黒髭好き。好きすぎて我がカルデアではレベル90になってライダー筆頭となってます。
その日、オレはと方にくれていた。
オレの名前はエドワード。どこにでもいる、黒いヒゲがトレードマークのごくふつうの高校生だ。
そんなオレがなぜこんなにも憂うつな気分になっているのかって、それは――
「ええい、近寄るなうっとうしい!」
がっしりと組まれた両うでを少々乱ぼうにふりほどく。
「いいじゃないこれくらい。幼なじみならふつうよ!」
などと怒りだしたのは右のうでにしがみついていた、エリザベートだ。こいつはオレの小さいころからの幼なじみで、好きあらばベタベタしてきやがる。ったく、頭がイテエぜ。
「まあ、いいなずけならばこれくらいは許されるでしょう?」
左からはほっぺたをふくらませているマリーがいる。こいつは何をカン違いしてるのかオレと結婚するつもりらしく、勝手にオレのいいなずけをさ称している。
こいつらはいつも俺を取り合ってケンカしやがる。まったく、オレの身体はひとつしかないって言うのにご苦労なことだ。
「あら、エドワードじゃない」
「おはよう、エド君」
「おはようございます、エドワードセンパイ」
オレが呆れていると、正面から見知った顔がぞろぞろとやって来る。
あれは――クラスメイトのエレナにマルタセンパイ、後ハイのマシュか。
と、その各々がオレのそばのエリザベートとマリーを見るなりけわしい表情でかけよってくる。
「ちょっと、なに朝から女の子とイチャイチャしてるのよ! 不純異性交遊は禁止! 禁止よ!」
「オレのせいじゃねーよ!」
「エド君……あんまり私をやきもきさせると、握りつぶすわよ?」
「何を!?」
「センパイ、見たところピンチのご様子なので私がお守りします!」
「お前もその原因のうちの一人なんだけど!?」
あれよあれよと言う間に囲まれ、もみくちゃにされていくオレだった。
モテる男は辛いとか世間では言うが、アレは決して言いすぎじゃない。その証こに、今まさに物理的に辛いんだよ!
「ちょっとアンタ、アタシのエドワードに気安く近付かないでくれる!?」
「あら……いつから貴女のものになったのかしら……不思議ね、うふ」
「おっ、やめろおい、くだらねえ争いは他でやれ!」
「あなたがはっきりしないのが悪いんでしょ!」
「そうよエド君。今こそ白黒はっきりつけましょうか……拳で」
「望むところです!」
「望むなバカ!」
五人の女たちのし烈な戦いに巻き込まれるオレ。
恋は盲目、なんて言うがその通りだ。こいつらはオレのことなんて構わずに乱闘を始めやがった。
次第に意識が遠くなる。
ガッシ、ボッカ。拙者は死んだ。パイレーツ(笑)
……――。
そこで物語は物理的に終わった。
本を持つ手がこれ以上は無理だと拒否反応を起こし、無意識にぺージを閉じたのだ。脳が理解しようとするのを本能的に拒否したのだろう。
「っは……はぁ……」
続いて、過呼吸に似た荒く乱れた呼気が口から漏れ出す。
衝動的に勢い余って破らなかっただけ自制出来たと自分を褒めてやりたい。
「…………」
「…………」
「伝説のショタ作家様の目から見て拙者作のラノベはどうですかな? 我ながらノーベル文学賞を受賞してもいいと思うくらいの自信作なのですが」
「…………」
反応がないので恐る恐る隣に視線を遣ると、徹夜明けの頭で一緒に文面に目を走らせていたアンデルセンが白眼を剥いて失神していた。恐らくあまりのショックに、身体が強制停止を命じたのだろう。気持ちはわかる。
「ドゥフwww本来ならばここから恋あり波乱ありポロリありのハーレムものが始まるのがアニメ化までの袖の下、すなわち近道なのですが、拙者はラノベといえども物語性を重視したい変わり者でしてwwwオドゥルフwwwありきたりな展開にはしたくないでござるのですよwww」
「…………」
黒髭、エドワード・ティーチの持ってきたキャラ物のノートを前に、私とアンデルセンは完全に停止していた。絶句する、という動詞を産まれて初めて自覚できた気分である。それ程までひどい――いや、これはひどいなんてレベルをとうに超えている。
