紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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七話

「おはよう、白哉」

「ああ、おはよう。具合はどうなのだ?」

「お蔭さまでな。すっかりよくなった」

 

 朽木邸の門の前で挨拶を交わす紫音と白哉。霊術院に通う日は、これが日常だ。

 昨日の今日で霊術院に通うのが大丈夫なのかと心配する白哉であったが、顔色のよくなった様を見れば、それが杞憂だとホッと胸をなで下ろす。

 いつもの道を並んで歩く二人。霊術院までは遠いが、二人の足の速さであればさほど問題ではない。寧ろ、瞬歩の鍛錬になると白哉は意気込んでいた程だ。

 そして、わざわざ邸宅から通う理由がもう一つ。

 

(朝食も、屋敷の者が作った物の方が美味しいからな)

 

 美味なる食は、心を豊かにするという訳だ。

 

「どうしたのだ、白哉? そのように朝食に想い焦がれるような顔を浮かべて」

「……人の心を読むな」

「そうか。鎌をかけたつもりだったのだが、どうやら当たっていたようだな」

「貴様……」

「別に苛立つことのほどでもないだろう。屋敷の者が腕によりをかけて作り上げてくれた飯が、不味い訳がないからな」

 

 偶然であろうがなかろうが、心を読まれたことがどうにも腹立たしい。竹刀袋に納めたまま斬魄刀の柄に手を掛ける白哉は、表情には出さぬものの、声に苛立たしさを乗せて紫音を睨みつける。

 霊術院に入ってからは、直情的な言動をとらぬよう心掛けていたつもりだが、どうにもこの男の前では“素”というものが出てしまう。

 

 素を出せるという点では、ストレスを発散しやすい相手なのかもしれないが、生憎相手はこちらをからかうことを好む性質をしている。昔のように頭に血を上らせてしまえば、いいように掌の上で転がされているのが目に見えるようだ。

 

「はぁ……」

「なにか憂鬱なことでもあったのか?」

「なにもない」

「なにも無しに溜め息を吐くものじゃあないぞ。幸せが逃げると言うからな」

「……幸せ、か」

 

 よく聞く言葉だが、自分に当てはめた場合、いつ幸せであるのかいまいち分からなくなる。

 

「妻でも娶って子を為せば、“幸せ”とやらを感じるのではないか? 其方でもな」

「……馬鹿にしているだろう」

「典型的な例を出してみただけだ。大和撫子然とした女子が好きなのだろう? そんな妻を娶れれば良いな」

 

 ニヤニヤと笑いながらからかってくる紫音に、竹刀袋の中からでもはっきりと鍔と鞘が擦れ合う音が響くほど、斬魄刀の柄を握りしめている白哉。

 普通の者であれば、白哉の憤怒が具現化するのではないかというほど憤っている彼に臆するだろうが、紫音はその程度では引き下がらない。寧ろ、面白いと言わんばかりに畳みかけてくる男だ。

 白哉自身、口下手であることは自覚している為、向こう側からどんどん話しかけてくれることは嬉しいが、人前では限度を弁えて欲しいと思うことがある。

 

(……ふっ、これでは私達はまるで兄弟のようではないか)

 

 兄、若しくは弟と赤裸々な会話をしているところは、他の者達―――無論、親にも見られたくないという感覚。紫音と話をしている時は、まさにその感覚であった。

 紫音が肉親であっても違和感はない。

 

「白哉。何をそんなににやけている。春画でも落ちていたか?」

「……そんなものを私が見る筈なかろうっ……!」

 

 紫音の言葉に、一瞬で心中が苛立ちに染まっていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 霊術院に入り、早一年。

 一年の間は、死神としての基礎を固める授業ばかりだ。だが、優秀な生徒はどんどん授業プログラムを繰り上げていく為、一年で卒業する者も時たま存在する。

 例えば、現在五番隊に所属している市丸ギンという者も、非常に優秀な成績を収めた故、一年で霊術院を卒業するという快挙を成し遂げた。

 

 そして、今年もまた市丸ギンに続く快挙を成し遂げる者が現れた。

 

「―――まあ、快挙かどうかは兎も角、朽木家の分家である柊家の当主として。そして朽木白哉の一人の友として、彼に卒業祝儀と入隊祝儀を兼ねて、何か贈り物をしようと考えました故、白哉を熟知しておられるであろう蒼純殿にご相談いただいているという訳であります」

 

