紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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三話

「君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ。真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ」

 

 一言一言を集中しながら唱える紫音。その瞳が捉える先に在るのは、木で作られた一つの的だ。

 それを狙って掌に霊力を集中させていき、詠唱を完成させると、身体中の力が掌に集まるような感覚が身を襲う。

 

「―――破道の三十三『蒼火墜(そうかつい)』……っ!?」

「むっ、イケません! 紫音殿!」

 

 次の瞬間、右掌に収束していた霊圧が暴走し、紫音の体を青い爆炎が包み込んだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 シュルシュルと包帯を腕に巻く音が響く。『蒼火墜』の暴発に伴う火傷を負った紫音であったが、比較的軽微な怪我で済んだ。それも、今目の前に佇んでいる男性のお蔭だろう。

 

―――鬼道衆総帥・大鬼道長 握菱鉄裁

 

 以前、夜一に勧められた鬼道衆のトップである男だ。眼鏡とたっぷりとたくわえた髭がトレードマークの男性であり、礼儀を重んじる男性であるというのが紫音の第一印象。

 夜一に大恩があると口にする彼は、彼女の頼みを引き受け、赤の他人である紫音の為にわざわざ時間を見つけて指導に来てくれているのだ。感謝してもし切れないというのはこのことだろう。

 しかし、最強の鬼道使い手ともあろう大鬼道長の指導を受けても尚、三十番台の鬼道を暴発させる始末。

 

「申開きようもないとはこのことです」

「誰も最初から上手くいくとは限りらないもの。根気強く続けていきましょう」

「いえ、大鬼道長殿の指導を受けてこの有様……穴があれば入りたい心境です」

「省みる意気があれば良しです。私の指導の問題もありましょう」

「……そんなことは」

「しかし、怪我をしていてはこれ以上続けるのは厳しい筈。休憩に致しましょうぞ」

「……はい」

 

 どうにも後ろ向きな思考に陥って来てしまっている紫音の為、休憩に入る鉄裁。失敗はなににも付き物だが、後ろ向きな心境のまま鍛錬を積み重ねたところで、技術が向上するわけがない。

 指導し始めてから早三か月。良くも悪くも平凡は腕前な紫音は、今の所二十番台までの鬼道しか扱えない。

 余り高望みはするべきではないと考えていながらも、自分が指導するのだから、折角であればもう少し同じ年頃が扱う技術よりも上を目指していきたいところだ。

 

(後進を育てるのも我々の役目……夜一殿。貴女に託されたこの少年を、いずれは立派な鬼道の扱い手に育ててみせましょうぞ!)

 

 因みに、最初見た時に紫音を女と見間違えたのは、言うまでもないだろう。

 それは兎も角、縁側に腰を掛けて一息吐く二人。悩ましげな色を見せる少年に対し、どのような言葉を掛けるべきか思慮を巡らす鉄裁は、『う~む』と暫し唸る。

 息子を持ったことがない鉄裁は、紫音ほどの年頃の少年がどのような話題を好むかすら分からない。

 

 実に困ったものだ。気まずい時間だけが過ぎていく。

 

「―――大鬼道長殿。少しよろしいでしょうか?」

「どうなされましたかな?」

「大鬼道長殿は、鬼道の詠唱を唱える際のコツはなんなのでしょうか?」

「詠唱、ですか」

「はい。私は詠唱を間違えないようにと考えているばかりで、もしかすればそれが暴発の原因になっているのではないかと……」

 

 彼なりに鬼道に対して思慮は巡らせているようだ。

 成程。鬼道の達人ともいえる自分と紫音では、詠唱を詠む際に考えていることが全く違うのだろう。そもそも、鬼道には“詠唱破棄”と呼ばれる高等技術があり、鉄裁程の鬼道の使い手にもなれば、全ての鬼道を詠唱破棄で十分な威力を発揮することができる。

