カルデア食堂   作:神村

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1.5部新宿の真名ネタバレありです。


スリーピングビューティ

「先輩、ごはんですよ」

「――――」

「はい、あーん」

 場所はマスターのマイルーム。

 椅子に座るマスターに、マシュが鼻先に柔らかな声音と共にたまご粥を掬ったレンゲを差し出す。と、ぱか、と虚ろな眼をしたマスターの口が開く。マシュがその隙を逃さずマスターの口内へ。

「――――」

 僅かに咀嚼したのち、こくり、と粥を嚥下する音が静かに響く。

「まだありますからね、ちゃんと食べて下さいね」

「すまないなマシュ。このような介護めいた役目を任せてしまって」

「いえ、そんな。こんな事でも先輩のお役に立てて嬉しいですよ」

「そうか、助かるよ」

 精神のみのレイシフト、とでも言うのだろうか。年に一度ほどの頻度ではあるが、マスターは時折こうして何処かに精神を持って行かれる事がある。

 精神が別世界に行っていようと、マスターは普通の人間だ。実際の肉体は確かにここにある。

 人間の身体とは何もしなくとも呼吸などの基礎代謝だけでカロリーを消費する。その値は意外と大きく、私くらいの体格で一日1800キロカロリーほど。マスターの体格と年齢を考えれば、1200から1300キロカロリーと言ったところだろうか。マスターは激戦で鍛えられているからもう少し上かも知れないが、大体炊いた白米を茶碗に盛って四、五杯分くらいだ。

 寝たきりの病人を放置しておけば衰弱死するのと同じで、何日も放っておけばマスターも衰弱してしまう。無事に戻って来た時に体調を崩してしまっては、カルデアの命運そのものに影響が出かねない。

 マスターは意識がなくとも最低限の生物反応は示すので、腹が減れば目前に食事をちらつかせれば緩慢な動きではあるが食べる。という訳で、噛まずとも容易に嚥下できるものを私が一日二回、食事として作っていた。

「それに、こうやって先輩のお世話をするのも……その、不謹慎とは思いますが、嬉しいんです」

「マスターもマシュに手ずから食事をさせてもらえるとは幸せ者だな」

「えっ、そ、そんな……そ、そうだといいですね……」

 微かに頬を紅潮させるマシュを微笑ましく眺めていると、マイルームの自動扉が開く音がした。

「マイレディ聞いておくれ! 先ほどミスターPの協力で美人薬を作ったのだがどうかネ!?」

 同時に嵐のような勢いで侵入って来たのは、口髭を蓄えた白髪の老紳士――ジェームズ・モリアーティだった。片手には如何にも怪しげな、ピンク色の液体を満たした試験管が数本あった。

