超本気で幻想郷を支配したい二人のおはなし。 作:納豆チーズV
ここ最近紅魔館の空き室の一つが改装され、教室と呼ばれるようになった。
その名の通り慧音が授業を教える場所、フランやこいしが授業を受けている部屋のことで、黒板やら机やら勉学に必要最低限の設備が備えられている。
今日は慧音の授業があるわけではない。けれどその教室には二人の人影、フランとこいしが当たり前のように居座っている。
「それでー、幻想郷の地形がこうなってるからー」
いつもの授業の際と違うのは二人ともではなくフランのみが席につき、こいしが黒板の前でなにやら熱心に語っているところだ。
雰囲気を出すためなのか、こいしはいつもの帽子ではなく、慧音が普段かぶっているものに似た三角錐とも六面体ともつかない特徴的な帽子をかぶっている。ついでに丸メガネもだ。ご丁寧に指し棒まで用意したらしく、何度もばんばんと黒板を叩いて楽しそうにしていた。
そんな先生の真似事をするこいしの指し棒が現在指し示している先にあるのは、そのこいしが書いた幻想郷の全域、要は地図……のつもりなのだろう。本人は。
ぐにゃぐにゃとまるでラクガキのように、いや事実ラクガキだ。フランからしてみれば、ただただ乱雑に書きなぐったくらいにしか感じられない。得意げに指し棒の先端をかつかつ黒板に当てているこいしにはあれが地図に見えているのだろうか。
「ここをそうして、ああやれば……ほら、こうなっちゃう!」
「あーうん。なるほどなるほどー。ところでこうって?」
「こう!」
ばんっ。黒板が叩かれる。
「どう?」
「こうだってば!」
「いやそんなんじゃわかんないって」
「えー。こんなのもわからないなんて、フランはにぶちんさんだなぁ」
「むしろわかる人いるのこれ……」
自信満々に、「私は毎日いろんなところ歩き回ったりしてるから幻想郷のことはなんでも知ってるよ!」とこいしが主張するものだから、試しに書かせてみたらこれである。この能天気無意識少女にちょっとでも絵心というものを期待したフランがバカだったかもしれない。
もはや話を半ば聞き流してしまっているフランの態度に、こいしはぷくーっと頬を膨らませた。
「もうっ! こいしちゃんは悲しいですよ! 幻想郷を支配する予定の伝説の二人の相方がこんなにやる気がなくて!」
「はいはい精進します精進。っていうか、まだ忘れてないのねそれ。忘れっぽいくせに」
「忘れないよ! 超本気でしたいって思ってるもん! フランはもう忘れちゃったの?」
「忘れられるわけないでしょ? あんな奇妙で印象的すぎるやり取り」
こいしとの付き合いは出会いから今へ至るまでのなにもかもが、どれもこれも印象的かつ刺激的なことばかりだ。ただ自室で毎日代わり映えのしない日々を送ってきたフランにとって、この日常はあまりに鮮烈で鮮明に記憶に刻まれている。
こいしはフランの返答に満足が行ったのか、膨らんでいた頬が徐々に元に戻っていく。表情にもいつもの笑顔が戻り、「その意気だよ!」と指し棒でがんがん黒板を叩いた。
「いいっ? フラン! 私たちは伝説の組織シスターフィッシュアンドチップス! その心意気を忘れず、いずれ私たちは幻想郷を支配するのだーっ!」
「シスターアライアンスね」
なんか今日はやけに元気だなぁ。いいことでもあったのだろうか。
こいしはたまにこうして、はっと思い出したかのように妹同盟の話をぶり返すことがままある。普段は「ふーらーんー、あーそーぼー」と言った感じに気軽に訪ねてきては普通に遊んで、そのまま一日が終わることがほとんどなのだけれど。
幻想郷の支配がどうのこうの言ってはいるが本格的な活動など一度もしたことがないし、妹同盟の活動だと称して出かけたりする際も、森の廃館の探検などおよそ幻想郷支配だなんて大望とは似ても似つかない冒険ごっこばかりをしている。
こいしは超本気がなんだとか戯言を口にしてはいるけれど、無意識の妖怪たる彼女は心のままに動く。彼女の行動原理に、楽しく過ごしたい、遊びたいという感情が存在する限り、本当の意味で幻想郷の支配に乗り出す時などきっと訪れはしないのだろう。
「それで、ああとかこうって結局なんなの?」
「だからこうだってばー!」
ただのラクガキを前に、そんな曖昧な表現ばかり使われて黒板を叩かれてもやはり理解はできない。
こいしの心でも読めれば別なんだけど……。
こいしの言動に慣れるくらいの付き合いにはなったが、あいかわらず彼女の心も言動も予想がつかない。だからこそずっと一緒にいても飽きないとも言えるのだが。
「――幻想郷を支配、のう。なるほどなるほど、ずいぶんと面白そうな計画を立てておるな」
