紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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五話

「コンニチハ。鬼道衆副鬼道長・有昭田鉢玄と言いマス。握菱大鬼道長が急用で来られなくなったので代わりにと頼まれて来マシタ」

 

 何者だ、この人物は。

 それが第一印象であった。

 

 月に数度ある鉄裁との鬼道レッスンであったが、今日やって来たのは恰幅のよい大男。若干訛った喋り方をする男性は、鉄裁に続く鬼道衆のトップである有昭田鉢玄という人物だ。

 攻撃用の“破道”と防御・補助用の“縛道”の内、後者を得意とする彼は、紫音に対して物腰柔らかな態度で熱心に指導をしてくれた。

 

 真央霊術院において、未だにギリギリといったところで鬼道は白哉に勝っている紫音。このままでは彼が卒業するまでには抜かれてしまうのではと、焦燥を覚えていた時期だ。紫音はどちらかといえば破道の方が得意。縛道のエキスパートである鉢玄に指導を貰えることには、内心僥倖であったと喜んで指導を受けていた。

 霊術院で学べるのは中級鬼道―――番号で言えば、七十番台までだ。それ以上は上級鬼道とされ、それらを学ぶ為には各隊に設置されている図書館に仕舞われているであろう書物を以て各自で学ばなければならない。というのも、上級鬼道は扱いが非常に難しく、発動者自身にも危害が高い為、席官以上でなければ読んではいけないとされているのである。

 時折、鉄裁にこっそりと上級鬼道を習っている紫音は、破道だけに関しては完全詠唱であれば、『安全に』繰り出すことはできるようになった。だが、縛道は中級鬼道も怪しい腕前。

 

「縛道の六十二・『百歩欄干(ひゃっぽらんかん)』!」

 

 掌から出現させた光の柱を的に向かって放り投げる紫音。普通であれば、ここから無数に分裂し、相手を縫い付ける様に突き刺さっていくのだが―――。

 

 ガスッ

 

 分裂せず丸々一本、的を貫いた。

 

「……申開きようも無いとはこのこと」

「そんなことはありまセン。地道に頑張っていきまショウ」

 

 がっくりと肩を落とす紫音を励ます鉢玄。

 その後、鉢玄の熱心な指導もあってか、最終的に五本程度に分裂するようにはなった。少なくとも二十本には分裂させたいところであったが、思った以上に霊圧を消費してしまった為、二人は一度休憩に入る。

 二人しか居ない鬼道演習場に座り込み、用意した茶と茶菓子を食べながら、暫しの休憩に楽しむ。

 

「ふぅ……落ち着きマス」

「ええ。矢張りお茶はいいですね」

 

 茶を啜りながら呑気に日和見をする。

 

「そう言えば紫音サン。どの隊に入るのかは決めたのでショウか?」

「お気が早いようで」

「アハハ……鉄裁サンに、訊いておいてくれと頼まれたものデシて」

「……私は鬼道衆に入ろうと思っております」

「オオッ、それは嬉しいデスね!」

「大鬼道長殿は、恩に報いる為に日々精進なさっていると仰られておりました故、私も大鬼道長殿の恩に報いるため」

 

 フッと柔らかい笑みを浮かべて、鬼道衆に入る決意を公言する紫音に、鉢玄も嬉しそうに目を細める。

 

「鬼道衆も楽ではありまセンが、やりがいのある職場デスよ」

「それは楽しみです。それと……副鬼道長殿、お一つ窺ってもよろしいでしょうか?」

「ハイ? 私に答えられることなら……」

「副鬼道長殿は斬魄刀をお持ちで?」

「それはモチロン。デスが、使うことはほとんどありませんね。鬼道衆の我々が現世に赴いて魂葬をすることも無ければ、戦闘では専ら鬼道を使いマス。なので使い機会は皆無といったところデショウか……どうしてそのようなことを?」

「いえ。ちょっとした知り合いに、斬術が苦手な者が居りまして。彼女は鬼道衆へ配属希望を出していたようなのですが、実際は護廷隊に入ったのです」

「ホウ」

 

 少し前に知り合った少女の話題を振る。

 どの組織・隊に入るかなど曖昧に考えていた紫音であったが、彼女の話を聞いた時に、はっきりと鬼道衆に入りたいと決意した節があったのだ。

 

「彼女は斬魄刀を持っていないにも拘わらず護廷隊に。対して私は斬魄刀を持ちながら鬼道衆に入りたいと思っております。いずれは始解も習得したいとも考えております。そう思うことは変でしょうか?」

