紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十七話

 

『紫音様の好きな花はなんでしょうか?』

『梅だな』

『うふふ、偶然ですね。私も梅が好きです』

『そ、そうか……』

 

 

 

 ***

 

 

 

「どーしたんだい? やけに元気がないじゃないかぁ」

「……京楽隊長殿。仕事は?」

「仕事もこうも、今は昼休憩中じゃないかぁ」

「いえ、てっきり伊勢殿に椅子に縛り付けられているとばかり思っておりました故」

「……七緒ちゃんは君の中でどういう子なのよ?」

「どうもこうも、可愛い部下以上でも以下でもありませぬ」

 

 他愛のない会話。

 縁側で湯呑片手に項垂れていた紫音の隣に座り込む京楽は、被っていた笠を手に取りながら、『なにか悩みでもあるのかい?』と問いかけてくる。

 その問いに暫し思慮を巡らす紫音。まさか『流魂街の女性に恋をしている』などと直球の質問など出来る筈も無い。上手い具合に例がないものか。

 

「……京楽隊長殿は『灰被り姫』の話をご存知で?」

「灰被り? ……あぁ~、確かシンデレラとか言う奴かな?」

「ええ。平民の普通の少女が、貴族や王族にその美しさを見出されて妻に娶られる……女子が夢見る典型的な物語の一つです」

「それがどうかしたのかい?」

「物語ではやけにあっさりと少女を妻に娶っておりますが、これを瀞霊廷に置き換えれば掟があります故、少々違和感を覚えてしまいまして」

「あぁ、確かにねぇ」

 

 京楽の家も上流貴族に位置する立派な家柄だ。今目の前に居る彼は次男坊であるが、長男が大分前に死去しているらしく、実質京楽が当主のようなものである。上流貴族の当主ともなれば、幾ら普段軽薄な振る舞いをしていようとも、しっかりと一線は弁えている筈だ。

 

「もし、京楽隊長殿が瀞霊廷の王族の王子だとしたら」

「おお、それはいいねぇ」

「灰被り姫のように美しい平民の身分の娘が居たら、手を出しますでしょうか?」

「う~ん、ボクなら出しちゃうかなぁ~。なんたって、ボクが王子様なんだからねぇ」

「成程。家臣の罵詈雑言を受けつつも妻に迎え入れると」

「え?」

「そうでしょうとも。場を瀞霊廷と仮定しているのですから」

 

 まるで紫音の質問の内容を聞き飛ばしていたかのように、京楽は得心していない顔を浮かべて『あぁ~』と声を漏らす。

 はっきり言えば、特に役に立つような問いかけではなかった。そのことに少々残念そうに項垂れる。

 

「―――何を話しているんですか、お二人は」

「お、愛しい愛しいボクの七緒ちゃぁ~ん♡」

「誰がボクの七緒ちゃんですか」

「いたっ!?」

 

 ふと近くから聞こえる声に振り返れば、分厚い書類の山を抱え込む七緒が居た。すかさず頬を緩ませて飛び込む京楽であったが、足袋を履いた足裏による蹴りで撃退され、あえなく廊下の上に撃沈する。

 八番隊では見慣れた光景である為、紫音も特にどうこう言う事は無い。否、今は言う気力がないといった方が正しいか。

 

「はぁ……」

「柊九席はどうなされたんですか? 貴方が溜め息を吐くなんて、明日は雨でも降りそうですね。女性にでもフラれたんですか?」

「女性関係であることは認めよう。……伊勢殿は貴族出身か?」

「え、私ですか? 一応そうですが……」

「……伊勢殿を恋したのであれば、どれだけ楽だったろうか」

「きゅ、急に何をおっしゃっているんですか!?」

 

 落胆した様子で呟く紫音に七緒は、照れ半分憤り半分といった様子で声を荒げる。

 確かに、今の言い様であれば様々な受け取り方ができるだろう。柄にもなく焦る七緒は、紫音の真意を問い詰める為に近づこうとするものの、それよりも早く彼の口からぽつぽつと言葉が紡がれていく。

