カルデア食堂   作:神村

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人斬りお刺身定食

 それは、夕食時のことだった。

「……強くなりたい」

 マスターが夕餉を前にぽつり、と小さく、それでいて強い意志を含んだ芯のある言葉を発したのは。

 その場にいた私を含めたサーヴァントの面々が例外なく、普段聞き慣れぬマスターの台詞に各々反応する。

 食堂の隅でたくあんを肴に、熱燗で少しずつ唇を濡らす土方歳三。僅かにその狂戦士にしては狂気の色が薄い眼を細めるのが見て取れた。

 酒は嫌いなのか、その対面で土方と会話を交わす訳でもなく、ただ暇そうに頰を机に擦り付けていた沖田総司。退屈凌ぎでも出来たと思ったか、その猫のような大きい眼に好奇心の色が灯る。

「……突然どうしたのかね、マスター」

 放っておけば誰かが訊いただろうが、この場の最古参として、彼等を代表してマスターに問い掛ける。

 ここにレオニダスがいなくて助かった、と思う。もし彼がいたら、筋肉の素晴らしさと肉体鍛錬について怒涛の如くまくし立てる姿が容易に想像できる。

「何か気になることでもあったのか?」

「ううん、特に何かあった訳じゃないけど……ほら私、いつも守ってもらってばかりだから」

「何言ってんですかマスター。将軍様を守るのが、」

 沖田が席を立つとマスターの向かいに座り、私たちの役目ですよ、と続ける。

 沖田の言う通り、マスターとサーヴァントの関係は使い魔とその主人だ。マスターは司令と後方支援が役目であり、前線に出て戦う事はほぼ皆無と言ってもいい。

 それはそうだ、腕の一振りで人体を破壊するような力を持つ敵を前に生身の人間が先んじるなど、自殺行為に等しい。

「そりゃサーヴァントのみんなより強くなれるとは思ってないけど……やっぱり、さ。いざという時に自分の身を守れるくらいの強さは欲しいな、って」

「なるほど……とは言っても、そう簡単に一朝一夕で身につくものでもないですよ」

「ええー、なんかないの? こう、バーっと沖田さんみたいに強くなれる心得とかコツとか」

「無茶を言うものではないぞマスター」

 そも強さとは鍛錬の結果であり、日々の積み重ねによって作り上げられるものだ。

 例え相手が稀代の剣士、沖田総司と鬼の新撰組副長、土方歳三が相手とて無理な話である――はず、なのだが、

「それじゃあ優しくカワイイ沖田さんが手っ取り早く強くなる方法を伝授して差し上げましょう!」

「やった、さすが沖田さん! なになに、剣術でも教えてくれるの?」

「剣術? 剣術なんか習ったところで強くはなれませんよ?」

「え?」

「少なくとも沖田さんの時代ではあんなものは既に様式美ですよ。まあ身体は鍛えられますし、戦いの手段のひとつにはなりますが、どれだけ鍛えたところで急所を刀でひと突きされたり、鉄砲で撃たれたら人は死んじゃいますからねえ」

「そりゃそうだろうけど……それじゃあ、沖田さんが言う強くなる方法ってなに?」

「よくぞ聞いてくれました! それはですね、ずばり、人を斬ればいいんです!」

「――――」

 沖田の底抜けにあっけらかんとした声音に、マスターが思わず絶句する。

 それもそうだ。

 沖田総司と言えば日本人ならば誰でも知っている名高き新撰組一番隊隊長――だが、実際会ってみればなんてことは無い、どこにでもいそうな女の子だ。

 病弱であることをカバーするかのように冗談を言い気丈に振る舞い、いつも笑顔を絶やさない元気印のサーヴァント。それがカルデアにおける沖田総司という剣士だ。

 その沖田総司の口から出た言葉は、強くなりたければ人を殺せばいい、と言う。

 毎日のように天真爛漫に信長と夫婦漫才を繰り広げている沖田とは思えない言葉だ。

 そんな普段と違う雰囲気の沖田に呆気に取られている私とマスターに対し、沖田は興奮気味に続ける。

「いいですかマスター。敵に勝つ、ということは極論、相対する敵を行動不能にする――つまり息の根を止めることです。どんななまくらな腕の人間だって、人を何人も何人も斬っていくうちに相手を倒せるコツが――」