「……ナルホド。“適材適所”についてデスか」

 

 人には得意不得意がある。そして適当な職もある。

 効率を求めるのであれば、鉢玄の言う適材適所のように、人の能力や特性を評価してふさわしい地位・仕事をつけるのがよいのだろう。

 だが、現実はそうではない。人には『こうしたい』、『こうなりたい』という意志がある。それを蔑ろにしてしまえば、組織に対しての不満が高まり、効率とは程遠い状況に陥るやもしれない。

 人間の難しいところだ。

 

 鬼道衆の者は、斬魄刀を持っていても解放できないのが大多数だ。更に言えば、斬魄刀を所持すらしていない者も居る。

 そのような者達が大勢いる中で、斬魄刀の解放を試みようとするのは如何に。

 それが紫音の問いだ。

 

 『ウ~ム』と唸る鉢玄は、肉がたっぷりの顎に手を当てて思慮を巡らす。自分も斬魄刀の解放は会得していない。

 しかし、その分鬼道が得意だったらから鬼道衆に入った。それだけと言えばそれだけかもしれない。だが―――。

 

「紫音サン。確かに貴方のコトを『変だ』というものが居ないとは限りまセン。デスが、一番大切なのは『どうあるべきか』ではなく『どうありたいか』デス」

「どうありたいか……」

「貴方が鬼道衆に入って尚、始解を会得したいというのであれば、私もそれを微力ながら応援させていただきマス」

「……有難う御座います」

 

 自身の想いを肯定されたことに、フッと胸の中が軽くなるような感覚を覚えつつ、両手の拳を床に突けて礼の姿勢をとる。

 それを見て慌てて鉢玄が『そんな大したことは言ってまセンよ』と、面を上げる様促す。

 鬼道衆の人達は、鉄裁を始め物腰柔らかな者達が多い。いつか自分もこのような方々になれたら、と紫音は心の奥底でひっそりと決意する。

 すると突然、鉢玄が神妙な面持ちで呟いた。

 

「斬魄刀……デスか。フム……」

「……どうかなされたのでしょうか?」

「鬼道衆にもそろそろ変革が必要なのデハ、と思いマシて」

「変革、ですか」

「ハイ。数年前に技術開発局という組織が発足したのはご存知デショウか?」

「確か、大鬼道長殿のご友人である浦原喜助十二番隊長が創設なされた、とは聞いておりますが……」

 

 技術開発局―――数年前、零番隊に昇進した曳舟桐生元十二番隊長の後任として就いた浦原が、勝手に創設したのが技術開発局だ。その名の通り、尸魂界に役立つ技術を開発していく組織であり、義魂丸や義骸、伝令神機など、その活躍は多岐に渡っている。

 

「その技術開発局では、鬼道衆無しで空間凍結を施す技術を開発中とのこと。数十年後には、既に実用化されると言われているのデス」

「空間凍結を?」

「ハイ。死神の殉死率が最も高い組織は、一に隠密機動。二に護廷隊。そして三つ目に鬼道衆となっているのは知っているデショウ。そして鬼道衆の殉死率の内訳を見た時に、最も被害が大きいのは現世で空間凍結を行う際なのデス」

「成程……空間凍結を施さなければならないほどの強敵の攻撃に巻き込まれて、ということですね?」

「ハイ。もし、空間凍結の技術が確立すれば我々鬼道衆の負担が減るというものデスが、その分個人に求められる技量が増えてくると思うのデス」

 

 技術の革新。それは人にとって喜ばしいことではあるが、労働者もそうであるとは限らないということだ。必要ない人件費は削減されるのが世の常。

 

「幸いなのは、死神は何時の時代も人手不足ということデショウかね」

「由々しき事態だと思われますね」

 

 ズズッと茶を啜り語る二人。

 年齢と体格の差を感じさせない会話の内容だ。雰囲気がしんみりとしてきたところで、茶で潤った唇で動かして紫音が語る。

 

「ですが、そんな時代になってきたからこそ、副鬼道長殿の先の言葉が胸に染み入るのでしょうね」

「……いえ、何時の時代もそうなのデショウ。ただ、それを自覚できるかできまいかの違いだけで」

 

 

 

 ***

 

 

 

 真央霊術院の授業において、一大イベントと呼ばれるものがある。それは現世に直接赴き、魂葬の実習を行うというものだ。生者が生きる現世に赴く、というのも勿論重大なことなのだが、それよりも院生たちの心を躍らせるのは、死神であることの象徴ともいえる斬魄刀―――『浅打』を貸出されることである。

