まだ夜半というべき時間に目が覚めた。借りている部屋を施錠して宿を出る。
流石にこの時間帯、このあたりには明かり一つ灯っておらず、月明かりだけが闇を照らしている。南東の歓楽街は昼夜逆転しているというモルドの話を思い出すが今から行こうとは思わない。
これからトレーニングをするのだ。一つ一つを
軽くストレッチをして腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回を一つ一つ丁寧にやっていく。常にイメージするのは最強の自分。一つ、また一つと最強の自分に近づいては離れていく。筋線維が強く、もう一つ強くなるのを感じていく。今の自分の身体のことで分からないことは一つもない。
ここまでで二時間。そこからオラリオの中を探検がてら走り始める。半分走ったと思ったところで来た道を引き返して宿に戻る。傷んだ体を癒すためのストレッチを終える頃には空がほんのり白んでいた。
「朝ごはん食べなきゃ。お、そうだ。―――いいこと思いついた」
名案を思いついて、それをどう実行に移すかを順序立てて考える。ある程度計画を練り終えて装備を身に着ける。1万ヴァリス程を持って宿を後にした。
「や、リリルカさん。おはよう」
ちゃんと来てくれていたようで内心ほっとした。
「ベル様、おはようございます。今日を入れたあと六日、よろしくお願いしますね」
「うん。こちらこそよろしく。―――じゃ、まずは朝ごはん食べに行こうか」
「はい、ダンジョンに―――え?」
驚く顔を他所に、口早に続ける。
「だから、ご飯食べに行こう。朝ごはん抜いてきたんじゃないの?」
「それは、まあ。………サポーターは冒険者様抜きでは生活できませんから、節約しないと………」
「じゃ、今日から一週間、一緒に朝ごはん食べようか。僕の奢りでいいからさ」
「………うーん。そういうことなら、ご一緒しましょうか」
この時間から出てくる冒険者もそれなりにいるようで、宿屋の主人は食事代を二人分払ってくれるならという常識的な条件で、こうしている間にも作ってくれている。
出る前に美味しそうな匂いがしていたのを思い出していると腹の虫が鳴って、リリルカが小さく笑う。
宿屋で出てきたのは具材がゴロゴロと転がっていて味を出して、うま味を吸っている、見るからに美味しそうなスープと硬めのパン。スープに付けて食べるようで腹持ちがよさそうだ。運んできてくれた主人に追加でお昼ご飯を頼んでおく。
「へぇ、リリが入ってるのは【ソーマ・ファミリア】なんだ。でもなんで一緒に行かないの?」
「はい。ホームの中はちょっと居心地悪くて。………その、リリは【ファミリア】から許されて一人でやってます。ところで、なんでそんな事が気になられたので?」
「んー? まぁ、ちょっとね」
食事で気が緩んだのだろう。リリと呼んでも良いくらいには打ち解けた。
しかし彼女が入っている【ファミリア】のことを聞いてみると、どうやら地雷だったようだと内心ため息を吐く。昨日は感じなかった仄暗い何かは、どうやら【ファミリア】がらみの事らしい。彼女の【ファミリア】に入るのもいいかもと思ったが、止めておいた方がよさそうだ。
「不思議な人ですね、ベル様は。………他の冒険者様のことを悪く言うわけではないのですが、ちゃんと約束を守って、こうしてサポーターに食事を奢る人なんて聞いたこともありません」
「そういうものかな? 大事な物を預かってくれたり、命懸けで戦う自分をサポートしてくれる人の事を大切にするのは当たり前だと思うけど」
可愛い女の子なら尚のこと、という台詞は飲み込む。
「―――ッ! いえっ………なんでもないです。本当にベル様はお優しいですね」
「そうかなぁ………?」
「―――………いつか足元掬われますよ」
聞こえないように言ったつもりだろうが、しっかり耳に届いていた。聞いてないフリをしながら飲みかけのミルクを飲み干して立ち上がる。
支払いは食べる前に済ましている。出来上がった二人分の弁当を受け取り、リリに持たせる。
「じゃ、君と僕のお弁当しっかり持っててね」
「………さっき食べたばかりじゃないですか」
「僕の分食べたら怒るから」
「ベル様と一緒にしないでください! もう!」
食事の時に被っていたフードとったので気づいたが、獣人だ。耳が頭の上から生えている。そしてピコピコと動いていて可愛い。
