完璧で瀟洒な従者、十六夜咲夜。主である吸血鬼、レミリア・スカーレットとの埋められぬ寿命の差は驚くほど早く訪れた。残されたレミリア・スカーレットは――――

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十六夜月の日

 本来なら煩わしく感じるはずの雨音を一切たてず、静かに小雨が辺りを濡らす。そんな雨の中、僅かに赤みがかった白い傘をさした少女が、真っ赤な家――――と呼ぶにはいささか大きすぎる、城とも呼べるような館を前に独り立っていた。いつも、傍らに立って、日傘や雨傘をさしていた従者、十六夜咲夜の姿が今日はなかった。それもそのはずである。なぜなら――――今日は、彼女の葬儀の日だからだ。

 あまりにも、早すぎた死だった。同じくらいの年ごろである早苗や魔理沙、そして霊夢も、まだ成人を迎えていないというのに。咲夜も、まだ妖怪単位はおろか、人単位でさえ若すぎたはずだった。そう、はずだったのだ。

 

 

「この娘は……内臓や筋肉、脳まで。若いには若いのだけれど、まるで80まで生きた人間のように疲労しているわ。身体機能はまだ10代の人間でも身体の損傷具合は80代の人間並み」

 ふと、咲夜を検死した永遠亭の八意永琳の一言が脳裏をよぎる。ババ臭い部分なんてなかったし、肌にもハリとツヤがあって、頭髪も白髪ではなく美しい銀髪と呼ぶべきものだった。なにより、紅魔館の仕事を軽々こなし、時折現れる闖入者を華麗な動きで撃退し、そんな彼女からは、まるで一切「老い」というものは感じることができなかった。事実、八意も、彼女の体は老いていたというよりも、疲弊していたというべきだ、と言った。過剰なストレスか疲労が原因ではないか、という。

 咲夜の主であり、今館の前に立っている少女、レミリア・スカーレットがその原因について思い当たる節は、一つだけ、そう一つだけ存在した。彼女の能力、時を操る程度の能力である。恐らく、その強力な能力は、生身の人間である咲夜にとって――――分かっていたのかどうかに関わらず――――とても耐えきれる力ではなかったのだろう。

 

「咲夜。時を止める力……貴女の体に負担はないの?」

「ええ、ありませんわ。何か、お考えがおありで?」

「もし……もしその力を使うとき、貴女に負担があるのなら。私は、その力を使ってほしくはないわ。貴女ほど優秀な人材、そう手放したくはないもの」

 あるとき、咲夜と交わした会話を思い出す。あの時、彼女は負担はないと言った。だが、あるいは。本当は、彼女は知っていたのではないだろうか。いいや、おそらく知っていたに違いない。月明かりの照らした彼女の顔を見た時に違和感を覚えた。その違和感の正体は、きっと嘘をついていたことなのだろう。以前、話し合った直後も考えたことを思い出すと、歩くことも忘れて、レミリアはただただぼうっと突っ立て、霧雨ともいうべき小雨を降らす薄暗い空を見るしかなかった。空を見ていると自然と紅魔館が目に入る。窓の少ない、真っ赤な館の時計塔から飛べば、咲夜のいる冥界に辿り着けやしないだろうか。でも、咲夜は私に仕えてしまったから、天国ではなく地獄に行ったかもしれない。そういえばこの前、やたらと小うるさい、閻魔だと名乗った奴が死んだ者は一度は地獄に落ちて、生前の罪を償うとか言っていたか。ならば確実に地獄だろう。そんな考えが浮いては消えを繰り返す。

 不意に、草木を軽く踏むような音がした。その音の方へ首を回す。そこにいたのは、旧き友であり、普段の紫を基調とした服ではなく黒い喪服を着こんだ、パチュリー・ノーレッジだった。今日はいつも以上に静かであったのは、彼女もまた、咲夜という一人の人間を慕っていたからか。レミリアの赤みがかったものと同じデザインの、紫がかった白い傘をさした彼女がゆっくりと口を開いた。

