「お祭り?」
昼食を終え、残りの時間を教室で過ごしていたガヴリールは残暑が未だ厳しい夏休み明けを憂鬱に感じていた。暑いから夏休みがあるのに、なぜ未だに暑いのだろう。聞くところによると大学生は今も夏休みを満喫しているらしい。高校生だからと差別をしているのではと声を大にしたいところだ。
連鎖するように先生からの説教まで大になるのが難点ではあるが。
「そう! 明後日の日曜日に地元のお祭りがあるって商店街に貼られててね」
その一方でヴィーネは天真爛漫な、例えるなら天界に居た頃の私みたいな健気さを今日も元気一杯に振りまいている。
あの頃の私は若かったな。
「そもそもお祭りって神様を祀る行事だろ? 悪魔的な神ならまだしも、ヴィーネが行ったら浄化されるんじゃないか?」
「ふふん! 日本には来るもの拒まずって言葉があってね。それに神気に当てられる訳じゃないから問題ないわよ」
「まぁ、ヴィーネが死んだら骨くらいは拾っておいてやるよ」
「いやいや、勝手に殺さないでよ!」
日本のお祭りなど行事的な要素でしかなく、“祀り”と“祭り”は異なっている。確かに由緒ある祭りごとは、両手どころかクラス全員の指を使っても足りないくらい存在している。
だが商店街で張り紙が掲示される程度の祭り。これが田舎であればまだしも、神輿を担いで神社に露店を並べるお祭りなどどんちゃん騒ぎがしたいだけだ。
娯楽の一つとして扱われはするも、それが神への祈りなど繋がる道すらない。もはや神道とは程遠い存在となっている。
「なんにせよ、私は行かないぞ。なにが楽しくて人波に揉まれなきゃいけないんだよ」
「お祭り楽しいよ? 色んな出店だってあるし、花火大会もあるんだよ」
「えぇー、出店なんて高いだけじゃん。花火だってようするに爆弾だろ?」
ガヴリールが行きたがらないのは想定済み。ヴィーネは用意した手札を切ることにした。
「――焼肉を奢るわよ」
ぴくりとガヴリールの眉が動いた。あとひと押しだと追撃をかける。
「それも松阪牛よ。あの有名な松阪牛」
「ヴィーネ! 早く行こう! 今すぐ行こう!!」
「いやいや、まだお祭りの準備すら終わってないからね! それに午後の授業もまだ終わってないから!」
「仕方ない、楽しみは先に残しておくか」
「それじゃあ、放課後にラフィと……」
ヴィーネの言葉を察したガヴリールは先程から感じる視線の先に顔を向ける。
「あー、その日はちょうど予定が空いてるわね。いやー、普段は予定で文字がぎっしり敷き詰められているのに、その日だけ予定が空いてるわー」
サターニャは白紙の手帳を片手に、チラチラと後方に視線を向けている。
「はぁ……仕方ない奴だな」
立ち上がったガヴリールは気怠げにサターニャの席へと近づこうとした。
――すると! そこに!
いつの間にかやってきた白銀の彼女が!!
「ガヴリールさん、ヴィーネさん、その大役。私めにお任せください!」
胸に手を当て自信げに宣言した少女。彼女こそサターニャと大の仲良し――サターニャがそう思っているかは定かではないが――である天使ラフィエルその人である。
「まぁ、私はどうでも良いけど」
「任せたわよラフィ」
「はい!」
すっと歩きだしたラフィエルは、サターニャが座る席の前で立ち止まり、正面を見据えたまま呟いた。
「私たち三人、今度の日曜にお祭りに行くんです」
その先の言葉を期待し、サターニャは胸の鼓動が高まってくる。ドク、ドクと脈打つ音がラフィエルにまで届くのではないか。それほどまで彼女は緊張しつつ、決してそれを悟らせまいと表面では冷静さを維持している。
ラフィエルはなにも言わず、くるりと踵を返した。
「言ってきましたよ」
「えぇ!? ちょ、ちょっと! サターニャ真っ白になってるわよ!」
期待を裏切られ、放心状態となったサターニャ。効果音を付けるのなら『チーン』がお似合いだろう。
「ヴィーネさん、獅子は我が子を崖から突き落とすと言います」
ラフィエルは仰々しい身振り手振りで言葉を続けた。
「サターニャさんが自らの力で這い上がり、それちより成長するのです!」
「ラフィエル、私の松阪牛がかかってるんだぞ。真っ白に燃え尽きでもしたら私が困る。ホワイトは私の専売特許だからな」
