カルデア食堂   作:神村

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セフィロトのトリハス

「理解しがたい」

 ある日のまだ日も登らぬ早朝の頃。

 開口一番、アヴィケブロンは腕を組み、首を傾げながら、本気でそう思っているのであろう、簡潔ながら率直な感想を端的に述べた。

 アヴィケブロンは魔術師である。

 人形工学に長けた、と言うよりはゴーレム遣いに一点特化した魔術師である。

 生涯をそれのみに傾倒しただけあって、ゴーレムの扱いに関しては、例え大魔術師・メディアであろうがグランドキャスター・マーリンであろうが、彼の右に出るものはいないだろう。

「普段は私とタマモキャット、ブーディカ、紅閻魔の四人で食事当番は回しているが、有事の際、バーサーカー等そもそも意思疎通自体が難しいであろう者を除いて食事当番は交代制。召喚された際にそう説明を受けたはずだが?」

「ああ、受けた。無二の友からの言葉だ。無論忘れてなどいない」

 彼が友、と呼ぶのはマスターのことである。

 極度の厭世家で人付き合いを嫌う彼は、カルデアにおいても滅多に人前に姿を現すことはなかった。

 普段は工房に改造した自室に篭り、サーヴァントとしての役目を与えられた時のみ外へ出る。そのせいか、未だアヴィケブロンと面識のないサーヴァントも何騎かいるのが現状だ。

 その彼が唯一心を許しているのが我らがマスター、という話だ。初の異聞帯にて召喚に応じたと聞くが、何があったかまでは私の知るところではない。

「だから約定通り調理に特化したゴーレムをキッチンに派遣しただろう。まさかとは思うが、到着しなかったのか?」

「いや来た。一秒の差異もなく時間ぴったりにな」

「ならばゴーレムに欠陥が? 僕は料理こそ専門外だが、あのゴーレムには古代から現代までのありとあらゆる時代、国家を網羅した料理の情報を詰め込んだ。注文を聞き分ける十八種の言語音声認証機能もつけた。繊細な作業も出来るよう数十種類に及ぶアタッチメントも着けた。我ながら初めて作るにしては会心の出来だったと自負しているが」

「いや、君の言う通りだ。厨房に入るなり、注文を受けた後に用意された材料に的確な調理を施して見せてくれた。正直、ゴーレムにこれほどの機能を付与できるのか、と舌を巻いた程だよ」

「ならば何故僕は咎められている?」

 本当にわかっていないのだろう、頭上に疑問符が見える勢いで更に上半身を横に倒していた。

「…………」

 思わず頭痛がしてきた。

 想像してみて欲しい、キッチンに立つ巨大なゴーレムが黙々と料理をする様を。

 いきなり約束の時間にやって来て、その天を衝く巨体で無言でキッチンに入り込み、受けた注文を黙々と作り出す光景を。

 シュール極まりない。というか、それ以前の話だ。

 それを止めようとした紅閻魔がその規格外の重量と頑強な装甲に歯も立たず、かと言って食堂で得物を出すわけもいかず、怒りに身を震わせていたのは忘れられない。

 私も毒味を兼ねてそのゴーレムが作った料理を食べたが、至って問題はなかった。むしろ欠点すら思いつかない程の完成度で驚いたものだ。

 だが──、

「アヴィケブロン、少し時間はあるか」

「ああ」

「ならば食堂に付き合ってくれないか」

「出来る限り人の多いところには行きたくないのだが」

「君はこんな事を望まないかも知れないが、サーヴァントが多数在籍するカルデアにおいてはある程度の信頼関係が必要不可欠だ。それは理解しているな?」

 本来ならばサーヴァントは単騎で戦う事の方が多い。サーヴァントというものは個人の差はあれど、単騎でも近代兵器に匹敵する能力を持つと言っても過言ではないからだ。

 それに、サーヴァントを召喚するのには莫大な前準備と魔力リソースが必要不可欠となる。カルデアのような大所帯がそもそも異常なのである。

「ああ、理解出来るとも。ただでさえ大きな力を持つサーヴァント同士で連携を組めれば、更なる戦果が望めるだろうことは容易に予測できる」

 だが、カルデアは二百を越すサーヴァントが集結している。

 常識で考えたらあり得ない。大袈裟に比喩を用いれば、いち組織が二百を越す核兵器を所持しているようなものだ。

 それは敵がそれほどにまで強大であるという証拠でもある。結果、望まずとも他のサーヴァントとの協力、連携を強いられることもある。

 私だって組みたくもないクー・フーリンや英雄王、私のオルタ等とコンビを組むことだってあるのだ。

「マスターも僕が他の英霊と交流を持つことを望んでいるのは知っている。友の為にもなんとか人嫌いを克服したいところだが……僕にはまず、はじめの一歩ががわからないんだ」

