紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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九話

 

 時は過ぎ、真央霊術院第三回生の冬を終えた。

 

「ふぅ……」

 

 紫煙を燻らせる紫音は、火皿に入った煙草の灰を煙草盆に捨てて、夜空に浮かぶ朧月を眺める。

 大人ぶりたいという理由で始めた煙管も、いつのまにやら習慣のように一日の終わりに吸うようになってきてしまっていた。麻薬に溺れる者も、最初は興味本位で始めて、最終的には薬無しでは生きられないようになっていくのだろうか。そんなことを思いつつ、黒檀性の煙管を煙草盆の傍に置いて、ボーっとする。

 

『煙管は程々にお願いしますよ』

「……そうだな」

 

 ふと、近くに立てかけている斬魄刀から声が聞こえてくる。スッと横を一瞥すれば、精神世界同様の姿をした朧村正が、縁側に腰掛けているではないか。

 『具象化』ではない。しかし、しっかりと此方側の世界に彼女の姿は見えるのだ。

 ブツブツと小言を口にする彼女の話も程々に、懐にしまっていたある物を取り出す紫音。

 

『……またそれですか?』

「別にいいだろう」

 

 呆れたような色を見せる朧村正を一瞥した紫音は、取り出した手甲を徐に嵌める。紫黒色の生地に、金糸で朽木家の家紋が刺繍された、如何にも高級そうな一品だ。

 鬼道衆への入隊が決まり、初仕事への昂ぶりもほどほどに家で休息していた紫音の下にやって来たのは、朽木家の従者である清家信恒。これまた高そうな木箱を携えてやって来た彼は、『本当は白哉様がいらっしゃるご予定だったのですが……』と苦心に満ちた表情を浮かべながら、白哉から預かってきた手甲を差し出してきた。

 

 余程、紫音の初仕事までに間に合わせたかったのだろう。それほど大切な物であれば、此方で時間を作るのにと告げれば、どうやら白哉は単独での現世駐在任務に向かったようだ。

 それでは流石に時間をとっても訪れることは叶わなかっただろう。少々運が悪かったのだと諦めつつ、贈り物に関してはしっかりと喜んで受け取った。

 だが、朽木家の家紋が入っていることに訝しげな表情を浮かべた紫音が清家に問いかければ、

 

『ご当主様が家紋を刻むよう、御指示なされました』と一言。

 

 つまり、銀嶺が朽木家の家紋の刺繍を入れる様提言したという訳か。中々粋な計らいをしてくれるものだと思いつつ受け取った手甲は、それは見事な完成度であった。

 

「大事にせねばな」

『御祖父さんの贈り物だから?』

「……家紋についてはな。だがしかし、銀嶺殿は少々祝い下手か。いや、白哉もか」

 

 任務がひと段落してから渡せば、直接祝儀を渡すことができたものを。装飾品は是非初日から着けていってほしいという考えも分からなくはないが、従者に頼んでまで渡しに来るほどなのだろうか。

 銀嶺に関しても、一応孫の卒業&入隊祝儀に、直系の孫の贈り物に家紋を付与するという、かなり遠回しな祝いの仕方。呆れて溜め息が出そうだ。

 

(朽木家の者は祝い下手な家系なのか?)

 

 自分もその血を受け継いでいることは、思考の蚊帳の外。

 しかし、朽木家の身内のものへ対する不器用さは、かなりのものではないだろうか。

 

「遠回しに祝われるよりも、面と向かって祝って欲しいというのが人情だろう。身内なら尚更」

『ですが、白哉には自分が従兄弟だというのを明かしていないのでしょう?』

「ああ。時期が来たら話すさ」

 

 とは言うものの、実際のところは話そうか話すまいかで悩む。

 どちらにせよ、言ったところで白哉は自分に対する態度を変える事は無い筈だ。もし変えたとすれば、それは白哉がそれまでの人間だったということ。

 一応、自分の友にはそれなりの信頼を置いているつもりだ。

 