「あちゃー、そう来ましたか」
「いやいや、早く誘ってあげようよ! ああもうサターニャの口から出ちゃいけない何かが出ちゃってるから!」
直ぐさまサターニャの前へと移動したヴィーネは、サターニャに向き直り先ほどの言葉を追記した。
「あのね、ガヴリールたちとお祭りに行く予定なんだけど、もし良かったらサターニャも一緒にどう?」
「すぅー、ぱくん!」
出ちゃいけない何かを吸い込んだサターニャに色が戻り、その瞳には光を宿している。
「ふふん! この私を誘うとは、ヴィネットも少しは見どころあるじゃない」
誘うもなにも露骨な行きたいアピールをしていたじゃないかと、思わず苦笑いしそうになるヴィーネ。
「うわー、面倒くさいのが始まったよ」
「ちょ、ヴィーネ! 心の声が漏れてる漏れてる!」
「仕方がないですね。それではサターニャさんは欠席、っと」
「あぁ! 行きます行きます! 行くに決まってるでしょ!」
このままでは本当に自分だけ仲間はずれにされかねないと焦ったサターニャは、机から身を乗り出し慌ててラフィエルの元へと駆け寄った。
「よし! それじゃあ話も纏まったことだし、日曜は浴衣で私の家に集合ね」
パンッとヴィーネが手を叩いた所で午後の授業を知らせる鐘が鳴り、三人はそれぞれの席へと戻った。四人ではなく三人なのは、ガヴリールだけ着席していたからだ。
◆
「それで……あとはガヴリールだけね」
「なぁ、私も浴衣を着なくちゃいけないのか? この下駄とか言うやつ、見るからに歩きにくそうなんだけど」
「そう言いつつもしっかり着こなしているガウちゃん可愛いです」
「松阪牛が今の私をかき立てているんだ! くそぅ、松阪牛……憎めない奴め」
胸の前へ持ってきた握りこぶしをグッと引き、ガヴリールは祭りへの気合を入れている。
「あ、チャイムが鳴ったわ。きっとサターニャが来たのね」
インターホンにも出ず、更には覗き穴すら確認せず扉を開けるのは些か不用心ではなかろうか。もっとも、悪魔である彼女には人間ごとき造作もないだろうが。
――実際に倒すとは言ってないぞ。
「待たせたわね! このサタニキア=マクドウェル、期待に応えに来たわよ!」
「サターニャ……」
「その格好って」
「あらぁー……」
ヴィーネ、ガヴリール、ラフィエルの三人はツッコミどころ満載なサターニャの姿に呆れ返っている。いや、ラフィエルだけは実に素晴らしい笑顔な気もするが、きっとなにかの間違いだろう。
「この私の見目麗しき姿に言葉も出ない様子ね! ……くしゅん!」
「いやいや! 色々言いたいけどまずは髪の毛乾かして!」
「アンタたちも早くお風呂済ませちゃいなさいよ。まだなんでしょ?」
浴衣の語源は湯浴みを終えたあとの衣装から来ているのだが、現代に置いては温泉街や宿でもない限りはお風呂上がりである必要はない。
そもそも風呂上がりに着たとして、髪の毛も乾かさず自然乾燥に任せるには長すぎる。野球部のようないがぐり頭であればいざ知らず、濡れたままでは結うこともできない。
「あぁーもう、浴衣も左前になってるし」
「ふふん! 死を冠する着こなし、これぞ悪魔的行為!」
「いやいや、それ亡くなった人の着方だからね!」
「なぁ、そもそもそれって浴衣じゃなく普通の和服だよな」
浴衣と和服の違い。浴衣は肌着のように素肌から着るのに対し、和服は襦袢と言われる下着の上から着るものだ。
他にも生地の違いや厚さなど違いがある。
「そうよ、魔界通販で勧められていたから買ってきたのよ」
「え、どすするのよこれ」
「ヴィーネさん、安心してください!」
「なにか打開策が!?」
ヴィーネの心配を他所に、どこからともなくラフィエルが取り出した風呂敷を広げると、そこには浴衣が入っていた。
「流石はラフィエル! サターニャのことをよく理解しているわ」
「何気に酷いこと言ってないか?」
「こ……これは……」
その浴衣を見たサターニャはわなわなと震えだし、感動を顕にした。
「メロンパンの浴衣!! なにこれ凄い!」
ある意味、子供が着るような動物模様の浴衣よりも恥ずかしいのではと思わせるメロンパン模様の浴衣。一体どこに売っていると言うのか。
