紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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四話

 

「へへっ!」

「おらぁ!」

「貴様ら……さっさと掃除をせぬかっ!」

「「ひぃ!?」」

 

 竹箒を振るって遊ぶ男子たちを一喝するのは、真央霊術院生の制服である着物を身に纏う白哉だ。襷で袖をたくし上げて鍛え上げられた腕を魅せる白哉に、遊んでいた生徒達も畏怖した表情で掃除に戻る。

 

「くっくっく、教員殿よりも怖れられているのではないか?」

「ふんっ、私の知る事か」

「それだから私以外に真面に友人ができぬのではないか?」

「……言うな」

「自覚しているなら、もう少し物腰を柔らかくした方がいい」

 

 スッと後ろから歩み出てきた紫音は、鼻息を荒くして男子生徒を睨みつける白哉を宥めた。これまた竹箒を持ち、霊術院生の制服を身に纏っている。

 

 二人は現在、真央霊術院の一回生だ。春に試験を受け、難なく入学に成功した後は、特進学級である一年第一組の生徒として、日々勉学に励んでいる。

 四大貴族の倅が入学したとあって、一時霊術院は話題が絶えなかったが、三か月も経つと自然に落ち着いてくるものだ。しかし、その堅苦しい真面目な性格が災いして、少々友人作りは難航している。

 一方、紫音は幾分か白哉よりも物腰柔らかである為、白哉よりも友人の数は多い。

 

 女子ばかりだが。

 

 四大貴族に取り繕うとする女子生徒に対して応対する真似をしていたら、知らぬ内に友人が女ばかりになっていた紫音。その為、男子生徒には目の仇にされている。

 

「……学校というものは、勉学に励む場所だ。友人がさほど多く無くてもよかろう」

「いいや。学校というのは学を学ぶ場所でもあり、友を作る場所でもある。其方は一年で卒業できそうな勢いなのだ。もう少し歩みを置き止めて友人作りに励んだらどうだ?」

「そういう兄も女子としか仲良くないではないか」

「可憐な女子に目が向くのは、男として当然だろう」

「……女たらしめ」

「女が好きで何が悪い」

「大真面目な顔をして言うなッ!」

 

 真摯な表情で女好きを公言する紫音に思わずツッコんでしまう白哉。

 はぁ、と溜め息を吐いて掃除に戻る白哉であったが、『そう言えば』と振り返って紫音の顔を見つめる。

 

「兄は、座学の試験で一番の成績だったそうだな」

 

 霊術院に入ってからは、相手のことを基本的に『兄』と呼ぶようになった白哉は、定期的に行われる試験についての話題を振った。

真央霊術院では、死神の基本戦術である“斬拳走鬼”の他に、死神として覚えなければならない知識に関して学ぶ座学や、戦闘負傷時の応急処置の為の回道についても学ぶ。その中でも紫音は、座学が飛び抜けて優秀であった。

 

「しかし、最初の試験では私と変わらぬ程であったのに……一体どうしたのだ?」

「あぁ、それか。大鬼道長の勧めで真央図書館に通い詰めてな。色々書物を読み漁っているのだ」

「成程、それでか……」

「其方に勝る科目は座学と鬼道ぐらいしかない。だが、鬼道は辛うじて勝っている程度だ……ならば、『座学だけでも』と思うのが普通であろう?」

「ううむ……私も座学の方に力を―――」

「止めろ。私の数少ない其方に勝るアイデンティティを奪うな」

「……負けず嫌いめ」

「其方もだろうに」

 

 ピリピリと緊迫した空気を醸し出す二人。

 斬拳走鬼については、鬼道とそれに分類される回道のみ、紫音が白哉よりも勝っている。それ以外は白哉が学年を通して一番をキープしている為、生来体がそれほど強くない紫音などの追随を許さなかったのだ。しかし、一年に渡る白哉との鍛錬に伴い、中の上程度に成績が収まっていることは、二人の友人付き合いの賜物と言うべきだろう。

 だが、白哉の鍛錬に付き合わされた結果、毎晩筋肉痛に苛まれて悪夢にうなされたのは、友人付き合いの弊害であった。

 

 ジッと睨みあう二人であったが、話題を戻すように紫音が妖艶な笑みを浮かべて口を開く。

 

