超本気で幻想郷を支配したい二人のおはなし。   作:納豆チーズV

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賢者が仕組んだ構造のおはなし。

「――――ふんっぬっ!」

「ぐぇっ!?」

「ヴぇぅッ!?」

 

 目の前で気合いの入った一声が発せられた直後、悲鳴にも似た二つの苦悶の喘ぎがこだまする。

 あまりの痛みに一瞬他人事のように感じかけてしまったが、あまりの激痛にすぐその場にうずくまって頭を抱えた。隣を見ている余裕はないが、自分と同じようにこの痛みを味わった少女もまたきっと同様に、額を押さえてぴくぴくと座り込んでいることだろう。

 

「い、痛い……死ぬ、死んじゃうわ……こ、これは絶対死ねる……」

「ふへへへ、て、てんごくがみえるー。もも、ももがいっぱい……おいしそー。じゅるり……」

 

 単に痛がっているフランとは違い、こいしなどはもはや危ないクスリでもやっているんじゃないかという具合に錯乱していた。普段から頭のネジが飛んでいるのにそこへさらに衝撃を加えてしまったから逝ってしまったんだろう。

 いつか慧音とフランが初めて顔を合わせた時に慧音が言っていたこと。怪我はすぐに治っても痛いことには変わりない。まさしくその通りの状況を嫌というほど味わっていた。

 

「まったく……だから私はあれだけ言い聞かせただろう。宿題は必ず忘れるな、忘れたら頭突きだ、と」

「わ……忘れたわけじゃないってば。やってないだけ……」

「なお悪い」

「うぅ、うぅー、うぅうー。ぼ、ぼうりょくはんたいー……じどうぎゃくたいぃ」

「軽く齢二桁は越えてる妖怪がなにを言う。ほら、二人とも痛みが引いたら立って席に戻れ。授業を始めるぞ」

 

 二人に全力の頭突きをかました張本人たるワーハクタクの家庭教師、上白沢慧音は、二人連続でごちんごちんと額を打ち鳴らしたのにもかかわらず、まるで痛さなど感じていないとでも言うようにぴんぴんとしている。吸血鬼をも超える石頭だった。

 今の慧音が本当に人間モードなのか疑わしく感じながらも、一〇秒もすればようやく激痛が苦痛程度には収まってきた。

 それでもそれは吸血鬼の再生能力あってこその回復速度である。フランは足元がおぼつかないながらもなんとか立ち上がると、未だぷるぷると痛みに震えているこいしの襟を掴んで、ずるずると引きずりながら席へ戻る。

 

「こいし、平気……?」

「にゃ、にゃんとかー」

 

 まだ授業が始まる前だというのにすでに瀕死。こんな状態で授業中保つだろうか。不安に思いつつ、帳面(ノート)を机の中から取り出してぱらぱらと開く。

 慧音いわく、ただ聞くだけよりも、聞いたことを書き出していけばもっと覚えやすいとのことで、授業中は最低限大事なことはメモを取ることを義務づけられていた。特にこいしはいろいろと忘れっぽいので必須だと言える。

 実際にはこいしはフランと違って授業を受けることは義務ではないけれど、フランと勉強することも遊びの一環だと認識しているようで、こうして慧音が家庭教師として来る日にはこいしも一緒に授業を受けることがすでに恒例となっていた。慧音もそれは認識しているらしく、宿題もフランだけでなくこいしに課すようにしている。

 もっとも、二人ともまともに宿題をやってきたことはない。

 

「さて、今日の授業の内容は幻想郷の成り立ちについてだ」

 

 授業のために用意された黒板にかつかつとチョークを走らせながら、歴史の授業を始める慧音。

 書かれた内容はとりあえず帳面に移すものの、正直理解ができているとは言いがたい。その原因はフランやこいしが悪いのではなく、単に慧音の言っていることが複雑すぎるからだ。初めてでてくる単語になんの説明もなく、ぺらぺらと専門用語をまくしたてられることもある。

 慧音は知識量は非常に豊富で役に立つことを教えてくれはするが、教え方はそこまでうまくない。ここしばらくの慧音の授業でフランが学んだことの一つだった。

 おそらく慧音の授業はとりあえず理解できる部分のみ覚えておいて、あとはメモするだけしておいてわかったふりでもしておくのが一番いい。でなければあまりにつまらなすぎて寝てしまう。そして寝てしまえば、また。

 

「ふんっ!」

「へぶっ!?」

 

 今まさにぐーすかぴーと眠りこけていたせいで本日二度目の頭突きを食らわされたこいしを哀れに思いつつ、フランはフランでヘッドバッドされないよう『理解できてますよ的な顔』をアピールしながら、帳面に黒板の内容を書き込んでいった。

 主には今日のように歴史を勉強しているが、授業で学んでいることは他にもいろいろある。

 前回は算盤の使い方を習ったし、それ以前には人間の里で使われている文字の読み書きや習字、そして幻想郷の地理など、およそ里で暮らすのなら習っておいて損がないことを教えてもらっている。フランは紅魔館に住んでいるので教わってもあまり意味がないこともあるが、逆に言えばそれゆえに知らないことばかりで新鮮だとも捉えられる。特に人間の文字なんかは知っておけばこいしと里を訪れた時に非常に便利だろう。

