ブラック・ブレード 黒の刃 作:豆は畑のお肉
「それで?他にまともな申し開きはありませんか?将監さん。」
一人暮らしには持て余すであろう広いリビングルームのソファに、1組の男女がテーブルを隔て向かい合っている。実際は男女と呼ぶには些か女性が若過ぎるのだが、それはこの際置いておく。
男の方ーー将馬は、全く納得していないという声音と共に女性から発せられた言葉に、しどろもどろになりながらも口を開く。
「いや、その、確かに寝ぼけてたにしてはかなりはっちゃけてはいた自覚はあるけど。でも!少し間が悪いことが重なった故の事故みたいなもので決して他意があったわけじゃ・・・」
「自分よりもかなり歳が下の女の子相手にジャギプレイを強行しておいて出てきた言い訳が
向かい合う男女の内の女性側ーー夏世は表情の乏しい顔に僅かな呆れを見せながら、尚も将馬をなじる。
「前々からマッスルイズムな所は多々見受けられましたがまさかその歳で世紀末世界に憧れを抱いていたとは思いませんでした。なんですか?出来の良い弟を見つけては嫉妬してツンデレしちゃう特殊な性癖でも持ってたんですか?だいたい、将監さんはーーーーー」
そんな趣味持ってたまるか!!あと、あれをツンデレ認定するな!ツンデレ好きに謝れ!
そう叫びたかったが、おそらく抗議をしても無駄だろうと判断した将馬は、大人しくイジられていた。この幼女、いやに弁がたつのである。まさか口喧嘩で幼女相手に負けるとは思わなかった。
なぜ俺はいつの間にか入れ替わってしまった新しい肉体を手に、小さな女の子から言葉責めを受けているんだろう。
興が乗ってきたのか、未だ収まらない彼女の話をBGMに将馬はそもそもの原因でもある数分前の事を思い返す。
洗面所のドア越しに佇む小さな女の子が、自分の名前を口にしたかもしれない。
少女がなんと言ったかを尋ねようとパニックに陥りながらも必死に口を動かした結果。
世紀末を闊歩し、義弟の名を騙り、悪逆を尽くす男の様な口調になってしまった。
言い方に加え仕草も相まって(無害をアピールしようとしたのに、鏡に映る姿は紛う事なく犯罪者のそれだった。何故だ。)恫喝を迫る形になっていた。
元々警戒気味だった少女は、しかしその言葉を聞くと、『何を言ってるんですか?』と怪訝げに呟くと、先程まで纏っていた恐れや不安を霧散させていった。
一先ず警戒を解いてくれたことを確認したので、これ幸いとばかりに一気にまくし立てた。
自分は怪しい者じゃないので警戒しなくていいこと。
物凄く不機嫌な顔をしているがニュートラルがこれなので安心してほしいこと。
ただ自分の名前を聞き返したかったこと。
水を撒いていたのは洗顔していただけで特に意味は無いこと、など。
ついでに、高圧的な口調で質問してしまったことを当たり障りのない謝罪でフォローしておく。
彼女の方も釈然とはしていなそうだったが話が進まないのでそれを口にだすことはせず(ただ、名前は教えてもらえた。結局自分の名前ではなかったので希望は潰えたのだが)、俺が喋り終えるのを静かに聞いていた。
一通り言いたいことを言い終えた頃合いを見計らい、今度は向こうから質問を投げかけてきた。
どうして自分の名前を聞いてくるのか、と。
これについては『俺の精神がこの男の身体に乗り移ってるかもしれないから、焦ってたんだ。』などと言っても信じてもらえないので、寝ぼけていたと言い訳した。
苦しいのは承知していたが、大して良くもない頭で思考しても咄嗟にこれ以外の言い訳がでなかったのだ。当然この子がそれで納得するはずもなく、追及が続き今に至るというわけである。
「ーーそもそも、日頃から将監さんは自分の筋肉を自慢したいという欲求が透けて見えていました。ええ、ええ。そうですとも。気づいていないとでも思っていたんですか?私は初めて会った時から・・・・・・・将監さん?何ボーっとしてるんですか?現実から逃げないでください。貴方の特殊な嗜好については最早疑う余地はありませんがそれから目を背けるのはーーーーー」
いつの間にか俺の奇行についての言及から自身の性癖とどう向き合っていくかを激励の句と共に述べる彼女を尻目に、既に悲鳴をあげつつある脳を更に酷使し、俺は一見知的に見せかけた微妙にポンコツなこの娘が納得するだけの理由を考える。
しかしそう簡単に妙案が浮かぶはずもなく、やっとの思いで新たに絞り出した理由は、既に手垢の付きまくっている、古今東西使い古されたベタな手だった。
(・・・・・記憶喪失だ!記憶喪失のふりをしよう。幸い、俺がこの男と入れ替わってるのは誰も知らないはず。ならこの男のふりじゃなく、素直に俺は俺として振る舞えばいい。こんな見た目な奴と普段の俺が似通ってる可能性もほぼ0と言っていい・・・。人格、口調、仕草が全く違ければ、説得性も増す。)
人は姿形が似ていても、その人物を知っていればいるほど、他の所作が違うことに強烈な違和感を覚える。
ーーーーこれだ‼︎
(少なくとも同じ部屋に住んでたんだ。知り合い以上の関係であることは間違いない。ならば、必ず普段と違う行動に気づいてくれるはず!ていうか気づけ!)
