new record   作:朱月望

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決戦開幕

「ここにおいででしたか」

「あら、ユリウス。どうかしたの?」

 柔らかい陽が差し込む部屋で、彼女は少年に訊ねる。

「はい、旦那様がお呼びでございます」

「そう――もう、そんな時間なのね。

 あんまり、ぽかぽかと日差しが気持ちよかったものだから、つい時間を忘れてしまったわ」

「さあ、お急ぎを」

「ふふっ、あの人のことはもう少し待たせておいてもバチは当たらないわ」

 彼女は優しく笑いかける。

「それより、ユリウス。あなただって、あの人の息子なのだから、お父様とお呼びすればいいのではなくて?」

「いいえ。私にはその資格はございません。

 ハーウェイの跡継ぎとして必要なものを持って生まれませんでしたので」

 少年は無表情のまま続ける。

「ハーウェイの子はレオ様ただ一人です」

「そう……あの子はどうしてるの?」

「はい。記憶野に直接焼き付ける、新しい学科の手ほどきを。

 魔術理論を基にした情報処理の新案だとか」

「……まだ三つだというのに施術ばかりね。

 ……このところ母親の私ですらめったに顔を見られないわ」

「レオ様はやがて西欧財閥の頂点に立つお方。身につけなければならぬ事も多いのでございましょう」

「西欧財閥――そんな重荷を背負わせてしまって、親としては心苦しいばかりだわ……」

 彼女の顔が曇る。

「――ねえ、ユリウス」

「はい」

「あの子を――レオを守ってあげてね」

「は。私はそのためにだけに存在しておりますれば」

「ありがとう……じゃあ、そろそろ私を殺してくれるかしら」

「…………」

「私だって気付いているわ――レオの後継を盤石にするためには私の存在は邪魔になるものね」

「……申し訳ございません」

「いいのよ……くれぐれも、レオのことはお願いね」

「はっ! この命に換えましても……」

「……………………」

 彼女の最期の言葉は聞き取れなかった。その瞬間だけノイズがかかったように不明瞭になる。

 そして、そのすぐ後、銃声が部屋に鳴り響き、血と硝煙の匂いが辺りを満たす。

「約束は必ず守ります……アリシア様」

 少年の瞳から熱い涙が流れ落ちた。

 

 

 

 決戦の朝、ユリウスは目を醒ます。

「随分と懐かしい夢を見たものだな」

 この一週間、キャットの夢を見ていた。それはサーヴァントとの繋がりによるものかもしれない。

 だが、自分の過去など見れるはずがない。電脳世界では(きおくのせいり)などないはずなのだから。

「不思議なものだな……以前なら涙の一つでも出ただろうに」

 自分の心がどれだけ凍りついているかを実感する。

「最期、アリシア様は何と言っていたのだろうか……」

 忘れるはずがない大切な記憶——だが、何故か最期の一言だけ思い出せない。

 ユリウスが考え込んでいると——

「ご主人、目が醒めたか? 狩りの支度は出来ているぞ!」

 いつもはユリウスより遅く起きるキャットが呼びかける。

「ああ、いま行く」

 ユリウスは黒いコートを羽織り、マイルームの扉を開ける——

 

「未だに胸の孔が()いているというのに、なぜ立ち向かえる」

 決戦の舞台である闘技場(コロッセオ)でユリウスは白野に訊ねる。

「君と話がしたいから」

「……くだらない」

「まぁそう言うな。我が赤いのと()り合ってる間、暇なのだから良いだろう。話し相手になるといいぞ、ご主人。

 では、後は若い者に任せるとして……イクか!」

 キャットはネロに向き合う。

「そなたには奏者を苦しめられた借りがあるのでな。悪いが直ぐに終わらしてくれる!」

殴ッ血KILL(ブッちぎる)!」

 ネロの剣とキャットの拳が交わり、決戦が始まる。

 