 幻想郷の地理もまた興味深い。こいしと遊びに行きたい場所の目星をつけるのにちょうどよかった。

 

「――妖怪は人間の恐怖がなければ存在できない。科学が進み、夜の闇が失われ。そうして妖怪を恐れなくなった外の世界から逃れるため、妖怪の賢者たちは自らを人間社会から隔離することで存続を計った。その結果として生まれたのがこの幻想郷というわけだ」

 

 ここまで話半分くらいにしか聞いていなかったが、そろそろフランでも理解できるくらいには専門用語が少なくなってきた。

 そしてきちんと耳を傾けるようにすれば、おのずと気になることもいくらか出てくる。

 

「けーね先生、質問いい?」

「ん? なんだ、フラン」

 

 慧音は質問自体はよく答えてくれる。ただ、それ以上に専門用語が多すぎて質問し切れないことが多々あるため、いちいち問いかけていたら時間が足りなかったりする。

 いつも実際に質問する際は本当に疑問に思ったことを一つか二つ。今回も同様だった。わざわざ質問したくなるほど気になることはそう多くはない。

 

「外の世界で科学が進んだから賢者とかいうやつらは幻想郷なんて小さな世界を作った。わざわざ山奥のど田舎を結界でくくってさ。それはわかったわ。でもそれって、結局はおんなじことになっちゃうんじゃないの?」

「同じ? どういうことだ?」

「今は人間の文明レベルが……あー、なんだっけ? 江戸だか明治だかで保たれてるんだっけ? そういう状態でも、結局はちょっと時間を巻き戻した状態を維持してるだけじゃん。ならいつかは外の世界と同じようになっちゃうのが自然じゃないかしら。外の世界で人間が妖怪の恐怖にさらされながらも科学を発達させたように……そう。いつか必ず、幻想郷の人間が妖怪の正体を暴く時代が訪れる」

「……ふむ。一理あるな」

 

 かつて妖怪はいつだって人間の恐怖の対象だった。人を攫い、喰らい、驚かし、人の心に巣食い続けた。それでも人間たちは次第に妖怪を恐れなくなり、その存在を忘れていった。

 妖怪は長生きだ。その頃のことを幻想郷の妖怪たちは記憶しているだろう。だからきっと外の世界と同じことにならないよう最大限に警戒、監視している。忘れ去られないようさまざまな工夫を施している。

 それでも、結局は忘れ去られる運命だった妖怪たちの手で、そのかつての自分たちの運命をもう一度変えられるかどうかと言われれば、どうなのか。

 

「フラン、なぜ外の世界では科学が発達したのだと思う?」

「なんでって……そんな聞き方じゃ広義的すぎてどう答えたらいいかわからないわよ」

「なに、簡単な話さ。科学が発達できるだけの余裕があったから、発達した。それだけの話だ」

「なにそれ。余裕?」

「幻想郷の文明は停滞している。幻想郷は今より軽く一〇〇年以上前に作られはしたが、生活水準は大して上がってはいない。それはなぜか。毎日の生活に必死で試行錯誤の余裕が取れないからか? 人手が足りないからか? 妖怪が密かに邪魔をしているからか?」

「全部じゃないの?」

「そう、全部だ。だが私が見るに、一番の理由は『狭い』からだと思う」

「狭い? 人間の住んでるっていう里がってこと?」

「そう。幻想郷では人間が住める範囲が限られている。ゆえに安全に暮らせる人数も限られるし、浪費できる資源も限られる。少し例え話をしようか。極端な話になるが、フラン、君はこの部屋の中のみで一〇〇年間暮らし続けたとして、科学と呼べるほどに技術を発展させられるか?」

「できるわけないでしょ。物資もなにもないし。時間だけ無駄にあったって意味なんてないわ」

「そう、時間だけでは意味がない。文明の発達には資源の浪費が必要不可欠なんだ。だがこの幻想郷はそれにしてはあまりにも狭すぎる。人間の里なんてその狭い中のさらに一部……とてもじゃないが文明の発達などという形の見えないものに資源を浪費しては、生きていくことなんてできはしない」

「……かつては星っていう大きな世界に生命を広げていたから、人は人が必要とするよりもはるかに多くの資源を浪費して科学を進歩させられた。けど幻想郷はそうじゃない。科学を発達させられるだけのあらゆる余裕が存在しないから、妖怪が邪魔するしないにかかわらず、人間は自分たちだけの手ではどうやっても次の段階に文明を進めることができない。そういうこと?」

 

 こくり、と慧音が頷く。

 

「というか……そもそもの話、文明の発達云々以前に、本来であれば幻想郷において人間はそれのみでは生きていくことができないんだ」

「は? なに、どういうこと?」

「天災、飢饉、疫病……なにか一つでも起これば人間の里は妖怪が手をくだすくださないにかかわらず勝手に滅びてしまうだろう。毎日の生活で必死だというのに、どうしてそんな異常に対処ができる? 安全に暮らせる場所だって里だけだ。逃げられる場所なんてどこにもない」

