紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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八話

「大鬼道長殿。その錫杖にはどのような意味があるのですか?」

「これですかな? これは私の斬魄刀の封印状態なのです」

「成程」

 

 ある日のこと、紫音は鉄裁が手に持っている錫杖が何か特別な物であるのかどうか気になり、なんとなしに問いかけてみた。

 だが、実際は鉄裁の斬魄刀とのこと。彼が斬魄刀を手に取っているのを見たことは一度も無い為、どこか不思議な気分になる。

 

「因みに、山本元柳斎重國総隊長殿も、普段は流刃若火を杖の形に封印しておられます」

 

 『流刃若火』―――炎熱系において、最強最古と謳われる斬魄刀だ。森羅万象を焼き焦がす炎に焼かれた者は、須らく灰燼へと為す程の勢い。それを普段は杖にして扱っているとは、少々面白い話を聞いたものだ。

 封印状態とは、俗にいう“始解”を会得した死神が、自身の斬魄刀を解放しない刀の形態のことを言う。が、意外と封印状態とやらは自由が効くらしい。

 

「中々洒落ておられますね。私も大鬼道長殿のように錫杖のようにしてみたいものです」

「むっ、そうですかな? 洒落ていると言われたのは初めてですが……」

「私は、大鬼道長殿の斬魄刀の封印状態が鬼道衆然として恰好がついていると思います」

「ほう、これは嬉しいお言葉ですな」

 

 存外悪い気分ではなさそうな鉄裁は、顎をなぞりながら嬉々とした声を上げる。

 すると突然、紫音がパンっと手を叩いて鉄裁の近くへ身を乗り出してきた。

 

「そう言えば大鬼道長殿。少しお聞きしたいことがありまして」

「はて、なんですかな?」

「以前、御指導をいただいた副鬼道長殿に『断空』という縛道をお聞きしたのですが」

「ほう」

 

 八十九番以下の破道を防ぐ防御壁を張る縛道の八十一・『断空』。番号から分かる通り、上級鬼道に位置する『断空』は、学院生の紫音が知っているような術ではないのだが、だからこそ『鉢玄に聞いた』と最初に口にしたのだろう。

 そんな『断空』の話題を出してきた紫音は、次にこう言い放った。

 

「『断空』の表面に『鏡門』を張る事は可能でしょうか?」

「『鏡門』をですか。ううむ……不可能、とは言い切りませんが、実用性はないと思われますな」

「そうですか……」

 

 至極残念そうな表情を浮かべる紫音。

 『鏡門』は、外側からの攻撃を反射する結界を張る術のことだ。鬼道衆の中でも特に結界に精通している鉢玄から聞いた術であり、『攻撃を反射する』というロマンのある能力に、初めてその名を耳にした時は心躍らせたものだ。

 しかし、鬼道衆のトップである男に実用性はないと言い切られ、ガクリを肩と落とした。

 

「攻撃を反射するだけでしたら『鏡門』単体で充分でしょう。わざわざ『断空』に重ね掛けする必要もないでしょうぞ」

「いいえ、違うのです」

「む?」

「私が考えていた事は―――」

 

 斯々然々。

 

「ほう、それは面白い考えですな」

 

 どうやら、二人の思考には齟齬が生じていたらしい。紫音の考えを聞いた鉄裁は、感心するように息を漏らし、若者の想像力の豊かさを噛み締めていた。

 二次元ではなく三次元で。

 且つ、術の特性を把握して。

 

「しかし、その手法を用いるのであれば、『断空』と『鏡門』を同時に多数張る腕と、場を立体的に捉える為の空間把握能力が必要になってきますが……」

「分かっております。今は夢物語でも、時間を掛けて少しずつ出来るようになっていければと」

 

 柔らかな笑みを浮かべて佇む紫音に、先程までの残念そうな色は見えない。

 可能であることが分かっただけで、大分気が楽にでもなったのだろう。

 

 種を植えても、芽が出て花が咲くとは限らない。

 しかし、種を植えなければ、花が咲く事は絶対にありえない。

 