「そう言えば白哉。其方は成績が素晴らしくて、一年以内に卒業が見込まれているようではないか。数年前に志波海燕殿が二年で卒業し、また数年で其方のような逸材が現れる……霊術院にしても護廷隊にしても、嬉しいことだろうに」

「……まだ決まった訳ではない」

「まあそう言ってくれるな。私はしっかり六年かけて卒業するつもりだが、今年卒業するであろう其方に一つ情報を伝えておこう」

「……情報だと?」

 

 指を立てて、白哉の耳元で囁くように話を続ける紫音。随分と甘い声で話すが、白哉は慣れている為、さほど嫌そうな顔をせずに聞き手に回る。

 

「真央図書館では、年間の貸出冊数が一定数を超えていると、名誉会員の称号が送られるらしいのだ」

「ほう。何冊程度だ?」

「千だ」

「せッ……!?」

「千だ」

「二度言わんでもいいッ!」

 

 三百六十五日で千冊を借りなければ手に入らない称号。労力と名誉が釣り合っているのだろうかという疑問が浮かぶが、それよりもまず、その途轍もない数の本をいまさら借りるのが億劫になってくる。

 一月に大体八十を超える本を借りなければならないのだ。『貸出』というのだから、特段全頁を読まなくともよいのだろうが、『それでも』だ。

 

 白哉が呆気にとられて『千……千か』と呟いている隣で微笑を浮かべる紫音は、『私も将来的には名誉会員になりたいと思っている』と豪語する。

 

「一日三冊で、一年で千は自然と超える。それほど難しいものではないと思うぞ」

「……私は遠慮しておこう」

「そうか。私も最初は無理だとばかり思っていたが、興味のある本であれば自然と借りて呼んでしまうものだ」

「兄が呼んでいる本とはなんだ?」

「最近は専ら鬼道や回道の本だが、時折小説なども呼んでいる」

「小説?」

「恋愛小説だ」

「女子か、貴様は」

「別に私の趣味なのだからいいだろう」

 

 容姿、私服ときて、嗜好まで女に染まりつつある紫音に、複雑な心境になる白哉。

 だから女子の友人が多いのだろうと考えたところで掃除に戻る白哉であったが、二人が話している内にまたもや竹箒を振るって遊んでいる生徒の姿に、拳を握りプルプルと体が震え始める。

 

「おのれ等ッ……!」

「まあ落ち着け。長いモノを持ったら振り回したくなるのが男児の性だろう」

「なんだ、その理論は」

「かくいう私も、竹箒などの長物を持ったら振り回したくて堪らなくなるのだ」

「止めろ、品が無い」

「授業に棒術でもあればよいのだがなぁ」

 

 しんみりとした様子で言い放つ紫音。

 もし、いずれ彼は斬魄刀を持って解放する時は、槍のような長物の形状になるかもしれない。

 斬魄刀は所有者の精神を映し出す鏡でもある。所有者が普通の刀よりも槍を好むのでれば、斬魄刀もそれにしたがって槍に変形するかもしれない。

 

 簡単な推測であるが、白哉は友人の斬魄刀のことを考えつつ、自分がいずれ手にする刀がどのような姿になるのかと思いを馳せるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 清掃の時間も終わり、放課後。

 普段は六番区の東側に立ち並ぶ邸宅に共に帰る白哉と紫音であるのだが、今日は係の仕事も相まって、白哉は先に帰っていた。

 一人、下駄箱に入っている草履を手に取り、早々と真央図書館に向かおうとする紫音。

 そんな彼の横を、院生の着物を纏う男子二人が通りがかった。

 

 

 

 

 

「―――朽木の腰巾着が」

 

 

 

 

 

 聞こえるか聞こえない程度の小さな呟き。どちらが呟いたのかさえ判らないが、紫音は一瞬動きをピタリと止めた後、少ししてから動き始めた。

 あの程度の罵詈雑言、流すことができなければ白哉が卒業するまでやっていけないことだろう。

 

 実力が限りなく同格というわけでもなく、白哉に好敵手とされる弊害は、心無い陰口という形で紫音の心を蝕んでいく。

 

(霊術院というのも、案外居心地が悪いものだな)

 

 憂鬱を溜め息で外に吐き出そうとする紫音であったが、心中の靄が晴れることはない。

 陰口を叩かれたことは一度や二度ではない。辟易する程度には耳にした。

 

