「海燕。お前さんに客が来てるぞ?」
「え? 俺にっすか?」
昼休憩の時間帯、モッシャモッシャと握り飯を頬張っていた十三番隊士である志波海燕は、先輩である死神に名を呼ばれて立ち上がる。海燕は、入隊してまだ数年ではあるが席官の地位に就いている実力者だ。霊術院時代には、護廷十三隊副官補佐レベルである“六等霊威”の霊力を有していた。既に始解も会得しており、これからが期待される大型新人と言ったところの人材である。
墜天の崩れ渦潮の紋が刻まれている左腕の方の袖を捲し上げ、訝しげな表情を浮かべながら部屋から出る海燕。
今日は誰とも予定は無かった筈だと考えながら、先輩である上官が顎で指す方向に顔を向ける。
「お、朽木の坊主じゃねえか」
「……名で呼べ。志波海燕」
しかめっ面で佇む白哉の姿を目の当たりにし、『コイツが自分の下を訪れるとは珍しいこともあるものだ』と、呑気に頬をポリポリと掻く。
「見たところ非番か? なんだって俺のところに……」
「兄を紹介しろとせがむ男が居るのだ」
「俺を?」
「ああ、私の後ろに」
「……居ねえように見えるが」
「なに?」
振り返った白哉は、誰一人居ない廊下を視界に納め、眉を顰める。
「……隠れていないで出て来い」
「相分かった」
「うぉおう!? なんだ、『
ヌッと突然現れた中性的な外見の人物に、思わず瞠目する海燕。それが縛道の二十六・『曲光』であることをすぐに理解したのは、流石といったところだろう。
女物の羽織を靡かせ、梅の花が描かれている簪で髪をまとめる少年の『曲光』に感心する海燕であったが、その少年がスッと白哉の後ろから歩み出て右手を差し出してくる。
「鬼道衆の柊紫音と申します」
「おお、そうか。俺は十三番隊士の志波海燕だ。だけど、なんだって俺の所に?」
「其方が優れた槍術の使い手だとお聞きして」
「俺がか? 誰にだ?」
「白哉にです」
「ほーん……」
紫音の言葉に、ニヤニヤとした笑みを白哉の方に向ける。当の本人はというと、海燕の顔を直視しないように日和見に徹しているが、自身が海燕を紹介したという事実を追及されたくないが故の行動だということはすぐに理解できた。
一応、自分のことが認められているということに気分を良くした海燕は、溌剌とした様子で紫音との握手を交わす。
手の甲の肌は女のように白く滑らかだが、手の平には強く物を握った痕である堅い肉刺の感触が伝わる。
見た目と違い、中々の男らしさを感じさせる掌だ。
「俺に槍の使い方を教えてほしいのか?」
「はい。私の斬魄刀も槍の形をしているので、ここは先達の業を見て自分のものにしたいと」
「いい意気だな。俺も他人にあーだこーだ言えるほど、槍の使い方が上手い訳でもねえが……まあ、俺に出来る範囲だったら頑張ってみるぜ!」
「誠に有難う御座います、志波海燕殿」
「あー、堅っ苦しいな……もうちょい砕いた感じでいいぞ?」
「それでは、『海燕殿』は如何でしょうか?」
「う~ん……変わってねえ感じもするがぁ……」
チラッと紫音の腰に差されている斬魄刀を一瞥する海燕。
実際に見せることができるように持ってきたのだろう。殊勝な心意気だと感心しながら、ニッと白い歯を見せる様に笑ってみせた。
「まあ、ちょっと待ってろ! ここでくっちゃべっても仕方ねえしな。浮竹隊長の所に行って、隊舎裏の修行場開いてもらうように言ってくるわ!」
ひらりと手を靡かせて、廊下を軽快な足取りで掛けていく海燕。その後ろ姿を柔和な笑みを浮かべながら見届けた紫音は、未だに日和見に徹している白哉の方に顔を向ける。
「中々快活な方だったな」
「……知っている」
「一体どこが苦手なのだ?」
「昔、よく揶揄われたのだ」
ブツブツと呟くように海燕を苦手とする所以を話す白哉。どうにも揶揄い癖のある人物は苦手な様子の白哉だが、となると自分も苦手な人物のリストに載っているのではないかと、紫音は一瞬不安になる。だが、今更だからどうということはないだろうと、すぐさまその推測は脳を片隅の方へ追いやった。
