紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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二十三話

「……なんだ、これは?」

「開けてみろ」

 

 ジメジメとした空気で衣が肌に張り付く一方、街行く者達が差す番傘で邸内が彩られる季節。今日もまた外でザアザアと大粒の雨が降る中、朽木邸に一人でやって来た紫音と二人で白哉の私室で話をすることとなった。

 まず始めに紫音が手渡してきたのが、少しばかり分厚い封書。

 いつでも開けることができるように―――しかし、うっかり誰かに見られないような意図が見られる封書を開け、中に入っている紙を広げれば、紙一面にびっしりと文字がつづられているのが見えた。

 

「……なんだ、これは?」

「同じ事を二度訊くな。どうせ其方のことだ。貴族の結婚の手続の知識は皆無だろう。ゆくゆくは緋真と結ばれるつもりなのだろう? それゆえ、少しばかり私の方で手続について調べてみた」

「……済まぬ」

「よいよい。其方と私の仲ではないか」

 

 そうは言うものの、紫音の浮かべる笑みはどこか黒い。まるでこうなったのであれば強引にでも結婚させようとする意思が見えてくるほどに。

 だが、恋が奥手な白哉にとっては良い後押しだ。

 有難い激励程度に受け取って、ずらずらと書き綴られた内容に目を通す。

 が―――。

 

「……長いな」

「要約した方がよいか?」

「ああ」

「そうか。では、掻い摘んで話すぞ」

 

 瀞霊廷内に居住している者の婚姻であるため、人別録管理局へ婚姻届を提出。そして護廷十三隊隊士の婚姻のため、護廷隊士録管理局へ隊士婚姻届を提出。更には席官以上の婚姻であるため、高次霊位管理局へ高霊婚姻届を。また貴族の婚姻であるため、貴族会議へ貴族婚姻届を提出する。その上、四大貴族の婚姻であるため、金印貴族会議へ婚姻認許状を、夫婦立ち合いの下、当主が提出。最後に、隊首会にて全隊の隊長・副隊長へ報告。

 要約しても長い手続に、白哉の目は途中から死んだ魚のように濁っていた。

 実際、これを理解するまでに紫音も何度溜め息を吐いたことか。

 

「全て其方がらみだ」

「……これほどとは」

「貴族は面倒だろう」

 

 四大貴族の男にわざわざ言う科白ではないが、同意するかのように白哉は頭をたれる。

 そんな様子の白哉であるが、紫音が気になることは二人の関係の進展だ。

 

「で、緋真はなんと?」

「……考えさせてくれ、とな」

「まあ悪い答えではないな。ならばいいだろう」

「なにがだ?」

「いきなり緋真を朽木の邸宅に迎え入れれば心労が多かろう。故に、まずはウチに招き入れて邸内の暮らしに慣れさせようと思ってな」

「……なんだと?」

 

 突拍子もない紫音の提案に瞠目する白哉。

 

「どういう体裁で迎え入れるつもりなのだ」

「養女でよかろう。そうだな……義理の姉……いや、妹か? そういう体で迎え入れればよかろう」

「……だが」

 

 バツの悪そうな顔を浮かべる白哉が危惧しているのは、緋真を養女に迎え入れるということが『流魂街の血を貴族の家に混ぜる』ことと同義であり、掟に触れてしまうということだ。

 彼女を妻に迎え入れたいと願っている男が感じる危惧ではないかもしれないが、それでも友の家に汚名を着させるような真似を進んで賛同できるほど、白哉は単純ではなかった。

 だが白哉がどうこう言うよりも前に、紫音がニヤリと口角を吊り上げながら続きを語る。

 

「勘違いするな。どうせ掟に触れるのだから自棄になっている訳ではない。実の妹を探しているにも拘わらず、自分だけ瀞霊廷内に嫁ぐ彼奴の心労を考えてみよ」

「それは……分かっている」

「緋真は芯が強いが繊細だ。常に陰から発せられる心ない言葉に胸を痛めつつも、其方の前では弱みを見せまいと振る舞う筈だ……が、自分の家というものがそれほど気苦労重ねる場所であっていいのか? いい訳なかろう。であれば、少しでも気苦労が晴れる様に手助けするのが私の役割というものではないか」