 しかし、詠唱とは鬼道を発動する際の霊力を安定させるという役目があり、具体的な術のイメージを浮かべる為にも必要なのだ。

 

 初心に立ち返り、鬼道の詠唱を唱える際のコツを今一度考えてみる鉄裁。

 

「そうですなぁ……詠唱を唱えるというよりも、詩や唄を歌うような心がけでいれば、鬼道のイメージを作りやすいと思われますぞ」

「詩や唄……ですか」

「ええ。鬼道の詠唱は、言葉に内在する霊力―――所謂“言霊”によって、内から放出する霊力を安定させるのです。ただ『安定させる』という意気ごみで唱えるよりも、心より歌い上げる方が、自ずと心の内で具体的なイメージが湧いてくるでしょう」

「『唱える』ではなく『歌う』……成程。そちらの方が楽しそうです」

「何事も楽しむことが肝心ですぞ」

 

 漸く表情を綻ばせてくれた紫音に、鉄裁の表情も和らいだものとなる。

 コツを聞いた所で早速実践したくなったのか、包帯を巻いた拳を握ったり開いたりと忙しなく動き出す紫音。

 

「むむっ、紫音殿。流石にその傷で鍛錬の続きは厳しいでしょう。暴発したということは、貴方が思っているよりも多大な霊力を消費したということ。逸る気持ちは解りますが、今日の所はこの程度で……」

「そうですか。偶にはこうして日和見しながら談話するのも粋ですね」

 

 鉄裁の言葉に、少々残念そうに眉尻を落とす紫音であったが、すぐに切り替えて休息の体勢に入る。

 

「大鬼道長殿は昔より鬼道の才はお有りで?」

「私ですか? ううむ、どうでしょう……鬼道の奥深さに気付き、我武者羅に道を極めようと鍛錬を積んでいた故、始めがどうだったかまでは……」

「それでは、大鬼道長殿のご友人に、所謂天才と呼ばれる方々はいらっしゃられますか?」

 

 一つ目とは違い、中々具体的な質問を投げかけてくる紫音。

 何か知りたいことでもあるのかと考える鉄裁は、詮索するような真似はせずに、問いに答えを返す。

 

「そうですな、夜一殿は瞬歩の天才と言うべきでしょう。他にも、浦原喜助殿と言う方が居られるのですが、彼も天才と言うべき存在」

「成程。では、その方々とはどのようなご付き合いをしておられましたでしょうか? 不躾だとは理解していますが、是非ともご教示して頂きたいのです」

 

 彼の聞きたいことは、要するに『天才との付き合い方』と言ったところか。

 周りにそういった類の人物が居るのだろうか。成程、自分の周りに他より優れた能力の持ち主が居れば、自身の力の無さに劣等感を覚えたり、その友人に嫉妬を感じ、果てには憎悪に変貌して友人関係が悪化することも無きにしも非ず。

 これは結構な難しい問題だ、と暫し思慮を巡らす鉄裁。

 

「……夜一殿は私にとって大恩人。あの方が天才であろうとなかろうと、私はその恩に報いるような立ち振る舞いをしていた故、紫音殿が求めるような付き合い方は教授できないでしょう」

「では、もう一人の方は?」

「ふぅむ、浦原殿は愉快な方でおられましてな。茶目っ気がたっぷりな方でしたが、何分奇怪な発明品を生み出す人物でして、私からしてみれば傍から見るだけで感嘆するばかり。ですが、特別これといった付き合いはしていませんでしたな」

「……そう、ですか」

「ですが、私が見ている限り、夜一殿も浦原殿も気さくな方でして、堅苦しい友人付き合いを嫌っておりました」

 

 求めていた解が出そうな雰囲気に、紫音の瞳には期待の色が嬉々として浮かび上がってくる。

 それを確認した鉄裁は、フッと柔和な笑みを浮かべて話を続けた。

 

「なにも特別なことは必要ない……ただ、一人の友人として普通に接しあう心意気。それが大切だと、私は考えますぞ」

「……成程。有難う御座います。大変参考になりました」

 

