成長した藻女の噂は遠く離れた地域にまで広まった。曰く、どのような男性でも一目見ただけで心奪われる美しい
その噂を聞きつけた天皇がお忍びで藻女を見た。そして一目で彼女が欲しいと思った。
後日、天皇の遣いが老夫婦と藻女の前に現れた。藻女を側室として迎え入れると。
夫婦は大層喜んだ。このようなうまい話、断る理由がないだろう。
「断ります」
だが、藻女は断った。自分が認めた相手どころか顔を知らぬ者の元へ行くことは赦せなかった。
遣いの者は断ればどうなるか分かっているのかと脅し、両親は頼むから行ってくれと泣きすがる。
「天皇がどれだけ偉いか知りませんが、私を見初めたくせに正面から口説きに来ない臆病者の元など行くつもりは御座いません」
だが、藻女が心変わりすることはなかった。
「それは申し訳ないことをした」
突然、今までずっと黙っていた、もう一人の遣いの男がそんなことを言う。
「貴女のような綺麗な方には正面から会いに行くつもりでしたが、どうも恥ずかしくなってしまって……」
遣いの男は照れ笑いする。
「いったい何を言っているのです?」
「ああ、これは失礼。僕は……」
遣いの男は腕に巻かれた御札を剥がす。
「鳥羽。自分で言うのもあれですが、天皇をやっています」
名乗った途端、後ろにいた両親が大きな騒ぎ声を上げてひれ伏す。
「騙すような真似をしてしまい申し訳ありません」
「何故、このようなことを?」
「貴女の言う通り、僕は臆病者なのです……貴女の美しさの前に顔を出す勇気もなく、幻惑の呪符の力を借りてしまった」
鳥羽は項垂れる。
「ですが、僕は貴女が欲しい。側室でなくてもよい、少しの間だけ僕の傍にいて欲しい」
天皇という立場にも関わらず、臆面もなく藻女を求める。
藻女にとって鳥羽の顔立ちは好みだ。その上、地位も財産も天下一だ。
だが、どれだけ顔が良かろうと、偉かろうと、金持ちであろうと藻女は歯牙にもかけない。
そして、藻女は答える。
「はい。女官としてなら、貴方に仕えましょう」
藻女の答えはイエスだった。
なぜなら、彼女の唯一の好悪の基準――魂の在り方に惹かれるものがあったからだ。
「これから、よろしくお願いします」
藻女は恭しく頭を下げる。
頬に染まった赤色を隠すために。
この時、彼女は初めて恋を知った――その結果なにが待ち受けているかは、神ならぬ少女に予想できる筈もなかった。
「何故、セイバーを見逃した?」
マイルームでユリウスが訊ねる。
「昨日も言ったはずだぞ、ご主人。若年性のアレか? DHA食うか?」
「言っていない。
キャットはネロを見逃した理由をはぐらかし続けていた。
「(今まで言うことは聞かないまでも敵を屠ってきたから赦していたが……こうなれば、令呪を使うことも考えなければならないか)」
ユリウスは自身の右手に目を向ける。
「その必要はない」
ユリウスの心中を読んだようにキャットが告げる。
「アタシの大切はご主人だ。バーサーカーであろうと、ご主人を一番に想っている。
正直に言えば、昨日のことはアタシもよく分からん! しかし、それがご主人のためだと思った、赦せ」
「……そうか。今回は赦す。だが、次はない」
「ありがとうなのだ、ご主人!
今日の晩御飯はゴチソウにしよう。何かリクエストはあるか?」
「ない……お前の料理はどれも旨いからな」
「承知した! キャットの気まぐれ満漢全席、愛を込めて……だな!」
キャットはトラネコ柄のエプロンをつけ、意気揚々と台所に立つ。
ユリウスに尽くすことが自身の幸せだといわんばかりに。
「こういうのも悪くない、か……」
料理を作るキャットの後ろ姿を眺めつつ、ユリウスは独りごちる。
つづく