カルデア食堂   作:神村

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温泉卵のブルスケッタ

 夜になると、食堂はやおら活気に溢れる。夕食の時間が過ぎ、就寝時間が近くなった今、食堂の席は多くの人やサーヴァントで埋まっていた。

 その理由として、朝と昼もそれなりに人のいるこの食堂だが、食事の必要性が薄いせいで朝昼晩と三食しっかり摂るサーヴァントは少ない。ゆえに食堂に来るのはカルデアのスタッフが主になるためだ。

 サーヴァントで毎食摂っているのは天草や土方といった几帳面で生活リズムを壊したくない奴や、アルトリア系列のように食そのものに楽しみを見出しているものに限られる。あとは、デミサーヴァントであるマシュくらいか。

 だが夜ともなると一日の締めとして人間、サーヴァントを問わず酒を求める者は多い。酒は人間の嗜好品としてそれこそ紀元前より続けられているもの。身体に良いとは言えないが、度が過ぎなければガス抜きとして優秀であることは間違いない。

 という訳で、この時間帯になると食堂は居酒屋と化す。料理は出来ても酒の知識のない私なので、酒はあるものを出すだけでつまみや肴を作るだけだが。

「ねーエミヤ殿ー、拙者もたまには女の子と飲みたいにゃー。紹介してよー」

 空になったビールジョッキを洗っていると、カウンターでひとりグラスを開ける黒髭がくだを巻いてきた。酒好きは海賊の職業病のようなものなのでよく飲みに来る黒髭だが、彼はその性格のせいで異性と飲んでいるところをほとんど見た事がない。

「私に言うな。ドレイクでも誘ったらどうだ? 彼女なら喜んで付き合うだろう」

「BBAなんかと飲んで何が楽しいのよ! 拙者はこう……マリーちゃんやマタハリママみたいな美人さんと、キャー黒髭さんかっこいい!ステキ!抱いて! みたいな場が欲しいのでござる!」

 こう言ってはいるものの、黒髭は本心ではドレイクと飲みたがっている。何度かドレイクの方から誘われて飲んでいるのを見た事があるが、その時の黒髭は本人は隠しているつもりなのかも知れないが非常に楽しそうに見えた。

 が、恐らくは恥ずかしいのだろう。黒髭にとってドレイクは尊敬すべき先達であり唯一無二の英雄だ。全くもって素直じゃない奴だが……まあ、気持ちはわからなくもない。

「キャバクラに行け」

「雑ゥー!」

「大体、そんな独りよがりの思考で女性がついてくる訳なかろう……美味い目に遭いたかったら、それ相応の努力をしたらどうなんだ?」

「う……ここで正論を言われるとは拙者予想GUY。まあそうなんでござるが、都合のいいハーレム展開なんて、男なら一度は夢見るものでしょ?」

「興味がないな」

「あっそ。エミヤ殿、締めにアイスちょうだいアイス」

「はいはい」

 これ以上ドレイクの事を追求されても困るとでも思ったのか、単純に飽きたのか、帰る準備をする黒髭だった。

 普段からおちゃらけている黒髭だが、生死を賭ける場で敵に回すと奴ほど厄介な相手はいない。私も藪をつついて蛇を出すつもりはない。冷凍庫から適当にアイスクリームを取り出して黒髭の目の前に置く。