 大分穏やかな様子になった紫音に、鉄裁はホッと一息吐く。

 しかし、これだけではまだ懸念は拭えない。

 

「―――紫音殿。貴方がご友人と“付き合う”だけであればそれで充分ですが、“渡り合う”のを願うのであれば、少し話は違ってきますぞ」

「渡り合う?」

「天才とは、天性の才能のこと。生まれ持った才が他者よりも優れている者を指します。そのような者と、ありふれた才だけの……凡百の者が渡り合う為には、道は一つです」

「それは一体?」

「道を極める事。達人となることですぞ」

「達……人」

 

 物事の道を極めた者、又は奥義に達した者を、人は“達人”と呼ぶ。

 何十年という練磨を得て達することができる人の域であるが、生まれ持った才が優れていなくても―――天才でなくとも、並々ならぬ努力があればいずれ達することができる域だ。

 現世を生きる人間とは違い、数百年、数千年と生きていける死神であれば、達人となることは比較的安易になるだろう。無論、汗水のみならず血を流す程の努力の果てのあるものだが―――。

 

「……良い言葉の響きですね」

「ふふっ。言ノ葉の響きを良く感じることができるのも、今日の紫音殿の成長の一歩でしょうぞ」

 

 ギュッと襟元を握りしめる紫音。

 

 “天才”と謳われている白哉との友人付き合いは、銀嶺の頼みといえど少し心が重苦しかった。向こうが自分を一人の友人として親しく接してくれているからこそ、感じていた羨望が移り変わった嫉妬の吐き所を見つけることができず、胸の内に何時の間にやら途轍もない量の鬱憤を抱えることになっていたのだ。

 しかし、鉄裁の言葉で少々楽になった。

 彼との友人付き合いに、特別なことは必要ないこと。

 そして、彼と対等に渡り合いたいのであれば、“達人”となること。

 

 それを知ることができただけで、今日の安眠は保障されたと言えよう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「七十八ッ……七十九ッ……!」

「ほれ。腕をもっと下ろせ。だんだん肘が曲がらなくなってきているぞ、白哉」

「ならば降りろ、紫音……ッ!」

 

 その結果が今に至る。

 上衣を脱いで、引き締まった肉体美を誇る上半身が露わとなっている白哉は、背中に正座している紫音を乗せて腕立て伏せをしていた。

 滑り落ちぬよう、丁寧に座布団まで敷いて、尚且つ湯呑を持って茶を啜る紫音。

 未だかつて、これほどまでに朽木白哉を尻に敷いた(物理)者が居ただろうか?

 

「何を言っているのだ。筋肉を付ける為の鍛錬に付き合えといったのは其方ではないか」

「背中に乗れとは言っていないッ!」

「あまり叫ぶと茶が零れるぞ。熱々の茶を背中に掛けられたくはなかろう。もうすぐ百だ。辛抱せよ」

「後で覚えていろッ……くッ!」

(水出しだから、熱くはないのだがな)

 

 呑気に茶を啜る紫音。そう言えば、真面に友人を作ったことがない自分が、『普通の友人付き合い』とやらを知っている筈もなく、茶目っ気を出そうとしてみた結果が、腕立て伏せ中の白哉の背中に乗るという頓狂な行動だ。

 何気に背中に乗った紫音を振り下ろさず、そのまま腕立て伏せを始めた白哉のノリの良さにも感心した。だが、推定五十キロの重りが背中に乗った状態で続けたことはないのだろう。回数が五十を超えた所で、体全体がプルプルと震え始めていた。

 

「私も鍛錬で少々筋肉が付いたからな。初めて会った時よりは体重が重くなっている筈だ。重りにはちょうどいいだろう」

「八十五ッ……八十六ッ……」

「白哉。今は何月だ?」

「一月であろうッ……!」

「白哉。因みに今腕立ては何回だ?」

「……ッ……謀ったな、貴様ッ!!」

「くっくっく。夜一殿が其方にちょっかいを掛ける理由が分かるな。因みにさっきので八十六回だ」

「おのれッ……済まぬ、助かるぞ!」

 