「おや?」

「モリアーティさん、お静かに。先輩は今お取り込み中でして」

「ふむ、そう言えばそうだったネ。この歳になると物忘れの頻度もバカにならないよ」

 悲しいよネ、なんて言いながら加齢による深い皺の刻まれた目尻を緩ませ、試験管を手品のように手元から消すモリアーティ。

 中身は美人薬とか言っていたが、パラケルススも関わっているとなればいかがわしさ満載である。後々追求せねばなるまい。

「これが噂のアレかネ」

 そんなやかましい輩が入って来たにも関わらず微動だにしないマスターを見て、モリアーティが顎に手を添え観察を始める。

「ふむ。呼吸も心拍も通常通りなのに意識だけがない。不思議なこともあるものだ。どうだろう、マスターの世話を私に任せてもらえないかな?」

「モリアーティさんが、ですか?」

 頭上に疑問符を浮かべ首を傾げるマシュ。

 それはそうだ、いくら齢を重ねているとは言えモリアーティは男だ。箸も転がる年頃のマスターの世話にはマシュのような親しい女性を充てるのが妥当だ。

 それに、彼は、

「なに、見ての通りこれでも齢だけは重ねている。子供の扱いもそれなりに、ネ」

 お茶目にウィンクして見せるその仕草も、私には上っ面だけのものにしか見えない。

 ジェームズ・モリアーティ。

 鬼の子酒呑童子。この世全ての悪アンリマユ。稀代の海賊の代名詞エドワード・ティーチ。悪魔の化身メフィストフェレス。

 彼らに並ぶ、悪の枢軸。

 普段は好々爺を演じる彼もまた、悪性を基に生きる存在だ。

「私は反対だ。理由は私が言わずとも、身に覚えがあるのではないか?」

 ただでさえ逼迫している状況下で仲間を疑うことなどしたくはないが、それでも彼にマスターを託すのはいただけない。

「ヒドイなぁエミヤ君。私も信用ないねェ」

 喉の奥でくつくつと嗤い、まぁ仕方ないね、と続ける。

 食えない男だ。

「しかし、間抜けな寝顔だねェ。カワイイけど。とても世界を救うマスターとは思えないよ」

 マスターの胡乱とした表情を覗き込みながら、モリアーティが微笑む。

「大事を成す人物が全員、絵に描いたような立派な人物である方が不自然だと思うが?」

「それもそうだネ。反英霊とはいえ、私みたいなのが認定されちゃうくらいだし……願わくば、キミが私のような腹黒サーヴァントの力を必要としない日が来るといいネ」

「モリアーティさん」

 不思議と、その顔には慈愛に近い色があった。

 彼の本心は本人以外の知るところではないが、どんな悪人であろうとたらし込むマスターの事だ。モリアーティ程の男が籠絡されても不自然ではない。

「ようし! やはり私もそんなマイレディの為に何かしてあげたい! と言うわけで頼むよエミヤ君! ね?」

「だから、マスターとて年頃の女性だ。貴方だから駄目、なのではなく身の回りの世話は男性がやるべきではないことくらい理解できるだろう」

 それこそ身体を拭いたり着替えをさせるのもマシュが献身的にやっている。

 マスター本人は誰だろうとわからないだろうが、そもそも道徳的に男がやるものではない。

「わかってるさ、私はこれでも正真正銘のイギリス紳士(ジェントルマン)だからね。そんな事をしたくてこうも頼み込んでいると思われているのだったら、それこそ心外だヨ」

「では何をさせろと?」

「何、キミがやっているのと同じ事だ。食事を作って食べさせてあげたい。ただそれだけの事だ」

「食事を?」

 モリアーティの言葉に思索を巡らせる。

 通常の聖杯戦争と違い、カルデアのマスターとサーヴァントの関係は少々特殊だ。

 通常の聖杯戦争であればサーヴァントがマスターを裏切る、という事は珍しくない。聖杯戦争においてマスターとサーヴァントの目的は最後まで勝ち抜く事であり、決して相方が自分が召喚されたサーヴァント、またはマスターである必要性は必ずしもない。

 だがカルデアにおいてはマスターは彼女一人しかおらず、サーヴァントがマスターを裏切り危害を加えるメリットが無いに等しい。マスターがいなくなってしまい、結果人理が焼却されてしまえば自分の存在すら消えてしまう可能性が大だからだ。

 ごく一部、スパルタクスやメフィストフェレスといった例外はいるが、他人に従う事を決して良しとしない英雄王のような男が黙ってマスターの指揮下にいるのもその為と言えよう。

 その点においては悪の老紳士モリアーティでもさすがに食事に毒を盛る、なんて事はするまい。

「……そこまで言うのであれば、マシュとダヴィンチさえ良ければ構わないのではないか」

「私も構いませんが……モリアーティさん、お料理できるんですか?」

「勿論だとも。こう見えても休日には家族にスコッチエッグやクランブルを作って振舞ったりしていたのだよ?」

 見たところ手先も器用そうだし、料理の腕については大して問題視していない。が、

「本音を言え、ジェントルマン。そうすれば任せてもいい」

「私もマイレディにあーん、ってやりたい!」

「そんな事だろうと思ったよ」

 子煩悩、と言うかモリアーティはマスターやフランなど、年若い女の子に対してはとことん甘い。

 対象が自分を認めてくれているのならば尚更だ。フランにパパと呼ばれている時など、悪の品性の欠片もない程である。

「マスターの食事は朝と夜の二度だ。今しがたマシュが夜の分を終えたから、次は明朝だな」

「了解した。ではおやすみマイレディ! 明日を楽しみにしていたまえ!」

 満面の笑みをたたえて去って行くモリアーティの背中を見送る。

「……大丈夫でしょうか」

 扉が閉まったところで、マシュがぽつりと口にする。

 マシュの危惧もわかる。マスターに危害を加えることは皆無に近いだろうが、何しろ相手はかの稀代の名探偵・ホームズの好敵手だ。

「奴とてカルデアのサーヴァントだ、おかしな真似はしないだろう。何なら毎回、私か君が監視でつけばいい」

「そうですね……何事も、なければいいのですけれど」

 それは、何もモリアーティだけに向けられた言葉ではないのは明確だった。

 モリアーティの事も心配ではあるが、それよりも。

 目の前で何もない空間を見つめ呆とする少女が無事に意識を取り戻す保障もまた、何処にもないのだ。

 我々から出来る事が少ないとはいえ、決して楽観視していられる状況でもない。マシュは、それを一番痛感している。

「……きっと、大丈夫さ。何せうちのマスターはしぶとさだけはアルスターの御子並だ」

「そうです、よね」

「ああ、では我々も戻るとしようか」

 自分に言い聞かせるように頷くマシュの肩を、軽く叩いてやるのだった。

 

