色、褪せぬ   作:祖父地図

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 わたしは囲碁のことをよく知らないのです。


名前

 物心がついた頃にはすでに、石を握っていたと記憶している。
 最古の記憶をあされば、確かにわたしは碁石を並べて遊んでいた。樹脂製の石と合板製の折りたたみ盤。それらがわたしの遊具であった。
 わたしの感覚で言うのなら、それらが家にあったから遊んでいたのである。だが実際には違ったようで、それを両親に話せば彼らは腹を抱えて笑った。
 実のところは、わたしも両親から聞いただけで記憶には一切ないが、どうやらわたしは昔から囲碁のまねごとをしていたらしい。
 わたしはテレビっ子であったのだろう。なにを思うでもなくぼうっとテレビを眺めていた。見ていた番組は、決まって教育番組であった。
 ひたすらその放送局だけを眺めていれば、一日の放送予定をすべて見ることになるのは言うまでもない。語学、化学、数学、ニュース、それらが繰り返される。
 その中に、囲碁の対局中継があった。それが特にお気に入りだった。
 テレビっ子、と言っても子供であれば他にも気を取られることはいくらでもある。たとえば壁に落書きをするとか、冷蔵庫にステッカーを貼るとか、障子を破くとか。
 だがわたしは、ひとたび一定の時間にそれが放送されていることを学ぶと必ず囲碁の対局を眺めていた。絵本を読んでいる最中であっても、いたずらがばれてしかられている最中であっても、その時間になると必ずテレビをつけた。
 その辺で適当な石ころを拾ってきてはフローリングの床にたたきつけて、それからまたしかられていた。
 それを見かねたのか、おもしろがったのか。わたしは碁石と碁盤を買い与えられた。音を出して遊ぶようにと、件の樹脂石と合板盤を。
 以降はわたしの記憶にあるように、テレビをつけて対局を眺めながらそれに習って石を並べていた。いつしか、わたしがここに置くべきだと感じたところに次の石が置かれることを楽しんだ。
 それから、やがて。わたしは、なにかが見えるようになっていた。
 なにか、と言ってもそれは得体の知れぬ怪物が見えていたのでもないし、空想が実物のようにかたち取られていたのでもない。感覚的な問題で、多く棋士はそれを感じるのだろうが、わたしはそれが顕著だった。
 並べられた石を見ると、それらがかたちに見えるのである。
 囲碁とは陣取りゲームである。並べられた石は陣地の境界線であると同時に自分の陣地を守る砦であり相手の陣地を奪う武器である。どれだけ高段者が丁寧に相手取ったとしても、素人はそれを把握できない。勝負のさなか、優劣を見極めることができれば実力者に足を踏み入れていると言われるほどに。
 わたしは、いつからかそれらがよく見えるようになっていた。並べられた石たちが、どのように陣地を構築しているか、どのように守っているか、どのように攻めているか。どこに石が置かれた時、それらがどのように変化するか。その境界線が連続して変化する波のように、決して交わらない黒と白の変化する塗り分けのように、わたしは碁盤を見ていた。
 奇妙なもので、優勢の色は強く見え、飛び込みにくい部分は厚く見え、弱い部分は薄く見え、これから勝負を仕掛け合う部分はぼやけて見えた。
 わたしは囲碁を、石のつながりではなく、塗り分けられた勢力図のように見ていた。
 しかしてわたしの遊び方は決定された。すなわち、テレビを見ながら並べた碁盤を見て、この分厚い色に飛び込ませたらどのような色が見えるのだろうかとやってみたり、打たれた石を見て色合いが変わらないときに一路ずつずらしてみたり、わたしは色の変化を見て楽しんだ。
 そのようにしてわたしが囲碁に触れていると、父が本を買ってよこした。それは囲碁についてよく書かれた書籍であった。父が言うには、
「これでも読んで囲碁を勉強してみたらどうだ」
とのことであった。どうやら父はわたしがなにもわからず並べているだけであるが囲碁というものに多大な興味を寄せていると思ったらしい。
 事実わたしは囲碁というものをその頃からよくわかっていたのではない。碁石を並べては色の移り変わりを見ていただけで、わたしが誰かと打つということもなかったし、両親は囲碁が優劣を競うゲームだという認識以外なにももちあわせていなかった。
 確かにわたしは囲碁に触れていたが、それは、将棋の駒をドミノ倒しで遊んでいるのと大して違わなかった。
 わたしはよこされた書籍を読んで、雷に打たれたような衝撃を受けた。
 そこで紹介されていた棋譜を読み、並べてみれば、なるほどわたしであってもそのようにしか打たないだろうというところに打たれていた。
 正確に言えば、もう少し違っても良かったのではないかと感じる部分もあったが、ほとんどわたしの意志通りに、彼の石は運ばれていた。