私に文才はない。それは確かだ。理論よりも読解力を問われる現代国語の点数も良くはなかった。だがそんな私でも黒髭の作品の拙さは理解できる。
これは――いや、感想を言葉にすることすらおぞましく、憚られる。
それ程までに惨劇だった。文章で人を殺す事が出来るのならば、恐らくはこのような類のものではないだろうか。
「信じられん……何ということだ……」
と、アンデルセンがようやく正気に戻ったのか、頭を抱えて机に肘をつき、身体を細かく震わせ始める。
「駄作と呼ぶことすら烏滸がましい作品がこの世に存在するなんて……いや、作品……? そもそも作品の定義とはなんなんだ?」
伝説の童話作家のアイデンティティが崩壊しそうになっていた。いつもならば散弾銃のように飛び出す毒舌すら奮わない。
「ふむう……拙者の作品は歴史に名を刻む作家にすら測りかねると申しますか。これはもしかして作家系サーヴァントとして第二のサクセスストーリーの序章開始でござるか!?」
「やめておけ、 ナーサリーあたりに消されるぞ」
「望むところですな。(性的な意味で)返り討ちにしてやりますぞwww具体的にはナーサリーたんの腹部に顔を埋めて
「そうか、薬はちゃんと服用しておけよ」
エドワード・ティーチ。ライダーのサーヴァント。
彼はかの世界一有名な悪名高き海賊である『黒髭』その人だが、一体誰がこんな濃いオタクだと思おうか。
まあ、実際はこうやって周囲を欺くのが黒髭の処世術と言うかやり方なのだ。その証拠にあの戦術に秀でたトロイアの英雄ヘクトールに愚者を演じる天才とまで言われている。
その筈なのだが……。
「おっと失礼、拙者そろそろAP消化の時間なのでスマホターイム!」
最近は見ていると積極的に楽しんでいる節さえ感じる。いや、絶対楽しんでいる。断言してもいい。
「おいエミヤ。頭痛と吐き気が止まらん。俺は帰って寝る……」
「あ、ああ……お大事に」
徹夜も相乗効果で体調不良に輪をかけているのだろう、顔を蒼白にし、口元を押さえふらつきながらアンデルセンが部屋へと帰って行った。
下手にトラウマにならねば良いが……。
「お前も帰れ、黒髭」
「えーなにー、エミヤ氏つめたーい。拙者、今期の深夜アニメも一通り見終わってヒマなんでござるよー!」
「深夜アニメ……? そろそろ朝食でここも賑わう。用がないのなら帰ったらどうなんだ」
「そんな事言わずにさー、そういえばエミヤ氏、現代日本の英雄なんでしょ? いいですなぁ、拙者も秋葉原に聖地巡礼行きたーい!」
「現代日本人が全員お前のようだと思ったら大間違いだぞ……あとそのエミヤ氏という呼び方はやめろ」
そういう嗜好の持ち主がいるのは勿論知っているが、私の周りには幸か不幸かいなかった。ゲームは時々慎二とやる位で、漫画もライダーが持ち込んだものを暇潰しに読んでいた程度だ。
「それよりエミヤ氏ー、拙者納得いかない事があるんで聞いてくださいよー!」
「……ロクでもない話だと言うことだけは聞く前からわかるが、なんだ?」
「拙者が敵で出て来るとみんな式たんやジャックたんでザクザク斬るのっておかしくなーい!? どうせ同じアサシン枠なら静謐たん使って欲しいと拙者は言いたい! 静謐たんの宝具ならば拙者、無限ガッツつけますぞ!?」
「スパルタクスに殴り殺されてしまえ」
「刃物はイカンでござるよ刃物はー。そりゃ拙者はモブではないので
「…………」
いい加減、突っ込むのも疲れてきた。
基本的に私は地のテンションが高い相手とは相性が悪い傾向にある。
この手合いの輩は何を言っても無駄なのだ。あれだ、言うなればバーサーカーと会話するのに似ている。英雄王とか古代王とか英語教師がいい例だ。
「……何やら騒がしいようですが」
と、黒髭との不毛な会話に刃物を入れるが如く颯爽と彼は現れた。黒髭の相手は精神的に来るので、援けと言わんばかりに遠慮なく迎える。
「なに、問題ない。いつもの食事かね?」
「はい。セレアルと温かいココアをお願いします」
厨房へと行き、棚からシリアルの袋と食器を用意する。
その男は、
恐らくそれは、人の命の遣り取りを日常に組み込む儀式のようなもの。
そうでもしなければ、処刑人として生きて行くのは辛いのだろう。