 と、

「……よう」

 そのタイミングでカウンターに覚束ない足取りで歩み寄る人物が一人。

「ああ、その様子では原稿は終わったのか?」

 今にも閉じそうな焦点の合わない胡乱な眼つきと、ふらつく足取り。憔悴しているのが一目でわかる様相のアンデルセンだった。

「終わってはいないが一区切りはついた。たまには脳を休めんと脳溢血になりかねんからな、気分転換だ」

「それは結構、何か食うかね?」

「とりあえず熱いコーヒーと、そうだな、何か甘いものを……ん?」

 と、隣でワインと一緒にアイスを食っている大柄な男に気付き、視線を遣るアンデルセン。彼にしては珍しく、ひょこひょこと近付き隣に座る。

「ほう、美味そうなものを食っているじゃないか黒髭」

「なんですかアンデル先生。言っときますけど拙者、男の娘かおねショタならまだしもショタ属性はないでござるからね」

「アホか、俺とて貴様のようなレイパーモブ汚っさんに捧げる処女も童貞も持ち合わせておらんわ」

「な、なんですとー! 拙者これでも生前モテモテリア充だったんですからね! 真性童貞(グランドキャスター)のアンデル先生とは違うんですぅー!」

「何とでも言え。それにモテていたと言っても、どうせ貴様の場合は強奪した財宝目当ての女ばかりだろう? それでは羨ましくも何ともないな」

「んな――――! クラス相性逆のくせにアサシン並に痛いところをピンポインツで突くのやめてくださる!?」

 いや、アンデルセンの逸話を聞く以上、彼の恋愛事情も相当突っ込みどころが多いんだが……まあ、余計な口を出してわざわざ矛先をこちらに向ける必要もあるまい。

 ※アンデル先生は生前、好きな相手に自分の自伝や恋愛遍歴を何度もしつこく一方的に送りつけたりしてました。結果はご存知の通り。

「それよりそのアイスは実に美味そうだな。エミヤ、俺にも同じものを」

「ああ、わかった」

 アンデルセンに言われ冷凍庫を開ける。が、

「……すまんな。雪見だいふくはそれで終わりだ」

「そうか、致し方ない。なら黒髭、ひとつよこせ」

「ピノとかアイスの実とかならともかく雪見だいふくをひとつよこせってアンタ…… 」

「いいじゃないか、散々悪行を重ねて来た貴様だ。今から少しくらい善行を積んでも罰は当たらんぞ?」

「イヤですぅー。アンデル先生がロリ幼女ならまだしもでござるけどね?」

「おにいちゃん、おねがい!」

「いや、そんな子安ボイスでおねだりされても……拙者腐男子じゃありませんし」

 珍しく黒髭が引いていた。まあ、普段のアンデルセンを知っている以上、上目遣いでねだられたところで黒髭でなくとも引く。

 元々あんな手段に出るアンデルセンではない。今は修羅場明けで疲れているのだろう、きっと。

「しかしそのナリでこの伝説の海賊黒髭から何かを奪おうとはいい度胸だァ! そんなに欲しいのならば力づくで奪ってみ――」

真性童貞(グランドキャスター)チョップ!」

「アっ――――!」

 黒髭が何かを言い終える前に、手刀を黒髭の尻にかますアンデルセンだった。

 予想外の事で驚いたのか、ただの芝居なのか量りがたいが、椅子から転げ落ちる黒髭。

「尻が――! 拙者の可憐なおヒップ様が二つに割れたでござる――――!」

「ではこれは名実共に俺のものだな。いただきます」

 楽しそうに床を転げ回る黒髭を後目にアイスを頬張るアンデルセン。黒髭は自他共に認める悪人だが、子供が好きとも言っていた。アンデルセンが子供と呼べるかどうかは微妙なところだが、わざと乗ってやったのなら憎めない奴だ。