 それはまるで、水と油の黒と白を静かに注いでかき混ぜ、自然に均されるまでを見ているようであった。陣地を奪い合うことで作られる色の変化は決して混ざり合わぬままカオスをなして、もとの分布量に戻っていく。最初からそうなって終わるのがわかっているかのような色作りであった。
 荒唐無稽な話であるが、わたしは直感した。これは、わたしの囲碁だと。
 最初に用意された水と油の量はどちらにも把握できぬが、しかし混ぜてしまえばいつか分離したそれらを見ることができる。
 もちろん、テレビで見ていたように適当なところから色を持ってきて相手を塗りつぶさんとすることもできるが、しかしわたしはそのような色作りのできる相手を見てみたいと感じた。
 生まれて初めて、誰かと囲碁を打ちたいと感じた瞬間であった。
 さっそくわたしは父に頼み込んだ。勉強しろと書籍を渡すくらいなのだから、誰かとやってみたいと言えばかなえてくれるはずだという打算も充分にあった。
 かくしてわたしの企みは成功を収めた。わたしがそのように言った側から笑みをつくり、一枚のチラシを見せた。どうやら、近所で囲碁大会があるらしい。
 勝ち負けを気にするのなら適当に教えてもらいながら打てるところで誰かをつかまえればよい、そうでないのならわたしぐらいの年頃も参加する大会だから仲良くなってこい、そのように言われ、わたしは大会に参加し、負けたら誰かに教えてもらうと言って、会場に連れて行ってもらった。
 当日、会場は盛況だった。会場の広さや大会の規模を思えばその程度だったのだろうが、当時はやたらと人だかりがあって、お祭り気分が大きくあった。
 大会参加費は父が出し、わたしは参加票を書いた。それを係員に渡せば、彼は穏やかに笑った。
「おや、いい名前だね」
「そうなんですか?」
「うん、けど、少し重い名前かも知れない。囲碁打ちのものすごく強いと言われている人と同じ字だ。読みは違うけどね」
「ああ、知ってます。本で読みました。お父さんは、知らなかったみたいですけど」
「ありゃ、そうなんだ。でも、すごい偶然だね。これからがんばって」
 そんなやりとりをして、わたしは父の元へ行き、しばらく会場の様子を見た。
 大会が始まると、ルールが説明された。同じような子供ばかりだから、説明は簡単に、わかりやすく。始まったら挨拶をしましょう、打ったら時計を押しましょう、終わったら挨拶をしましょう。そんなところだ。
 初戦、わたしは年上の誰かと相まみえた。聞きかじりの知識でもって恥をかくことなく先手と後手を決め、わたしは後手になった。
 お願いします、と互いに言ってから、彼が打つ。瞬間、碁盤に色が生まれ、わたしの見慣れた景色になる。
 わたしは黒と白が均等になるような位置を探して打った。探した、と言っても石を置いて置き直してとやったわけではない。それは手癖が悪いとテレビを通して感じていたし、書籍にも書かれていたからだ。
 実際に打つことなく色の移り変わりを想像するのは骨が折れた。だが、本当に細かく色の変わる部分、つまり一路の違いが致命的な変化になる部分でなければ、それほど問題にならない。
 今思えば、そのときの対局者はわたしを侮ったのだろう。なにせ、碁石は親指から中指の三本で掬うように持ち、滑らせながら指先に送って目的の場所に置く、とやっていたのだから。
 当時のわたしはその持ち方が一番やりやすく、今でもそのように持つことがある。テレビで見る棋士の打ち方を真似たこともあったが、なじまなかった。
 彼には、わたしがドのつく素人に見えたはずだ。事実なんとも言えない素人だったのだが。
 しかし彼の余裕は消えていく。わたしの感覚で言うと、彼は色の作り方、陣地のつくりかたが甘かった。どこもかしこも薄く、曖昧で、わたしは簡単に自分の色を濃くできた。
 大会初戦、事実上わたしの初対局は中押しの勝利であった。
 その後もわたしの色作りが邪魔されることは少なく、相手が色をつくることもなく、結局、わたしは優勝していた。
 勝利の余韻、あるいは美酒。そういったものはなく、ただ何とも言えないつまらなさがあった。わたしがそこに期待していたものは、テレビの中で行われていた色の奪い合いやカオスの構築、そこからなされた調和であったものだから、土台無理な話だったのだ。
 父はわたしの優勝を喜び、受付をしていた大会役員や主催者もしきりにわたしを褒めたが、言葉にあらわしにくいむずがゆさがあるだけだった。
 わたしが本格的に囲碁の道を進み始めたのは、それよりも後のことだ。
 それなりにものの考え方ができあがり、色の付き方としてとらえていた打ち方を理屈で説明できる程度には勉強できた頃だった。
 わたしは陣地の取り方がへたくそであっても自分でない誰かが打つということに意味を見いだし、碁会所へ赴きその人のレベルに合わせていわゆる指導碁もどきをしていた。なぜもどきかと言えば、わたしにできるのは陣地を取り過ぎないことであって、相手に打ちやすく路を譲ることではなかったからだ。