無銘の斬魄刀である浅打は、柄尻を用いて整の魂魄を魂葬することなどを除けば、普通の日本刀のような外見をしている。しかし、そのような浅打には一つだけ重要な能力を有しているのだ。

 

それは、所有者の精神を刀に映し取り、所有者だけの斬魄刀へと進化していくというものである。ある人物曰く、『何にでもなれる最強の斬魄刀』。それが浅打だ。

 そのような斬魄刀を手にして浮足立つ院生たち。それは白哉や紫音も例外ではなく、表情には出さぬものの、心の中では自分の斬魄刀が如何なる姿になるのかと心躍らせる。

 

 正式に授与されるのは卒業後。大抵の院生は、貸出された瞬間にそれを自分の物と嬉々として腰に下げる。いずれはこの斬魄刀も、自分の魂を映し取った唯一の刀に変貌するのだと信じて。

 中には、正式に授与されるよりも前に始解を会得する者も居る。

 

 

 

 

 

―――散れ、『千本桜(せんぼんざくら)

 

 

 

 

 

 凄いじゃあないか、と褒めようかと思った。

 暇な奴め、とからかおうかとも思った。

 

 だが、実際には何の言葉も口からはではしなかった。ただ、『良かったじゃないか』と言っているような雰囲気で笑い、内心嫉妬するしかできなかった。

 

「……ふぅ」

 

 慣れない手つきで煙管を吹かす紫音。吸うことには未だ慣れていない為、口の中に煙を溜めて吐き出すだけだ。

 私室で煙管を吹かす紫音は、ユラユラと天井へ立ち上っていく煙を虚ろな瞳で見届ける。襖の隙間から風が入ってくれば、それに吹かれて形を崩してしまいそうだ。

 

 桜は散っても地面に残る。

 煙が散れば影も形も残らない。

 

 散り際の刹那の儚さは美しい。桜と煙。どちらが『刹那』という言葉に美しいかと問われれば、紫音は後者と答えるだろう。だからこそ、こうして何度も紫煙を薫らせるのかもしれない。

 傍らには、少しだけ抜身の浅打が置かれている。

 蝋燭の炎を反射させる刀身は、仏壇に奉られている刀よりは劣るかもしれないが、充分美しい見た目だ。

 

 白銀の刀身は、蝋燭の炎で橙に染まっている。

 

 

 

―――銀嶺が憎いか?

 

 

 

「ッ……」

 

 

 

―――朽木家が憎いか?

 

 

 

(……頭が痛い)

 

 

 

―――白哉が憎いか?

 

 

 

(……もう床に入るか)

 

 

 

―――私を使え。私を―――

 

 

 

(きっと私が疲れているだけだ)

 

 

 

 得も言えぬ眩暈。煙管を片付けた後、覚束ない足取りで布団の中に入る。

 原因不明の頭痛に苛まれながら、耳元で囁くように聞こえてくる声を断つように、掛布団で頭をすっぽりと覆い被した。

 

 きっと煙管で吸った煙草の所為だ。

 

 そう自分に言い聞かせて。

 

 

 

 ***

 

 

 

 次の日、白哉は斬魄刀を竹刀袋にしまいながら、紫音が住んでいる柊邸へとやってきていた。瞬歩で走れば数分の場所にある柊邸。白哉にとっては近所といえる場所にやってきていたが、現在門の前で立ち往生している。

 

「申し訳ありません、朽木白哉様。ご当主は、今朝から具合が悪うございまして、今医者の方に診て頂いているのです」

「具合……? どこが悪いのだ?」

「頭痛がひどいと……白哉様が参上なされたら、『済まない。また今度時間を作る』と伝えて欲しいと言われまして」

「そうか……相分かった。では、失礼する」

 

 応対に出てきていた侍女に一礼し、踵を返して朽木邸への帰路につく白哉。

 今日は霊術院が休みであり、二人で鍛錬にでも、と約束を交わしていたのだ。だが、いざ来てみれば頭痛がひどいと表にも出てこない。

 

(……仮病か?)