 四大貴族を共にする弊害がこれということなら、あの時の銀嶺の申し出を断っていたかもしれない。だが、今更彼との関係を清算しようもなく、白哉にはこのことを隠しながら友人として付き合っている。

 彼にこのことを告げれば、友人を罵られたことに業を煮やし、罵詈雑言を口にした院生を片っ端から矯正しに向かうかもしれない。分家の当主如きの自分に、宗家の倅を動かす訳にはいかない―――というよりも、彼を制止する労力を考えれば、必然的に心の内に鬱を秘めるというのが紫音の選択となった。

 

(図書館で本を読んでいる方が心落ち着く……)

 

 真央図書館に辿り着いた紫音は、適当な本を一冊手に取って、パラパラとページを読み進めていく。

 

 字が綺麗だ。

 言葉が華やかだ。

 文章が嫋やかだ。

 

 鉄裁の指導の賜物か、本を読んでいる時は自然とその世界にのめり込めていく。淡々と文章が頭の中に入っていき、文字が立ち上がり、世界が広がっていく感覚。

 目を閉じれば、脳裏に出来上がった世界に自分が一人ポツンと佇んでいるような感覚さえ覚える。

 

 視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚―――知覚が本の中に放り込まれたような感覚が堪らなく好きになってしまっている。

 誰にも邪魔されない自分一人の空間。

 

 燦々と太陽が輝けば、眩しいと目を細める。

 小鳥が囀れば、心地よいと耳を傾ける。

 花の香りが風に運ばれれば、爽やかな甘い香りにウットリとする。

 更に風に吹かれて散った花弁が、吸い込まれるように手の中に舞い込み、柔らかな寒色を確りと感じる。

 そして、何時の間にか切り株の上に用意されていた湯呑を手に取って、中に入っていた玉露を口に運ぶ。

 

(あぁ……ずっとこのままで―――)

 

 

 

 

 

『―――紫音』

 

 

 

 

「はっ……」

 

 何かに呼ばれたような気がした。

 ハッと我に返って瞼を開けて周りを見渡しても、誰も紫音のことを呼んでいるような様子の者はいない。

 誰が呼んでいたのか思慮を巡らせようとする紫音であったが、声の主よりも気になる者を見つけた。

 

 腕を小刻みに振るわせながら、必死に書架の上の方にある書物を手に取ろうと奮闘する少女。明らかに紫音よりも歳が低そうに見える少女であったが、見に纏っている着物はどこからどう見ても死覇装だ。

 これぐらいの歳で死神など余程才のある人物なのか、と感嘆の息を漏らす紫音であったが、このまま彼女を放っておくわけにはいくまいと、少女が手に取ろうとしている書物をヒョイっと手に取る。

 

「これか?」

「は、え……? あッ、ありがとうございます」

「いや、礼には及ばぬ」

 

 少女が振り向けば、その可憐な容姿が目に入ってくる。

 眼鏡を掛けている少女は、紫音が手渡した本を大事そうに腕の中に抱え、腰を四十五度曲げてお辞儀をした。手に抱えている本には『鬼道ノ極意・破』という安直な題名が刻まれている。

 

「あのう……」

「む?」

「差し出がましいのを承知でお願いしたいのですが、出来ればその本も……」

 

 そう言って少女が指差す先には、『剣乃道』という本がある。ヒョイと手に取って、ぱらっと中身を一瞥すれば、剣術について基礎的なことが書かれているのが分かった。

 死神であれば、霊術院時代に剣術を叩きこまれた筈だが―――などと思いながら、柔和な笑みを浮かべて書物を手渡す。

 

「かたじけないです」

「私は本を取っただけ。それほど礼を言われる立場でもない」

「いえ、八番図書館の整理を任されている身でありながら、あのような無様な様子を見せて恥ずかしい限りです」

「八番図書館を……?」

「はい。八番隊の伊勢七緒と申します。一応、この真央図書館の名誉会員でもあります」

「……名誉会員」

 

 あの年間千冊を借りなければ与えられない称号を手にしている少女。

 

「本の虫、か」

「まあ否定はしません。趣味は読書ですから」

「尊敬する、伊勢殿。余程本を愛してなければ、年に千もの数を読むことはできぬもの」

「貴方も本はお好きでしょうか? えっと……」

「ああ、申し遅れた。柊紫音。真央霊術院一回生だ。本はそれなりに好きなつもりだ」

「成程。柊さん、立ち話もなんでしょうに。お互い、本を持って席に座りましょう」

「かたじけない」

「ささっ、此方に」

 