 機会があれば誰かと相席させるくらいの機転は利かせてやろう、等と思っていると、

「患者はどなたですか」

「ほへ?」

 その二人に、ゆらりと近付く影があった。

「臀部が二つに割れたと聞こえ、只ならぬ状況と悟り参りました。僭越ながら、私が治療を」

 医療用の薄手のゴム手袋を着けながら、瞳孔の開ききった瞳を爛々と輝かせる、ナイチンゲール女史その人が。

 黒髭もナイチンゲール女史の危うさは承知している。このままではまずいと思ったのか、急いで立ち上がりナイチンゲールに向き合う。

「……あ、なるほどなるほどー! いやでも拙者、ナースさんは大好きですが残念ながら――」

「ああ、患者はこいつだ。手遅れかも知れんが早急に治療してやってくれ」

「アンデル先生ェェェェェ! アンタ鬼でござるか!?」

「ふむ、わかりました。では医務室に行きましょう」

「ヒィッ!?」

 黒髭の襟を掴み、問答無用に引きずっていくナイチンゲール。細腕の彼女が大男を引きずるのはどこかシュールだった。

「あーん!いやーん! やるならせめてロリナースさんにしてくーだちーい! 具体的には茶々殿かイリヤたんあたりでー!」

「……頭もどうかしていそうなので、ついでに頭蓋の切開もしてみましょうか」

「ヒイイイイイイイイ! 助けて英霊ポパーイ!」

「…………」

 黒髭の悲鳴がフェードアウトして行く様を無言で見送るしかなかった。まあ、黒髭もサーヴァントの中で1、2を争う頑丈さを持つことだし、死ぬことはあるまい。

 当人のアンデルセンはアイスを平らげて机に突っ伏して寝ていた。背中にはいつもの『Not Dead(死んでいません)』の張り紙が忘れずに貼ってある。この分では今の出来事も忘れていそうだ。これでは黒髭も報われない。

 少々黒髭が気の毒になり、微力ながら無事を祈ってやる。

 と、

「……今、黒髭が婦長に引きずられていったけど、何したの?」

 入れ替わりでマスターがやって来た。後ろには不機嫌そうな表情でそっぽを向く巌窟王エドモン・ダンテスの姿も見える。

「なに、いつもの事だ、気にするな。それよりこんな時間に来るとは珍しい。何か用かね?」

「うん、今から浴場に行こうと思って。そのついでに寄っただけ」

「浴場へ?」

 カルデアの風呂事情は各部屋に備え付けられたシャワールームと、銭湯のような大浴場の二つがある。前者は主にマスターやカルデア職員の部屋についているが、数は少なくサーヴァントは人数が多いゆえに全ての部屋に備え付けられている訳ではない。職員に加え百を数えるサーヴァントの風呂を一人ずつ用意していたらそれこそカルデアの財政は破綻してしまう。

 とは言ってもサーヴァントは基本、人間ほど身体が汚れることはない。衣服もエーテルで編み直せば汚れは消える(とは言え物理的に洗った方が魔力の節約になるので基本的には洗濯だが)。

 毎日のように入っているのは風呂好き綺麗好きのサーヴァントくらいで、大半が戦闘で返り血を浴びたりと汚れた時に入る程度だ。

「それがね、エドモンったら今日戦闘でひどく汚れたのにお風呂入らないって言うんだよ。だから無理やり連れて行こうと思って」

 ああ、それで明らかに不機嫌そうなのか。改めて見るとその特徴的な深緑色の外套が返り血で汚れている。

 女の子らしく綺麗好きなマスターのことだ、恐らく先程のナイチンゲールのように有無を言わせずに引っ張って来たのだろう。

「風呂が嫌いなのか?」

「……生前から入浴などと言う習慣がないだけだ。存在自体は知っている」

「そうなのか?」

「フランスでは真水が高価な上に水道から出る水もそのほとんどが硬水だ」

「ほう、それは知らなかった。ならば風呂の文化が発達し難いのも頷ける」

「硬水だと何か違うの?」

「風呂に使う水は軟水が基本だよマスター。硬水だと石鹸の泡立ちが悪く、水垢も出やすく髪や肌もごわつくため軟水に比べメリットがほとんどない。真偽はともかく、あの太陽王ルイ14世でさえ生涯で二度しか入浴した事がないと言われている程だ」

 硬水と軟水の違いは文字通り水の硬度。具体的にはミネラルの含有量で変わる。

 世界的にも風呂好きで知られる日本はそのほとんどが軟水で、硬水が出るのはごく一部の地域に限られている。

「うえ……なにそれ信じられない……」

 マスターも日本人だ。毎日風呂に入ることが常識となっている身からすれば、風呂に入らないのが普通、というのは受け入れ難いのだろう。

「それもあるが当時のフランスでは入浴、という行為自体が病気になる忌むべきものとして扱われていた。フランス紳士(パリジャン)である俺も例外に漏れん。そんな入浴に縁がないフランスだからこそ香水が発達したとも言えるが」

「お風呂に入らないから香水で誤魔化すって……なんか根本的に間違ってる気がする……」

「間違ってるのはお前だマスター。俺を風呂に入れるよりも重要な事は腐る程あるのではないか?」

「重要だよ! マリーやデオンくんたち同じフランスのサーヴァントたちは毎日入ってるんだよ!?」

「……あいつらは好きでやっているだけじゃないのか」

 その点に関しては巌窟王と同意だ。華やかなものが好きなマリーのことだ。発達したバスタブや入浴剤、ジャグジーなどを見たら目を輝かせるのが眼に浮かぶ。デオンやサンソン、アマデウスもマリーがやるならば、と右に倣うのは当然の帰結だ。

