しかしお父さん強いんだけど星吸い過ぎじゃないですかね……
時は日付も変わる頃。
ここ食堂には食事を目的とする客はほぼいなくなり、代わりに酒や徹夜を乗り越える為の軽食を求める者がちらほらと現れる。酒に関しては酒呑やドレイクといった生粋の酒飲みが誰かしら毎日のように酒盛りをしており、今もフェルグスをはじめとするクー・フーリンやスカサハといったケルトの戦士が集まって何かしら騒いでいた。
こうなってしまうと私の役目も御免だ。私にバーテンダーを務めるに足り得る知識や腕はないし、そこまでする義理もない。厨房にいる時に頼まれれば軽食や酒の肴くらいは作るが、その程度だ。
それに酔っ払いの相手なんぞこちらから御免被る。酔っ払いの相手ほど益にならないものはない。
ロマニのように徹夜でカルデアを維持する為に働く人間もいるので、そんな彼らの為にと作り置きのサンドイッチをバスケットに入れ、サランラップをかけてカウンター脇に置いておく。これで今日の私の役目は終わりだ。
そろそろ部屋に戻ろうか、と思っていると、カウンターに近付く影がふたつ。
「いらっしゃい、食事かね」
「いえ、今日は酒を頼みたい。エールをふたつ」
甲冑を着けた二人の名はサー・ランスロットとサー・ガウェイン。アーサー王物語の代名詞とも言える円卓の騎士において実力、知名度共に三本の指に入る騎士二人だ。
ランスロット。セイバーのサーヴァント。
カルデアにはバーサーカーのクラスで召喚されたランスロットもいるが、こちらが本来のクラスだ。円卓の騎士の中でも一、二を争う武勇を誇り、忠義も厚く騎士の中の騎士であったと言う。
だがその反面、モードレッドと共にアーサー王物語に終止符を打つのにも一役買っている。良くも悪くも円卓の騎士の中では知名度が最も高い騎士と言えよう。
続いてガウェイン。セイバーのサーヴァント。
彼もまた円卓の騎士であり、その中でも最古参にあたる騎士だ。朝から正午までは力が三倍になる加護を受けており、昼間はどんな敵でも彼を打倒することは叶わなかったと聞く。性格も勇猛にて騎士の礼節を弁えた清廉潔白を貫く騎士の鑑であり、二つ名である太陽の騎士の名に恥じぬ、眩いばかりの人物と言えよう。
ジョッキに瓶ビールを注ぎ、突き出しのナッツと共にカウンターに座る二人の眼前へ。
「ありがとう。乾杯」
「乾杯」
と、二人とも大ジョッキに注いだビールを一口で全て飲み干してしまう。その上で顔色ひとつ変えていない。
保存の効かない昔は、腐らない酒が水代わりだったとも聞くが……とは言えここまで強いものか。少し感心しながらも、新しいビールを注ぐ。
「急に呼びつけてしまい済まない、サー・ガウェイン」
「酒の場は無礼講。ここではその呼び方はやめましょう。同郷の、しかも同じ円卓の誼……今更遠慮をする間柄ではないでしょう」
「礼を言う。今日は身内にしか明かせぬ私の恥なのでな……」
言って、私にちらりと目線を向けるランスロット。
他人の内緒話をこそこそと聞く趣味は私にはない。それが高潔な騎士のものであれば猶更だ。
「私は邪魔者のようだな。丁度部屋に戻るところだったから気にするな」
「ああいや、良ければエミヤ殿にも聞いて戴きたいのだが、よろしいか」
「私に……? 構いはしないが、いいのか?」
「ああ。カルデアの古参である貴公の意見も是非聞きたい」
「そこまで重要な話であれば、トリスタンとモードレッドとベディヴィエールも呼びましょうか?」
現在、カルデアに召喚されている円卓の騎士は、アーサー王を除けばランスロット、ガウェイン、トリスタン、モードレッド、ベディヴィエールの五人だ。こうして個人的な話である以上は、王であるアルトリアには秘密の話、というのが彼らの暗黙の了解なのだろう。
