紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十九話

 

 気まずい。

 何が気まずいのかと問われれば、それは見染めた女性の元に会いに行くということだと答えるだろう。

 

 元々、一目惚れという形で緋真との親交を深めようと思ったのが始まり。しかし彼女に妹が居り、数十年経った今でも必死に探し続けているという事情がある以上、無視ができない程度には紫音はお人好しだった。本人が『惚れた弱み』と言っても限度がある。

 そのようなお人好しを続けて十年以上経った現在でも、緋真との親交は途切れていない。わざわざ己の方から妹捜索を申し出たのだから、雲隠れするなど義に反することであり、到底できるものではなかった。

 

 故に、『報告』を名目として緋真との逢瀬を重ねる時は年に数度ある。

 だが、始めに口に出す内容が内容であるだけ、後に続く話題が盛り上がる訳もなく、他愛のない言葉を交わすだけで紫音は早々に帰ることがざらにあった。

 既に恋が成就するなどという甘い考えは捨てている。

 ただ、琴音のように優しい声と、月影のように淡い笑みを定期的に見たいという考えはあった。

 

 いっそ妹を早く見つけてやれれば、このズルズルと引きずった関係を断てることができるのではないかと奮闘するも、護廷隊の席官であり貴族の当主である紫音にプライベートな時間は少ない。その為、満足に捜索することもできやしない。

 

 今日もまた、散歩という名目で赴いた戌吊での捜索を終え、緋真が住む家に向かおうとした紫音。

 しかし、普段とは少々辺りに流れている“空気”が違うことに気付いた紫音は、首を傾げつつ忍び足で進んでいく。何故このような真似をし出したのかは、当初は皆目見当もつかなかった―――が、恐らくそれは流れる空気が何者のものであるか、薄々感づいていたからであろう。

 

 平屋の近くまで歩み寄った時、目に映った光景を前に反射的に物陰に隠れてしまった。

 

(何故彼奴が居る?)

 

 決して絢爛な衣を纏っている訳ではないが、漂う気品は隠しきれるものではない。

 その気品さが、紫音の目にはどうにも緋真と御似合いなような気がしてならなかった。普段能面な彼が、彼女の笑みに釣られて顔を綻ばせる。

 何を話しているのかは聞く事はできなかったが、例え聞いたところで自身が惨めな気分になるのではと思い、寧ろそれで良かったのだと言い聞かせた。

 

(白哉……何故其方が緋真の隣に居る?)

 

 友が想い人と楽しげに話す光景を横目に、紫音は不穏な空気を身に纏いながら邸宅への帰路につくのであった。

 心の中で渦巻く靄は、暫くは晴れそうにない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――……それは私の友だ」

「えっ……そうなのですか?」

「ああ。家の繋がりがあってな」

 

 縁側に座る白哉と緋真は、貴族には不釣り合いな番茶が入っている湯呑を片手に談笑していた。その中で繋がった思いもよらぬ事実に緋真は、猫のように丸々と大きい瞳を見開く。

 驚く緋真の一方で、表情には出ていないものの充分驚愕を覚える白哉。まさか、今自分の隣に居る女性と友人に接点があったとは思いもよらなかった。

 

 二人の出会いは至極単純。

 

 副隊長として隊士を引き連れ、この地区へ虚討伐に赴いた際、怪我人の手当てに奮闘する一人の女性に魅入った白哉が、柄にもなく声を掛けたことから関係は始まった。

 血は争えないという訳だ。

 従兄弟が恋をしている女性が、まさか自分が恋をしているかもしれない女性と同じとは想像もつかぬだろう。尤も、白哉は紫音が自身の従兄弟であることも知らぬが―――。

 

「……アレは振る舞いは少々軽薄だが、芯はしっかりしている男だ」

「承知しております。でなければ、このような私めの妹を探す為にお手を貸し続けてはくれまいでしょうから……」

「……そうか」

 

 友が休日こそこそしているのは知っていたが、まさか赤の他人と言っても過言ではない女性の為に身を粉にしているとは思わなんだ。なんの見返りも求めそうにはない―――否、この女性の美しさを前にすれば、そのような言葉は口に出せぬだろう。

 彼女を言葉で例えるのであれば何が相応しいか。『傾国の美女』、『魔性の女』、『絶世の美女』、『可愛いは正義』などなど、色々と候補は挙げられる。

 ただ、男という性に産まれた以上、『綺麗な女性の前では恰好をつけたい』という思考は働かざるを得なくなる為、紫音も恐らく今言った思考の下に動き、中々止め時を見つけることができなくなっているのだろう。

 

 緋真はそんな紫音について、感謝してもし切れない『恩人』という風に捉えており、非常に好感を持って接しているようなのだが、

 