 巌窟王に借りがある訳ではないが、風呂嫌いを無理やり風呂に入れるのも少々酷だ。ここは巌窟王に助け舟を出してやるとしよう。

 それに我々はサーヴァント。先程言ったように、風呂に入らなかったからと言って汚れたり体臭が酷くなったりする訳でもない。

「そうだマスター、先ほどネロが薔薇の花とフレグランスを散りばめた薔薇風呂を作ると言って出て行ったぞ」

「薔薇のお風呂!? なにそれすっごい入りたい!」

 ローマは風呂文化が発達した第一人者と言ってもいい。追随してローマ皇帝であるネロも風呂好きだ。

 そのネロが華やかで豪華絢爛な薔薇風呂を作ろう、と鼻息も荒く出て行ったのがつい三十分ほど前の話だ。

「ネロの自室でやると言っていた。今ならまだ間に合うんじゃないか?」

「行ってきます!」

 一瞬で矢のように飛び出して行くマスターだった。あの天真爛漫さは見習うべきか呆れるべきか。

「一応礼を言っておく、贋作の英霊よ。全く……サーヴァントに風呂に入れとぬかすマスターが何処にいる」

「日本人は昔から綺麗好きでね。そのお陰で風呂やトイレ文化が発達したのだが……民族間の価値観の違いというやつだ、許してやれ」

「クッ、いつの時代でも人を殺すのは価値観の相違か。滑稽だな……ついでだ、ワインをもらえるか」

「ああ、赤でいいか?」

「何でも構わん」

 庶民である私にワインの良し悪しなど分かる筈もない。適当な赤ワインをグラスに注ぎ、巌窟王の前に置く。

 巌窟王は懐から純白のハンカチを取り出すと流麗な動作でグラスを回転させつつ、ハンカチに透かし色を確かめる。その後、香りを確かめ一口含む。その一連の動作は手慣れたもので、一切の無駄がなかった。

「安物だな。だが悪くない」

「そうか、酒も嗜まない平民の私には分からんよ」

「……正しく有りながら正しく在らない英霊エミヤ。貴様に聞きたい事がある」

 と、巌窟王は視線を伏せながら私に問う。その様子は、とてもではないが世間話をしようとしている風には見えない。

「私に答えられる事なら」

「貴様は夢を見るか?」

「夢?」

 夢という単語には大まかに二種類の意味がある。

 一つは将来実現させたいと願っている願望。もう一つは寝ている間に見る非現実の映像だ。

 英霊には聖杯への願いこそあれど、死んでいる以上、将来など最早存在しない。巌窟王の言うのは恐らく後者だろう。

「……最近、夢を見る」

 眼を閉じると巌窟王は語り出す。

「俺が俺を責める夢だ。エドモン・ダンテスという個人ではなく、復讐者としての俺なのだろう――限りなく憎悪を燃やせ。その身を産み落とした世界を憎め。一時も弛まず復讐者であれ、と」

 巌窟王の出自はマスターに聞いたことがある。物語としての巌窟王も、はしり程度ならば私でもわかる。

 エクストラクラスである復讐者として召喚されるには、生半可な事では成し得ない。

 それこそ、彼のようにその生涯の大半を復讐に費やす、くらいでなければ叶わない。

 復讐とは、言葉にするとたったの二文字で完結するものだが、その実は汚穢と汚泥に充ち満ちている。何せ敵意、殺意、悪意、憎悪――あらゆる負の感情を常に心の中に宿さねばならない。

 更にはそれらを糧にひた進むのだ。その道程たるや、間違っても気持ちの良いものではない事は容易に想像できる。

 アヴェンジャーの面々、巌窟王を含めたジャンヌオルタやゴルゴーン、新宿のアヴェンジャーが総じて常に不機嫌そうなのもそんな理由があるのではないか、と勝手に想像する。アンリマユだけは例外だが、あいつは最初から全てを諦め、何も求めていないが故のあの性格だ。