今は大分落ち着いてきたが、彼は感情的で良くも悪くも真面目。元来、他人を嘲るような態度の人物は得意としないのだろう。
(まあ、単に言い包められ易いから、面倒で相手をしたくないというのも考えられるがな)
口喧嘩では、白哉に軍配が上がり辛い。
口が達者な人物とも相性が悪いのも、彼の弱点といったところか。だからこそ、歳を重ねるごとに口数が減っていく。友人として少しさみしい部分ではあるが、そこは友人らしくそれなりの期間を共にして得た感覚で彼の心情を読み取ろうではないか。
そんなことを考えること数分、行楽気分かと疑うような様子の海燕が二人の下に戻ってきた。
「おう、待たせたな! 勝手に使ってくれて大丈夫だとよ! 早速行こうぜ!」
「有難う御座います。ですが、わざわざ場所をとって頂いたのであればお礼を……」
「悪い。浮竹隊長は体の調子がな……紫音の礼なら、俺が代わりに伝えておくからよ」
「そうですか」
一度、十三番隊に勧誘されたときのことを思いだす。普段、具合の悪いと言われる浮竹には、回道に優れている付き人を欲しているらしいことから、余程の虚弱体質か何かか。
だが、隊長ともある地位から、その虚弱体質を差し引いても凄まじい力を有しているのだろう。妄想はどんどん膨らんでいく。
しかし、折角隊舎裏修行場を借りてくれた海燕の厚意を無下にする訳にもいかない。非番の紫音たちとは違い、海燕は昼休憩中なのだから時間を無駄にはできないと、修行場に案内してくれる海燕の後を追いかけていく紫音。その後ろに、先程とは打って変わって凛とした佇まいの白哉が付いてくる。
(もう少しでお披露目か、朧村正)
振り返ると同時に、自分の斬魄刀に触れる。
『千本桜』は見せてもらったことがあるが、彼に自身の斬魄刀を見せた覚えはない。あっさりと能力を伝えては、なんの面白みもないという考えからだ。
流石に現場で虚と対峙している時に―――というのは無理であったが、相手が護廷隊の席官であれば相手にとって不足は無い。というよりも、此方側が本気でやらなければ怪我をしてしまうのではないかと、若干心配している部分もある。
なにせ、槍術は未だからっきしなのだ。振り回すだけなら得意だが、戦闘ともなれば話は別。だからこそ、海燕の下に訪れたのだ。
(恩に報いる演出は視せてみせようぞ、白哉)
背後に付く白哉に妖しい笑みを投げかけながら、紫音は修行場へ向かう。
***
「よーし、着いたな!」
隊舎裏修行場。修行場とは名ばかりの平原ではあるが、遠慮なしに攻防を繰り広げるには十分な場所だ。春に行楽にでもくれば、大勢の人間が共に杯を酌み交わせるのではないかとも考えるが、今はそんな場合ではない。
スッと斬魄刀を抜いて、杖代わりに地面に鋒を付ける海燕。
「そんで?」
「……はい?」
突然の海燕の問いに首を傾げる紫音。
「おおっ、悪ぃ。俺の斬魄刀のこと、槍だってこと以外に何か知ってるのかって訊きたかったんだよ」
「いいえ。生憎……」
チラリと丘の方で腰を掛けている白哉に瞳を向ける。
紫音の目線に対し、プイッと顔を背けることから、『伝え忘れた』とでも思っているのだろう。
一方海燕は、『そうか』と簡単に応答した後に斬魄刀を構え、クルリと刀身で円を描くように斬魄刀を回し始める。中々独特な刀捌きに紫音は、これから『闐嵐』でも放つのではないかと身構えた。
しかし海燕は、ヘラヘラと笑って紫音を宥める。
「まあ待てって。知らねえなら、今から解放してみせるからよ」
「はい、ではどうぞ……」
どうやらこれから始解を実際に見せる様子の海燕に、紫音はその場から一歩下がってみせる。
次の瞬間、真剣な面持ちになった海燕が今迄で一番勢いよく斬魄刀を回して見せた。
「水天逆巻け―――『
ザァ、と波打つ音が響いてくる。刹那、海燕の斬魄刀がどこからともなく現れた透き通った水に覆われていく。次第に淡い水色に包まれる斬魄刀は、次第に長さを増していき、数秒後には海燕の身長を超すほどになる。
