紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十四話

 置いていかれてばかりの人生。

 

 生まれる前より父を亡くし、慕った母も数年前に亡くし、父の温もりを感じさせてくれる師たちも何も言わずに去って行ってしまった。

 立て続けに失くしていって、自分の下に残っているのは一体なんなのか。

 

 空虚―――虚しく空になった心中を感じ取りながら、紫煙を薫らす。

 

 聞くところによれば、浦原と鉄裁は中央四十六室での審議中の際に夜一によって連れ出され、そのまま“虚化”の実験の犠牲となった隊長格と共に現世に逃亡したと言う。

 虚化が一体何なのかというのも気になるが、護廷十三隊のみならず、隠密機動然り鬼道衆然り、長や副長が抜けた組織はそれを補うことに必死で、嘆いたり悲しむ暇がない。だからこそ、仕事を終えてこうして縁側に佇んでいる時に、ドッと虚しさが心になだれ込んでくるのだろう。

 

 実験がなんだ。

 禁術行使がなんだ。

 ただ、自分の下から何も言わずに去って行くのだけは止めて欲しかった。

 

「これは……我儘なのだろうか」

『出会いに別れは付き物。これが今生の別れという訳でもないでしょう。次会った時に、何を言うかぐらいは考えておけばいいでしょう』

 

 優しい声色の朧村正の声が聞こえてくる。

 

「……殴ったとしても、文句は言われまい」

『殴った貴方の手が痛みそうですがね』

「……くっく、それもそうだな」

 

 筋骨隆々な鉄裁を殴れば、逆に自分の拳の骨に罅が入ったとしてもおかしくはない。何せ、鬼道衆であるにも拘わらず白打は隠密機動並み。掌打で虚の頭部を粉砕したという逸話すら残っている。

 逆に鉢玄の体を殴れば、あのふくよかな肉に吸い込まれて殴ったという感触が残らないだろうと、可笑しな妄想が脳裏を過った。

 

 だが、考えれば考える程、今が虚しくなってくる。

 

 居なくなった者のことを考えるのはここまでにして、明日に備えようとする紫音は、チャッチャと煙管を片付けて床につく。

 救いは、幸せな夢だけ。

 例え覚めた後でも、刹那の快楽に溺れていたい。

 

 

 

 紫音は、今にも地に堕ちそうな鳥のようだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それから数か月後、紫音が新たに鬼道衆総帥・鬼道長に異動命令を下された。

 異動先は護廷十三隊。鬼道衆から護廷隊への異動など聞いたことがなかったが、命令となれば仕方のないことであった。

 ただ、新たに長に就いた男が鉄裁や鉢玄よりも古参の人物で、彼らが目を掛けていた紫音のことを快く思っていなかったという噂を耳にすれば、この異動も納得できるものである。

 

 巣を追い出されてやってきた紫音。

 彼が辿り着いた第二の巣は―――。

 

「初めまして。ボクが八番隊隊長の京楽春水だよぉ」

 

 どことなく、自分と同じ香りが漂う男が長である八番隊であった。

 隊長羽織の上には、女物の桜色の羽織を着ている。室内であるにも拘わらず笠を被り、長い髪は二つの風車の形の簪で纏めていた。

 無精髭をなぞりながら挨拶をしてくる京楽に、紫音はシンパシーを覚えながら柔和な笑みを浮かべる。

 

「本日より八番隊に異動となりました、柊紫音と申します。どうぞ、よろしくお願いします」

「うん、よろしくねぇ。でも、そんなに堅くならなくてもいいよ。っと……ちょっと待ってねぇ」

 

 ゴソゴソと懐を探りだす京楽に、訝しげな表情を浮かべる紫音。

 その際、チラチラと見える腕毛や胸毛に感じたことは、

 

(……剛毛だな)