「こんな浴衣、どこで買ったんだよ」
「え? あぁ、ドンキですよ」
「鈍器で殴るのはやめて!」
ガヴリールの疑問は即座に解消されたものの、サターニャの勘違いは相変わらずと言ったところか。
縛ったたり扉ごと吹き飛ばしたりはしても、流石に殴るわけはないだろう。疑問符は残るが。
「もぅ、時間も差し迫ってるからちゃっちゃと着替えちゃいましょ」
ヴィーネに促され、上機嫌……いや、極上の上機嫌なサターニャはメロンパンとなった。
◆
「ヴィーネ、早くしないと松阪牛が売り切れちゃう!」
「もう、ガヴったら慌てなくても売り切れないわよ」
神社の境内から道沿いに屋台が展開された、いかにも地元と言う名が相応しいお祭り。
この地域のどこに居たのかと疑いたくなるくらい、ワイワイガヤガヤと賑わっている。
「ヴィネット、私あれがやりたい!」
サターニャが指差す先、それは輪を投げ、円に囚われし供物を店主は差し出さなければならない。俗に言う“輪投げ”だ。
「なにか欲しい景品でもあったの?」
「この素晴らしきサタニキア――」
「あぁ、そう言うの良いからさっさと結論を言えよ」
「なんか冷たいわね」
「今日の目的は松阪牛だからな」
グッと腕を引き、ガヴリールは今日一番の目的を再確認した。
「あれよあれ! あのトロフィーが欲しい!」
「お前なぁ……あれは」
「頑張ってくださいサターニャさん!
応援していますよ」
ガヴリールの言葉を止め、ラフィエルが割って入った。ガヴリールとしてはそれでも良いらしく、怒っている様子は伺えない。
「オッチャン! 輪投げ一回!」
店主に三百円を捧げ、その対価としてサターニャは五つの輪っかを手に入れた。
サターニャが輪を構え――
「いざ! いかん!!」
……
…………
………………
……………………。
「なんでよ! なんで入んないのよ!」
放たれた輪は無情にもトロフィーの台座に引っかかり、入ることはなかった。
「サターニャさん、リベンジです!」
「騙されるなよサターニャ、それ絶対に入らないやつだからな」
「なんですって!? 騙したわねオッチャン!」
今すぐにでも松阪牛を食べたいガヴリールは、サターニャを説得してこの場から離れたい一心だ。
「トロフィーってのは功績に応じて貰えるものだろ? お前に功績なんてあるのかよ」
「この私の存在こそが最大にして最高の功績なのよ!」
えっへんとふんぞり返るサターニャ。バカに付ける薬はないと言うが、バカに贈るトロフィーもないだろう。
そもそもトロフィー自体に価値があるのではなく、手にするまでの過程に価値が生まれる。金銭で手にしたトロフィーなど、なんとかセレクションやなんとかデザイン賞と同じになってしまう。
「居ても居なくても変わらないって意味なら、右に出る者は居ないだろうよ」
「じゃあ、ガヴリールは入れられるの? あんなの絶対無理よ! インチキじゃない!」
どこからガヴリールが輪投げをする方向になったのか。サターニャは運動神経だけは無駄に優秀なくせに、話のキャッチボールは苦手なのかも知れない。
ただトロフィーが取れなくて悔しいだけかも知れないが。
「あのなぁ、取れない景品相手に輪投げをしても金の無駄なだけだろ」
「あれ? もしかしてガヴリールも取れないから、そんな言い訳してるの?」
ぴくりと、ガヴリールの眉が少しだけ反応した。これを逃すまいとサターニャは追撃をかける。
「落ち込むことはないわよ。この私が取れないんだもの、ガヴリールなできないのも無理はないわ」
「はぁ……じゃあ一回だけやってやるよ」
ため息混じりに、ガヴリールはどこからともなくどす黒い輪っかを取り出した。
とんとんと軽く叩くと煤のように汚れは落ち、黄金色の輝きを放っている。
「えいっ」
適当に投げられた輪っかはラジコンで操
作されたかの如く不自然な挙動を見せ、垂直に落下した。
「イェーイ、最新PS4ー」
誰の目にも明らかな、輪っかよりも一回り大きな木箱。見本としてはめられた輪も一回り大きく、トロフィー以上に取らせる気のなさが現れていた。