「沖田」

 と。

 何かを察したのか、今まで沈黙を保っていた土方が沖田の名を呼ぶ。

 その声は低く重く、殺意すら含まれているとさえ感じる。眼の色を変えた沖田を止めるには十分過ぎた。

「眼ェ濁ってンぞ、顔洗って来い。それとも腹ァ斬りてえか」

「……はい」

 すみませんでしたマスター、と土方に咎められて正気に戻ったのか、視線を伏せて申し訳なさそうに縮こまる沖田だった。

「いやあ、あはは……人斬りの話になるとテンション上がっちゃって……ほらー、沖田さんの唯一の取り柄ですから」

 なんて笑いながら冗談めかして取り繕うも、いつもの天真爛漫ぶりに精彩は見られない。本人の言う通り、何か変なスイッチが入ってしまったようだ。

「……まあ、沖田の言ってる事ァ間違ってる訳じゃあねえ。許してやれ」

 どのような腹積もりなのか、殺伐とした空気の中、土方が便乗して話を続ける。

やっとう(・・・・)なんて実戦じゃ糞の役にも立たねえよ。沖田の言う通り、強くなりてえってのが敵を倒すって事だってんなら、」

 なるべく多く、人を殺す為に刃を振るう事だな。

 と、土方は言い切った。

「――――」

 マスターは何と返していいかわからずにいるのか、まばたきもせずに絶句している。

 そんなマスターに追い討ちをかけるかのように新撰組副長、土方歳三は続ける。

「おいマスター、なんだその顔は。俺と沖田を何だと思ってンだ」

「何、って」

 新撰組副長と、一番隊隊長。その筈だ。

「ただのたくあん好きの親父とはしゃいで血ィ吐く面白え馬鹿じゃねえぞ。もっと始末が悪い(・・・・・・・・)。何故だか現代じゃ妙に持て囃されちゃあいるが、俺等ァ只の人斬りだぜ」

 と、自虐的に嗤う。皮肉にも今日初めて見た土方の笑い顔だった。

 信長が時々沖田を評して弱小人斬りサークルの姫め、とからかう事があるが、あながち間違ってはいない。

 新撰組の前衛組織である壬生浪士組は、元々権力を持つ者が明確な目的の下に作った正式な組織ではない。

 各々の思惑こそあれど、成り立ちを見ると偶然出来てしまった、と言っても違和感はない程だ。面子も九割が武士ではない農民や平民で、悪く言えば少々腕に覚えがある者の寄せ集めである。

 それを歴史に大きな名を残す組織にまで伸し上げた、近藤、土方を含める隊員達の手腕は流石と言うべきだが。

「……そうですね。新撰組は、誰かを斬る度に大きくなりました。個人の能力も。新撰組そのものも」

「しかもその殆どが仲間殺しだ。勝手に組作って勝手に殺し合ってんじゃあ、世話ねえよな」

 土方の言う通り、新撰組の大きな特徴のひとつとして、戦闘による討死よりも内部粛清による死亡数の方が多かった、という事実がある。

 初代新撰組局長・芹沢鴨を筆頭に、副長・山南敬助、参謀・伊東甲子太郎、五番隊隊長・武田観柳斎、八番隊隊長・藤堂平助など、その全てが士道不覚悟による粛清の名の下に断罪されている。幹部クラスでもこの数なのだから、一般隊士はもっと多いのだろう。

 そして沖田も言ったように、これらの事件が起こる度に新撰組という組織は強く大きくなって行った。

「他の奴らはどうだったか知らねえが、沖田も俺も、やれ佐幕だ何だと綺麗事を抜かしちゃいたが、根っこの所じゃ人斬るのが大好きなんだよ。だから死んだ後ですら聖杯なんて与太に騙されてンだ」

 その時私は、土方歳三という一介の人物がバーサーカーとして召喚された理由を、垣間見た気がした。

 人を斬る、相手を倒す、正面切って表現してしまえば他人を殺す。

 それは弱肉強食に当てはめると、相手より優れているという事になる。私も正直、生前も戦闘の末に倒した相手に対し、優越感を覚えた事がないと言えば嘘になる。

「……そうだな。土方の言う通り、強くなりたいと言うのならば、実践に勝る経験はないのは確かだよマスター」

「エミヤ……」

 土方の言うことは最もだ。正論過ぎて返す言葉すら見つからない。

 短絡的だと思うし、言い方はどうかとも思うが、私も人を殺せば強くなれる、という点に関しては同意できる。

 目の前の相手を倒す。次の相手も倒す。次の次の相手も、次の次の次の相手も倒す。相手がいなくなるまで生き残れば名実共に間違いなく最強にはなれる。

「だがなマスター、他人の命を奪う事を前提とするこの方法では――何も、得られない」

「…………」

「そうだ。強くなりたきゃ自分以外皆殺しにすりゃいい。それが一番手ッ取り早ぇ。だが人殺しはどこの国、いつの時代だって大罪だ。跡に残るのァ死体の山と次の敵よ。全人類皆殺しにするまで終わらねえ」