「なんと言うか、少し距離を置かれている気がしてならないのです……」

「距離?」

「私と紫音様の関係は、妹を見つければそれで終わり……そう言わんばかりの瞳で私を見ているようで、少し寂しい気持ちがございます」

「……」

「あ、い、いえっ……流魂街の私が貴族である紫音様と間柄を深めようとすることが、あの方にとって不都合が生じるのではないかという危惧は勿論しております。というよりも、あるからこそ、敢えてあのような態度をとっていらっしゃるのかもしれません」

「……死神間の繋がりが無ければ、流魂街の者に会いに赴くなどほとんどないことだ。そもそも、貴族の中には未だ古い考えに思考を囚われている者も少なくない。ただ『流魂街の者に会いに行く』―――それだけで悪い噂を流されるやもしれぬという可能性は、常に孕んでいるだろう」

「っ、では私は早々に紫音様との関係を断たねば……」

 

 焦ったように身を乗り出して口に出す緋真。

 今白哉が言った通り、貴族の内情というものは非常にドロドロしている。いつの時代も、己や己が家の利益の為に動こうとする者は一定数居る。そういった者達が根も葉もない噂を流し、特定の家の名を下げようとする行為は瀞霊廷でも数多く見られた光景だ。

 ここ最近ではそれほどひどくはないものの、二百年ほど前には冤罪を被せて屋敷の者達全てを処刑するということも何度かあった。

 中にはわざわざ捕えて連れてきた虚と戦わせるなどという、愚劣極まりない処刑方法も存在し、他者を蹴落とした貴族たちはそれを眺めて醜悪な笑みを浮かべていたらしい。しかし、とある事件を境に今の処刑方及び処刑場は廃止・使用禁止とされ、忌まわしい過去の教訓という名義で瀞霊廷の一角に処刑場は佇んでいる。

 

 このように利権争いがある貴族。そんな中で、もし一人の貴族が流魂街出身の平民と逢瀬を重ねていると知ったらどうするだろうか? 情事にそれほど精通していない白哉であっても、想像には難くなかった。

 瀞霊廷の貴族の掟には、家に流魂街の者の血を混ぜてはならぬというものが存在する。破ったところで罰がある訳ではないが、相応の批難は飛んで来るだろう。

 

 そのことについて危惧した白哉は、『もしや』と緋真に紫音と体を重ねたことがあるかと質問したのだが、顔を真っ赤に染めて否定された。

 

「私が紫音様となどと……不釣り合いでしょうに」

 

 瞳に映るのは諦観。

 異性として充分意識できる範疇の魅力を持っているものの、“身分”という絶対的な壁があるが故に、“良くしてくれる人”として見るほかないというのが見て取れた。

 それは白哉に当てはめても同じ。

 

「白哉様も四大貴族が一員……私などと共に居られても、家名が下がるのみです」

「……好きで会いに来ているのだ」

「え?」

「……済まぬ。私が勝手に来ているだけ。兄が気にする所ではない」

「あ……ああ、そうでらっしゃいますよね」

 

 『好きで』。

 その言葉に一瞬反応してしまった緋真であったが、すぐさま頬をしかめっ面で否定する白哉を前に、残念そうに俯いた。

 そんな彼女の表情を見た白哉は心の中で、自身が口下手であることを呪う。紫音であればもう少し彼女を傷付けずに済む言い様ができたのではないか、と。

 

 暫し無言になる二人。

 風に巻かれて漂ってくる緋真の柔らかな香りが、白哉の胸の燻りを煽ぎたてる。彼女の一挙一動が愛おしい。一時でも目を離さずに見ていたいという衝動に駆られるがまま、熱心な瞳で緋真の横顔を見つめ続ける。

 その度、恥ずかしそうに顔を逸らす様子に再び燻る胸中の想いが大きく騒ぎ立てるのだ。

 

「あ、あのう……白哉様」

「……なんだ?」

「その……じっと見つめられると、恥ずかしゅうございます」

「っ……済まぬ……」

 

 会話が比較的受動的な緋真と、基本的に受動的な白哉では会話が弾み辛い。いや、弾む時は弾むのであるが、それは傍目にしてみれば弾んでいるのかそうでないのか分かり辛い微妙な表情や声色の違いであった。

 それを見分けるのは至難の業であるが、当事者たちは例外だ。

 似た者同士であるが故に、相手の様子がどのようなものであるのかが理解できる。

 