 

 一瞬、紫音が鍛錬嫌さに嘘を吐いているのかもしれないと疑った。

 

(いや、待て。だが、ここ最近彼奴の顔色は本当に悪かった)

 

 ここ数日の紫音の様子を思い出し、頭痛で寝込むような兆候が無かったかを思いだす白哉。思い当たる節は幾つもある。

 まず、顔色が悪かった。『顔面蒼白』を絵に描いたような顔の青白さだ。更に目元に隈が出来ていた為、寝不足であることも容易に想像ができた。

 次に授業中の態度。普段は真面目に教師の話を真面目に聞いている彼であったが、最近は心ここに在らずといった様子であった。斬術の授業でも、足元が覚束なくなっていて、普段であれば容易く流せるような一撃も喰らっていたような気がする。

 

(……なんだかんだで彼奴のことを見ているな、私は)

 

 何気に友人の状態を把握している自分に若干引く。

 しかし、気付いているのであれば早々に医者に診てもらうよう促すこともできたのではないかと、後悔がじわじわと胸の内にせり上がってくる。

 紫音との鍛錬の約束が無くなった今、今日の予定はフリーになってしまったが―――。

 

「何か見舞いの品でも買いに出掛けるか……」

 

 

 

 ***

 

 

 

(頭が痛い)

 

『第一にそう思った』

 

(吐き気がする)

 

『喉元まで込み上がる感覚を覚えた』

 

(いっそ、このまま眠り続ければ楽なのではないか?)

 

『病人は眠るに限る。そう思い瞼を閉じれば、屋敷ではないどこかに居た。

 無数の石柱が立ち並ぶ湖は、酷く荒廃していると感じた。罅が入っている石柱を一瞥した紫音は、得も言えぬような心痛に苛まれ、できるだけ見ないようにと目を逸らした』

 

(ここはどこだ? 確か、屋敷で眠っていた筈だが……)

 

『どことも分からぬ場所に不安感を覚えた紫音。石柱の上に佇んでいた彼は、意を決して湖へと飛び降りた。水であれば、落ちたところで泳いでどうにかなる筈。

 そのような考えを抱きながら水の中へ飛び込んだ紫音は、大きな水飛沫を上げながら水中に入る。しかし、濡れたような感覚は覚えない。水に体温を奪われる感覚さえない』

 

(本当に水なのか?)

 

『手を動かしてみる。

 だが、水の抵抗を感じることは一切ない。この世界は一体なんなのだろうかと思い、前へ前へと歩み進めていく彼は、湖の底に溜まっている石に目が留まった。

 只の玉砂利。しかし、それを見た途端、紫音は体が凍りつくような悪寒が背筋を奔るのを覚えた。

 

 深淵だ。あそこに堕ちれば二度と戻れない。

 

 浅はかな考えで水中に飛び込んだことをいまさら悔やんだ。

 更に、後悔した途端に体が濡れていく感覚が襲いかかっていくではないか。体が重い。上手く動けない。冷たい』

 

(ッ……!)

 

『先程まで何ともなかった筈なのに、突然息ができなくなったことに紫音は困惑した。

 否、元より水中で呼吸ができるというのが可笑しな話だろう。そうだ。これはまやかしなのだ。きっと性質の悪い術にでもかかっているのだろうと、瞼を閉じて必死に念じる。

 

 夢なら早く覚めろ。こんな現があってたまるものか、と。

 

 だが、無情にも紫音の体は湖の深淵へと吸い込まれていく。それを紫音は分かっていない。当たり前だ。目を閉じているのだから。

 故に、彼を救わんと一人の女が手を差し伸べた』

 

(だ、誰だ……?)

 

『突如、手を引かれる感触に瞼を開けた少年は、水面から伸びる華奢な腕を目に捉えた。

 女性の腕だろうか。水の中だというのにも分かる肌の滑らかさに、一瞬呆けてしまった。

 だが、そうこうしている内に、何者かは紫音の体を水上へと引き上げる』

「ッ……ぶはぁ、はぁっ……はぁっ……!」

『息も絶え絶えとなりながら面を上げると、そこには一人の女性が佇んでいた』

「はっ……?」

『何か物語でも読んでいるのか? そう言わんばかりの口調で喋る女に、紫音は瞠目する。すると彼女は、呆気にとられた顔を浮かべる紫音の瞳を見つめながら、こう言い放つのであった―――こんにちは、柊紫音』

 

 そう語る女の顔は、靄―――否、ノイズのようなモノが掛かっており、その容姿を把握することができない。

 彼女の存在自体は把握できる。女性であるということも分かる。だが、具体的にどのような格好をしているのかと問われれば、何とも答えられない程に女の姿はおぼろげだった。

 

 

 

『ようこそ、■■の精神世界へ』

 

 

 

 おぼろげな女は、『妖しく』『笑って』そう告げた。

 


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