超本気で幻想郷を支配したい二人のおはなし。 作:納豆チーズV
「ねぇお姉さま。人間の里、行ってみてもいい?」
「は? あー……まぁ、いいんじゃない? 変に問題起こさなきゃね。里の人間食べたりとか。正当防衛なら別にいいけど」
なんでもない三日月の夜。レミリアの部屋を訪れたフランは開口一番にそんなことを言い出した。
難しそうな顔で本を読んでいたレミリアは突然の妹の来訪と質問に初めは困惑したようだったが、いつものことだと思い直したらしい。一度はフランに向けた視線をすぐに手元の本のページに戻すと、ぱらぱらとめくり始める。
「ふぅん、そっか。ならいいけど」
なんていつも通りに素っ気なさを装って答えてはみるものの、実を言えば少し意外な反応だと感じている。フランが予想していた答えと少々違った。
そんなフランの内心のわずかな機微に察しよく感づいたわけではなかろうが、突然押しかけてきた割に質問するだけしておとなしく生返事をするフランを不思議に思ったのだろうか。レミリアは一度は本に下げた視線を再び、今度は訝しげな感情を伴ってフランへ送ってくる。
「どうしたの? 急にこんなこと聞いてくるなんて。別に言ってこなくたってよかったのに。むしろあなたのことだから私になんてなんにも話さないで勝手に行くもんだと思ってたけど」
「別に。ほんとは私だってそのつもりだったけど、なんていうか……その……」
「なに? どうかした?」
「……私のこと、心配じゃないの?」
「え? あー……そういうこと」
突如にやにやとし始めるレミリア。フランがなにを考えているか大体察しがついたという顔だ。
「そっかそっか、フランは突然人間の里に行こうとするのは私が渋るかもって思ってたのねぇ。この私がずっとあなたが外に出るのをダメだって言い続けてきたから」
「……まぁ」
「えぇ、えぇ! あなたが思ってくれたようにお姉さまも本当は心配なのよフランっ。できることなら今すぐにこの手で抱きしめて大丈夫? って頭を撫でてあげたいくらい! でも私はあなたのためを思って心を痛めながらもそれを許すと決めてしまったの! そう、あなたと同じで、私の近くから大切な姉妹が離れていってしまうことが本当は寂しいと思っ、へぐっ!?」
「真面目にやって」
大げさに演技するレミリアに無性に腹が立ってきて、気づいた時には近くにあった姉のベッドに転がっていた枕をぶん投げていた。
顔面に受けてイスから転がり落ちる無様な姉を冷たい視線で見下ろしつつ、このまま踏んづけてやろうかなとも思いかけてしまったけれど、さすがにやめておいた。一応は姉だ。
代わりに彼女が衝撃で手放した本を拾ってみる。タイトルは『反抗期の対処』。
なぜだか突然破り捨てたい衝動に駆られた。もしかしたらそういう意図的に感情を抱かせる類の妖魔本かもしれない。吸血鬼に効くだなんてなんと凄まじい。
「あっ! ちょ、ちょちょ、待って待って待って! 待ってって! お願いだから破らないで! それパチェに借りたやつだから! 破れたら私がパチェに怒られるからっ!」
「別にいいじゃん。私は怒られないし」
「それはそうだけど! あの子怒るとまるでいないみたいにひたすら私を無視してくるし、たまに睨んでくると異様に怖いし……わ、わかったからっ! もうふざけないから! だからそれ以上曲げようとしないで! お願いフランっ……!」
「……はぁ。約束よ。悪魔の約束。今結んだからね」
泣きついてきたレミリアに、ぽいっ、と乱雑に投げ返した。レミリアは慌てて両手でそれを受け止めると、平気? 怪我はない? という風に本をあちこちから確認し始める。
半ば本気で破くつもりではあったが破いてはいない。あと一秒遅かったら結果は違ったかもしれないけれど、まだ破れてはいない。