 何事も、まずはやってみることが必要だと鉄裁は紫音の考えを快く肯定し、鍛錬に励むよう応援するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『草木も眠る丑三つ時に、狩りに洞穴から飛び出してきたナロは、道の途中で暴漢に貪られている女に出会った。人間同士の諍いに関わるつもりはなかったが、足音に気付いた暴漢がナロに気付き、真夜中であるというにも拘わらずはっきりと分かってしまう程、顔を真っ青に染め上げていく。

 情けない悲鳴を上げて逃げていく暴漢は、半裸の女などいざ知らず。

 一方、息を荒くしている女は、無理やり脱がされる途中であった着物を引っ張り上げ、自分を見下ろす生き物に瞠目していた。

 すると、真っ直ぐな瞳を浮かべるナロは、女にこう告げた。

 

 こんな夜中に出掛けると人狼に喰われてしまうぞ、と。

 

 月影に照らされたナロは、その身に纏う黄金の衣に似た体毛を靡かせながら、女の手を掴みあげ、ドンとその背中を押した。

 しかし、女はそのまま逃げ去ることもせずに立ち止まり、淡い微笑みを浮かべてナロの方へ振り返り、『そんなことを言う人は襲いませんよ』と口走る。

 

 気丈な女だ、と鼻で笑う。

 だが、彼女の焦点の定まらぬ黒い瞳を見て気が付いた。

 

 『目が見えぬのか?』

 

 そう言うと女は―――』

「……その話は嫌いだ」

『あら、そうですか?』

「盲目の娼婦と山里で暮らす人狼の叶わぬ恋の物語。最期は、人狼の子を産んだ女が、人間と思えぬ獣の子を引き連れるのを目の当たりにした村人たちに惨殺される悲劇……私の性に合わぬ」

 

 斬魄刀の彼女が口にしていたのは、真央図書館に仕舞われていた小説の一つだ。以前、紫音が一度だけ読んだことがあるが、猟奇的な内容に、一般受けはしないだろう性的描写に、思わず顔を顰めてしまった作品である。

 何より愛した女、そして彼女との間に儲けた子を惨殺される最期―――悲劇が気に入らない。

 

「創作であろうとなんだろうと、私は喜劇の方が好きだ」

『あら、でも他人の不幸は蜜の味と言うではありませんか』

「嫌いな者に限ってはな」

『ならば次は……

 

 『ややい、やい! 双魚め! 今日という今日こそは、この俺様が貴様を倒してやるーッ!』

 『そうはさせないぞ!』

 

 槍を構える悪巧夢に、双魚は正義の刀を―――』

「私がそれを読み聞かせられて喜ぶ歳だと思うか?」

『くっくっく、それにしては瀞霊廷通信に載っている時はちゃんと読んでいるじゃありませんか』

 

 十三番隊隊長・浮竹十四郎著のアクションアドベンチャー小説『双魚のお断り!』を身振り手振り加えて朗読する己の斬魄刀に、苦笑を浮かべる紫音。一話完結型の勧善懲悪を題材にした小説は、不定期ではあるが、毎月九番隊が発刊している『瀞霊廷通信』に掲載されている。

 内容が内容だけあって、決して大人向けとは言えない。御伽話を読み聞かせられるような子供向けの小説とはなっているが、貴族の子供の間では中々の人気作品らしい。

 当たり障りのない勧善懲悪の物語は子供ウケがいいのだろう。

 

「勧善懲悪モノは読んでいて気分が悪くならないからな。犯人が暴かれて、尚且つ裁かれる推理モノも然り」

『……そうですか』

「……私は間違ったことは言っておらぬつもりだぞ? 罪を犯したのであれば、相応の報いは受けるべきだ」

 

 意味深な斬魄刀の表情に、目を細めて持論を語る。

 彼等二人しか居ない精神世界は、この世の者とは思えない幻想的な空間だ。鏡のような地面。そして頭上には満点の星が絶え間なく煌めいている。優雅に石を磨いて形作られた椅子に腰を下ろす二人は、どこか寂しげに俯くばかり。

 だが、鏡のような地面には、そのような顔を浮かべる自身の顔が映り込んでしまう。

 

「人間、悲しい顔をするものじゃあないな」

『そうですね』

 

