紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十八話

 

「妹が居る?」

「はい……」

 

 私服姿で煙管の煙を燻らせる紫音に、緋真は辛そうな面持ちで口にした事実。

 目の前で吸うのはイケないと、緋真が腰かける平屋の縁側から少し離れている紫音は、遠目から見ても分かる程に目を見開いていた。

 妹が居るとは意外―――という程でもないが、今迄に一度たりとも見た事は無かったのだ。流魂街に住まう者の大半は現世で死した者達。志波家などのように、元は瀞霊廷に住んでいた家は除けば、大半がそれだ。

 つまり緋真の妹ということは、生前共にしていた血の繋がった姉妹なのだろう。

 

 しかし、最初にどの流魂街の区画に割り当てられるかはくじ引きである為、同じ区画に住めるとは限らない。東西南北それぞれ八十区画も分かれているのだから尚更だ。

 

「私は以前戌吊に住んでいたのですが、劣悪な環境の中で面倒を看ていくことに限界を覚え……赤子の妹を捨ててきたのです……っ」

 

 震える唇を噛み締める様子から、彼女の後悔の念は見て取れる。

 流石に重い話だ。紫音も軽口を叩ける筈がなく、只ポツリポツリと紡がれていく緋真の言葉に耳を傾けるしかできない。

 

「今でも後悔しております。浅はかだったと。死して尚、抱き締めていかなければならない肉親を私は“重り”と感じてしまったのです。今でも、瞼を閉じれば妹の顔が脳裏を過ります……」

 

 戌吊は七十八番という区画番号から分かる通り、劣悪な環境。赤子が一人で生きていけるような場所ではない。

 生きている確率は絶望的だ。

 それでもどこか諦めていないような様子を、緋真からは窺える。

 

「……私は今も、妹を探しております。それが、私が私に科した業です」

「……そうか」

「こんな私をどうぞ罵って下さい。身勝手な振る舞いをしたというにも拘わらず、その罪を帳消しにしたいが為に動く私を……偽善だと、嘲って下さい」

「ふむ……」

 

 煙管に入っていた煙草が全て灰になったのを確認し、土の上へパラパラ落とす。

 その後、顎に手を当てて暫し思慮を巡らせる紫音は、徐に己の簪を引き抜いて緋真に投げ渡す。

 何事かと驚く緋真は、放物線を描いて飛んで来る簪を慌てふためきながらも何とか受け止める。二人が好きな梅の紋が描かれている簪だ。

 

「持っておいてくれ」

「は……?」

「私も微力ながら其方の力となる。その誓いの証だ」

「で、ですが……!」

 

 緋真は紫音が死神であることを知っているのは勿論、貴族であることも既知の事実だ。貴族の装飾品など、流魂街の者達からすれば頭が痛くなるような値打ちの物ばかりの筈。そのような物を軽々しく手渡されても、困るとしか言いようがない。

 だが、緋真が『返す』という旨の言葉を口にする前に、紫音が立て続けに語る。

 

「妹の名を教えてくれ。其方の妹であれば霊力の素質もあろう。もしかすれば霊術院にでも入っているかもしれぬし、既に死神であるかもしれぬ」

「そんな手数を紫音様にかける訳には……!」

「気にするな。私が好きでやることだ。話を聞いた以上、何をせぬというのも気分が悪い」

「しかし……っ!」

 

 それでも食い下がる緋真。

 普通であれば厚意としてそのまま受け取ってもよさそうだが、ここまで粘るというのは気丈なことだ。

 しかし、紫音にも惚れた弱みというものがある。素直に引き下がる訳にもいかない。

 

「くっくっく、なにもそこまで食い下がることもなかろう。幸い、私には優秀な部下が付いていてくれている。さほど苦労にはなるまい」

「だからと言って紫音様や、他の死神様の方々の手を煩わせる訳にはいきません。これは私の問題なのです……!」

「余り声を荒げるな。周りが何事かと思う」

「っ……申し訳ございません」

「気に病むことはない。ただ、其方が妹を本当に大事に思っているということは重々伝わった」

「……大事に思っていたのであれば、私はあの時妹を―――ルキアを捨てなかったでしょう」

 

 『ルキア』。

 中々特徴的な名前だ。一度聞けば早々忘れる事はなさそうな名前だ。緋真の名前と合わせるのであれば、『ル』は瑠璃色の『瑠』でも当てはめるのではないだろうか。そのような他愛のないことを考えつつも、自身の愚かさを吐き捨てるかのように述べていく緋真を見下ろす。

 

