カルデア食堂   作:神村

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土方歳三メインです。


和風甘藍ぶぶ茶漬け

 

「邪魔するぞ」

 ある日、食堂でグラスを拭いていた私の下に、低く良く通る声が響く。

「ああ、いらっしゃ――――」

 反射で入り口に視線を寄越す。と、視線が釘付けになると同時に思わず手が止まってしまった。

 そこには一メートルはありそうな巨大な樽を肩に担ぐ土方歳三その人の姿。

 土方歳三。バーサーカーのサーヴァント。

「……土方、なんだそれは」

「たくあんだ」

 純粋な疑問から出た問いに対する答えはあまりにも明瞭だった。

 しかし、たくあん?

 あの巨大な樽一杯にたくあんを漬けたとでも言うのか?

「あんたにはここで何度も飯食わせて貰ってるからな、その礼だ」

 確かに土方の言う通り、彼はカルデアに召喚されてからよくここで食事をしている。なんでも本人曰く、長年続けて来た食事という習慣を、摂る必要がないとは言え疎かにすると気持ちが悪い、との事らしい。なるほど、生活のリズムが崩れるといつもの力を出せないという理屈はわかる。合理主義の彼らしい考えではあるが――。

「そんな事をする必要はない。私は趣味でここで食事を提供しているだけだし、他の誰からも見返りなど受け取っていない」

「……そうか。それじゃ、これも俺の実益を兼ねた趣味だ。裾分けとして、ここの食料の備蓄にでもしておいてくれ」

「わかった、ならばありがたく受け取ろう」

 そうまで言われては無碍に断る理由もない。信長や茶々も喜ぶだろう。

 巨大な樽を受け取り、厨房の隅に安置しておく。予想通り中身は米糠と大根で詰まっているのだろう、相当な重さだった。

 しかし、明治と言えば武士という生き物が絶滅した時代だ。武士道も薄れかけた時代の人物にしては随分と義理堅い男だ。

「ついでに何か食べて行くかね? そろそろ昼餉の時間だ」

「そうだな……じゃあ、茶漬けをくれ」

「信長や小次郎もそうだが、揃いも揃って茶漬けが好きだな君たち武士は」

「作るのも早い、食うのも早い、冷えた飯も美味く食える。戦場では持って来いだからな」

 土方は自分で漬けるだけあってたくあんが好きだ。ここで食事をする時も欠かさず食べている。ならば漬物であれば好みはあれど、大抵のものはいけるだろう。

 大きめの器に白飯を盛り、床下収納から手製の漬物を乗せ、番茶の代わりに昆布と鰹節でとった出汁をかける。箸休めとしての単品の漬物も忘れない。

 余談ではあるが私もここで漬物はいくつか漬けている。作る手間も少なく保存の効く漬物は兵站の面でも非常に有用だ。

「漬物が好きならば、たまには趣向を変えてこういうものはどうだ?」

「なんだこりゃ、萵苣(ちしゃ)か?」

「似てるが違う。キャベツ……和名で甘藍とか玉菜と呼ぶのだが、食べた事はないか?」

「ねえな。見た事も聞いた事もねえ」

 土方の言うと萵苣(ちしゃ)はレタスのことだ。土方が生きていた頃にはまだキャベツは日本になかったのだろうか。

 今回使用したのはキャベツを乳酸発酵させたドイツの漬物、ザワークラウトである。

 未知の食材とは言えレタスに似ているため抵抗は薄いのか、ザワークラウトを一枚、箸でつまんで口に入れる。

「ほう……萵苣(ちしゃ)とは舌触りが全然違うな。微かな酸味も悪くねえ」

「そう言ってもらえて何よりだ」

「だがやはり歯応えはたくあんには劣るな。漬物は歯応えが命だ」

 それは、肉厚の大根と葉野菜のキャベツを比べられても困る。だが漬物は歯応えが命、という点は同感だ。

 外国での漬物の立ち位置はよく知らないが、日本食においては食感と塩味によって食卓に彩りを与えるものだ。白飯だけの食事でも、漬物ひとつあるだけで箸の進み具合は天と地の差ほど出る。