『始解もお披露目していませんし、今度会う時が楽しみですね』

「私と白哉の始解の練度の程度は、天と地ほどの差がある。今、鍛錬の相手をしてもいいようにあしらわれるのが関の山だ」

『本当ですか?』

「何事にも相性というものはある。朧村正(其方)千本桜(彼奴)と相性が悪いだろう」

『御戯れを。鍛えれば、千本桜にも匹敵はするでしょうに』

 

 クツクツと笑う朧村正に、紫音も妖しい笑みを浮かべて『そうなりたいな』と願望を口にする。

 

「だが、地力に差があるのは事実だ。私がのうのうと霊術院に通っている間、白哉は何度実戦経験を積んだだろうか」

『さあ、私には量りかねます』

「そうか……」

『ですが、『のうのうと』と言う割には、呑気に一年中本を読んでいたじゃないですか』

「お蔭さまで、真央図書館の名誉会員になれた。良い思い出だ」

『おヒマな方』

「わざわざ時間を作って一千冊読破したのだ。褒めて欲しいものだ」

 

 真央図書館において、卒業した年に一千冊貸出した者に与えられる称号を手に入れた紫音。八番隊の平隊士である七緒に続く快挙であり、実は一度八番隊から勧誘を受けた。更には、回道の成績も同期の中では優秀な方であった為、四番隊―――さらには、体調の優れない隊長の付き人として十三番隊にも勧誘されたのだ。だが、一度恩師に『鬼道衆に入る』と言った手前、今更他の隊に入るなど口が裂けても言えることではない。恩を蔑ろにしてはいけないことを丁重に説明すれば、勧誘に来た者達は素直に引いてくれたことが幸いだっただろうか。

 

『あれだけ自分を平凡とのたまっていたのに、随分と成りあがったではありませんか』

「己に言い聞かせて奮い立たせていたのだ。非凡な者の指導を受けたのであれば、それなりには腕を付けねばなるまい」

『そうですか』

 

 嬉しそうに微笑む朧村正。主人が力を付けていくことを残念がる斬魄刀は居ないだろうが、過去が過去だ。彼女にとっては、少しだけ心配な部分もあるのだろう。己の力だけを過信しすぎた故に、自分の声が主に届かなくなるのではないか、と。

 しかし、幸いにも才能は母親似だったのだろう。比較的“真血”にしては緩やかな力の成長だ。慢心することなく、力を持つ者としての心意気を忘れなければ、決して自分を見失うことはないだろう。

 

「……どうしたのだ。そんなにも辛気臭い顔をして」

『……いいえ、なんでもありません』

 

 顔に出てしまっていたようだ。

 表情を取り繕う朧村正を一瞥し、よからぬことでも考えていたのかと邪推する紫音であったが、フワリと薫ってくる春風に思わず振り返った。

 僅かながらに温もりを感じる風は、これから訪れる花の季節を予感させるものである。この、母の温もりのような風に撫でられて、草木は揺り起こされていくのだろう。

 そんなことを思っていると、庭で咲いている梅の花弁が一枚、ヒラリと紫音の目の前に踊り落ちてくる。

 

「……もうすぐ、桜も咲くころか」

『ええ』

「花見でも行きたいな」

『誰とです?』

「誰かと」

『答えになっていませんよ』

「問いに絶対答えなければいけないと、誰かが決めたか?」

『いいえ』

「だろう? それに……曖昧な方が、人間楽に生きていける」

 

 ぼんやりと朧月を眺める紫音は、そう言って目を細めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 晴れて下っ端の鬼道衆となった紫音。しかし、彼が腰に携えている斬魄刀を見るや否や、先達たちは目の色を変えて様々な仕事を紫音に押しつけてきた。

 各所の結界の点検、書類整理、怪我人に対しての回道の処置、果ては菓子や茶葉の買い出しなどの雑用に至るまで。

 

(これが俗にいう新人いびりか)

 

 最初はこう考えていたが、先達の炎が点っているかのような熱い瞳に気付き、徐々に考えを改めていく。

 

「皆さん、紫音サンに期待しているんデスよ」

 

