カルデア食堂   作:神村

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第一部クリアのネタバレ含みます。お気を付けください。


忘れ物の生どら焼き

 その日、薄暗い食堂には二つの影が佇んでいた。

 片方は私、もう片方はニコラ・テスラである。発明王エジソンに並ぶ世界の発明の父だ。

 その稀代の発明家が何をしているのかと言うと、

「――フ」

 テスラの口元が不遜に歪む。

 次の瞬間、

「フッ、フハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 その無駄に凄まじい肺活量による長い哄笑が響き渡るのを契機に、食堂全体が通電する。

 少しの期間食堂を空けていたので、これを機に大々的に食堂のメンテナンスをしていたのだ。その最終的な仕上げとして、あまり詳しくない電気周りのメンテナンスを、暇そうにしていたテスラに頼んで今に至るという訳だ。

「礼を言う。機械いじりは好きなのだが、電気周りは疎くてね」

「なに、凡人に知恵を施すのも私の役目。それにどこかの直流馬鹿には重過ぎる仕事であるからな。ならば比類なき天才である私が出るのは当然の帰結!」

 ちなみにテスラの言う直流馬鹿とはミスターエジソンのことである。

 とは言え現代の家電製品は直流と交流のそれぞれ良いところを使い分けて動いているのだが……まあいい、見えている地雷をわざわざ掘り起こす必要もあるまい。そんな事を言った日には犬猿の仲である二人のことだ、カルデアの全電化製品をどちらかに統一するとでも言いかねん。

「では雷電は去る。さらばだシェフ! 礼ならばまた美味な料理を振舞ってくれたまえ!」

 背筋をぴんと張った良い姿勢で手を振りながら去るハンサムを見送る。あの何処から湧くのか不思議で仕方のない自信は、卑屈になりがちな私も少々見習うべきかな。

「さて、と」

 食堂全体の整備は一通り終わった。これで今すぐにでも食堂を運用できる。

 先程言っていた、食堂を空けていた理由は今更説明するまでもない。

 人理史修復(グランドオーダー)が、マスターの手によって完遂したのだ。

 長くもあっという間のような出来事だったが、私としてもいい経験となった。後にも先にも、英霊たちがこんな大所帯を持つことは二度とないだろう。その点だけでも十二分に価値はある。

 人理史修復(グランドオーダー)が終わった後、我々カルデアに召喚されたサーヴァント達に与えられた選択肢はふたつ。

 英霊の座に還るか、カルデアに残るか。

 私は残ることにした。

 と言うよりは、人理史修復(グランドオーダー)に携わったサーヴァントはそのほぼ全員が残っている。

 そのこと自体に特に大きな理由はない。単純に、居心地が良いだけ――意思の確認などしていないが、他の残ったサーヴァント達も同じような理由ではないだろうか。

 さしたる目的もないのに大勢のサーヴァントが長期間現界していていいのか、とも思うが、その点はダヴィンチに問い合わせたところ、どうやら大丈夫らしい。

 今の我々は第五次聖杯戦争のギルガメッシュと同じ状態だ。一度召喚されたサーヴァントは、何も聖杯戦争の終了と共に忽然と消える訳ではない。生き残り、魔力供給さえしていれば理論上は永久に存在が可能だ。ただ英霊の格を持つ者を存在させ続けるのは至難の業、というだけの話である。魔力供給の量も馬鹿にはならないし、何より世界よりの修正力が大幅にかかる。要するにコストとリターンが釣り合っていないのだ。

 聖杯戦争やここカルデアはその辺りを優れたシステムで上手く誤魔化しているだけなのだが、これが実に良くできている……というのがダヴィンチの言である。私も魔術は齧っているものの、そこまで専門的なことは理解が及ばん。

