カルデア食堂   作:神村

35 / 36
野菜たっぷり芙蓉蟹

 日課の鍛錬後、小腹がすいて夜の食堂へと足を向けた時のことだった。

 食事というものは人間の三大欲求に根付くもの。サーヴァントの身体となってもそれは完全には無くならないらしく、腹が減らない身でも気分的に食い物を腹に入れたくなる。それに真夜中にに一人で隠れて食べる食事ほど背徳的で美味いものはない。

 いつの時代も、人間の欲には驚かされる。

 どんな国、時代でも常に人を大きく動かすのは人の欲だ。

 戦がいい例だろう。あれこそ人の欲の美しさと醜さを同時に表す。

 それは愛欲、食欲、支配欲、様々ではあるが、人は、いや生物である以上理由なく争う事はない。

 俺も御多分に漏れず、だ。たった一つの大切なものを守る為に、随分と無茶をやらかした。

 その結果はやって来たことの割には合わなかったが──それが自分にとっては必然の帰結だったのだろう。

 英霊の身になったところで、自分の過去を思い返せば後悔と、それに付随するやり場の無い自責だらけだ。生前の自分を客観的に見る事が出来たのなら、間違いなく自分をぶん殴っている。

「……?」

 自虐に近い笑みを浮かべて食堂に入ると、仄かに灯りが点いているのに気付く。見ると暗くなった食堂の一画にだけ電気がつけられ、その下で誰かが机に向かって本を読んでいる。

 ここカルデアに不審な人物がいるとは思えないが、癖で気配を消して確認する。

 あの後姿は間違いない。

「怠慢なマスターが勉強とは珍しい。どんな風の吹き回しかね?」

「あ、エミヤ。どうしたの、こんな時間に」

「いや何、両儀に頼まれて仕込んでいた納豆の発酵具合が気になってね。それより、それはむしろこちらの台詞だ。調べ物をするのならば書庫を使いたまえ」

 犯人はマスターだった。何冊かの分厚い本と文庫本を重ね、冷え防止のブランケットを羽織っている。

 あれは中国の歴史書だろうか。表紙やマスターの持つ本の文面は漢字で埋め尽くされていた。

「いやぁ、本読むのって頭使うでしょ?」

「確かに思考は思っているよりもカロリーを消費する。それと食堂で本を読むことに何か関係が?」

「書庫でなんか食べながら本読むとその……なんか、式部ちゃんの目が怖くて」

「ああ」

 なるほど、マスターの手元には湯気を立てるココアとチョコレート菓子が置かれていた。

 紫式部は召喚されてより現在、誰に頼まれるわけでもなくカルデアの書庫の番をしている。

 書物をこよなく愛する彼女の事だ。自分の蔵書でなくとも本を汚されるのは嫌うだろう。菓子などを食べながら本を読まれては、油の染みが付着しかねない。飲み物を本の上にこぼされては大惨事だ。紫式部の懸念もわかる。

「ここなら夜はあんまり人来ないし、おやつもいっぱいあるからね」

「……結果は同じな気がするが」

 本を返す時に本が汚れていたらそれこそ紫式部はマスターが相手だろうと必ず怒る。

 まあ、マスターもそこまで馬鹿なことはしないとは信じているが。

「ちょうどいいや、勉強してたらお腹すいたから何か作ってよ」

「全く……時間も時間だ。あまり食べ過ぎるんじゃないぞ」

「やった! さっすがエミヤ、やっさしー」

 厨房に入り、入口に掛けてあったエプロンを装着する。

 業務用の巨大な冷蔵庫を開けると、すぐ目に付いたのは卵ともやし、人参や筍といった野菜の数々。冷凍庫には冷凍された米や麺類などがあるのだろうが、人間の、しかも年頃の女の子であるマスターに、この時間に炭水化物を食わせるのは若干心苦しい。女の子は多少肉付きがいい方が健康的で可愛いと思うのだが、無駄なお肉がつく事はマスターも望んでいないだろう。

 だからといって卵と野菜炒め、では芸がない。夜食を戒めはしたものの、人の事は言えない上に作り手としてマスターの期待には応えたいところだ。

 では何を作ろうか、等と考えていると、冷蔵庫の隅に蟹の缶詰を見つけた。

「マスター、芙蓉蟹を作ろうと思うのだが、構わんかね」

「ふよう……? 何それ」

「かに玉だ」

「やった、かに玉大好き!」

 子供のように無邪気に喜ぶマスターの顔を見て、思わず口元が緩む。

 いや、歴戦をくぐり抜けてはいるが、まだ子供だ。若干感心しない夜食くらいは許されて然るべしだ。

 芙蓉蟹ことかに玉は卵を溶いたものに蟹肉を入れ、味をつけた後にオムレツのように炒めたものに甘酢あんをかけたものだ。ふわふわの卵と甘酢あんによる滑らかな食感が日本人に受けがいい。