「『それが、あんな小娘如きにに絆されやがって』とな」

「……霊基に何か問題が?」

「いや、そこまでは及んでいない。だが、気分は最悪だ」

 復讐者として召喚された以上、マスターにも心を許すなと、無意識のうちに自分が囁く。

 その理由は少しわかる。それはきっと、心の何処かで思っているのだ。

 復讐に身を焦がす存在である自分が、協力者であるとはいえ、他人と馴れ合うなど相応しくない、と。

 だが――、

「それでも貴方自身は、悪くはないと思っているのだろう?」

「……ふん」

 私の問いに、巌窟王は否定も肯定もせず、鼻で笑うだけだった。

 巌窟王がカルデアに召喚されてかなりの時間が経つ。その間、マスターと巌窟王のやり取りも何度か目にしている。

 それを見る限り、私見ではあるが巌窟王は滅多に感情を外に出さないものの、マスターを主として、共に戦うパートナーとして認めているように見えた。

 かつてマスターが夢で出会い、契約を果たしたという英霊、巌窟王エドモン・ダンテス。

 その夢の中でどのような出来事があり、結果巌窟王が英霊召喚に応じる結果となったのか、私は知らない。私を含めた他のサーヴァントやカルデア職員達も、二人が自ら語るまでは聞き出すつもりもないようだ。

 それでも、傍目に見ている者にすらわかる事はある。

「復讐者としての自分との葛藤など、自己を保っていればいいだけの話。風呂にでも入って忘れてしまえ」

 巌窟王自身も、明確な答えを求めて私に訊いた訳ではあるまい。

 恐らくは多くのサーヴァントと接する機会の多い私に、確認したかったのだろう。

 今ここにいる事が、どんな意味を持つのか。

「私を含めた、ここに在籍する英霊のほとんどがそうだ。生前の罪、自己の在り方、英霊として現界したことの意義……そんなもの、考えるだけ無駄だ、とな」

「……貴様はここに居る英霊達が皆、自己を否定しながら存在している、と?」

「否定ではない。享受だよ」

「何?」

「そんな難しい事も直に言ってられなくなるぞ」

「……?」

「あれだ」

 巌窟王が振り返る。私が指し示した先には、湯上りなのだろう、やたら無駄に豪奢なバスローブを羽織るマスターと、浴衣を着る皇帝ネロが仲良く足並みを揃えてこちらに向かって来ていた。二人とも見事なほどに肌艶がいい。

「お帰りマスター、いい湯だったようだな」

「聞いてよエミヤ! ネロが作ったバラのお風呂すっっっっっごいんだよ!」

「ふふん。余がこの手で自ら設計し作り上げたのだ! 当然であろ?」

「もう何ていうか……豪華でキレイでお姫様になった気分だよ!」

 興奮気味に迫り来るマスターとネロからは薔薇の香りがふわりと漂う。どうやら本当に浴槽に薔薇の花とエッセンスを入れて作ったらしい。

「そのローブと浴衣は?」

「ああこれ? ネロが貸してくれたの。ネロの浴衣は一回着てみたいって言うから私が見繕ったんだ」

「このユカタというやつは動きやすく通気性もよく、実に良い! 異文化交流もローマ皇帝である余のつとめ。マスターの国の文化に倣い、この後マスターとタッキューとやらを嗜む予定である!」