「どうして……来なかったのかしら」

「どうして……?」

 パチュリーの声には、疑問、そして若干の憤怒の念がこもっているように感じる。レミリアの答えに、憤怒を若干増した声色で、パチュリーは続ける。

「咲夜との最期の別れに、なぜ来なかったと聞いているのよ」

 先ほどよりも睨むような目つきで問うた彼女に、レミリアはしばし沈黙をつくる。わずかに目を閉じて、再びゆっくりと開く。そして、答えた。

「私は吸血鬼よ? 私よりはるかに……そう、はるかに寿命の短い人間が一人死んだくらい……いちいち慌てていられないわ」

 笑みを浮かべ、余裕すらあると言わんばかりの表情で言い放ったレミリア。対して、パチュリーは、一瞬目を見開いたかと思うと、その薄紫の眼でより一層強くレミリアを睨み、身体を震えさせた。そして次の瞬間、掌から魔力を用いて生成した炎の塊をレミリアに飛ばす。パチュリーの怒りをそのまま表したかのような炎は、小雨などないと言わんばかりに全く影響を受けず、レミリアに直撃する。レミリアは防ごうともかわそうともせず、その炎を浴びた。吸血鬼であるから肌が焦げたのも「肌が焦げた程度」で済ませられるが、人間ならば間違いなく全身が灰になっていたレベルの魔力がこめられていた。

「貴女……そこまで下衆な考えだとは思わなかったわ!!」

 滅多に荒げぬ声を荒げてレミリアを非難するパチュリーに対し、レミリアは埃をはたいて落とし、傘を拾い直してこう告げた。

「パチュリー。人間に限らず命あるものは誰もがいずれ死んでいくわ。例え吸血鬼の私でも例外じゃない。咲夜が死ぬ運命くらい……私にも見えていたわ。貴女も薄々勘づいていたんでしょう? 彼女の能力は彼女の身を蝕んでいたと」

 淡々とレミリアが告げる中、パチュリーはさらに怒りを加速させる。

「なら……貴女の力で止められたはずよ!!」

「ええ、そうね」

 感情的に怒りをぶつけるパチュリーと冷酷なまでに淡々と話すレミリア。普段とは全く逆と言っていい二人の話し合い方は、周りにいた妖精メイド達がその付近の仕事を避けるほど周りへプレッシャーを与えている。

「貴女の言いたいことも分かるわ。咲夜は私達に返し切れない程尽くしてくれた。咲夜自身の意思で力を使ったのよ」

「だからって……!」

 そう小さく漏らしたパチュリーはそれ以降の言葉を飲み込む。そして「そうね、貴女は我儘な吸血鬼だったわ」とだけ残し、レミリアに背を向けて行ってしまった。レミリアは追うでも止めるでもなく、それをただただ見送った。

 

「そうね……私は我儘だわ。だけど、咲夜。貴女も、結構我儘だったわね」

 パチュリーが行ってしまってしばらく。レミリアが小さく零す。自分に嘘を吐いてまで能力を使って私達に仕えた、その我儘を思い出して、一つため息をつく。パチュリーの言った通り、自分の力――――運命を操る程度の能力と、吸血鬼の強大な力があれば、確かに咲夜が能力を使うのを止められたかもしれない。でも、レミリアにそれを止めることは到底できなかった。人が引いたころ、ゆっくりと最期の別れを言いにでも行くか……そう思ったレミリアは、今回咲夜の葬儀を行うに当たって場所を提供してくれた霊夢に、焼くのは自分が別れを終えるまで待ってもらうよう伝えるべく、背のコウモリのものを大きくしたような勇ましい羽を広げる。地を強く蹴り、雨の中を傘で強引に切り裂き、一直線に博麗神社へと奔る。もし手遅れになってしまっては、あの世で咲夜に笑われてしまいそうだ。

 

 

 