なんせ人間最大の悪とされる、他人の命を断ち切る仕事だ。私などでは想像することすら躊躇われる。
丈の長い外套をまとった彼の名はシャルル=アンリ・サンソン。人類史上、世界で二番目に多く処刑を執り行なった処刑人である。
「エミヤ氏ー、拙者もおなか空いたからついでになんか作ってくださる?」
「ああ、サンソンと同じシリアルでいいか?」
「んん、悪くはないのですが腹具合的にはそこそこがっつり行きたい気分ですな……こう、心温まるような、おふくろの味と言うか、ママは霧夜の殺人鬼的な……? ここだけの話、ジャックたんってチートレベルでバブみあるでござるよね。拙者、全身全霊でオギャりたい次第!」
「何を言ってるのか全くわからんし理解したくもないが、オムライスでどうだ?」
「オムライス! それは是非ともメイドさんに愛情溢れる文字を書いてもらわねばなりませんな! さあ探せ黒髭、カルデアにはメイド適性120%のおにゃのこが盛りだくさんでござるぞ! うっひょおおおおおういwww」
奇声と共に食堂を弾丸のように飛び出して行く黒髭。そのまま帰って来なくていいんだが、あの調子では戻ってきそうだった。
黒髭がメイドを探すなんて結果は火を見るよりも明らかなのだが……まあいい、好きにさせておこう。
「……騒々しい男ですね。朝食くらい、静かに摂らせて欲しいものです」
「まあ許してやれ。黒髭は黒髭なりの考えで常時あんな状態だが、その代償も大きい」
先程も言ったが、黒髭の躁は半ば演技だ。得られるものは何なのか理解は出来なくもないが、人間としての尊厳を失くすまでのものなのか、と疑問符はつく。
その代わりに黒髭は一部を除く女性陣に毛虫のごとく嫌われている。本人はそれすらも楽しんでいる傾向にあるが。
「……それ以前の問題です。僕は彼が嫌いですから」
「罪人だからか?」
ココアを淹れようとしたがポットの湯が切れていたので、湯を沸かす。その空いた時間で冷や飯とオムライスの材料を冷蔵庫から取り出すのも忘れない。鶏肉、ケチャップ、卵、玉ねぎ、人参……卵がそろそろ切れそうだ。ダヴィンチに頼んでおこう。
「いえ、僕の仕事はそれが誰であれ刃を首根に落とすこと。中には冤罪の者や、罪を心から反省している者もいました。それを思うと、ああいった自ら好んで罪を犯す人物は、どうも……」
言って、自嘲的な笑みを浮かべる。サンソン自身もわかってはいるのだ。
今ここカルデアで黒髭の罪を問うたところで何の意味もない。
黒髭だけではない。ここカルデアに英霊として召喚されている者の中には、反英霊として現界している者もいる。黒髭と同じ海賊であるドレイクやメアリーとアンもそうだし、広義で言えば大小はあれど罪を犯していない英霊――いや、人間を探す方が難しい。
私だってそうだ。
「ただいま戻りましたぞー!」
と、黒髭が空手で戻って来た。予想通りというかなんというか、誰かに焼かれたのか全身を煤で汚した上、その豪奢なマントには未だ火が燻っており、加えて髪をアフロにすることで大胆なイメチェンを果たしている。それが絶望的に似合っているのは言うまでもない。更には背中には数本の矢が矢ガモのように刺さったままだった。
黒髭は見た目通り人一倍頑丈なので心配の必要はないが、よくもまあここまで嫌われることが出来るものだ。
「いやあ、カルデアベストオブメイドさんは誰かなと考えていたら清姫たんとアタランテちゃんがおりましてな」
「容易に予想がつくから話さなくていいぞ」
「まあまあそう言わずにー、この黒髭の山あり谷ありポロリあり(首的な意味で)の英雄譚を――」
「……少し、静かにしてくれませんか」
と、
「んん?」
「君の野蛮な濁声は耳障りです。仕事前の食事くらい、心安らかに摂らせて欲しいのですが?」
落ち着き払いながらも鋭い声音が、食堂の空気を裂く。
「これはこれはサンソン氏wwwあいすまんwwwMC拙者の類稀なるトークスキルがご迷惑をおかけしたようでwwwやだ、自分の秘められた才能が怖いwww」
「僕は静かにしろ、と忠告しました……それとも、物言わぬ姿になりたいのですか?」
「……へっ」
黒髭に対する堪忍袋の緒が切れたか、それとも先ほど言った、悪人への単なる八つ当たりか。静かながらも有無を言わせぬ物言いで流暢にサンソンが言の葉の刃を次々と投擲する。
