メフィストは声が中毒性高すぎて定期的に戦闘に参加させてます。
「…………少し、やり過ぎたかな」
「そだね」
腕を組み、誰にともなく発した独り言に、お優しいマスターが素っ気ない感想を返してくれた。
今更ではあるが、私は料理をするのが趣味だ。元々は家にあまりおらず、料理も人並み以下、家庭のことには無精な切嗣のお陰で自然に上達したものだったのだが、常時腹ペコの虎や奇妙な隣人に提供しているうちに趣味の域にまで昇華された。
料理のいいところと言えば食費の削減という経済的な面もあるが、一番は精神的なものが大きいと私は思う。自分の作った料理を他人に食べてもらい、美味しいと言われる事こそが料理を提供する者にとっての最高の歓びだ。
だがこの世には過ぎたるは猶及ばざるが如し、という格言がある。
「いやでもこれは素直に凄いよ。
「無駄と言うな……悲しくなる」
「大きさ、色、外見……そっくりすぎて今にも動きそうだね」
カウンターの上に鎮座する飴細工を見て、マスターが関心している。興が乗って、飴細工でフォウを作るにまで至ってしまったのだ。
マスターも褒めてくれた通り我ながら完璧に近い出来だが、今となっては何故こんなものを、という感情の方が大きい。
「お褒めにあずかり光栄だよ」
分かっていたことではあったが、マスターに皮肉を投げつけるも、自分に寂寥感が返ってくるだけだった。
飴細工は日本において食品というよりも専ら芸術のいちカテゴリとして認識されている。手先が器用で物事に執拗までに拘る日本ならではとも言えるだろう。
さて、これをどうしたものか。
「マスター、食うか?」
「いや、私はいいや……アメとは言えフォウ君食べるとか無理。普通のアメ、あるんでしょ?」
「ああ、元々そっちが目的だったからな」
「わーい」
王冠や宝石、デフォルメした動物などを模した色とりどりの飴細工をマスターに渡すと、一本を子供のように口に含む。
「んー! 甘くて美味しい!」
この辺りが世界を担う人物とは思えない童心の持ち主なのだが……そこに救われている者もいるのだろうな。
「……――――」
「ん? 何か言ったかマスター」
「ううん?」
「――ォウ――――」
「……!?」
何処からか声が聞こえる、と耳を澄ましていると、どうやらその声の主は私の作ったフォウを模した飴細工――いや、馬鹿な。
「フォウ……フォウ……」
「ひいっ!? アメが喋った!」
苦しそうな声で飴が啼く。
一般的な常識に当てはめれば飴細工が喋る筈もない。百戦錬磨のマスターが悲鳴をあげるのも無理もない。
だがここはカルデアだ。人の手で歴史を修正、などとふざけた戯言を実現しようとしている輩が集う場所では何が起きても不思議ではない。
UFOを自力で召喚する女もいる。
毎日節電をカルデア内でスローガンに掲げ、午後九時就寝と書かれたプラカードを持って毎晩威嚇してくるフランケンシュタインもいる。
ストレスからくる胃痛に苦しむ私に胃の全摘を(力づくで)勧める看護婦もいる。
飴が喋ったくらいでは日常茶飯事もいいところだ。
「フォウ……」
……よし、自分の不遇っぷりを思い出したら落ち着いてきた。
いきなり無生物が啼き出したので少々動揺したが、冷静になればこちらのものだ。
「お前……話せるのか?」
「フォウ……フォ……」
「まさかこの私の料理が命を吹き込む境地にまで辿り着いていたとは……我ながら恐ろしい」
「エミヤ!? それ本当!?」
「フォウ!?」
「
干将・莫耶を投影し、カウンターの下、座って足を入れるスペースに刃を突き立てる。
と、
「大~~~当たりィィィィィィ! ヒィヤハハハハハハハハぁ!!」
「メフィスト!?」
布類の破ける音がしたかと思うと、メフィストフェレスが何もない空間から呵々大笑と共に飛び出してきた。
悪魔は人を騙すのが本分だ。大方、精巧な擬態を使って最初から潜んでいたのだろう。
「アッハハハハハハぁ! バレてましたぁ? バレバレでしたかぁ!?」
「当たり前だ、飴細工が喋ってたまるものか」
「いやいやこれでも
メフィストフェレス。
クラスはキャスターだが、その本質は限りなくバーサーカーに近い。彼は反英霊の中でも筆頭の悪を根源とするサーヴァントだ。その出自は単純明快、一言で理解できる『悪魔』というもの。 悪い魔の者。これほど説明の不要なわかりやすい存在もそうはいまい。
とは言ってもメフィストは実際の悪魔ではなく、悪魔に限りなく近いホムンクルスなのだが――。
「ああっ、我が愛しのミセスマイマスター、今日も一段とセクっスィーなサイドテール!