「蝦夷にも行ったが、世の中にはまだ知らねえ食い物は多いな」

「興味本位で聞きたいんだが、貴方の時代では主食は何を食べていたんだ?」

 私は料理自体は好きだが、料理の歴史に関してはあまり詳しくない。どの時代でどんな食物が主食だったのか、と問われてもすぐに答えられない自信がある。

「そりゃ地域によるだろ。俺が日野にいた頃ぁ小麦が多かったから、毎日うどんとか饅頭ばっかりだったな。京の飯も美味かったが、俺たち田舎の芋侍には味が薄くてな……原田なんかは飯に塩ぶっかけてたよ」

 かつての食事風景でも思い出したのか、土方は珍しく仏頂面を僅かに緩ませる。原田とはかの原田左之助の事だろうか。

 新撰組――か。

 土方歳三という人物を生涯単位で見ると、その生き様は新撰組筆頭の剣士・沖田総司よりも荒々しい。

 新撰組副長となった際はその厳しさから鬼と呼ばれ、局長近藤勇が亡くなり隊員が離散した後も、思想の刃先を違えず一直線に新撰組の為に戦い続け、最終的には函館五稜郭にて戦死している。新撰組に属してから死ぬまで自ら戦場へと向かっているところを見ると、何がそこまで彼を突き動かすのか、という妄執に近いものを感じる。剣を武器に戦う彼がセイバーではなくバーサーカーで召喚された理由も、そんなところにあるのやも知れない。

 沖田総司がいるとは言え、浅葱の羽織も着ずに英霊となった後も戦場をひた求める彼の心中は、私などでは察する事も出来ない。

「どこまでも戦いを続けるその姿勢……強いな、貴方は」

「諦めが絶望的に悪ぃだけだ。それに、これ以外の生き方を知らん」

「一つの理想を折らずに生涯を終える者は少ない。英霊となった後も貫き続けられる者はもっと少ない……例えば私などは、理想を貫き通したと思っていたら、結果は全く逆のものになっていた」

「……理想なんて大層なもんじゃあねえよ。それにこれは、もう既に俺だけの問題じゃねえ。ここには近藤隊長もいねえ。斎藤も原田もいねえ。だが――戦場があって、護るものがある以上、ここは新撰組だ」

 戦う場所も時代も問わない。

 誰か一人でも志を共にする者がいればそれでいいと土方は言う。

「それに、ここには沖田にマスターの小娘って金棒もいる。マスターは貧弱だがあの歳の小娘にしちゃああり得ねぇ程に肝が据わってやがる。勝負度胸も充分だ。今はここが俺の新撰組だし、俺と沖田が消えてもこの時代を生きるマスターがまた誰かに受け継いで行く。この未来(さき)も、誠の一文字は終わらねえよ」

 例え自分が志半ばで倒れても、それを引き継いでくれる人間がいる。当時の土方がそうだったのかどうかはわからないが、ここではマスターと沖田がその役目を果たしてくれる。

 切嗣もそうだったのだろうか。

 私は、その役目を立派に果たせているか?

「それに――今の沖田は、俺たちの無茶に付き合わせてた頃のあいつとは違う。昔の沖田だ」

「昔、とは?」

「沖田は女だがあいつの剣は人外魔境、妖術の類だ。そこに余分な気遣いや気負いがなくなっちまったら、もう誰も勝てねえ。新撰組が結成される前、試衛館で毎日泥まみれで笑いながら洟垂らして剣振ってた沖田がそんな感じだった。こいつは俺の予想だが……ここの仲間とやらが、いい感じにあいつの邪気を祓ってくれたんだろうよ」