対する黒髭は、不敵に口の端を吊り上げていた。
……まずいな。不穏な雰囲気だ。
カルデア内では私闘は禁じられている。だが禁じられているというだけで、明確な抑止力がある訳ではない。サーヴァントとは言えど自動で役割をこなすロボットではない。笑いもすれば怒りもする。その結果、戦闘に発展することもあるだろう。
それに加え、彼らは仮にも英霊。
一度始まってしまえば他人が止めるのは容易ではない。
「くっ……がはははははははは!」
「……何か可笑しな事でも?」
「いやあ、自分で苦労の一つもせずにトドメを刺すだけの処刑人なんぞがこの海賊黒髭を殺れると思っておるなんて、面白おかしくて腹がよじれますぞwww」
黒髭もいつもの調子を保ってはいるものの、その台詞には棘があった。
対するサンソンは眼を閉じ呆れた風に溜息をひとつこぼす。
次の瞬間、
「うおっふ!?」
最も眼がいい弓兵のサーヴァントであるこの眼をもってしても、止める隙も無い一瞬の出来事だった。
気付けば仰向けに倒れる黒髭の上に、サンソンが覆いかぶさる形でマウントポジションを取っていた。海の太陽光に焼かれた赤黒く太い丸太のような黒髭の首元に、刃を模した手刀を添えて。
「……案外、簡単でしたが?」
一瞬で黒髭にすり寄り足払いで転ばせた後、黒髭の背中が地面に着くと同時に優位を取った。サンソンの言う通り、これが実戦ならば黒髭はとうに死んでいる。
「ちょwwwサンソン氏wwwいきなり押し倒すとか積極的ィンwww」
「…………」
「あっ……さ、サンソン氏みたいなイケメンにそんな熱い視線で見つめられると拙者照れちゃう……うそ……サン×ひげなの……? まさかの黒髭受とは腐女子間で物議を醸しますぞwww」
「…………」
「いや、BLではでかくて屈強な男の方が受けの素養ありとラカム君とロー君が言っていたような気が……ということはむしろ拙者が受け……? いやーん! 拙者BLも紳士の心得として嗜んでおりますがそれは二次元の話であって、リアルでは男の娘が限界でござるぅー! 具体的にはラーマ君がギリギリいけるライン!」
黒髭の戯言を意にも介さず、サンソンは静かな威圧感と共に口を開く。
「重罪人、海賊『黒髭』エドワード・ティーチ。もし君が同じ時代に生きていたのならば、処刑場にて相見えることもあったかも知れませんね」
「それはご勘弁ですなぁ! 拙者、次死ぬ時は魔法少女の胸の中と決めておるのでwww」
「頭を下げさせ、首穴に充てがう。そして罪人が迫り来る死を実感する前に素早く刃を落とす――以上が処刑の作法です」
「それはまた素晴らしいトリビアですな! 拙者の人生においては何の役にも立ちそうにないけどネ!」
「……切り離した首に魂はあれど名はありません。胴体と首。併せて初めて人と呼べるからです」
今日初めて見せる、冷静なサンソンの感情らしい感情。怒りと言うよりは苛立ちに近いそれを黒髭に吐き出しながら、首に添えた手刀に力を込める。
「君も、名を忘れてみますか?」
「……やってみろよ、引きこもりの青瓢箪が」
黒髭もようやく我慢の臨界点に達したのか、その表情はいつものふざけたものではなく、額に青筋を浮かべ海賊黒髭としての歪なものに変わっていた。不利な仰臥位にあるにも関わらず、その憮然たる態度は悪党の代名詞に相応しく。
交錯する二人の乾いた殺気に、食堂の湿度までもが下がった気分だ。
業務的に人の死を扱うサンソンと、日常的に命の遣り取りを生業とする大悪党黒髭。あまりにも多くの生死に関わって来た者の殺気は、こうも感情の色が見えないものか。何せ、そこには怒りや怨恨といった激情が一切感じられない。
力づくで止めようかとも考えたが、一触即発の今、下手に刺激するのは下策だ。黒髭は護身の為に銃を隠し持っていると風の噂に聞くし、サンソンもアサシンのクラスで現界している以上、刃物の一本くらい持っていてもおかしくはない。万が一の事態を考え、いつでも瞬時に二人の間に割り込めるよう、魔術の準備と覚悟だけは決めておく。
「おう、処刑人。人間は首を切られた直後、どうなるか知ってるよなぁ?」