頬杖をついて、ぼーっとこいしの授業もどきを眺めていたフランの後ろから、ふと声がした。
初めの一秒程度は、誰の声? と言った具合に疑問が浮かんだだけだったが、すぐにその異常性に気がついて慌てて振り返る。
この部屋にはフランとこいししかいないはずだ。声や口調だって一度たりとも聞いたことがない。つまりフランの知り合いではない。
「この、なんだ。しすたーあらいあんすと言ったか。それはどちらの発案なんじゃ? お前さんらの意欲性からして大体想像はつくがな」
「……お前、なに?」
フランの後ろで飄々と二人に問いかけてきたのは、メイドの格好をした見たこともない人間だった。
肩にかからない程度の赤みがかった茶色の髪をしていて、頭につけたホワイトブリムの端には葉っぱの髪飾りがつけられている。もっとも特徴的なのは丸い鼻眼鏡をかけていることか。口元には笑みが浮かび、二人に気づかれないようこいしの授業もどきを面白げに眺めていたことが窺える。
この館に人間のメイドは咲夜しかいない。間違いなく彼女は侵入者だ。メイドの姿をしているのは、妖精メイドやホブゴブリンたちを多少なりとも欺くためだろう。
……どうしようかな。とりあえず力づくで捕らえてみる? 手加減は苦手だから間違えて吹き飛ばしちゃうかもしれないけれど、相手が侵入者ならなにも問題はないか。
目を鋭く細め、飛びかかるために両足に力を込めようとしたフランを、その剣呑な様相に感づいた女性が慌てて両手のひらを見せて静止した。
「待て待て待て。待たんか。勝手に盗み見した挙句にいきなり背後まで取ったのは悪かった。しかし儂は別にお前さんと事を構えに来たわけではない。そのつもりならわざわざ話しかけるなんてしはせん」
「どうでもいいのよ、お前の目的なんて。そんなもの捕まえてからじっくり聞き出せばいい。話だってその後に聞いてあげるわ。もっとも、あなたの体が無事に残ってるかは保証しないけどね」
「横暴なやつじゃなぁ。怒っとるのか? せっかくの楽しい一時に水を差されたようで。もしそうならば申しわけない限りじゃが……うーむ。のう、そっちの、確か無意識の妖怪じゃったか。お前さんなら儂を知っとるだろう? 少し弁明してはくれんか」
「わー。フランー、なんか知らない人から知り合いのふりして話しかけられたー」
「ややこしくなるからやめんか! ええい、わかったわかった。正体を明かせばいいんじゃろ、明かせば」
どろんっ、と女性の体を突如現れた煙が包み込む。それが晴れた時には、さきほどまでと少し違った彼女の姿があった。
メイド服はレトロなノースリーブの服と波と船の模様が描かれたスカートへ、靴はずいぶんと厚底な
目をぱちぱちとさせるフランに、女性は肩を竦めてみせる。
「さきほどまでの姿は仮のもの。見ての通り、本来の儂は狸の妖怪じゃよ。魔理沙から紅魔館の主の妹が儂に頼みごとがあると聞いたから来てみたんじゃが、覚えはないか?」
「あ、えっと……覚えてる、覚えてるわ。っていうか、え? 狸の妖怪? 人間にしか見えなかった……」
「ふぉっふぉ、変化は狸の十八番じゃからの。で、どうじゃ? そこの無意識の。今度こそ見覚えがあるんじゃないかい?」
「あー、あなたは! ……誰だっけ?」
「……まぁ、わかっておったが」
額に手を当てて、はぁーっと息をつく。こいしは妖精並みにいろいろと忘れっぽい。一度や二度、少し話したくらいでは彼女の記憶には残ることは難しいだろう。
今にして思えば、こいしと初めて会った時に交わした次の十六夜の夜にまた会おうという約束。忘れっぽいこいしがあれをまともに覚えて、しかもちゃんと会いに来てくれたことがだいぶ不思議に感じられる。
まぁ、なぜかとこいしに問うてみても、どうせ「どうしてだろうねー」とか首を傾げられるだけだろうが。
「とにかくそういうわけじゃ。忍び込んで驚かしたりして悪かったな。外観に反して中が広かったもんじゃから少々興味深くてのう。ちょっとばかり歩き回らせてもらった」
口調は年寄りくさい割に、好奇心は旺盛らしい。忍び込んでの探検が楽しかったのか、少々声が弾んでいる。
「しかし、この館はずいぶん変わっておるのう。廊下で見かけて儂も化けてみた、確かメイドというんじゃったか。あれらはすべて妖精だろう? よくもまぁあのような頭のない連中を統率できるもんじゃな」
「あー。や、別に統率はできてないわよ?」
「なに?」
「頭がなくてあんまり役に立たないから、そのぶん数だけはたくさん揃えてるの。こういうのなんて言うんだっけ? ちりつも? 塵が積もろうとどうせ風に吹かれて消えるだけだっけ。そんな感じなのよ」
