紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十三話

 六番隊舎裏修行場にて、二人の死神が剣戟を繰り広げていた。絶え間なく響き渡る金属がぶつかり合う音。彼らが手に有しているのは真剣。一歩間違えれば大怪我では済まない事態もあり得るが、実戦のような緊張感を得る為という理由であれば妥当なのかもしれない。

 

「……破道の十一・『綴雷電(つづりらいでん)』」

「っ!」

 

 鍔迫り合いになった瞬間、紫音が『綴雷電』を放ち、白哉の体を電撃で攻撃しようとする。

 しかし、電撃が刀身に沿って白哉の肉体に到達するよりも早く、白哉は瞬歩を以てして紫音から距離をとった。

 

 剣術においては白哉の方が上。それは紛うことなき事実だ。だからこそ紫音は白哉に距離をとらせるような戦術をとった。白哉が退いた隙を逃さず左手に霊力を集中させ、照準を定め始める。

 

「破道の三十一・『赤火砲(しゃっかほう)』」

 

 紅蓮の火球が白哉の下へ疾走する。

 炎の尾を引かせながら奔る『赤火砲』であったが、確りと斬魄刀を持ち直した白哉による一刀のもとに、真っ二つに切り裂かれた後に爆散した。

 しかし、ここまでは予定調和。予想済みだ。

 

「破道の十二・『伏火(ふしび)』」

 

 前方に向かって、霊圧を蜘蛛の巣のように張り巡らせる。これ自体の殺傷能力は低いものの、彼の瞬歩の障害程度にはなる筈。再び接近戦に持ち込まれないようにするには、これが手っ取り早いのだ。

 そして、続けざまに視界を遮るような縛道を放つ。

 

「縛道の二十一・『赤煙遁(せきえんとん)』」

 

 赤い色をした煙幕が舞い上がるように出現する。これによって『伏火』を視認することも難しくなり、易々と瞬歩を扱えなくなったという訳だ。

 だが次の瞬間、目の前の状況を見た白哉が徐に斬魄刀を手前に構え、口を開いた。

 

「散れ―――『千本桜(せんぼんざくら)』」

 

 風に流されるように消えていく刀身。すると前方で満ちている煙が次第に渦巻いていくではないか。

 赤い煙は竜巻状に渦巻いていき、空へ逃がされていく。同時に蜘蛛の巣のように張り巡らされていた『伏火』も、千本桜の刀身で細やかに切り刻まれていき、罠という体を為さなくなった。

 渦巻く煙の奥に朦朧と佇む人影を視認した白哉は、徐に左手の人差し指を突きだす。

 

「縛道の六十一・『六杖光牢(りくじょうこうろう)』」

 

 直後、六つの光の帯が紫音の体に突き刺さる。中級~上級の縛道は、相手の行動を阻害するだけではなく、霊力の流れさえも阻害するのだ。これで真面に鬼道は使えない筈。人間の腕力では六十番台の縛道を振り払えない。

 

(さあ、どうする)

 

 この訓練の終わりは相手が『参った』と言った時。言わなければ実質訓練が終わらないことになるが、

 

(……矢張り)

 

 『六杖光牢』に縛られる紫音の体が次第にぼやけていく光景に、見越していたかのような感想を心中に抱く白哉。

 とすると、今本物の紫音はどこに居るのだろうか。

 前? 右? 左?

 

「しっ!」

 

 即座に背後に向かって千本桜の刀身を向かわせる白哉は、解放して千鳥槍に変形した朧村正を横薙ぎに振るおうとする紫音の姿を捉える。

 朧村正が振るわれるのが先か、千本桜が紫音に到達するのが先か。

 

 結果は、後者の勝利であった。

 

 一千に分裂した刀身の内の幾つかが、疾風の如く宙を奔ってきて、朧村正の剣閃を防ぐような位置に到達したのだ。

 これで今回の勝利も自分のものになるか。白哉がそう考えていた時であった。

 

「―――残念」

「っ……上か」

「明答」

 

 空から一直線に落ちてくる紫音は、その手中の朧村正を突きだしてくる。

 このままでは串刺しになるであろう軌道。傍から見れば殺すつもりなのかと問われそうな光景であるが、逆に言えば『この程度は避けられる』という信頼の証だ。

 証拠に、白哉はすぐさまバク転をするようにして朧村正による刺突を回避した。

 演舞のような一幕であるが、訓練はまだ終わることはない。

 

 砂塵巻き起こる程の刺突は、地面に深々と突き刺さっており、そう易々と引き抜くことはできないかと思いきや、紫音は始解を解いて刀剣の状態に戻した。

 長さが短くなることによって、自然と地面から刀身が抜けた状態になった朧村正を携え、そのまま瞬歩で肉迫する紫音。

 

