カルデア食堂   作:神村

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影の国アイリッシュ・シチュー

 その日、サーヴァントとしての役目を終えていつも通り食堂へと向かうと、厨房の中には先客がいた。客席にはちらほらと職員やサーヴァントの姿が見えるだけで、混んではいない。もう一時間もすれば、夕食を目的にやって来る者達でここも賑やかになることだろう。

「――――」

 自分の見間違いか、もしくは久しい出撃で疲れているのか、と思い目をこするも虚しくその光景は変わらない。

 艶やかな紫の長髪。見る者が見れば一眼で武芸の達人だとわかる佇まい。加えてなぜか縦のラインが入ったセーターにロングスカートを着た上、エプロンを着けるスカサハの姿がそこにはあった。

 鍋の前に立ち、レードルに口をつけている所を見ると、もしかしなくとも何か料理を作っているのか。

 彼女は食堂に来る事すら稀なのに、その上料理とは無縁のイメージが強い。

 あらゆる面で純粋な強い女。女である前に、生粋の戦士。

 それがカルデアにおけるスカサハの印象だ。他のサーヴァントや職員に聞いても大差はないのではないだろうか。

「すまないな、エミヤ。勝手に使わせて貰っているぞ」

 と、驚愕と戸惑いに声を掛けるのも忘れて突っ立っていたところを、流し目で指摘される。だいぶ前から気付いていたらしい。

「いや、元々私の私有物でも何でもない。ただカルデアの財産である以上、節度を持ってくれれば誰であろうと使って貰って構わんよ」

「そのつもりだよ。どれ、私を見て呆ける暇があるのなら手伝ってくれぬか?」

「…………そうだな、承った」

 戦士たるもの、いついかなる時も平常心を忘るる事なかれ、と暗に言われた気がした。ましてや相手が戦女神に近しい存在であれば沁み入ることこの上ない。

「何をすれば?」

「じきに完成する。汁物を入れる皿を四つ、出してくれるか」

 大人しく言に従いエプロンを投影、棚から食器を取り出す。

 と、今までスカサハに意識が寄っていた為気付かなかったが、カウンターには既に客がいた。

 ミルクを傾けるダビデに、スカサハに呼ばれたのか、不貞腐れ顔のランサーのクーフーリン。手持ち無沙汰なのか、二人で何やら話している。

「縦セーターにエプロン……あれは卑怯だとは思わないかい、クーちゃん」

「そうかい。あんなのがいいたぁ、あんたも相当な物好きだな。あとその呼び方やめねえとぶっ刺すぞ」

「いやいや、文句のつけようがないくらいにアビシャグだよあれは」

「……あんたが女好きなのは知ってる。他人の惚れた腫れたに関わる気もねえ……だが、一応関係者として警告はしとく。やめとけ」

「どうして? 自分の師匠を取られるのが癪なのかい?」

「全然。丸く収まってくれんなら大歓迎だ、是非持ってってくれ。だけどなぁ、ありゃ女の形をした他の何かだぜ」

「でもいいじゃないか、あの後ろ姿はアビシャグものだよ。まるで団地にある五階建てマンションの隣に住む夫は単身赴任であまり家におらず会うと必ず無愛想ながらも挨拶してくれて食事は毎日外食かコンビニ飯の僕の体調を慮って時折肉じゃがやおでんと言った家庭の味を作りすぎたから貰ってくれ口に合わなければ捨ててくれればいいとお裾分けしてくれる小学生くらいの可愛らしい娘が一人いる料理と裁縫が趣味の五年振りに会った暁には全く変わらない容姿で『でかくなったな』なんて途方もない包容力と共に迎えてくれる若奥様のようだよ」