「……しかし」

「口答えするな。体裁でも柊家の―――貴族の養女となれば、朽木に嫁ぐ時の周りの声が少なくなろう。まあ、気休め程度かもしれぬがな。直に嫁ぐよりはマシになろう」

「……済まぬ」

「よし、話は決まったな。後は其方らの経過報告を待つのみだ」

 

 そう言って紫音は、身に纏う羽織の袖元をたくし上げながら盃に入っている酒を飲む。以前清家に贈られた薬膳酒とは違う、ちゃんとした日本酒だ。

 皿の上に少しばかり盛られた漬物を肴に語り合う二人。

 昔は縁側で茶を啜りながら菓子を食べていた仲であったが、今はこうして酒を飲みながらつまみを食べる。否応なしに時の流れというものを感じさせられると同時に、互いの付き合いの長さを思い知らされた。

 三十年来の付き合いだ。今更絶縁になることなどできようもないだろう。

 

 それは兎も角、羽織をたくし上げながら酒を口に含む紫音を、白哉が何かを問いたそうな顔で見つめる。こうなった時は十中八九紫音の方から『どうかしたのか?』と問わなければ会話のキャッチボールが始まる事は無い。故に、コクっと口に含んだ分を胃袋の中へ注ぎ込んだ紫音は、血色のよくなった顔で笑みを作る。

 

「どうかしたのか?」

「……羽織の具合はどうだ?」

「これか。うむ、ぴったりだ。着心地も良い」

「……ならば良かった」

「くっくっく、そうか」

 

 紫音が今現在身に纏っている羽織の着心地を問う白哉。この羽織は紫音の副鬼道長就任に当たって用意した一品だ。四大貴族クオリティで、使用した反物も染色の素材も超高級の品である。

 とは言うものの、銀嶺や白哉が常時身に付けている“銀白風花紗”という家十軒に勝る次元の違う値打ちの襟巻には、流石に劣る。一度紫音は白哉に『銀白風花紗は要るか?』と問われたことがあるが、その時は即答で『要らぬ』と答えた。その理由が『金に首を絞められる気分になる』という奇天烈なものであったのは、また別の話。

 

「鬼道衆では上手くやれているのか?」

「なんだ、その上京した息子に対する母親のような問いは。まあ、一度は働いた職場だ。感覚を取り戻すのにも、今の立場に慣れる時間も必要になるだろうが、上手くやっていけている」

「……そうか」

「其方は返答に色がないな。もっとメリハリを付けねば、話す方としては面白みがないぞ」

「……済まぬ」

「そうやって緋真との会話でも謝ってばかりか?」

「いや、違う……恐らく」

「……先が思いやられるな」

 

 頭に幻痛が奔るのを覚えながら、やれやれと首を振る。

 緋真と白哉が談話している光景を思い浮かべてみよう。緋真が花鳥風月を共にするような話で花を咲かせている一方で、白哉が相槌を打つ程度のことしかせず、時折問われるたびに淡泊な返答をしているに違いない。

 

(赤べこの方が、会話を盛り上げられるのではなかろうか)

 

 ずっとリズムよく相槌を打ってくれる赤べこ。鹿威しでも代用可だ。

 

「……ああ、赤べこで思い出したのだが」

「? なんだ」

「新しい大鬼道長の訛りが凄まじくてな」

 

 赤べこからの話題転換。

 新任の大鬼道長についての話に変わり、白哉も少し興味あり気な声色で応えてくれる。隠密機動とは違い、護廷隊のどこかの隊と併合されている訳でもない為、鬼道衆の人事について詳しい人物はさほど居ない。

 その為、平隊士などに至っては鬼道衆の上層部の顔を知らないなどざらにある事態となっている。

 白哉は副隊長という立場であるが、新任の顔は未だ見てはいない。いずれ、何かの機会に相まみえることになるとは思うが、何か情報は一つでも知っておいた方が良いだろう。そのまず一つ目が“訛り”についてだとは思いもしなかったが。

 

「なんというか、語尾に『べ』や『んだ』が付く事が多い」

「……方言か」

「そうだ。時折、標準語ではないであろう言葉も使ってくるので、なにを話しているのか分からなくなる時があるのだ」

「老人か?」

「いや、妙齢の女性だ」

「女性だと?」

「ああ。茶髪で、顔にはそばかすがある。赤い羽織を着ている故、一目見れば分かるだろう」

 