 //

 

「お待たせ諸君アーンドマイレディ! 親愛なるダディがやって来たヨ!」

「イーヒヒヒヒ! 呼ばれてなくとも飛び出ます! 助手のメッフィー君でェす!」

 翌日、マスターの状況は変わらずのままの所に、やけに可愛いキッチンミトンをはめた手に大きな鍋を持ち、約束通りモリアーティはやって来た。

 ……後ろに数多くの一口サイズに切られた食材を抱えた道化師を従えて、だ。

「なんだその鍋と……助手は」

「チーズフォンデュだよ、カロリーも腹持ちもいい。今のマイレディにはピッタリだと思わないかネ?」

「チーズフォンデュですか……私は初めて見ますね」

 チーズフォンデュ……スイス発祥の料理で、チーズを溶かしてワインやオリーブオイルなどと一緒に煮詰めたものに、パンや野菜を絡ませて食べるものだ。メフィストフェレスが持つ食材にも、フランスパンや色とりどりの野菜、加熱済の肉などが並んでいる。

 日本では名こそ知られているが、その作る手間とチーズを主食とする歴史のないことからあまり馴染みのない料理でもある。

「彼は自分で言った通り、助手だヨ。あいにく多くの食材を運ぶのにこの老体では厳しくてネ、通りすがった所を協力してもらったんだ」

「いやはや、私のような悪魔がお手伝いなんて柄ではないのですが、なんとも美味しそうな香りに惹かれまして! 勢いで私も食べられないかなーと助平心と共にやって来た次第でェす!」