 対して白哉は、斬魄刀の柄を持ってはいるものの、刀身が付いていないという状況。

 普段は白哉の方が剣の腕は上であるが、果たしてそれは刀身が付いていないときも同様であろうか。いや、同様ではない。

 

「っ……」

「どうした、白哉。余裕がないではないか」

 

 一瞬眉を顰めた白哉。その表情を見逃さなかった紫音は、動揺を大きくするように煽っていく。

 実際の所、余裕がないのは紫音も同じではあるが、ここまで余裕がない白哉の姿も初めてだ。初めて見る白哉の姿に高揚を隠せない紫音は、激しい動きの中で息遣いが激しくなって体が火照ったことにより紅潮した頬を釣り上げるようにして、妖しい笑みを浮かべる。

 辛うじて斬魄刀の柄で紫音の斬撃を防ぐ白哉。

 すると次第に千本桜の刀身が戻っていき、始解前の状態に変貌する。

 

 白哉が動揺している間に仕留めることができなかった。その結果に少々渋い顔を浮かべる紫音であったが、突如足がフッと浮くような感覚に唖然とする。

 

「あっ―――」

 

 咄嗟の足払い。

 白哉による足払いは見事紫音の足を掬い、そのまま彼を仰向けに倒すことに成功した。何とか持ち直そうとする紫音であったが、即座に白哉が斬魄刀を有す腕を掴むように拘束して、千本桜の鋒を喉元にあてがう。

 

 一瞬の静寂。

 

「……参った」

「今回も……私の勝ちだな」

 

 『やられた』と悔しそうに頬を引き攣らせて笑う紫音を前に、息を切らした白哉が鋒を引く。

 斬魄刀を鞘に納めた後は、仰向けに転がる友人に手を差し伸べて、立つように促す。

 

「今回は良い所まで行ったと思ったのだがな」

 

 そう口にする紫音は、白哉の手を取って立ち上がって空を仰ぐ。

 

「……正直、肉迫された時は焦った」

「お、矢張りか?」

 

 正直な感想を述べる白哉に、紫音が咄嗟に反応して嬉々とした声色で応える。

 

「私は鬼道が得意とする故に遠距離での攻撃が主になるのだが、それでは千本桜との相性が悪い……だから思い切って近付いたのが、随分と効果的だったようだな」

「……そこまで考えていたのか?」

「なんだ、その言い草は。私とて毎度何も考えずにやって来ている訳ではない。全方位から多角的に攻撃を仕掛けることのできる相手には、近付くのが一番効果的だと考えたまでだ」

 

 そこまで述べると同時に、白哉の瞳がカッと見開かれた。

 何事かと視線を合わせる紫音に、白哉は漏らすかのように小さく呟く。

 

「もしや兄は無傷圏を……」

「……なんだ、それは?」

「……いや、なんでもない」

「自分で言っておいて『なんでもない』はないだろう」

 

 『忘れてくれ』と言わんばかりに目を逸らし始める白哉に、悪戯小僧のような笑みを浮かべる紫音は鎌をかけてみることにした。

 

「なんだ、千本桜は己に近過ぎると刃を通せないのか」

「っ……!」

「成程。良い事を聞いた」

「……あまり他言はするな」

「案ずるな。私と其方の秘密にしておこう」

 

 嘘を吐くのが苦手な友人というものは扱いやすい。切に思う瞬間であった。

 

 白哉曰く、自身を中心に約半径85センチメートルのが、千本桜の操作を誤ったときでもギリギリ反応し、回避することのできる領域であるらしい。

 それを差して“無傷圏”と言うらしく、意図的にでも操作しない限り、その領域に千本桜の刀身を通すことができないと言う。

 

「成程……だから私が肉迫した時に、背中から斬りかからせるという真似をしなかったのか」

「そうだ」

「ふむふむ……『鏡門(きょうもん)』の修行の成果がここで出て来るとは思わなんだ」

「……なに?」

「『鏡門』は知っているだろう?」

「無論だ」

 

話のベクトルが少し変わる。

手早く印を組んで、外側からの攻撃を反射する結界―――『鏡門』を張る紫音。

 

「私が大鬼道長や副鬼道長に師事しているのは知っているだろう。上級の破道や縛道は勿論、他にも色々と教示して貰っているが、私も独自の戦い方を創り上げていきたいと思ってきたところでな」

「それと何の関係があるのだ?」

「まあ逸るな。見ていろ……破道の四・『白雷(びゃくらい)』」

 

