カルデア食堂   作:神村

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ナイチンゲールとアルトリアオルタ(槍)です。


ブリテン流野菜煮込み

「つ……っ」

 ある日キッチンで届いた食材の仕分けをしていたところ、上腹部がちくりと痛みを訴え、思わず腹を押さえる。いつもの胃痛だ。程度は軽いものの、突然やってくるこの痛みにはいつまで経っても慣れることができない。

 原因はわかっている。ストレスだ。

 カルデアはそのシステム上、あらゆる英霊が召喚される。そのこと自体は人理修復において非常に有用なので構わないのだが……何故か私に縁のある者が非常に多いのだ。

 元々英雄であるアーサー王や第五次聖杯戦争の面子はまだいいとしても、義父である切嗣、アイリスフィールやイリヤスフィールも何故か他人とは思えない。

 擬似サーヴァントではあるもののイシュタルはどう見てもあいつだし、ジャガーマンに至っては口にすることすら億劫だ。更に上乗せで私のオルタまでついこの間召喚された。私の安寧は一体どこにあるのか、と根源に問い質したい。

「どうしたエミヤ。体調不良か」

 アルトリア・オルタ。

 セイバーであるアーサー王よりも少々年を経た姿であり、ランサーのクラスで召喚されている。こちらも本来の姿と同様にオルタが存在し、それが彼女だ。

「ああ……少々、胃が痛くてな」

「ふん、軟弱者め。胃痛など強靭な精神力を持てば発症せん」

「あいにく、私は君のような王でもなければ小心者なのでね……」

「馬鹿者、人に強弱あれど貴賤も上下もあるものか。貴様が不調で寝込むような事があればここでの数少ない私の楽しみが減る。せいぜい静養せよ」

「……そうだな、そうするよ。ありがとう。だが心配される程の事ではない」

「そうか、ならば良い」

 私の胃痛を嘲笑するかのように、夥しい量のステーキを次々と腹に送り込みながらオルタは言う。彼女の楽しみとは言うまでもなく食事のことだ。

 セイバーのアーサー王との違いと言えば晩年の姿を反映したお陰で年相応に落ち着いており、オルタになってもそれは変わっていない。普段ならば他人の体調など微塵も気に掛けないオルタが、言い方はともかくこのように私を気遣うのもその為である。

 加えて体型もかなり変わっている。具体的にはそのはち切れんばかりの胸部なのだが、その辺りは双方の為にも追求すべきではないだろう。

「次」

「まだ食う気かね……」

 優雅に口元をナプキンで拭きつつ追加注文をするオルタだった。先程からステーキだけを食べ続けているオルタだが、その枚数は現時点で実に十枚を超えている。その食材となる牛は彼女が直接レイシフト先で狩ってきたものなので、カルデアの食費を心配する必要がないのは救いなのか、用意がいいと呆れるべきなのか……。

「このステーキという調理法は実にいい。フィレ、ロース、リブ、サーロイン……それぞれが違う魅力と個性を持ち私の舌を飽きさせぬ。ステーキさえあればカムランで果つることもなかっただろう」

 それは言い過ぎだろうが、ステーキの命は焼き加減と下味だ。アーサー王の時代では食物と言えば保存が第一なので、そんな生に近いマットな食感を楽しむ余裕などなかったと予想できる。現代ほど衛生観念も定着しておらず、菌の存在も知られていない時代、生で食べて食中毒にでもなった日にはそれこそ死に直結する。美味い食事と命ならば、どう考えても後者に旗が上がるだろう。

「焼き方は?」

「そうだな……現代で規定されている焼き方の一通りは食ったか?」

「ああ、残ってるのはロー……いわゆる生くらいだが」

「生食ではステーキとは言えんな。では最後に食ったブルーレアとやらがいい。あれが一番うまい。まとめて十枚ほど順に焼いてくれ」

「了解だ」

 ステーキには焼き加減というものがある。一切火を通さない生を指すローに始まり、ブルー、レア、ミディアム、ウェルダンと後に行く程焼く時間が多くなって行く。

 オルタの言うブルーレアはその名の通りブルーとレアの中間。時間にして両面を数十秒ずつ焼くだけのもので、中心はほぼ生、どころか生そのものだ。よほど新鮮でなければ出来ないが、刺身やユッケなどが好きな者はそのマットな食感に虜になること請け合いだ。