レミリアも本に問題がないことはわかったようで、ほっと息をついていた。
「それで、なにか言うことあるんじゃないの」
「あ、うん……フランはあれでしょう? 以前私が外に出ることをダメって言ってた時期のことをちょっと気にしてる。今は私はなにも言わなくなったけど、まだ幻想郷のことをよく知らない今の段階で人間の里なんて一番問題を起こしやすそうなところに行くのは渋るかもって。そう思ってたのよね」
「うん。まー勝手に行ってもよかったんだけど、それであとから文句言われてもめんどうだもん。一応許可取っておこうかと思って」
もしも渋られたら渋られたで嫌がらせとして彼女のそばでぐちぐちと嫌味をたれるつもりでいた。それがあっさり当たり前のように認められたから意外だったのだ。
レミリアは小さく肩をすくめると、本を机の上に置いてフランのそばに寄ってきた。
「本当のことを言うとね、今もまだちょっと不安なの。でも、私はあなたの姉だからね。本当は心配でも、もうフランのことを縛るのはやめにするって決めたのよ。あなたはあなたの好きなように生きていい。ただ、無事にこの家に帰ってきてくれればそれで、ね」
「……反抗期の時はあんまり縛ったり構いすぎない方がいいって書いてあったの?」
「そうそう! あんまり押したりしないで一旦引いた方が効果的なんだって! おかげで最近はフランも心なしか私に対しての毒がちょっと抜けてる気がするし、これまでちょっと嫌そうだった挨拶もすれ違った時とかよく……あ」
「ふぅん、そっかそっかー。書いてあったんだー」
固まるレミリアに対し、にこにこと。フランはなにも言わない。軽蔑も嫌味も口にせず、ただただ満面の笑みを浮かべている。
しばらくしてそんなフランの反応に、怒ってないか、とレミリアがほっと息をついた。そんな瞬間を見計って、素早く彼女の両肩をがしっと掴む。
「ふんっ!」
「ふぎゃ!?」
慧音直伝のヘッドバッドが炸裂する。鈍い音とともに意識が一瞬真っ白に染め上がり、視界がちかちかと明滅した。
頭突きの衝撃のままにレミリアがどさっと倒れ伏すのがわかる。しかし痛かったのは食らわされたレミリアだけではない。同じ痛みを味わったフランもまた、彼女と同様にその場に蹲ってぶつけた頭を抱えている。
うめき声を上げながら、レミリアは同じように痛がっているフランを見るとふるふると首を横に振った。
「な、なんであなたも痛がってるのよ、フラン……」
「う……別に、失礼なお姉さまにこの鋭い痛みを味わわせるくらいならこのくらい……それに、私はいっつもけーね先生に食らってて慣れてるし」
「え、なにそれ聞いてないわよ怖い。雇うやつ間違えたかしら……」
ふらふらと足元がおぼつかないながらも立ち上がる。初めに回復したのは慣れていると口にしたフランの方だ。それから少し後に、レミリアも同様に頭を押さえながら体を起こす。
「と、とにかくそういうわけだから私はなにも言うつもりはないわ。あなたが里に行くのだって許可する。まぁ私たちは有名だから人間にでも変装しないと入れないだろうけど」
「……それなんだよね。それも一応聞いてみようと思ってたんだけど」
立っているのがきついからか、自然と二人してレミリアのベッドに腰かけていた。レミリアは隣り合って座ろうとしていたが、フランがべしっと手の甲で弾くように拒絶したからか、彼女はしょぼんとした様子で人一人分の空きの向こうに腰を下ろしている。
「私これの消し方とか知らないんだけど、どうやって隠せばいいの?」
これ、の部分でフランは自分の翼を指差した。翼膜の代わりに七色の結晶がぶらさがった、歪ながらも美しい翼。
妖怪であれば人間に化けることは必須の技能だろう。単純にその圧倒的な力で襲いかかるのもいいが、人間を装い、騙し、喰らう。そういう手も妖怪の常套手段だと言える。