「ちょっ、どこ触ってんのよこのスケベピエロ!」
「んん~、
「この触り方はわかってやってるでしょ!」
その悪魔は現れるなり、マスターに背後から覆いかぶさってセクハラをしていた。
とは言っても女傑で知られる我がマスター。そのまま泣き寝入りをする可愛げがある訳もなく。
「このっ……カルデア条例その七! 男性から女性へのセクハラは禁止!」
「ありゃ?」
メフィストの三つ叉に分かれる尻尾を引っ張って地に倒し、上から踏みつけるマスターだった。
頼もしすぎて助ける気も起こらなかったのは、女性としてどうなのだろうか。
「あぁん、痛ぁい! 尻尾を引っ張るのだけはお止めください神様仏様お代官様!
「その括弧の中は何よ! 喜んでるだけじゃない!」
「ところでマスター、先ほどのカルデア条例とやら、女性からのセクハラは許されると読み取れますが?」
「うん、そうだけど? だってそうじゃないとデオンくんやマシュにセクハラできないでしょ」
「なんてエセ素晴らしい自分勝手な規則! 男卑女尊、人権迫害、貞操観念欠如な己の欲望だけを追求した暗君ここに極まれりの悪法!
「次やったら尻尾ちょん切るからね」
「なんたる残虐非道! そんなことをされたら
「……いいから少し落ち着け、二人とも」
メフィストは無駄に饒舌だ。喋らせておくと一人であろうともいつまでも喋り続ける。
と、見るとマスターが手を後ろで縛って拘束していた。
「おおっとぉ! 忠実なる部下であるサーヴァントに対してこの扱いはどうなのでしょうか?
「うるさい。私にセクハラした罰だよ」
「これは手厳しい! そんな事を言われた日には更なる精神的ダメェジを与えるハラスメントを考えなければならないではありませんか!」
「やったら殺すわよ。で、なんでこんな所にいるの?」
「あー……いや、お部屋でほのぼのとスプラッタ映画を見ていたら小腹が空きまして。そう言えばと思いつきここに来てみたのですが、何やらエミヤさんが真剣にお料理されていたご様子」
「ああ……」
「悪魔のサガでどうやって邪魔をしてやろうかと隠れて考えておりましたら、マスターまでもいらっしゃったではないですか。そしたら
恐らく、飴細工を作っていた最中だ。
飴細工は普通の料理よりも手先に集中力を要するため、周囲への警戒が漫然になっていたかも知れない。
「んんん、食べ物の話をしていたら余計にお腹が空いてきましたねェ。エミヤさん、何かつまめるものありません?
「ある訳なかろう」
「メフィストの腹の中なんて黒いもので一杯だから充分でしょ」
「アッヒャハハハァ! いい突っ込みです、その通~りでございますマスター! ここでチョッキン、パックリ、ドロドロ、バーン!と開腹してみてもいいですかぁ?
「やめろ、食堂の床が汚れる……そこにある竹串ならいくらでも食っていいぞ」
「ウヒっ、いいですねぇその辛辣さ! ですが
「はぁ……」
無意識に漏れた特大の溜息には、諦観の念が思う存分含まれていたことだろう。
この手の輩には何を言っても無駄だ。何せ最初からこちらの話など微塵も聞いてはいない。返事はしても、上っ面をなぞっているだけ。無為にも程がある。まだ案山子相手に会話していた方が有意義だ。
「マスター、行こうか」
「そうだね」
これ以上話していても無駄に時間を消費するだけだ。
とっとと当初の目的を果たしてしまおう。
「おやおやぁ、放置プレイとは上級者向けですねぇ。出来たら拘束を解いていただけるとメッフィー歓喜の極みなのですが?」
「ダメ。罰としてしばらくそうしてなさい」
「マスターがそう仰るのならば甘んじてお受け致しましょう!