 具体的な外見について語る紫音。しかし白哉が気になるのは、瀞霊廷の組織にしては年功序列の気がある鬼道衆で、意外にも妙齢の女性が長に就いたということだ。尤も、死神の外見で年齢を語るのは余り当てにならない。元柳斎のように生きた年月と外見が比例している場合もあるが、卯ノ花のように他の老いた外見の者達の倍以上生きているにも拘わらず、麗しい容姿をそのままにしている者も多いのだ。

 つまり、今の大鬼道長も卯ノ花のように外見と年齢が比例していない場合だと考えた白哉。もし卯ノ花の目の前で話せば、『女性の前で歳を語るのはイケませんよ?』と般若の如きオーラを纏いながら笑みを返されるであろう。故に、本人の目の前では決して口にはしないようにと密かに心に決めるのであった。

 

 そんな白哉の内心は露知らず、紫音は『それと』と付け足すように話題を吹っかけてくる。

 

「ああ、あと事あるごとに『わや―――ッ!』と叫ぶ故、鬼道衆の者達からは『わやさん』と呼ばれている」

「……『わや』とはなんだ?」

「めちゃくちゃな様を意味するらしい。大抵、大鬼道長殿が叫んだ時はなにかしでかして助けを求めている時だ」

 

 猫が苦手なのに、大勢の野良猫に詰め寄られて『わや―――ッ!』

 

 大事な書類の上に茶を零して『わや―――ッ!』

 

 箪笥の角に小指をぶつけて『わや―――ッ!』

 

 事あるごとに『わや―――ッ!』と、衆舎に轟く悲鳴や叫び声を上げる。因みに本当に不味い事態の時は、低いトーンで『わやっ……』と呟く。

 故に『わやさん』。

 

「……舐められているのではないか?」

「まあ、一日に十度も叫べばそう呼ばれるのも無理はなかろう。それに本人はさほど気にしておらぬのだから良いだろう」

「そこまで言うのであれば、私が介在する余地はないな」

「ああ。あれでも、縛道の達人だ。日常生活で救いようのない壊滅的な様を見せても、実力があるのだから『愛らしい』で済まされるのだろうな」

 

 そう口走る紫音の瞳からは、何時の間にか光が消え失せていた。それだけで副鬼道長である彼の苦労が窺い知れるというものだ。

 サボり癖のある京楽とは一変、トラブルメーカーが上司と来た。ある意味上司に恵まれている白哉にとっては知る事ができない苦労があるのだ。

ある意味で通称『わやさん』の大鬼道長が気になってきたが、これ以上友人に気苦労をかける訳にもいかない。今日はわざわざこうして婚姻の手続について綴った封書まで持ってきてくれたのだ。ここは一つ、彼の為に少しでも労おうではないか。

 

「……まあ、飲むがいい」

「……ああ」

 

 そう言って徳利を傾けてくる白哉に、紫音は素直に空となった盃を差し出す。

 その際、影が重なる彼の目尻から一粒の涙が零れるのを見て、『本当に苦労しているのだな』と実感するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あのような他愛のない会話をしてから幾星霜。

 月の満ち欠けのループを何度眺めたことか。毎日、欠けては消え、そして再び光に満ちていく月を眺めながら紫煙を薫らした。

 

 地穿つ雨粒が降り注ぐ梅雨の季節。

 騒々しい蝉の鳴き声が木霊する季節。

 反面、凛とした音を奏でる鈴虫達が庭で屯する季節を超え、それからはしんしんと降り積もる白い氷の結晶が降り積もる様も眺めた。

 庭を白銀の世界へ染め上げた結晶が解け、地面に染み込んでいけば、今度は雪の下に隠れていたフキノトウが顔を出す。それから春が始まり、庭の桜に花が咲き誇る。四季折々を感じさせる庭園を眺めつつ、煙管で一服。我ながら贅沢な真似ができるものだと思いつつも、習慣になってしまったことを今更止めることはできない。

 