「キャラ付けが長えよ……けっ、何が若奥様だ。大体師匠が何歳だと思っ――うおわっ!?」

 酒も口にしていないのに管を巻くクーフーリンの目の前に、目にも留まらぬ速さで投擲された中華包丁が、すこん、といい音を立てて突き刺さる。

「スカサハ、カウンターを壊してくれるな」

「ああすまん、眉間を狙ったのだが槍以外の扱いは不得手でな、狙いが外れた。なに、もし壊れたらそこの馬鹿弟子に修理させよう」

「んなっ、だっ、なんで俺が、」

「何か文句でも?」

「…………いや」

 殺気溢れる笑顔で凄まれては、何も言えず首肯するしかないクーフーリンだった。いい気味だ。

「ところで、あそこの二人ではないが、その服はどこで調達した?」

 服は魔力で編むサーヴァントに衣服は必要ないし、スカサハが趣味でこんな服を持っているとは到底思えない。

 もし私が趣味で作った、なんて言われた日には、カルデアに未知の病原菌が蔓延していると疑うだろう。それ程にスカサハには相応しくない服だ。

 いや、ダビデの言う通りこの上ないほど似合ってはいるのだが。

「この服か? 普段着を持ち合わせていない、とマスターに相談したらくれたものだ」

 動きにくいがなかなか暖かいぞ、と微笑を浮かべて見せるスカサハだった。

 何だか全力でマスターの趣味が入っている気もするが、スルーしておこう。私も命は惜しい。

 服の話題で茶を濁しはしたが、それよりも、最優先で聞かねばならない事がある。

「……何故料理をしているのか、聞いても?」

「ああ……私が料理など似合わんからな。何が起こったと思われても仕方がない。最もな疑問だ」

 鍋の中身を盗み見ると、大き目に切られたじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、牛肉などがごろごろと煮えている。材料から見るにクリームシチューだろうか。だがシチューにしてはルウや牛乳が見当たらない。

 傍らに置いてある調味料は塩こしょうにパセリやタイムといった香草の数々、そしてビール……ビール?

 まさか調理しながら飲むわけではあるまいし、煮込み料理にビールを使うとは珍しい。

 勝手に料理について考察していると、弱火にかけた鍋の中身をレードルでゆっくりかき回しながら、スカサハは続ける。

「なに、単なる慰労だよ」

「慰労? 貴女のか?」

「いや、そこにいる不肖の弟子にな」

「――――」

 と、流し目でクーフーリンを指すスカサハだった。

 当の本人はどんな心持ちなのか、目を見開いて固まっている。

「私の許可もなくねずみのように増えた馬鹿弟子どもも、たまには労ってやらんといかんと思ってな。らしくもないが故郷の料理を食わせてやろうと思い立ったのだ」

 その横顔は、こう言っては何だが、慈愛に溢れたものだった。

「やあ、いいお師匠じゃないかクーちゃん。僕の彼女に対するDP(ダビデポイント)急上昇中だよ!」

「なんだこれ……なんだこの状況……嫌な予感しかしねえぞ……」

「スカサハ殿、良ければ今夜僕と一杯美味い酒でも酌み交わしませんか?」

「身に余る光栄だが、私はただの槍を振り回す事しか能のない一介の戦士だ。貴方に釣り合う女などではない」

 止める隙もなくナンパを始めるダビデを軽くあしらうスカサハだった。

(クーフーリン曰く)冷酷で、比武にしか興味のない女性と聞いていたが……先程のような女性らしい表情も出来るのか。

 だから、と言うわけではないが、その彼女が作っている鍋の中身に興味が湧いた。

「これはなんという料理なんだ?」

「現代風に言えばアイリッシュシチューだな。具はお主が作るクリームシチューと同様だが、味付けは塩だけで作る」

 セタンタやフェルグスとも良く食ったぞ、と付け足す。なるほど確かに素材と基本的な調味料さえあれば作れる内容だ。作り方もシンプルな故に、文化として根付いたのだと予想できる。

「なるほど。ビールを入れたのは肉を柔らかくする為か?」

「そうだ。本来ならば羊肉を使うのだが、ここには無かったのでな」

 羊肉は焼肉にすると美味いのだが、香りに癖があり好みが分かれる上に調理も難しい。厨房に常備してあるのはオーソドックスに豚、牛、鳥だけだ。

 アイリッシュシチュー、か。素材と調理方法で大体の味の予想はつくが、聞いたこともない料理な上に、あのスカサハが作ったものとなれば、私も是非後学の為にも食べてみたい。そう思い、