「いや、今日はごく個人的な、家族についての相談だ。その点においてはトリスタンも私と似たような身上に加え、物言いが詩的すぎてあまり参考にならん。モードレッドに至っては知ったことかと火山の如く怒り出すのが容易に予想できる。ベディヴィエールには正直荷が重い……気心の知れた上に質実剛健な貴公が最適なのだ」
「はあ、そういう理由であれば……家族、ですか」
ガウェインは少し考えるように顎に指を添え、
「もしやマシュ嬢の事ですか?」
と、その煌びやかな碧眼をランスロットに向ける。
「マシュ? あのマシュか?」
「ああ、そうだ。マシュ・キリエライト――彼女について……貴公らの意見が聞きたい」
「彼女について、ですか」
マシュについての意見、と言われても、あまりにも漠然とし過ぎていて答えようがない。ガウェインもそれは同じのようで、その端正な顔を横に傾けていた。
「私が彼女について知っている事はデミサーヴァントであること、宿った英霊が貴方の息子であった、くらいだぞ。もっと魔術的な詳細が聞きたいのなら、ダヴィンチやドクターに聞いた方が――」
「いや、古株である貴殿が適当なのだ」
デミサーヴァントである彼女の存在そのものを問いたい、という訳でもない。となると一体なんだ?
ランスロットは苦虫を噛み潰したような表情で気つけ代わりにビールを煽り、口を開く。
「……マシュ、いや彼女が……」
「マシュが?」
「その……恋慕を寄せる相手はいるのだろうか……」
「本人に聞けばよかろう」
即答だ、こんなもの。
他人の惚れた腫れたの話など、ピンクの狐にでも食わせておけばいい。
「無体にも程があるぞエミヤ殿!」
「とは言ってもな。大体、貴方は息子も放任主義で育てていたのだろう? 何故今更……」
「私は元々、息子は厳しく、娘は最大限甘やかすという教育方針を採っている。それに、あのような美少女にある日突然お父さんと呼ばれ、心中穏やかなままでいられる男がこの世にいると思うかね」
「…………」
真摯な眼でとんでもなくどうでもいい事を言うランスロット卿に、返す言葉もなかった。
なんて無駄に綺麗な目をしてやがるんだ……。
「しかしランスロット、貴方も唐突過ぎます。筋道を立てて説明して下さい」
「む。確かにそうだ……そうだな……エミヤ殿、スコッチを」
いつの間にか空になっていたジョッキを掲げるランスロット。酔いでもしないと話せない、ということか。何も言わず、新しいグラスに銘柄はわからんが度数の高めのスコッチを注いでやる。
それを半分ほど干すと、訥々とランスロットは語りだした。
「私はどうやって息子と接していいのかわからず、せめて息子が恥じぬ立派な騎士であろう、と仕事に傾倒してしまった人間だ。今更なのは承知の上だが……こうして英霊として同じ場所に召喚されたのも何かの運命。彼女と、彼女の中にいるギャラハッドにも、何かをしてやりたいのだ」
ギャラハッド。ランスロットの実子であり、後期の円卓の騎士の筆頭とされる人物だ。カルデアにおいてはデミサーヴァントであるマシュに宿っている。
だが騎士の洗礼の際に『ランスロットを超える騎士となる』とマーリンに言われたにも関わらず、その生い立ちはモードレッドに似て恵まれたものではない。彼は
ランスロットもその思いはあったのか、産まれてすぐにギャラハッドを教会に預ける。ギャラハッドが見事円卓の騎士となった暁にも、父として接したことはほとんどなく、ギャラハッドもまたランスロットを父と呼ぶことはなかった、と伝わっている。ランスロットは、そんな彼とどうやって接していいかわからなかった、と言う。
同じ男として気持ちは分かる。愛した女性との間に産まれた子であればまた違ったのだろうが、自意識もろくにないまま一方的に子を作らされ、『あなたの子です』と言われても扱いに困るのは同意出来る。
