紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十五話

「ガァァアア!!」

「うぉッ!?」

 

 狼のような形をした虚の爪の一振りが、斬魄刀を構えていた男性隊士の腕に掠る。派手に鮮血が飛び散り、男性は思わずその場に尻もちをついてしまい、身動きがとれなくなってしまった。

 そんな男性に止めを刺すべく虚は、蠅の如く男性を叩き潰そうともう片方の腕を振り下ろす。

 

「―――縛道の七十五・『五柱鉄貫(ごちゅうてっかん)』」

「グルァ!?」

 

 だが、その直前で空より真っ直ぐ落ちてきた五つの柱が、虚の体に突き刺さる。

 周囲に轟音を響かせて、虚の体を縛る鉄の柱。それらに四肢を拘束された虚は、必死の形相で手足をじたばたと動かすものの、一向に振り解くことができない。

 九死に一生を得た男性隊士。ホッと息を吐くと、背後の方から草履を擦る音が聞こえてきた為、反射的に振り返った。

 

「はぁ……迂闊に前に出過ぎだ」

「ひ、柊九席!」

 

 印を組んでいた手を解けば、紫黒色の手甲がよく見える。すらりと細い、女性のようなしなやかな指だ。

 その指を持ってうなじをなぞる様は男とは思えぬ程に妖艶であったが、彼が放つ霊圧に呆れの感情が混じっていることに気が付いた男性は、『ひっ』と萎縮してしまう。

 

「出世欲に駆られて前に出るは結構。だが、それで隊列を崩し、自分の身を滅ぼしてしまうのは元も子もなかろう」

「す、すいません……」

「まあ、説教も程々に……」

 

 徐に斬魄刀を抜身にする紫音。

 虚の罪を濯ぐ死神の剣だ。それをチラつかせれば、虚は先程よりも拘束を振り解く抵抗を強めてみせる。

 

「無駄だ。其方程度の力では振り解くことは敵わぬ」

「ガ……ァァアア!!」

「早く往生したいだろう? なら、無駄な抵抗は止めて罪を濯がれることだ。案ずるな、尸魂界は喰うか喰われるかの虚の世界よりも、気安い所ぞ」

「ガ―――」

 

 待て。

 そう言わんばかりに仮面の奥の瞳を見開く虚であったが、声を上げて直ぐに仮面に真っ二つに叩き斬られた。

 瞬く間に霊子化していく虚を一瞥し、紫音は一息吐く。

 後から遅れてきた隊士たちの方へ妖しい笑みを浮かべつつ、手をパンパンと二度叩いた紫音が口にしたのは、

 

「さあ、皆の者。任務も終わったことだ。帰投しようじゃあないか」

 

 

 

 ***

 

 

 

「護廷隊というのも、中々疲れる職場だな」

「……今更ではないか?」

 

 瀞霊廷に佇むとある茶屋。昼休憩中、偶然出会った紫音と白哉はそのままの流れで共に茶を飲んでいた。

 紫音が八番隊に異動してから早二十年。その間に二十席から九席に昇進した紫音は、三席の白哉には及ばないものの、実戦経験を積み重ねて徐々に実力をつけていった。そして、その席次相応の危険な任務を与えられるのだが、今のところ命の危機に瀕した時はない。

 

 可愛らしい部下の世話も程々に、順風満帆な生活と自分の口から言えるようにはなってきた。

 

「それで、蒼純殿の具合はどうなのだ? 最近、余り優れないと四番隊伝いに耳にしている」

「ああ。父上は体調を鑑みて休みをとられることが多くなってきた。故に、私が業務を代行しているのだが……」

「いい経験だろう。本当に身を案じるのであれば、蒼純殿には早々に死神を引退してもらい、其方が副隊長に就くべきだ」

 

 自分とは違い、長年三席の座に就いている白哉は、既に副隊長相応の実力を身に付けていることだろう。

わざわざ病弱な者を前線に出して、身の危険を晒すことはない。尚更、隊の者達を危険に晒すことにもなりかねないということだ。

 

 紫音の言葉に『そうか……』と少し思慮を巡らせる様子の白哉。

 既に霊術院を卒業して二十年以上。態度も大分落ち着き、以前のように感情的に動くこともほとんどなくなった。代わりに反応が薄くなってしまった為、揶揄う側からすれば少し物足りないように感じてしまう事もしばしば。