ただ、フランはずっと地下室に引きこもってきた関係でなにかに化ける必要なんて一度としてなかった。自分以外のなにかに変身する術は習得していない。そしてそれはおそらく……。
「……悪いわねフラン。私もわかんないのよ、それ。人間になんて化ける必要これまでなかったし」
フランはずっと一人だったからその感覚が薄いけれど、レミリアには夜の帝王として君臨する吸血鬼としての自負や尊厳がある。大衆に紛れ込む術を取得しているはずもない。
わかっていたことだと、小さくため息をつく。レミリアはそれを妹の期待を裏切ってしまったと勘違いしたようで、慌てて「待って待って、今方法考えるから!」と難しい顔で額に手を当てた。
「うー、あー……あ。フランの友達だっていう、こいしだっけ? あれに聞いてみるのは?」
「聞いてみたけど知らないみたい。
「あー、まぁ、別に妖怪が入っちゃいけないわけじゃないからね。咲夜いわく妖怪ウサギとかは弱いから普通に入っても問題ないらしいし……私たちが吸血鬼だから問題ってだけで」
「そんなことはわかってるのよ。だからこの翼と、なんだっけ。あと牙? それを隠したいんだけど、その方法がねぇ」
「むむー、そうねぇ……」
いっそ変化をしないで大きなリュックに翼を隠すなどという手も考えられるが、あまり現実的ではない。翼の形状の関係上、相当な横の長さが必要になる。第一それでは窮屈でしかたがない。
普通に妖術で翼と牙を消すのがもっとも簡単な方法だということはフランもレミリアもわかっている。ただ、その変化の方法がわからない。他の館の住民にしてもそれは知らないだろうと思う。
パチュリーや美鈴は姿かたちは人間と変わらないから変化の必要はないし、妖精のメイドたちや雑用のホブゴブリンのような力の弱い妖怪が人に化けられるとも思えない。咲夜に至っては元から人間だ。この館にフランが求めている変化を行使できる妖怪はいない。
そうなると、打てる手は限られてくる。レミリアもそれは理解しているようだ。息をつくと、しかたがないとでも言いたげに首を横に振った。
「こういうことはそういうのの専門の妖怪を頼るに限るわね。あいにく私にそういうツテはないけれど、霊夢か魔理沙ならそういうやつらとも親しいでしょう」
「専門の妖怪?」
「狐とか狸とか。天狗でもいいけど、あの閉鎖的かつ前近代的思考の古くさい年寄りどもがまともに取り合ってくれるとは思えないし、やめた方がいい」
「お姉さま、天狗嫌いなの?」
「天狗っていうか、あいつらの住んでる山の考え方が気に食わないのよ」
天狗の住処は妖怪の山と呼ばれる場所にある。幻想郷で山と話題に出ると、基本的にその山のことを指すらしい。妖怪の山だけと言われるだけあって妖怪ばかりが住んでおり、そのヒエラルキーの頂点に天狗が君臨しているという。
フランはまだ詳しくは知らないが、天狗は独自の社会を形成していて細かく上下関係が管理されているそうだ。まるで外の世界の会社とやらのように。そういう部分が力は強くとも比較的新参な吸血鬼たるレミリアと合わないのだろう。
「天狗の話は今はどうだっていいわね。とにかくそういうわけだから霊夢か魔理沙に話をつけてもらえるよう頼んでみましょうか。フランに妖術を教えてくれないか、ってね」
「いいの?」
「いいのよ。せっかくの妹の頼みだもの。無碍にはできない。ふふふ、半ば無理矢理にでも言うこと聞かせてやるわ」
霊夢も魔理沙と同じ人間で、魔法使いではなく巫女にあたる。館の中でたまにすれ違っていた魔理沙と違って霊夢とはかつて一度遊んでもらった際にしか顔を合わせたことがないけれど、面識自体はある。