「私は愚かしいのです……捨てて、瞼の裏に映る妹の幻影から逃げようとここまで来て……そして毎晩夢に出てくる妹の……笑顔が離れなくてっ……もう一度、もう一度でもいいから妹の顔を見たいと自分勝手に……」

「……ふむ」

「あの子に会いたい……会って謝りたいのです。例え、姉だと思われなくとも。私が姉だと言ったところで、ルキアがどのように思うかは皆目見当つきません。しかし、姉だと思っていないと罵られようとも、捨てられた恨みで刺されても文句はありません。それが私の業なのですから……」

「はぁ……其方は少々難しく考えすぎではないか?」

「え……?」

「私の経験談だ」

 

 ピッと人差し指を立てる紫音。

 その様子に呆気にとられた緋真が瞠目するのを確認し、語り始める。

 

「私の父上は謀反の罪を犯した大罪人。その所為で母上は宗家より勘当された」

「っ……」

「私が生まれるより前だ。父上が死んだのは。母も神経衰弱で、そう長くはなかった。私はこうなった原因を、父上を正しく導かなかった祖父にあるのではないかと、子供の頃は恨みを募らせたものだ」

 

 予想外の話に、緋真はただただ茫然とする。

 母を早くに亡くしていたのは聞いていたが、まさかそのような経緯があったとは思いもしなかったのだ。

 だが同時に、何故そのような話をという疑問も生まれてくる。

 その理由を語るように、紫音は続けた。

 

「だが、私が薄情者かどうかは知らぬが、本人を目の前にしても案外憤ることは覚えなかった。宗家に募らせた恨みも大したことはなかったということだ」

「それが一体……?」

「其方が捨てた時の妹は赤子だ。捨てられた時など覚えても居ないだろう。私が思うに、会っても居ない者を恨むというのは案外難しい。故に、妹も其方を毛ほども恨んでなどおらぬだろう」

 

 ケラケラと嘲るように笑う紫音に、緋真は複雑な表情を浮かべる。

 肉親を捨てるという罪を犯した自分は、恨まれていようとも仕方がないと考えていた。だからこそなのかもしれない。恨まれる事で許してもらおうという考えが無かった訳ではなかったのだ。

 罵られ、暴力を振るわれ、蔑んだ瞳で見下されることも已む無し。寧ろ、そうでもされなければ自分は許されないのではと―――許してほしいと願っていた。

 

 だが、それを否定するかのような紫音の言葉には、どこか残念そうで安堵したかのような面持ちを浮かべるしかなかった。

 

「それでも、私は……」

「妹を探すのが其方の贖罪と言うのであれば私は止めぬ。ただ、血が繋がっているというのは……いや、なんでもない」

 

 最後に何か言おうとしていた紫音であったが、結局は心に言葉を押しとどめ、クツクツと笑いながら俯きがちの緋真に目を遣る。

 

「くっくっく、其方が妹探しを“偽善”と言うのであれば、私も手を貸そう。なにせ、『人が善を為す』と書いて『偽善』だ。来世に向けて善行を重ねるとしようじゃあないか」

「……紫音様は、輪廻転生を信じていらっしゃるのですか?」

「この世の理だ。現世で死した魂は尸魂界に……尸魂界で死した魂は霊子へ還り、やがて新たな魂の一片として現世に還る。そういう形に世界はできているのだから、私の信仰などが介在する余地は微塵もない。だが……」

「『だが』……なんでしょう?」

「……緋真、例えば誰かが死んだ場所から後で花が咲いたとしよう。其方はそれをその死んだ者の生まれ変わりと思うか?」

「花……ですか?」

「ああ。私は因みに、生まれ変わりだと思いたい。何故ならば、そちらの方が浪漫があって素敵だからだ」

 

 『女々しいだろう?』と屈託のない笑みを投げかけてくる紫音に、緋真は思わず笑みを零しす。

 今の話は、彼の感性だけでの話だろうが、それでもどこか緋真は納得したかのような気分になった。何か事あるごとに因果関係を結ぼうとするのは、人間の悪い所でもあって、人間らしい部分でもある。

 どうやら論理的思考で動いているような人間ではない彼に、これ以上『自分の問題』と言って押し切るのは不可能そうだ。

 だからこそ自分は、諦めるかのように笑みを零したのだろう。

 

「……紫音様、無礼を承知でお願い致します。妹を探すのにどうか手をお貸し下さい……っ!」

「無論だ。其方の頼みなら快く承ろう」

「有難う御座います、紫音様……!」

 

 パァっと明るくなる緋真の面持ち。

 月影のように儚い微笑み。

 潤っている瞳には紫音だけが映っている。そう彼女の瞳は、今だけは自分だけを映してくれているのだ。

 