「勿論」
「首が斬られたところで即死する訳じゃねえ」
「はい、人は首と胴体が離されても、生き続けます。とは言え数秒間の話ですが……それが、何か?」
「てめえみてえなヒョロい医者かぶれ、首がなくたって殺る事ぁ出来るって言ってんだよ」
「それは面白い。長い処刑人人生でも経験したことがありません……君がその貴重な体験をさせてくれるのですか?」
「へっ、言うじゃねえか。誰にも支持されねえ腐れ処刑人の分際でよ」
黒髭の言う通り、処刑人という職は報われない。実際、サンソンを超える数の処刑をこなしたと言われるドイツの処刑人、ヨハン・ライヒハートの息子は、父親の職業に疑問を持ち自殺したと聞く。
人間社会を成立させる上で必要不可欠な存在でありながら、誰からも忌むべきものとして扱われる。
その理由は単純明解で、人の生を終わらせるからなのだろうが……皮肉な話であることは違いない。
「……いい機会です。一つ聞きましょう、罪人エドワード・ティーチ。君は比較的平和になった現代において海洋浪漫としてどれだけ持ち上げられようと、略奪、簒奪、暴行、殺人を犯した大罪人です」
その端正な顔を近付け、サンソンは歌うように問答を投げ掛けた。
「その罪を償う意思は、あるのですか?」
「ねえな」
即答だった。そこに逡巡や反省といった色は一切見えない。
「俺は許されるつもりも罪を償うつもりもねえ。海賊ってなぁそういうもんだ。ドレイクやメアリーとアンにも聞いてみろ、絶対に俺と同じ答えが返ってくるだろうよ」
海賊とは。
悠々と目的もなく海を自由に航海し、獲物を見つけては銃とカトラスを振り回し強奪・殺戮なんのその。略奪・蹂躙が終われば仲間と酒をかっ喰らい、戦利品と被害者の死体を傍らに高笑い。
そんなルールもへったくれもない輩に大義や免罪符なんてものがある筈もない。平和になった現代でこそ自由な気風のスケールの大きな人種、なんてイメージがあるものの、突き詰めれば彼等はただの極悪犯罪人だ。
「自分がやってる事が救いようのねえ悪行だなんて事ぁ、初めから知ってんだよ。だから俺達は最初の一歩で腹を決めて、後はくたばるまで悪道一直線を突き進む。覚悟が足りなかったり、その過程で良心なんてモンが顔を出したら悪党としてはお終ぇよ。そういう奴は例外なく早死にして行く。そうじゃなくても大概はつまんねえくたばり方だ」
自分をどうしようもない悪だと定義するところから海賊は始まる、と黒髭は言う。
その道を選んだからには、まともな人生など最初から望んでいないと。
「くだらねえ人生を自ら望んで、くだらねえ生き方をして、くだらねえ死に方をするんだよ、俺たちは」
フランシス・ドレイク、海上で赤痢に冒され錯乱しながらの病死。
メアリー・リード、牢獄内で鎖に繋がれたまま熱病にて病死。
黒髭エドワード・ティーチ、銃弾を何発も打ち込まれる壮絶な激闘の末に力尽きて死亡。
カルデアにいる海賊で、まともに往生したのはアン・ボニーくらいのものだろう。
惨めな最期も理不尽な死も上等と胸を張り、ただ日々を自分の愉しみだけに生きる。その明日の保障をも求めぬ捨て身の自然体は、自分の欲よりも道徳を第一に置く現代人の私から見たら正直羨ましくさえ思える。
「それが俺たちの唯一の意地であり目標よ」
「目標……?」
「死ぬ瞬間、いい人生だったと笑ってくたばる。人生に指標なんてもんがあるとしたら、それだけだ」
と。
黒髭はそのボックスベアードとも呼ばれる蓄えた髭を歪ませ、破顔する。そこに悪人特有の狡猾さは見られない。子供のような無邪気な笑顔だった。
「てめえは今この場で笑って死ねるか、処刑人! 俺は、黒髭は笑えるぞ!」
「笑っ……て……?」
その勢いで、狼狽したサンソンを仰臥位から押し返す。最早冒頭の立ち位置による有利不利はなく。
「その為だけに面白おかしく好きな事だけやって生きてんだよ! いつ死んだっていいように、毎日死ぬ為に生きてんだ! そこに後悔なんてある訳ねえだろ!」
「笑って……確か、マリーも……あの、時……」
サンソンの表情に翳りが差す。ぶつぶつと何かを呟いているようだが、ここからでは断片的にしか聞こえなかった。
今、マリーと言ったか?