「霊夢。いるかしら」

 博麗神社の人目のつきにくいところに着地し、霊夢に声をかける。皆出された看板にしたがって移動していたから、見つからないのは比較的容易だった。案の定というべきか、霊夢は茶の間で僅かに湯気の立つ湯呑をお供にのんびりとしていた。場所は提供したがあとは他の人に任せていると言ったところだろう。

「来たわね。分かってるわ、まだ焼いてないから、あとでゆっくり話しなさい」

 持ち前の勘かは分からぬが、言いたいことを察した上での提案を聞いたレミリアは、自分でも気づかないうちに、頬が涙でぬれたのを感じた。気付いた時には、涙が止まらなかった。そんなレミリアを、霊夢は雨にぬれるからと神社に上がらせる。何の抵抗もなくレミリアは霊夢に引かれて茶の間へ上がり、座り込んだ。吸血鬼らしからぬ、見た目そのままの少女のような泣き方に、霊夢はこれまた分かっていたかのように用意していた茶を差し出して、先ほどと同じ場所に再び座って湯呑を手に取る。

 

「……霊夢。あ、ありがと」

 幾ばくかの時間を挟んで落ち着いたレミリアが、恥ずかしそうに霊夢に言った。それを聞いた霊夢は何も返さずにただ座って先ほどと同じく微笑んでいるだけだったが、レミリアはその霊夢の態度にほっとして、少しぬるくなった茶をすすった。泣いて失った水分が体に染み渡る感覚というのは吸血鬼にもあるらしい。ほぅ、と息を吐くと、肩の力がいくらか抜けて落ちた気がする。それを見た霊夢が、ようやく口を開いた。

「レミリア。パチュリーと喧嘩したんでしょ」

 ズバリ言い当てられてレミリアは戸惑い、霊夢がその根拠を提示した。

「だって、パチュリーったら、あんたがいないのを見て来た時より速く飛んで行ったもの。でもどうせあんたのことだから、意地でも張ったんだろうと思ってね」

 うぅ、とレミリアがたじろぐ。それを見て正解だったと知った霊夢は逆にクスクスと笑って、レミリアは顔を真っ赤にする。霊夢のおかげでいくらか緊張の解けたレミリアは、客足の遠のくまで、霊夢としばし談笑していた。内容は主に咲夜の事だった。紅霧異変で初めて出会った時からの付き合いだったから、二人の咲夜に関する思い出は尽きることはなかった。初めて会ったときのこと、初めてレミリアと一緒に神社に遊びに来た時のこと、共同で異変を解決しようとした時のこと……湯呑に茶が注がれた回数が3回目になった頃、外の客足がほぼなくなったことを感じた霊夢が、そろそろ、とレミリアに切り出した。それまでの緩んだ表情を一変させて上唇を軽く噛むレミリア。しかし覚悟は決まっていた。咲夜の亡骸に向き合って、最期の別れを告げなくては。

 レミリアはゆっくりと、しかし力強く立ち上がる。ゆっくりと確実な足取りで咲夜のもとへ向かうレミリアからは、先ほどまでの迷いは感じなかった。霊夢に案内されて、咲夜の眠る棺の前にレミリアは立った。終わったら呼ぶようにと霊夢は残して、レミリアと咲夜を二人っきりにしてやる。そんなさり気ない気遣いに感謝しつつ、レミリアは咲夜に話し始めた。

 

 

 

 ねえ、咲夜。貴女の我儘で、パチェと喧嘩しちゃったわ。いつになく怒って、声を荒げて。嫉妬しちゃうわね、貴女がこんなに想われてるだなんて。貴女は私の従者だったのに。

 ――――うふふ、お嬢様らしいですわ。 

 

 ねえ、咲夜。それでも嬉しくもあるの。不思議よね。自慢の従者に皆メロメロだからかしら?