直後、パンッと水が弾ければ、刀身と柄の根元から瑠璃紺の毛を靡かせる、一本の三叉戟が姿を現した。
「こいつが俺の斬魄刀の『捩花』! 流水系の斬魄刀で、コイツから出る水で相手を粉砕、圧殺するっつー能力だ」
「成程」
「それで、紫音の斬魄刀は?」
手を伸ばして、紫音に始解するように促す海燕。
それを目の当たりにした紫音は、着ていた羽織を脱ぎ捨てて斬魄刀に手を掛ける。紫黒色の柄を握り、滑らかに刀身を抜いた。銀の刀身は、雲一つない澄み渡る空の光景をその身に映し取っている。未だかつて血を浴びたことのない刀身は、錆び、欠けた様子は一切感じられない。元より斬魄刀は所有者の霊力で直る代物である為、余程手入れを怠っていない限り錆びることはないのだが。
兎も角、朧村正を抜身にした紫音は、クスりと一笑。薄い唇で上限の月を描くように妖艶な笑みを浮かべた。
「
一瞬、紫音が手に握る斬魄刀に靄がかかる。するといつのまにやら一本の日本刀が、不気味な雰囲気を醸し出す千鳥槍に変貌したではないか。
一見、何の変哲もない槍なのだが―――。
(なんだ? なんかソコに槍が無えみたいな……)
「海燕殿。解放はしましたが、これからは一体何をするのでしょうか?」
「ん? ……お、おう。軽く打ち合ってみるか」
「分かりました。では……いざ!」
「おう、掛かってこい!」
脱兎のごとく駆け出す紫音は、瞬歩で海燕の懐に肉迫する。
長物である槍だが、刀身の部分は封印状態の時よりも短くなっている。的確に刀身で相手を捉える技術が必要な槍術であるが、槍同士の戦いともなると、刀との戦いとは一味違ってくるのだ。
木製の部分が幾度となく激突する音が修行場に響く。時折、鋼の部分がぶつかり甲高い音が天高く響き渡るが、それ以外は鈍い音だけだ。
紫音の必死の攻撃を、海燕が上手くいなしている。刺突を縦や横に薙いだり、時折持ち手の方を振り回してくるという攻撃には、縛道の八・『斥』で弾くように防ぐ。
猛攻、と評するべき攻撃。
しかし、
「軽ぃな!」
「むっ……!?」
海燕が横に一薙ぎ。
すると、その一撃を前に槍を縦にして防いだ紫音が、膂力の差を前に後ろに弾き飛ばされてしまう。だが、途中でクルリととんぼ返りした紫音が、朧村正の鋒を地面に突き立てるようにして衝撃を和らげて着地する。
曲芸かなにかかと疑ってしまうかのような身のこなしだ。
だが、何かに気が付いた海燕が、『う~ん』と唸りながら紫音の下まで歩み寄ってくる。
「あ~、なんか言い辛いんだけどよ……俺と紫音の槍術は別物かもしれねな」
「と、言うと?」
「俺は捩花を、手首を軸にして回す感じで使ってんだ」
「道理で中々独特な槍術だと思いました」
「だろ? 言い換えりゃあ、俺は捩花っつー槍を扱う為にこんな感じの扱い方になってるんだよ。それに比べて紫音の槍術は、教本通りっつーか……」
「実際、教本を頼りに鍛錬を積んでおります」
「そうなのか? まあ、つまるところよぉ……俺の槍術を参考にしても、紫音の役に立たねえ気がしてよ」
苦笑を浮かべる海燕。
彼は、自身の斬魄刀・『捩花』の能力を最大限に生かすための槍術を独自で身に着けている。元より自身の魂を映しだした刀―――もとい、槍を扱っているのだ。そうなるのは自然というものだが、ここで決定的な問題が発生する。
『何にでもなれる最強の斬魄刀』が進化した先は、所有者の唯一無二の斬魄刀。その斬魄刀の最大限に扱える槍術を真似したところで、他人の“唯一無二”が最大限に扱える訳ではないということだ。
流水の如く、流れるように麗しく
それが捩花の能力を生かす槍術だ。
「せめて、お前の斬魄刀の能力が知れたら助言できんだけどよ……」
「ならば視せましょう……少し」
「お? 後ろに下がればいいのか?」
押し出すような挙動を見せて海燕に下がるようジェスチャーで伝える。
五メートルほどの距離をとった所で、紫音は朧村正の柄尻を地面に付けて瞼を閉じた。これから何が始まるのだろうと、海燕のみならず白哉も目を凝らして紫音を見続ける。
(……ん?)