そこに光り輝く輪っかがすっぽりと入り、どの景品よりも自らを主張している。
だが、当然――
「分かってたことだけど、ゲーム機貰えなかったな」
「あんたねぇ、自分が天使だと主張できる数少ない特徴なんだから大事にしなさいよ」
「まあまあ、こうして戻ったきたことだしプラマイゼロじゃん?」
呆れるヴィーネは最もだが、それよりも勝負の決着がついていない。いつから勝負になったのかは、ふっかけたサターニャすら疑問符を浮かべるだろう。
「それで勝負の結果はどうなったのよ?」
「ざんね……いえ、奮闘賞を貰ったサターニャさんの勝利です!」
「本当に!? 流石は大悪魔サタ」
「ぶっちゃけ私、お金払ってないしな」
この手の遊戯は景品を貰えない場合の方が多い。なんせ輪投げにしろ射的にしろ、取れない景品をあえて狙う。そこにロマンがあるからだ。
かと言って何も残らなくては味気ない。せめてもの気持ち程度だが、どこに売っているのかと問いたくなるような不思議な玩具が手に入る。
「払ってても天使の輪じゃ貰えないけどね」
「そりゃそうだ」
四人は屋台を転々とし、銘々が好きな食べ物を買っていく。残念ながらと言うか当然と言うべきか、メロンパンは売っていない。
「ヴィーネヴィーネ! あの屋台、松阪牛って書いてあるぞ!」
ヴィーネの服をぐいぐいと引っ張り、ガヴリールは必死に食べたいアピールをしている。
「はいはい。お兄さん、松阪牛一本ね」
店主からの問い掛けにガヴリールは元気よく答える。
「もちろんタレで! 塩なんか気取ってる奴が」
「じゃあ、私は塩を一本買うわ!」
ガヴリールの言葉に信憑性が生まれた瞬間である。いや、サターニャが気取っているとは言っていないぞ。
「はい、ガヴリール。約束の松阪牛よ」
「これが……伝説のA5松阪牛!」
ヴィーネから松阪牛を受け取ったガヴリールは、タレによりきらきらと輝いた肉に感動すら抱いている。
「英語? 何言ってるのガヴリール、漢字だから日本語じゃない」
「いやいや、私の感動を茶化さないでくれ」
松阪牛と書いて“まつざかうし”と呼ぶ。その心は――
「う、うん? うーん、確かに美味しいけど感動するほどじゃないな」
「所詮はブランドに踊らされてたってこもかしら?」
“まつざかうし”はブランドですらない。等級の低い肉は松阪牛の名を冠することが許されず、そもそも屋台の肉が本当に松阪の牛かすら怪しいくらいだ。
最近は米沢牛の屋台が増えており、松阪牛の絶滅も時間の問題となっている。
「うわ! 何事!? 天使が悪魔を滅ぼそうと攻撃を仕掛けてきたの!?」
「サターニャさん! どうやら、あの空で爆発したみたいですよ」
「空襲よ! みんな何やってるの、早く逃げないと!!」
花火大会があると伝えたはずだが、どうやらサターニャは花火の意味を知らないようだ。
確かに花火の原料は火薬。爆弾と作りは変わらない。
天使と悪魔がこうして仲良く屋台巡りをしてきる時点で、悪魔と対した敵対をしていないのが理解できる。攻撃どころか敵とすら認識されていない。
「たーまやー」
爆煙に向かってガヴリールが叫んだ。現代に置いては特に意味などなく、ただの感嘆符だと思っておけば問題ない。
「なにそれ?」
「お前、花火も知らないのか?」
サターニャの疑問も他所に、一発、また一発と花火が打ち上げられる。
「わあぁー! 綺麗ねー!」
「ガヴも、わざわざ来て正解だったでしょ?」
「ま、まぁ……たまには、こう言うのも悪くないかなって思うよ」
「もう、素直じゃないんだから」
「う、うっさい! ああもう、たーまやー!」
赤らめた頬を誤魔化すように、ガヴリールは再び感嘆符を叫んだ。
「私くらい綺麗な花火ですね」
「えぇー、私のほうが天真爛漫唯我独尊に決まってるじゃない!」
「それ意味分かって言ってるのか?」
「可愛くて凄いってことでしょ? 知ってるわよそれくらい」
「まあまあ、みんな落ち着いて。せっかくの花火大会なんだから、仲良く見ましょうよ」
「それもそうだな」
「ヴィネットもたまには良いこと言うじゃない」
「たまには、こんな日も良いですね」
秋の夜長、暑さも忘れて花火に見とれる四人の天使と悪魔であった。