 私服の着物を身に纏う紫音。正座する彼のすぐ前に同じく正座で佇んでいるのは、六番隊副隊長であり白哉の実の父である朽木蒼純であった。

 容姿は非常に白哉に似ている。ただ、蒼純の方が幾分か柔和な雰囲気があった。彼は生来、体が弱いとあって、よく体調を崩しているようであるが、それでも副隊長に坐す能力は流石といったところ。

 厳格な銀嶺を父に持っている故、規則に準ずる厳しい性格ではあるものの、基本は他人を気遣うことのできる“優しい”男だ。

 

「そう固くならなくても大丈夫さ、紫音君。私も、君との間柄は理解しているつもりだ」

「では、『蒼純叔父様』と呼んだ方がよろしいでしょうか?」

「白哉が居ない所でなら―――」

「ですが、『蒼純殿』の方がしっくりきます故、暫くはこのままでいかせて頂きます」

 

 宗家の次期当主の言葉を遮る紫音。息子と同じ程の少年―――もとい、甥に話の主導権を握られている気がした蒼純は苦笑を浮かべながら、紫音の佇まいを見て一言口にする。

 

「……君は姉上によく似ているなぁ」

「幼き時に追いかけていたのは母上の背中のみ。似てくるのも、至極当然かもしれませぬでしょう」

「……今はどうなんだい?」

「白哉の背中を」

「成程」

 

 白哉と違い、紫音は第二回生へと進級した。それが普通なのであるが、白哉と共に鍛錬をしている中だとは知られている為、自ずと自身に求められている技量が多くなっているのではないかと感じ始めた―――否、ずっと感じている紫音。

 六年は流石に怠惰が極まっているか。今は三年以内の卒業を目指して鍛錬に励んでいる。

 そんな紫音の道標となっているのは、霊術院の偉大なる先人たちでも、父の背中でもない。一年間、隣に並んでいた友の背中だ。

 

「こう見えても、人並みの嫉妬心、焦燥、憧憬は抱いております。分家当主として、いずれは白哉の背中を支えられるようになりたいとは思っております」

「……君からその言葉が聞けて嬉しい限りだ。これで息子も任せられるといったところだよ」

「有難きお言葉。因みに、白哉は入隊して直ぐに席官の座が用意されていると聞きます」

 

 するりと話題を変える。

 実力主義的な側面がある護廷隊では、隊の中である程度の実力を誇っていると席次というものが与えられるのだ。下は二十で、上は所謂『隊長』。一部隊二百名を超える中の一割にだけ与えられるエリートの座が席官であるのだ。余談だが、席官ともなると瀞霊廷内に住まいが提供され、九席以上になれば隊舎内に私室が分け与えられる。隊長・副隊長ともなると邸宅が与えられるなど、よりどりみどりだ。

 卒業してすぐに席官になれるなど、余程の才がなければ不可能なこと。しかし、既に始解を会得している白哉は、実戦を積んだ者からしてみてもかなりの実力を有している。こうなることは必然かもしれないが、部隊の2トップを同じ家の者が就いている中、その肉親が入ったのだ。部隊の一部ではよろしくない噂が立っていることだろう。

 

 閑話休題。

 

「確かに席官の座は用意しているよ。だが、それは確りと実力を吟味した上で―――」

「いえ。自身の力に酔い痴れて堕落せぬよう、護廷隊の厳しさをこってりとご教示してほしいと思いまして」

「あ、ああ……無論だよ」

 

 現世では、加虐嗜好がある者を『S』と呼んだり呼ばなかったり。

 

 妖しい笑みを浮かべながら告げる紫音に、蒼純は笑うしかない。蒼純の実の姉は紫音の母である訳なのだが、小さい頃によくからかわれていたことを思いだす。

 嫋やか且つ強かな女性で、姉弟による口喧嘩で勝ったことは一度も無かった。

 血は脈々と受け継がれていることを感じながら、とりあえず話を戻そうとする。

 

「それで、白哉への贈り物だったね? 白哉のことだから、君がくれた物なら大抵喜びそうだけれど……」

「彼奴の好物の辛い物でも送ろうかと思いましたが、祝儀にしては貧相だと考えております」

「それなら装飾品でもどうだい?」

「……牽星箝でしょうか」

「ああ、それもいいだろうね」

 

 上流貴族しか身に着けることの許されない髪飾り―――『牽星箝』。朽木家の男たちは、揃ってこの髪飾りを着けている。

 一部の階級以上しか身に着けることのできない装飾品を送れば、白哉も自身の朽木家の者としての立ち振る舞いを省みて、護廷隊に所属する死神の一人として邁進していくことだろう。