 予め五百グラム単位で下拵えした肉を取り出し、ミルで塩を振る。フライパンで強火にて数十秒ずつ肉を焼き、すぐさまアルミホイルに包みそのまま数分置く。こうすることで肉汁を内部に閉じ込めつつ、余熱で肉の中心にも火を通すことが可能となるのだ。

「お待たせ。バターもつけるかね?」

「うむ」

「つ……」

 と、固形バターを用意したところでまたもやちくりと胃痛が襲う。仕方ないこととは言え、自分の精神の弱さに少々呆れるばかりだ。

 私も鋼の心が欲しいものだ……何があっても一切揺れないとまでは行かぬとも、せめて胃痛にならない程度は。

「無理をするなよ」

「気遣いありがとう……薬を飲んでおくから大丈夫だ」

「そうか。いただきます」

 私への心配も束の間、オルタは出来上がったステーキにバターを乗せ、ナイフを入れる。それを後目に、ダヴィンチ印の胃薬を飲んでおく。成分は定かではないがよく効くので何錠か分けてもらったものだ。

「うむ……やはり肉は血が滴るほどの焼き具合がベストだな。ワインを持て」

「飲みすぎるなよ」

「いらん世話だ」

 冷めては全てがお終いだ、と言わんばかりの速度で肉を切り口へ運ぶオルタ。

 オルタ化しても私の体調を心配してくれるのは正直、恥ずかしくも嬉しい。その恩情に応えられるよう、心持ちも新たに万難を排するよう心掛けよう。

「何を笑っている、気味が悪い」

「いや、別に」

「失礼します」

 微かな喜びに浸っていると、食堂に来客があった。

 凛々しい顔付きに、静かでありながら有無を言わせぬ迫力を灯す瞳。

「遠目にお見受けしたところ、身体の調子が悪いようですが」

「いや、そんな事はない。私は至って健康だよ、ナイチンゲール女史」

 平静を装って返してみせる。

 何も嘘をつく必要はないのだが、相手が彼女となると話は変わる。

 フローレンス・ナイチンゲール。バーサーカーのサーヴァント。

 彼女は世界的に知られている看護師の代名詞だ。クリミア戦争にて多くの怪我人を治療し、クリミアの天使とまで称された献身の慈母。

 カルデアに召喚されてもなお、その伝説に違わず看護師としての役割を果たそうとしているのだが――彼女のクラスはバーサーカー。バーサーカーとして召喚され、加えて狂化スキルは最大級のEX。その結果、理性がものの見事に吹き飛んでしまった。

 最大レベルの狂化スキルを所持している割には会話も可能で意思疎通もできる……のだが、やはり所々でほつれは見える。具体的には、人の話を聞かず、その治療の手段が極端なことがある。

 衛生管理や怪我に対しまともに処置することが大半なのだが、時折、それが狂化の下に暴走する。

 モードレッドがキメラから受けた腕の怪我を、未知の病原菌が繁殖する可能性あり、と腕ごと切断しようとしたこともある。蚊に刺されたマスターの頬をマラリア感染の疑いあり、と患部ごと切除しようとした例もある。その時はマシュが盾の英霊の名に違わぬ鉄壁で守り抜いたので大事には至らなかったが。

 狂化してなお他人の治療を第一に考えるその生き様は大したものだが、とんでもない治療を施されるこちらはたまったものではない。

 なので、カルデアにおいては戦闘中以外はナイチンゲールに不健康なところを見せない、というのがいつしか暗黙の了解となっていた。風邪をひいた、などと彼女に知られたら殺菌と称してエタノールのプールに沈められる可能性が笑えない確率であるからだ。生前より結核持ちで病弱な沖田総司などは、一度肺を素手で摘出されそうになってからは、全力でナイチンゲールに遭遇しないよう過ごしているくらいだ。

「では先程飲んでいた薬の瓶を見せてもらえますか?」

「ぬ……」

 見られていたか。

 ダヴィンチのお手製なので瓶にラベルなどはないが、ナイチンゲールはカルデアの医薬品の類は全て検閲している。一方で有用な薬や医療道具を適切な見解から揃えているのも彼女なため、止める理由も考え難いのが難点だ。

 と、

「胃が痛いそうだぞ」

「おい、よせオルタ!」

 肉を頬張るオルタが横槍を入れる。

「胃……?」

 ききききき、とナイチンゲールの瞳孔が拡大していく音が聴こえる気さえした。怖すぎる。

「胃ですか。ならばまずは開腹しましょう。さあ、上着をはだけて」

「開腹!?」

「ご心配なく。痛みは一瞬ですので」

 それは死ぬということではないのか?