 ――――とても光栄ですわ。

 

 ねえ、咲夜。貴女は紅魔館に居て楽しかったかしら。私にコキ使われて、私以外の面倒も見て。

 ――――もちろん、人生で一番楽しい時間でしたわ。

 

 ねえ、咲夜。貴女の声はもう聞こえないけれど、私の声は聞こえるのかしら。出来れば最期にもう一度だけ、貴女の声を聴きたかったわ。

 ――――ごめんなさい、お嬢様。きっと、またきっとお嬢様に声をお聴かせいたしますわ。

 

 ねえ、咲夜。貴女が私に吐いた一つだけの嘘、覚えてるかしら。なんで能力を使い続けたの?

 ――――それは、お嬢様の役に立ちたかったからですわ。。

 

 ねえ、咲夜。貴女が早く死んで、悲しんでる人もいっぱいいるのよ?

 ――――とてもありがたいことですわ。

 

 ねえ、咲夜。一番悲しんでるのは私なのよ? やっぱりあの時止めればよかったわね。

 ――――お嬢様、私はその言葉だけでうれしいのです。

 

 ねえ、咲夜。戻ってきてよ……咲夜ぁ……

 ――――…………

 棺に覆いかぶさるようにうずくまり、再び涙を流す。嗚咽が静かな部屋に響いて、咲夜がいないことを嫌でも実感してしまう。それで余計に涙が止まらなくなって、大きな声を出すのを躊躇うのも忘れて泣きじゃくる。

 ――――大丈夫、必ずお戻りします、お嬢様。

 ふと、声が聞こえた気がした。慌てて辺りを見回して、咲夜の名を呼ぶ。しかし、しんと静まり返った部屋にレミリアの声が響くだけで、誰の返事も帰ってこなかった。それでも、レミリアは確かに、咲夜の声を聞いた。主を励ます、完璧で瀟洒な従者、十六夜咲夜の声を。

「咲夜……そうね、貴女の死でくよくよしていたら、貴女の面子が立たないわ。私は吸血鬼、血を吸う悪魔。気高きスカーレット家の者……」

 ゆっくりと立ち上がって、涙を拭く。

「もう貴女のことでくよくよするのはやめるわ、咲夜。貴女が生きていたことを忘れない。それでいいのよね、咲夜」

 ――――はい、信じております、レミリア・スカーレットお嬢様。

 レミリアは、ただ一つ、後悔したことがある。咲夜の能力を使わせないか、能力に耐えうる身体――――吸血鬼としての体を与えなかったことだ。しかし、彼女にそうさせていたら、レミリアはきっと、もっと後悔していただろう。咲夜に、今度は笑顔を向けて。

「おやすみ、咲夜」

 最終的には、たった一言の別れだったけれど、レミリアと咲夜に、それ以上の言葉は必要なかった。

 

 

「霊夢。ありがとう」

「もういいのね?」

 形式的に聞いてきた霊夢だが、きっとレミリアが満足しているのはもう分かっているだろう。何せ、レミリアの顔は既に晴れ晴れという言葉が似合うものとなっているのだ。これ以上長引かせる意味もない。人として精一杯生きた咲夜を、笑顔で最期の旅立ちを送り出してやろう。吸血鬼には似つかわしくない、人間らしい感情だった。

「さ、最期の旅立ちはあんたが背を押してやりなさい」

 霊夢から、火種を渡される。目の前にあるのは、咲夜の眠る棺を囲う小さな部屋のような場所。火葬を行うための簡易的な小屋である。レミリアは霊夢に指示された場所に火種を入れる。しばらくすると、中が本格的に燃え始めたのが分かるほどの熱量を感じた。

「咲夜。あんた、幸せ者よ。主にここまで想ってもらえたんだから」

 霊夢がポツリと漏らす。霊夢には、咲夜はきっと何百年かかろうともレミリアのもとに返ってくるのだろうという確信があった。あの閻魔もたまには言い寄られて苦労するといい。そんなことを考える。

「ねえ、霊夢。咲夜は最期まで人間だったわよね?」

「ええ。咲夜は、最後の最後まで人間だったわ」

 問いかけに答えた霊夢に、レミリアは嬉しそうな笑みを浮かべる。自慢の従者を誇るように、少しだけ胸を張って笑っていた。

 

 

 