 厭世家で世俗を自ら絶ってきたアヴィケブロンに、仕事なんだから自己主張の強い者が多いサーヴァント連中と仲良くしろ、というのもまあ、酷な話だ。

 そも、アヴィケブロンは絵に描いたような典型的な魔術師だ。

 魔術に己の人生を含めたあらゆるものを注ぎ込み、他の有象無象には目もくれず、死してなお大願は成就されない。

 元々、魔術師なんて人種はそういうものである。行き着く先が蟻地獄とわかっていて歩を進める蟻のようなものだ。ろくな者はいない。

 それにアヴィケブロンには魔術師として尊敬している面もある。偏った性能の魔術師という点では私も似たようなもので、妙な親近感も覚える。

 だから、というわけではないが。

 この偏屈な魔術師に、人というものを知って欲しい、と思った。

「ならば、君の為にも君の何がいけなかったのかを知って欲しい」

 アヴィケブロンは少し考えた後、

「……我が友から君は面倒見のいい皮肉屋と聞いていたが」

 仮面のせいでその表情は読み取れない。

 マスターめ、私のいないところで何を吹聴しているんだ。

「だが、何かね」

「不思議とその言葉には僕を非難、或いは蔑視しているといった悪意を感じない」

「……」

「極めて気が進まないが、いいだろう。僕も失態の理由を知らないままでいるとなれば、一介の魔術師としての名折れだ。行こう」

「ではついてこい」

 背を向けると、無言のまま私の身体に隠れるようについてくる。

 人目につきたくない、ということなのだろう。彼の人嫌いは筋金入りらしい。

 

 //

 

「……来たでちねアヴィケブロン」

 食堂に入るなり、烈火の如く怒った紅閻魔が親の仇のように私の後ろに隠れるアヴィケブロンに食ってかかってきた。

「お前様という輩は!」

「いや、その、待ってくれないか」

 状況すら理解できていないアヴィケブロンはその怒りを押し留めるかのように両手の平を前に一歩下がる。

「待て紅閻魔、話を聞く限り彼は決して悪意があった訳ではないんだ」

「悪気はなかったで済むなら町奉行はいりまちぇん!」

「ここは矛を収めて私に任せてくれないか。悪いようにはしない」

「むう……仕方ないでちね。エミヤの料理の腕とお節介は誰もが認めるところでち」

「一言余計だ」

 アヴィケブロンを庇い立てる理由は特にないのだが、何が悪いのか分かっていない相手をただ一方的に責め立てた所で何の益もない。

 これもアヴィケブロンのため、ひいてはカルデアのためにもなる。

「あちきに代わってちゃんと教育してくだちゃいね!」

「わかっているよ。投影開始──アヴィケブロン、厨房に入ったらまずこれを着けろ」

「衛生面を考慮したユニフォームだな。わかった」

 投影したエプロンを渡すと、機械製の腕を使って器用に身につける。

 元々が魔術師らしい奇抜なデザインの格好をしたアヴィケブロンだ。驚くほどエプロンが似合わないが、想像通りなので何も言わずにスルーすることにする。

「さて、君には注文が来たら私の指示に従って材料を取ったり、完成した料理を配膳してほしい」

「承った」

 郷に入っては郷に従え、ということなのか、アヴィケブロンは大した抵抗も示さずに唯々諾々と従う。人間としては捻くれているのかも知れないが、この辺りの素直さは好感が持てた。

