紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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二十話

 

「……紫音、話がある」

「奇遇だな。私もだ」

 

 偶然休日が重なったとある日、紫音と白哉は互いに会いに行くべく家を出ていたのだが、道中でばったりと出くわした。

 悩ましげな雰囲気を漂わせる白哉の一方で、表情には出さぬもののどこか憤怒を表すかのような雰囲気を纏う紫音。いつも通り浮かべている筈の笑みも、四番隊隊長のように黒い笑みに見えてくる。

 

 思わず喉を鳴らしてつばを飲み込んだ白哉であったが、今日友人に会いに行こうと思ったのは、今の紫音の表情など些細に感じるほどの案件だ。尤も、その案件に紫音が関与していることなどは露ほども想像してはいなかったが。

 

「……表だって話す内容ではない故、此処では場所が不味い。少し場所を変えたい」

「そうか」

「……何故斬魄刀に手を掛ける?」

「気にするな。それより場所を変えるのだろう? 久し振りに朽木邸に赴きたいと思ったのだが……」

「ならば私の私室で話そう。茶くらいは出そう」

 

 徐に斬魄刀の柄に手を掛けた友人を窘めながら、朽木邸へ向けて足を進める白哉。休日である筈なのに帯刀しているとは何事か? 自分を誘って鍛錬にでも行くつもりだったのだろうかと、呑気なことを考える白哉であったが―――。

 

「……殺気を感じるのだが」

「気のせいだ。安心して前を向け」

「……相分かった」

 

 斬魄刀に手を掛けたまま、微弱な殺気の混じった霊圧を差し向けてくる紫音に違和感を覚える。果たしてここまで攻撃的な性格であったか、今迄の自分の記憶を探ってみるも、該当する記憶が見当たらない。

 もしかすれば、なにか気に障るようなことでもしでかしてしまっただろうか。

 だが、これ以上なにか問おうとしても中々質問できる雰囲気でないことを案に感じ取った白哉は、一先ず足早に話せる場所である私室へ向かう。

 

 元々二人の邸宅は近い。散歩気分で向かえる程度であるが故、相手の邸宅に向かう途中にUターンすれば数分程で戻ることができる距離だ。

 しかし、それだけの時間であるにも拘わらず、得も知れない重い空気を背に負いながら向かっていた白哉は、何時になく疲れた様相で(表情には出さないものの)草履を脱いだ。そのまま廊下を二人で歩み、『父上には会っていくか?』と問えば『後でいい』とぶっきらぼうに答えられる。

 

 なんだ、ここ最近の自分の態度の意趣返しでもされているのか。成程、確かにこのようにぶっきらぼうに受け答えされたのであれば、隊士の皆が自分と話す時に堅苦しい面持ちになるのも無理はない。

 若干、護廷隊での佇まいについて改善すべき点を見つけながらも、質素な私室へ友人を招き入れる。それほど娯楽を嗜まない白哉の部屋は、屋敷の者が内装にと用意してくれた壁紙やツボ以外はほとんど家具がない。貴族の私室は豪華な彩りに包まれているのではないかと勘違いする者も居るだろうが、“私室”なのだから住んでいる者の性格が反映される。

 つまりこれが白哉の性格が生み出した内装というべきだろう。

 

 それは兎も角、二人分の座布団を敷いて座り込んだ後は、廊下を歩む途中から付いてきていた侍女に茶を持ってくるよう頼む。

 やっと二人きりになれた空間。

 ふぅ、と呼吸を一度して緊張を解こうとした白哉は、面を上げて言い辛い内容を口に出そうとした。

 

「私が話したい内容は―――」

「流魂街での逢瀬は楽しかったか?」

「っ……!」

 

 遮られるように言い放たれた言葉に白哉は瞠目し、絶句した。

 

―――何故それを?

 

 そう言いたげな表情を浮かべる白哉は、様々な想像を頭に浮かべてみせる。もしや、流魂街の緋真に会いに行ったのを、他の貴族が差し向けた者に見られたのだろうか。そうするとなると、朽木家の家名に泥を塗るような噂を立てられてしまうのではないかと、内心で冷や汗を掻く。

 いや、待てよ。緋真と紫音には交流があることを自分は知っている。となれば、なんとなしに最も直接的にばれた理由が浮かんでくるではないか。

 

「……見ていたのか?」

「どうだろうな。其方が流魂街で腑抜けた顔をしていたのは見たが……」

(知っているな、こやつは)

 

