紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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二十四話

 

「緋真、不自由はしていないか?」

「はい、義兄様のお蔭で」

「そうか。面と向かって行われると照れるものだな」

「うふふっ」

 

 縁側で日和見していた緋真に声を掛ける紫音。

 彼女と義理の兄妹となってから、早五年。未だ、白哉との婚儀については進展がないままだ。というよりも、ここ最近朽木家において銀嶺が当主と隊長という二足の草鞋を履く立場から身を引き、自身は隠居となって後は白哉に任せようとする動きがあった。そのお家騒動によって、婚儀どころではなくなってしまっているというのが実情だ。

 

 だが、白哉が当主となるのであれば話が早い。曲がりなりにも家において最も発言権の強い者であるのだから、多少の我儘であればまかり通るというものだ。

 彼が当主となることによって朽木家での発言権が高まったところで、分家の当主である自分が緋真と白哉の結婚を推す。宗家と分家筆頭の当主が口を出すとなれば、如何に長く家に仕える老臣と言えど、文句をグダグダと垂れるようなことはなくなる筈。

 

 尤も、そんな文句を言わせる隙を見せないが為に、緋真に四大貴族に嫁ぐに相応しい才女へと仕立てあげようと、養女に迎え入れたのだ。

 と言っても、貴族に嫁ぐ妻というものは、世間一般で知られるような妻の振る舞いはしない。掃除・洗濯・炊事などは全て侍女がやってしまう。例外として、侍女も雇うこともできない下級貴族であるのならば、それらの技術は身につける必要はあるものの、緋真が嫁ぐのは四大貴族の一つだ。

 

 もし家事を行おうとすれば『イケません、奥様! 私たちめがっ!』と侍女たちがグイグイ前へ出てくるのは目に見えている。

 と、このように家事スキルが必須ではないのに、何を緋真が学ぶのかと言えば、時折貴族間で執り行われる祭事での立ち振る舞いの仕方や、日常生活では到底使いそうにない琴などの楽器の演奏。

 

 その程度だ。

 

 最も重要であるのは祭事での立ち振る舞いであるが、それほど複雑でもない一般教養程度の所作である為、覚えること自体はさほど難しくはない。

 最悪、緋真のそこはかとない大和撫子然とした雰囲気で、どうにか圧し通りそうな気さえしてしまう。

 

(まあ、元々振る舞いは出来ていた方であったが……)

「……どうか致しましたか? どこか具合でも……」

「む? いや、早く其方の花嫁姿を見てみたいと思ってな」

「っ……そんな」

 

 ポッと頬に朱が差す。

 花婿姿の白哉の隣に並ぶ、白無垢姿の己の姿を思い浮かべたのだろうが。

 

 世が羨む才色兼備の男女が契りを交わす時。出来れば自分が彼女の白無垢を隣で眺めたかったが、今更だ。彼等が結ばれたことを祝福する第三者として、華々しい景色を見届けようではないか。

 若干、感傷的な気分になりながらも、緋真の白無垢を幻視して笑みを浮かべる紫音。

 今はもう彼女は義妹なのだ。そう思えば、一人の兄として妹の晴れ姿を祝うべきではないかと、今から既に心が躍り昂ぶり始める。

 

 本当に肉親の妹であれば、このような気分にはならないだろう。何故ならば、知り合いの死神に『妹はかわいいもんじゃないぞ』と真顔で言い放たれた為だ。遠慮が無い分、家庭内では色々と凄まじいのだろう。

 ある種、一定の距離を保てつつ彼女の晴れ姿を素直に祝えるであろうことに幸運を感じる。

 

「くっくっく……其方の白無垢姿を見れば、白哉はきっと惚れ直すだろうに。それに其方との結婚を認めない家臣共も、其方の美しさに魅入られて呆けるだろうなあ」

「お止め下さい、義兄様。私はそんな……恥ずかしゅうございます」

「謙虚なのも其方の魅力か。まあよい、婚礼の時を楽しみに待っているぞ」

「……有難う御座います。義兄様には何から何までお世話になり……」

「あぁ~、よいよい。それは今度聞こう。堅苦しいのは苦手でな」

「……はい」

 