「…………」

「あいつには随分と無茶させたし、芹沢や山南の件やら何やら、嫌な役目も負わせちまったからな……今の無垢なあいつを見てると……少し、羨ましい」

 その悔悟に近い告白に面食らってしまう。身内に厳しいと噂の土方歳三が、本人が不在とはいえそんな事を言うとは思いもしなかった。

 そんな私の心中を読み取ったのか、こちらを一瞥すると不機嫌そうに舌打ちをして顔を背ける土方だった。照れ隠しなのか、茶漬けを一気にかき込んで席を立つ。

「……喋り過ぎた。俺らしくもねえ」

「そうだな。私も忘れるとしよう」

「そうしてくれ……ご馳走さん」

 鬼の副長と言えど人の子だ。

 誰かに頼りたい事もある。何かに背を預けたい時もある。

 だが人はそう簡単には強くなれない。土方の場合は、規律や心構えを厳しく縛り付けることで強さを得た。先ほどの独白は、自ら平穏への逃げ場を無くした土方の、僅かに残った人間らしい部分なのだろう。

 と、

「あっ、土方さんいました! 土方さん土方さん!」

 食堂の入口から騒がしく沖田総司が駆け込んで来た。土方を探していたらしく、少し息を乱している。

「なんだようるせえな、はしゃいで血ィ吐いたらてめえで掃除しろよ」

 呆れ顔で悪態をつきながらも沖田総司の声に振り返るその様は、どこか微笑ましいものがあった。

 いいものだな、かつて志を共にした友が同じ場所にいるというものは。

 共に暮らし、死地を潜り、理想を共有した仲間というものは、時として自分よりも信頼足り得る存在となる。彼らの間には性別も、年齢も、今や英霊であることすら関係がない。

 誠の一文字に掲げた理想は、隊員がいなくなろうとも、どれだけの月日が流れようとも朽ちはしない。そんな夢物語のような在り方を、その愚昧とも言える不器用な生き方で実現したのだ、この男は。

 彼だけの手腕ではない。勿論沖田の手助けもある。

 それだけに、土方にとって沖田とは掛け替えのない存在なのだろう。

 と、その掛け替えのない仲間が後ろ手に何かを隠しながらにやにやと土方の前に立っていた。

「うふふ、ふふ、うふふふふ……!」

「……気持ち悪ぃ笑い方するんじゃねえ。変なもんでも食ったか?」

 自前の病弱を気にしているのか、と邪推してしまうくらいに常時笑顔の絶えない沖田だが、土方の言う通りその笑顔には邪心が見え隠れしていた。正直、土方の言う通り気持ちが悪い。

「うえへへへぇ、これ、なーんだ?」

 と、沖田は背中から一冊の本を満面の笑みで広げて見せる。その紙面には等間隔で何行か文字が書かれていた。文字が達筆すぎて一見、なんと書いてあるのか現代人である私には読み取れない。

「あん? なんだこりゃ……俳句か?」

「あっ……」

 思わず声が出てしまう。

 沖田が持って来た本の背表紙が目に入る。

「――――――――」

 何が書かれているのか理解したのだろう、土方が硬直し絶句するのが背中越しにも感じ取れた。

 その本のタイトルは【豊玉発句集】。

 何を隠そう、あの新撰組の鬼の副長・土方歳三の俳句集である。その作品の中には恋を綴ったものなどもある。

 土方歳三は俳句が趣味で、ひとり部屋に篭っては俳句を詠っていたことが多々あったそうだ。豊玉とは彼の俳号で、彼が実家に置いて行ったものが、最近になって刊行されたのだ。

「さっきおヒゲのナイスミドルに教えてもらったんですが、あの鬼とまで言われた土方さんが! こんな! 私でも詠まないような乙女な俳句を詠んでいたなんて!」

「――――――――」

「うふふふふふ……! 昔はよく隊のみんなで川柳合戦して遊びましたねぇ。これ、原田さんや近藤さんあたりが読んだら何て言うでしょうねえ?」

「――――――――」

「おい沖田、その辺にしておけよ……」

 かつての厳しい上司であった土方をからかうネタを見つけたのが相当嬉しいのか、ねえ土方さん今どんな気持ちですどんな気持ちです?とまくし立てる沖田を諌める。このまま続けたら土方が怒り心頭に発するのは目に見えている。