 博麗神社から紅魔館に戻ったレミリアは、いつも通りテラスから入るのではなく、今回は門を抜けた先の庭に降り立った。その先では……先ほど仲違いをした親友、パチュリー・ノーレッジが、来るのが分かっていたかのように待っていた。

「見送りは済んだの?」

 パチュリーから発せられたのは、先ほどとは違ういつも通りの口調での一言。レミリアは驚き半分と、何となく予想通りだった安心感半分といった心境だった。ええ、とだけ答えたレミリアの表情を見て、何かを悟ったらしいパチュリー。口元を僅かに緩ませて続けた。

「よかったわ。あの頃と変わってなくて。あの頃の……気高くて、それでいて負けん気の強い貴女のままで」

 悪戯気味の台詞に何か思うところがあったのか、顔を赤らめるレミリア。それを見てパチュリーも微かに噴出して笑う。

「さ、中に入りましょ? 小悪魔に料理を頼んであるわ。お清め、って言ったかしら。どうせ貴女のことだからやっていないんでしょう? 咲夜には後腐れなく旅立ってもらいましょう」

「気が利くのね……じゃあそうしましょう」

 レミリアが答えると、パチュリーがレミリアに歩み寄り、手を差し出した。一瞬きょとんとしたレミリアだったが、すぐにその手をとって、笑みを浮かべて言った。

「あの時パチェは私の手が温かいって言ってたけど……貴女もそうね」

「ふふ、そうかしら?」

 そう答えたパチュリーの顔は、ほんの少し、照れて赤らんでいた。対するレミリアは、百年近い昔のリベンジができたと、したり顔である。お互い、それからほんの少し立ち止まって見つめあったかと思うと、どちらからともなく噴き出して、クスクスと笑いだす。ひとしきり笑いあうと、手をつないだままだった二人は、今回はパチュリーのリードで紅魔館に入っていった。

 

 紅魔館の食堂では、パチュリーの言っていた通り、小悪魔の用意した料理が並んでいた。

「本当は家でやるものじゃないらしいけど、やらないよりいいでしょう?」

「そうね。じゃあ、いただきましょう」

 並んだ料理は主に和食を中心としたものだった。パチュリー曰く――――正確には彼女の持つ本曰く、こういう時は寿司が定番の一つというが、この幻想郷で寿司に使える魚を、となると、若干、いやかなり面倒なことになる。ゆえに、小悪魔や妖精メイドの尽力によってどうにか確保した山菜などを中心としたもので魚の代理を賄っている。具体的にはてんぷらやあえ物、それと果物の盛り合わせなどといったところだ。寿司と違い元から赤や黄色、橙や緑などの色を多く持つこれらは、若干華やかさと温かさを感じさせる。

 実をいうと、パチュリーもレミリアも、いきなり小悪魔に任せたということで不安があったのだが、食卓に並ぶ料理を見てほっとしたようだ。パチュリーが小悪魔を労って、レミリアの音頭で妖精メイドや小悪魔、そして外で番をしていた美鈴達も含めて、料理に手を付け始める。ここでもやはり、咲夜に関する話題は尽きることはなかった。咲夜の思い出話は辛いものになるかと思っていたレミリアだったが、彼女にまつわる思い出はむしろ、皆を笑顔にさせていた。やれ、メイド長はやたら厳しくて掃除が大変だった、だの、図書館が少し散らかっていたら空間を元に戻すかと脅されて小悪魔が焦って掃除しただの、どやされたことに関する思い出が多かったが、過ぎてみればそれも良い思い出になっていた。

 昼下がりから始まったお清めは結局日が沈み月が昇った頃まで続いた。料理もほとんどなくなり、皆しゃべり疲れてきて、誰からともなくお開きの流れになる。妖精メイドが片づけを終え、小悪魔もパチュリーと共に地下の図書室に戻る。独り、薄暗い食堂に残ったレミリアが物思いにふけっていた。