 感謝の言葉を遮られたことで、少し残念そうに顔を俯かせる緋真。

 一週間に―――いや、一日に何度も感謝の言葉を述べようとすれば、流石に辟易してしまうだろう。しかし、それでも自身が受けた彼らの寵愛を思えば、何度礼を言ったとしても足りない。感謝と共に、罪悪感を覚えるが故の行動だった。

 そんな緋真を目の当たりにして、クツクツと喉を鳴らして笑う紫音は、『面を上げよ』と一言言い、

 

「其方を悲しませれば、彼奴が怒り狂うのでな。出来るだけ笑っていてほしい。心の底からな……」

「……はい」

 

 義兄の言葉に、今度は笑みを取り繕って応答する。

 笑う門には福来る。明るく朗らかに笑っていれば、いつか幸せがやってくる。例え今は心の底から笑えずとも、いつかは向日葵のように満面の笑みで微笑んで欲しい。

 それが叶う時があるとすれば、自分にもう一人の義妹ができた時だろうか。

 未だ消息の掴めない緋真の妹。土台無理な話かもしれないが、自分は彼女と共に背負っていくと決めている。

 

 彼女が背負っている枷は、彼女一人のものではもうなくなったのだ。共に歩んでいかなければならない夫―――白哉も背負い、また義兄である自身も背負っていくつもりである。

 例え、生涯見つけることが叶わなかったとしても、緋真一人には背負わせまい。何故ならば、“家族”なのだから。

 

 この地に俯き気味の花を咲かせる為であれば、どのような苦痛も厭わない。

 

(尤も、そのようなことは十年以上も前から決めていた事だがな)

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……副鬼道長というものは忙しないものだな」

 

 多忙な日々。やはり一つの組織においての次席たる立ち位置というものは、頭である以上の忙しなさがある。

 既に実装されている技術開発局での空間凍結技術で、以前よりかは忙しくはなくなったのであろうが、それでも溜め息を吐いてしまうほどには忙しい。乾く暇がないと言ったところか。

 

 書類仕事は勿論のこと、現場に赴くこともあれば、霊術院で講師を務めることもある。最後の仕事については、常に新入院生を確かめられる為、紫音個人としてしめしめと思っているが、身に染みて実感するのは、この多忙の合間を縫って自分に鬼道の指導をしてくれた恩人が如何に偉大であったかということ。

 これだけ忙しいというにも拘わらず、突出した才能もない、家柄の繋がり程度の関係で任された人間を指導するというのは、並々ならぬ苦労があったことだろう。

 自分であれば、不貞腐れてしまうかもしれない。

 だが、鉄裁にしても鉢玄にしても、彼らは真摯に向き合って鬼道という業の道について導いてくれた。感謝してもし切れないとはこのことだ。

 

 だからこそ、三十年以上も前の事件について、未だに信じられないという想いもあるが、時は何時でも未来へしか進まない。いつまでも彼等のことを想って立ち止まり、精進を怠れば、それは彼等の本懐の為さないところとなってしまう。

 であれば、少しでも恩人たちに報いるべく、高みを目指してみようではないか。

 この羽織に刻まれる鬼道衆の紋は只の飾りではない。いつの日か、それを証明できる時はくれば―――。

 

 若干、郷愁染みた感慨に耽った紫音は、日が沈み始めて空が赤く焼け始めた時刻の瀞霊廷を闊歩する。大鬼道長が普段威厳のない佇まいであるのだから、せめても自分は威風堂々とした佇まいを崩さず、鬼道衆の威厳を保つ存在でなければ。

 恩人たちへの想いも相まって、紫音が公事の立場で居る際の肩への力の入りようは、八番隊で席官を務めているときの比ではなかった。

 かつて鉄裁が携えていた錫杖を真似て、朧村正が封印状態である時は錫杖の形へと変化させている。主に元柳斎を真似て行ったものだが、高貴さを薫らせる紫色の羽織との組み合わせは絶妙なものだ。

 

 道行く仕事終わりの死神たちに『お疲れ様です』と声を掛けられれば、その度に笑みを浮かべて労いの言葉をかける。

 

(嗚呼、鬼道の詠唱以外でも喉を酷使することになろうとはな)

 