 俳句を詠むこと自体はあの時代では嗜みのようなものではあるが、その内容にもよる。

 鬼という二つ名で諡された土方歳三が恋愛を詠んだものなど、本人にとっては黒歴史ノートを全国に開帳されるようなものだろう。

 しかし沖田の言うヒゲのナイスミドルとはシェイクスピアの事か?

 人間模様を観察するのが彼の趣味とはいえ、余計なことをしてくれたものだな……。

「――選べ、沖田」

「へ? 選べって……何を」

 長い静寂の後、地獄の釜の底から響くような低音を、土方が喉から絞り出した。

 と同時に、すらりと佩刀していた刀を抜き、切っ先を沖田に向ける。その厳しい表情は、鬼と呼ばれるに相応しく。

「かつての同志として、せめてもの情けだ……俺に斬られるか、自分で腹切るか、選べ」

「ちょ、ちょっと土方さん! この本出したのは私じゃないですよ!?」

「知るか、関係ねえ――――新撰組局中法度其ノ一、『士道ニ背キ間敷事』」

 土方の眼は本気だった。新撰組の鉄の掟を破った者は例え幹部であろうとも切腹を命じるような男だ。まだ子供と呼べる年齢からずっと同じ釜の飯を食った仲間とは言え、冗談が通じる相手ではない。だからやめておけと言ったのだが……。

「い、いいんですか!? 私に手を出したら新撰組のみなさんを召喚しますよ!? この本が新撰組全隊員に知れ渡っちゃいますよー!?」

 と、全力の逃げ腰で怯えながら、英霊沖田総司の宝具である誠の旗を取り出す。あの旗は新撰組の面々を単独召喚する破格の代物だ。恐らくはこうなることも予測して、対土方用宝具として用意してあったのだろう……が。

 まさかいくら沖田でもこんな身内揉めで使いはしないだろうし、そんな脅し文句が土方に通じると言われれば――。

「面白え、やってみろ」

「ファッ!?」

「おら、早く喚べよ。丁度いいじゃねえか、誰とは言わんが直接ぶった斬ってやりてえ奴もいた事だ……全員三枚におろしてやらァ!」

「ヒイイイイイイイイ!」

 ……予想通りすぎて清々しいくらいだった。もはや止めること叶わずと悟ったのだろう、途中からガタガタと震え出した沖田は背を向けて一目散に逃げ出した。

「てめえ、待ちやがれ沖田ァ!」

「すいませんごめんなさい許してください土方さああああん!」

「逃げんじゃねえこらァ! 腹切れ、てめえこの野郎!」

「ハラキリは嫌ですう! 助けてノッブ! 助けてマスt――ごはふぁ!?」

 喀血しながらも血を撒き散らし食堂から飛び出していく沖田に、それを追う土方。

 まともに対峙すれば剣の腕では沖田が勝つのだろうが、長い期間をかけて培った上下関係というものはそう簡単に覆せない。いくら剣の腕が上がろうとも、頭が上がらない相手にはあんなものだ。

 本人にとっては死活問題だろうが、何か微笑ましい光景を見た想いで、土方のくれた樽の蓋を開ける。米糠にまみれた薄く色のついた大根のたくあんを一本取り、端を切って口へ運んでみる。

「……ふむ」

 特別変わった味はしない。だが歯応えや塩加減はちょうどよく、昔ながらの素朴でお手本のようなたくあんだった。好きこそ物の上手なれ、との格言通り、趣味で作るだけのことはある。

 さて、落ちもついたことだ。私はこの血まみれになった床を片付けて、厨房の主としての職務を果たすとしよう。

 


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