 休憩時間に茶を淹れて差し出した時、鉢玄は柔和な笑みを浮かべてそう言ってくれた。

 始解を会得して尚、鬼道衆に入った紫音に鬼道衆が抱いているのは“期待”。鬼道はまだまだ先達には敵わないものの、それを補完するかのように習得している鬼道。紫音が初めこそ真面な技術だけを鍛えようとした結果、鬼道一片妥当の鬼道衆において紫音は皆無に等しい斬拳走鬼のバランスがとれた人材に育ったのだ。

 五十年も真面目に鍛えれば、護廷隊の副隊長には確実に就ける才。それを腐らせてはいかんとばかりに、先達は気合いが入っていたらしい。

 

 有難いといえば有難い心遣いだが、少々気合いが入り過ぎではないかと思うこともしばしば。

 

 最近は終業後にみっちりと六十番台の鬼道を詠唱破棄できるようしごかれている。紫音は霊術院時代、辛うじて五十番台を詠唱破棄できる腕前だった。そこから更に六十番台を詠唱破棄となると、毎日精魂抜かれた表情となって帰宅することが多くなり、屋敷の者達には心配される。

 余りにも心配した侍女が、わざわざ流魂街に赴いてマムシ酒を買ってきてくれたほどだが、仕事の疲れとマムシ酒の味で多量摂取することができず、思ったような効能は出てこない。

 

「これは……慣れるしかあるまい」

『ええ、そうですね』

 

 激務と疲労で刃禅を組むことも叶わなくなった際、わざわざ朧村正が赴いて激励を送って来てくれたこともある。

 毎日疲れ切って布団に入れば熟睡ばかり。浅い眠りにはここ最近ついた覚えはなく、夢も見た覚えがない。

 

「ふぁあ……今日はこのくらいにしなければ、明日に響くな」

『ええ。今日の所は早く床につくことを勧めますよ』

 

 斬魄刀の勧めもあってか、紫音は煙管一式をチャッチャと片付け始めて、眠りにつく用意を始める。元より寝る直前であった為、簪ではなく髪紐で纏め上げられた長髪を靡かせる後ろ姿の様は、まさに女性そのものであった。

 朧月の今夜。

その後ろ姿と夜の様はやけにお似合いだった。

 

 

 

***

 

 

 

「なに? 槍の使い手だと?」

「うむ。知り合いに居ないだろうか」

 

 紫音が鬼道衆に入ってから、漸く白哉の休みと被った時、二人は六番区の団子屋で茶を飲みながら談話していた。

 手甲の礼もほどほどに団子と茶を食べ進めていた二人であったが、徐に紫音が『そうだ』と手を叩いて白哉に問いかけたのが『槍の使い手を教えて欲しい』とのことであったのだ。

 暫し顎に手を当てて思慮を巡らす白哉は、何やら少々苦々しい顔になったものの、心当たりがあったようで口を開いた。

 

「……一人だけならば」

「おお、そうか! よいのならば、是非とも紹介してほしいのだが……」

「それより、兄の斬魄刀は槍なのか?」

「む? ああ、そうだ。所謂、千鳥槍の体をしている」

「……私の知っている人物の槍は三叉戟なのだが、それでもよいのか?」

「長物の扱いに精通しているという点では問題なかろう?」

「ううむ……」

 

 何故だか紹介を渋っている様子の白哉。

 

「……どうした、白哉。その者が苦手なのか?」

「苦手といえば苦手……かもしれぬ。化け猫に性分が似ているからな」

「奔放ということか?」

「まあ……そうなるな」

 

 成程。白哉が最も苦手とする人種―――奔放さが売りの人物ということは、確かに彼が会いに行くのを渋るのが分かるというものだ。だが、四楓院夜一という人物から、奔放な人間は総じて快活、且つ人当りが良いという印象を抱いている紫音からすれば、その白哉の知り得る槍の使い手とも手早く打ち解けることができるのではないかと、『好都合』といった表情を浮かべている。

 紫音の斬魄刀『朧村正』は、千鳥槍という長物。長物を扱う人物は、鬼道衆の中には勿論居らず、紫音が教えを望んでいたところだった。真央図書館にも通いつめ、槍の扱い方について学んでいたが、己一人だけでは程度が知れている。矢張り、実際に槍を扱う人物に教えてもらうことが一番だと考え、今日に至っているのだが―――。