「お、あったあった。はいはい、これだよ。今日から君には、ウチの隊の二十席として頑張ってもらうよ」

「は?」

「ん? どうかしたのかい?」

「いえ、席次を与えられるとは思っていなかった故、少々驚いただけです」

「そうかい? 始解ができるんだったら、このくらい妥当だと思うんだけどねぇ」

 

 あっけらかんとした様子で言い放つ京楽。

 

「ウチの隊も新しい副隊長が決めたところでね……まあ、結構悩んでも結局は席次を繰り上げた感じさ。それで空いた席次をどうしようかって考えてたところで、ちょうど鬼道衆から護廷隊に異動させる予定の子が居るって聞いたから、是非ウチにって思ってさ」

「はぁ……」

「まあ、ボクは女の子には優しく、男の子にはほどほどだから。山爺の……っと、こう言っちゃ不味いね。一番隊とか二番隊とか、その辺りよりは気楽だと思うよ。君も早くウチの隊に馴染めるといいね」

「善処させて頂きます」

「もう、堅いなぁ~。どう? 今から一杯呑んでみる?」

「……くっくっく、生臭坊主ならぬ、とんだ生臭隊長ですね。噂通りです」

 

 にへらと笑いながら酒瓶と盃を取り出した京楽に、思わず笑い出してしまう紫音。

 八番隊の隊長が、仕事をほっぽり出して怠けたり、酒を飲んだり、昼寝に勤しんだりという噂は耳にしていた。

 まさに他の隊士たちは勤務中という時間帯に酒を進めるとは、肝が据わっているというかなんというか。

 『名は体を表す』という言葉がある通り、随分と“享楽”の道を進んでいるように思える。

 

「酒は好きですが、今は遠慮しましょう。後で先達たちに小言を言われるのは厭ですので」

「またまたぁ~。ボクに呑まされたって言えば、彼等もそう言えなくなるよぉ?」

「部下に苦労させるのも程々になされた方がよろしいのでは?」

「はははっ、そこまで言われちゃしょうがないねぇ。まあ、冗談はこのくらいにして……入っておいで~」

『は、はい!』

 

 京楽が襖のある方へ向かって声を上げると、向こう側から何者かの声が響き渡ってくる。まだ幼い少女のような声だが、どこかで聞いたことのある声に紫音は、首を傾げながら襖の奥から現れる者に目を遣った。

 丸い眼鏡。すぐ横の床には、待っている間呼んででもしていたのだろうかという厚い書物。

 

(あっ……―――)

「君に面倒を看てもらいたい子が居てね。ウチの隊……って言うより、護廷隊で最年少の死神の子。七緒ちゃんって言うんだ」

「い、伊勢七緒と申します! お手数かけると思いますが、以後よろしくお願いしますっ!」

「……久し振り、と言った方がいいのだろうか?」

「へ? ……あ」

 

 正座して頭を垂れていた七緒が顔を上げれば、見慣れた顔で妖しい笑みを浮かべている青年が目に映り、七緒の体がピタリと止まった。

 その様子に、京楽は『おぉッ』と声を上げながら話を続ける。

 

「知り合いとは奇遇だったねぇ。とりあえず紫音君には、これから席官としての仕事は勿論、七緒ちゃんの面倒も看てもらうからね。仲良くやってくれるとボクも嬉しいよぉ」

「分かりました。是非、そうさせて頂きます」

「だってさ、七緒ちゃん。ゴメンよぉ、わざわざ長い間待ってくれてたようだけど、これからもうちょっと込み入った話もするから……ね?」

「は、はい! では失礼します」

 

 再び頭を垂れて礼をした七緒は、そそくさと二人の前から立ち去っていく。再び二人だけの空間になった部屋の中では、初々しい姿の七緒を見てほっこりとしている男二人が笑みを浮かべていた。

 

「愛らしいですね」

「ホントカワイイよねぇ~、七緒ちゃんは♡ あんな子がウチの隊に居てくれるんだから、ボクもたくさん頑張れちゃうよぉ~」

「先程酒を進めてきた人の言葉とは思えませんが」

「おっ、鋭いねぇ」

「それで込み入った話とは一体?」

 