「良ければ私も一口、頂いてもいいかな」

 その問いに、スカサハが珍しく目を見開いて驚いていた。戦闘中であろうと表情ひとつ崩さない彼女が、だ。そんなに意外な事を言ったつもりはないのだが……。

「ただの好奇心だよ。無論、無理強いはしないが」

 などと、思わず半身退いてしまった。普段とは違うスカサハの様子に気圧されたと言ってもいい。

「お主も物好きだな。自分で作った方が確実に美味いぞ」

「日常的な料理をする身としては、貴女の作品に興味が尽きなくてね」

「あ、くれるのなら僕も食べたいな」

「……セタンタ共に食わせる分があるからな、一口だけなら構わんよ。だがそれ以上は許さん」

「ああ、十分だよ」

「ほれ」

 ダビデと共に、小皿に牛肉と野菜を各一つずつ盛ったものを受け取る。

「いただきます」

「普段は無骨な女戦士が手ずから作った家庭料理……いいね、すごくいい」

 料理当番であるブーディカやキャットを除けば久々の他人の作った料理だ。

 しかも相手はあのスカサハ――それなりに覚悟を決めて箸でつまんで口に入れる。

「…………!」

 味はスカサハの言う通り塩味一辺倒だが、煮崩れる寸前まで煮込まれた野菜に染み付いた香草の癖のある香りがあとを引く。ビールによって柔らかくなった牛肉も独特の弾力が心地よい歯応えとなって生きている。

 全体的に評するのならば、力強い味。

 これは単品ではなく、付け合わせにパンやライスなどの穀物類を足すことによって真価を発揮する味だ。主食をその少々強いとも思える塩辛さと様々な食感で飽きさせずに進ませる、日本食における肉じゃがのような立ち位置だと予想できる。

「これはいけるね……本当に郷土料理って感じだ。懐かしい味がするよ」

 それに、ダビデも言うように味付けこそ素朴で単調ではあるが決して不味くはない。小細工に頼らず素材の味だけで勝負する料理だ。

 何とも単騎駆けの正面突破を好むスカサハらしい料理とも言えた。

 ああ、一緒に焼きたてのパンが食べたい。

「どれ、どうやら出揃ったようだな」

 未知の料理にしばし浸っていると、いつの間にか食堂には役者が揃っていた。

「なんだよ師匠、急に呼び付けたりして」

 最初からいたランサーのクーフーリンに加え、キャスターのクーフーリン、若き頃のランサーのクーフーリン、バーサーカーとして召喚されたクーフーリン・オルタまで集まっていた。先ほどからのスカサハの口振りからするに、どうやらスカサハが全員集めたらしい。そろそろ光の御子がゲシュタルト崩壊しそうである。