依然苦しい言い訳には変わらないのだが、将馬としてもこの状況からいい加減進展したいので半ば無理矢理に会話に加わろうとする。
「あっ、あのさ!」
「ーー人の数だけ趣味嗜好があるものです。ですから自分の
「いや違えよ!いい加減性癖の話題から離れろ!何がお前をそこまで熱く語らせるんだ!?・・・・ってそうじゃなくて!」
長々と続いていた無駄話を強引に中断させると、軽く咳払いをし、将馬は空気を切り替える。暗に今から真面目な話をするぞ、と分かりやすい意思表示のつもりだ。
「実はな、本当は寝ぼけてたわけじゃないんだ。ただ、俺自身困惑しててさ。俺の理解が追いつかないまま君に話すのもどうかと思って・・・・・・・」
「何を言うかと思えば。将監さんがよく理解しないまま会話してくるのなんて、今さらじゃないですか。そんな急に気を遣われても。」
「シリアスモードなのに馬鹿にされたッ!?」
前フリの段階で横槍を入れられた将馬は、速攻で目的を忘れツッコミに精を出そうとするが、夏世によって軌道を修正され(そもそもが会話を脱線させたのは夏世なのだが)話題を戻される。
「ですから、余計な心配は無用なので手短に言いたいことを伝えてください。今日は急な
「自分から厄介にしてたくせに・・・ま、まぁいいさ。俺の方が?歳上だし?ここは大人の対応をしておこうじゃないか。」
やられっ放しは癪なので、(本人的には)余裕を持った大人の対応で、器の大きさを示しておく。
「さっきも言ったけど、俺もよくわかってはいないし、上手くは説明できないんだけど・・。実は俺、記憶喪失みたいなんだ。」
ようやく本題に入れた将馬は先程の夏世の
(もう会話がスムーズに進むのは諦めた。まずはここで
「・・・・・・・えっ?」
向こうが納得するまでどれぐらい時間がかかるかを懸念していた将馬は、今までとは打って変わって状況を受け入れた夏世に困惑した声をあげる。
「どうかしましたか?」
夏世が小首を傾げながらそう尋ねてくる。
「ああいや、だって今まで散々ゴネてたからそんなに急に納得してくれるとは思わなくて。」
「ゴネてなんかいません。将監さんが回りくどいことを言ってお茶を濁すので、少しばかり仕返しをしただけです。」
「ほぼここまでの間、丸々1人でしゃべり続けていたのを
そう問うと、平坦な表情に少しだけ眉根を寄せて夏世は答える。
「なんですか。まるで疑って欲しいみたいな言い方ですね。それとも記憶喪失というのもその場しのぎでまだ何か隠しているんですか?」
・・・・鋭い。
思わず呻きそうになった自分の口を辛うじて閉じる。
考えてみればこの状況は概ね自分が望んでいた通りの展開なのだ。ならば下手に詮索はせず、このまま流れに乗るのが得策だろう。
「い、いや、そんなことはないよ!ただ、納得してもらえるかわからなかったから、肩透かしを食らって驚いただけなんだ。」
「まぁ、いきなり記憶喪失だと喚く筋肉体質の強面さんが現れたら、誰だってまず詐欺か何かの罠を思い浮かべるでしょうからね。」
「なぁ。もしかして君、他人を罵倒しないと会話ができない病気とかじゃないよね?」
割と本気でそう尋ねれば
「失礼ですね、他人をここまで侮辱するなんて。“名は体を表す”という諺がありますが、どうやら“
とても小気味の良い
「言っとくけど、勝手な造語まで作り上げて罵倒してくる奴のセリフじゃないからね?それ。」
「話しかけないでください。児童虐待で訴えますよ?」
「やだ・・・・理不尽・・・。」
性懲りも無く舌戦を仕掛けるも秒で迎撃された学習能力のない将監を、ジッと見つめながら夏世は口を開く。
「それで、先程の質問に対する答えですが将監さんの記憶喪失を簡単に受け入れたのは、同じく簡単な理由です。まず将監さんは私のことを
(キミ呼びをしてくるだけでこの男は知的扱いされてるのか・・・・。)