 スッと話を戻す紫音。

 その淡々とした様に、前の副隊長を重ねる京楽はフッと笑みを浮かべる。あちらは、どちらかと言えば毒があると言った方が正しいが。

 

「八番隊の前の副隊長―――矢胴丸リサちゃんって言うんだけどさ、現世に逃亡した彼等と一緒に連れて行かれたのは知ってるよね?」

「……はい」

 

 思い出したくない。

 意識したくはなかった事実を目の前で言われると、どうにも気分が優れなくなる。その様子に一言『ゴメンよ』と京楽が口にしてから、話を続けていく。

 

「彼女のこと、七緒ちゃんはよく慕ってくれててさ、毎月一日に読書会を開くくらいに仲が良かったんだよ」

「一日……」

 

 あの始末特務部隊が出撃した日は一日。

 すれば、自ずと答えは出てくる。

 

「あの日、七緒ちゃんの為にリサちゃんが用意してくれていた本があるんだ。それが上級鬼道の本でね」

「上級鬼道……確か、席官以上でなければ閲覧は認められていない筈ですが?」

「うん、そうだね。でもほら、七緒ちゃんって斬魄刀を持ってないじゃない? それに随分と悩んでいてね……だからこそ、斬拳走鬼バランスのとれた人材じゃなくて、一つの道を極めればいいって用意してくれたみたいなんだ」

 

 しんみりとした雰囲気に、口を噤んでしまう紫音。

 最年少という肩書のみならず、斬魄刀を持っていないのであれば護廷隊においての肩身が狭いことは用意に想像がつく。

 だからこそ用意した本。それを直接手渡し、激励の言葉を送れなかった無念を考えるだけで胸が締め付けられそうな気持になる。

 

「……優しい副官だったのでしょうね、その御方は」

「七緒ちゃんにはねぇ。ボクにはもうツンツンでさぁ~。綺麗な薔薇には棘があるって言うじゃない? ホンット、美人だけどボクにはツンとした態度しかとってくれなかったよ」

「京楽隊長殿の勤務態度を鑑みれば、致し方ないかと」

「あらら、君もそう言っちゃうんだ……まあそれは置いておいて、本題はさ、鬼道衆から異動してきた君に七緒ちゃんの鍛錬を手伝って欲しいってことなんだよ」

「私に……ですか? 私のような若輩に務まるとは思いませんが」

 

 鬼道衆に所属していたとは言え、実際に活動していたのはほんの数年。これであれば、護廷隊の上位席官の方が上手く扱えるのではないかと思えるレベルだ。

 教えを乞う立場から、急に教える立場になるには少々無理があるのではないか。そのような懸念を抱く紫音の顔色は優れない。

 

「まあまあ、探り探りって感じでさ。ボク達も手助けはしてくさ。()()、二人は知り合いだったみたいだしさ、これから仲良く―――」

「御冗談を」

「……おんやぁ、バレてた?」

「話が少々出来過ぎている故、鎌を掛けさせて頂きました」

「あらら……」

 

 ポリポリと頬を掻く京楽は『してやられた』という様子だ。

 しかし、知られたところで大して影響はないのか、寧ろ清々しい顔つきになる。もしや、わざとそのことを自覚させるように仕向けられたのではないか。

 

「銀嶺殿ですか?」

「……うん、そうだね。朽木隊長から話を聞いたんだ。白哉君からよく君の様子を聞いてるみたいでね、ここ最近ずっと疲れた()をしてるってさ」

 

 こうなるように仕組んだのは一体誰なのか、パッと頭に思い浮かんだ人物の名を投げかけてみれば、案の定返ってきたのは実の祖父の名。

 だが、彼が白哉を通して自分の様子を探っているとは思いもしなかった。

 