 紫音が自分の前髪を指で弄りながらそう言うのを前に、白哉は以前緋真に会いに行った際に目撃されていたことを確信した。

なんというタイミングで目撃されてしまったのか。タイミングが悪すぎる。

しかし見られていたのであれば仕方がない。寧ろ、下手に遠回りせずに相談することができるのではないかという楽観的考えを無理やり抱き、再度口を開く。

 

「ならば話が早い。私は―――」

「私には一線を越えるな、としか言いようがない」

「……」

「そんな顔をするな。だが、そう言う他なかろう」

 

 深い溜め息を吐いた紫音は、徐に懐から巾着袋を取り出す。

 中から年季の入った白檀の煙管と紙に包まれた煙草を出した後は、煙草を煙管へ入れ、ビー玉大の『赤火砲』で火を灯した。

 軽く一服した紫音は、ふぅっと遊ぶかのように丸くなるよう煙を形作りながら吐き出す。

 

「で、他に話はあるのか?」

「……例えばもし、私が流魂街の者を妻に貰いたいと口走ったら、兄は何と言う?」

「面を貸せ」

「成程……いや、なんだと?」

「面を貸せと言った。表へ出ろ。無論、斬魄刀を持ってな」

「……相分かった」

 

 まるで十一番隊の隊士であるかのように、血気盛んな物言いで表へ出る様促してくる紫音に、白哉は仕方なしと言わんばかりな表情で私室に置いてあった斬魄刀を手に取る。

 その間、紫音はそそくさと表へ出て白哉が来るのをスタンバイしていた。

 おかしい。昔であれば、自分が彼を誘い、若干面倒臭そうな面持ちをしながらも付いてきてくれる友人と鍛錬を重ねた。今はどうだ? これから決闘と言われても違和感がないほどの威圧感を含んだ友に急かされて表へ出ていく始末。

 

 何か不味いことを言ってしまっただろうか。いや、言ったのだろう。実際、自分が訊いたことは貴族の掟に反することなのだから、戯けたことを抜かす友に憤慨しているやもしれぬという考えが浮かんだ。

 だが、実際のところは違うということを、未だ白哉は理解していない。只、無神経に彼の神経を逆撫でしてその気にさせてしまったことすら認知していないのだ。

 

梅雨の時期に湿気で身に纏う衣服が重くなるような―――そんな重苦しい空気のまま紫音が向かう場所へ向かう。既に先程侍女に茶を頼んでいたことも忘れてしまうほどに。

 石畳の道を突き進んでどれだけの時間が経ったのだろう。

 少し日も傾き始めたと自覚した頃に、二人は六番隊舎裏の修行場に居た。

 木枯らしは騒々しく枯葉を巻き上げ、同時に佇む二人の死神の長髪も靡かせる。只ならぬ雰囲気。

 何をするのかも知らされず連れてこられた白哉は、耐えかねて口を開いた。

 

「……なんの為にここまで連れてきた?」

「刀を抜け」

「なに?」

「久し振りに手合せ願おう」

「……良かろう」

 

 反論を許さぬ冷たく重い口調に、白哉も端的に応えて斬魄刀を抜いた。

 時を同じくして斬魄刀を抜身にする紫音は、斬魄刀を片手で構える白哉を一瞥して一笑した後に、鋒を相手に向ける。

 

「破道の三十一・『赤火砲(しゃっかほう)』」

 

 直後、鋒に紅蓮の火球が生まれ、周囲を赤く照らし上げながら白哉の下へ奔るではないか。だが、所詮は三十番台の鬼道。幾ら席官の鬼道と言えど、副隊長である自分が焦る道理はない。

 すぐさま左手を翳し、迫りくる赤い火の玉を崩すべく霊力を込める。

 

「破道の三十三・『蒼火墜(そうかつい)』」

 

 紅蓮の火球に相対すは蒼い爆炎。

 頭大の火球を呑み込むかの如く放たれた『蒼火墜』を放った白哉は、続く攻撃に備えるべく細心の注意を払って身構える。先程の爆発による焦げた臭いが鼻をくすぐるが、圧倒的な集中を前にしては些細な事象だ。

 木枯らしに巻かれる煙を一閃し、視界を明瞭にすれば、真っ直ぐ先に佇む紫音が未だに斬魄刀を構えているのが目に見えた。

 

 向こうから来ないのであればこちらからと、踏み込もうとする白哉。

 そんな彼に向かって鋒を向ける紫音は、徐に斬魄刀を空へ掲げて唱える。

 

「破道の四・『白雷(びゃくらい)』」

 

 一条の光線は空へ駆ける。

 そのまま行けば、宙を駆け、ゆくゆくは雲を貫いた後に霧散するだけだろう。

 しかし次の瞬間、空から一直線に降ってくる霊圧を感じた白哉は、僅かに体を捻った。

 

「っ……!」

 

 左足に僅かに感じる焼けたような痛み。今まさに駆け出そうとした白哉の左足に掠った光線は、違うことなき先程紫音の放った『白雷』であった。

 一体どうやって?