 漫才のようなやり取りを交わす二人。

 経過は良好といったところなのだろうか。頭に血が上り易く負けず嫌いな白哉と、少し大人びて他人にちょっかいを掛けるのが好きな紫音。夜一曰く、『良くできた二人組』らしい。

 嬉しいような、嬉しくないような微妙な評価だ。

 

「白哉、どうだ? 中々堪えたろう」

「はぁッ……はぁッ……二度とやらぬぞ」

「其方はいずれ隊長になり得る器。この程度で根を上げてどうする」

「他人事だと思って……!」

 

 何故だろう。

 友人が最近笑みを浮かべながらズケズケとモノを言う様になっている気がする。

 

 滴る汗を拭う白哉は、紫音に手渡された湯呑に入っている茶を一気に飲み干す。余程喉が渇いていたのだろう。グビッと一飲みだ。

 次に水に浸してから絞った布で、汗に濡れた体を今一度拭う。火照っていた体も、冬の寒気と気化熱で一気に冷えていく。それから脱いでいた上衣を手渡され、これ以上体が冷えぬようにと早々に着こむ。

 中々手慣れた様子。マネージャーか何かかと疑いたくなるほどだ。

 

 白哉の鍛錬も終わって一息吐いた後、縁側に腰掛ける二人。

 最早朽木邸では定位置になってきている場所に座り込んだ二人は、冬空を仰ぎながら談話に入ることになった。

 春に会い、夏、秋と時を共にし、訪れた冬。移り変わる季節の中で、この庭の移りゆく様も眺めていた。

 

 春の華々しい栄華とは打って変わり、木の葉が落ちて寂しい雰囲気を醸し出す庭園ではあるが、それもまた一興。

 

 『栄枯盛衰』

 

 栄えるものには、いずれ衰えがやってくる。花も、家も、人も。

 ちょうど『衰』の時期に当たる今、縁側で語り合う二人はどこか寂しい気分になりながら、いつものように他愛のない会話の風呂敷を広げる。

 将来、どの隊に入るかなどは何度も話した。

 『こういう死神になりたい』や『こういう男になりたい』という成長期の少年らしい会話を。

 大人になれば盃を酌み交わし合いたいなどという願望も口にしながら、少し雲行きが怪しくなってきた空を仰ぎ続ける。

 

「……むっ? 雪か」

 

 思わず声を上げた紫音。

 雲行きが怪しくなった途端、空からはまばらに白い物体が地へ向けて降り注いでくる。ぽつぽつと庭に降り積もってくる雪を見て、ふと思ったこと。

 

「……綺麗だ」

「ああ、そうだな」

 

 紫音の呟きに同意する白哉。

 それから少しの沈黙。振り続ける雪に風流な気分を覚えていたが、紫音が沈黙を破った。

 

「なあ、白哉。私は煙管(キセル)を始めようと思うのだが」

「何故そうなる」

「大人ぶりたい年頃なのだ。白哉はどう思う?」

「……勝手に吸えばよいだろう」

「そうか。じゃあ、そうさせてもらおう」

 

 喫煙を始めたいと口にする友に、少々呆れた様子で返事をする。

 『子供には早い』と言おうかとも思ったが、自分も同じ年頃。制止する為の説得力も持ち合わせていない為、友の意思を尊重してみた。

 突拍子もない、何気ない問い。

 だがこれは紫音にとっては、それなりの一歩だった。

 

 まだ距離感を覚える友人に決断を委ねてみるという、一風変わった歩み寄り。

 

 それでも、少しだけでも歩み寄ろうとする意気。

 彼等はまだ“親友”ではないが、確かな“友人”にはなれ始めたのだろう。

 


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