声には出さず、地面を見下ろす海燕。
「おおっ!?」
次の瞬間、頓狂な声を上げて飛び上がる。
彼が目にした光景とは、修行場の地面が大きくひび割れていく、その罅から絶え間なく溶岩が溢れ出してくるという、見るだけで汗がにじみ出るような光景だ。
ぐつぐつと煮えたぎる―――燃え盛る溶岩を前に、じっとりと額に汗を滲ませる海燕。
溶岩など実際に見たことは一度たりともないが、噴き出す溶岩に纏わりつく炎。周囲を赤々と照らし上げる様を実感出来れば、それが“溶岩”と認識できていなくとも“脅威”であることは容易に想像できた。
と、思っている内に溢れ出す溶岩が自身の足元に迫ってくるではないか。
迫りくる溶岩に、海燕が流す汗の量も桁違いに増える。
「これはっ……ヤベー奴だろ!」
次の瞬間、海燕は反射的に捩花を振るって波濤を溶岩目がけて繰り出した。煮えたぎった岩の塊を休息に冷やしていく、途轍もない量の激流。
近くに滝でも流れているのではないかと錯覚してしまうほどの波濤を繰り出せば、溶岩は瞬く間に冷えていき―――。
「……お?」
一かけらも残らずに消え失せた。
余りに突然のことに、海燕は呆けた様子で地面を見続ける。
しかし、前方でピチョピチョと水滴が滴る音が聞こえてくることに気付き、バッと顔を振り上げた。
海燕の視界に映ったのは、簪で纏め上げた髪も下りて、全身ずぶ濡れの紫音の姿。着物が着崩れて鎖骨が露わになるなど、女性であればかなり危うげな姿だ。
「悪ぃっ!!」
「……いえ、今のは私に非があったでしょう」
すぐさま手を合わせて謝る海燕に対し、紫音は至って冷静だ。まさに頭を冷やした状態の紫音は、自身の着物の裾を掴み、海燕の波濤によってびしょびしょとなった着物から水分を絞る。
そこへ紫音の簪を片手に白哉がやってきて、ずぶ濡れとなった友人を憐れみの瞳で見つめながら、少しでも乾くようにと威力を調整した『
「……紫音。兄は何をしたのだ?」
「なにって白哉。お前見えなかったのか?」
「私は紫音に訊いているのだ。私には、兄が地面を見て情けなく慌てふためいて波濤を繰り出し、それを真面に受けた紫音が濡れた光景しか見えなかった」
「はぁ!? お前、あのヤバいのが見えてなかったのかぁ!?」
「……だからなんだ、それは? 私にはなにも見えなかったぞ」
当事者を挟むようにして口論する海燕と白哉。何やら、視えていた光景に相違があるようだ。
「まあ白哉、待て。海燕殿もです。私の斬魄刀の能力を聞けば、自ずと解は分かるでしょう」
二人の間に割り入って宥める紫音は、ピッと右手の人差し指を立てる。
その様子に、二人は口論を止めて固唾を飲み、紫音の続く言葉を待つ。海燕には溶岩が大地から溢れるように見えさせ、白哉には一切の“変化”を見せなかった朧村正の力とは―――。
「簡潔に言いましょう。『相手に幻覚を見せる』―――それが『朧村正』の能力です」