 人差し指を突きだして、『鏡門』に一条の光線を解き放つ紫音。すると『白雷』は結界と衝突すると同時に、その軌道をずらして明後日の方向へと弾かれていくではないか。

 『鏡門』の能力を知っているのであればさほど驚きはしない光景。

 『だからなんだ?』と言わんばかりの瞳を向けてくる白哉に、紫音は納めた斬魄刀を抜く。

 

「妖かせ―――『朧村正(おぼろむらまさ)』。今度はこの状況で見せてみよう。破道の四・『白雷』」

 

 徐に始解した紫音は、もう一度『白雷』を結界目がけて解き放つ。

 しかし、白哉が待てども待てども、紫音の指先から一条の光線が出る事は無い。一体どうしたものかと訝しげな表情を浮かべる白哉に、遂に紫音は指先から『白雷』を放つことなく始解を解いた。

 

「……おい」

「自分の足元を見よ」

「なに? ……っ」

「気付かなかったか?」

 

 言われるがままに自身の足元を見れば、ぽっかりと地面に小さな穴が開いていた。そこから焦げ臭い香りが漂ってくることから、今まさに熱によって灼かれたものであることは理解できる。

 問題は、この穴を開けた正体を目にすることができなかったということ。

 しかし、目の前の男の斬魄刀の能力を鑑みれば、自ずと答えは出てくる。

 

「……幻覚で私の目を眩ました、という訳か」

「明答。どうだ? 中々よく出来ていただろう?」

 

 白哉が気付かなかった事に、至極嬉しそうに微笑む紫音。

 

「幻覚で目を眩まし、鬼道を多角的に操り全方位からの攻撃を可能とさせる……私の戦術の第一段階だ。だからこそ、千本桜のような類の攻撃の弱点を理解していた。道理は通るだろう? 当面はこれを完成させることが私の目標だ」

「第一段階……だと?」

「左様。第二段階は……」

 

 近くに立てかけておいた竹筒を手に取り、旨そうに喉を鳴らして中の水を飲み進める。

 そして喉を潤わせたところで、続きの言葉を口にした。

 

「これらを『断空(だんくう)』に組み込む」

「……なに?」

「詳しいことはまた今度話そう。そろそろ昼休憩も終わる時間だろう。これだけ激しく動けば腹も減る。昼餉も無しで午後の仕事はきついだろうからな」

 

 そこまで言ってから、右手に携えていた竹筒を白哉に差し出してみる。

 すると、余程喉が渇いていたのか、迷うことなく白哉は竹筒を手に取って残っていた分の水を飲み干した。

 飲み終えて空になった竹筒を手渡された紫音は、『衆舎に戻る故、また今度』とだけ告げて瞬歩で白哉の目の前から去って行く。

 

 六番隊舎から鬼道衆舎は近いとは言い難い。早めに帰らなければ、昼餉を食べる時間もなくなってしまう筈だ。

 

(それに、今日の終業後には大鬼道長殿直々に『断空』を教わるからな。この訓練を理由に修行に身が入らなかったら大事だ)

 

 霊力を消費すれば自ずと腹が減る。

 このまま昼餉も食べずに鉄裁の指導を受ければ、早々にへばって修行どころでないのが目に見えている。

 ならば早々に戻るべき。

 

(楽しみだ。久々だからな……)

 

 久し振りに鉄裁の指導を受けることに歓びを覚える紫音。

 気分で言うのであれば、誕生日を祝ってもらう直前の子供のようだ。

 

 父の背中もロクに見ることができなかった紫音にとって、師である鉄裁はある種父のような見方をできる人物の一人。あの大きな背中を追いかけ、いつかは追い越そうと早足で掛けていく様は、歩幅の合わない親子のそれだ。

 鉄裁がどう思っているかは分からないが、紫音にしてみればそれで充分であった。追いかける背中があるだけで良いのだ。

 

 

 

 

 

(嗚呼……私は幸せ者だ)

 

 

 

 

 

 しかし、その平穏が崩れ始めたのは、終業時刻間近に鳴り響いた警鐘の音であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「流魂街へ魂魄消失案件の始末特務部隊に副鬼道長殿が……ですか?」

「はい。先の緊急招集も、そのことについてでして……」

 

 三日月が良く見えるほど透き通った夜、衆舎の門の前で召集に向かった鉄裁を待っていた紫音は、ざっくりとした説明を受けていた。

 召集から帰還してくるまで大分時間が掛かってしまったが故、最早『これから修行を』という時間ではない。素直に帰って、明日の業務に備えるべき時間帯だ。

 

「ですので、今日の修行は……」

「そう、ですか……」

「申し訳ありません。また今度、時間を作ります故」

「いえ、あからさまな表情を見せて申し訳ないのは此方です。残念だと思っているのは本当ですが、このような慌ただしい時に教示を受けたとしても、私も修練に身が入らないでしょう。今回はお気持ちだけ受け取り、明日に備えることにします」