「景色を眺める分には飽きはしないだろうが、いずれは白哉の下に嫁ぐ身だ。庭の景色は向こうの方が良い眺めだからな」

「い、いえ……私にしてみれば、充分素晴らしい庭園だと……」

「そうか? まあ、手入れしているのは庭師たちだ。その言葉は彼奴等に言ってやればよかろう」

「はぁ……」

 

 未だ緊張が抜けず、強張った表情で廊下に佇む女性。絢爛―――とはいかないまでも、鮮やかな彩りに染め上げられた着物を身に纏うのは、流魂街の平屋に住んでいた筈の緋真だ。尸魂界にやって来て初めて見る庭園に心躍らせつつも、身分不相応な自分が此処に居ていいものかという戸惑いを隠せずに、そわそわと手を握ったり開いたりしている。

 

 端的にここに至った顛末を説明すれば、白哉が緋真を落とした。

 

 そのため、以前白哉と話して了解を得た“緋真を柊家の養女に迎える”という行動に出たのだ。

 無論、紫音は屋敷の者達に流魂街の者を入れることに対して諫言や批難を多かれ少なかれ受ける事となったのだが、飄々とした態度を終始一貫して屋敷の者達の言葉を受け流し、我慢勝負に勝った。恐らく『一時の気の迷いだろう』と諦めたのかもしれないが、何時から迷っているのかと問われれば既に十年以上前からとなるので、なんら問題はない(?)。

 やはり、副鬼道長になったことが幸いしたのだろう。以前よりも紫音の当主としての発言権が高まった。主に古くから柊家に仕える老臣に対しても、なんとか緋真を養女に迎えいれるよう認めさせたのだ。常日頃の苦労に見舞う権力は得たということになるのだろう。

 

「緋真、まだ落ち着かぬか?」

「はい……白哉様の妻となるに当たって、粗相がないよう貴族の立ち振る舞いを覚える為とは言え、紫音様のご厚意を受けるとは思いもしませんでしたので……」

「私も其方らが結ばれたことを祝いたいのだ。友の未来の妻の面倒を看ることなど、私にとって痛くも痒くもない」

「……有難う御座います」

「気にするな」

 

 できるだけ平静を保とうと心がける紫音。

 なにせ目の前に居るのは初恋の女性。体裁をとる為とは言え、養女に迎え入れた戸籍上の家族であり、更には友の未来の妻―――つまり人妻だ。

 そう考えると、少しばかり何かに目覚めそうにもなるが、下手に手を出せば白哉の卍解で物言わぬ肉袋にされる未来が目に見えている為、煙管で一服することによって気を紛らわせる―――煙草は入っていないが。

 

「白哉が時間をとれるかどうかにもよるが、まず一年ほどは私の家で所作を身に付けてもらうつもりだ。まあ、簡単な習い事だと思ってくれていい。あくまで其方はこの家の当主の兄妹という立場なのだからな。自分の家だと思って気楽にしてくれ」

「い、いえ、そんな……あれほど反対があったにも拘わらず私を迎え入れて下さったのですから、私も何か奉仕をしなければ―――」

「そう気負うことはない。人生、適当と妥協が肝心だ。其方は夫と似て根が生真面目だからな。所々適当に……諸所で妥協するくらいがちょうどだろう」

 

 あえて名前を呼ばずに『夫』と呼んでみれば、緋真の頬に朱が差していく。やはり彼女は白哉を愛しているのだろう。それが例え、瀞霊廷の掟に反することであったとしても、抑えきれぬほどに。

 だが、掟を破る馬鹿者たちは彼等二人のみならず、自分も加担しているのだ。

 であれば、彼等に味方するのが筋というものだろう。

 

「一時とは言え、私と其方は義理の兄妹だ。なんでも頼ってくれればよい」

「あ、えっと……」

「くっくっく、そこは『はい』でいいのだ」

「は……はい、紫音さ―――いえ、紫音義兄様(にいさま)

「……っ」

 

 久し振りに胸を擽られるような感覚。

 余りのこそばゆさに笑みが浮かぶのを止める事ができない。

 

(自分で言うのもあれだが、緋真に義兄様と呼ばれるとはな)

 

 本来望む形ではない。

 しかし、一時でも彼女と“家族”になれたことを、紫音は悦ばしく思うのであった。

 


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