「ほんっと、か弱い存在ねぇ。でも人間どもにいなくなられたら私たちも困っちゃうし……あ、そういうことね」

 

 妖怪の力は人が恐れたありとあらゆるものの力の具現だ。天災や飢饉、疫病もまた人が恐れるものである以上、それを象徴する妖怪が存在する。

 

「人間が滅んだら妖怪も困るわ。だから妖怪はなにかあればその都度人間という種を守る。人間がいなくならないよう、その結果として妖怪が消えないよう……大事なのは、人間にとって妖怪という存在を必須のものにするというところかしら」

「そうだ。かつては人間にとって妖怪とは、いなくなろうとどうでもいい、むしろいなくなった方がいい存在だった。だが今は違う。妖怪がいなければ人間はありえない。そして妖怪もまた人間の恐怖なくして存在できない。互いが互いを必要とする共存関係……その果てにどちらか片方のみの排斥もまたありえない」

「妖怪の賢者ってやつはずいぶんと頭がよかったのねぇ。物理的に人間の文明の発達を阻害した上で、加えて自分たちの存在が人間にとって必須になるよう仕向けた。賢者って言われるだけはあるわ。きっと初めからそういう風になるよう幻想郷を構想していたのね」

 

 フランの感心した呟きに、「まぁ」と慧音が肩をすくめる。

 

「とは言えこの真実は、里の人間には基本的に非公開の情報なんだがな。結局は妖怪の都合に過ぎないと言われればそれまでだ。この事実を知れば妖怪の存在そのものを否定している里の過激派も黙っていないだろう。私の寺子屋でも単に妖怪は人間の敵としか教えていない。それが人間と妖怪、どちらにとっても最適な真実だからだ。今回は、単に妖怪のフランとの授業だから隠していないに過ぎない」

「でしょうね」

 

 もう気になることはない。

 それに、とりあえずこれだけ話しておけばあとは適当に聞き流していても怪しまれないだろう。

 

「さて、話を戻す……その前に」

 

 にこにこ。笑顔を浮かべた慧音が横からフランに近寄ってきて、そして通りすぎた。

 

「うーん、もうたべられないよぉ……とみせかけてー、おねえちゃんのもーらいぃ。そしてぱくんっ……うぇへへ、おねえちゃんのもおいし」

「ふんっ!」

「へぶんぬっ!?」

 

 よだれをたらしてニヤケ面で幸せそうな寝言まで漏らしていたこいしの頭に、本日三度目の頭突きが炸裂した。

 三度目の正直とでも言うのだろうか。これまでの二回とは隔絶した威力を誇っていたらしく、こいしは衝撃でイスから転げ落ちた。

 倒れたこいしは時折ぴくぴくと痙攣するばかりで、立ち上がる様子がない。

 

「えっと……こいし、大丈夫?」

 

 さすがにかわいそうになって声をかけてみたけれど反応はなかった。なんだかどことなく頭上にぴよぴよと何羽かのひよこが飛び回っているかのようにも見える。

 どうやら完全に気絶してしまっているようだ。

 

「……はぁ。今日はここまでにしようか。宿題だが、そうだな。フランは今回はなしでいい。こいしは今日学んだぶんを帳面に書いておくことが宿題だと伝えておいてくれ。悪いがフラン、こいしが起きたら帳面を貸してやってくれないか」

「あ、うん。こいしのためだし、それくらいなら」

「ありがとう」

 

 内心、こいしという尊い犠牲のおかげで宿題がなしになってガッツポーズをしているが、顔には出さない。

 しばらくして慧音が立ち去るのを見送った後、宿題がない嬉しさと、三度目の正直ヘッドバッドを受けたこいしへの心配を半々ずつで、こいしに再び向き直った。

 さきほどまでのように幸せそうな夢を見ている顔は鳴りを潜め、痛みに耐えるような苦しげな表情を浮かべている。

 

「……もう食べられないだなんて、ベタな寝言だったわね」

 

 こいしの近くにしゃがみ込み、その顔に手を伸ばす。髪をかき上げると、赤く腫れた大きなたんこぶがなんとも痛々しかった。

 フランは、そっと彼女のおでこに自分の唇を近づけてみる。そうして、ぺろっとたんこぶを少し舐めた。

 走った痛みからか、こいしはぴくっと体を震わせる。

 

「味見、なんてね。これで吸血鬼の再生能力が少しでも移ってくれたらいいんだけどねぇ……」

 

 しょせん気休めにもなるかどうかというところだろう。

 このまま床に寝かせているわけにもいかないので、落ちていたこいしの帽子を彼女のお腹の上に乗せると、こいしの背中と膝の下に手を通して彼女を抱え上げた。起きるまでベッドにでも寝かせておいてあげよう。

 

「それにしても妖怪を気絶させるほどの頭突きって……けーね先生ってほんとに今は人間と変わらないのよね?」

 

 半ば本気で疑問に思いつつ、フランはこいしを抱えたまま部屋を出て行った。

 こいしが起きたら、彼女の宿題を一緒に進めてあげようか。せめて次だけは慧音の恐ろしい頭突きを食らわないように……。


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