「……本当に申し訳ありません」

「そう何度も謝られると、こちらの気が引けてしまいますが故、その辺りで……」

 

 何度も申し訳無さそうに頭を下げる鉄裁に、苦笑を浮かべて面を上げるよう促す紫音。

 

「して、大鬼道長殿はこの後どうなさる予定で……?」

「……万事に備え、体を休めようと」

「そうですか。ならば私も……」

「はい。では、また明日……」

 

 錫杖の輪をカランと鳴らしながら、紫音とは逆方向に向かって歩み進めていく。

 その背中を寂しげに見届けた紫音は、月影しか光源のない夜道を、『赤火砲』を照明のように扱いながら帰路につく。

 今頃、屋敷の者達も当主の帰りが遅いことに心配している頃だろう。

 

 草履を擦るようにして歩みながら、どれくらい時間が経ったのだろうか。気が付いたら屋敷まで戻っていて、フワフワとここではないどこかを彷徨う感覚を覚えながら食事・入浴を済ませ、縁側に座り込んでいた。

 浮ついている訳ではない。只、警鐘と共に報された九番隊隊長格―――六車拳西と久南白の霊圧消失を受けて、言い知れぬ恐怖を覚えているのは瀞霊廷に住まう者であれば、誰しもだろう。

 

「……煙管はどこだったか」

 

 襖を開けて、愛用の煙管を取り出す。

 一服して気を紛らわせようという安直な考えではあるが、中々寝付けないのだから、こうして時間を潰すしかない。

 モヤモヤと胸中の中に渦巻く不安と喧騒は留まることを知らない。

 

「っ……げほっ!」

 

 茫然とした様子で煙管を吹かそうとした紫音であったが、思い切り吸い込んでしまった。

 普段は吹かしてばかりである為、肺に満ちるまで紫煙を含んだ事は無い。何度も咳をして、涙目になった頃にようやく咳が止まる。

 

「まったく……どうしたと言うのだ、私は」

『寝付けなくとも、素直に床に入ればいいのに』

 

 ヌッと横に現れた朧村正は、クツクツと笑いながら縁側に腰を下ろす。

 

『寝付けないなら、私が子守唄でも歌いましょうか?』

「……なんでもよい。今は……何も考えたくないのだ」

『ならば尚更、眠りにつきましょう。眠りについて夢を見ましょう。良き夢ならば、その刹那の光悦の余韻に浸ればいい。悪き夢なら、夢でよかったと起きてから割り切ればいい。ですが、何よりも大切なのは夢に堕ちようとする心意気。さあ、お眠りなさい』

「殺す気ではあるまいな?」

『御戯れを』

 

 朧村正の言い草に、得も言えぬ恐怖感を覚えつつも、普段通りの斬魄刀の様子にどこか安堵した表情になる。

 煙管の先に入れていた紫草も灰となり、一区切りつけるにはちょうどいい頃合い。ダンッと打ちつけるように灰を煙管盆に捨てて、既に敷かれていた布団の中に入り込む。

 しかし、煙管を吸った後では脳が興奮して上手く寝付けない。それを理解していた朧村正は、横になった紫音の横で正座して、瞼を閉じながら言葉を奔らせる。

 

鈴生姫(すずなりひめ)―――京の花街を歩む遊女が一人。鈴が二つほどついた簪で、漆で染められたような艶のある黒髪を結った姿が、髪から鈴を生やしたように見えることから、町の者は彼女を『鈴生姫』と呼んだ。

 母なし子の彼女は東の国より、流浪の民として花街に辿り着き、その万人を魅了する容姿で―――』

 

 どの国でも乙女が夢見る『灰被り(シンデレラ)』のような小説の内容を口遊む朧村正。

 柔らかな口調で語る彼女の語りを聞いている内に、次第に瞼は重くなっていき、意識もどこか遠くなっていく。

 眠りに入る直前の微睡の時間。昼寝も然り、この時ほど夢心地な快楽を覚える時はないのではないか。

 

 そう思いながら、紫音は夢も見る事もないような深い眠りについていくのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夢から覚め、普段通りに屋敷を出る。

 寝付きが遅かったことから、完全に眠気も冷めぬまま向かい、衆舎で気付かされたのは―――夢であれば覚めてほしい事実。

 

 鉄裁が禁術行使により、別の罪状を有す浦原喜助と共に拘束され、四十六室で裁判が行われるというもの。

 

 

 

 そのまま悪夢は覚めることなく、終には別れを告げる間もなく、師として慕った男は紫音を置いてけぼりにして尸魂界から去って行った。

 


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