 しかし、その頻度によって紫音が挨拶に応える回数も加速度的に増える。

 『おつかれ』。この四文字を声に発するだけでも、それが十、二十、三十と増えていけば仕事終わりで疲弊した体に鞭打つ結果となり得るのだ。

 更に性質の悪いことに、瀞霊廷に住まうのは死神だけではない。店を営む者達も暖簾から身を乗り出して、奉仕に勤める死神達へ声を掛けるのだから、彼らの分も無視出来る筈もなく―――。

 

「おんやァ、随分疲れた顔をなさって」

「……これはこれは、京楽隊長殿じゃあございませんか」

「そういうキミは副鬼道長に昇進なんだから、立派なモンだよねェ」

 

 ふと、とある店の軒下で盃を携える京楽が声を掛けてきた。

 彼のことだ。どうせ隙を見て隊舎から抜け出し、こうして酒を飲みにでも来たのだろう。僅かばかりに御香の香りと共に漂ってくる酒気が、それを物語っていた。

 既に提灯が立ち並ぶ時間帯。彼の羽織る女物の羽織は、鮮やかな山吹色に染め上げられている。恐らく彼の頬も、そんな羽織のように朱が差しているのではなかろうか。

 そんなことを思っていれば、

 

「どうだい? 一杯」

「……酒焼けするのは勘弁です故、一杯だけ」

「いいねェ。ボク、紫音クンのそういうところ好きだよォ」

「褒められているとは思えませんが」

「はっはっは、ノリがいいって褒めてるんだよォ。ほら、ボクが奢るから」

 

 言われるがままに、軒下の椅子へ招かれる。

 渡された別の盃に、徳利から日本酒と思しき液体が注がれる。普段は食前酒として梅酒を飲む程度だが、よく京楽が執り行う飲み会では出される酒を軒並み飲み干していた。

 酒豪、とまでは言わないまでも、酒には専ら強い方だ。

 しかし、次の日になんの影響も出ないほど強い訳でもなく、飲み過ぎれば喉が酒焼けし、酷い頭痛にも苛まれる。ここ最近では忙しいのも相まって、梅酒程しか飲んでいなかった為、日本酒は久方ぶりだ。

 

 コクっと透明な液体を口に含めば、煙管で一服した時に似た苦味と、穀物を噛み締めて出てくる甘味が舌の上を這い、そのまま喉を通りぬけていく。

 だが、度重なる挨拶で疲弊した喉に酒はきつかったのか、若干紫音の眉尻が下がる。

 

「ん、日本酒は苦手だったかな?」

「いいえ、少々疲れているだけです故……」

「そうかァ、そりゃあそうだよねェ。まあ、そういうのは慣れだよ」

「そう……ですね」

 

 流石は、長年隊長を務めているだけのことはある言葉の重みだ。これがサボり癖のある京楽ではければ、もっと心に響いたのだろうが。

 

「でも、キミはウチの隊に居た時の方が息抜きがしっかりできてたかなァ」

「……は?」

「イイ大人っていうのは、仕事もしっかりできて息抜きもしっかりできる人のことを言うんだよ。今のキミは、少し張り詰め過ぎかなァ。仕事を一生懸命にできるっていうのは良いことだけど、息抜きができなきゃキミはまだまだ子供ってコトだね」

「……然れば、常日頃息抜きしかしておられないような京楽隊長殿は如何なる立場なのでしょう?」

「ありゃ、これは墓穴を掘っちゃったかな」

 

 おどけた様子で京楽が頬を搔く。

 

「組織の長が確りなさらなければ、下の者の負担も大きくなるのです。私も身を以て知りました故、隊長殿への諫言とさせて頂きましょう」

「はははっ、それっぽいことは七緒ちゃんにも言われたよォ」

 

 ということは、京楽は紫音が去った今でも七緒などの生真面目な隊士たちに迷惑をかけているのだろう。古参の者達は京楽春水という人物を熟知しているが故に、諦観しているのかもしれないが、それでは少々救いがないというものだ。

 京楽に説教できる者―――と言われたのであれば、まず始めに頭に浮かぶのは総隊長である山本元柳斎重國。そして四番隊隊長の卯ノ花烈に、十三番隊隊長の浮竹十四郎と言ったところか。

 

(ふむ……今度、浮竹隊長殿にでも頼んでみるとするか)

 