何が忠臣だ、と言おうとして口を噤む。言ったところで喜ぶだけだ。
英霊は全てが立派な人物、という訳ではない。このメフィストのように、自らの愉悦の為に召喚に応じ、それに飽きたら隙あらばマスターに叛こうとする者もいる。
マスターのことなので、大して心配はしていないが――それでもメフィストフェレスには前科がある。自らを産み出したヨハン・ゲオルグ・ファウストを、『面白くないから』という理由で殺した、と。
その事実がある限り、メフィストへの警戒はこの先ずっと解かない方がいい。
「ちなみにどちらへ向かわれるのか聞いてもよろしいですか?」
「ああ、この飴細工を皆のところへ持って行く」
「たまにはみんなも、甘いもの食べないとねー」
この食堂を知っていても、実際に何度も足を運ぶ者は少ない。最も大きな理由としてサーヴァントには食事の必要性があまりないからなのだが、たまには慰安の意味も込め、ということでマスターに飴細工を作ってくれと頼まれたのが、今回の発端だった。
サーヴァントとは言えものを考え存在している以上、身体も精神も磨耗する。それを気遣おうというマスターの考えに賛同し飴細工を作ったのだ。
――が、
「くっ……うふ、うぶふっ、うふふふ……!」
その意図を聞くなり、メフィストが前傾姿勢で身体を震わせていた。
笑いを堪えている――らしい。
「何かおかしいか?」
「ええ、ええ、それはもう! アヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハぁ! ギャハっ、ギャハハハハハハハハハハハハハ! アヒハハハハハハハハァ! ぅげほっ、えほっ、アハハぁ」
「……っ」
そのむせる程の大笑に、思わず怖気が背中を走る。
『笑う』という行為が元々攻撃的なものだと言ったのは誰だったか。
メフィストのその感情を無分別に撒き散らす行為は、一種のおぞましさすら覚えた。
「いやいや、いやいやいやいや! 仮にも世界を救おうとしている方々がこぉんな平和な生活をしているのが楽しくって可笑しくって!」
「……我々を道化だとでも言いたいのか?」
「何を今更。
メフィストは。
この世の全てを己が快楽を満たす為の玩具と嘯く道化師は。
「……何を」
「まったまたァ、エミヤさんほどの聡明な方ならわかっていらっしゃるのでしょう? ここカルデアは
口が裂けるのではないか、と思うほどに口元を歪め、
「外部の人間は誰も、貴女を支持してはくれない」
自分のマスターに、言葉の刃を投擲した。
「…………」
マスターの表情から、いつもの気軽さが消える。
悪魔は心の隙間に無遠慮に手を突っ込んでくる。
弱い部分を突き、その傷口を拡げ、つけ込むのが悪魔の手管だ。
「
メフィストの言うことは、あながち間違ってはいない。
成し遂げたからと言って何かが大きく変わる訳ではない。いや、何も変わりはしないと断言してもいいだろう。
この戦いは元より、新しい道を拓くための戦いではなく、
『歴史を元に戻した』などという偉業を達成したと吹聴したところで、誰もそんな事実は信じない。
「……マスター、わかっているとは思うが、惑わされるなよ」
「…………」
「貴女はそう、この甘ぁいキャンディのようだ。歴史という口の中で舐め尽くされ、噛み砕かれ、やがて溶かされ消える。誰も消化されたその後の形なんて知ったこっちゃないですし、元の形なんてもちろん覚えちゃいないどころか知りさえしない。そんなマスターに従う我々サーヴァントは道化の道化!
「それ以上言わないで、メフィスト」
メフィストの諫言にようやく堪忍袋の緒が切れたのか、マスターは顔を伏せたまま口を開く。
今、マスターの傍にいるサーヴァントは私だけだ。いつでもメフィストが襲いかかって来ても対応出来るよう、心身ともに覚悟を決める。
「おやおやァ? 親愛なる家族同然のサーヴァントを馬鹿にされて、ひょっとしてマスター、おこですか? それともご自分をこき下ろされて激おこですかァ?」
「それ以上言ったら――」
「どうしてくれるのでしょう! 串刺しでバーベキュー? それとも切り裂きでお刺身? はたまた
「お前を、くすぐる」
「……はい?」
両の手の指をわきわきと蠢かせながら俯いた顔を上げる彼女の表情は、何てことはない。
私も幾度か見た、困難に立ち向かう時の不敵な笑顔だった。
「覚悟しなさいよ!」
「えっ? ちょっ、今回そんな流れでしたっけ――アヒャっ、アハハハハハハハハハハハハハハ!」
「そらそらそらそらァ!」
メフィストの無抵抗をいいことに、首周り、腋、横腹、足の裏と容赦なくマスターの指が這いずり回る。
快楽も行き過ぎればただの毒。特に大声を上げて笑うのには体力が要る。
「アッハハハァ! ウヒッ、ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
人間にしてもかなりの長身であるメフィストを小さなマスターが蹂躙する様は、中々にシュールだった。
「ふっ」
マスターの悪魔退治だ。私も参加せねばなるまい。
「
投影魔術によりブラシを投影。メフィストに馬乗りになるマスターに手渡す。
「マスター、これを使うといい」
「ん? なにこれ?」
「特別に柔らかい鳥の羽根で作った羽毛ブラシだ。人をくすぐることに関しては最適解と言えよう」
「ほう……そいつはクールだね」
「エミヤさぁん、貴方悪魔ですかァ!?」
まさか悪魔もどきに悪魔と呼ばれる日が来るとは思わなんだ。
だがマスターを精神的に試した結果の自業自得だ。同情の余地はない。
「ギャヒっ、アヒャハハハハハ、うぇほっ、がはっ、ギャハハハハハハハハハハハハぁ! アヒいいいいいいぃぃぃぃぃ!」
「どうだ、そろそろ降参するか!」
「します! ギブ、ギブアップでございますマぁスター!