「たしかにおいしそう……ですね」

 こくり、とマシュが僅かに唾を飲む音が聞こえた。

「勿論、ここにいる皆にも振舞うつもりだとも。その為の大鍋だ」

「ほ、本当ですか?」

 身を乗り出すマシュに少々、微笑ましいものを感じ口元が緩む。彼女とてマスターと同じくして、成長期真っ只中の少女なのだ。

「本当だとも。マイレディも皆で食べる方が賑やかで嬉しいと思ってネ」

 それは、私には思い付かない発想だった。

 確かに食事は独りで食べるよりも大人数で囲んだ方がいい。マスターは意識がないとはいえ、異論を挟む余地はなかった。

 暇な悪党の享楽かと思ったが、モリアーティもマスターの今の状況を慮っているのか。

「では、参ろうか。パンにチーズを満遍なくつけて、と。熱いからやけどしないようダディがフーフーしてあげようネ!」

「……」

 口にするのも恥ずかしいセリフを臆面もなく行動に移すあたり、やっぱりただの子煩悩なだけかも知れなかった。

「ほらほらマスター、おいし〜いチーズフォンデュだヨ〜?」

 マスターの鼻先に竹串に刺さったパンをちらつかせると、微かな反応の後、小さな口が開く。

「はいマイレディ、あーん」

「…………」

 大した抵抗もなく、口に入れ、咀嚼し、嚥下する。

「うんうん、ダディはたくさん食べるキミが好きだよ。さて、我々もマスターにあーんしつつもいただくとしようか」

「イイィィヤッホオオオオゥ! ではでは遠慮なくいっただっきマース!」

「エミヤさん」

 私も参加していいでしょうか、と喜色を抑えきれない表情でマシュが訴えかけてきていた。

「ふっ……くっくっく……」

「わ、笑わないでくださいよ!」

「いやいや、こんなにもはしゃぐ君を見るのも珍しいと思ってね、すまない」

 更に言うのならば、マスターがこの状況に陥ってから、マシュは何処となく元気がなかった。

 致し方のないことだ。長い間信頼し合ってきたパートナーが原因不明の意識不明状態にある――いつも通りに過ごせ、と言う方が酷だ。

「問題はないだろう、マスターと一緒に楽しんで来るといい」

「はいっ」

 ぱああ、と表情を輝かせて、多くの食材を前に逡巡を始めるマシュだった。

 チーズフォンデュは自分で食材を選び串に刺し、自らチーズをつけて食う、というエンターテイメント性の側面もある。日本でもバイキング形式の飲食店ではちらほら見られる。

「メフィストフェレスさん、お肉ばっかり取らないでください、先輩の分が!」

「これは失礼、しかしお肉を好むのは悪魔のサガでして!」

「お肉1にお野菜2ですよ、破ったらナイチンゲールさんに言いつけますから」

「それだけはご勘弁を! 私悪魔ですがあの方には勝てる気がしませェん!」

「なに、食材は山ほどある。好きなものを食べるといい」

 その様子を同じように微笑を浮かべて見守るモリアーティと目が合う。

「何かネ、エミヤ君」

「いや……予想外の内容だった。礼を言おう」

 マスターの世話はともかく、マシュに関しては礼を言うべきだ、そう思っての言葉だった。

 私はマスターの事ばかりを考えて、周りにいる者のことを考慮に入れていなかった。

「なに、元々君がやっている事に少々色をつけただけだ。礼を言われる筋合いはないヨ」

「しかし」

「マスターの事は皆心配している。だが、残された者の事も考えてやらねばならん」

 残された者、か。まさにその通りだ。

「はい先輩、あーん」

 今現在、戦っているのはマスターだけではない。マシュはもちろん、ダヴィンチもホームズもカルデア職員も、今こうしている間にもマスターの為に尽力しているのだ。

「私もどちらかと言えば『残された者』側だった。生前もあれこれと悪事を巡らせたが――望んだこととはいえ、置いて行かれるのは、あまり気分のいいものではないからね」

「……そうだな、心得ておくよ」

「さて、そろそろ私もいただこうかネ。キミも精々楽しむといい」

「ああ。マスターの意識が戻ったら、もう一度催すとしよう」

「フ。そうだネ、それもいい」

 ホームズと対立し、ひとり孤立した悪の老紳士。

 それは決して褒められるものではない。やっている事は紛れもなく悪事であり、それはいつか正義の者によって誅される。

 だが彼とて人間には違いはない。自分のやったこととはいえ、自分の手駒が次々と消え、最期の時、ライヘンバッハの滝に至った際、彼は何を思ったのだろうか。

 その矛盾とも取れる彼の孤独を、私は今日、垣間見た気がしたのだった。

 

 //

 