「ストレス性の胃炎は直接見なければ程度がわかりません。もし穿孔でもしていたら命に関わります! 場合によっては胃の全摘も――」

「ひ、必要ない! 確かに胃痛はあるが原因もわかっているし、服薬による対処も出来ている! それに穴が空いていたら流石に気付くだろう!」

「大病だったらどうするのですか!」

「お、おい!」

 狂戦士に相応しい怪力で私の服を脱がそうと、カウンター越しにエプロンを引っ張ってくるナイチンゲールだった。そのエプロンも虚しく断裁音と共に千切れる。

 いかん、仮にも食堂の主として、ここで素手解体スプラッタショーを催す訳にはいかん。

 ええい、これが嫌がらせや悪意からでなく、純粋な善意でやっているのだから余計に扱い辛い。

「オルタ、助けてくれ!」

「王は晩餐の最中だ。後にしろ」

「……貴女は何を食べているのです?」

 と、オルタが積む膨大な量の皿に気が行ったのか、私のエプロンだったものを捨ててテーブルへと。

 オルタには悪いが、九死に一生を得た気分だ。今のうちに薬を隠しておこう。

「見てわからんか、肉だ。やらんぞ?」

「結構です。それよりも夥しい量の焼いた肉に酒……貴女は自殺願望でもあるのですか!?」

「なに?」

「食事は大切です。人間の身体づくりの基本は食事と適度な運動に休息……しかし、貴女のそれは度を越しています」

「……よく聞け、我が誇り高きブリテンの看護師よ。我が異名はワイルドハント、嵐の王。かの海賊の長と同じ名を冠する王でありながら民を統べる異形だ。屠り、思うがままに喰らうのが我が在り様。加え、是は世界を救う戦いである。兵站の重要さは戦争に参加した貴女ならば理解できるだろう」

「何を言っているのかさっぱり理解できませんが、貴女に言いたいことはひとつ。お肉を食べたのならばバランスよくお野菜も食べなさい」

「おい」

 珍しいオルタの大見得もさらりと流される。

 まあ、オルタの言っていることも暴食に対する自己弁護でしかないのだが。

「私は現代に召喚され、栄養学も勉強しました。動物性たんぱく質は人体の構成に必要不可欠ですが、偏食は習慣病、ひいては死亡のリスクを高めます」

「……だが私はサーヴァントだ、健康など瑣末なこと。経口の食事による変化など――」

「サーヴァントは霊体ゆえに身体に変化がないと聞きますが、それも私に言わせれば眉唾物。偏った食生活が精神を蝕むことだってあるのです。加えて例え身体的成長が出来ずとも、精神的成長には如何なる時も充分に余地が残されています」

「だから、私は――」

「人とは進歩し続けない限りは退歩しているのと同じこと……目標を高く掲げ邁進しなさい!」

 微妙に会話の舵が逸れている気もするが、次々に健康についての正論をまくしたてるナイチンゲール。

 騎士王とは言えどオルタ化した身。そんなナイチンゲールの説教にさすがに堪忍袋の緒が切れたのか、

「黙れ」

「…………」

 と、険しい表情で、短くも相手を黙らせるのに充分な一言を吐き捨てた。何やら不穏な空気が食堂に流れる。

「貴様が医療の場において人命を助くる為に生涯をかけて尽力した事は聞いている。それ自体は素晴らしい事だ。かつての王として褒賞を与えるに足る偉業であることは間違いない。賞賛も感服もしよう。だが、私の享楽に口出しする権利は貴様にはない」

「…………」

「理解したのならば疾く去ね。肉が冷める」

 オルタ化しているからこその辛口だったが、彼女がここまで饒舌になるのも珍しい。寡黙にして威厳を以って相手を圧倒するのがランサーのアルトリアだ。オルタ化していない獅子王もセイバーのアルトリアに比べると口数は少ない。