が、しかし、だ。
「それが先程の質問とどう繋がるのですか?」
ガウェインが正鵠を射る言葉をかける。
それだ。ランスロットとギャラハッドの境遇に同情こそすれ、それがマシュの恋心とどう関係があるのかが分からない。
「だから……息子に何もしてやれなかった分、マシュ、彼女には幸せになって欲しい。彼女も人理修復の渦中にあれど、そういった年頃……恋慕の情は時に一国すら揺るがすほど熱く尊いもの。時は問わぬものだ。それは私が身をもって知っている」
一家言ありすぎて反論のしようがなかった。
ランスロットは半ば策に嵌められたとは言え、王妃ギネヴィアとの不倫が原因でアーサー王の命運を破滅の方向へと導いてしまった。
忠誠と愛。どちらも得難く大切なものだというのは分かる。私も同じ状況になった場合、うまく事態に収拾をつけられるかと問われれば自信はない。
「そこで彼女が誰かに恋心を寄せていると言うのならば最大限協力してやりたく思うし、恥ずかしながらも私には助言出来る程度に恋愛経験も多い。それが相応しくない者であれば、心を鬼にして止めてやるのが親としての責務だ」
「…………」
ああ、そうか。マシュが幸せに、なんて色々とそれらしい理由はつけてはいるが……単純にこの騎士殿は、生前息子と出来なかったこと、すなわちマシュと仲良くなりたいだけなのだ。
くだらん、とまでは言わんが、大の大人が三人輪を作って話すまでの事ではない気もする。
「……気持ちは分かるが余計なお世話だと思うぞ。マシュだって子供ではない。立派な大人だ」
「しかしだエミヤ殿。私も生前、苦境を自ら切り拓いて歩を進めて来た身。天よりこのような千載一遇の機を与えられておきながら行動しない、というのは耐えられん」
「私もエミヤ殿と同意見ですよランスロット。マシュ嬢は蝶よ花よと可憐にて多感な時期。男親があれこれ口を出しても逆効果です」
「ぐ……それは、わかっては、いる……だからこそ貴公らに相談しているのだ……酒をもう一杯頼む」
眉間に皺を寄せ、更に注いだ酒を煽る。こんなに荒れているランスロットは未だかつて見たことがない。
現実は非情だ。ただでさえ仲睦まじい親子関係ではないのだ。ランスロットがあれこれとマシュの人間関係に口出しをしたところで、鬱陶しがられるのが関の山だろう。
だがランスロットの苦悩もわからんでもない。私は子を持った経験はないが、家族の絆に関してはランスロットと同意見だ。
家族とは当たり前にあるように思えるが、得られない者には一生得られないもの。それは私もこの身をもって知っている。私など、一度家族を失った人間の中では大いに恵まれた方だ。
「……ランスロット、貴方は私とラグネルの馴れ初めを聞いていますか」
少量のビールで唇を濡らし、ガウェインが諭すように語り出す。
ラグネル――確かガウェイン卿の妻だったか。
「ああ……我が王の命で娶ったとは聞いた……彼女は美しい婦人であったな」
「それは結果論です。私は当初、ラグネルとの婚姻は望んだものではありませんでした。何せ醜い老婆でしたから」
ガウェインの結婚。有名な逸話だ。
ある日アーサー王が悪の騎士に呪いをかけられ、力の大半を奪われる。悪の騎士は言う。『呪いを解いて欲しかったら全ての女性が求めるものを一年以内に示せ。見つからなければ貴様の国をもらう』と。
アーサー王は一年諸国を旅するが求めるものは見つからなかった。期限が迫る頃、醜い老婆がアーサー王の前に現れる。彼女が後にガウェインの妻となるラグネルだ。