一物抱えているようだが、彼女を雇って良かったと素直に思った。
Ξ-Ξ-Ξ-Ξ
「す、凄い」
「それほどでもないよ。今まで行った事あるのは5階層までだし」
普通にゴブリンの四肢を切断して頭を斬り飛ばしただけだ。しかし、リリには一瞬の出来事。刹那にして、ゴブリンはバラバラに解体されたよう見えた。
「なるほど。………お察しします。リリが行った事があるのは11階層までですが、そこまででよろしかったらご案内します」
「うん………。ありがとう」
都合よく解釈してくれた。血に濡れた刀をゴブリンの腰衣で拭いとって、鞘に戻す。リリはそれをみて魔石を取り出す作業を始めた。
「―――業物の刀に、『
「いやー違うんだけどなー」
「いやいや、そんなご謙遜を。5階層までに炎を使う敵は居ません。本当に5階層までしか行った事のない冒険者なら必要ないはずです。………あまり詮索するつもりはないのですが、昨日のことといい、ベル様はかつてオラリオに居た上級冒険者なのでは? 訳あって目立ないようにされてるようですし」
期待半分、もう半分がヴァリスで輝くリリの目が眩しくて本当の事が言えてない。ダンジョンに潜るのには『神の恩恵』が必須だというのに、それがまだないことを。
「………ま、18階層目指してがんばろっか」
「じゅうはち!? やはり、ベル様は―――………良い金ヅルですね」
10階層辺りまで進んだら言おうかと緩く決めて、リリがこちらに聞こえないよう、ぼそりと呟いた言葉を拾ったがスルーした。
―――僕のサポーターが真っ黒だけど、可愛ければ問題ないよね!
「ベル、さま! はやい、です………!」
「んん? そうかな? ならもうちょっと進行速度緩めよっか」
「はぁ。はぁ………。はぁ」
リリの息遣いにドキドキしてちょっと歩く速さを早くしていたと言ったら怒られそうだ。
現在8階層。未到達の階層だが、此処までに出くわした敵は軽々と捌けた。途中フロッグシューターという蛙を大きくして目を一つにしたモンスターには一度刀が滑って焦ったが、突き刺せばあっさり殺せた。
歩く速さを遅くして通路からルームに入り、3秒とかからずにそこに居たモンスターを一掃する。
「そろそろ、昼頃だと思う。ちょっと休憩してご飯にしよっか。リリも疲れてるみたいだし。落ち着いたら僕の分ちょうだい」
壁を刀で傷つけながらリリが落ち着くのを待つ。
斬撃を飛ばせるが、それをリリの前で見せる訳にはいかない。すれ違う冒険者の戦いを見る限り、そんなことが出来る人間はいなさそうだ。
モルドから聞いた話だと、モンスターを生み出すことよりダンジョンは壁の修復に力を回すらしく、「直るまでの間はそのルームでモンスターは発生しない」とのこと。しかし情報のソースが問題だ。実際に試してみる良い機会だった。
「はひ。ふぅ―――落ち着きました。………はい、ベル様。あの、本当にリリも貰ってもいいのでしょうか?」
「いいよいいよ。自分だけ食べて、リリが食べてないのは申し訳ないからね」
「では有難く頂きます。………ロールパンサンドですか。………、うん。あのご主人腕がいいんですね。まだ葉っぱがシャキシャキしてます。口の中が乾きそうだと思いましたが、余計な心配でした」
「………ホントだ。凄いな、あの人。………今度調理法教わるかな」
ベーシックにトマト、ベーコン、レタスにチーズが入っているだけだが、数種類の香辛料が使われていると思われるソースがピリリと舌を刺激して、嗅覚もツンとした刺激が来る。味覚も嗅覚も飽きさせない。実に美味だったが、ボリュームもあって満足感も大きい。ダンジョンに潜るのであれば最適な一品だった。
少し食後の休みを取ってからルームを後にする。モルドの言葉は正しく、壁が直るまで、ダンジョンはモンスターを産み落とそうとはしなかった。
13階層。冒険者の資質が問われる『
リリの案内が終わったが、問題はない。
「―――凄すぎ。これじゃ普通にサポーターしててもやれそうですよ。別に―――」
「………あの」
「あ、はい! なんですかベル様!」
「うん、なんでもないよ」
どこの【ファミリア】にも所属していないこと、【ステイタス】も持っていないことを打ち明ける機会を逃したことを除けば概ね順調だった。
17/3/14 表記揺れの他、おかしな点を修正。