紫煙を薫らす   作:柴猫侍

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十二話

 ビュっと風切り音が鳴り響いたと同時に、紫音の体は動いていた。呆気にとられていた由嶌の体を抱え、横に飛び込んでいく。

 そこへ丸太のように太い腕が振り下ろされ、紫音の左腰辺りを掠める。

 死覇装が破れる音が聞こえてきたが、構わず紫音は回避に専念した。

 

「ハハハァ!」

「っ……縛道の三十五・『漁火(いさりび)』!」

「なにっ!?」

 

 追撃を試みようと顔を上げた虚―――獅子のような鬣を有した猿のような見た目の虚であったが、紫音の掌から放たれる閃光に、仮面の奥の瞼を反射的に閉じてしまった。

 花火のように不規則に宙で爆ぜる閃光は数秒ほど続く。

 しかし虚は、自身の霊圧知覚を以て“何か”がある方へ、鋭い爪を有す腕を振るった。何かが砕け散る音が響くが、未だチカチカと眩い光が放たれているが故に、仕留めた対象が何であるかは認識できない。

 

(肉の感触じゃねえな……)

 

 切り裂いた物体が、先程佇んでいた死神たちでないことを理解した虚。

 暫し待機して瞼を開ければ、無残に散らかる木箱の残骸が目に入る。

 

「はっ! あの光、目くらましって訳か」

 

 未だに霊圧知覚の感覚が曖昧であることから、紫音の繰り出した閃光が、霊圧知覚に作用する術であることは理解できた。現世で言うところのチャフやフレアの類いのものであるのだろう。

 周囲で未だに小さな眩きを見せる光。あれが(デコイ)となっているのだ。

 

「逃がしたか……だが、そう遠くに行けてる訳ねえな」

 

 キョロキョロと辺りを見渡す虚は、近くに隠れているであろう二人を探す。霊圧知覚が駄目になったとしても、肉眼で探せば事は済むことだ。

 出来るだけ高い場所から探せば見つけやすいのではないかと、虚は建物を上って辺りを見渡し始める。

 

「ど~こ~だ~? 鼠ィ~~~!」

 

 品の無い叫び声を上げて、周囲に探索に向かう虚。

 その後ろ姿を見届けた二人の死神は、『曲光』に包まれながらホッと一息を吐いた。

 

「どうやら、ここからは離れてくれたようですね」

「……どうして、私などを?」

「どうして、とは一体?」

「どうして私などを庇ってくれた?」

 

 『曲光』によって相手の目を眩ませている紫音は、隣で冷や汗を流している由嶌を横目で見ながら、呆れたように溜め息を吐く。

 自身を卑下すかのような物言いの彼は、恐らく今迄に誰にも認められてこなかった人間なのだろう。

 ある種、己のもう一つの姿だと感じた紫音はぶっきらぼうに答える。

 

「共に護廷が為に働く死神……それ以上に理由が必要で?」

「たったそれだけの理由の為に救われるような命じゃないのだ。私などは……」

「……色々詮索するのも失礼でしょう。ここは、共に生き抜くために戦いましょう」

「ここは私の管轄だ」

「ですが、私は其方の怪我を治療しに来ている。ここを早々に立ち去って、明日に其方が死亡したという連絡を受ければ、寝覚めが悪い」

 

 『それに、建造物の破壊によって出撃料が差し引かれるのは其方でしょうに』と冗談交じりに付け足して、遠くに転がっている自身の斬魄刀を見遣る。先程、回避した際に虚の一撃によって帯紐を裂かれ、腰に差していた斬魄刀を弾かれてしまったのだ。

 今は向こうも気づいていないようだが、斬魄刀がないと少々心許ない。

 幾ら鬼道があるとは言え、油断は禁物。そもそも実戦が初めてだというのだから、慎重すぎるのがちょうどいいくらいだ。勇んで返り討ちに合うよりは、多少臆病に事を進めた方がマシになる筈。

 

(気付いてくれるなよ……)

 

 コソコソと忍び足で転がった斬魄刀の下へ歩み寄ろうとする。

 建物の陰に隠れながら、虚に見つからないように。

 