 しかし、ちょっとした反応で大体のことが理解できるのは、長年の付き合いの賜物といったところか。

 

 談話の間に茶や団子を口に含みながら、昼休憩を存分に楽しむ紫音。

 そこへ、遠くから人影が一つ。

 

『柊九席~!』

「……呼ばれているぞ」

「ああ。可愛い使いが来たな」

 

 厚い書物を手に抱えながら駆け足でやって来る人影は、今年になって席官入りした七緒だった。

 幾分か背が伸びたが、まだまだ少女の域を脱しない彼女のことを『可愛い使い』と揶揄する紫音であったが―――。

 

「誰が可愛い使いですか」

「う゛ッ」

「昼休憩は早めに帰ってきてくださいっていつも言っているじゃないですか」

 

 辞典レベルに分厚い書物の角で脇腹を突かれた紫音は、くぐもった悲鳴を上げる。

 

「……休憩する為の時間だろう。こんなに早く来るのは早計ではないか?」

「只でさえ隊長が働かない隊なんですから、下の者がしっかりしないと駄目じゃないですか」

「暴挙ではないか?」

「文句なら京楽隊長に言って下さい。それに終業後は鬼道の鍛錬もあるんですから、柊九席には早めに業務を終えて頂かないと」

「……それは公事ではなく私事であろう?」

「だからこそです。一時も無駄にしたくはありませんから」

 

 二十年前の初々しさは何処へやら。

 綺麗な薔薇に棘が生えてしまったことを嘆く紫音は、茫然と茶を手に持って固まっている白哉を一瞥する。

 

「訂正する。可愛らしくて毒のある部下だ」

「どうでもいいことを朽木三席に言わないで下さいっ! すみませんが、柊九席をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「……構わぬ」

「と言っておられますので、さあ行きましょう」

「白哉。それではまた今度」

「……ああ」

 

 七緒に腕を組まれるようにして連れて行かれる紫音を見送る白哉。

 暫し茫然とした後に、とあることに気が付いた。

 

「彼奴め。代金を払わなんだ……」

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……優秀な部下を持つと苦労が多い」

「文句なら京楽隊長に言って下さい。中間管理職の大変さは理解しているつもりですが、縦社会である以上免れられないものなんですから。柊九席に上司と部下がいるのは勿論、京楽隊長も私も例外じゃないんです。いつまでもグチグチ言わないで下さい」

 

 茶屋を離れてから数分の間、紫音は七緒に腕を組まれたまま瀞霊廷の街並みを歩み進めていく。

 時折すれ違う知り合いたちに挨拶を交わしたり、呑気に日和見している間にも、七緒はそそくさと隊舎へ向けて足早に進む。

 ツンツンしてきた七緒であるが、これはこれでアリだ。元より京楽に近い感性をしていた紫音は、この二十年の間、彼に感化された。女好きで、酒も好きな婆娑羅者。おまけに煙管も嗜むが、与えられた仕事をきちんとこなすのは幸いだっただろう。

 

 生真面目で秘書のような立ち位置の七緒とは、正反対と言えよう。

 

「そんなに愚痴を零したつもりはない。ただ……」

「ただ……なんですか?」

「優秀な女の部下の尻に敷かれるのも一興だと思ってな」

「ふんっ」

「う゛っ」

 

 手を振りほどいた七緒がとった行動は、再び厚い書物で紫音の脇腹を小突くというもの。

 

「京楽隊長に似て、軽薄な振る舞いになってきたものですね」

「私は元々こういう男だ。それに伊勢殿の言葉は、遠回しに京楽隊長殿を貶しているように聞こえるのだが」

「事実、貶しておりますのであしからず」

「くっくっく。京楽隊長殿が耳にすれば落ち込むだろう」

「是非聞かせてあげて、それを機に真っ当に働いてもらいたいものですね」

 

 スチャリと眼鏡を指で押し上げる七緒。日光が眼鏡に反射すれば、鋭い眼光が紫音に向かって奔る。

 思わずビクリと肩を跳ねさせる紫音であったが、これも慣れたものだと苦笑を浮かべながら七緒を見遣った。

 