 フッと一度瞬きをすれば、世界は緑一色へと染まり替わっていく。

 木の葉が風に揺らされてざわめく音が響き、近くからは川のせせらぎが子守唄のように絶え間なく聞こえてくる。依然、石作りの椅子に腰かける紫音の前には、殻に包まれた胡桃を手に抱える栗鼠が、綿毛のような長い尻尾を振り回しながら目の前を駆け抜けていく。

 そこへ斬魄刀の女が、栗鼠の掛ける先にそっとつま先を伸ばす。すると、てとてとと栗鼠が華奢な脚を上っていき、あっという間に女の方へ上ってきたではないか。

 女が徐に手を差し出せば、持っていた胡桃を落とすように差し渡す栗鼠。ポトッと落ちた胡桃は、落ちた衝撃で殻が真っ二つに割れた。普通であればあり得ないであろう光景だが、この世界の非常識さを理解している紫音からすれば、さほど驚くような光景でもない。

 

「……ここは自由だな」

『ええ』

「夢のような世界だ」

『そうでしょうね』

「私の精神世界は、このように夢で溢れているのか」

『そうなるのでしょうね』

「……ああ、だんだん理解して来た」

 

 先程とは一変、澄み渡る青空を仰ぐ紫音は、隣で栗鼠と戯れている己の斬魄刀に意識を集中させる。

 斬魄刀の始解を習得する為に必要な手順は、『対話』と『同調』。対話はこれまでにも充分というほど行ってきたはずだが、同調に関してはそれほど理解を深めていなかった。他人と自分では同調の仕方が違うだろうと、白哉に聞くことはしなかった。いや、他人に頼ろうとしないで、己の力だけで達成してみせようという子供染みた意地だったのかもしれない。

 だが、こうして何か月もの間『対話』してきて、徐々に理解してきたことも勿論ある。

 

 こんなに『ブレ』の激しい精神世界などあって堪るか。余程、情緒不安定な人物でもなければ、瞬く間に色を変えていくこの世界の主には似合わぬだろう。

 だからこそ、思い至った。

 

―――この世界は『想像』で出来た『夢』の世界だろうと

 

 その中で唯一形の変わらない彼女の姿だけが真であり、周りの移りゆく景色は全て瞞―――いや、幻だろうか。

 瞞だろうと幻だろうと、此処が偽りの世界であることには変わりはない。

 此処では想像力だけが全てなのだ。頭で思い描いた映像が、そのまま現として現れているだけ。

 だが何故なのだろう。この精神世界が幻と理解してくるに比例して、次第にこの世界から『現実味』が消え失せていく。精巧に模られた景色が、ただの一枚の絵に見えてきた。彼女の肩で忙しなく胡桃を齧っている栗鼠も、機械仕掛けの人形にしか見えなくなってくる。

 

 以前まではこの現実味がない光景に心奪われ、入り浸るように精神世界へとやって来たというにも拘わらず、この世界がつまらなくなってきてしまった。

 ああ、あの時の感動をもう一度。そう願ったとしても、一度自覚しまったが故に、最初の感動というものは何処か遠くの方へと消え失せてしまう。濃霧の先に在るモノが何か分からぬように、最初は覚えていた現実味が消失していく。

 

「ならば想像……いや、創造しよう」

 

 瞼を閉じながら徐に立ち上がった紫音は、そのまま両腕を横へ大きく開く。

 頭の中で出来るだけ華々しい景色を想像しながら。

 

 次の瞬間、カッと目を見開いた紫音の視界に映るのは、『百花繚乱』という言葉がこれほどないまでに似合う、美しく、麗しく、煌びやか、尚且つ大衆的な光景であった。

 

「現実味のない景色というものには夢がある。期待がある。羨望がある。これが幻だと分かっていても、今の私には言いようも無い現実味を覚えている」

 

 ふわりひらりと舞い遊ぶ花弁を掌に吸い寄せる紫音は、その柔らかな感触を肌身で感じ取りながら、地面へと投げ捨てる。

 同時に、周囲を覆い尽くすように咲き誇っていた花々の花弁が紫音の右手の中に踊り込んできた。旋風でも巻き起こっているのだろうか。紫音や斬魄刀の女の髪を靡かせる程の風が、花弁を巻き込みながら掌に辿り着けば―――。

 

「……夢を現にするよう努める力。それが私に必要な力、という訳か」

『はい』

 

