる。その表情は先程の声を同じように悲しげで、キリトは顔を背けた。

 

「……どうしてあなたが、わたしの邪魔になるの?」

 

「……君の才能は、集団に入ってこそ輝くものだと思う。個人で動けば戦闘力は上げることができる。でも、集団戦に肝心な連携や指揮能力といったものは鍛えることができない。俺と組んでいたら、君のその才能を潰してしまう。……それは、全プレイヤーへの背信だ。だから、今のうちに信頼できる人に、<<ビーター>>の俺みたいな人間じゃない、信用のある人に、ついて行って欲しいんだ」

 

 背けた顔を戻し、キリトは理由を伝えた。

 

 コンビでは限界がある。

 連携や戦闘指揮の経験は、どうしても人数が多い集団に所属しなければ積むことができない。ボス攻略の基本は集団戦。ソロで攻略に参加することはできても、その役割はせいぜいが取り巻きの対処で、決して攻略の中央に配置されることはないのだ。

 

 攻略隊に参加する人間は、クリアに対する思いが強い。ならば、きっとアスナもわかってくれるはずだ。

 

「……つまり、わたしはあなたの邪魔にはなっていないのね?」

 

 アスナがじっとこちらを見ている。その表情は先程とは違い悲しさはない。

 キリトはアスナの言葉に頷く。邪魔と思ったことなど一度もない。むしろ、感謝しかないのだ。第一層攻略後、キリトを見捨てずについてきてくれたのは目の前の少女だけだったのだから。

 

「そう……。じゃあ答えるわ、イヤよ。わたしがあなたの邪魔になっているのなら、当然そうするわ。でも、そうじゃないならイヤ。パーティー解除されても勝手について行くわ」

 

 アスナの答えに、キリトは戸惑った。

 どう考えても解散する流れだった。しかし、キリトの思いとは裏腹に、アスナはそれを一蹴した。

 

「あなた第一層の時のこと忘れてるでしょう? 混乱した場を収めて、ボス撃破まで指揮を執ったのは誰? 第二層でわざわざわたしに指揮を預けて、経験を積ませてくれたのは誰? 全部あなたじゃない!」

 

 アスナが(はや)し立てる。その言葉の剣幕に、キリトはただただ黙るしかなかった。

 

「背信だとか、<<ビーター>>だとか、そんなの関係ないわ! そもそも!」

 

 キリトはアスナに襟をつかまれ、ぐっと引き寄せられた。

 キリトの目の前、アスナの表情は極めて真剣で、彼女の榛色(はしばみいろ)の瞳には怒りが込められている。

 

「わたしが今一番信頼してるのはあなたなのよ! わたしはわたしの意思で、あなたと一緒にいるの!」

 

 キリトは目を見開いた。

 頭が回らない。一番信頼している、その言葉は身を裂く思いでパーティーの解散を告げたキリトの心を温めた。しかし、何故彼女はここまでキリトを信頼してくれているのか。それを理解することはできなかった。

 

「わからないって顔してるわね。でも、それでいいわ。今はそんなことは重要じゃない」

 

 アスナが一瞬だけ目を伏せ、襟を掴む手の力が緩められた。

 彼女の視線が再び、キリトにまっすぐ向けられた。しかし、先ほどとは違いその瞳から怒りの色は消えていた。

 

「建前とかはなしに、あなた自身はわたしとパーティーを組んでいたいのかどうか、それを聞かせてほしい」

 

 アスナの顔は依然として近く、本来であれば恥ずかしさから顔を背けていたに違いない。しかし、彼女の真剣なその瞳から視線を外すことはできなかった。

 

「俺は……」

 

 嘘はつけない。

 今嘘をつけば、彼女から得ていた信頼とやらはポリゴン片となってバラバラになるのは間違いない。しかし、パーティー解散を告げたのはキリトからだ。簡単に撤回してしまえば、そんなに軽い気持ちで言ったのかと思われるだろう。

 

 彼女の信頼が嬉しい。だが、彼女の迷惑になりたくない。

 

 キリトは目を伏せた。アスナの瞳から逃げるように目を逸らした。

 しかし、それは許されなかった。襟を掴んでいた手がキリトの頬に当てられ、無理矢理正面を向かされた。

 

「わたしは、本音を言ったわ。あなたも、言って」

 

 それが決定打だ。キリトの隠そうとした言葉がこぼれる。

 