「『炎天』よ、笑え」

「むっ!」

 ネロは呪法を防ごうと構えるが、火柱は背後から出ている。

 外したのかと訝しむと――

「そこで昇竜コマンド! 相手はウェルダン」

 背後に気をとられた一瞬の間に、懐に入ったキャットが掌底を放ち、ネロを後方へ吹き飛ばす。

「くっ!? なんと!」

 そして、ネロは火柱に包み込まれる。

「ちぃ、戦いづらい……」

 キャットは体術と呪術を織り交ぜて攻撃してくる。直接的な攻撃から、フェイント、誘導、中には本当に何がしたいのか分からない攻撃、キャットの戦術と思考が全くというほど予測できない。

「ウォーミングアップはこれでいいだろう。

 では……玉藻地獄をお見せしよう」

 キャットは不敵に笑い、更にギアを上げる。

 

「ユリウス、君は何のために戦っている」

「レオを聖杯の元まで無事に送り届けること――それが俺の目的だ」

「……それは、嘘だ」

「……何が言いたい」

「君は弟を見ていない……何か別のモノを求めている」

「……くだらん。俺が一体何を求めていると」

「例えば、愛とか」

「……ッ!」

「ユリウス、君に愛する者はいないのか?」

「……今のこの世界には、愛するに値する人間などいない!」

 感情的にユリウスは言う。彼がここまで気持ちが昂ったのはいつ以来か。

「オレにはお前の考えこそが不可解で、不愉快だ!

 愛するものがなければ戦えない、だと?

 それこそが悪辣だ。

 愛を知るなら、そもそも戦うな!」

 ユリウスは全力で白野を否定する。

 理由は分からない――ただ、白野の言葉がひどく耳障りに感じた。

 

「ご主人たちの方は盛り上がっているな」

「はぁ、はぁ……」

 ネロは膝をついている。それに対し、キャットは息すら上がらず余裕の表情だ。

「ここで終わってしまっては、キャット以上に空気が読めていないぞ」

「う、るさい。余はまだ本気を出していないのでな」

 ネロは立ち上がって強がる。

「出していないのではなく、出せないのであろう」

「…………」

「白野の魔力が廻るようになった今でも、魔力が半分も満たしておらんぞ」

「魔力の流れが見えるのか?」

「ネコ目というやつだ……む?」

 キャットは何かに気付いたのか、シリアスな顔になる。

「赤いの、前の戦いで無茶なコトしなかったか?」

「…………」

 ネロは前回のアルテラ戦、そしてランスロット戦の自分以外の力を思い出す。

 そして、その次の戦いで宝具を使えなかったことも。

「まぁ、答えずともよい。貴様は全力を出せず、我輩は宝具(チート)の限りを使う。ただそれだけよ」

「そうか……だが、宝具がなくとも勝ってみせるさ!」

 ネロは剣に魔力を込める。

「では、こちらも全力でいくぞ……これが手加減だ!」

 キャットは拳を構えそれに応える。

「『花散る天幕(ロサ・イクティス)』!」

「キャット流肉球術――『拳坤一擲(けんこんいってき)』!」

 決着へ向けて、再び剣と拳が交わる。

 

「お前は、本当に何なのだ? どうして、オレに構う? どうして、オレの忘れた筈の感情を呼び覚ます!」

「俺は君を助け――いや、救いたい」

「救う、だと?」

「君は誰よりも畏怖すべき相手だった。

 ……けれど君の戦う姿は、いつもどこか悲しかった。

 凍てつく瞳の奥に、救いを求めて泣く幼子のような君がいる気がして――」

「救いを求めているのなら、今頃修道士にでもなっている。

 もう黙れ。憐れみの押し売りは不愉快だ」

 ユリウスは白野から目を逸らし、キャットを見る。

「児戯は終わりだ。宝具を使え」

 ユリウスはキャットに渾身の魔力を注ぐ。

 これ以上、白野と話していると自身の大切な指針がブレてしまう気がして――

 

「『喝采は剣戟の如く(グラディサヌス・ブラウンセルン)』!」

「『呉越同蹴(ごえつどうしゅう)』!」

 ネロの剣戟をキャットは蹴りで弾く。

「あっちの話は終わったか。では、こちらも要望通り決めにかかるとしよう」

「くるか!」

 キャットの魔力が高まる。

「ガイアが俺にもっと野生(かがやけ)と囁いている……というわけで(みなごろし)だワン! 『燦々日光午睡宮酒池肉林(さんさんにっこうひるやすみしゅちにくりん)』!」