 しかし次の瞬間、空から落ちてくるように先程の虚がやって来て、朧村正を踏みつける。

 

「こいつぁ死神の刀じゃねえか……オイ! 出て来い! 早くしねえとコイツを折るぞ!」

 

 内心舌打ちをする紫音。自身の斬魄刀を雑多に扱われているのは勿論、先程の危惧がそのまま現状に現れてしまうとは思わなんだ。朧村正を人質―――否、刀質にとられてしまった。

 折られた所で、長い目で見てしまえばなんの問題もない。問題なのはそのまま斬魄刀を持ち去られてしまうことや、斬魄刀を折られた状態で戦闘に入ってしまう事だ。折られた斬魄刀では始解も存分に解放できない。となれば、鬼道で対抗するしかなく、乱戦になるのは必至だが―――。

 

(何よりも、私の(朧村正)が見ず知らずの野郎の手中に収まっているのが気に喰わん)

 

 腹立たしい。

 ピクリと眉尻が上がるのを覚えながら、どうしようものかと思慮を巡らせる。

 虚を倒すセオリーは、不意打ちで仮面を叩き切るのがセオリーだが、現状それは不可能なことだ。

 

(『漁火』による霊圧の攪乱も切れる頃だ……何か案でも考えなければな)

 

 顎に手を当てながら考え込む紫音であったが、良い案が浮かんでくることはない。時間は刻一刻と過ぎ去っていくばかりで、焦燥が胸の内に込み上がってくる。

 

(私の詠唱破棄で倒せるような相手にも見えぬ。となれば、完全詠唱辺りで頭部を狙うのが最善だろうが、見る限り身軽そうだ。遠距離から狙ったところで躱されるのが関の山かもしれぬな。なら縛道で縛ってからか? ううむ、実戦で鬼道を使ったこと無い故、どの程度で縛れるのかも検討がつかぬな……)

「随分悩んでいるようで」

「うむ。出来れば手を貸して頂きたい所存」

「……いいでしょう」

「なに?」

「私もここで死ぬのは本望ではない。あんな木端の虚如きに……」

「……兎も角、手を貸してくれるのであれば有難い。それで―――」

「私が囮を買って出よう」

 

 大胆に名乗りを上げてきた由嶌に、思わず瞠目してしまう紫音。自殺願望でもあるのかと疑いたくなったが、表情を窺う限りそのような様子は見られない。

 相手側が囮を買って出てくれるのであれば有難いが、果たしてどのように囮に出るのか。ただ単純に囮となって虚と鬼事をする訳でもなさそうだが。

 

「して、その方法は如何に?」

 

 無理な作戦であれば早々に断りを入れよう。

 そのようなことを考えながら耳を傾ける紫音に言い放った由嶌の言葉は―――。

 

「……私の斬魄刀の能力を使う」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ちっ、中々出てきやがらねえ鼠共だ。どこかでチマチマと作戦でも練ってやがるか、応援でも呼んでやがるのか? そろそろ潮時かもしれねえな……」

 

 ブツブツと呟く虚は、踏みつけている斬魄刀を一瞥し、撤退を考え始めている頃であった。応援を呼ばれて駆けつけられれば、囲まれて討伐される可能性が高まる。

 こうなるのであれば、死神の正義感を煽るように一般や整の魂魄でも人質にとればよかったと反省した。しかし、もうそろそろ動かなければ此方が危険になる。

 

「……んぁ?」

「―――んなもので!」

 

 建物の陰からやや声量が抑えられた怒号のようなものが聞こえた気がした。ニヤリと仮面の奥の口角を吊り上げる虚は、そろりそろりと声が聞こえてくる方へと歩み寄っていく。

 次第に聞こえてくるのは、先程の死神達の言い合い。なにかもめごとでも起こしているのだろうか。だが、今の自分にとっては好都合とばかりに、獲物を狙う豹のように姿勢を低くして、攻撃がギリギリ届く場所へと近づいていく。

 そして、

 

「ひゃっはぁ!!」

「―――」

 