 浴衣姿で卓球をする皇帝ネロ……容易にその姿が想像できるのはローマ皇帝としてどうなのだろうか。本人はノリノリなので良しとしよう。

「それは良かった。ところで風呂上がりの軽食を作っておいたが、どうだね?」

 言って、予めオーブンで焼いていた、中央を少しくり貫いたフランスパンを取り出し、その上に卵を割り落とす。

「ブルスケッタと呼ばれるイタリアの前菜だ。パンにオリーブオイルを振って塩胡椒で味付けしたものにトッピングしただけのものだが、酒のつまみにも腹ごなしにもなる」

「これ、温泉卵?」

「そうだ。今日は風呂の話題に事欠かなかったからね、遊び心だよ」

「ほう、これが噂に聞く温泉卵というやつか……どれ」

 好奇心の塊であるネロがひとつを指でつまみ上げ、口にする。

「む……この滑らかな舌触り、芳醇にて濃厚な卵の味、後引く絶妙な塩加減……うまい、実にローマ味だ!」

「本当だ、おいしい!」

 温泉卵は日本を発祥とする卵の調理法だ。あらゆる卵の食べ方の中で最も消化が良く、その口当たりは滑らかで虜になる者も多い。

 加え、炭水化物と卵の相性は抜群だ。パンと一緒に食べて不味い訳がない。

「ローマに温泉卵はあったのか?」

「いや、ない。卵と言えば生で飲むか茹でて食うくらいであったからな。温泉で卵を茹でるとは余でも思いつかなかった! 褒めて遣わそう!」

「悪くないな。ワインにも合う」

 横ではさりげなく巌窟王がブルスケッタをひとつ、つまんでいた。美食で名高いフランス人である巌窟王に認められたのは正直言って嬉しい。

 と、その巌窟王に湯上りの熱も冷めやらぬマスターが突っかかる。

「そうだ、せっかくだからエドモンも薔薇のお風呂入ってきなよ」

「またその話かマスター。先程も言ったが、俺は――」

「余はローマの王にして寛大である! 巌窟王よ、貴様にも余の浴場(テルマエ)を見、触れ、入浴することを許す! いや、是非とも入るべきだ。入らなくてはいかん。そうであろうマスター!」

「そうだよ! あれを経験しないのは人生の損失だよ!」

「…………」

 怒涛のように押し寄せる二人を前に、巌窟王は見るからに嫌そうな表情をしていた。が、そんな事でこの二人を止められる筈もなく、

「ローマ!」

「ローマ!」

「…………わかった、後で入る。入ってやる。だがこれが最初で最後だ、いいな?」

 とうとう特大の溜息と共に折れる巌窟王だった。

「ようし、ではタッキューへと赴こうぞマスター! マスターといえど勝負となれば余は手加減などせぬぞ?」

「私だって負ける気なんてないからね!」

「ではコックよ、帰ってきたらその料理を肴に宴会(comissatio)を開こうではないか! 上等のワインを用意し余の凱旋を待つが良い!」

「私はコーヒー牛乳! じゃあね!」

 と、こちらの返事などどこ吹く風で去っていく。嵐のような二人だった。

 残された男二人は、どちらからともなく、共に苦笑を浮かべていた。

「……四六時中あんな奴らと接していれば、悩むのも馬鹿らしいだろう?」

 我々英霊は、様々な理由でサーヴァントとして現界している。

 その中には巌窟王のように、負の感情を原動力にする者もいる。そんな者たちの葛藤や自問自答は当然の帰結だ。

 だが、

「その通りだな……赤子に復讐の存在意義を問うているようなものだ」

 あのマスターと接していれば、そんな事は直にどうでもよくなる。

 自分が召喚された理由。聖杯にかける願い。英霊としての在り方。

 そんなものは、目の前の難題を片付け、事が全て終わってから思う存分悩み尽くせばいいのだ。

 今我々がここにいる事、その事自体を楽しまなければ損だと、ここにいる大半の英霊たちは無意識ながら思っている事だろう。でなければ、先程の黒髭、アンデルセン、ナイチンゲール、ネロのように、カルデア内がこんなにも普段から活気付くことなどありはしない。

 もちろん、私も、だ。

 さて、とせめてもの抵抗なのか、ワインとブルスケッタの乗った皿を持ち腰を上げる巌窟王。

「くだらん内容ではあるが一応、主たるマスターとの約束だ。これを肴にワインを傾け、精々楽しませてもらうとしよう」

 言って、背を向け食堂から去っていく。

 その後ろ姿からは、先程まで感じていた重い空気は微塵も感じられなかった。

 重い荷は、マスターに預けておけばいい。

 代わりにマスターを護り、全力で道を拓く。それが我々カルデアのサーヴァントの役目だ。

 我々が背負うべきは己の過去の咎ではなく、この時代の未来なのだから。

「……さて」

 私は戻って来るマスターとネロの為に、新しい食事と飲み物を用意しておくとしよう。


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