「マリーが……彼女の人生が何一つ後悔のないものだったと言うのか! そんな、それじゃあ、僕が、なんで、その幕を降ろして……ああ!」
頭を抱え、目に見えてサンソンが錯乱する。
普段は冷静沈着、感情の振れ幅も非常に狭く、まるで機械のように淡々と責務をこなすサンソンだが、マリー・アントワネットが絡むと精神の均衡を崩す。
原因は解りきっている。あのマリーをギロチンにかけ、刃を降ろしたのは他でもないサンソンだ。彼はそれを、
「あ、ああ、ああ……! マリー……マリー!」
「メソメソうるせえんだよ!」
「が……っ!」
感極まったサンソンの額に黒髭の頭突きが炸裂し、衝撃でサンソンはとうとう黒髭の身体の上から退き、倒れる。まるで鈍器で殴ったかのような、人の頭からあんな音がするのか、と思う程の打撃音だった。
今度はサンソンが仰向けになったまま、表情を腕で隠し息を荒くしている。
黒髭は持ち前の巨体でその無防備なサンソンを見降しながら傍らに立つ。
……まあ、シリアスな場面なのに髪型がアフロなのがいまいち決まらないあたり、黒髭らしいと言えばらしい。
「そいつの人生がいい人生だったかどうかなんて、他人にゃわかんねえよ、バカ野郎。そんなもん本人に聞け……ただ――」
「……っ、はぁ……はぁ……」
「死ぬ直前に笑える奴はそうはいねえ。俺みたいなハナっから人生捨ててる奴ならともかく、普通の人生送ってた奴が笑って死んだんなら……多分、そうなんじゃねえか」
「…………」
それは黒髭なりの慰めなのか、自分に対する皮肉なのか。
黒髭の言っている自由奔放な生き様と心構えは、悪逆非道を行い誰にも縛られない海賊に相応しい。
だがそれは、そこに縋るしかなかった者の一種の開き直りとも取れる。最初から世の中の全てを諦めた者にしか辿り着けない境地だ。
どうせ面白くも何ともない世の中ならば、せめて自分の手で面白く。高杉晋作も言っていた言葉だ。
さて、そろそろ片をつけないと朝食の客で賑わうことになる。こんな状況を見られるのは二人も望まないだろう。
「なあサンソン、こんな話を知っているか?」
「……?」
「この時代におけるついこの間の話だが――フランスでは、死刑が廃止になったぞ」
「……っ!」
1981年のことだ。サーヴァントには召喚時にその時代に応じた基本知識は与えられるものの、何も一から十まで与えられる訳ではない。歴史的事件であろうとも、使い魔として行動することに関係なければ省かれると考えるのが妥当だ。
サンソンも知らなかったのだろう。上半身を起こし、充血した眼を見開いて、信じられないような表情で私に視線を向ける。
「本当……ですか……」
「ああ。今現在から35年ほど前のことだ。知らなくても無理はない」
「よかった、本当に……僕のやって来た事は無駄ではなかった……」
立ち上がり、両手のひらを組んで眼を閉じる。
その眼の端から伝うのは、一筋の涙だった。
サンソンは、自分が処刑人であることを嫌悪していたと聞いている。社会情勢と地位から、処刑人を辞めるには死刑制度を廃止するしかない、と考え、何度も死刑廃止の嘆願書を出していた、とも。
フランスにおいて最も処刑を行った人物が、その仕事に誇りを持てなかったとは何とも皮肉な話だ。
「なあサンソン……黒髭の言う事が正しいとまでは言わんが、人命を奪ったという一点においては私も罪人だよ」
「……?」
「私は一応、英霊として召喚されてはいるが、その実そこの大悪党と呼ばれる黒髭よりも多くの人命を奪っている。善悪を人の命の量で測り、千を生かす為に百を殺す……そんな事を繰り返して来た。頑なにくだらん信念を貫き通した正義の味方とやらの末路がこの私だ」
「それは、しかし……正義あってのことでしょう」
「変わらんさ」
基本的に善悪なんてものは、個人ではなく大衆が決める。その根拠は、単純に人口の増減に拠るところが多い。
例え一千万を殺して世界を救おうが、世間から見たら私は単なる大量殺戮者だ。
「私は生前行ってきたことを、正しいとも間違っているとも思っていない。心が枯れ、そんな事を考える地点はもうとうに過ぎた……だがそれが罪になると言うのならば、私は今でも償おうと思う」
償えるものならな、と続ける。
死んだところで、罪は消えない。私は死後も血に染めた両手を肩から提げたままだ。
英霊は、このカルデアで起こった
「命を絶つ事だけが罰じゃない。罪を償いつつ生きる道もある。消えてしまったら、償うことも出来なくなる」
聖杯に捧げる本来の目的はあれど、それが私に課せられた罰だと言うのならば、私は従おう。
「そうだろう、黒髭?」
「何で俺に振るんだよ」
黒髭も誤魔化してはいるが、その点は私と同じだ。