 何か思うところがあったのか、そんな事出来る訳ねえのにな、と誰にともなく土方が柄にもない言葉をこぼす。

 土方は新撰組の隊員の中で唯一、結成から解散までの終始を一貫して戦い続けた男だ。晩年においては意地のようなものさえ汲み取れる。

 どんなに桁外れの能力を持っていたと仮定しても、個人が殺せる数などたかが知れている。

 例えうまくやったとしても、辿り着く先は――私や土方、沖田のような、人殺しが上手い傭兵くずれだ。

「んもう、土方さんの話は飛躍しすぎですよ。なんで人類皆殺しまで発展するんですか」

「うるせえ」

「さっきも言いましたがマスターを護るのは私たちサーヴァントの役目です。マスターは今のままでいいと思いますよ」

「俺たちはかつて幕府の刀だった。今はお前さんの刀だ、マスター。刀は敵味方問わずに良く斬れるが、自分から何かを言ったりはしねえ。持ち主に従うのが正しい刀の在り方だ。主人の代わりに手を血で染めるのが俺たちの仕事だが、その行為そのものに意味を持たせるのは上に立つモンの仕事だ」

「意味を、持たせる……」

「はい、マスター次第で私たちは極悪人にも救世主にもなれますから」

 強くなることとは、決して敵を打倒することだけではない。

 相手を説得することの出来る弁舌も強さであり、金で解決できる財力も強さだ。

「要は強さとは、自分の思うままに他人を動かせる力のことだよ、マスター。今の君には、充分にその力があると思うが?」

「お前さんなら、俺を上手く使えると思った、時代は違っても俺は新撰組で在れる――そう思ったから、使われてやってんだよ」

「…………」

 珍しく饒舌な土方のせいもあるのだろう、マスターはいつになく神妙な面持ちで、膝の上に置いた手に力を込めていた。

 今、マスターは安易に強くなりたい、等と言ったことを恥じているのかも知れない。

 カルデアにいるサーヴァント達は、一人一人が一個大隊に匹敵する力を持ちながら、それでもなおこの世に未練を遺して喚び出された者ばかりだ。私だってそうだし、ここにいる土方と沖田も理由は各々違えどそうなのだ。

 言わば我々の強さとは、人として生きてきた人生の軌跡と、死してなお戦わねばならない、という死後の安寧を犠牲に得たものとも言える。

 それを人の身で追い付こうなど、烏滸がましいにも程がある。

 だが、

「それに、刀は何処まで行った処で刀だ。包丁になって野菜を切ったり、鍬になって畑を耕したりは出来ねえ、人を斬る、殺す事しか能がねえのよ。だがマスター、てめえにはまだいくらでも変われる余地があるだろう」

 そう、マスターはもうある意味終わってしまった我々とは違い、『この先』がある。

 それはいくら我々が聖杯に願っても得られない、無限の可能性だ。

「君の手は人の命を奪う為に在るのではない。溢れた水を掬う手だ。血塗れの手じゃ水まで濁ってしまうだろう。こういう言い方は卑怯かも知れないが……君は、綺麗なままでいてくれないか」

「……みんな、らしくない。ずるいよ」

「そうだな」

 思わず苦笑いが溢れる。土方はいつもの仏頂面だが、沖田は私と同じ思いだったのか、面映そうにあさっての方向に視線を遣っていた。

 確かに、らしくはない。

 土方も沖田も要はマスターに自分たちと同じ道を歩んで欲しくないのだ。少々言い過ぎな表現もその為だろう。

「……ありがとう。私、強くなるね」

 マスターが胸の前で握った拳に力を入れる。

 一安心、というところか。これでサーヴァントの身体能力に追い付こうと無茶な鍛錬をするような事はしまい。

 胸を撫で下ろす。

「よしっ、難しいこと考えたらお腹すいた! エミヤ、ごはん!」

「そう来ると思っていたよ……沖田と土方もどうだ?」

「いらん」

「まあまあ土方さんそう言わずに、エミヤさんのご飯すっごく美味しいんですよ!」

「おい離せ沖田……人の話聞け!」

 早々と無関心を決め込んでいた土方の腕を沖田が引っ張り、マスターと挟んでテーブルに座らせる。生前もこんな感じだったのだろうか、と思うと鬼の副長の肩書きも微笑ましい。