 

「それで名は? 護廷隊なのか?」

「……志波海燕。十三番隊所属だ」

「十三番隊……浮竹十四郎十三番隊長が長の部隊か。それより志波とは……あの花火師の志波家なのか?」

「ああ。あの没落貴族だ」

 

 遠慮もなしにズバッと言い切る白哉に、流石の紫音も頬を引き攣らせる。『余り他人の悪口を言うものじゃあない』と注意しつつ、早速と言わんばかりに腰を上げた。

 

「今から向かえば昼休憩の頃には着くだろう」

「……行くのか?」

「駄目なのか?」

「……相分かった」

 

 不承不承といった様子であるが、なんとか十三番隊舎に行くつもりになってくれた白哉。

 その様子を見て、嬉しそうに目を細める紫音は紹介賃程度に、二人分の団子の金を払ってから、そそくさと店の外に出る。

 

「む……そうだ。折角ならば、斬魄刀も携えていった方が良いと思うのだが、白哉はどう思う?」

 

 後から続いて店から出てくる白哉に、斬魄刀を持っていくか否かを問う紫音。非番であった二人は、斬魄刀を家に置いて来ている。今日が二人で鍛錬する予定であれば話は別であっただろうが、『未だ仕事に慣れず疲弊している私を席官の其方と戦わせ、過労で殺すつもりか』と紫音が嘆願した故に、今日は談話だけの予定だったのだ。

 だというのにも拘わらず、わざわざ遠い十三番隊舎まで赴こうとする友人に、白哉の溜め息が収まる気配はない。

 

「……持っていけばいいのではないか?」

「そうか。ならば少し此処で待っていてくれ。直ぐに屋敷まで戻る」

 

 ビュっと風切り音が響くと、紫音の姿は白哉の目の前から消え失せる。白哉にしてみれば遅い方だが、紫音も確りと瞬歩を使えるようだ。飛び級で卒業したのだから、当たり前と言われれば当たり前かもしれないが、会った当初の女のような貧弱な体つきを思い返せば、よく成長したものだと思う。

 

「何様だ、其方は」

「心を読むな」

 

 ちょうど帰ってきた紫音。瞬歩にしても早過ぎると思うかもしれないが、元よりこの団子屋が柊邸宅とさほど離れていないのだ。このくらいの時間が妥当だろう。

 女物の羽織の裾の陰には、円に三つの突起が付いたような鍔の斬魄刀が見える。鬼道衆の紋に似ている鍔は、見れば見るほど彼が鬼道衆に入ることが決定付けられていたことではないかと錯覚してしまう。

 だが、実際の能力のところは白哉もまだ知らない―――というよりも、紫音がはぐらかして教えてくれないのだ。

 

(良い機会かもしれぬ。志波海燕のことだ。彼奴は紫音に一度始解を見せるよう口に出すだろう)

 

 海燕という男の性格を考慮すると、よほど不敬な態度を見せない限り、教えを乞う者を蔑ろにするような扱いはしないだろう。となると、紫音が海燕の槍の扱いを教示されるのは決定されている。そして、槍の扱い故に封印状態―――刀剣の状態で教えるような真似はしないだろう。

 つまり、必然的に紫音の始解を目の当たりにできるという訳だ。

 

 紫音の性格を考えるに、『朧村正』とやらが只の直接攻撃系の斬魄刀ではないことは明らか。鬼道系の斬魄刀のように、何かしらの特性が付与されているのは目に見えている。

 炎熱系か、はたまた流水系か。他にも氷雪系に幻覚系など、十人十色なのが斬魄刀の長所。

 白哉の『千本桜』は、一応直接攻撃系に分類される斬魄刀。しかし、刀身が分裂して遠距離より攻撃できる様より、『鬼道系寄りの直接攻撃系』と揶揄されることもしばしば。

 

 友の斬魄刀が如何なるものかという妄想は止まることがない。

 

 

 

 そして白哉が実際に目の当たりにした朧村正の能力は如何に―――。

 


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