 そう問うかのように瞠目した白哉が捉えたのは、法悦とした笑みを浮かべる友の顔。

 

―――迂闊とは言われないか?

 

 煽り立てるかのように、言の葉は発さず口の動きだけで伝える彼に、僅かばかり腹が立つ。だが、問題なのは紫音の攻撃方法。空に放った筈の『白雷』が、何故白哉目がけて落ちてきたのか。

 『白雷』が放物線を描いて落ちてくることなど耳にしたことも無い。尤も、『白雷』の特性を鑑みればあり得ない事象なのだ。

 

(……いや、待て)

 

 肌に触れる場の空気に違和感を覚えた白哉。

 そんな彼の目の前には、再び空に鋒を向ける紫音が佇んだままであり、今まさに鬼道を放つところだ。

 

(既に始解しているのか……)

「明答」

「っ!」

「だが、朧村正はあくまで幻覚を視せる能力……霊圧まで誤魔化すことはできはせぬ」

 

 白哉の思考を読み当て、尚且つ否定を突きつける。

 すると紫音は空に掲げていた斬魄刀の鋒を、徐に白哉の頭部目がけて構える。

 

刹那、閃光が瞬いたと思えば再び発射された『白雷』が戦場を疾走した。一直線にしか進むことのできない霊圧の光線―――貫通力を生むという強みを生みながら、軌道を読まれやすいという欠点を持つが故、鬼道の中でも行使することの多い白哉はすぐさま対応する。

頭を少しばかり傾け、紙一重という距離で『白雷』を躱す。

 

 問題はこの後。既に始解しているということになれば、今見えている紫音の刀剣は千鳥槍に変形している筈なのだ。つまり、封印状態の間合いで動けば確実に斬撃を喰らうことになる。

 ならば少し接近したところで千本桜を解放するのが無難か―――そう思った時だった。

 

 背後から疾走してくる霊圧を覚えた瞬間、右手に痛みが奔る。

 

「破道の一・『(しょう)』」

「っ……!」

 

 手首が焼かれる痛みと同時に、殴られたかのような衝撃に見舞われた右手は、堅く握っていた斬魄刀をあろうことか手放してしまった。武器を手放したのは勿論、突然の後ろからの襲撃に目を疑った白哉が捉えたのは、先程躱したはずの『白雷』。

 

―――馬鹿な

 

 そう呟く間もなく、白哉に肉迫する一つの影。

 

「―――縛道の九十九・『(きん)』」

 

 ギリギリまで迫った紫音が繰り出したのは、縛道の最後を飾る術。術の名を唱え終えた瞬間、どこからともなく生み出されたベルトが放り出されている白哉の四肢を封じ込め、瞬くにそれらに鋲を打って拘束する。

 

(詠唱破棄……だと……?)

 

 上級の縛道になるほど、相手の力を阻害する力は強くなる。九十番台ともなれば、相手の四肢のみならず霊力の流れさえも阻害することができるようになるのだ。

 それほどの縛道を、まさか五席の友人が詠唱破棄で唱えることができようとは思わなんだ。

 

 為す術もなく地に伏せることとなった白哉は、すぐさま顔を上げるものの、ちょうどのタイミングで頬に始解状態の朧村正の刃先があてがわれた。

 

「王手……だ」

「……」

 

 血色のよくない顔。息も絶え絶えとなり、額にじんわりと浮かんでいた汗は一つの粒となって、頬を伝い地へと零れ落ちていく。

 考えてみれば当たり前だ。隊長格と言えど扱いが難しい九十番台を無理に行使すれば、この程度の弊害が出るのは妥当と言えよう。つまりこの『禁』は、無理をして繰り出し、本来の拘束力には遠く及ばないと言えど、副隊長である白哉を封じ込めるに足り得ているという訳だ。

 それが紫音の力量の凄さか、はたまた白哉の力量不足か、それとも『禁』という術の凄さか。

 