その言葉にようやく気が済んだのか、息も荒く強制的な快楽の余韻を残し全身を痙攣させるメフィストから離れる。
紛い物とは言え、悪魔をくすぐりで屈服させた例など聞いたことがない。
数分後、息を整えたメフィストがゆっくりとした動作で細長い上半身をもたげる。
「なかなかにお上手でしたマスター……常に躁状態の
「はい、ちゃんと謝れたご褒美」
マスターは宝石を模した棒つきキャンディをメフィストの口内に突っ込むと、
「ンン~、
「ね、メフィスト」
座り込み、未だ手を後ろで拘束され、地面に座すメフィストと目線を合わせる。
「メフィストは言ったよね、仮に私が世界を救っても、誰も褒めてなんてくれないって」
「ええ、ええ。言いましたとも! どのような心持ちで挑んでいらっしゃるのか是非聞きたいのですが?」
「私にそんな大層なもの、ないよ。世界の危機があって、偶然その場に私がいて、私がなんとか出来そうだった。それだけだよ」
「…………」
自分の理不尽とも言える境遇を呪う訳でも、嘆く訳でもなく。
彼女は静かに笑った。
「でもいいんだ、私はそういう役割を与えられて、悪くないと思ってる。マシュやロマンのいるこの世界を守りたいと思うし――それに例え歴史が消えたとしても、みんながいて、笑って過ごしたこの時間は間違いなく楽しくて、今確かにここにあるものだから」
「つまりこれは運命や宿命だから、甘んじて享受すると?」
「だからそんな大袈裟なものじゃないって。あんただってそうでしょ、悪魔メフィストフェレス」
「…………」
悪魔として魔術師に産み出されたメフィストフェレスは、悪魔として生きるしかない。それは生き様や嗜好、志といった範疇の話ではなく、もっと根幹的な問題。我々が人間として産まれ人間として生きていかねばならないのと同様、彼は悪魔として生きるしか道はない。そうしなければ、彼に存在意義などないのだから。
だがマスターはそれが自分のあるがままの姿だと言う。そうあるべくしてそうなった。だから大切なのは悲愴的な現状やこの先待ち受ける困難を嘆くことではなく、楽しむことだと。
「うふふ、
「じゃ、また協力してくれる?」
「
「そ。じゃあよろしくね!」
「ええ、ええ。こちらこそ! その代わり道中で絶望するようなことがありましたら、自害はぜひ
言って、メフィストは咥えていた棒つき飴を竹串ごと噛み砕いて飲み込むと、自ら拘束を解き立ち上がる。
「ごちそうさま。それでは名残惜しいですが今日はこの辺りで。これ以上マスターの芯に触れたらそれこそ心酔してしまいそうなので! そんな
気狂いじみた高笑いと共に道化は颯爽と去る。
残されたマスターは、私に振り返りいつもの笑顔を見せた。
「じゃ、みんなにアメ渡しに行こっか」
「……ああ」
寿命があり、いつか死を迎える人間とは違い、極端な話、召喚に応じさえすればいつの時代にも現れる我々英霊は永遠に近い。
だが人類史に深く根付く我々は、歴史を変えることなど出来ない。いつだって歴史をつくるのは人間だ。
「あの飴細工はフォウ本人にやるとするか」
「それじゃ共食いだよ」
いつか忘れる、歴史にすら刻まれないこの日常も、確かに今ここにある、か。
時代を跨ぐ我々には、必要不可欠な言葉だ。