 

「いや、誤解はしないでくれ。勿論伊勢殿を有りか無しかで言えば、当然有りだ。女性としても非常に良くできており仕事も出来て、容姿も端麗だ。だが、今になって其方を好いていると言ったところで、元からそういう目で見ていられていたのかという疑念を抱かせるかもしれない。と言うより、可愛い部下……もとい、私の鬼道の弟子のような存在である女子に手を出すなど、どこか気が引け―――」

「……柊九席は如何されたんでしょうか?」

「いんやぁ、ボクも良く分からないよ」

 

 照れや憤りを通り越して困惑しか覚えない七緒は、困った様子で京楽に事情を確かめようとするも、期待した答えは返ってこない。寧ろ京楽の方が七緒に答えを求めている様子だ。

 こうしている間にもブツブツと呟き続ける紫音を見て、京楽は話を逸らすようにある問いかけをしてみる。

 

「七緒ちゃんはどうなの? 紫音君はさ」

「柊九席ですか? それは鬼道の指導も頂いていますし、感謝も尊敬もしています」

「いや、そうじゃなくて異性としさ」

「異性として……ですか? 女性に軽い所は減点すべきところですし、浮気性なところは少し―――」

「それは違うぞ、伊勢殿」

 

 突然話に入ってくる紫音に、二人はビクリと肩を跳ねさせる。

 

「確かに普段は女性に軽いやもしれぬが、一応これでも一途なのだ。ましてや手を出した女性ともなれば、否応なしに妻に娶る程度の考えは持っている」

「はぁ……そうなんですか?」

「手折った華を放っておいて萎びさせるのはあんまりだろう。男として最低の行為だ。手を出した以上は責任をとる。それが私の持論だ」

 

 やけに熱弁している。

 だんだん引き始めている七緒は、この場を京楽に任せようと背高の彼の背後に回り込むが、『ちょっと逃げないでよぉ』と情けない声を上げる京楽に引き止められ、逃げる事ができない。

 紫音は産まれるよりも前に父を亡くし、母も早くに亡くしている。そのような経緯があれば、確かに手を出した女性に手堅いことも納得できる(かもしれない)。

 

「……あの、柊九席。何か悩みがございましたら、微力ながらも手助け致しますので、気軽に……」

「有難う、伊勢殿。私はもう少しここで息抜きをしてから仕事に戻ることにしよう」

 

 神妙な面持ちだった紫音は、フッと口角を吊り上げて空を仰ぐ。

 その様子に得も知れぬ不安を覚えつつも、七緒はとりあえず仕事に戻ることに―――。

 

「京楽隊長。どこに行くんですか?」

「えっ? あぁ、ボクはちょっと隊舎の外に出て散歩にでも……」

「駄目です。もうすぐ瀞霊廷通信に出さなきゃいけない原稿もあるんですから、今日は椅子に縛り付けてでも仕事をしてもらいますよ」

「えぇ~、そりゃないよぉ」

「いつも怠けているから、後でツケが回ってくるんです! のんびりしたいなら、尚更常日頃―――」

 

 ガミガミと廊下に響き渡る七緒の説教を聞き流しながら空を仰ぐ紫音は、自由気ままに空を流れていく雲を眺める。

 

 そうだ、これは只の若気の至り。緋真よりも美しい女性は探せば居るはずだ。その気になれば、朽木家の分家という立場を生かして片っ端から見合いでもすれば、良い女性は幾らでも見つかるだろう。

 それはいずれ柊家のみならず、朽木家の為となる。否、そうでなくては納得ができない。

 

『人間など元を辿れば猿のようなものなのに、何を以てして貴ぶ族たちとそれ以外を区別したのでしょうね。同じ人間ですのに』

「……今なら、其方の言葉に全力で同意しよう」

 