 今すぐにでも倒れそうな様相の紫音は、息を切らしながらも尚、不敵な笑みを浮かべつつ余裕を見せようとする。それが痩せ我慢であることは疾うに分かっているが、自分はその痩せ我慢で負けたのだ。彼をどうこう言える立場でないことは重々理解していた故に、白哉は何も語らない。

 

「慢心……していたろう。所詮、地力が違うとな。例え、あからさまに意識せずとも、意識の深淵においては見下していた筈だ。その慢心が一瞬の隙を生んだ……それが分かるか?」

「……」

「何も語らぬか。だが、本当に私を警戒していたのであれば、あの時語った内容を覚えている筈だ。私が『鏡門』を使い、鬼道を屈折させるという鍛錬……その旨、聞いていなかったとは言わせぬぞ」

「っ……!」

「何年経ったと思っている。それが其方の慢心だ」

 

 ゆっくり朧村正の刃先を引いた紫音は、そのまま始解を解いて斬魄刀を鞘に納める。同時に鬼道の拘束も解け、白哉は晴れて自由の身となったが、未だに体を縛られたままであると錯覚してしまう。

 既に拘束が解けたにもかかわらず、地に伏したままの白哉。彼を縛るのは、友の言う慢心した上での“敗北”だ。

 いつもに増して強張った面持ちの白哉は、延々と見下ろしてくる紫音の目の前で立ち上がろうともしない―――否、立ち上がる気にさえなれなかった。

 

「……口答えもせず、只地に伏すのみか。分家の者を前にして、宗家の男が地を舐めるとはなんとも見苦しい様だろうか」

「……」

「まあ良い。だが、これだけは言っておく。無様に私の前で伏しているにも拘わらず、まだ掟に障る戯言を吐くと言うのであれば、次はその舌を斬りおとす」

 

 ザリッと砂利が擦れ合う音が鳴り響く勢いで踵を返す紫音は、地に伏す白哉を軽蔑するかのような瞳を浮かべたまま、修行場を後にする。無理を押して『禁』を繰り出した反動は大きく、気を抜けば今にでも白哉のように地を舐める体勢になりそうだが、紫音は気力だけで持ちこたえて帰路につく。

 

『よろしいのですか?』

「なにがだ」

『あんなにも突き放して』

「……構わぬ」

 

 ふと響いてくる朧村正の声に、紫音は囁くように受け答えする。

 

「彼奴が緋真を好いているのは分かった……だとすれば、私が己の感情を押し殺して過ごした時間はなんだ? まるで私は道化ではないか。馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿し過ぎて反吐が出る」

『貴方自身がそれを望んだのでしょうに』

「柊……もとい、朽木が為だ。それを彼奴が破るなどほざいて」

 

 静かな声色ながらも怒りを吐露する紫音に、朧村正は憐れみに似た感情を覚えながら主の隣に佇む。

 

「それに……」

『『それに』……なんでしょう?』

「私の知っている……私の憧れた朽木白哉は、あのような男ではない。芯は貫く男だ。もし本当に……緋真を愛していると謳うのであれば、再び私の下へ来る」

『くっくっく。ある種の信頼ですね』

「だからこそ許せぬこともある。私が追い求めた背中があの程度であるのならば、私はあの背中を踏み躙って前へ進もう」

 

 フッと柔らかい笑みを浮かべた紫音の目尻には、じんわりと涙が浮かんでくる。

 一時の―――若気の過ちであると気付いたのであれば、白哉は先程の敗北を以て頭を冷やし、緋真から手を引いてくれることだろう。だが、元より白哉は生真面目である男。祖父や父の教えを受け、貴族の模範であるために習った教えは彼の心深くに刻み込まれている筈なのだ。

 それを破ってでも愛したい女が居るのであれば、自分は何も文句は言うまい。

 だが問題なのは、その愛した女が自分が貴族であるが故に感情を押し殺して告白を踏みとどまった相手。動揺するな、という方が無理な話だ。

 

 それでも―――それでも友を許せない自分が居ると同時に、友の幸せを願う自分が居る。

 

 自分が望んだ幸せを踏み躙ってまで、友の幸せを応援できるほど、紫音は出来た人間ではなかった。

 だからこそ、『認めさせてほしい』という感情が心の深淵から浮かび上がったのである。

 白哉に勝ちたいと思う反面、白哉には『柊紫音の常に前を歩んでいく朽木白哉』で在って欲しい。そんなジレンマを抱える男が一人、寂しく六番区の街路を進んでいく。

 


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