霊夢や魔理沙は人間でありながら妖怪の知り合いが非常に多い。言ってしまえばフランやレミリアもその一部だ。神社でたびたび行われる宴会にレミリアはよく顔を出しているが、いわくそのメンバーのほとんどすべてが妖怪だというのだから驚きだ。
レミリアがフランのことを考えてくれていることはじゅうぶん理解している。ただ、フランはしばらくよく考えた後、ううんと首を横に振った。
「ごめんお姉さま。やっぱりお姉さまが二人に頼む必要はないわ」
「え?」
「お姉さまが頼んでくれなくても、私が直接魔理沙にでも頼みに行く。まだあの時のお礼もきちんと言えてないし……」
「あの時? お礼? なんのこと?」
「お、お姉さまには関係ないっ。とにかく! ……そういうわけだから、お姉さまが頼んでくれる必要はないわ。それに私が直接頼まないとなにかと失礼でしょ? 私のためにしてもらうんだもん」
「失礼って、そんなこと気にするような性格じゃないでしょうに。まぁあなたがいいなら別にそれでもいいけど……でも」
「先に言っておくけど、あんまり役に立てなくてごめんなさい、なんて言わないでよね。こんなのは私のわがままなんだから。勝手に落ち込まれても迷惑ってもんだわ」
「ふふ、なに? 励ましてくれてるの? らしくないわねぇ」
「そんなんじゃないわ。ただ、前みたいに猫なで声で擦り寄られたらたまらないからね。あんな無様な姿をまた晒させるのはさすがにしのびないってだけ」
「あ、あれはっ、て、手違い、手違いだったのよっ! なんていうか……そう! ぱ、パチェの魔法にかかってたのよっ、たぶん……こ、心を弱くする魔法かな? そんな感じので、えーっと、だからあのね、本当の私はあんなんじゃなくて、もっと高貴な……」
「なに? いいわけのつもり? 無様ね。見苦しい。
「そこまでっ!?」
結局、彼女ががくんっと落ち込む未来は避けられなかった。
とりあえず聞きたいことはもう聞いた。この部屋にもう用はない。適当に会話を切り上げると、フランは部屋の出口に向かう。
ただ、出る直前に少しだけ振り返った。少しだけ迷った後、去る前に未だしょんぼりしている彼女に声をかけてみることにした。
「まぁ、あれね。猫なで声で擦り寄られるのは心底嫌だけど、たまになら姉妹一緒に寝てみるのも悪くないと思ったわ」
「え、フラン?」
「相談、乗ってくれてありがとねお姉さま。またなにか頼むかもしれないけどその時はまたよろしく。私のたった一人のお姉さまなんだもの、少しくらい頼りにさせてほしいものだわ」
返事も聞かずに扉をしめる。すぐ扉を開けられても困るので急いでその場を立ち去った。角を曲がってようやく速度を緩め、追ってきていないことに息をつく。
「……私のこういう反応も、あの本に書かれてるのかな。もしそうだとしたら……はぁ。別にいっか。考えてもしかたないし。むかつきはするけど」
ああいう恥ずかしいセリフは初めから言い捨てるつもりでないと口にする気になれない。
一度喧嘩して、本音を言い合って、仲直りして。あの日以降、姉妹の距離が少しだけ縮まったと感じているのはフランだけではないだろう。
レミリアのことを好きになったわけじゃない。ただ、レミリアがフランのことをずっと思ってくれていることをフランは知ったから。少しくらいなら素直になってもいいかもしれない。たまにそう思うようになっただけだ。
「早く人間に変装できるようにならないとね。こいしと里で遊ぶためにも」
そのためには魔理沙を通して変化が得意な妖怪に師事する必要がある。
一人だったあの頃と比べて今はめんどうなことが増えた。誰かと関わるということはそれ自体が少なからず煩わしい。
けれどそれ以上に今、一人で天井を見上げてぼーっとしていた毎日と比べて、誰かと笑い合える日々はそれなりに悪くない。なんとなくそう思えていた。