 だからこそ緋真は、白哉が自身に向けている感情がどのようなものであるのかを理解してしまったのだ。

 真っ直ぐだ。真っ直ぐ過ぎる。

 『目は口ほどにものを言う』というが、白哉の瞳はまさしくそれ。自分を“女性”と―――“異性”として見ているのだ。

 かつて“女”としてだけ見て、強姦未遂をされたり下心丸出しで近づかれたりしたことは多々あったが、白哉の瞳に籠っているのは初めて恋を知った少年のそれである。

 

 どうすれば仲良くなれるだろうか。

 どうすれば手をつなげるだろうか。

 どうすれば口づけを交わせるようになれるだろうか。どうすれば、どうすれば、どうすれば―――。

 

 このように、確りと交際の手順を踏んで自身と深い間柄になりたいという意志が、ビンビンと伝わってくる。故に、真っ直ぐ瞳を見つめられれば、余りの羞恥に目をそらしてしまう。それが失礼なことであると分かっていても、純情過ぎる瞳は心を熱く焚き付けてしまうのだ。

 それは即ち……

 

(私は……私如きが、白哉様を異性として意識してしまっているのかもしれません)

 

 紫音とは違う。彼はその瞳にわざと“靄”をかけて、真意が見えぬようにと配慮してくれた。

 その靄は紫音と自身の間に一定の距離を生み出し、必要以上に親密にならぬようにと一種の不気味さを感じさせてもくれていた。無償の善意ほど恐ろしいものはないと言わんばかりに。だからこそ、突然姿を消して居なくなっても、それほどショックにならぬようと。

 

 白哉は違う。

 数度会っただけだが分かる。彼は嘘が下手だ。だからこそ、自身の真意を隠すために無表情や無口になっていったのだろうが、その分瞳に―――見に纏うオーラに感情が反映されるようになったのだろう。

 彼の瞳に映る心中の想いを見てしまう度に、恥ずかしく思い、嬉しくも思い、複雑に感情が絡み合うのだ。

 

 だが、彼は瀞霊廷の貴族の模範となるべき四大貴族の一員。更には護廷隊の副隊長を務めている。護廷隊の中でも注目が集まる地位に存在する彼が、流魂街の女性に現を抜かしているという噂が立つのはよろしくないのではないか。

 否、現を抜かしているかどうかというよりも、こうして逢瀬を重ねること自体が噂の種になる筈だ。

 

 好意的に接してくれていることは確かである為、切実な彼に迷惑になるようなことはできるだけ避けていきたい。

 一時だけでも、人並みの恋心を抱かせてくれたことに礼を言い、早々に関係を断ちきるべきだ。

 

 そうでなければ、彼の瞳に点る恋情の炎に煽ぎたてられ、諦めることができなくなってしまいそうになるから―――。

 

「ええと……白哉様」

「……どうした?」

「私めなどに赴いて下さったことは非常に嬉しく思います……ですが、今後そのような御足労をかける必要はございません。白哉様と共に居た時間は緋真にとって短くも充実した時間でございましたので……」

「……相分かった」

(ホッ……)

「また今度赴く」

「え?」

 

 やんわりとした物言いで、遠回しに会いに来ないよう伝えたつもりで安堵の息を漏らしたのだが、直後に白哉が言い放った言葉に硬直する。

 どこでなにを勘違いしたものかと緋真があたふたと焦っていれば、白哉は早々に縁側から腰を上げ、瀞霊廷がある方へ体を向けた。このままでは恐らく―――いや、必ずまた会いに来てくれるだろう。

 嬉しさが半分、焦燥が半分の緋真は急いで立ち上がり制止しようとする。

 

「白哉様! その……私が言いたいのは―――」

「? ……今日はもう兄の都合が悪い故、私に帰って欲しいと言ったと思ったのだが……」

「そういう訳では……」

「だが、事前に伝えることもなく赴いたのは事実だ。長居すれば、兄に迷惑を被ることになってしまうだろう。今日の所は早々に帰ることにする」

「あ、あの」

「様子を見る限り、猶予がないように見える。それでは、また」

「あっ」

 

 ロクに人の話を聞く事もなく瞬歩で去って行ってしまった青年に、緋真は困った顔で縁側に座り込んでしまう。

 途中から話がかみ合わなくなり、その後は淡々と相手のペースに呑まれ、結局はこちらの意図も伝えることができずに見送ることになってしまった。これならばいっそのこと、癪に障るような事態になったとしてもはっきり伝えるべきだったろうか。

 しかし、緋真という人間は相手を傷付けるような物言いができない性分であった。恐らく、あのまま引き止めたとしても延々と齟齬のある会話を続けて、無駄な時間を過ごすのみに終わっていただろう。

 

(私はどうすれば……)

 

 どうすればよかったのだろうか?

 誰に問うべきか分からない難題を胸に抱いたまま、緋真は悶々としたまま頭を抱えるのであった。

 

 

 

 

 


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