 まあいい、難しいことは後回しだ。今はただ、ひとつの大きな目的を達成したことを素直に喜ぶとしよう。

 と、

「エミヤー、おなかすいたー!」

 一際緊張感皆無な声が、私一人の食堂に響く。

 振り返るとそこには、見慣れたマスターがいつもの陽気な風で入ってくるところだった。

「開口一番それか……それでも世界を救ったマスターかね?」

「世界を救おうがなんだろうがお腹は空くよ」

「ふっ、間違いない」

「ごーはーん! ごーはーん!」

「分かったよ、何か作るからそこで大人しくしていたまえ」

 料理の準備はしていないが、何かしら備蓄はあるだろう、と思い冷凍庫を開ける。余り物で何か作ってやればマスターも少しはおとなしく――

 と。

 冷凍庫の片隅にあった()()を、視界に入れてしまった。

「…………」

 思わず吸い込まれるように手に取る。

 ちょうど手のひらに乗るサイズのそれは、冷凍庫に入れられていたことでひやりと静かに私の体温を奪う。

『僕はこし餡派なんだよ、知ってるでしょ!? だから、ね?』

『……ひとつだけつぶ餡ではなくこし餡にしろと?』

『頼むよエミヤ! この通り!』

 同時にまざまざと蘇る記憶。

 軽薄に見えてあまり他人に干渉しない彼が、私が根負けする程にあそこまで頼み込んでいたのは、恐らくこの未来を知っていたから。

「あ、それってもしかしてちょっと前にエミヤが作ってくれたどら焼き?」

 マスターがいつの間にか背後から迫っていた。相手がマスターとは言え、ここまで他人の接近に気が付かないほど、私は動揺していたらしい。私もまだ若い。

「良く覚えているなそんな事……そうだよ」

「そりゃあ覚えてるよ! 皮はもちもちだし、あんこと生クリームの素敵な和洋折衷! 冷凍してもアイス感覚ですっごく美味しかったもん!」

 少し前、最終決戦の前日に作ったものだ。生地に白玉粉を使った生クリーム入りどら焼きで、皮は日本人の大好きなもちもち感たっぷりに。中に砂糖を控えめにした餡と生クリームを入れることで和菓子に不足しがちな菓子の満足感も得られる。

『やあ、エミヤがわざわざオーダーメイドで作ってくれたものだ。これは人理修復後の楽しみに取っておこう』

『お前が作らせたんだろう』

『つぶ餡であれだけの味だったんだ、こし餡ならきっと想像を絶するよ』

『そうかね』

 先ほどマスターが言ったように、冷凍しておけば日持ちする上に凍ったまま食べてもアイスクリームとしての役目も果たす。日本出身のサーヴァントに加え、他国のサーヴァント達にも多くの賛辞をもらった、我ながらそこそこの傑作だ。

「ねっ、ちょうだい?」

 マスターな目を輝かせながら、有無を言わせぬ雰囲気で迫って来る。

 そこまでされるのは料理人として本望だが……これは……。

『そんな所に置いておいたら、名前を書いたところで腹を空かしたマスターかアーサー王あたりに食われるぞ』

『大丈夫大丈夫。みんないい子だからね』

『その無類の信頼は素晴らしいが、もう少し現実を見た方がいいぞドクター……』

 ……いや、マスターももう子供ではない。自分の問題は、自分で解決出来る歳月と経験を積んでいる。私が変に気遣ったところで逆効果になり得る。

「――ああ、そうだな。食っていいぞ」

「やったぁ!」

 私の手から電光石火の速さでどら焼きが奪われる。

「――――ぁ」

 と、マスターの動きが止まった。

 そのどら焼きの包みには、ボールペンで走り書きされた付箋が貼ってあった。

 『ロマニ・アーキマン』と。

「……エミヤ……これ、」

 珍しく、どんな時でも明朗快活なマスターが口ごもる。致し方ない。ここでドクターもいやしんぼだね、と笑い飛ばせる程にマスターは年を食っていない。

 人理史修復(グランドオーダー)を完遂してからはやひと月。

 それはあのロマニ・アーキマンとの別れからの期間と同意義だ。

 マスターも面にこそ出さなかったが、数日は落ち込んでいた。無理もない。実の兄のように慕っていた者が数奇な運命を辿り、あのような結末を迎えたのだ。

 忘れることはできないが、ようやく頭の片隅に置いておける程度になった――そんな者の事を、当人が冷蔵庫に置き忘れた菓子で否が応にも、どうあってもロマニがもういない事実を突き付けられた。

 ……ひょっとしてわざとじゃないだろうな、ロマニ?

「いい。食ってしまえマスター」

「……でも」

「もう戻らぬ者の名残だ。せめて腐ってしまう前に君が美味しく食べてくれ」

「…………」

 今、マスターの心中はあらゆる要素で渦巻いているに違いない。固く口元を結び、今にも泣き出しそうだった。

 ロマニがもう戻らないという事実。

 ロマニとの馬鹿らしくも楽しかった思い出。

 共に人理修復に尽力した日々。

「……それはな、マスター。そのどら焼きは、私がロマニに頼まれてわざわざこし餡で仕上げた一品物の特注品だ」

 だが、これはマスターが自ら乗り越えなければならない。

「ロマニがあれほど楽しみにしていたどら焼きだ。もし何かの間違いで奴が戻ってきて、自分がいない間に秘蔵の菓子を食われていたと知ったら――」

 ああ、

「とても愉快な顔が見られそうではないかね?」

 その光景が、眼に浮かぶようだ。

 マスターは一瞬、私と視線を交錯させると、目元を袖で拭い、

「『ひどいよ! ひどすぎるよ! 僕の大好物だって知ってるだろ!?』……なんて感じかな」

 現れた顔は、少し無理をしているようだったが、笑顔だった。

 ――それでいい。

 マスター、君はまだ若い。私のように、悲しいこと、辛いことを無理に心の底に押し留め、凍結させる必要もない。

 戦いにおいて別れは付き物だ。どれだけ時間をかけてでも悩み、葛藤し、どうにかして気持ちに整理をつけなければならないのが、残された者への課題だ。

「……おいしい。さすがだね、エミヤ」

「それは光栄だ……さて、マスター」

 君は君なりの答えを出すといい。

「緑茶と紅茶、どちらがいいかね?」

 私は微力ながら、マスターに茶を淹れてやるとしよう。

 

 


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