 それを理解したと同時に、紫音は凄まじい勢いで己の左頬をひっぱたいた。思わぬ行動に緋真はすぐさま困惑の色を見せる。

 

「し、紫音様……? 如何なされたのですか……?」

「蚊がな」

「今は冬ですが……?」

「今年は暖冬らしいから、生き残りがおったのだろう」

「はぁ……」

 

 ジンジンと痛む頬の痛みで、本能的に熱を帯びていたアレが元に戻る。

 

 何がとは言わない。

 ナニがとは言わない。

 

 己がどうしようもないチェリーボーイであることを再び理解した紫音は、会話もほどほどに瀞霊廷への帰路につこうと体を振り向かせる。なにせやらなければならないことが増えたのだ。

 霊術院の在院生や卒院生の名簿は七緒と共に確認するとして、その見返りには何を贈ろうかと思慮を巡らす紫音は、別れの挨拶を軽く済ませ、瞬歩で流魂街を駆けていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 しかし、事はそう上手く進むものではない。

 ここ数十年ほどの霊術院名簿を確認しても、『ルキア』という名の女学生は存在しなかった。元より、捨てた時赤ん坊だったことを鑑みるに、別の名を使っているという可能性もある。となると、頼りになるのは緋真と顔が似ているかもしれないという薄い望みだけだ。

 幸い、霊術院名簿はモノクロの顔写真が載せられているが、姉妹でも顔が瓜二つという可能性は低い。

 

「はぁ……雲を掴むような話だな」

 

 名簿を調べ、時折流魂街に赴いてなんとなしに捜索を続けて早十年。

 席次は五席に上がり、副隊長になった白哉にもそこそこ階級が追いついてきたといったところだ。

 

「惚れた弱みとは言え、流石に拙いな」

 

 これといった義理がある訳ではない。売られた恩もない。ただ、『好き』であるからここまで首を突っ込んでいるのだが、少々辟易し始めた頃だ。

 年に数度会いに行く緋真には、毎度『もう大丈夫です』と手を引くように言われる。それもそうだろう。緋真にしてみれば自身の贖罪に付き合せているようなものなのだ。それを十年も付き合せてしまっているのだから、気が引けるのも無理はない。

 とは言っても、手伝うと言った手前退く事ができないのは、紫音が男に産まれた所以だろうか。二言はない。そう言わんばかりに、生きているかどうかも分からない者を探し続けている。

 

 緋真との進展はない。

 

 ただ“良くしてくれている死神”とでも思っているのではないか。

 だがそれで良いと、紫音は自分に言い聞かせる。

 

 

 瀞霊廷の貴族には瀞霊廷の掟がある。古くより守られてきた、その所以も知らない忌々しい鎖のような―――呪いのような掟だ。

 しかし、当主であるが故に掟は遵守しなければならない。

 それが家名の為。そして宗家である朽木家の為だ。白哉たちに迷惑をかける訳にもいくまいと、自身の恋心を押し殺して、“ただの友人”の妹を探し続ける。

 

 誰かが無理にでも止めてくれればよいものを、と何度考えたことか。

 

「はぁ。一服でもして気を紛らわせ……」

「仕事中に煙管は止めてください。火がついたらどうするんですか」

「後生の頼みだ」

「後生の頼みもなにもありません。はい、十二番隊に回さなければならない重要な書類です」

「……五席に頼む仕事ではなかろう」

 

 煙管をとろうと懐に手を伸ばした紫音に、すさかず分厚い書類を手渡すのは八席に昇進した七緒だ。鬼道の才は目を見張るものがあり、純粋な才能だけで言えば副隊長レベルといっても過言ではない。

 そして以前にも増して棘のある言動が増えたとでも言おうか。証拠に、今のように書類の運搬業務を紫音に任せてきた。

 

「重要な書類と言いました。だからこそ柊五席に頼むんです」

「同じ席官なら、伊勢殿でも変わりはなかろう」

「私は京楽隊長が働かない分をどうにかしなければいけませんので、文句があるとするのであれば京楽隊長に」

「……はぁ。しかめっ面ばかりしていたら、将来顔が皺だらけになるのではないか?」

「なにか言いましたか?」

「可愛い顔が台無しだと言った。では、早々に十二番隊舎に向かうとしよう」

 

 はぐらかしてすぐさま十二番隊舎へ向けて駆け出す。現在涅マユリが隊長を務める十二番隊に回さなければいけない重要な書類となると、技術開発局関連の書類なのだろう。

 

(なにやら最近はきな臭い話もあったらしいからな)

 