 本場中国では蟹肉だけではなく色々なものを一緒に炒める事が多い。卵と蟹肉だけでは栄養バランスが悪いので、ビタミン豊富な野菜も一緒に炒めてやろう。

 かに玉のいいところは、蟹肉さえあれば大抵の家庭にあるもので簡単に出来てしまう点だ。最低でも卵と片栗粉と調味料さえあれば作れる。

 卵を溶き、ネギと野菜を刻んでほぐした缶詰の蟹肉と共に炒め、オムレツ状にする。

 もう一つの鍋で中華スープに砂糖と醤油を加えたものを片栗粉でとろみをつけ、上からかけたら完成だ。

「ほら、出来たぞ」

「ありがと。いただきます!」

「どうぞ。よく噛んで食え」

「でもかに玉の素を使わないなんてエミヤも本格的だね。いつもは市販の素使ってるでしょ?」

「あ、あぁ。たまには趣向を凝らすのもいいかと思ってね……口に合わないか?」

「ううん、これはこれですごく美味しいよ。中国行ったことないからわかんないけど、本場の味? って感じ」

「そうか、それは良かった。ところでその本は歴史書か?」

「うん、水滸伝」

「水滸伝」

 思わず鸚鵡返しにマスターの言葉を反復する。

 水滸伝。言わずとも知れた三国志演技、西遊記と並ぶ中国三大奇書のひとつである。

 この三作に金瓶梅を加え四大奇書とすることもあるが、そも金瓶梅が水滸伝の今で言うスピンオフなので、三大奇書の方がしっくり来る気はする。

 水滸伝の物語を簡潔にまとめるのならば、民衆が圧政を敷く国に対して自ら国を建て直そうと革命を起こす物語だ。

 その民衆の集まりを土地の名前から因んで梁山泊と呼び、頭目である宋江と晁蓋を含む百とんで八人の傑物を軸に国と戦う。

 カルデアにおいて召喚されている梁山泊の一員は燕青のみだ。

 百八もいながら燕青だけ、というのも若干寂しい気もするが、もっと登場人物の多い同じ三大奇書の三国志からの出身も呂布と孔明と司馬懿のみだ。それも孔明と司馬懿に関しては擬似サーヴァントである。

 もう一人くらいいた気がするが、恐らく気のせいだろう。

 マスターが積んでいるのは、水滸伝の原本や翻訳本、日本の作家が書いた小説形式のものだ。

 マスターが暇を見つけてはカルデアに召喚された英霊の話を読んで勉強しているのは皆知っている。だが、

「しかし原本まで読むとは物好きだな」

「んー、やっぱり翻訳の齟齬で結構変わっちゃう部分もあったりするから。両方読んでおけばなんとなく補完できるしね」

「中国語を読めるとは凄いな」

「話せたりはしないけどね。荊軻ちゃんや書文先生に教えてもらいながら、って感じだよ」

「荊軻はまだしも、若い方でも年召した方でも書文に教えを乞うのは勇気と言うよりは蛮勇な気もするが」

「その方が必死な分よく覚えられるよ。書文先生、教えられたこと間違えるとめっちゃこわいもん」

 そう言って、マスターは歯を見せて笑ってみせる。

 本人はあっけらかんとしているが、実に二百五十近くを数える使い魔であるサーヴァント一人一人を理解しようと、異国の言語まで学ぶマスターの勤勉振りは恐れ入るの一言に尽きる。

 そんな効率の悪い、愚直とも思える行動を取るマスターだからこそ、皆から慕われているのだろうが。

「水滸伝、ということは燕青の勉強かね」

「うん。でも水滸伝を一通り読んだけど、燕青の出番そこまで多くないんだよねー」

「それはそうだ。奴は主人公でも主要人物でもない、百八の中の一だからな。同じ三大奇書の人物でも呂布や孔明、司馬懿などと並べるまでもない」

「でも、燕青はすごいと思うよ」

「……それは、どんな所が?」

「色んな人に色んな方向から違う書き方をされてるけど、どの作品でも共通するのは、最後まで主を想って行動した忠臣だって書かれてるところ」

 それって中々できることじゃないよ、とマスターは言う。

「自分の住む国の為に戦ってるほかの梁山泊のメンバーと比べると、燕青だけ戦う理由が違うんだ。燕青にとっての戦う理由は、主人である盧俊義の為」

 盧俊義は梁山泊の主要幹部の一人である商人で、主に梁山泊の財政を担った。

 燕青は彼の部下である。梁山泊に入山したのも、盧俊義の為に他ならない。

「私ね、ひねくれ者だからかも知れないけど、『他の人と違う考えが出来る』ってすごいことだと思うんだ。特に梁山泊なんて、常に背水の陣で国に抗ってた訳だよね。汚職や着服で汚れた国を綺麗にしよう。今より良い暮らしを、良い政治を、争いもなく平和な世界を、って、逆賊の誹りを受けてまで革命に身を費やしたんだよね」