「だ、だいぶ違うが……そうか。数だけか。確かにそこかしこにおったな。それはそれで効率はよいのかもしれん……のか?」
疑問形。それもしかたがない。妖精というのは総じてそれほどに気まぐれかつ頭が空っぽで、その日の楽しさだけを追い求めて毎日を謳歌する、その幼き姿かたちとまるで違わぬまさしく幼子の性質なのだ。
多少教育しただけのこいしを大量に館で雇っていると言えばよくわかるかもしれない。どう考えても役に立たない。
事実、この館の運営や雑事のほとんどはメイド長たる咲夜が受け持っている。妖精メイドたちがしているのはそれこそ頭をまったく使わなくていい、広すぎる館の掃除程度のものだ。数だけはいるからそれが一番効率がいい。
幻想郷に来てしばらくしてからはホブゴブリンも雇い始めたので、咲夜の仕事も多少は楽になっている……のかな? あんまりそんな気はしないが、たぶんなっているんじゃないかと思いたいくらいは自由だと感じたい。
「まぁ、妖精が役に立つかどうかはこの館の問題か。これ以上は儂の管轄外じゃな。こうしてお前さんのもとまで足を運んできたことの本題はそこではない」
「……私の頼みごと、聞いてくれるの?」
「さてな。お前さん、魔理沙に詳しいことは話しておらんかったじゃろう。じゃからまぁ、とりあえず話を聞いてみないことには――」
「フランっ!」
がばっ! と。まだ話し途中だった狸の女性を押しのけて、こいしがぎゅぅっとフランの手を両手で握ってきた。
真剣そうな表情でずいっと顔を近づけてくるこいし。突然のことにどぎまぎしてしまうフランと、こいしに押されて足踏みする狸の女性。こいしはそのどちらの反応も意識の外だとでも言うように、息が当たるほど目と鼻の先でうるうると目を潤ませる。
「ごめんねフラン……私、気づけなかったわ。まさかフランに悩みごとがあったなんて……!」
「は、え、は? いや、ちがっ、別に悩みってほどじゃ」
「うん! うん! そうだよね、悲しかったよね、辛かったよね……わかる、わかるわ! なにも言ってくれなくても、今はもうちゃんとわかってるから!」
「だから違うって言っ」
「うんうん、わかってるわ! 大丈夫! わかってる! わかってるから!」
「いや」
「わかってる!」
わかり合うって難しい。
「だから、さぁ! 遠慮せずこの胸に飛び込んでおいで!」
そう主張して、なぜかぐいぐいとフランに押し寄ってくるのをやめてくれない。
狼狽え続けるフランを助けたのは、狸の妖怪の女性だった。フランに詰め寄るこいしの服の襟元をひょいっと片手で摘むと、そのまま少し下がって二人の距離を開けてくれる。
「わー! 離してー! フランが泣いてるのよー! 私が慰めてあげないとー!」
「おっ、とと。これ、暴れるでないっ。第一よく見よ、欠片も泣いてなんぞおらんわ。お前さん早とちりしすぎなんじゃよ」
「鮠と塵? わけわかんないこと言わないでよ!」
「わけわからんのはお前じゃ……」
狸の女性がどうにかこいしを抑えてくれているうちにフランが改めてきちんと事情を説明すると、こいしは沈静化した。
なんとか状況が落ちつく。狸の女性は一つ大きなため息をはくと、頭が痛むように額に手を当てた。
「なんだかな……こやつのことは前々から知っておったが、こんなに騒がしいやつじゃったか。いや、まぁ、元から変なやつではあったが……」
「なんか今日機嫌いいみたいで……」
「ふーむ。お前さんといるのがよっぽど楽しいのか……まぁ落ちついたのだからなんでもよい。とにかくこれで本題に入れるわい」
こいしを落ちつかせる際にフランが変化の術を習おうとしていることは狸の女性にも伝わっていた。
「お前さんの頼みごと、この儂から儂らが十八番たる変化を学びたいという要望……条件つきではあるが、聞いてやらんこともない」
「ほんとっ!? でも、条件って……?」
顔を曇らせるフランに、不安がることはないと言いたげに狸の女性が首を横に振る。
「そう大したことではないさ。しょせん些事に過ぎん。ただこれからは儂を、師匠と呼び慕うこと。ただそれだけが儂に術を習う条件じゃよ」
「師匠?」
「そう。名乗り遅れたが、儂の名は二ッ岩マミゾウ。幻想郷のみならず外の世界の狸の大半を束ねる、化け狸の長の名じゃよ。そんな大妖怪が直々に教えるというのに、弟子から呼び捨てをされては格好がつかなかろう?」
そう言って、狸の女性ことマミゾウは、自信満々な様相でにやりと口の端を吊り上げた。
・世界はこんなにも簡単だというおはなし。
→機動戦士ガンダムOO劇場版より。だから、示さなければならない。世界はこんなにも、簡単だということを。