 単純に、人前にいる事で寡黙になっているだけかも知れないが。

 と、

「おはようございます、エミヤさん」

「おはよう、沖田、土方」

「おう」

 土方と沖田が朝食を目当てにやって来た。

 信長や茶々、坂本とお竜あたりも時々一緒に朝食を摂りに来るが、ほぼ毎日来るのは土方だけである。

「飯」

 どっかとカウンターに座り、開口一番出たのがその一言。

 受取手によっては失礼と取られるやも知れないが、私としてはここまで率直だと清々しいとさえ思える。

 その隣に沖田が苦笑いを浮かべつつ座る。

「土方さん、ほんと絵に描いたような日本の亭主関白ですよね。普段もメシ、フロ、ネル、ヌゲしか言わないじゃないですか」

「当たりめえだ、男の四箇条だからな。それに誰がてめえに脱げっつった。妄言はせめて生まれ変わってから言え」

「土方さんこの話題になると毎回そんな事言いますけどね! そりゃ源氏のお母さんみたくぼいんぼいんではありませんが私だって脱げば鍛え上げられた機能美ってものがですねぇ!」

「てめえが洟垂らして寝小便してた頃から知ってンだ。女として見ること自体、土台無理な話だっつってんだよ、ど阿呆」

「ね、寝小便なんてしてませんから! 風評被害ですよ!」

「あァ? てめえ試衛館に入りたての頃、天井の染みが怖えとかでボロ布団にでっけえ地図を、」

「わ──っ! あ────っ!」

「ンだよ、るっせぇな」

 確かに、二人を側から見る限り、男女というよりは喧嘩が絶えずとも仲の良い兄妹のように見える。

「こっちが土方、こちらが沖田のだ。間違えるなよ」

 カウンターで石像のように直立して待機していたアヴィケブロンに膳を渡す。

 土方は酒を嗜むこともあってか、濃いめの味付けを好む。たくあんを始め漬物の類も大好物だ。だが塩分の摂り過ぎは身体に悪いので醤油を変えたりとそれなりの工夫をしてある。

 対して沖田は身体が弱い分、米を柔らかめに炊き、消化の良いものを中心に出している。

 健康を気遣う事自体、サーヴァントにはあまり関係のないことかも知れないが、病は気からとも言う。何が影響して霊基に変化をもたらすかはわからない。「……人によって細かな味付けや分量を変えるのか」

「ああ、そうだが」

 配膳が終わって気が付いたのか、騒ぎながら朝食を摂る二人を遠巻きに眺め、アヴィケブロンが言う。

「果たして我々サーヴァントに細かな栄養素や消化率を考慮する意味はあるのか──とは問うべきではないのだろうな」

「……我々人間にとって、食事というものは生物が身体に必要な栄養素を摂取する、という事だけが目的ではない」

「と言うと?」

「食事の場はコミュニケーションの場にもなる。戦場ならばいざ知らず、少なくともカルデアでは普段いがみ合っている者同士でも、飯を食う時は避けこそすれ取っ組みあったりはしないだろう?」