 背中を向けていた紫黒色の髪を簪で纏める死神―――紫音の胴体を、その爪による横薙ぎで、真っ二つに切り裂いた。ザンッ、という無情な音が響いた後は、上と下に切り分けられた体が地面に転がる。

 その光景に、紫音と向かい合うようにして言い合っていた由嶌が驚愕の色を顔に浮かべて、悍ましいものを見るかのような目で、尻もちをつきながら後ろに退いていく。

 

「ひ……ひぃ!?」

「はははぁ! なんだか知らねえが幸運(ラッキー)だったぜ! 内輪もめたァ、敵を背中にしてやるもんじゃねえなぁ!」

 

 由嶌を威すように、丸太のような腕を地面に叩き付けながらにじり寄っていく。

 じわりじわり、蛇が忍び寄るように。

 

 散々由嶌が怯え竦む様子に恍惚な気分となっている虚は、無邪気な子供が蟻を弄ぶような感覚で、今からどうやってこの死神で遊ぼうか嬉々として思慮を巡らす。

 しかし次の瞬間、由嶌の表情が恐怖から無へと変わる。

 突然、虚から興味が失せたように、荒んだ瞳の色で地面を見つめ始めるではないか。

 

 なんだ、絶望でもして諦めたか?

 

 虚がそう思った時、何かが足に這い上がるような感覚を覚えた。

 

「なんだぁ? ……いっ!!?」

 

 足にシュルシュルと紐を解くような音を奏でて這い上がっていたのは蛇。やけに細長い蛇が、舌をちろちろと出しながら、虚の体へよじ登ってくる。

 

「な、なんで蛇が俺様の体に……!?」

 

 蛇が特段苦手な訳ではない。しかし、虚が生前蛇に這いあがられるという経験が無かったが故に、こうして堕ちた魂()となった今でさえ、一瞬恐怖を覚えてしまった。

 だが、それが運の尽き。

 

―――カサカサカサ

 

 薄い紙が擦れ合うような音。

 どこからか響いてくる音に、虚は訝しげな色を見せつつ、音が聞こえた方向へ顔を向けた瞬間、虚は仮面の奥の瞳を大きく見開いた。

 カサカサという音は、次第にガサガサと言う音に移り変わる。すると、次第に奥の方から何か黒いモノが近付いてきたのだ。

 波打つように接近してくる黒い波―――否

 

 

 

 

 

 蜚蠊(ごきぶり)

 

 

 

 

 

「い……ひぃっっ!!?」

 

 普通の感性を持つ人間であれば、生理的に拒絶する感覚を覚える虫。それが百や千では言い表せない程の数で、虚の足元にガサガサと走ってきたのだ。

 凄まじい速力でやって来た蜚蠊は、迷うことなく虚の体によじ登る。枯れた雑草のような六つの足を這わせながら、瞬く間に虚の体を覆いつくしていくのだ。

 

「や、やぁ!! 離れやがれ!! 離れろっつって……こ、殺して……や、やめろぉぉぉぉ!!」

 

 情けない悲鳴を上げながら蜚蠊を手で払おうとする虚であるが、一向に蜚蠊が離れる様子はない。

 不快感は増していくばかりだ。

 

 

 

「だ、誰かぁああああ!!」

 

 

 

―――君臨者よ。血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ

 

 

 

「なんでもいいから、ご、ごきぶりをは、ひゃあああああ!!?」

 

 

 

―――真理と節制。罪知らぬ夢の壁に、僅かに爪を立てよ

 

 

 

「あ、あばっ、あばばば……」

 

 

 

―――破道の三十三・『蒼火墜(そうかつい)

 

 

 

 黒く埋め尽くされた視界が一瞬蒼く照らされた。

 次の瞬間、爆音が響いた気がしたが、虚は自身に何が起こったのかも知る事もせずに頭部を吹き飛ばされていたのだ。

 完全詠唱の『蒼火墜』を喰らった虚の体は、瞬く間に霊子に分解していく。

 この虚が生前大罪を犯していないのであれば、あと数秒もすれば鬼道衆の管轄である空間に向かった後、流魂街に向かうことになるだろう。

 