コイツ本当に脳筋一族だったんだなぁ、と将馬は呆れつつも自分の狙い通りに違和感を感じ取られたことに内心喜びながら、夏世の声に耳を傾ける。
「もう一つは本来の将監さんであるならばそもそもこんな会話成立しないからです。」
それを聞き将馬は一瞬なんで?と疑問を浮かべたが、どこか思い当たったのかああ、と納得の声をあげる。
「たしかにこんな見た目してる奴が、大人しく君みたいな子どもに言いたい放題言われたままなんてないだろうしなぁ。」
「それもありますが、元々将監さんは私と接する時は必要最低限の
それに、と夏世は続ける。
「同じ部屋に住んでいても、こうして一緒に向かい合ってソファーに座ることなんかもありませんでしたし。」
どうやら将監という男は普段悪ぶっていても誰も見ていない所で雨に濡れた捨てネコを拾うギャップなどは持ち合わせておらず、容姿通りの性格だったらしい。
それよりも将馬は、本来の将監と自分との関係を語っている夏世のことが気になった。
感情の起伏が薄く、表情も乏しい彼女は自身の扱いについても淡々と受入れているかのように話していたが、その表情は少し寂しさを湛えているように将馬には見えた。
そんな彼女の姿がひどく儚げに感じ、咄嗟に言葉をかけようもするも甲高い電子音がそれを遮る。
突然鳴り響いた音の所在に2人は(将馬はビクりとしながら)目を向けると、部屋に備え付けられたインターホンがチカチカと点滅しながらこちらを呼んでいた。
夏世は時計を確認すると、ソファーから立ち上がり受話器を取る。
外にいる人物と一言二言会話した後受話器を元の場所に収め、こちらを向いた。
「将監さん、迎えの方が下に着いたようです。とりあえず話の続きは車の中でしましょう。」
「なんの用事かもわかってないんだけど俺も付いていくの?ていうか迎え?えっ、俺ってもしかしてお金持ちなの!?」
「まぁ、お金に不自由は無いと思いますよ。それとあまり時間はありませんので、とにかく付いて来てください。必要な
そう言い残しながら夏世はリビングを後にする。
ソファーにぽつんと座り込む将馬はどうにかややこしい事態を
(どうなることかと思ったけど、当面の課題は乗り切ったんだし上出来かな。俺の身体に戻る方法についてはまるで手掛かりが無いんだし、慌てても仕方ない。おいおい少しづつ探していこう。)
(それにしても、下で車が迎えにくるような場所に行くんだからてっきり高級飲食店でも行くのかと思ってたけど・・・。夏世?ちゃんは
ふと将馬は今の自分の格好を思い出す。
ズボンはまだしも上は黒のタンクトップ一枚のみ。腕には刺青のオマケ付き。
(山にいくのにこれは流石に軽装過ぎだ。親戚なら周知かもしれないけど、公共のマナーがあるから刺青も隠さなきゃだし、俺も上着とってくるか。)
ズレた思考のままソファーから立ち上がりクローゼットらしき物を探しに(将監の自室はベッドしか置いていなかったのでどこか別の場所にあるはずだ)部屋へ向かおうとしたところで、廊下へと続くドアが開き夏世が姿を現わす。
「将監さん、準備が整いましたよ。さあ、下に降りましょう。」
「あっ、ちょっと待ってくれるかな?上着を取りに行くだけだからすぐ済むしさ。」
「そうですか。それじゃあ私は
了解の意を示し部屋に向かう将馬に、玄関から「ああ、それから」と夏世の声がかかる。
「多少荒療治になってしまいますが記憶喪失にはショック療法は効き目が期待できそうなので、記憶が戻るといいですね。」
相変わらずの無表情でそう告げると夏世は外に出ていってしまう。
「・・・・・・・・・・え?」
不穏なセリフを残した夏世に思わず聞き返そうとするもそこに既に彼女の姿はない。
決して暑さで発汗したのではない汗が将馬の頬を伝う。
「・・・・・・・・・え?」