 どこを見ているかレミリア自身も意識していなかった。ただぼうっとしている、という方が適切かもしれない。何か考えているのかと聞かれたら、特に何も、と答えるのが相応しいかもしれない。ふと、そんなレミリアの視界に入っていた食堂の数少ない窓に意識が行く。チラリと見える月を見て、ただ何となく近くのテラスへと出る。雲一つない夜空に、先ほどと違って窓枠に遮られていない大きな月があった。注意深く見ないとわからない程ではあるが、ほんの少しだけ欠けた月である。

「十六夜……」

 ぽつり、と口をついて出た月の呼び名。レミリアにとっては、従者に与えた名の一部でもある。昨日の満月から一日たった、静かに優しく照る蒼い月は、天に上った咲夜の魂だろうか。そんなことを思った直後、自分のキャラじゃないなと呆れて笑う。しばらくずっと月を見ていたが、ため息をひとつ落とすと、熱いものがこみあげてくるのを感じた。泣きそうなんだと分かったレミリアは、どうにかぐっとこらえてみせる。彼女が咲夜と約束したからだった。

「もうくよくよしないって決めたからね……貴女のことじゃ泣かないわ」

 月を見上げて、レミリアが笑う。空の十六夜は言葉を話したわけではないが、それでもレミリアは咲夜が反応を返してくれたような気がして、月に向かって手を振った。

 

 

 

 そして時は過ぎ――――霊夢や魔理沙、早苗といった咲夜と同世代の人間がいた時代を「とうの昔」と言うような頃。

 十六夜月の下、パチュリーと小悪魔、そしてフランドールと共に、テラスで紅茶を嗜んでいた。湯気が静かに立ち上る真っ赤な紅茶の注がれたカップを口につけ、香りを味わい、ソーサーに戻す。吸血鬼用に血のブレンドされたその香りは、すぅっと脳を鎮める。月夜の静かな茶会にはもってこいといえた。そんな中レミリアに、パチュリーが話しかける。

「今日は楽しそうね、レミィ?」

「分かるかしら?」

「ええ、そんなに気持ち悪いくらいニヤニヤされれば誰でもね」

 わざとらしく「バレてたか」とおどけて見せたレミリア。パチュリーは、ああやっぱりわざとか、という顔でカップを持ち上げる。

「今日はとっても素敵な運命が視えたわ。踊りたいくらいにね」

 楽しそうに笑うレミリアの背の羽がパタパタと揺れる。犬が喜びで尻尾を振っているのを彷彿とさせるが、おそらく彼女も「嬉しい」という感情があふれているのだろう。そうね、そろそろかしら、とレミリアが言ったすぐ後に、テラスの下から声がした。外で番をしていた美鈴の声だ。

「レミリアお嬢様ー! 侵入者! 侵入者です!!」

「なんですって? 門を通すとはこの出来損ない!」

 非常事態だと知らせる言葉とは裏腹に、美鈴の顔はとてもいい笑顔だった。少し涙が輝いているのも見える。それを見たレミリアは予測が的中したことを知り、同時にやはり笑みを浮かべて美鈴を罵倒する。このやり取りはパチュリーも聞き覚えがあった。もうどれくらい前だったかは覚えていないが、どんな時だったかは鮮明に覚えている。

「美鈴、下がってなさい。私が直々に相手になるわ」

 まるで演劇でも演じているかのようにわざとらしく、声高に宣言し、テラスから飛び立つ。真っ赤な館を背に、庭へ降り立ったレミリアの前には、埃をかぶったローブを身にまとう、銀髪の人間が立っていた。お互いに笑みを浮かべつつ「あの時」と同じように高々と名乗りを上げる。