 そろそろ京楽にも働くように諫言するべきか。

 そのようなことを考えながら歩んでいると、七緒がふと気が付いたように話題を提示してくる。

 

「ああ、柊九席。最近、技術開発局の話題を聞いていますか?」

「技術開発局? なんのことだ?」

「貴方という人は……どうせ京楽隊長と一緒に女性のお尻を追いかけてばかりで、世間で話題になっていることを……」

「京楽隊長殿よりは自制しているつもりだ。それより、話題とはなんぞや?」

 

 本当に何も知らない紫音は、真剣な面持ちで七緒が口にするのを待つ。

 すると七緒は、辺りをキョロキョロと見渡し、周りにどれだけの人々が居るのを確かめてから、紫音に耳打ちし始めた。

 

「……改造魂魄ですよ」

「そのままの意味か?」

「柊九席が考えている意味かどうかは存じ上げないですが、とりあえず概略は纏めておりますので、今から話しますね」

「流石、伊勢殿だな」

「お褒めに預かり光栄です」

 

 全然光栄と思っていなさそうな声色で返答する七緒。

 徐に腕に抱えていた書物を開いたかと思えば、何枚か頁をめくる。そして該当した内容がまとめられている部分を、小声で話し始めた。

 

「今から百年以上も前の話になりますが、八代目剣八である痣城剣八―――本名・『痣城双也』という人物が、流魂街に住まう一般の魂魄を改造して、対虚用の兵力とするべく行動を起こしたことがあります。しかし、その非人道的な内容から中央四十六室から廃案が決定されたのですが―――」

「が、なんだ?」

「反乱を起こし、瀞霊廷に甚大な被害を及ぼしたそうです。後に投降。そのまま裁判にかけられて“無間”に投獄されたようです」

「ほう、無間か……」

 

 真央地下監獄―――瀞霊廷で罪を犯した者が投獄される監獄であり、八層に別れる監獄の内、最深部に位置するのが“無間”。永久の闇の中、文字通り“無の空間”に収監され続けるらしい。

この無間に投獄されるのは、処刑することもできない所謂“不死”の類いの力を持つ者。もし殺せるのであれば、隊長格は『燬彀王(きこうおう)』によって焼き殺されるだろう。

 それは兎も角、問題なのは―――。

 

「その改造魂魄とやらも、同じ類なのか?」

「さあ……私が知る限りは、義魂丸を用いているらしいのですが、それ以上のことは余り……」

「ふむ……つまり、義魂丸を対虚用の兵力に使う為に改造しようという内容だろう」

「まあ、恐らくは……」

 

 肉体に入った場合に疑似人格として作用する道具を義魂丸と呼ぶ。通常は、死神が義骸を抜く際に用いる。

 疑似人格に用いるのは、百八人の死神学者たちがはじき出した『理想の人格』が入っているらしいが、どういう訳か珍妙な性格のものばかりであり、真面な性格をしている義魂丸の方が少ないという一面があったりなどなど。

 

「まあ、義骸や霊骸に用いる分には賛成だが」

「えっ、そうですか……?」

「非人道的なのは、死体に用いるからであろう? 死神は万年人手不足なのだから、遠方の郛外区の見回りに用いるのであれば充分有用だと思うが」

「確かにそういう見方もできますが、私は賛成しかねますね……」

「現局長の涅マユリ殿が計画を進めている被造魂魄計画も似たようなものだろう」

 

 初代技術開発局長である浦原が尸魂界から去った後、二代目局長の座に就いたのは副局長であった涅マユリであった。元々、その思想の危険性から“蛆虫の巣”に収監されていた人物であったが、知能は“天才”そのもの。

 現在彼が進めている“被造魂魄計画”とは、無から新たな魂を生み出すというもの。彼自身、己の義魂技術と義骸技術の粋を集めて完成させると謳っている“被造魂魄”も、広い括りで言えば“改造魂魄”ということになる筈だ。

 

 そのようなことを示唆する紫音に対し、七緒はどこか納得に言っていないような表情だ。

 

「確かにあの方であれば、改造魂魄についても了承を下すかもしれませんが、四十六室が黙っているとは思えません」

「過去に提示した問題点をクリアしたならば大丈夫だろう」

「ですが……」

「『神無き知育は知恵ある悪魔をつくることなり』。逆に考えれば、その計画を進める者が人の道を外れさえしなければ、自ずとその技術は尸魂界のみならず現世が為となろう」

 