 いつの間にか隣に座っていた朧村正に頷いて見せる。

 掟によって阻まれる恋をするとは思わなんだ。とある物語の主人公になったような気分だが、実際為ってみて分かることは最悪にも程があるということ。

 

 叶わぬ恋をしている。

 

 それを成就させてはいけない。

 何故なら、自分だけでなく周囲も巻き込んでしまうのだから。

 

「そうだ。銀嶺殿や蒼純殿……そして白哉の為でもあるのだ。我慢するのだ、柊紫音。盛った猿でないのだからな」

『男は皆、盛った猿だと思いますが』

「違いないが、女に無理やり手を出すなどいつの時代の暴漢か」

『はぁ……変わらぬ風習もまた、悪しき歴史の産物とでも言いましょうか。その所為で我が主の初恋が叶わぬとは、私は寂しいばかりです。これこそ悲恋と言うべきでしょうか』

「言ってくれるな。泣きそうになる」

『ですが、私も一応貴方の斬魄刀。主が恋の道は応援するつもりです』

「……出来れば、そこは止めて貰いたかった」

 

 今日一番の深い溜め息を吐く。どうせ叶わぬ恋であるのだから、すっぱりと縁を切れるように叱咤されたかったのが本心だ。

 しかし、朧村正は寧ろその茨の道を激励すると言うではないか。

 嬉しいと言えば嬉しいものの、複雑な心境に陥る。

 

 そんな紫音に、朧村正が一言。

 

『本当に諦めているのであれば、何時までも女々しく悩んでいる訳がないでしょう。この甲斐性無し』

「……何とでも言え。私にとって緋真は高嶺の花だ」

『くっくっく。上流貴族の貴方に“高嶺の花”と言わしめるなど罪な女性ですね、彼女は』

 

 面白そうに語る朧村正であるが、紫音にしてみれば全く面白くない話だ。

 一度友人となるべく会いに向かって会話した手前、今更関係を白紙に戻すことなどできはしない。

 己の浅慮を恨みつつ、彼女との出会いにも感謝しつつ、心の中には暗雲が立ち込める。今すぐにでも雨が降り、地面が泥のようにグチャグチャとぬかるんでいきそうだ。

 

「……はぁ」

 

 何度吐いたか覚えていない溜め息。

 この曇りが晴れる予定は、今の所まだ無い。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一流の悲劇と三流の喜劇があったら、君はどちらが好みだい?

 単純に言えばバッドエンドが好きかハッピーエンドが好きかの話さ。終わりなんて他人が勝手に定めるものだろうけれど、物語には終わりが付き物だ。それがどれだけ長い長い、気の遠くなるような歳月を経た物語であっても。

 

 例えを出せば、この世界も一種の物語のようなものさ。必ず終わりが来るのだろうけれど、今を生きる者達にとっては、自分達の終焉が訪れることの方が早いと思っているだろうから、あんまり気にしていないだろうね。

 ああ、御免。話が少し逸れてしまったね。

 本題に戻らせてもらうよ。

 

 君はどちらが好きだい?

 まあ、人それぞれだと思うけれど、もし選んだ方が自分の身に降りかかるのを知っていたとしたら、それでも君は“悲劇”を選ぶかな?

 

 僕は一人にとっての“一番”の喜劇を見てきたけれど、あれは悲惨なものだった。

 只一人の喜劇が、世界にとっての悲劇となったあの世界は、とても生きていられるようなものじゃなかったよ。

 生もなく、死もなく、光もなく、闇もなく、希望もなく、絶望もなく、あるのは延々と広がる虚無だけ。

 

 つまり僕が伝えたいことは、君にとっての喜劇は他人にとっての悲劇かもしれないと言うことだ。

 これは困った。

 屑しか存在しないような世界で、星屑の如く皆の願いの寄せ集めで生まれた僕にとって、それは非常に困ったものなんだよ。

 出来れば皆の願いを叶えてあげたい。だけど、それは誰しもの歓びとはなり得ないんだ。

 それでは矛盾してしまう。皆を喜ばせてあげたい僕にとって、それは非常に難しい問題であるといっても過言ではないんだ。

 

 だからこそ、喜劇の定義を考えてみようか。

 

 物語の主要人物達が幸せな結末を迎えること?