「日頃からの感謝の意を込め、貴様らに料理を振る舞おうと思う」

「はァ?」

「……感謝? 悪意の間違いじゃねえの?」

「拒否することは許さん。食え」

「…………」

 クーフーリン達が互いに互いの顔を突き合わせながら困惑している。

 それもそうだろう、私とて同じ状況になれば間違いなく混乱する。

「おい、槍の俺。なんだよこれは」

「知らねえよ、俺だってさっき呼び出されたばっかで訳わかんねえんだよ」

「正直言やぁこんな気持ちの悪いもん食いたかねえが……」

「食わずに逃げる方が怖ぇ……か」

 いくらクラスや年齢が違えど根は同一人物。結論は皆一緒らしく、オルタでさえもなにも言わずにスカサハの盛ったアイリッシュシチューの前に座り、もくもくと食べ始める。

「んじゃ、いただきます……」

「…………」

 しばし無言の咀嚼音だけが食堂に響く。

 同じ顔が四人も揃って無言で食事をするというのはどこかシュールだった。

「どうだ、うまいか?」

「あ、あぁ……うまい……多分」

「なんだ、その歯切れの悪い回答は」

「いや、師匠の作ったもんだからどんなキワモノかと思いきや、普通に美味くて反応に困るんだよ」

「何を言うか、貴様らがまだ尻の青い頃は良く作ってやったではないか。忘れたのか?」

「忘れるかよ……このシチュー一皿の為にフェルグスやフェルディアと殺し合いさせたのはどこの誰だよ」

「ったく、塩加減も直せって何回も言ったじゃねえか。師匠が作るシチューは辛いんだよ」

「そんな事もあったか? ふふ……忘れたな」

 かつての修行の日々を思い出したのか、目尻を柔らかく細めるスカサハの横顔が見えた。

 どんな姿であろうと、スカサハにとってクーフーリンは最も優れた弟子だ。想像だが、育ての親に似た感情もあるのかも知れない。

 馬鹿な子ほど可愛い、という言葉もある。その点、クーフーリンは猛犬の二つ名通り、英霊となっても大人しく責務を果たすような男ではない。

 その義理堅さは数少ない評価点となり得るが、奴は理屈ではなく直感と本能とその場の気分で動く。基本、合理主義である私とは根本的にそりが合わないのもその為だ。

 話を戻すが、そんな愚直なまでに我を通し続け歴戦を潜り抜け、今も戦い続ける殊勝な弟子を労ってやろう、というスカサハの親心もわからなくもない。

 いくら年月を経ようと親にとって子は子であるのと同じく、スカサハにとってクーフーリンやフェルグスは何処まで行っても手塩にかけて面倒を見た弟子だ。

「師弟愛……ってやつかな? ちょっと強引な気もするけど、彼女らしいといえばらしいね」

「……そうだな」

 普段は厳しくも自ら前線に出て戦士としての生き方を教え、憩いの時間には不器用ながらも労う。

 いい師匠ではないか。奴には勿体無いくらいだ。

「ごちそうさん」

「うむ、お粗末様。全員、全部残さず食ったな」

「ああ、最初は何事かと思ったけど、たまにゃ師匠の塩辛い料理も悪かねえな」

「そうか、では――」

 と、

「――構えよ」

 一瞬にして霊基を解放し、エプロンとセーター姿からいつもの動きやすい戦闘形態へと霊衣を変える。

「な……」

「今、貴様らの食べたシチューには毒を入れてある。神格を持つサーヴァントであろうと問答無用で冒される、毒に最も長けた暗殺者が丹念に創り上げたものだ」

「はあ!?」

「……僕も何だか吐き気が……エミヤ?」

「…………ああ。私もだ」

 毒に長けた暗殺者……静謐のハサンのことだろうか。

 ダビデと同様、私もサーヴァントになってから体験した事のない頭痛と吐き気がする。

 正直言って、かなり辛い。まだ孔明の宝具で呪いの魔術を受けた上で酒呑の毒酒を呷った方が楽なくらいだ。

「本来ならば死に至る毒を盛るつもりだったが、残念ながら貴様らはカルデアの戦力ゆえ殺すことは出来ん。だが死にはせんと言うだけで、丸三日は死痛にのたうち回る事になるであろう」

「――――」

「それこそ、死んだ方がマシだ、と思う程度にはな。そろそろ効いてくる頃だろう?」

「マジ……かよ……ぅおえっ」

 若き頃のクーフーリンが吐き気を催したのか、口を押さえて青い顔をしていた。他のクーフーリンも似たような有様だ。

 少量食った私とダビデですらこれ程に辛いのだ。一皿平らげた奴らはどれ程の……。

「死痛から解放されたければ――私からこの解毒剤を奪って見せよ」

 と、胸元から小さなビニールに入った四粒のカプセル錠を取り出して見せる。

「戦士は窮地にて本領を発揮すべし。殺す気で掛かって参れ!」

「おい、どうする術の俺……四人がかりで師匠をぶっ倒すのと、毒の出所を突き止めて解毒剤作らせるの、どっちが早ぇ!?」

「馬鹿野郎、師匠がそんな詰めの甘いことするかよ……予めそこら中に根回ししてるに決まってんだろ……!」

「後はマスターに泣きついて師匠を……いや、んな事したらそれこそ二度と朝日の拝めねえ身体にされちまう……か……」

「……やるか」

「やるしかねえ……な」

「みんな、得物は持ったな!」

「全呪……開放……!」

 どうやらクーフーリン達の意見も一致したらしい。

 オルタが全力の戦闘態勢に入るのを皮切りに、全員が必死の形相で得物を構えてスカサハに向き直る。

「スカサハ、横槍を入れるようで悪いが、一ついいか」

「なんだ」

「……ここではなく、外でやってもらえるか」

「うむ、確かにそうだな。ではついて参れ」

「――――――――!」

 恐らくはカルデアの外へと向かったのだろう、クーフーリン達の悲鳴にも似た四つの号哭を従え、スカサハは俊敏に食堂を後にする。

 残された私とダビデだが――、

「……とりあえず、静謐ちゃんの所に行こうか」

「そうだな……事情を話せば解毒剤も貰えるだろう……時に、ダビデ」

「なんだい?」

「彼女のあのやり口を見た後でも口説けるか?」

「うん? 当たり前じゃないか」

「そうか……凄いな」

「またあの縦セーター着てくれないかなぁ」

 その後、屍山血河の努力も虚しく、カルデア内で四人のクーフーリンが意識不明の重体で発見されるのは半日後の未来の話。

 スカサハだけは何があっても怒らせてはならない。

 そんな事を学んだ事件だった。


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