 キャットの姿が巨大な猫っぽい姿に変化して、ネロに襲い掛かる。

「くっ、はぁ!?」

 通り過ぎただけに見えたが、ネロの身体が宙に浮き全身に引っ掻き傷が現れる。

「セイバー!!」

「む? 急所を外されたか。

 しかし、次で終わりよ」

 巨猫に変化したキャットがネロに向き直る。

「何か、ないか……」

 白野は必死に考える――が、打開策が思いつかない。

「ダメか……」

 白野が諦めかけた時、端末からメッセージを受信した音がする。

「これは……!?」

 メッセージには『岸波は相変わらずどんくさいよな、ほんと僕がいないと全然ダメ。しょーがないから手助けしてやるよ、一応友達だしね』と書かれていた。

「慎二……?」

 一回戦で脱落した筈の親友の名前を呟き、添付されているファイルを開く。

 それは――

「慎二が使ってたコードキャスト……」

 その効果は、相手にダメージを与え、スタンを付与する術式(コードキャスト)

「『shock』!!」

 気が付くと白野はそう叫んでいた。

「ニャンと!?」

 術式(コードキャスト)のスタンが決まる。

 キャットの動きが止まり、巨大な猫から元の姿に戻る。

「セイバー!」

「任せよ!」

 その隙を見逃さず、ネロは剣を振りかぶる。

「『喝采は万雷の如く(パリテーヌ・ブラウセルン)』!」

 無防備になったキャットの腹に、渾身の一撃をぶつける。

Good(キャッツ)……ばたんきゅー」

 ふざけた言い方をしているが、立ち直れないほどのダメージを受けている。

 霊基の損傷は致命的。じきに消滅するだろう。

「オレは……まだ死ねない!!」

 ユリウスは魔術(プログラム)を構築し、システムに介入しようとする。

 どんなことをしようとも生き抜いてみせると、強い執念を露わにする。

「オレにはまだやることが……」

「もういいのよ、ユリウス」

 静止の声は白野でもネロでも、キャットでもなかった。

「……ッ!?」

 懐かしい声――忘れもしない大切な人の声に、ユリウスは振り向く。

「あなたは十分に戦った。これ以上苦しい思いをしなくてもいいの」

「アリシア、様……?」

 金髪のロングヘアの女性がユリウスに優しく微笑みかける。

「違う……お前は、キャットか」

「そうです。変化で姿を変えました」

「何故このような真似を……そもそも何故、彼女のことを知っている?」

深淵(キャット)を覗くとき、深淵(キャット)もまたこちらを覗いているのだ」

「……オレがお前の過去(ゆめ)を見ていたとき、お前もオレの過去(ゆめ)を見ていたというのか」

「そうです」

「ならば何故、その姿で現れた!」

 自身の大切な過去に土足で踏み行ったことに激怒する。

「あなたが忘れた彼女の最期の言葉を伝えに」

「なに……?」

「『くれぐれも、レオのことはお願いね……』」

 この言葉は覚えている――いや、忘れられない言葉だ。

 ユリウスは、この命に換えても守ると誓ったのだ。

 そして、そのままアリシア(キャット)は続ける。

「『命に換えてなんて言わないで、自分をもっと大切にして。

  レオのことは大事だけど、あなただって大事な私の子なのだから……幸せに生きて――』」

「……ッ!!」

 ユリウスは長い間、忘れていた言葉を思い出す。

「何故、忘れていたのだろうな……こんなに大切な言葉を」

 ユリウスは白野に向き合う。

「決戦の前にお前は言ったな、何のために戦うか、と

 ……そうだとも。お前の見透かした通りだ。本当はハーウェイや聖杯など、どうでも良かった――」

 そう続けるユリウスの顔は暗殺者のものではなく、苦しみから解放された者のそれだった。

「……幼い頃、まだオレが弱かった頃。たった一人、名を呼んだ女がいた。

 不要ですらない、あってはならないと、生きる価値がないと言われたオレに――

 命の意味を教えてくれた女だ。

 あっけなく死んだがな、あっけなく――

 レオの後継を盤石にするために女は――

 身内からの暗殺で、殺された。

 殺しにきた相手に笑いかけて、レオを、弟を守ってくれ、と言って――」

「ユリウス……」