ラグネルは言う。『私は貴方の求める答えを知っています。代わりに立派な騎士と結婚できるよう紹介して欲しい』と。後がないアーサー王はラグネルの望みを受け入れ、悪の騎士の下へと赴きラグネルに教えて貰った答えで力を取り戻し、無事ブリテンへと帰還を果たす。
その後、ラグネルとの約束をどうしようかと迷っていると、見兼ねたガウェインが声をかける。
『我が王よ、どうか貴方の悩みを私にも分けて欲しい』と。
結果、忠実な騎士であるガウェインはアーサー王の悩みを聞き届け、ラグネルと結婚することになる。しかし相手は醜い老婆。結婚初夜に落ち込んでいるガウェインがふとラグネルを見ると、そこには美しい女性の姿が。
『私は醜い老婆になる呪いを二つかけられています。呪いを解く方法の片方は立派な騎士と結婚すること。これで私は一日の半分のどちらかをこの姿で過ごすことが出来るようになりました。昼と夜、どちらがよろしいですか?』
ガウェインは答える。『成り行きとはいえ妻となった以上、その姿でも、醜い老婆の姿でも、変わらずにお前を愛そう。お前の好きにするとよい』と。
「するとラグネルは一日中を美しい姿でいられるようになったのです。呪いを解く方法のひとつは立派な騎士と結婚すること。もうひとつは、『自分の意思を持つこと』」
全ての女性が求めるものとは『自分の意思』である、という物語だ。女性の地位がまだ低かった時代ならではの物語だが、現代においても教訓にすべき点のある良く出来た話だと思う。
だが、
「ですからランスロット、貴方も円満な関係を強要することなく、マシュ嬢の意思を尊重し――」
「騎士と結婚……? 馬鹿を言え、私より優れた騎士でなければ結婚など認めんぞ!」
ガウェイン卿の自らの故事を引き出しての説得も、ランスロットの耳には微塵も届いていないようだった。親馬鹿ここに極まれり、といったところか。
さすがの聖人ガウェインも呆れたのか、語調を荒げてランスロットに食ってかかる。
「人の話は最後まで聞きなさい! 貴方は普段は立派な騎士だと言うのに、女性が絡むとなぜ駄目人間になるのですか!」
「誰が駄目人間か!」
「貴方以外の誰がここにいますか!」
「……喧嘩になるなら私は帰るぞ」
収拾をつけるのも面倒だし、そこまでの義理はない。放っておいて部屋に戻ろうとしたところ、
「エミヤさん……あ、まだいました。良かった」
「……っ」
食堂の入り口から顔を覗かせる、眼鏡をかけた私服のマシュがいた。当の本人が現れ動揺を隠し切れないのか、ランスロットが目に見えて狼狽していた。
「応、マシュではないか、今日もまた健康的でいい尻をしておる! こっちへ来て酌をせんか!」
「おい、やめとけよ叔父貴」
「とは言ってもなぁ、折角の酒の席に華がおらんのは寂しいではないか、のう?」
「ま、確かにな。美味い酒に美女がついてくりゃ世は極楽ってね」
「ほう……? 私は華に値しない、と。そう言うのかフェルグス、セタンタ」
「いい歳してなぁに言ってんだよ。師匠は華っつーかサボテンって感じだよな。全方向に漏れなく刺しまくるって意味で」
「上手いことを言うなクー・フーリン! うわっはっはっはっは!」
「だっはっはっはっはっは!」
「……ふっ」
びき、とスカサハの持つグラスにヒビが入る音がここまで届いた。
酔っているとは言え、馬鹿な奴らだ。何事に対してもストイックなスカサハの事だから食堂を壊したりはしまい。放っておこう。
「すいませんフェルグスさん……私、エミヤさんに用があって」
「相手にしなくていいぞマシュ。こいつらには私が厳罰を与えておくから放っておけ」
「は、はい……ありがとうございます、スカサハさん。手加減をお願いします」
「マシュ? どうした、こんな夜遅くに」
「はい、少しお願いがありまして……あれ?」