 その理由は恐らく、ナイチンゲールの言に認めるところがあるからだろう。

「……ご存知かどうかは知りませんが、私は看護師としては有名ですが、医師ではありません」

 と、力押しの説法では逆効果と思ったのか、ぽつりとナイチンゲールが口を開いた。

「私は飽くまで看護師。極論を言えば人を生かすことも殺すことも出来ない。毒にも薬にもならないのです」

 ナイチンゲールという偉人の主な功績は、卓越した技術で傷付いた兵を治療した事ではない。端的に一言で表せば『病院内の衛生改善』だ。

 他にも患者のデータに統計学を導入したり患者のために病室を自ら設計したりと数々の偉業を成し遂げてはいるが、彼女の言う通り、それは間接的なものであり、病の根治を目指したり手術をして病巣を摘出することでもない。

「院内の環境を改善し、統計による事実を軍部に叩きつけることで総死者数を減らす事は出来ましたが、それとて根本的な解決にはなっていません。戦争において死者は必ず出ます」

「何が言いたい」

「医師ではない以上、私は直接的な治療は出来ません。いくら治療環境を整えても、首を切られた人間が生き延びる筈もない。不治の病に冒された者が快復する訳でもない。目の前で何も出来ずに、己の無力さに奥歯を噛み締めながら、病人が死んで行く様を見る日々――」

「…………」

「貴女に共感してくれとは言いません。これは私による私の為の戦い。それこそ人類が絶滅するまで、私のクリミアは終わらないのですから」

「戦そのものが、人間最大の不治の病と言うか。面白い事を言う」

「はい。いずれ全人類を殺してでも治療してみせます。それが私の戦いであり願い……ですが、争いを終わらせること――戦争という病の根治が出来るのは、貴女のような力を持つ者だけなのです」

「…………」

「その力と権利を持つ貴女が、快楽の為に不摂生に身を浸しているのを私は許せない。私は自分が狂っていることも自覚しています。狂っているゆえに私はこの救命衝動を理性で抑える事は出来ません。私の小言が疎ましいと仰るのならば、不摂生は私の目の届かない場所で――もしくは、私をその槍で貫いてからにしてくれませんか」

 それは、ナイチンゲールの狂戦士という仮面の下に隠れた激情だった。

 私は彼女に対しての評価を誤認していたと認めざるを得ない。私はナイチンゲールはバーサーカーであるがゆえに、得意の治療もまともに出来ず暴走しているのだと思っていた。

 そうではない。

 彼女はバーサーカーの狂化スキルが原因で治療の方式が極端なのではなく、元々治療の専門知識を持っていないのだ。だが英霊として全ての患者を救う、という信念のもと召喚された彼女は、是が非でも患者を治療しようとする。そして狂化スキルが普通では考えられないような突飛な方法を編み出すのを促進させるのだ。

 先ほどの私に対する行動もそうだ。胃が悪いのならば胃を無くしてしまえばいい、なんて考えは普通、少しでも医療に携わる者であれば浮かばない。だが先ほど口にした、全人類を殺してでも命を奪う戦争を止めて見せる、という絶対的な矛盾にすら本人は気付いていない。

 いや、気付いていないのではない。心の何処かでは全人類を死から救う事など出来ない、と諦観している。だが、救えるか救えないか――そんなことは彼女にとっては最早どちらでもいい。

 何故天使とまで呼ばれた彼女がバーサーカーのクラスで召喚されたのか長く疑問だったが、今ようやく理解できた。

 他人に対する、暴力的なまでの献身。そこには自分の身はおろか、治療する相手の事すら考慮の内に含まれていない。

 私は人類存続の為の掃除屋として近代の人間ながら英霊となった。その目的は単純明快、人の命を一人でも多く救う事。

 一方、彼女は似ているようで少し違う。例えばそこに二つの勢力による戦争がある状況下、私の場合は一人でも犠牲者の少ない選択肢を選ぶが、彼女は双方を皆殺しにすることで解決を図るだろう。それはそうだ、そこに人間がいなければ、人が死ぬ事はもうないのだから。無論それはバーサーカーだからこその考えだが、それ程までに彼女の救命への執着心は一線を画している。