「それがオレの目的となった。オレは女の遺した願いを叶え――彼女の元に逝きたかった。

 この手を血に染め続けるオレを、人は幽鬼と恐れ、嫌悪した。

 それでも良かった。オレは彼女の願いを叶えようとする自分にしか意義を見いだせなかったからな。

 だが、お前は――オレの意義を壊しながら、オレを救いたいと言った。

 ……何故だ?」

「……君の心に触れたかったから」

 ユリウスにとって初めて聞く言葉。

「オレの……心……?」

「生気のない孤独な瞳。

 冷たく凍った表情。

 けれど、その奥に潜む揺るぎない熱に――

 いつの間にか魅せられていた」

 白野は語る――出会ってから二ヶ月と経っていないにも関わらず、その言葉に迷いはない。

「……そんなこと言われたのは生まれて初めてだ。

 これまでオレの近づいてくる者は、蔑みながら利用方法を算段するか、恐れへりくだるかのどちらかだった。

 だが――そうだ、お前は真っ直ぐにオレの目を見ていたな。

 どんな闇の中でも絶望の淵に立たされても、その瞳には強い光が宿っている――

 オレはそんなお前が妬ましかった。

 ……要するに羨ましかったんだろう」

 そう言うとユリウスは、躊躇(ためら)いがちに右手を差し出した。

「……おかしいか?

 決して褒められた人生ではないが、一人も友人がいないまま逝くのは……情けない話だと、思ってな。

 こんなオレを友と、思ってくれたらでいいのだが……」

 不安そうに震えるユリウスの手を、白野は力強く握る。

「ユリウス、君のことは忘れない――記憶がない僕にできた、大切な友達だから」

「ありがとう」

 ユリウスは憑き物が落ちたように柔らかく微笑む。

「――時間だ。すまんな、面倒な男に付き合わせた」

 ユリウスの右手の令呪が無くなり、生者(しょうしゃ)死者(はいしゃ)を分ける壁が二人に立ち塞がる。

「岸波……?

 泣いて……いるのか、オレのために……

 そうか。そんなものでも、美しく見える時が、あるのか。

 いや――自分のために流される友の涙、だからかな。

 ありがとう、白野。幸せに生きてくれ」

 壁により互いの声は聞こえないが、気持ちは伝わっただろう。

「キャット、お前もありがとう。今まで世話になった」

 変化を解いたキャットに話しかける。

「負けてしまったのに礼を言われるのは面映ゆいな。

 しかし、シリアスな展開が苦手なアタシはこう言おう――

 では、報酬にニンジンをいただこう」

「はは。相変わらず、普段はブレてばかりなのに、ここぞという時にはブレないな」

「それがキャット故な」

「だが、それにオレは救われていたのだろうな。

 お前がオレのサーヴァントで、本当に良かった」

「私も貴方に仕えることができて幸せでした。

 冥府まで共に行けぬことが心残りですが、消え逝く最期の瞬間(とき)までご主人様の傍にいましょう」

 赤い巫女服を着たキャットはユリウスの手をとる。

 そして、二人は消滅する。

 しかし、そこに後悔の色は見えない。

 彼は最期に友を手に入れ、彼女は主人に最期まで仕えたのだから――

 

 

 

 おわり

 




 エピローグ



 暗い、昏い闇の中で目が覚める。
「あ、やっと目を覚ましたんですね~あと一秒でも遅かったら、下半身をミンチにして作ったハンバーグを食べさせるところでしたよ。あ、もちろんそのまま殺さず、何度も復活させて同じ苦痛を与えますけど」
 黒い衣装を着た女が話しかける。よく見ると、保健室にいたNPCによく似ている。
「あれ? よく見ると、私の知ってるユリウスさんとは少し違うような……まぁいいでしょう。
 貴方には私のスパイになってもらいます。
 本当ならここまでするつもりはなかったのですが、先輩とあのキャスターさんを引き離せなかったのがイタイですね~。こうなったら……」
 ああ、オレはまだ岸波の役に立てるようだ。ならば今度はオレが救おう――唯一の友人を。
 何もなかったオレが見た最後の光を
 ――たとえお前が、覚えていなくとも。


 そして月の裏側へ――


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