カウンターにやって来るマシュ。当然、そこで一杯やっているランスロットとガウェインに気付き、眉根を寄せていた。
「……なぜこんな時間に……お酒、飲んでるんですか?」
「あ、ああ。たまには旧友と飲みたくなってね……なあガウェイン」
私に振るな、と言わんばかりにガウェインが無言でビールを煽る。マシュもそれ以上関わるつもりはないのか、私の元へと寄って来た。遠くでゲイ・ボルク、と聞こえた気がするが気のせいということにしておこう。
「ええと……少しお時間、よろしいですか?」
「構わんよ。なんだ?」
「その、お菓子を作ってみたんですが、人にあげる予定のものですので、出来を確かめて欲しくて……」
言って、マシュはアルミホイルを広げる。出てきたのは、長方形の黒い塊が十個ほど。
ココアパウダーをふりかけてあるのか、粉に覆われた外見はブラウニーにも似ているが、切り口に生地らしきものは見当たらない。となれば、
「これは生チョコレートか?」
「はい。温めたチョコに生クリームとブランデーを加えて混ぜ合わせ、冷蔵庫で冷やし固めたものです」
「ほう、いいじゃないか。どれ、では僭越ながらひとついただこう」
滅多にわがままも言わない、他ならぬマシュの頼みだ。味見役を仰せつかったからには真剣に評価する必要があろう。生チョコをひとつをつまみ上げ、口に入れる。
「む……これはカカオパウダーか。珍しいものを使っているな」
「はい。ココアパウダーよりも栄養面で優れていると聞きましたので」
うん。生チョコ特有の滑らかな舌触りに加え、ブランデーのほろ苦くも刺激的な芳香が口いっぱいに広がる。加えて口に入れた時のカカオパウダーの香りがブランデーを使った菓子にありがちな、素材の味を殺すことを防いでいる上に、チョコレート本来の旨味を上手く引き出している。
「うん、いいじゃないか。とてもいい出来だ」
「ありがとうございます。エミヤさんのお墨付きをもらえれば心配ありませんね」
「……私の舌程度が役に立ったのなら光栄だよ」
にこりと花のような笑顔を見せるマシュに、顔には出さないが少々動揺してしまう。
こう見ると、本当にどこにでもいる女の子だ。デミサーヴァントとなって人理修復などに関わらず、普通の幸せを得て欲しい、というランスロットの想いもわかる。
「……それを誰にやるつもりかね、マスターか?」
と、だいぶ酒が入り酩酊状態のランスロットが顔を赤らめながらマシュに声をかける。先ほどのガウェインとのやり取りもあり、もはや自棄酒に近い状態だ。これが原因で更に不仲にならなければいいが……。
「……誰でもいいじゃないですか。お父さんには関係ないでしょう?」
「あるさ!」
がん、とグラスを強くテーブルに置くランスロット。マシュもこれには驚いたのか、目を丸くして硬直していた。
「家族のことであれば知っておきたいのは当然だ……違うかね!」
「よしなさい、ランスロット。酒に溺れ他人に当たるなんて貴方らしくもない」
「だが私は……私は駄目な父親だ。父親として失格だ……そんなことはとうにわかっている……! だがその関係を修復しようとしてもどうしたらいいのかわからんのだ……!」
「ど、どうしたんですか……エミヤさん?」
「……マシュと、ギャラハッドと仲良くしたい。空白だった生前の関係をカルデアで埋めたい、と私とガウェイン卿に相談を持ち掛けてきた結果がこれさ。生憎、悪い酒になってしまったがね」
「…………そんな」
「ガウェインの言う通りだ……私は、私は湖の騎士などと大層な二つ名で呼ばれながらも、家庭一つ守れん愚か者だ……! 王や皆が血涙を流しながら築き上げた円卓の騎士も私が壊した……! そんな騎士が王を守ることなど出来る筈もなかったのだ……!」
「ランスロット……貴方……」