奴は笑って死ぬ為に好き放題やって来たと言ったが、満足して死んだ人間が、前提条件として英霊の座に就ける筈がないのだ。英霊は願いと引き換えに世界の危機に現れ、力を貸すもの。
やり残した事がある、と言うにはその素振りもなければ現代をエンジョイし過ぎているし、そうとなれば、残るは――。
「勝手に妄想してんじゃねえよ、クソコック。寝言は寝て言え」
「そうだな。だが、面白い見解だろう?」
「けっ、くだらねえ。見当違いもいい所だぜ」
黒髭の言う通り、私の想像でしかない。
だが私は、この悪ふざけの過ぎるオタクが心の底からの悪人とは、到底思えないのだ。
時代や環境で人はいとも簡単に変わる。黒髭だって生まれついての悪党だった訳ではないのだ。海賊になるべく何かはあったのだろう。それが何なのかは私の知るところではないが、生まれてから死ぬまで悪である存在などない。生まれる環境さえ違っていれば、黒髭も善良なオタクとしてその生涯を終えていたのかも知れない。
その仮定だけで十分だ。
と、サンソンが顔を袖で拭いながらこちらにやって来た。
その顔は打撲と涙でひどいものだったが、今までの陰鬱さは一切なく、何処か晴れやかに見えた。
「今なら僕も笑って死ねる気がします……ですが、与えられた役割は果たしましょう。誰も手を汚さなくてもいいこの人類史を、消さない為にも」
「それがいい」
「おい処刑人、なんか綺麗にまとめようとしてやがるけどよ、この黒髭様にここまでやっといてタダで済むと思ってんのか、ああ?」
「…………そうですね。今日の事は僕の醜い八つ当たりでした。抵抗はしません。君の気が済むまで好きにするといいでしょう」
「へっ、俺に野郎を組み伏せる趣味はねえよ……その代わりに一個だけ聞かせろ」
「……? 僕に答えられるのならば、何でも」
「カルデアでメイドが一番似合うのはだーれだ?」
「マリーに決まってるでしょう。他に考えられない」
言って、二人で顔を綻ばせる。
「くっ、がはははははは! いい趣味してますなサンソン氏!」
「ふっ……あっははははははは!」
あんな屈託のない笑顔のサンソンを見るのは、カルデアに来てから初めての事だ。
「では、落ちがついた所で朝食にしようか」
「あの、エミヤ……僕にもオムライスを作ってもらっていいでしょうか。その、僕は未だオムライスを食べたことがないので……たまには違う食事も」
「ああ、勿論だ」
「それではサンソン氏、オムライスが出来るまでマリー殿の魅力について語りましょうぞ!」
「それは三日三晩あっても語り尽くせないとは思いますが……いいでしょう。覚悟してください」
既に準備は万端だ。急いでチキンライスを作り、卵でくるむ。
オムライスは洋食というイメージがあるが、実際は日本が発祥だ。時期は不明だが、戦時中に洋食屋で産まれたとされている。予想ではあるが、当時の不味い米をどうにかして美味く食おうとした結果だろう。
ケチャップで炒め、半熟卵でくるむことで米のパサパサ感はなくなり、味もケチャップで上書きされる。その上、日本人の大好きな滑らかな食感になる。調理自体も難しいものではなくお手軽に作れる、現代においてもなお人気の高いメニューである事を考えると感嘆の意を隠せない。
早々に二人分のオムライスを作り、着席しマリーに関して熱く語る二人の前に出す。
「待たせたな、ケチャップやソースは好みでかけてくれ」
「やっほーい! 野郎ども、旗を掲げろぉ! と、拙者の海賊旗を刺して完成、っと。んんwwwこの子供心をくすぐるチープさがたまらんでござるなあ!」
「キャッチャプとソースをかけるのですか……オムレットは食べたことはありますが、ライスを包むとは変わっていますね」
「オムライスにはケチャップで好きな文字を書くのが通ですぞ!」
「そうなのですか……しかしそれは少し恥ずかしい気が……」
「サンソン、おはよう。お食事中かしら?」
と、朝食を摂りに来たであろうマリー・アントワネットがサンソンに話しかけていた。
当のサンソンも突然の登場は予想外だったのか、驚きの表情を隠せないでいる。
「ま、マリー……おはよう」
「今日はセレアルじゃないのね……まあ、オムライスじゃない! 素敵なものを食べてるのね!」
「良かったら君の分も作るぞ、マリー」
「本当? じゃあお願いしようかしら」
「了解だ」
「あらサンソン、キャッチャプで文字は書かないの?」
「いや、マリー。僕はいい大人だ。そのような子供じみた事は……」
「そう? 楽しいことに大人も子供もないと思うけれど……じゃあ、書かないと言うのならわたしに書かせてくれるかしら?」
「それは、別に……いい、けれど」
「やった! なんて書いたらいいか、リクエストはある?」
「え、と…………ん……そ、」
「そ?」
「
「まあ、素敵な言葉ね! じゃあ、書くわね」
「う……」
「子供たちのお子様ランチに使うフランスの国旗もあるが、刺すか?」