「俺も、もう少し、一緒にいたいです……」

 

 途切れ途切れで、声は小さいが、キリトは本音を口にした。

 

「そう……」

 

 キリトの言葉にそう呟いた彼女は、キリトの頬から手を放した。

 そして、キリトから少しだけ離れると後ろを向き、しゃがみこんだ。

 

「あ、あの、アスナさん……?」

 

「……ちょっと黙ってて」

 

 アスナは手で顔を隠しているようだ。

 キリトはアスナの突然の行動と急展開に狼狽えた。泣いているのかと思えば、そういうわけでもなさそうだ。そもそも今の流れで泣くわけがない。なら、これはどういうことだろう。

 

 わざわざ後ろを向いて顔を隠したということは、キリトに見られたくないということだ。このままではさっぱり訳がわからないが、黙っててと言われた以上、理由を聞くこともできない。

 

 ならば理由は先程の会話にあるのだろうと、キリトは思い返す。

 キリトの言葉を聞いたアスナの表情は悲しげだった。しかし、泣くほどのものではなかったはずだ。その後表情が険しくなり、怒られた。

 

 信頼している、自分の意思で一緒にいる。

 

 その言葉を思い返し、キリトは再び胸が熱くなる。

 そして、本音を言えと言われて、一緒に居たいと言った。

 

 そしてキリトは理解した。

 

 なるほどと。

 一緒にいると言われて、一緒にいたいと返したと。

 

 その場にしゃがみこみ、赤くなった顔を手で隠す。

 目の前の少女がどうしてこのような状態になったか、キリトは身をもって理解した。

 

 

 

 第三層主街区<<ズムフト>>にはそのうち行く必要がある。しかし、転移門の有効化(アクティベート)は後ろからくるであろう攻略隊の面々に任せることにした。

 

 この第三層にはソードアート・オンライン初の大規模ストーリークエストが用意されている。キリトはそれを先行して攻略すべく、アスナと共に道の分岐を左に曲がり<<迷い霧の森(フォレスト・オブ・ウェイバリング・ミスト)>>を進んでいた。

 

 この森に出現するモンスターは動物型、そしてトレント――樹木型のモンスターだ。

 戦闘中に森の奥へ奥へと引きずり込もうとするため、交戦位置には常に注意が必要なものの、第二層で十分なレベリングをすることができたキリトとアスナには格下のモンスターとなっており、道中出現したモンスターはことごとくポリゴン片と化した。

 

 そして、当初の目的であったストーリークエストの起点。<<(フォレスト)エルフ>>と<<(ダーク)エルフ>>の戦いの場を発見、クエストの説明を行いながらその様子を木陰から窺っていた。

 

「それで、キリト君はテストで<<(ダーク)エルフ>>を選んだってことね」

 

 <<(ダーク)エルフ>>側のNPCである美しく豊満な装甲を持つ美女の剣士を見て、即座にテストで選んだ側がアスナにばれたキリトは、横から険呑な視線を感じつつ戦いを窺っていた。

 

「まあ選択肢はないわよね。命がかかっているんだから、君がテストで選んだ側を受けるべきでしょう」

 

 ダークエルフの側に加勢すると決定したキリトとアスナは、キリトのカウントに合わせて戦いが行われている広場に突入、フォレストエルフの男性剣士に剣を向けた。

 

 交戦するNPCは現在のキリト達のレベルでも格上であり、プレイヤーは防戦に集中し体力がイエローまで減った時点で加勢した側のNPCの自爆攻撃により相討ち。その遺言とアイテムを本拠地に届けるというのがテストでのクエストの内容だった。

 

 しかし、何故かボス戦に挑むような表情でレイピアを構えフォレストエルフの剣士と対峙する相棒(パートナー)

 

 本来ならば三分程度でするはずのその戦いは、二十分後にアスナのレイピアがフォレストエルフを貫き、ポリゴン片に変えるまで続くことになった。

 キリトとアスナの体力はギリギリであるがグリーンを維持しており、その横には「この後どうすれば」と言いたげなダークエルフのお姉さんが立ち尽くしていたのであった。

 

 

 <<キズメル>>と名乗ったダークエルフの剣士。

 キリトはアスナは森を南に抜けた所にあるダークエルフの野営地まで彼女に案内され、そこでクエストの進行を行った。キリトのレベルは15、アスナは13と、この階層ではかなり高いことは間違いない。少なくともキリトはモンスター狩りよりもクエスト進行による報酬の方が経験値を稼げるだろう。