 

 だが、男が男に対して装飾品を送るのは如何に。

 

 一瞬、そういった考えが脳裏を過ったのだが、

 

(まあ、私と白哉の仲だ。さほど問題はないだろう)

 

 あっけらかんとした様子で、贈り物を決めたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さて、どれがいいのだ」

「……本人を連れてくる奴があるか」

 

 “貴族街”と呼ばれる場所の店にやってきた紫音と白哉。六番区は、貴族御用達の老舗が軒を連ねていることから、瀞霊廷の死神達に“貴族街”と呼ばれている。それも最高位貴族の一、朽木家の邸宅があるからこそだろう。

 貴族でない者が来ることは早々ない場所にやって来た二人は、代々朽木家の者が身に着ける牽星箝を誂えている老舗だ。

 わざわざそこへ連れられてきた白哉は、何とも言えない表情で商品棚に置かれている髪飾りを眺めている。

 

「私とて、初めは黙って其方に贈ろうかとも思った。だが、気に入らない物を受け取ったとしてもさほど嬉しくはないだろう」

「そこまで私がそのように失礼な発言をする者に見えるか?」

「贈り物の装飾品というものは、身に着けてもらってナンボのもの。棚に飾られるだけの贈り物を見て、悲壮を覚える私の身にもなれ」

「……そうか」

 

 要約すれば、『気に入ったのを買ってやる』。

 確かに、これから身に着けるものであるのならば、自身が気に入った物が一番良い。そう自分に言い聞かせる白哉は、既製品の牽星箝を一つ一つじっくり見ていく。と、いっても白哉は装飾品の良し悪しを心得ていない。

 

(どれを選ぶか……)

「牽星箝が、見れば見るほど竹輪に見えてくるのは私だけか?」

「紫音」

「いや、きりたんぽにも見えてきたな」

「貴様……私が牽星箝を選ぶ横で、無粋な発言をするのは止めろ」

 

 普段は二人称が『兄』だが、苛立つと『貴様』呼ばわりになる。

 髪飾りを食品に見立てられていい気分になる者はそれほど多くないだろう。女子であれば多少別だろうが、白哉は生粋の熱血生真面目男児。髪飾り選びを悪ふざけに走って笑いを取ろうとは思わない。

 

「冗談に決まっておろう。気のゆくまで選んでいるといい。私は他の物を見ているからな」

 

 頬を引き攣らせてドスの効いた声を発する白哉を宥めた紫音は、女物の装飾品がある場所へと向かう。

 そっちの“気”でもあるのかとは何度も考えたことはあるが、恐らく紫音は京楽春水八番隊隊長のように、お洒落で女物を選んでいるのだろう。彼が熱心に視線を注ぐのは、高値の簪が並んでいる棚だ。

 豪華絢爛―――という品ではなく、飾らない質素な装飾の簪。

 その中の一つを手に取った紫音は、迷わず白哉の下に戻ってくる。

 

「む? まだ決まっておらぬのか」

「兄が早いだけだろうに」

 

 物を選ぶ早さは男に準じているらしい。

 どうやら梅の紋が描かれている簪を気に入った紫音は、会計を白哉の牽星箝と共に済ませるため、ピロピロと簪を手で弄びながら白哉の品選びを待つ。

 

「兄は買わぬのか?」

「牽星箝をか? むぅ……学院生がおおっぴらに牽星箝(ソレ)を着けていれば、生意気だと思われかねぬからな。それに私にはもうある」

「……なに?」

「父の形見があるからな。卒業したら着けるつもりだ」

 

 父の形見。

 その言葉を聞いた白哉は、最早『折角であれば自分と共に牽星箝を買え』などと、無粋な発言はできなくなった。

 自分に置き換えた場合でも、同じく形見を身に着けるだろう。そう思った白哉は、暫し逡巡した後に別の話題を振ってみた。

 

「斬魄刀との対話はどうだ? 始解は会得できそうか?」

「悪くは無い、とだけ言っておこう。だが、私は其方のように天才肌じゃあないからな。ゆっくりやらせてもらう―――っと……冗談だ。そろそろ私の其方への“天才”発言は冗談だと気付け。まあ、実際褒めている時も勿論あるがな」

 

 クツクツと妖しく笑う紫音に、肩を竦める。

 