『人を救う』という一点のみに生涯をかけ、病的なまでに固執した一人の女性が作り出したばけもの。それがフローレンス・ナイチンゲールという英霊だ。

 己の人生全てを献身に捧ぐ。それ自体は素晴らしい事だが、生半可な覚悟と精神力で出来ることではない。

 鋼の女――そんな言葉が脳裏をよぎる。

 その不屈の精神は、ここにいるどんな英霊よりも強く頑強だ。

「……貴様の言い分はわかった」

 と、目を閉じ、深い息をひとつ。

 かちゃり、とナイフとフォークを並べて置くと、オルタは僅かに口元を緩ませる。

「私の負けだ。今日の所は貴様の信念に敬意を評し身を引こう……だが今ここにある調理済みの肉を廃棄する事は許さん。これだけは譲らんぞ」

「それには同意します。では代わりに私がいただきましょう」

 と、満足気に目を細める。今日初めてのナイチンゲールの笑顔だった。

「おい、エミヤ」

「ん……なんだね?」

「野菜をくれ」

「……わかった」

 オルタに自らの意思で野菜単品を食わせる。これはある意味、人理修復よりも難しいことなのではないか?

 ジャンクをこよなく愛するあのオルタが自ら健康の為に野菜を摂る日が来るとは、円卓の面々ですら思うまい。

 野菜専用の大きな冷蔵庫を開け、中を眺める。ここはカルデアの食を担う場所だ。それ相応に量も種類もある。そうなると漠然と野菜と言われても少々困るのだ。

「そうだな……野菜と言っても様々だが、種類や調理法は何がいい?」

「食事に関しては無類の信頼を置いている。貴様に任せるとしよう」

「それは光栄だ。では、」

「私が選びましょう」

 何種類かサラダでも作ろうかと思っていた矢先、有無を言わせず厨房へと侵入してくるナイチンゲール。もちろん、私などが止められる筈もなく。

「エミヤさん、彼女が食べたお肉の量はいかほどですか」

 業務用の巨大な寸胴鍋に水を注ぎ、火力を最大にしつつ私に訊く。炊き出しなどに使う、直径と高さが五十センチ近いものだ。

 どうやら料理をする気らしい。タマモキャットの前例はあるが、彼女に料理など出来るのか?

「あ、ああ……五百グラムの肉を二十枚程と言ったところか」

「ご協力ありがとうございます。お野菜とお肉の理想的比率は二対一……」

 何かをうわ言のように呟きながら次々と各野菜を大雑把に十個単位で取り出して行くナイチンゲール。

 パプリカ、トマト、大根、青菜、じゃがいも。

「栄養素もバランスよく……葉菜、果菜、根菜を均等に」

 エンドウ豆、白菜、タマネギ、ブロッコリー、ゴボウ、アスパラガス。

「カリウム……マグネシウム……ビタミンC……カルシウム……」

 トウモロコシ、スイカ、小松菜、しいたけ、たけのこ。

「おい……ナイチンゲール?」

「これくらいでいいでしょう。では」

 何をするのかと思いきや、膨大な量の野菜全てを煮立ったお湯へと突っ込んだ。もちろん皮を剥くなんてことはしない。

「生野菜は消化も悪く、腸内で発酵しガスを発生させます。こうして茹でることで消化も良くなり食べることも容易となるでしょう」

「それは……そう、だが」

 ナイチンゲールの言っていることは正しいが、何もかもが間違っている。

 そんな様々な野菜を一緒くたに煮てどうするんだ、とか。皮を剥かないと食べられない野菜も多い、とか。まず前提としてそんな大量の野菜を人並外れた胃袋を持つオルタといえど食べられるのか、とか。お湯に塩すら入れていないところを見ると、本当に茹でて出すだけのつもりらしい。もはや潔すぎて突っ込む気力すら湧かない。

 と、ことの一部始終を脇で見ていたオルタが私に寄り添い耳元で呟く。

「おいエミヤ……嫌な予感しかしない。貴様は厨房の主だろう。なんとかしろ」

「私程度になんとか出来る状況だと思うのか?」

「いや……うむ……そう、だな……」

 これも自業自得か、と諦観の面持ちで目を伏せるオルタだった。オルタと言えど民を統べるブリテンの王。ナイチンゲールは時代こそ違うがブリテンの民に違いはない。王が一度口にした言葉を簡単に覆す訳には行かないのはわかる。