 気がつけば、女は紫音の眼前に佇んでいた。

 突然、百花繚乱の景色から一寸先も見えぬ闇に包まれた世界の中で、彼女は穏やかな笑みを浮かべながら紫音に語りかける。

 

『幻は所詮、幻。貴方に必要なのは、その幻を―――夢を現に近付けようとする『想像』と『創造』。つまり』

「鬼道が必要になってくるな」

 

 紫音の掌に花弁はもう既に無く、代わりに一本の槍が握られていた。千鳥槍と呼ばれる部類の槍だ。その刀身の根元には、普通の刀のように鍔があった。

 これまでの人生の中で、何度その形を見たことがあろうか。

 

「……父上の刀の鍔にそっくりだ」

 

 己の父が有していた斬魄刀の鍔。その形状にそっくりな自身の斬魄刀と比べ、『矢張り親子か』と呆れにも似たような溜め息を吐く。だが、その表情に陰りはなく、寧ろどことなく嬉しそうな色さえ感じさせるものであった。

 何度か槍を振るった紫音は、手に馴染む千鳥槍の振るい心地に『おお』と感嘆の息を漏らしながら、最後には杖代わりに抱える始末。

 

『……少々雑では御座いませんか?』

「四六時中丁寧に扱われるのも鬱陶しいだろう」

 

 その言葉にムスッと頬を膨らませる女であったが、同調が成功した主人に、至極嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

『……知っておられたのですか?』

「何をだ?」

『私の名を』

「まさか……だが、全て知っておらぬと言えば嘘になるな。いや、知っていたというのも妙な言い方か。『想像がついていた』だけだ。其方の半分の名を」

『……それは―――』

「父上の斬魄刀の名を知っていたからな」

 

 半ば遮るように口を挟んできた紫音は、私室の仏壇の前に備えられている父の斬魄刀を思い浮かべる。

 物心ついたときには、『それが父だ』と教えられて時間を共にした斬魄刀。最初は、刀の周囲で起こる怪奇現象から妖刀のように思っていた。しかし、実際は息子を憑代とすべく、主を失った斬魄刀が必死に語りかけていただけ。

 

 そして紫音は、その力に手を差し伸ばした。

 

「他者に認められず、その態度を傲慢と嘆かれ、正しく導かれることもなく反逆者として死んでいった父上の無念……そして彼奴の無念、私には推し量ることも憚れる」

『ですが、貴方は彼の手を引いた』

「ああ。だが、父上の無念を晴らそうとは思わぬ」

『大逆、だからですか?』

「無論。尸魂界を相手取ろうという馬鹿な考えは起こさぬ。なに、父上のように力があれば、一時の夢として想像ぐらいはしていたかもしれぬが……馬鹿な夢想を実行しようとは思わぬわ」

『あら、父上に非道いお言葉ですね』

「いい女を悲しませた男は須らく馬鹿だ」

 

 それは母上のことですか。

 そう問われた紫音は、明確な答えは返さないものの、ただ黙して妖しい笑みを浮かべるだけであった。

 

「私は弱い。この刹那に心奪われる弱い男だ」

『知っています』

「『貴方の斬魄刀だから』か?」

『ええ。ですが、“強さ”は単純な力の一片妥当ではありません』

「ああ……―――視ろ」

 

 コツン、と槍の柄尻で地面を突く紫音。

 直後、闇に覆われていた世界の空は一変して、絶え間なく花火が打ち上げられる夜空に移り変わった。

 色とりどりの閃光が眩く夜空に、穏やかな笑みを浮かべる二人。

 

「人に夢を視せることも、“強さ”ではなかろうか」

『はい』

「これは幻だ。実体はない。だが……嘘と分かり切っているのであれば、現実味のない幻想的な光景の方が心躍るだろう」

『それを真に錯覚させるのは、貴方の努力次第という訳です』

「努めよう」

 

 フッと薄い唇で半月を描く紫音。

 

「さあ……真の名を、今一度唱えてみてくれ」

『はい。私の名は―――』

 

 差し出された紫音の細い手を取った斬魄刀は、百花繚乱の如く眩い輝きを見せる夜空の下、自身の名を唱える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――『朧村正(おぼろむらまさ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不確かな妖の刀。

 それこそが、柊紫音が斬魄刀の名。

 


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