 楽観的と言うか、前向きと言うか。

 そのような紫音の言い草に、散々悩んでいた挙動を見せていた七緒は落ち着いた微笑みを浮かべる。

 

「ふふっ、そうですね……」

「伊勢殿は心配性なのだ。程々に適当で曖昧な方が、人生楽というものだ」

「度が過ぎても困ったものですけれど。ああ、そう言えば霊術院で話題になっている子のことも知っていますか?」

「知らぬな」

「意外ですね。女好きの貴方が知らないとなると、余程常日頃周りで起こっていることに無頓着なのでしょうね」

「……そこまで言われると、流石に私でも凹んでしまうぞ」

「だったら情報収集は怠らないで下さい」

 

 ガスガスと本の角で額を小突かれる紫音は、苦笑を浮かべながら仏頂面の七緒を見下ろす。

 

「はぁ。折角の美人も台無しになってしまうぞ」

「ふんッ」

「づっ」

 

 最後に勢いよく小突かれたのを最後に、七緒が『やれやれ』と首を振る。

 

「朽木副隊長以来、久し振りの一年で卒業の子が現れたらしいですよ」

「……それは凄いな」

 

 赤くなった部分を掌で擦っていた紫音は、七緒が口にした内容を耳にした途端、呆気にとられたような表情を浮かべる。

 その凄まじさは否応なしに理解しているつもりだ。

 そして更に、先程の内容を思い返して、ある事実に気付く。

 

「女が、か?」

「私よりも若い女子院生ですよ。そうですね……柊九席と初めて会った頃の私、とでも言えば分かるでしょうか」

「これはこれは……大層な麒麟児が現れたものだな」

「そうですね。藍染隊長の推薦で入試には一発合格。更に卒業前に護廷隊入りが確定されていて、五番隊三席の座が用意されているなんて尋常じゃありませんから」

 

 要約すると、ほとんど幼女であるにも拘わらず席官入りが確定の天才児と言ったところだ。

 

「藍染隊長殿の隊に……確か副隊長は市丸ギン殿だったか?」

「ええ。それがどうか?」

「いや、白哉が市丸副隊長殿を苦手と言っていてな。それだけだ」

「はぁ……」

 

 白哉がしかめっ面で『彼奴は苦手だ……』と口にする様子が脳裏を過る。

 確かに、揶揄い癖のある市丸は、白哉に敬遠されても仕方ないだろう。同じ揶揄い癖のある自分はどうなのかとも思ったが、今更だ。もし本当に苦手であれば休日に鍛錬に誘いはしないだろう。

 

「私は、市丸副隊長殿は好きなのだがな」

「そう……なんですか?」

「ああ。話していて楽しい」

 

 その“楽しい”の内容が、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら、互いに心中を探り合うような掛け合いをすることなど、七緒は想像にもしないだろうが。と言っても、仕事で時折出会う程度。友人という程ではない間柄だ。

 それは兎も角、

 

「それで、先の麒麟児の名はなんと申すのだ?」

「女子院生のですか? 確か―――」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「藍染隊長」

 

 院生の制服を身に纏う少女が、隣を歩く柔和な笑みを浮かべる男性を指で突く。

 

「なんだい?」

「大福」

 

 突いた指をそのまま菓子が売っている店の方へと向ける少女に、『惣右介』と呼ばれた男性は隣に佇む部下に声を掛けた。

 

「ギン」

「え~、ボクが懐から出すんですか? そない殺生な」

「生憎、持ち合わせがなくてね」

「しゃあないですね。ほな、青ちゃん。ボクが()うてあげるから付いて()い」

 

 『ギン』と呼ばれた青年。

 彼が手招けば、店を指差す人差し指とは逆の指で唇を触れている少女―――『青』は無言で頷いて、青年の背中を追いかけていく。

 彼女が小走りで駆けていけば、夜の帳のように黒いセミロングの髪が靡き、琥珀のように美しい瞳に燦々と降り注ぐ日光が反射する。

 

 

 

 彼女達の物語が始まるのは、まだ先のこと。

 


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