圧巻だった。まるでビールのようにスコッチの注がれたグラスを空にしては自分で注ぎ足し、の繰り返し。他人にも止めさせない迫力が今のランスロットにはあった。
溜まっていた鬱憤、息子と上手く接することが出来なかった後悔、自らが王を滅ぼす一因となってしまった自責。正史によれば、アグラヴェインを含むガウェインの三人の弟を斬ったのもランスロットに外ならない。いくら殺生は常、が戦場の慣わしとは言え、ランスロット程の騎士がそれを気にしていない訳がないのだ。
それらが酒と停滞する現状、マシュとの関係への懊悩をきっかけに、一気に堰を切り噴き出したのだろう。いかに高潔な騎士といえ、人間には違いない。何も悩まず、惑わずにいられる人間などいない。
英霊となったとしても、それは変わらないのだ。
「ああもう、やめてください!」
「っ!?」
と、マシュがテーブルを平手で叩く。
「誰だって後悔はあります! 私だって、今こうやってデミサーヴァントとして生きていることを後悔しない日が来ないとも限らないでしょう!?」
「ま、マシュ……?」
「英霊の皆さんだって、やり残した事があるから、やり直したいことがあるから、こうやってここにいるんじゃないですか! みんな泣きたくなるのを我慢して、それでも世界の為に頑張ってるんじゃないですか!」
「…………マシュ」
「仮にもお父さんなら、私の前でくらいかっこつけてくださいよ!」
普段のマシュからは想像もつかない怒涛の剣幕に、ランスロットどころか私とガウェインまで気圧されていた。
息を切らし、目に涙を浮かべながら、持参したチョコレートを差し出す。
その先は、ランスロットだ。
「これ……あなたにあげるつもりで作ったものです、お父さん……その、お近づきの印に」
「な……に」
「私も、ギャラハッドさんの影響で言いたくもない言葉をお父さんに投げ掛けてしまうのは、嫌なんです。ギャラハッドさんも、口は悪いけど私と同じ気持ち……お父さんと仲良くしたいという思いはあるんです……認めたくありませんが、あなたは唯一の、父親なんですから」
英霊ギャラハッドにとって、騎士ランスロットは尊敬できる父でありながら神聖なる円卓に傷をつけた仇敵でもある。畏敬、憤怒、愛情、怨恨、あらゆる感情がランスロットに向けてくだを巻いていただろうことは、容易に予想できる。
マシュにしてもそうだ。デミサーヴァントは、宿った英霊の影響を強く受ける。身体の半分をサーヴァントで補ったマシュならば猶更だ。
例えそれが自分の意に反することでも、個人に向けた強い感情までは上手くコントロールすることが難しい。だから、誰にも好かれるマシュが暴言毒舌罵詈雑言を吐くのはランスロットだけなのだ。
そのマシュは涙を袖で拭い、強い眼差しでランスロットを見据える。
「私はここにいる限り、あなたをお父さんと呼び続けます。それが親愛なる子との関係を疎かにしたあなたに与えられた罰であり、十字架であると知りなさい……私とギャラハッドさんが二人で話し、出した結論です」
「……そうか」
酔いはマシュの叱責で吹き飛んだのか、ランスロットはチョコレートの包みを受け取り、複雑な面持ちでひとつ、口に入れる。
「苦く、甘く、酒の強烈な香りが癖になりそうだ……情熱的で、うまい」
「ギャラハッドさんが本当にお父さんのことを嫌いだったら、こうして話したり、仲直りしようとお菓子を作ってきたりはしませんよ……順番は変わってしまいましたが」
「……そうだな、ありがとう。大切に食べるとするよ」
言いたいことは山ほどあるだろうが、ランスロットの顔つきは心なしか穏やかなものへと変わっていた。
何とか穏便に収まったようで何よりだ。
「自分の子からの贈り物がこれほど心に沁みるものだとは知らなかった……ああ、いいものだな」