 

 黒エルフの司令官の天幕まで案内された二人は経験値とコル、そしてキリトは筋力が1上がる指輪を、アスナは敏捷値が1上がる指輪を手に入れ、続くクエストの受注を行う。

 

 時刻は午後五時。

 空を覆う次層の底は夕焼けに染まっている。このエルフの野営地は、クエストをある程度進行させるまで食事宿代無料、しかもお風呂付という素敵な場所だ。キズメルが主街区まで戻るなら<<(まじな)い>>で戻せるぞと言ってくれたが、お風呂と言う単語に惹かれたのかキリトが止める間もなくここに留まるという返事をしたため、本日のパーティーの寝床は一つ屋根の下ということになった。

 

「ねぇ君、知ってて止めなかったの……?」

 

「お風呂からの反応が早すぎて、止めることができませんでした」

 

「……仕方ないじゃない。お風呂入りたかったんだもの……」

 

 どう考えても自己責任だと判断したのだろう、キリトへの追及は一言で終わった。

 キズメルに案内された天幕に入り、アスナの指定した<<国境線>>を厳守することを誓い、贅沢に敷かれたふかふかの毛皮に腰を下ろす。装備を解除し平服に着替えてから、キリトは一息吐いた。

 

――さすがに、ちょっと疲れた。

 

 第二層のボス戦は激しい戦いだった。あの戦いが終わってからまだ数時間しか経っていない。ボス戦は普段の狩りの比ではない程に消耗する。それに続きあの森エルフも、格上相手の戦いだ。

 張りつめていた気が緩んだからだろうか、すぐに眠気に襲われる。

 

「キリト君、キリト君」

 

 しかし、国境線の向こうからかけられた声に意識が戻る。

 キリトの横で同様に腰かけていたアスナは、キリトと同様に装備を解除し毛布に腰かけている。普段はロングブーツに隠されている白い足に視線を奪われそうになるが、キリトはその感情を無理矢理ねじ伏せた。

 

「やっぱり、外で寝てもらうべきかしら」

 

 しかし、目の前の(さと)い少女にはごまかしは無駄だったようで、冷たい視線と共に放たれた一言にキリトは平身低頭するしかなかった。

 

「とにかく、寝る前にご飯とお風呂だけでも済ませちゃいましょう?」

 

「ああ、それにやりたいこともあるんだ。ここの鍛冶屋はスキルが高くてさ、それこそ最大まで強化してもいいし武器の更新をしてもいいぐらいには」

 

「武器の更新……か」

 

 アスナは<<ウィンドフルーレ>>をオブジェクト化して剣を抜き、その剣身を撫でるように触った。

 

「キリト君。この子は、この階層までしか通用しないのよね?」

 

「そうだな。最大強化まで引っ張っても、中盤が限界だろう。さっきの森エルフとの戦いで、それは実感できたと思う」

 

 キリトの言葉にアスナが頷く。

 通常のモンスターを倒すにはまだ問題ない。だが、フィールドボス等の大物を相手にする場合、<<ウィンドフルーレ>>は軽すぎた。一撃の威力が小さすぎて、クリティカルヒットをさせても火力が足りない。完全に剣が足を引っ張っている状況だ。

 

 そして、それはキリトの<<アニールブレード>>にも同様のことが言えた。クエスト報酬としては破格の性能を持つこの剣だが、所詮第一層の装備だ。盾を持たないキリトの戦闘スタイル的に、武器だけは常に良いものに更新しなければならない。

 

 

「更新するか、ここで」

 

 キリトも<<アニールブレード>>をオブジェクト化し、顏の前に掲げて黒く輝く剣身を見つめる。

 強化を行えば、第四層まで使うことができる。しかし、使うことができるだけだ。

 

「うん。キリト君が教えてくれた、武器をインゴット化して次の武器の素材にする……武器の魂が受け継がれるかはわからないけど」

 

「そう思うのは自由だしな。それに、RPGでは武器は使い捨てるものだけど……この世界で戦ってきて、とてもじゃないけど使い捨てる気分にはならなくなったよ」

 

「うん。自分を守ってくれる、大事な、大切なものよね」

 