「好きだからってたくあんばっかり食べてたらハラワタまで黄色くなっちゃいますよ。あ、土方さん腹黒だから丁度いいかもですね!」

「阿呆か……勝手にしろ」

 辟易した表情でわざとらしく特大の溜息を吐き出す土方だった。

 かつて信頼し合った、背中を預けられる相手が戦場にいるというのはいいものだな。

 私には――彼女しかいなかった。今の私には名乗る資格も権利もないが、それでも目に見えない何かで繋がっている。そう思いたいものだ。

 今日の夕飯に、と予め仕込んであった大皿を冷蔵庫から取り出す。人数分の小皿も忘れない。

「こんなのはどうだ? 主菜にも酒の肴にもなる」

「お刺身だ、やった!」

 皿の上に並ぶのは、色とりどりの刺身。海賊一味とランサー部隊が船まで出して釣って来たものだ。

「醤油とわさびをつけて食べてくれ。こちらのアジのたたきは醤油と生姜、抵抗がなければおろしにんにくを入れると美味いぞ」

 ご飯大盛りね、とはしゃぐマスターに対し、土方と沖田は未知の食材でも見るかのような様子だ。

「刺身? 刺身って確か……」

「生の魚だな」

「ああ、先ほど君の例え話ではないが、刃も用途によってはこのような綺麗な切り口で切れる……好きではなかったか?」

 日本人で刺身が嫌いな者はそうはいない、とは高を括ってはいたが、生ものは苦手なのだろうか。

「いや、珍しいだけだ。海際に住んでるなら兎も角、刺身なんて平民には簡単には手が出なかったからな」

「すごい! ごちそうですよ土方さん!」

「うるせえよ。美味いのは知ってるが鉄砲鍋と同じで当たったらただじゃ済まねえから、好き好んで食う奴はそういなかったってだけだ」

 鉄砲鍋……河豚か。さすがに河豚は調理したことがない。

 明治維新の頃に刺身は既に浸透していたとはいえ、冷蔵庫もない時代では保存も難しい。内陸に生きる者にとっては目にすることも珍しかったのやも知れない。

 食中毒という言葉すらない時代だ。敬遠されるのも無理はない。

「鮮度に関しては問題ない。毒のある魚も使っていないから、懸念すべきは私の調理の腕と、君達が私に毒を盛られる心当たりがあるかどうかくらいだが?」

「は、言うじゃねえか」

 と、不敵に笑いながら指先で刺身を摘んでぺろりと口に入れる土方だった。

「ん、美味え。もっと生臭えかと思ったが、そうでもねえな」

「これがまた白いご飯に合うんだよ……おかわり!」

「んん〜、やっぱりエミヤさんのご飯は美味しいです! あとでノッブに自慢してやりましょ」

「何だったら信長と茶々も呼ぶか?」

「私の取り分が減るからダメです。というかノッブは今死にました」

「貧乏性は治ってねえな」

「新撰組みたいなお腹空かせた野郎どもの中で生活してたら嫌でもそうなりますよ……食べられるうちに美味しいもの食べておかないと、全部食べられちゃいますから」

「でも賑やかで楽しそうだね」

「とんでもない、ご飯どきなんて毎日戦争ですよ。原田さんや井上さんなんていつも私のおかずを奪おうとして……」

「おい、酒」

「ああ、あまり飲み過ぎるなよ」

 土方と沖田は自分を刀だと言った。刀として生きた以上、それ以外の何物にもなれない、と。

 だが、刀は人を傷つけもすれば護りもする。遣い手がマスターならば、土方の言う通り、間違った結果にはならないだろう。

「エミヤ、おかわり!」

「私もおかわりです!」

 茶碗に白米を山盛り、二人の前に置く。

 私もいざという時にマスターを――しいては自分の身も護れる刀で在りたいものだ。


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