 人理修復。

 異聞帯。

 叛乱。革命。逆賊。

 そんな言葉と、マスターの姿が重なる。

「革命の目的って、現状の改善だよね。でも燕青だけが周りがそんな必死で自分や家族の為に戦ってる中、たったひとりの主人の為に戦ったんだよ」

 自分の益も何も考えず、ただひとつ『主人に仕える』という意志を貫き通した男だ、とマスターは言う。

「ディルムッドもそうだけどさ、何処までも誰かに仕える、って人の上に立つよりも難しいことだと思うんだ。だって、自分の生き死にや行き先を全て他人に委ねる訳じゃない?」

 いや、違う。

「……でも燕青は、最後は主人の元から消えた」

 違う。

 違うんだ、マスター。

「最期の際まで一緒にいてこその忠臣だろう。燕青は、あろうことかそれを投げ出したじゃないか」

「…………」

 かに玉の皿を空にすると、マスターは思うところがあるのか、箸を置いて改めて身体ごと向き合う。

 その眼はどこまでも純真で、自分の行く道を信じて疑わない者が持つものだ。

 ふと、宋江殿とマスターの姿が重なった。

「私は盧俊義を知らないし、燕青が生きてた時代がどんな所だったのかも知らない。ひょっとしたら、私なんかじゃ到底想像できないような場所だったのかも知れない」

 でも、とマスターは続ける。

「燕青は訳もなく主人を見限るような人じゃない。それは、燕青と接してたらよくわかるよ」

「それは──」

「私の予想だけどさ、燕青はきっと、盧俊義の、主人の為に身を引いたんじゃないかな。理由はわからないけれど、自分がいない方が主人の為になると思って消えたんだと思うよ」

 梁山泊三十六位、天功星浪子・燕青。

 梁山泊が興る以前より盧俊義に仕えてきた彼は、盧俊義が死ぬ直前、置手紙と共に盧俊義の前から姿を消す。

 その理由は歴史上明らかにされていない。

 自分の諫言を一向に受け入れない盧俊義に愛想を尽かしたとも、それでも盧俊義を助けようと先手を打とうとし、失敗したとも。

 どれも違う。

 違うんだよ、マスター。

「……諦めたんだ」

「え?」

 ぼそり、とマスターに聞こえるかどうか程度の呟きが絞り出すように溢れた。

 どう考えても罠だった。

 行けば、必死の目に遭うと一目瞭然だった。

 それでも、俺は止められなかった。

「燕青は、自分の力ではもはや主人を救う事が出来ないと、諦めたんだよマスター」

 手が無かった訳じゃない。

 主人をふん縛って、ほとぼりが冷めるまで何処かに軟禁でもすれば、少なくとも主人は死ななかっただろう。

 けれど、そうする気すら起きなかった。

 主人が、好きだった。

 孤児だった俺を拾ってくれた、という恩は勿論、梁山泊の一席に加えられる程に強くしてくれた。

 大きい身体に似合わない気の小ささも、どこか好ましかった。

 自分の身と引き換えにしてもいいと思える程には、好きだった。

 けれど、

「もう自分ではどうしようもない、と悟り、自分の力の無さに悲観したんじゃないかな。だから姿を消した」

 何よりも自分が許せなかった。

 どんなに技を磨こうと、筋骨を鍛えて強くなろうと。

 何が天功星だ。

 何が浪こ燕青だ。

 お前は、命に代えても守らなければいけない人間を、止める事すら出来なかったじゃないか。

「そっか……そうだよね。どんなに優れた従者でも、自分から破滅に向かって歩いていく人間を止めることは出来ないもんね……」

 あの時主人を止めたところで、次がある。

 元梁山泊の幹部であった盧俊義を生かしておく理由など、あの時点では皆無だった。

 生き延びる方法があるとすれば、財や土地、人間関係、全てを捨てて新天地にて別の人間として生きる事だけだっただろう。

 だが主人がそれを是とはしなかったことは容易に想像できる。

 もしも。

 もし、主人があの時。

 今までの何もかもを捨て、共に生きようと言ってくれたのならば。

 俺は──、

「じゃあ、さ」

「ん?」

「私は自分から死地に足を向けることがないよう、燕青がいつまでもそばにいよう、って思えるようなマスターにならないとね」

 その何物にも代え難い笑顔を守るのは、他の誰でもない。

「……そう、だな。君は少し考え無しで無鉄砲なところがある。以後、サーヴァントやダヴィンチの言うことを良く聞くことだ」

 この身果てようと。

「もう、私そこまで命知らずじゃないよ」

「ふっ、どうだかな」

「それに、さ」

 この身朽ちようと。

「今の私には、悪いことをしたら叱ってくれる人がいる。無茶をしたら止めてくれる人がいる。一緒に戦って、守ってくれる人がいる」

 この小さな身体で大事を成そうとする新しい主人を。

「燕青も、私のこと、最後まで守ってくれる?」

「……いいよぉ」

 

 今度こそは。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。