 それとも、一番の目的を果たすこと?

 もしかすると、客観的に見て喜劇であると捉えられたのであれば、どれだけ悲惨な最期でも喜劇なのかもしれないね。

 でも、僕はこう考えた。

 

 喜劇とは、“未来”があることだ。

 一先ずの区切りを迎えた彼等に、これから先進んでいける道が存在すること。それは喜劇にもなり得、悲劇にもなり得る。だけれども、彼らは生きて喜劇に向かえる未来という“可能性”がある。救いがあるんだ。

 確かにある一人にとって、生きて貰っちゃ困る人物の一人や二人は居るだろうけれど、それでもそんな彼等を大切に思っている人も居る訳だ。

 

 そんな彼らの命を奪うことは“悪”じゃないかい?

 

 ……また話が少し逸れてしまったようだね。

 でも、これだけは聞いておいてくれ。

 

 もし、君がこれから生きていく人生の中で、生きて欲しいと願う者が出たのであれば、強く願ってみて欲しい。

 それこそ、空に流れる星に願いを乗せるように。

 

 もしかするとその願いが誰かに届き、叶うかもしれない。

 やがて誰かが生きたという結果は、未来を少しだけ変える。

 

 そんな蝶の羽ばたきのような小さな結果が連なれば、やがて虚無しか存在しない果てしない先の未来を変えていけるかもしれない―――否、変えてみせる。

 だから、もしもの時の為に覚えて欲しい。

 僕の名前は月山(つきやま) (あおい)。名前に意味なんてない。只の言葉遊びさ。

 

 そんな僕が皆に届ける願い。

 嗚呼、僕は誰かにこの願いが届くことを願っているよ。

 

 

 

 ***

 

 

 

(……変な夢をみたものだ)

 

 やけに頭痛がひどい明朝、紫音は変な夢に苛まれていた事をしっかりと認識しつつ、東から上る太陽を仰いだ。

 延々と白い揚羽蝶が語りかけてくる夢だ。

 

「……悲劇がどうやら喜劇がどうやらと言っていたが、話が長ったらしいことこの上ない」

「……その夢なら、私も見ましたよ」

「なに?」

 

 そのことを隊舎に来て早々、書類を捌いていた七緒に話をすれば、同じ夢を見たというではないか。

 

「奇怪なこともあるものだな」

「そうですね……なにか不吉なことの前兆でしょうか?」

「おお、怖い怖い」

 

 おどけるように呟く紫音に、昨日よりかは調子が戻ってきたのではないかとホッと安堵の息を漏らす七緒。

 だが、依然として見ていた夢が同じだと言う事実が奇妙であることは変わらない。その日一日過ごしてみて分かったことだが、どうやら他の八番隊士のほとんどが白い揚羽蝶に語りかけられる夢を見たようだ。

 内容もほぼ一緒。

 隊士たちの間では、虫の知らせかなにかではないかとやや不穏な空気が流れ始めたが、噂というものは時間と共に鎮まっていくもの。

 

 奇妙な夢の噂が鎮まり始めた数日後、瀞霊廷の西に位置する白東門にて。

 

「ん?」

 

 尸魂界一の豪傑と謳われる白道門門番・兕丹坊が、門付近をヒラヒラと舞うある者を見つけた。

 

()(すろ)い蝶だなぁ。モン()ロチョウか?」

 

 常人の二倍以上の体格を誇る彼の横を通り過ぎていったのは、絹のように純白の羽を有す揚羽蝶であった。

 舞うように飛んでいく蝶は、深い深い森の中へ消えていったとさ。

 


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