 ナイチンゲールが単純に自分の考えを押し付けるだけの自己欺瞞ならば、まだ反論のしようはあったろう。

 だが彼女は、狂化してなお他人の健康を気遣う、という献身の化身だ。そこには困ったことに、透き通るような純粋な善意しかない。オルタ化していようと、自分の身を慮る者の行動を一蹴することは出来ないのだろう。

 私とオルタがこれから起こるであろう惨劇に戦慄を覚えながらも立ち尽くしていると、水と野菜で数百キロはある鍋を片手で掴み、湯を流すところだった。凄まじい量の湯気が厨房に立ち込める。

 まるで蛙と蛇を煮込む魔女のようだ。オルタも間違いなく同じ感想を抱いているに違いない。

「私は料理の心得がないので無作法ではありますが、お野菜であることに変わりはありません。どうぞ」

 どん、と湯気の立つ寸胴鍋を目の前に置かれる。中身は言うまでもなく、茹だった様々な種類の野菜。食器に取り分ける様子もないので、このまま鍋に手を突っ込んで食えと言うことらしい。

 しかし、とんでもない有様だ。鍋の中は茹だってぐずぐずになったトマトなどもあり、あらゆる野菜の煮汁が混じり合い、形容することも難しい色合いになっていた。お世辞にも食欲をそそる色ではない。むしろ、何も知らない者が見たら魔術関係の薬か何かと思うこと請け合いだ。

「さすがにこの量を一度に食べるのはお辛いでしょうから、何度かに分けて召し上がってください。ですが、お肉を食べた分の帳尻は合わせなければなりません。これを全て食べきるまではお肉は食べてはいけませんよ」

「あ、ああ……」

「約束、ですよ」

 約束、の部分を強調してにこりと笑うナイチンゲール。聖母のような笑みが、今は悪魔の微笑みに見えた。

 役目は果たしたと言わんばかりに自分は食卓につき、先ほどまでオルタが食べていたステーキを頬張り始める。

「まあ……美味しい。美食に興味はありませんでしたが、わずか百年あまりだと言うのに、食文化の進歩には目覚ましいものがありますね」

「…………」

「…………」

「おっと……お肉を食べたらお野菜も摂らなければいけませんね」

 と、豪快に鍋に手を入れ、人参を皮のついた丸のままぼりぼりとかじり出すナイチンゲールだった。

 最早我々には言葉を発する気力すら残っていなかった。

 そして心に誓う。

 ナイチンゲールの前では今後一切、偏食をしてはいけない、と。

 そのまま立ち尽くす訳にも行かず、オルタが無言のままキャベツを取り出し、葉を一枚はぎ取ると一口かじり出す。この中では無難な選択だろう。

「…………」

 ぽりぽりとオルタがキャベツの芯を咀嚼する音がやけに大きく聞こえた。そこになんとも言えない寂寥感が漂っているのは、私の気のせいではないだろう。

 素材の味こそあれど、何の味付けもしていない野菜は美味いとは言い難い。先ほどまで塩胡椒で味を付けた肉汁たっぷりのステーキを食べていたのならば尚更だ。

「……エミヤ、肉……肉が食べたい……」

「……諦めろ。偏食の代価だと思って、今後は自重するんだな」

 オルタの切実な訴えも、私にはどうする事も出来ない。もしナイチンゲールとの約束を違えればこれ以上の悲劇が起こるのは想像に難くない。運悪く天災に遭ったとでも思うしかないだろう。

「……味気ない……」

「…………」

「ラムレイ……お前は毎日このようなものばかり食べて平気なのか……?」

「大丈夫か……?」

 ここまで凹んだオルタを見るのは初めてかも知れない。どんな劣勢でも、絶体絶命の窮地でも眉をひそめる事すらしないオルタが、見る影もなく意気消沈していた。少々可哀想ではあるが、これを機にオルタのジャンク暴食が少しでも治れば儲けものだ。

「……もう少し待て。彼女がここから去ったら私が作り直す」

「……頼む」

 仕方がない。せめてもの情けとして、ナイチンゲールが去った後に食べ易いよう、然るべき調理を施すとしよう。

 


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