 そのようなことを考えつつ、解放した朧村正を握る紫音は、翳していた手を下ろして由嶌の下へ戻っていく。

 

「ふむ、成程。意外にも呆気なかったな。しかし、其方の協力がなければ易々と勝てなかっただろう。礼を言う、由嶌殿」

「……何をした? あの虚が泡を食ってたが……」

「少々人間には生理的に厳しい悪夢を見せていた故……内容を聞くのも悍ましいものを、な」

「……そうか。まあとりあえず、私も礼を言っておこう」

 

 紫音が差し出した手をとって立ち上がる由嶌。彼は、すぐ近くに隠していた自身の斬魄刀を手に取る。

 柄の部分が輪に囲まれている両刃の斬魄刀。

 

「『墨月暈(すみつきがさ)』……と申したな、その斬魄刀」

「ああ」

 

 始解を解いて、斬魄刀を鞘に戻す由嶌。

 彼の斬魄刀『墨月暈』は、空間操作と霊力吸収を行うという能力。今回行ったのは前者の能力であり、紫音が居る空間を切り取るようにして『複写』し、そのまま『復元』して紫音と言い合いになっているような光景を作りだしていたのだ。

 そんなダミーの紫音を切り裂いて虚が粋がっている間に、本物の紫音は細心の注意を払いながら瞬歩で建物の上を飛び移るようにして、朧村正がある場所まで赴いた。

 その後は言わずもがな。口にするのも悍ましい幻覚を見せて、オイタが過ぎた虚を懲らしめ、錯乱させたところを仕留めたという訳だ。

 

「非常に強力な能力……席官であってもおかしくはない筈でしょうに」

「……斬魄刀の力に、私個人の身体能力が追い付いていないだけ。だから、こんな辺鄙な町に駐在任務として弾かれているのだ」

 

 吐き出すように呟く由嶌は、憎悪に燃え滾る瞳を浮かべながら、ワナワナと拳を震わせる。

 

「皆、私の力を認めようとはしない……!」

 

 憤り。

 歯軋りする由嶌に、得も言えぬ様子になる紫音は、掛ける言葉も上手く見つけられず、頬をポリポリと掻きながら立ち尽くす。

 下手に慰めたところで、『赤の他人に言われたところで……』と思われるかもしれない。

 しかし、紫音は意を決して口を開いた。

 

「……個人の感想ですので、聞き流す程度で」

「は?」

「其方の力を鑑みるに、其方の心根はとても器用なのでしょう」

「なにを……」

「由嶌欧許という死神が、尸魂界が為に活躍することを切に願っております故。それではここらで御免とさせて頂きます」

 

 徐に空に向かって指を衝く様に突きだした紫音。そこへ、ひらひらと地獄蝶が舞い降りてくる。

 そして紫音は、始解を解いて斬魄刀を九十度回す。

 

「解錠」

 

 刹那、円型の襖が紫音の目の前に現れて、尸魂界へと続く道が出現する。フワリと断界から流れてくる霊子の流れをその身に受けながら、一歩歩み出す紫音であったが『ああ、そうだ』と振り返った。

 

「再三ですが自己紹介を。鬼道衆・柊紫音と申します。以後、任務を共にするときはどうぞよろしくお願いいたします」

 

 ペコリと一礼。

 妖しい笑みを浮かべながら穿界門の中へ入っていく紫音を見届けた由嶌は、ふぅと呆れたような溜め息を吐きながらその場に腰を下ろした。

 

(あれで慰めたつもりか……)

 

 淡々とした口調で、如何にも仕事然とした言い草。

 

(だが、陰口を叩かれるよりはマシか)

 

 御世辞でも褒められた方がマシ。それが人の性というものかもしれない。

 後にそれがお世辞でないことを知るのは、また別の話だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「オヤ、疲れた様子デスが何かありマシタか?」

「はい。ですが、少しだけですのでお気になさらずに」

「そうデスか。では、今日の終業後の修行も大丈夫そうデスね。今日こそ、『鏡門を』習得できるように頑張りマショウ」

 

 

 

 


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