「…………」

 アヴィケブロンは思うところがあるのか、押し黙って食堂を見渡していた。

 カルデアのサーヴァント在籍数は実に二百を超える。

 そんな数にもなれば私と英雄王、アルジュナとカルナ、酒呑童子と源頼光、ヘクトールとアキレウスのように、致命的に相性の悪い組み合わせというものは必然に出来てしまう。

 だが食堂において小競り合いこそあれ、本気で争いになったことはない。

 カルデアとマスターから禁止されているとはいえ、我の強いサーヴァント達においては珍しい現象である。

「おやマスター、おはよう様でち」

「おはよう、紅閻魔ちゃん。今日のメニューはなに?」

「今日の朝ごはんはあおさのおみそ汁と焼き鮭とほうれん草のおひたしでち」

「いいねえ、やっぱり和食は落ち着くなぁ……そこに納豆と生卵もつけて」

「おはよう、マスター」

「あ、アヴィケブロンだ。珍しいね。やだ何そのエプロン、すっごい似合わない」

「これは彼が見繕ってくれたものだ。僕の意思ではない」

 そんな中、朝食を摂りにきたのであろう、後頭部に寝癖をつけたマスターがやって来た。挨拶ついでに熱いおしぼりを投げてやる。

「今日の料理当番だからな。ほら、これで寝癖を直せ。頭の後ろ、ひどいぞ」

「ありがとー。ああ、そういえば今朝はキャットもブーディカも出撃だもんね。じゃあなに、アヴィケブロンが作ってくれたりするの?」

 マスターのその言葉にふと思い付く。

 目の前にいる、人との交流を避け、人間関係を忌避し、己の全てを魔術に捧げたひとりの魔術師を。

 いずれ魔法に到達せんと、生前は余計な障害でしかないと切り捨てたものを拾おうとしている彼を。

 死後サーヴァントとして召喚され、ようやく変われそうな時が来た彼のことを。

 少しだけ、手助けしてやりたくなった。

「ああ、デザートを作ってくれるそうだ」

「ほんとに!?」

「おい君、待ってくれ。何を」

「やった、楽しみ!」

「お待たせでち。お残しは許しまちぇんよ」

「あ、おいしそう。いただきまーす」

「……」

 止めるのを諦めたのか、マスターの喜色満面な笑顔に気圧されたのか、長い嘆息の後にアヴィケブロンは私の元へとやって来る。

「恨むぞエミヤ。どういうつもりだ。僕はマスターを騙るような真似はしたくない」

「なに、あれ程立派なゴーレムを作れるんだ。魔術とて手先の器用さは必須。簡単な料理のひとつくらい出来るだろう?」

「それはそうだが、料理は塩のひと匙、配分を間違えるだけで別のものに変化しかねない。そして僕は君のように専門ではない」

「遺憾ながら私も専門ではないのだがね。とにかく君にも人として生きていた時間があった以上、食事の記憶くらいはあるだろう。何か簡単に作れ、デザートになるものは思いつかないか?」