「義理です義理。いわゆる友チョコならぬ家族チョコですよ。本命のチョコはバレンタインに本命の相手に渡しますから」
ひと段落ついて緊張が解けたのか、直前までの素っ気ないマシュに戻っていた。
デミサーヴァントは宿った英霊の影響を大きく受けるとは言え……あの穏やかで優しいマシュがここまで辛口になるのは、先ほども言ったようにランスロットを置いて他にはいまい。
だが、それは特別だという意味でもある。
好意の反語は敵意や憎悪ではなく無関心、という言葉がある。関心も何もない相手にはどんな感情も産まれない。人の心はいい意味でも悪い意味でも移ろい易いものだ。最も大切にしていたものが一瞬でどうでもいいものに変わる事は決して珍しいことではない。
そしてその逆もまた然り、だ。
なに、そう長くはないが時間はある。今からでも、親子の関係をやり直すことは遅くない。
と、
「待てマシュ。誰だそれは」
「えっ?」
「本命とは誰だ。教えなさい」
「えっ、ちょ、ちょっと」
「マシュが誰に恋心を寄せようとマシュの自由だ。だがどこの誰ともわからん輩に大切な娘をやる訳には行かん!」
「好色一代男のお父さんのどの口が言いますか!」
「それは認めるがそれとこれとは話が別だ! さあ言いなさい、私にはマシュに相応しい男かどうか見定める義務がある!」
感動の空気を一瞬にして吹き飛ばしにかかる騎士様だった。しかも今、堂々と娘と言ったぞ。
「よ、酔っ払いは嫌いです! くさいです、近付かないでください!」
「なっ……!」
見ているこっちが痛々しくなる程に悲哀に表情を歪ませるランスロット。宝具をまともに喰らった時でもあんな顔はしまい。親愛なる娘から『臭い』と言われるのはさぞやダメージがでかいことだろう。
娘が可憐ゆえに、息子のように強く出られない男親。
こうなってしまってはまさに金城湯池だ。もはやマシュにはつけ入る隙もない。
「エミヤさん」
「な、何かな」
「私の服をお父さんの服と同じ洗濯機で洗濯をしないで欲しいんですが」
「――――っ」
そして更に追い打ちをかけるマシュだった。容赦なさすぎて逆に清々する。
「……わかった、次からはそうしよう」
「では私はこれで。飲み過ぎて倒れても介抱しませんからね」
「ま、待てマシュ!」
救いを求め伸ばしたランスロットの手は虚しくも空を切り、マシュは食堂を出て行った。
残ったのは、傷心の騎士がひとりと、その無二の戦友と、コックである私。
ならばもうやる事は一つだけだ……正直、私は今すぐにでも帰りたいが。
「エミヤ殿……スコッチを、ジョッキでくれないか……」
「ランスロット……仕方ありません、私も付き合います。今日だけですよ」
「ガウェイン……恩に着る……」
「エミヤ殿、私にもスコッチを」
「ああ、好きなだけ飲め」
ジョッキと酒瓶をまとめてテーブルに載せる。このままでは酔い潰れるまで止まりはしないだろう。
辛いことを酒で忘れること自体は責めはしない。それにランスロットは、これからようやく一歩目を踏み出せるところまで来たのだ。ここらでひとつ踏ん切りをつけるのも必要だ。
だが、どんなに堅牢な城であろうと、中に入ってしまえば話は変わる。
マシュと話し合い、和解し、相互理解を果たす事が出来れば一転、難攻不落、誰も侵すことの出来ない強固な絆となる。
それが例え仮初めの親子関係だとしても、だ。
絆、か。
人理修復が終わればいずれ消滅する我々だが、一度結んだ絆はそう簡単には解けない。そう信じよう。
私とセイバーがそうであるように、いつどの時代に召喚されても暗黙のままに互いに繋がる絆はある。
片やデミサーヴァント、片や未だ情けない親父だが――いずれそうなる時が来ると、第三者ながらささやかに願っておこう。