 後日談。

「きぃええええええぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 マスターの意識が戻った数時間後。

 突如として猿の叫び声のような慟哭がカルデア内に響いた。

「この声は」

「うむ、マスターだナ。Gとでも遭遇したか?」

「マスター!」

「待てエミヤ! Gと戦うのならば洗剤をもっていけ!」

 タマモキャットと共にマスターのおかえりパーティの準備をしていた私は、その悲鳴を聞きタマモキャットの静止(?)も聞かずマスターのマイルームへと直行する。

「大丈夫かマスター、何があった!」

 と、

「あ、エミヤさん」

「え、エミヤ……」

「なっ、すっ、すまない!」

 マイルームの扉を開けるなり、全裸のマスターと、その脇に控えるマシュに遭遇した。

 脊髄反射で後ろを向き視線を泳がせる。

「き、君の悲鳴が聞こえて駆け付けたのだが……見てしまったことは事実だ。謝ろう、すまない」

「いいよ別に……うえええん……マシュぅ……」

「それよりも早く服を着たまえ! というか少しは恥じらいを持ったらどうなんだ!」

「エミヤさん、食事前に服を全部脱いで測るのは女子として当然です」

「そうか……わかった。わかったから服を着てくれ」

 マスターが服を着るのを待ち、本題へと戻る。

 見たところマスターがべそをかいていたが、一体何があったというのだろうか。意識が戻った当初は特に異常は感じられなかったが……。

「で、何があった?」

「たっ、体重が」

「体重?」

「その……なんか、ふっ、増えてて……」

「そうか、大変だったな。パーティは二時間後だ、遅れるなよ」

 マスターの言葉を一刀のもとにばっさりと切り捨て、マイルームを後にしようとする。

 年頃の女子としては一大事なのやも知れないが、全力で駆け付けた自分が馬鹿らしくなって来た。

「待ってよエミヤ、ちょっとは話聞いてよ!」

「…………」

「エミヤさん、お気持ちはわかりますが、明らかにおかしいんです」

「おかしい、とは?」

 マシュがいつになく真摯な表情だった。

「先輩はこれでも体型の維持には全力を尽くしているんです」

「ほう」

「はい。いつも三食欠かさずアルトリアさんに匹敵するほど食べ、三時のおやつどころか夜食も欠かさない先輩ですが、長い間お傍で見て来たので間違いありません」

「マシュ? 先輩のヒットポイントはそろそろゼロだよ?」

「その先輩が……それも意識の回復の直後にこんな体重の増加なんて、あり得ないんです」

「…………」

 言われてみれば、そうなのかも知れない。

 マスターはここ数日、言ってしまえばずっと寝ていただけだ。食事も最低限、体調を崩さない程度にしか与えていない。どれだけ増えたのかは知らないが、マスターの様子を見る限り、誤差の範囲で済まされるものではないのだろう。

 大食いの直後ならばまだしも、空に近い胃袋で体重が増加する。そんな不可思議な現象が起こり得るとしたら――、

「やあマイレディ! 目覚めたと聞いてダディがおはようのあいさつに来たよ――うん?」

「あんたの仕業か、モリアーティ」

 今回、マスターに関わったのは職員を除けば、私とマシュ、それにモリアーティだけだ。

 私は勿論身に覚えなどないし、マシュがマスターの意向に反することをするとは思えない。

 となれば、だ。

「寝ているマスターに何かしただろう、それしか考えられん」

「ンー……思いの外、早かったネ。エミヤ君、探偵の素養があるんじゃないかネ?」

 やはりか。

「モリアーティ……私に、何をしたの」

 いつになく真面目な顔つきで、マスターが令呪の刻まれた手の甲を見せつつ、モリアーティに問う。自分の意志で答えなくとも令呪を使って聞き出すぞ、という脅しだ。

 その内容が彼女の体重について、というのは若干締まらない点ではあるが。

「いやなに、特別なことはしていないよ。ただ――」

「ただ?」

 マスターの尋問に対し、白髪混じりの口髭を凶悪に歪ませ、モリアーティは嗤う。

 それこそ悪の象徴であると言わんばかりに。

 獣性を剥き出しにした嗜虐的な笑みだった。

「寝ているキミに、美味しいものをたくさん食べさせてあげたのだよ」

「な……」

「実に――実に楽しかった」

 大仰に両手を広げ、回顧を始めるモリアーティ。

 その様は、悪人が誇らしげに自らの悪事を語るには相応しく。

「ここに誰もいない時間帯、ここに忍び込んだ。君の好物をたっぷりと用意してね」

「常に監視カメラが回っていた筈だが」

「カメラなど。そんなもの、偽の映像を流すだけでどうにでもなる」

 カルデアのシステムにも干渉済み、という訳か。これでこの件は衝動的なものではなく、計画的な犯行に間違いなくなった。

「眠るマイレディは実に良く食べてくれた――焼肉に白米、ラーメン、うどん、ステーキ、からあげ、チョコレート、カフェオレ、みたらし団子にケーキ――!」

「この、外道……!」

「食堂の食材が毎日微妙に減っていたのはお前の仕業だったのか」

 てっきりアルトリアの誰かがつまみ食いでもしているのだろう、と思ったのは浅慮だったと言えよう。

 しかし、ひとりで毎日秘密裏にせっせとマスターに食事を与えるモリアーティの姿を想像すると、あまり威厳があるようには思えなかった。伝説的な悪の象徴となれば猶更である。

「笑顔でモリモリ食べてくれるものだから私も張り切ってしまってネ……いやぁ、楽しかったヨ」

「モリアーティ、目的はなに!?」

「アラフィフ、女の子は少しくらいぽっちゃりしていた方がカワイイと思う!」

「女が可愛いって言えば何でも許してくれると思うな!」

「はぁ……」

 頭が痛い。

「モリアーティは今から日付が変わるまで正座。『私はマスターを怒らせました』ってフリップつけてね。あと二週間はパパって呼ばないから」

「そんな殺生な!」

「レオニダス! レオニダァス!」

「お呼びでしょうかムァスター!」

「今から私用の筋トレのメニューを考えて、一切手加減しなくていいから!」

「んぬううううううう……なんということだ! マスターがついに筋肉に目覚められた! よろしい、このレオニダス、あらん限りの知識を振り絞ってマスターを鍛え上げて見せましょう!」

 怒号と哀願の声がひしめく中、マスターの部屋を後にする。

 さて、私は引き続きパーティの準備をしてくるとしよう。

 

 

 

 

 

 


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