 『尖兵計画(スピア・ヘッド)』。

 とどのつまり、改造魂魄に関する話だ。どうやら、その計画を進めていた者は四十六室に案を提出したものの、結果は廃案となったらしい。元より非人道的な性質から研究の差し止めは予想がついていたものの、一定数生産した後に廃案になったため、これから改造魂魄は破棄されると言うのだ。

 疑似人格と言えど、死神の都合で生み出されて死神の都合で破棄されるとは、なんたる悲惨な末路だろうか。

 

(まあ、私にどうこうできる話でもあるまい)

 

 そんなことを考えている内に十二番隊舎に辿り着く。後は、隊士なりなんなりに手渡せばいいのだろうが―――。

 

「阿近殿にでも渡せばよいだろう」

「なにか十二番隊に御用で?」

 

ふと背後から声を掛けられた紫音は、徐に振り返る。

 居たのは箱を一つ抱えた、頬こけてやせぎすな印象を与える男性。緑と黄が半々になったような髪の毛は、大分印象に残りそうな髪型だ。

 

「ああ、書類を届けに参った」

「書類ですか。どなたまでに?」

「むう、重要な書類らしい故、阿近殿にでも渡そうかと」

「でしたら、近くの研究塔にいらっしゃると思いますので、私の方から渡しに行きましょうか?」

「む、そうか? 済まない、恩に着る。八番隊の柊紫音からと伝えておいてくれ」

「ええ、構いませんよ」

 

 そう言って封筒に入れておいた書類を手渡す。箱を一旦地面に置く形で書類を受け取った男性はそのまま研究塔に行こうとするが、箱の中身が気になった紫音がなんとなしに問いかける。

 

「済まぬ、この箱には何が入っているのだ?」

「それですか? 改造魂魄ですよ。今から廃棄しに捨てに行く予定です」

「なんと。そうか、この中に……」

「ああ、開けちゃいけませんよ」

「無論、開けるつもりはないが……なんというか、もったいない気もするな」

「もったいない?」

「ああ。肉体に作用する程度で、他は普通なのだろう? だったら、現世に駐留する死神にでも渡して普通の義魂丸代わりにでもすればいいものを」

「……まあ、そういう見方もありますね」

「だが廃棄するのであれば私はなにもできまい。とは言うものの、物は使いよう。廃棄以外に使いようはあったろうに……ああ、もったいない」

 

 物欲しげな瞳で箱を見下ろす紫音に、十二番隊士の男性は何やら無言で佇む。

 すると、暫し思慮を巡らせたかのような挙動を見せた男性は、掛けていた丸眼鏡の弦を指で押し上げた。

 

「……貴方は少々変わり者のようですね」

「婆娑羅者とはよく部下に言われる」

「そうですか。まあ、廃棄する物は廃棄する物。四十六室が破棄命令を出したのですから、持っているだけでも犯罪になりますよ」

「おお、それは怖いな」

「ですので、お手は触れぬように」

「相分かった。それでは、私はこれでお暇しよう」

 

 箱には触れぬよう注意された紫音は、素直に八番隊舎へ向けて踵を返す。

 同時に、男性の背後から研究員らしき眼鏡を掛けた女性が出てきて、男性が置いた箱を抱きかかえる。

 そして紫音が十分遠のいたのを確認してから口を開いた。

 

「影狼佐。これは?」

「ああ、それは流す物だ。そこに置いておけ」

「流す?」

「西流魂街に技術開発局の商品を高値で買い取りたいという酔狂な輩が居てな。私としては研究資金が賄えて好都合だ」

「ふ~ん……」

 

 興味が無さそうに鼻を鳴らす女性隊士は、ちらりと箱の中身を覗く。よく見てみれば、改造魂魄が入っていると思われるケースの他に、記換神機や内魄固定剤もあるのが窺えた。

 

「現世でもなければ使えないのに、一体何に使うんだ?」

「さあな」

「バレたら不味いんじゃないか?」

「十二番隊士にとって書類偽造などお手の物だ。それより望美。暇ならその箱を私の研究室に持って行ってくれ。私は副局長に書類を渡しに行く」

「……分かった」

 

 良いように扱われている気がしてならない女性隊士は、口を尖らせながらも男性隊士の指示通り、彼の研究室へ向けて歩き出す。

 その時、風に煽られて彼女の白衣が靡くが、白衣の影からはかなり改造されたような死覇装が垣間見えた。嘗ての八番隊副隊長をリスペクトするかのようなミニスカートであり、更には白いブーツを履いているではないか。

 かなり攻めている恰好の女性隊士は、箱の中身を覗くように俯きながら足を進めるのであった。

 


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