「そう言えば、其方の斬魄刀の名は『千本桜』だったな? 桜の花言葉は『精神の美』。生真面目な其方にピッタリの斬魄刀だ」

「……六番隊の隊花は椿だがな」

「『高潔な理性』だったな。それもまた良し。……白哉、それならば梅の花言葉は知っているか?」

「梅? ……知らぬ」

「『高潔』、『忠実』、『忍耐』……、まあこれくらいだろうな」

「……兄に似合っている花だ」

「有難う。そう言ってくれると思っていたぞ」

 

 なんとなしに、物欲しそうな顔で待っていた紫音に似合っていると褒めた白哉。

 だが、紫音に似合っていると思ったことは本当だ。

 

 すると紫音は、自身を褒めてくれた白哉に対して、簪の梅の紋が見えるようにチラチラと見せつけてくる。

 

「何事も基本に『高潔』な精神の下、『忠実』に『忍耐』強く。尸魂界開闢以来受け継がれてきた刃禅の下に鍛錬を続ければ、いずれは始解も会得できるだろう」

「……そうだな」

「それに、斬魄刀は死神にとって一生添い遂げる伴侶のようなもの。長い時間を掛けて信頼し合える仲になるくらいがちょうど良い」

 

 チラッと白哉の腰辺りに目を向ける紫音。護廷隊として働くようになれば、常に斬魄刀を携えるであろう位置だ。

 

「……何が言いたい?」

「盛ってばかりの夫はロクでもないという事だ」

 

 白哉の方をコツンと拳で突く紫音に、白哉は『もしや』と眉を顰める。

 霊術院時代に始解を会得した白哉は、既に“卍解”会得に向けて鍛錬を開始していた。死神の斬魄刀戦術最終奥義と呼べる卍解の会得は、習得すれば須らく尸魂界の歴史に残るほどの偉業と為し得る。そしてなにより、卍解を会得していることは、護廷十三隊の隊長になる為の必須事項ともいえる事象だ。いずれは自身も祖父・銀嶺のように隊の者達を引き連れる者になりたい―――しかし、少々焦り過ぎているのだろうか。

 才ある者でも、習得に十年の歳月を必要とし、更にそこから扱い慣れるまでに十年を必要とする。それほどまでに強大な力なのだ、卍解は。

 

 

 

―――大いなる力を持つ者が、それを使いこなす為何を最も必要とするか

 

 

 

 銀嶺の言葉が、頭の中で反芻する。

 力だけが成長するのではいけない。それを扱うに足りるだけの、強い精神・肉体が必要となってくる。

 理解していても、白哉も時折忘れてしまいがちだ。

 

 昔、ある死神が居た。その死神は、その場から一歩も動かずして、屈強な男の肉体をズタズタに斬り裂いたと伝えられている。

 誰にも見えぬ刃―――飛び道具か何かだろうか? それを扱う彼に、いつしか護廷隊士は『鎌鼬』の異名を付けた。

 

 一方白哉の千本桜は、刀身が桜の花弁の如く千の刃へと散り、相手を切り刻む斬魄刀だ。一歩も動かずして相手を一塊の肉の塊にし得るだろう千本桜を持つ白哉を、ある古株の死神は『鎌鼬』足り得る力を持つ死神だと謳う。

 しかし、白哉はそれを認めていない。聞けば、その『鎌鼬』とやらは稀代の大罪人として真央地下監獄に収監されていると言うではないか。そんな大罪人が冠していた異名を受け継いで燥ぐ程、自分は単純ではない。

 

 重要なのは、それらの強大な力を何が為に行使するか。

 

 自身は、護廷が為に千本桜を―――そして、その卍解を扱おうと思っている。だが、始解を最近覚えたばかりであるにも拘わらず、もう卍解に手を出そうなど、幾らなんでも逸り過ぎではないか。

 

 大いなる力は、高潔な理性の下で扱わねばならない。

 

(私は少し、逸り過ぎていたかもしれぬな)

 

 紫音はそれを気付かせてくれたのだろう。始解もまだ会得していない彼の言葉であるからこそ、じわりと心に染み入る言葉であった。

 

「……済まぬ」

「何を謝っているのかは知らぬが、牽星箝を選ぶなら早くしてくれ。女は長い買い物が好きだが、だというのに男には早急に品を決めることを求める。今の内に慣れておけ」

「……貴様は男だろうにっ……」

「『女の気持ちを分かってやれる』と言ってもらおうか」

 

 ニヤニヤと微笑みながら急かしてくる紫音に、白哉はピクピクと頬を引き攣らせ、肩を震わせる。

 

―――ああ、彼奴との関係はこれからも変わりそうにない

 

 白哉はそう思いながら、牽星箝選びに戻るのであった。

 


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