「スカーレットデビル、吸血鬼の末裔よ! 我が身朽ち果てようと、今ここで斃す!」

「面白い! やれるものならばやってみろ! 人間風情が! 服従させて僕にしてやるわ!!」

 ローブをはためかせ、月明かりを蒼く映すナイフを手に取り、レミリアめがけて投げつける。音もなく飛ぶそれらを、銀のナイフと見抜き柄の部分を正確にはたいて全て弾く。その瞬間――――レミリアの周りに数百とも思える無数の刃が迫る。それに焦ることも驚くこともせず、ただ口角を上げてみせたレミリア。気合の声と共に羽を大きく広げると、周囲のナイフが一気に弾き飛ばされる。それを見越していたのだろう。ナイフが弾かれたことなど意に介せず、手に持った他より少し大きめのナイフを逆手に、地面に体をするかというほど低姿勢で地を蹴って突撃する。背後からの強襲に、レミリアは弾き飛ばしたナイフのうち一本の柄をとり、刃と刃を打ち合わせる。小さな火花を散らし、甲高い音と共に大柄なナイフが宙を舞う。レミリアはナイフを弾かれて出来た隙を見逃さず、ナイフを放り捨てつつ回し蹴りを叩き込む。空気を肺から押し出され、体が吹き飛んでいく。殺さぬ程度に手加減をしていたため、地面を二、三転したあと地面を掴み、勢いを殺す。すぐに立ち上がったかと思うと、ローブを二、三回ほど払い、跪く。

「お嬢様。相変わらずのお強さ、何よりです」

「よく……戻ってきてくれたわ。ありがとう」

 跪いた「彼女」に、震える声でレミリアは労う。彼女は……戻ってきたのだ。主の為に、幾多の苦難を薙ぎ払い、数多の月日を耐えて、レミリアの下に戻ってきたのだ。

「お嬢様。私は、まだ名前がありません。この地に戻ってきたものの、まだ名前が無いのです」

「分かったわ。貴女に名前をあげる。咲夜。十六夜咲夜――――何度でもあげるわ。これが貴方の名よ」

 こみあげる熱いものを感じて、震える声で言葉を交わし、細い腕を互いに回して、強く抱き合う。十六夜の月明かりに照らされた二人は、周りの目を気にすることも忘れて抱き合ったまま泣きじゃくる。お互いに、別れて以来の感情がダムが決壊した溢れだして、それを隠そうとも止めようとも思わなかった。今日この瞬間の為に、二人とも耐えてきたのだから。

 

 

 

 

「ねえ、咲夜。よく記憶まで一緒に戻ってきたわね」

 ひとしきり泣きじゃくった後、食堂を囲んで、渇いたのどを潤す目的も兼ねて紅茶を嗜んでいた。久しい咲夜の入れた紅茶の香りは、小悪魔の淹れるものとはまた違う絶品である。相変わらず紅茶の葉以外にも何か――――悪い意味で――――入れているようだが、それもまた懐かしい。

「閻魔を説得するのには骨が折れましたわ」

 真っ赤に腫れた目で微笑む咲夜。先ほどまでのローブは既に着替えて、あの頃と同じ青を基調としたメイド服に身を包んでいる。閻魔――――四季映姫・ヤマザナドゥといったか――――にはあとで葡萄酒の一本でも送ってやるか、とレミリアは苦笑しつつ考える。同時に……あの口うるさい、よりによって魂を裁く絶対的存在である閻魔に意見した忠誠心に、我が従者ながら感動する。ああ、いい従者に恵まれたものだ。

「お嬢様。どうかなされました?」

「うん、良い従者に恵まれたなぁって」

 思い出に浸っているような表情で答えられて、咲夜はきょとんとした後、少し顔を赤くする。消え入るような声でありがとうございますと述べると、レミリアのティーカップに紅茶を注ぐ。湯気と共に立ち上る香りが辺りを包むと、自然と笑みがこぼれた。

「咲夜?」

「はい、なんでしょう?」

「今度も……よろしくね」




 こんにちは。相変わらず捻りのない話&原作にない設定(設定というべきか?)だらけでごめんなさい。これもまた一つの幻想郷の形として受け取っていただければ幸いです。
 今作は拙作「紅い太陽と月の出逢う日」から続いていることになっておりますが、基本的に読んでいなくても話の流れはわかるようになっております。ただ、会話中で若干そちらの話題を含んでいますので、もしよろしければそちらもよろしくお願いいたします。


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