 見た目に反して丁寧な物言いの少女―――伊勢七緒。

 先程紫音に取ってもらった本の内、特に『剣乃道』を熱心に目を通しながら、向かい側の席に座って鬼道の本を読む紫音と話をする。

 勿論、図書館であるが故に、それなりに小声で、だ。

 

「柊さんは鬼道がお好きなのですか?」

「好き……と言うよりかは、斬拳走鬼の内で最も得意と言ったところか。他が並みである故、必然的に他よりも得意なものに興味が移ってしまう。そう言う伊勢殿は、斬術が?」

「いえ、私はその……斬術が壊滅的なので、少しでもマシになればと……」

「ですが死神ということは、伊勢殿は霊術院を卒業なされたのだろう? ならば、それなりに扱えるのでは……」

「いえ、私は本当に斬術が駄目で、卒業後は鬼道衆配属を希望していたのですが、八番隊に……」

 

 どうやら、現八番隊副隊長が無類の“読書好き”であり、定期的に隊費で本を買い漁っては、適当に本を箱にしまいこんで図書館に放り込む。その所為で八番図書館の秩序が崩壊していた為、名誉会員の称号を手にした七緒が蔵書整理にピッタリであると、八番隊に配属されたようだ。

 しかし、護廷隊ではどうにも斬術に贔屓がある。席官になるには、斬魄刀の始解を習得しているのが必須であるといっても過言ではない。

 

「だというのに、蔵書整理だけの為に私を護廷隊になどと……」

「逆に鬼道は得意で?」

「ええ。自分で言うのもなんですが、鬼道だけは他よりも飛び抜けて成績が良かったので、斬術が駄目な私でも卒業試験や入隊試験を受けることができました」

「ますます鬼道衆でないことが惜しまれる人材、と言うべきだろうか」

「……私程度の腕前の人は、探せば幾らでも居ると思われますがね」

 

 スチャリと眼鏡を指で押し上げる七緒。どこか秘書風の雰囲気を醸し出す少女に、紫音は勝手に書類仕事が得意そうだと想像してみる。

 だが、それよりも気になる事が一つ。

 

「七緒殿は八番隊に居て楽しいのか?」

「え? あ……それは……」

 

 真正面からの問いに、思わず俯き気味になって口ももにょもにょと動かす七緒。

 

「……楽しいです。勿論、悩んだり辛い時はありますけど、相談に乗ってくれる方々がいらっしゃるので。いつかは隊の方々の為に役立てるよう努力を重ねることには、とてもやりがいを感じています!」

 

 真摯な眼差しで応える七緒に、思わず紫音は瞠目する。

 彼女から伝わる意気や意思は純粋であり、自分がなんとなしに斬術や白打を学んでいるのとは比べ物にならないと思った。

 

 ああ、これも才がないことに対してのコンプレックスがあるからこそ、か。

 

 自分も彼女ほど斬術に才がなければ、もっと本気になって学ぼうと思えたのだろうか。

 若しくは、せめて鬼道だけでもと、もっと鬼道の鍛錬に身を入れていただろうか。

 “惰性”で鬼道を学んでいるのか―――。

 

 

 

 

 

『違うだろう?』

 

 

 

 

 

「ッ……!」

「……どうなされました?」

「……いや、後ろから声を掛けられた気がしてな」

「誰もいらっしゃいませんよ?」

 

 後ろを振り返っている紫音に釣られ、身をピョコッと乗り出して確認してみる七緒。だが、紫音の背後には人一人居ない。

 

「……疲れていらっしゃるのでは? 今日はお早めに就寝なさることをお勧めしますが」

「ああ、そうさせていただく」

「慣れない学院生活では、知らぬ内に疲労が溜まってしまうものです。お体にお気をつけて下さい」

「済まない。では、失礼……」

 

 そう言って席を後にする紫音は、パパッと手にした本の貸出手続を済ませた後に、帰路についた。

 今日、何度か頭に響いた声の主がなんなのかを考えつつ。

 

 

 

 因みに、これを機に七緒と読書友達になったのは、また別のお話。

 


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