「そうですか……勘当した娘の子を思って動くとは、殊勝なことです」

「そう言わないでさ。ね? 朽木隊長も君のこと心配してるんだよ。煮ても焼いても結局は切れない親子の縁さ。孫が可愛くないお祖父ちゃんなんて居ないと思うよ、ボクぁ」

「……それで、なんと言われて?」

「『己を導いた師が居なくなり、因果のなくなった組織に延々と居るのは辛かろう』ってさ。ボクは君が実際のところどう思ってるのかとかは分からないんだけど、まあここで心機一転ってことで!」

 

 パンッと一度手を叩く京楽は無理に雰囲気を盛り上げようとでもしているのだろうか。

 だとしても、鉄裁や鉢玄の失踪のことを掘り下げられて嬉しいとは思わない。寧ろ、別に要らないことをしてくれたのではないかという考えさえ浮かぶ。

 祝い下手に加え、慰め下手とあっては、朽木家の将来を心配せざるを得ない―――とまあ、このような冗談を考えクツクツ笑う紫音。

 

「誰の背にも追いつけていないのに、誰かに追われる背中となるとは……私も数奇な人生を歩むものです」

「ははっ、置いてけぼりってことかい? それだったら、ボクも同じだね」

「……と言うと?」

「ボクも皆に置いていかれてばかりさ。皆、ボクに大切な物を預けてどっかに行っちゃう……っと湿っぽくなっちゃったね」

 

 笑顔を取り繕う京楽の顔は、頬が引き攣っている。その時、京楽の髪をまとめていた簪が一本、ポロリと落ちた。

 『おっとっと』とおどけた声を上げて、風車の簪を拾う京楽。

 中々の高値でありそうな簪。一体どこで買ったのか気になったが、今聞く事でもないだろう。

 

 簪を差し直し一拍。

 

「ま、人生人それぞれさ。でも大抵の人は、前に寄りかかって、横で支え合って、いつかは後ろに凭れ掛かってくる子を背負う人生だよ」

「……は?」

「君はまだ前に寄りかかって背負われることもできる歳さ。そう気負わずに、気軽にボクに頼っちゃってよ」

「はぁ……」

「ボクからしちゃ、君はまだまだ子供さ。大人は誰かにおぶさることなんてできないんだから、子供の今の内に甘えちゃいなよ」

 

 バンッと肩を叩かれる紫音は、意外に強い勢いに顔を顰める。

 流石は隊長と呑気なことを考えつつ、熱論してくれている京楽の言葉に合点がいくよう思慮を巡らせていく。

 

「ま、紫音君は白哉君みたいに横で支え合える子が居るようだから、ボクは安心だよ」

「……そうですね。私は良い友人を持てています」

「……よし、じゃあ入隊の儀はこれくらいにしとこっか! 毎回コレ、堅苦しくて苦手なんだよねぇ~」

「そう仰っている割には、嬉々として語っていたようですが」

「まあ実際色々複雑だったから、その分言うことも多かったんだよぉ。まあ漸くしちゃえば―――……ようこそ八番隊へ、柊二十席」

 

 紫煙は、享楽が渦へ呑み込まれていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 京楽との話も終え、部屋を出て行く紫音。

 少し廊下を歩いていけば、二人の話が終わるのを待っていたのだろう七緒が、背筋をきっちり伸ばした状態で立ち尽くしていた。

 ずっとあの状態で待っていたのかと気になるところだ。

 

「……待ちぼうけか?」

「はっ! えっと、お話は終わったでしょうか……?」

「ああ。これからよろしく頼む、伊勢殿―――は堅苦しいか。何と呼べばいい?」

「え? ……そのままで大丈夫ですが」

「そうか。では改めてよろしく頼む、伊勢殿」

「こちらこそ、柊二十席」

 

 小さい手と握手を交わす紫音。

 これから共に歩んでいく存在を、紫音は確りと確かめる。

 


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