 ある休みの日に、わたしはガラス張りの多目的ホールでゆったりと過ごしていた。そこは月に一度、囲碁の集会がある。囲碁好きが集まってわいわいやるもので、参加費はかからず、わたしにとって好都合な場所だった。自分で言うのもなんだが、わたしは囲碁が強く、彼らにとっても教えてもらえるからとおおむね歓迎されていた。
 打つ相手が一段落してだらだらしていると、みょうちきりんな少年がやってきた。
 わたしの第一印象は、とてもではないが囲碁を打っているという風体ではなく、もっと活発な腕白小僧というようなものだった。
 少年は一目散にわたしのところへやってくると、うまく隠しながらもおっかなびっくり口を開いた。
「なあ、あんたも囲碁打つの?」
 初対面にしてはやたらと砕けた口調だが、実によく似合っていた。
「さっきもやっていたよ。今は休憩中」
「そっか、えっとー、休憩終わったらおれと打たない? なんかほら、同年代で囲碁やってるやつって見当たらなくってさー」
 少年は苦笑いしながら頭を掻いた。
 囲碁を始めたいのだろうかという疑問と、囲碁をやっている人間の言葉ではないなという感想が同時に生まれた。
 しかし、そのどちらでもないようにも感ぜられ、みょうちきりんな少年だという感想はますます正しいものに思えた。
「ああ、いいよ。打つ相手がいなかっただけだし、ほら」
 わたしが空いている碁盤のあるところへ先導すると、少年もどこか安心したようについてきた。
「よかったあ。いやあ、おっちゃんにはちょっと声かけにくくってさ」
「まあ、そうだろうね。特に慣れてないと――囲碁の経験は?」
「それが、まったく。でもちょっとやってみたいなって」
「そっか。それじゃあ、先手をどうぞ」
 黒を渡して、好きにやらせてみる。どこに打てばいいか、どこは打ったらいけないか。それはその都度言えばいいことで、初心者にここがこうだああだと言っても息苦しいだろう。
 わたしはほとんど趣味で打っていたようなものだった。時折大会に出るくらいはしていたが、その都度初心者の体験会につきあわされることがあったためほんの少し嫌気がさしていたのと、しかしなんとなく初心者の扱い方がわかっていたのが、ここでの出会いになっていたのだろうと思う。
「ええと――ああ、ここか」
 なにか、奇妙につぶやきながら石を置いていく。
 初心者にありがちな迷いつつ中央に寄せたり不必要に外したりして打つことなく、多くの碁打ちがそうするように打ち始めたことに疑問を生じて、少年がなにをいちいち気にしているのかなどは気にならなかった。
 なにかで学んでから来たのだろうか。だとすれば、石の持ち方がああなることはない。
 わたしはいつもそうするように、平坦な戦場になるよう気をつけて打った。
 二、三打って、そこで思う。少年はずぶの素人ではない、と。
 いや素人は間違いないのだ。言えた義理ではないが石の持ち方しかり、なにもわかっていない様子で石を置いていく様子しかり。
 だが打つところを探している様子と探し当てた場所はなんとも言えず、まるでわたしが色の付け方を悩んでいた頃のようであった。
 そうだとしたら、きっとおもしろいかたちで終えられるはずだ。わたしは少年にあわせるように、あるいは度外視するように、囲碁の色づけをしていこうと久々に心躍らせた。
 わたしが本腰を入れると、少年は思い出したように顔を上げて言った。
「あ、そうだ。おれ、ヒカルってんだ。よろしく!」
「ああ、よろしく。ぼくは道策(みちふみ)だ」
 わたしの囲碁人生の始まりは、あのヒカル少年からだったはずだ。今なら、そう言える。



 主人公は転生というよりは生まれ変わり、といった感じ。転生だと以前の記憶がーとかどうやって行動すればーとかいうのがつきものなので、そういうのなしに能力だけ同じようなものが、と。つまるところ行動原理は別物なのでーという感じ。
 モデルにしたのは本因坊道策。もともとのプロットでは本因坊秀策。
 最初に漠然とあった考え方は佐為が打っていた秀策の碁を、正しくそのように打っていた秀策(佐為に憑依されていない、いわゆる別次元同位体のような人物)が現代に生まれて棋譜を見てこれは自分が打っていたのではないかと打ち震え囲碁に目覚める。
 その後、ヒカル(佐為)と打ってどちらもが自分と打っているような感覚に襲われるが、最初から秀策として現れ現代を学んだ人物(佐為)と最初から現代の囲碁に触れながら秀策として目覚めた人物とでは進化の仕方が違う、という感じで対比させながら云々。といった感じ。
 道策にした理由は全体の調和というものと、色の具合がどうのという設定の兼ね合い。あと有名人だから。

 囲碁はさっぱりなのでこの先続きません。誰かこんな感じで書いてくれないかな、という期待を込めて。






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