「……トリハスくらいのものでいいのなら、糖分補給を目的に、魔術の片手間に作ったこともある。僕の腕でも何とかなるとは、思うが」

「トリハスか、いいじゃないか。いい具合に固くなったバゲットも余っている」

 トリハスとは、簡単に説明するとフランスパンで作るフレンチトーストである。

 輪切りにしたフランスパンにミルクやワイン、卵液を浸し、油で揚げる揚げパンの一種だ。

 料理と言うよりは、固くなって食べにくくなったパンを美味しく食べる為の工夫から産まれたものだ。だからこそ現代にまで根強く文化として残っているのだろう。

 パンを浸して揚げるくらいならばアヴィケブロンでも可能だろう。

「……よもや英霊として召喚され、料理をする羽目になるとは」

「最もな不平だ。身に染みるよ」

 彼は不承々々ながらキッチンに立つと、ナイフやフライパンやフライ返しなどの道具を手探りに取り揃えていく。

「ほら、バゲットだ。ほかに必要なものは?」

「ミルクと蜂蜜と白ワイン。食用油は……なんだこれは、種類がありすぎてわからない」

「揚げ物ならばオリーブオイルかサラダ油がいいだろう」

「そうか。料理など、何世紀ぶりかな。正直言って、マスターに美味しいと言ってもらえる自信がない……エミヤ、やはりここは君が代わりに、」

「アヴィケブロン」

 マスターの為に料理をする、と決めたものの尻込みをするアヴィケブロンに、冬瓜汁の仕込みをしていた紅閻魔が見かねたのか、後ろから声をかけた。

 アヴィケブロンの衣服を後ろからくいくいと引っ張るその姿は、見た目相応に愛らしく映る。

「紅閻魔か。すまない、厨房特化ゴーレムに関してのお叱りは後にしてくれないか。僕は今マスターにデザートを作るという重大な責務を」

「そんな事はどうでもいいでち」

「?」

 その言葉に、アヴィケブロンがここに来た時のような怒気は感じられない。彼をを諭すように背に手を添えると、

「ご主人に料理を作ると決めたのなら最後までやり通しなちゃい。そのデザートは、エミヤやあちきが作っても何の意味もないでちよ」

「……それは、」

「お前様が作るから意味があるでち。料理とはお腹を満たす為だけのものではないでち。誰にどんなものを食べさせたいか、それさえはっきりしていれば大丈夫でちよ」

 先程まで怒髪天を突く勢いだったのが嘘のように、紅閻魔は出来の悪い子供を諭す母親の如く、にこりと笑ってみせた。

 流石は紅閻魔だ。その矮躯をもってしてカルデアの母と言われるだけの事はある。

「アヴィケブロン。君の作成したゴーレムが作った料理は確かに美味かった。魔術師の君らしく、お手本のような出来だったよ」

 食べた感じでは恐らく、レシピ通りにグラム単位の相違もなく作ったのだろう。欠点らしい欠点が何一つ見当たらなかった。

 だが、料理というカテゴリにおいてはそれこそが欠点になり得る。

 万人が万人、同じ味を好む訳がないのだ。

 アベレージは高いに違いない。が、毎回同じ味、同じ完成度では誰の心にも残らない料理だ。

 人は失敗をする。

 料理においても、塩が多かったり砂糖が少なかったりすることもあるだろう。

 だが、それを積み重ねてこそ自分の、ひいては相手の好みの味というものを追求できるのだ。

「だがそれは、単に美味いだけだ」

「……君たちがゴーレムに怒っていた理由が、今やっとわかった気がする」

 それだけ言うと、拙いながらも的確な動きでアヴィケブロンは複数の腕を同時に動かす。

 心なしか、仮面の下で僅かに笑った気がした。

 固くなったバゲットをナイフで切り、ミルクとワインと卵を混ぜたものに浸し、熱した油に入れ揚げ焼きにする。

 フライ返しでひっくり返すのに少々手間取った後、予め用意された皿に完成品を盛り付ける。備え付けのシナモンパウダーとメープルシロップも忘れない。

「……出来た」

「わぁ、ちょっと形が違うけどフレンチトーストだよねこれ」

「僕の国ではトリハスと呼ぶんだ」

「へえ、懐かしいな」

「懐かしい?」

「うん、お母さんが子供の頃よく作ってくれたの」

 日本においてもフレンチトーストは食パンと卵と牛乳という、どの家庭にもある材料があれば作れる。多少手間はかかるが、普遍的なおやつと言えよう。

「すまないマスター。その、少し、焦げてしまった。裏返すのを失敗してしまい、見栄えも良くない。君のご母堂の作ったものには遠く及ばないと思うが、その」

「いいよいいよそんなの。アヴィケブロンが作ってくれたんだもん、喜んで食べるよ。いっただきまーす」

 マスターが一口大に切り分けたトリハスにシナモンとメープルシロップをかけ、口に含む。

「────」

 と、動きが一瞬止まる。

 目を見開き、もくもくと咀嚼する音だけがその場に響いた。

「ど、どうだろうかマスター。不味かったら吐き出してもらって構わない。僕は誓って気分を害したりはしないから、」

「なにこれ、おいしい!」

「あ……」

「なんかこう、私の食べてた食パンで作ったやつと違って、独特の香りとカリっとした歯ごたえがある!」

「それは白ワインの香りだろうな。パンも固いフランスパンを使っているから、味も凝縮されて美味い筈だ」

 私の話を聞いているのかいないのか、心配そうに見ていたアヴィケブロンと私を後目に、トリハスに夢中になるマスターだった。

 と、

「……不思議な感情が僕の中で渦を巻いている」

 アヴィケブロンが私だけに聞こえるように、ぼそりと一言をこぼした。

「あのゴーレムならば、焦げもせず見栄えもいい、もっと完璧に近い形で作ったはずだ」

「だが、普段料理などしない君がマスターの為に作った、というだけであれ程喜んでいる」

「……理解しがたい。僕ら魔術師は全てを擲って魔法と言う名の至高にて完璧を求め続け、それでも叶わずここに至ったと言うのに」

 何かを思い出しているのか、顔を上げてアヴィケブロンは思索に耽っていた。

 聞いた話によれば、彼はゴーレムをより完璧な形にするべく自分を慕う人間を炉心にした過去があると聞く。

 それは道徳的に非難されるべき事ではあるが、魔術師としては至極当然の行動だ。

 人間一人を犠牲にして自分の魔術が更なる高みに進歩するのならば、まともな魔術師であれば誰であろうとそちらを選ぶ。

 その証拠として、異聞帯の記録を見てもゴーレムの炉心に自らの身を使用している。

 そんな完璧を求め続けた自分。

 自分の作った完璧とは程遠い菓子に喜ぶマスター。

 その二つを比べて、何か思うところがあるのだろう。

 しばらくの無言の後、

「エミヤ、礼を言う。僕は友と巡り会えて以来、また一つ変われた気がする」

 それだけ言うと、アヴィケブロンはマスターの元へと向かう。

 偏屈で武装し、魔術を信奉し、融通性や柔軟性を失い殻に閉じこもった魔術師は、死後英霊となり殻を破り形を変える。

 人間は如何なる時でも些細なことが契機で変われるのだ。

 それは未来の存在しない英霊であっても例外ではない。

「マスター、少しいいかな」

 私も、いずれ彼のように変わる事が出来るだろうか。

「今度、僕と食事でもどうかな」

 

 

 

 

 

 


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