「あはっ、そうしましょう。まるでレストランね!」
「は、はは……そうだね、マリー」
顔を真っ赤にしながらも、どこか嬉しそうなサンソンに微笑ましいものを感じる。
もう彼の中に暗い影はない。
処刑人は自らの職業の存在意義がなくなったことにより、本当の意味で人を救う仕事に取り掛かる。
「マリー殿、拙者も拙者もー!」
「あら黒髭さん、ごきげんよう。ファンキーで素敵な髪形ね!」
「ごきげんようですぞ! そんなタイが曲がっていそうな素晴らしい挨拶は脳内HDDに保存しておいて、拙者のオムライスにも書いてくーだちい!」
「いいわよ。なんて書こうしら?」
「そうですな……候補は無限大ですが、ここはシンプルに大きなハートマークの中に『萌え』と書いてもらえますかな」
「ハートマークに萌え……こうかしら?」
「オウフwwwこんなところで拙者の夢が叶うとはwwwこれも日頃の行いの賜物ですかな!」
そして世紀の大悪党は、今ある生を全力で謳歌する。
笑って死ぬ為に。次の人生の為に。次の次の人生も笑えるように。
「…………」
その光景を、サンソンが黒髭を背後から刺しかねない視線で睨みつけていた。
サンソンは理路整然とした性格だが、先述した通りマリーが絡むと性格が一変する。マリーを巡ってもう一波乱、なんてことはないだろうな……。
「それでですな……今から拙者が言う魔法の言葉を唱えて欲しいのでござるよ」
「魔法の言葉?」
「ザッツライトでござる! こう……手でハートマークを作って唱えるとおいしさが通常の三倍(拙者比)に! それではマリー殿、ご一緒に! おいしくなーれ、萌え萌えきゅん☆」
「おいしく――」
「おっと」
と、目にも止まらぬ速さで持っていたフォークをマリーの死角から黒髭に投擲するサンソンだった。
それは見事に黒髭の臀部に突き刺さる。
「いってえええええ! 拙者の! 拙者のおヒップに激痛なう!」
「すみません、フォークがもの凄い勢いで滑りました」
「ちょっ、待って、これマジで痛い! 大変でござる、拙者のお尻が二つに割れてるゥ!」
「元々割れてますよ……何なら四つに割りましょうか。ギロチンで」
「ぬぅぅぅぅぅぅぅ……サンソン氏……お主とはいずれ決着をつけねばならんようですな……」
「いつでもどうぞ。望むところです」
「二人とも、ケンカはダメよ!」
そんな険悪な二人を秩序善のマリーが放っておく訳もなく、間に入って声をあげる。
「こんな、味方同士でケンカなんて……とても悲しい事だわ……」
と言うか、泣きそうだった。
それを見た二人が急いで協定を組み、慰めに回る。
「い、いやマリー……これはケンカじゃなくて……」
「そ、そうでござるよマリー殿。これは男同士のスキンシップというやつで……拙者とサンソン氏はマブでござるからなあ! ねー、サンソン氏ー!」
「そうですね、その通りです」
言って、二人で仲良く肩なんかを組んで見せる。
だが、マリーからはテーブルが影になって見えないが、後ろから見るとお互い激しく足を踏み合っている。処刑人と罪人は、何があっても分かり合えることはないのかも知れなかった。
何というか……テスラとミスターエジソンのケンカを見ているようだ。
「まあ、サンソンも親しいお友達が出来たのね、良かった!」
「……そうだね、僕もそろそろ変わらなきゃいけないみたいだ」
人としての人生が終わっても、変わることは何度でも出来る。自分を縛り付けていた、自分の最も厭忌していたものが無くなったサンソンならば尚更だ。
「マリー、君の分も出来たぞ。旗つきだ」
「まあ、美味しそう! ありがとうエミヤさん!」
「なに、お安い御用だよ」
いつかサンソンは言った。
僕の刃は人と罪を切り離すものだ、と。
「美味しい……食事が美味しいと思うなんて、どれくらい振りだろう」
それは正しいと思う。基本的に人と罪は切り離せないものだ。人は誰もが大小はあれど罪を背負って生きている。罪から完全に逃れる為には死しかない。
「うふふ。黒髭さん、おヒゲにキャッチャプがついてるわよ」
だが死した後もこうして贖いや償いが出来ることは、果たして救いなのか、それとも終わりのない無限地獄なのか――。
「マリー殿! ここはぜひその可愛いお手手で拭き拭きしてくだs――ふがごごごご!?」
「おっと、少し強く拭きすぎたようで……髭が抜けてしましましたね。申し訳ありません」
「ちょっと、拙者のおヒゲはデリケートなのよ! 優しくしてちょうだい!」
いや、深く考えるのはよしておこう。
こういうものは大抵、自問自答の果てに答えの見つからないものだ。
我々サーヴァントは、所詮まがいものの命。ある筈のなかった死後の世界。
ならば私もあの悪党を見習って、全てを忘れて本能のまま生きてみるのも悪くはないかも知れないな。