 槍術の教えを乞うた海燕繋がり。更には、京楽自身が浮竹とは長い付き合いの親友である為、紫音が八番隊に在籍している際にも何度か会った。

親友である浮竹の言葉であれば、一時でも真面目に仕事に取り組んでくれることだろう。

となれば、今度浮竹と会う機会があれば、可愛い部下たちの負担を減らすべく、彼に助けを乞おうではないか。

 

 そんな他愛ないことを、杯の上で揺らめく日本酒の甘美な味わいに舌鼓を打ちながら考えた。

 暫し、ボーっと焦点の定まらぬ瞳で、盃の中の酒を見つめ続ける。

 気付いた頃には、酒の表面に自分の顔が映っていた。それだけ辺りが闇夜に包まれていたということだろう。すぐにでも自宅の布団の中へ潜り込みたいという、自身の本音を暗示しているのではないかという程、今日の日の落ちは早い。

 すっかり瀞霊廷の街並みは、提灯の炎による鮮やかな橙色に染め上げられている。

 遠方に目を遣れば、人魂が浮いているのではないかと錯覚してしまいそうな光が、あちこちに点在していた。恐らくあれは、見回りの死神が携えている提灯によるものだ。近くで見れば何気ない提灯でも、遠くから見ればこれほどに幻想的なものなのか。

 

 また一つ、為にもならないものを覚えた気がした。

 

「紫音クン、大丈夫かい?」

「……あ、ええ。少しばかり、夢見心地でしただけ故……」

「ははっ、眠いのかい。うんうん、いいよねェ。夢見心地って」

「その通りです。現にて、夢を見れるか否かの狭間を漂うあの感覚……」

「お昼寝なんかもそうだよねェ。なんだァ、ボク達って結構趣味があってるんじゃないの?」

「……以前、伊勢殿にも雰囲気が似てると言われました。心根が同じなのかもしれませぬ」

 

 元上司と部下の、他愛ない会話。

 酒は一杯しか煽っていないものの、酔った者のような饒舌具合で言葉を並べる紫音。相手が気兼ねなく話せる者であるということも相まって、連ねる言の葉の数は増える一方だ。

 

「はぁ。私が甲斐性無しであったばかりに、惚れた女を義理の妹なぞに……」

「あぁ~、確か一時噂になったねェ。ボクも当時は吃驚したけど、惚れた女の子を妹にしちゃったのかァ。でも、どうしてかな?」

「……京楽隊長殿と同じですよ」

「ん?」

 

 突拍子もない答えに、流石の京楽も唇を尖らせるような挙動をとって呆気にとられる。

 一体、惚れた女性を義理の妹にすることのどこが自分と同じなのだろうか。既に空となった盃から香る酒気を嗅ぐ紫音は、項垂れるような体勢をとりながらこう続ける。

 

「夢見心地は今が“現”だと自覚できる。しかし、“夢”は至極であればあるほど、覚めた時の喪失感が大きく膨れ上がり、満ちていた心にぽっかりと空虚を穿つ……」

「……キミは」

「夢を見ることよりも、現実を受け止めただけです。その上で、誰かの幸せの後押しができるのであれば―――」

 

 そこまで告げたところで、途端に紫音の口の動きが止まる。

 不審に思った京楽が身を乗り出せば、すやすやと穏やかな寝息が聞こえてくるではないか。疲れているとは思っていたが、まさかこれほどまでとは。

 まさに“夢見心地”で語ってくれていた内容であろう紫音の言葉。それを受け止める京楽は、瞼を閉じて昔を懐かしんでみた。

 

「―――……成程。確かにボクとキミは、似てるのかもしれないね」

 

 思い起こすのは、まだ自分の若かりし頃。そう、今の紫音よりかは少し老けていたが、それでも今よりはずっと若かった頃だ。

 今は亡き兄の家に遊びに行き、兄嫁である“彼女”の後ろ姿を眺めながら家の屋敷に寄りかかって昼寝をしていた。

 

 嗚呼、確かにあの時の微睡みの狭間ほど、至福の時はなかった。

 

 今となっては遠い昔。そうだ、自分の髪に刺さっている二本の簪と共に託された想いも背負わず、気楽に生きていた。だが暫くして兄が死に至れば、彼が持っていた簪を託され、その後にも兄嫁の簪も託されたのだ。

 

 あの時、自身に降りかかっていた重責に覚えている姿が、どうしようもなく、今の紫音と重なっているよう京楽には見えるのであった。

 


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