 アスナの<<ウィンドフルーレ>>に向ける視線は、武器に向けるものとは思えないほど優しいものだ。穏やかな表情で剣を見つめるその姿は、キリトを見とれさせるに十分な威力を持っていた。

 

「急に黙ってどうしたの、キリト君?」

 

 キリトにジッと見つめられていることに気付いたのかアスナが疑問を投げかけてくるが、見とれてました等と言えるはずもなく首を振ってなんでもないとアピールするしかなかった。

 

 キリトの心に「相変わらず変な人ね」という言葉の槍が刺さる三秒前のことである。

 

 

 

 ダークエルフの野営地に設置されたお風呂。

 大きな天幕の中に設置された湯壺には並々とお湯が溜まっており、二人で足を伸ばして入っても問題ないほどの大きさだった。

 

 しかし、残念なことに数は一つである。

 

 本来なら問題ない。

 だが、アスナが今共に行動している相棒(パートナー)のことを考えると、様々な問題が出てきてしまうのだ。

 

「ねぇ、キリト君」

 

「はい」

 

「信頼して、いいのよね?」

 

「はい、もちろんです」

 

 隣から聞こえてくる機械的な返答に感情を感じられることはできない。しかし、今まで彼がそういったことをしたことは――一度だけあった気がしなくもないが――ないので、お先にどうぞという言葉に甘え、アスナは天幕の中に入った。

 

 天幕の外、布一枚を隔てた先に彼がいるという事実はアスナの心に波を立てたものの、目の前の誘惑には勝てず衣類を解除し、湯壺に身を沈める。

 全身がお湯の温かさで痺れ、今日一日の身体の疲れが取れていく感覚を覚える。

 

――身体の疲れか……この世界に、そんなものあるわけないのに。

 

 そう、実際の身体は寝たきりのはずだろうから、疲れ等感じているわけがない。だが、アスナは今確かに疲れが取れるという感覚を感じている。

 

 現実ではないことはわかっている。しかし、第一層攻略の前夜初めてお風呂に入った時も、クリームパンやケーキを食べたときも、アスナは確かに幸せを感じていた。

 

 この世界に囚われてから、絶対に経験することがなかったであろうことを毎日のように経験している。命がけの日々、それでも何故か楽しいと思えてしまう。

 

 気兼ねなく話せる人がいる。共に食事をしてくれる人がいる。

 

 これがどれだけ幸せなことなのか。経験して初めて理解することができた。現実に戻りたいのは間違いない。でも、幸せを知ってしまったわたしは、現実のあの生活に戻ることができるのだろうか。

 

 アスナは天幕の入り口に目を向けた。

 今日の昼の会話を思い出すと、顔が赤くなる。だが、仕方のないことだ。一緒に居たいなんて言うとは思わなかったし、言われるとも思わなかった。

 

 利害関係の一致から共に行動している、と言う方がお互いにとって楽なのだ。少なくとも建前上はそのつもりでいようと思ったし、彼だってそうであっただろう。しかし、今日の会話で本音はそうではないことがお互いにばれてしまった。

 

 アスナにとって彼と共に戦い、過ごすことは楽しいことであったし、好ましいことでもあった。だが彼にとってはどうなのだろうとは常に考えていた。だからこそ、今日のボス戦が終わったとき自らが邪魔でないかを聞くつもりだったのだ。

 

 しかし、彼がアスナのことを邪魔とは思っていないとは確認できた。それに、彼の口から一緒に居たいとも言ってくれた。

 

 嬉しい、と思う。

 

「ねえ、キリト君」

 

「は、はい! なんでしょうか!」

 

 だから、アスナは聞いてみたいと思った。

 

「もう少し一緒に居たいの、もう少しって……いつまで?」

 

 彼はいつまで自分と一緒にいてくれるのだろう。

 

「……君が、俺を必要としなくなるまで、かな」

 

「じゃあ……ずっと必要だって言ったら、ずっと一緒にいてくれるの?」

 

 沈黙が流れる。

 彼の答えは聞こえてこない。

 

「ごめんね、変なこと聞いちゃった。聞かなかったことにして」

 

 つまらない質問をしてしまった。

 ずっと一緒にいるなんて、そんなこと言えるわけがない。そもそも明日の朝日を拝めるかもわからない世界なのだから。

 

 答えが返ってこないことで感じた寂しさを、アスナはぐっと飲み込んだ。




わっふるわっふるな展開は(今は)ない

次回どこまでいくかさっぱりわかりません

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